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震災から1週間経ちました。未だに大きな余震が続き、計画停電で暗い夜を過ごしたり私たちの生活もだいぶ変わってしまいました。昨日、幕張のスーパーに行ったらいつもの駐車場が閉鎖されて、4階の駐車場へ。エレベーターもエスカレーターも動いてません。そこから1階の店舗まで階段で降りて、買い物後も4階まで階段上りました。疲れた~。1年前に出来たばかりのスーパーなのに、震災で壊れるなんて。そして今日は夫の誕生日。毎年恒例の20個の誕生日プレゼントを集めるのは大変でした。これ全部、家中に隠します。夫はヒントを見ながら探し回ります。プレゼント20個と言ってもチョコとか靴下とかが殆どで、メインは2つくらい。今回自分でも不思議なんだけど、なぜか防災グッズばかりを集めてたんですね。こんな大きな地震がくるとは思わない震災前に。メインは携帯用ワンセグ防水DVD、そして頭につけて使えるLEDライト。他にキャンドルとかも揃えてました。虫の知らせだったのかな?その後はいつもの洋食屋さんでディナー。こんな時にいかがなものかと思ったけれど、スーパーで思ったように食材が手に入らなかったので洋食屋さんを予約してしまいました。この日の洋食屋さんは、すごく混んでました。お客さんはみんな同じ考え。食べるものが手に入らないので来たそうです。でも食事の途中で静岡県震度5の地震発生。家で留守番してるポン茶郎が心配でやっぱり来たことを後悔しました。義母は相変わらず煩く連絡してきます。原発のこととか 大きな地震が来るたびに「どんな気持ちですか?怖いですか?」と聞いてきます。今ではちょっとの揺れが来たくらいでは何とも思わなくなりました。こんな自分が怖くなります。危機感がなくなっているようで。もっと気を引き締めないといけませんね。
2011年03月19日
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1週間前に起きた大地震は私たちにどんどん大きな問題を与えています。その一つは原子力発電所の事故。毎日毎日テレビには評論化が招かれ、いろんなことを説明しています。一刻も早く冷やさないと核燃料の熱が高くなり溶け出してしまう。でも周囲は高濃度の放射能で近づけない。どうやって水を入れて冷やそうか模索中。そういうニュースを海外でも放送されているそうです。特に大げさに騒いでいるのがフランスのニュースです。毎日毎日トップで日本の原発関連のニュースを放送し、人々の不安を煽っています。サルコジは日本にいるフランス人のためにお迎えの飛行機を飛ばすとか。フランスにいる義母は気が狂わんばかりに心配して私たちに非難をしろと言ってきます。eメールだけではなく、SMSで直接携帯に送ってくるので無視するわけにはいかず困っています。私たちだってノンビり構えてるわけじゃないのに。いざというときのために、すぐにフランス行きの航空券を予約しました。でも二人だけで帰るわけにはいきません。父やポン茶郎、弟家族、義妹の両親、彼らのペット。どんどん芋ズル的に人数が増えてきます。彼らにだってそれぞれ思いがあり、簡単に日本を抜けることなどできないとの答え。義妹には甥と姪だけは いざという時にお願いすると言われました。夫は国外脱出はよほどの覚悟を決めた上での決断ということで、そのときはポン茶郎もあきらめる旨のことを言ってます。私にはそれが大きくひっかかります。自分ひとりが日本を離れても、自分自身を許せるのだろうか。私の家族は日本におり、夫の家族はフランスにいるから二人が離れなきゃならないのは仕方がないのかな。そんなことを考えてたら精神的に消耗してしまいました。義母は鬼のようにSMSを送ってきます。「ダリりん、早く賢い決断をしなさい、そんな危険なところに留まっている理由があるの?」義母の賢い決断という言葉に我慢できなくなって私は反論のメールをおくってしまいました。ポン茶郎とか父や弟家族のことも考えなければならない、賢い決断とはどういったものか私には答えが出ないと。もちろん義母は日本にいる私の家族全員をフランスに呼び寄せると言ってくれてますが、彼らの気持ちのことまでは理解していません。簡単にコトが運ばないと考えたのか、義母は謝罪とともに避難勧告メールの嵐も収まりました。その夜、原発の事態がますます深刻になると今まで静観していた義母の夫、義母の前夫それから義母の妹、さらには義弟からもそろそろ決断をしてください、と夫に連絡が来ました。アメリカ政府でさえも、原発の半径80キロ以内には近づかないよう指示をして本当に緊迫したニュースのみ流れてましたから。結局その夜を境に危機的状況が少しずつ解消されてきたので私たちは避けがたい決断をせずに済みました。義母はストレスのあまり自分の髪の毛をむしりまくり、お酒を飲んで悪酔いしたとかしないとか。国際結婚の難しさ、思い知りました。逃げる場所がある安心感とともに、母国と家族を残して去れる決断力があるのか答えは出せそうにありません。
2011年03月18日
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今日は久しぶりに家族が集まって父、甥、義妹、そして私の夫の合同誕生日パーティを計画していた日でした。なので昨日は午前中に買い物に出かけ、パーティの食材やケーキなどを大量に買い込んで午後1時頃、家に帰ってきました。遅いランチをとってLaw and orderを見ていたらユラユラと小さな地震を感じました。そのうち揺れが大きくなり始めたのですぐにグラスがぶら下がっているカウンターに行ってグラスを下ろそうとしたときです。いきなりものすごい勢いで家が揺れ始めて立っているのもやっとの状態。靴下が滑ってうまく踏ん張れません。とにかくグラスが落ちて割れたら怪我をするのでやっとの思いでグラスをシンクに下ろしました。強い揺れはおさまらず、ますます激しくなると今度はカギを閉め忘れた窓が勝手に開いたり閉まったりはじめました。ポン茶郎が外に出ては大変なので、よろけながら窓を閉めに行きました。ポン茶郎は身を低くして逃げる場所を探し周り、ベッドの下に行ったようです。その直後に家電が鳴り始めました。応対している場合ではない!と思いながらも受話器をとったら夫からでした。夫はすでにヘルメットをかぶり、机の下にもぐっての電話。こちらの様子を報告しているうちにまた大きくゆれ始めて・・・夫の声を聞いていたら ちょっと気が緩んで泣きそうになりましたがこの地震はただ事じゃない!そんな場合ではないと我に返り、電話を切って部屋中の点検と防災グッズの準備に取り掛かりました。外を見ると、マンションから非難して下の公園に集まった住民が十数人。街のあちこちで火事なのか、黒い煙がところどころで上がっていました。市原のコンビナートの黒鉛も上がっているのが見えました。海外でも日本の地震は大々的に速報で報道されフランスに居る義母など心配でメールとSMSを何通もおくって来ました。こちらも防災の準備などで忙しいのだけど、そのつどメール返信のために中断しなければならず。そこで思いついたのが家に設置してある防犯カメラ。スイッチを入れて私たちの様子を見てもらえれば少しは安心できるハズ。覗き見されるのは本意じゃないけど仕方なく義母に見せることにしました。ポン茶郎は余震のたびにペットキャリーに入れました。そういえばトイレにも行ってない・・思い立ってトイレに行ったら便器に穴が開いてました!棚に飾ってあったevianのイヤーボトルが落下したのです。タンクの中に破片が落ちて水がたまらない状態だったので、とりあえず破片を取り除いて何とか使えるようにしました。余震が収まらない中、夜になると今度は交通網がストップして帰宅できない状態であるというニュースです。余震が怖いけど夫を車で迎えに行こうと交通情報を見たらどこも大渋滞の表示です。携帯電話も家電もつながらず、父や弟の安否もわかりません。唯一メールとスカイプ、PUSH meが使えたので夫と義母には連絡が取れました。夜の11時ころになってやっと東西線が妙典まで動き始めたというので夫は会社を出て、私も妙典まで迎えに行くことにしました。車に乗って外に出ると、そこは異様な光景でした。沢山の人たちが道路をぞろぞろと歩いているのです。国道へと続く道に出ると、大渋滞になってまったく動きません。その横を帰宅難民の人たちが通り過ぎていきます。ある人は歩きつかれて道の真ん中で座り込んだりヒザやフクラハギを揉みながら休憩してる人も。車に乗ってると、余震の揺れも感じます。上を見ると電線もユサユサ揺れてます。ガソリン、補給しとけばよかった。義母からは鬼のような量のSMSが届きます。車が渋滞で動かないとメールすると、そこに車を置いて家に帰りなさいとか無理なことを言ってます。いつになったら息子と会えるのか(迎えにいった私が夫といつ会えるのかと)とか答えられない質問が多くて困りました。私が渋滞につかまって100m進む間に夫と同僚は妙典からに西船まで歩いてきました。せめて西船まで行きたかった・・・のですが、夫と同僚は更に歩き進み、ついに私よりも先に近所の交差点まで来てしまいました。同僚は津田沼の自宅まで歩いて行ってしまいました。車で送ってさしあげたかったのですが、この大渋滞では徒歩のほうが確実です。やっとのことで夫と会って家に着いたのが朝の3時半。結局私は車で家を出てから3時間、1.2kmしか進めませんでした。家に着くと、義母がカメラを動かしながら私たちの様子を見ているのがわかります。やっと息子を見られてホッとしたところでしょう。1時間ほどニュースを見て、疲れきって洋服のまま寝てしまいました。これから先、いろいろな被害状況が見えてくるでしょう。落ち着くまでに時間もかかりそうです。生まれてはじめての大地震にまだパニック状態ですがとにかくこれ以上被害が大きくならないことを祈るばかりです。
2011年03月12日
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3月だというのにすごい雪。最近の月曜日は出足をくじかれることが多いです。先週の土曜日に、ポンポンのお墓に行ってきました。我が家から続く道路を真っ直ぐ行って14km。1回曲がってすぐ着きました。小さなゲートを開けるとワンちゃん、ウサギさん、猫さん、そしてウコッケイが敷地内でウロウロしていました。一目見て、ポンポンは寂しくないな~って思いました。この観音様の下にポンポンと沢山の動物さんたちが眠っています。管理人のお姉さんにお骨を見せてもらい、思わず「ポンポン!」と声をかけました。お姉さんが「ポンポンって言うのですか?」と聞いてきたとたん涙があふれてきてしまい、未だに感情のコントロールが出来ません。お骨は土の上に置かれており、いずれは自然に帰るようになっているそうです。私も夫も自分たちが死んだら お墓を持たずに骨(灰)を自然に帰してほしいと常日頃言っているので、ポンポンも同じようになるんだなと思って安心しました。しばらくウサギのマーちゃんと遊んで帰ってきました。葬儀屋さんから送られてきたポンポンのメモリアルカードこれが現在唯一あるポンポンの写真です。まだ心に余裕がなくて、これ以上飾れません。そして今日はポンポンの月命日です。もう一ヶ月たったという思いと、ポンポンがいない一ヶ月がすごく長かったという思いが交じり合っています。先日ポンポンの使っていた療養食などを同じ腎不全の子たちを持つお友達に引き取ってもらいました。ポンポンからの命のバトンです。きっと引き継いだネコさんたちも頑張ってくれると信じています。その「お礼に」と大量にプレゼントを送ってくださった内の一つ。可愛すぎて食べられませんにゃーちゃん、あっちょくん、保護猫さんたち、頑張ってね。
2011年03月07日
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