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最後の日は朝11時の飛行機だったので、朝8時に家を出た。チェックインを済ませて、少し空港内をぶらつきお茶をしてお別れした。いつもは涙涙の別れのシーンが来るはずなのに、今回はちょっとだけ涙してお別れした。あと3ヶ月もすれば私たちがパリに行くので、あまり淋しさを感じなかったからかもしれない。二人を見送って車の中で一言、、「すごい静かだね。」義母たちが去って、一気に騒音がなくなった感じ。すごいパワーだった。帰りにショッピングセンターに寄ってみた。もしも飛行機が何らかの理由で欠航になった場合、引き返さなきゃならないからまっすぐ家に帰らないで少々時間をかせいでみた。強風注意報が出ていたが、結局飛行機は1時間遅れで飛び立った。さて義母たちが去った後は、彼らの残骸整理で少々忙しかったが今は普通の生活に戻った。義母は日本での生活を思い出し、フランスで大根を買ったそうだ。私が料理したように、それをフライにしたいという。一体いつ私が大根のフライを作ったというのだ!?何かが間違ってる。これから義母に大根のレシピを数点教えなきゃならない。
2005年01月19日
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34日目。今日は義母に頼まれてた用事を済ませに、御徒町まで行ってきた。夫も休みをとったので、一緒に。用事っていうのはなんだかというと、義母のママ(夫のおばあちゃん)の形見のブローチを売りたいってことでその鑑定に行ってきた。そのブローチっていうのが、ものすごい代物で、小さなダイヤが沢山ちりばめられたもの。鑑定してもらったら10カラットくらいと言われた。で、義母のママがフランスで特注したものらしいんだけど、当時のお金で500万くらい。今のお金に換算すると700万円くらいになるでしょうって。。。ダイヤの産出量が少なかった60年位前に、コレだけのものを作らせるのはよっぽどのお金持ちか、貴族くらいでしょうって言われた。そんな高価なものを持ち込まないでよ~。ブルブル。結局デザインがアンティークなので、日本ではばらして売るしかなく、そうすると価値がまったくなくなってしまうので、ヨーロッパに持ち帰って売ることになった。しかし、おじい様がおばあ様のためにわざわざ特注して作った一点もの。売ってしまうのは、もったいない話だ。二度と見られないかもしれないので、穴が開くほど見ておいた。昼すぎに帰ってきて、惣菜屋でお弁当を購入。義母夫妻:中華弁当、夫:メンチカツ弁当、私:のり弁。枝豆を解凍したら、喜んで食べていた。相当好きらしい。午後は義母夫妻、最後の買い物に出かけた、夕飯はシャンパンでお別れパーティ。オードブル、サラダ、ハンバーグパイ。35日目。今日は帰国前日ということで、ゆっくりと過ごした。昼食は巻き寿司、小龍包、サラダ。それから義母夫の誕生日だったので、マロンのケーキ。夕方にかけて、スーツケースの荷物詰め。私たち家族はいつも土壇場になって不備があり、大騒ぎするが、今回も同様、スーツケースが壊れて持ち運び不能になってしまった。結局私たちのスーツケース3個を貸すことになった。今度は詰め方がなっていないということで、夫が口を差し出し始め、義母と二人で大騒ぎしながら詰めていった。やはり親子だな。私と義母の夫は、そんなうるさい親子をじっと見ていた。なかば諦めながら、、、。スーツケース詰めが終わった頃、私の両親から電話があった。最後のお別れにと、義母夫婦への挨拶の電話だった。義母夫婦も私の両親の声をもう一度聞きたい、お礼を言いたいので、電話をしたいと言っていたので、ちょうどよかった。お互いカタコトの英語と日本語で挨拶をしてくれた。そのあと夕食。長いフライトの前なので、簡単にラビオリとサラダ。もう少しで、長かった義母夫婦との共同生活が終わる。私は必要以上に義母を恐れすぎてたようだ。義母はとても思いやりのある愛情深い人なのに、私は素直に受け止められなかった。反省すべき点である。でも昨日あたりから、顔面神経痛が出てきた。自分ではいたって平気なのだが、体はウソをつけないらしい。
2005年01月15日
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今朝なにげにケータイを見たら、お友達からメールが入っていた。なんとジョージ・クルーニーとブラッド・ピットに会えたというのである。しかも握手をしてもらって、サインまでもらったとある!彼女は英会話スクールの友達で、昨日のレッスンのあとクルーニーさまや、ブラピに会いに、成田空港へ向かったのである。ということは、5~6時間待っていたことになる!すごいなー。もしも私が独身貴族だったら、同じ事をしてただろな、、、。いやはや、うらやましい。今日は朝からプールに行った。プールは季節柄比較的すいていた。そのあと、買い物をして家路についた。昼ごはんは、ペンネ・フンボルチーニとサラダニソワーズ、ローストビーフなど。、枝豆など。夕食はサンマルクでフルコース。サンマルクはパンが焼きたてで、接客に定評がある。しかし料理のタイミングが速すぎるのと、レディファーストを徹底してなかったのでフランス人からは厳しい意見が飛んだ。でも義母夫妻の誕生日だからと、招待したので大変喜ばれた。義母夫妻の滞在ももう少しで終わり。あと少し。あと少しだ。残り時間は少ないけど、気を抜かないで悔いのない様やっていこうと思う。
2005年01月13日
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今日は今年初めてジムに行った。マシンジムのスタッフに2週間ぶりですね、といわれた。そんな久しぶりだったのね。仲良しのおじさんは来ていなかった。その後急いで家に帰り、ピザとサラダの昼食。午後はすぐに英会話のレッスン。これまた今年初めてだった。4時過ぎに帰宅し、6:30までフリータイムを過ごす。そのあと夕食の支度にはいる。本日は義母の誕生日なので、少し洋風にしてみた。ローストビーフ、豚肉の野菜巻きトマト風味、サラダニソワーズ、ポテトのローズマリー風味など。あとご飯は、大根の葉っぱとベーコンをいためた混ぜご飯。これだけ洋風にしてみても義母からは「日本料理」と言われてしまう悲しさよ。まあ、いいけどね。気に入ってもらえているのなら。。。私たちから義母へのプレゼントは「メモリーシティックduo pro256mb」。義母の夫はあらかじめ私にパシュミナのストールを頼んでおいたので、それを手にしてあげていた。義母はマフラー系が大好きなので相当喜んでいた。
2005年01月12日
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本日は一日中お休みの日だった。夫を7時に送り出し、洗濯して久々にNHKラジオ講座を聴いた。義母夫妻は8時半頃起きてきた。私はたまっているメールを整理していた。午前中に義母夫妻が買い物に出かけたので、その間に掃除をした。昼食は冷凍スパゲッティ。最近手抜きの昼食が多い。義母夫妻は気に入ってくれているが、、。午後は義母の夫がケーキを作ってくれた。夕食はてんぷら・グリーンサラダ・もやしなどなど。今日は少しゆっくりすることが出来た。明日はまた忙しくなるだろう。
2005年01月11日
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義母たちが来て今日で一ヶ月になる。京都の旅行では辛い目にあったものの、それ以来義母は随分考えを改めてくれたようで、ヘンな振る舞いはしなくなった。私との関係も良好である。(私としてはまだビクついているが。)今日は午前中に大きなショッピングセンターに行って、そのフードコートで昼食。義母とその夫:オムライス、私と夫:吉牛。午後はそれぞれ自室でフリータイム。夕方、夫の同僚が亡くなったお母様の着物を持ってきてくれた。義母たちにプレゼントしてくれるというのだ。普段着用の着物3枚と七五三用の帯、着物用の生地。ありがたくいただいた。彼が帰った後、早速義母たちは試着を始めた。色が渋かったせいか、なぜか義母の夫が袖を通し始めた。つんつるてんだが、気に入ったようだった。そのあと義母が着てみたが、義母はふくよかなので、前がしまらなかった。そのうち、楽しくなって二人で着物をクチャクチャにしながら遊び始めた。同僚の亡き母親の着物なので、さすがに私の夫が怒って取り上げた。結局女物だが、義母の夫がバスローブ代わりに2着いただくことになった。フランスで着るんだから、誰も女物でおかしいとは気が付かないだろう。夕食は、ウイーン風シュニッチェル・ポテトのロースト、ローズマリー風味・グリーンサラダ。夕食後、またもや私に白髪が生えていることを指摘された。超ショック!毎日増えてる!!そのうち10円ハゲでも見つかるんではないかと恐怖である。
2005年01月10日
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25日目。この日から京都へ出発。義母とその夫に私がつきそう形になった。忙しい朝になるので、前日に洗面所を使う時間をきめておいたのに、そんなこと無視して私の夫が仕事に出かけるや否や、義母たちは起きてきて、あっという間に洗面所を占領されてしまった。まあ、いいけどね。早く準備が終わればそれに越したことはない。楽しみにしていた新幹線。彼らは新幹線とは言わずTGVと言う。綺麗で広い車内。礼儀正しい乗務員やショップスタッフに義母たちは感激していた。TGVとは比べて欲しくないくらいだ。義母は日本とフランスの違いなどを目の当たりにして、日本の良いところ、悪いところ理解しているようだった。しかし「郷に入れば郷に従え」を実践することはなかった。もちろん彼女はフランス人だから、日本人のように振舞う必要はない。だが、義母たちが来日して3週間目に入っているのに、最低限のマナーやルールを守ろうとしない義母に私は少々苛立ちを感じていた。一番ひどいのは食事のマナーだった。義母の夫は、私がマナーを教えてあげると素直に従うし、そんなに目だって悪いことはしなかった。だが義母はなぜだかわからないけど、態度が大きくて振る舞いが悪い。私は何回か正しい食べ方などを教えてあげたが、そのたびに義母は反論した。自分はこの方が食べやすいから、この方法で食べるというのだ。私の夫は私以上に何回も同じ注意をしたが、義母は逆切れしてしまう始末。そんなことの繰り返しだった。で、昼食は京都駅の地下街で「トンカツ定食」。せっかく京都に来たのだからと、おばんざいや湯豆腐、お好み焼きを薦めたが、義母は洋食(それもトンカツ系ばっかり)しか食べたがらなかった。その後、東寺に行って見学。一旦ホテルに戻り、7時すぎに夕食へ出かけた。夕食は3人とも「なすとトマトのドリア」。せっかくの京都なのに、、。26日目。この日は1日バス観光のツアーにでかけた。「平安神宮」→「嵐山」嵐山で100分の時間をもらって、天竜寺と嵯峨野を散策し昼食になった。そこで世にも恐ろしい嫁姑戦争が勃発したのである。今でも思い出すと、振るえが止まらない。事の発端は本当に些細なことだった。それまで私と義母は仲良くやっていた。精神面でも彼女の気持ちは理解できていたつもりだった。ただ私の中にはやはり、義母に対する苦手感はあった。彼女は慈悲深いがとても感情的で、しばしば大きな声を出す。人の目など気にせず、どこでも大声で口論できてしまう。人の目を気にする私とは、まるで反対の人である。たとえば、スーパーの中ですごい混雑しているときに息子と話しながら買い物していたことがあった。何かのきっかけで義母が息子に怒鳴り始めた。周りに人が沢山いて、混雑しているにもかかわらず、平気で足をとめて、他の買い物客の迷惑になってしまった。レストランで皆で食事をするときも、箸を使う必要のない洋食に他の人の分の箸を使ってしまい困らせたり、味を見る前から何にでもタバスコを掛け捲ったり、、、。まあ、他人様に迷惑がかからなければよいのだけれど、、。ただ、見ていて気持ちの良いものではない。しかも、私が教えてあげても必ず義母は自分を正当化してえばっている。あまりにひどいときは「これはやらないでください。マナー違反です。」と言うが、「私はそんな習慣知らないし、あなたが教えてくれないからわからない。」と返される。私は注意してあげてますよ、あなたが勝手に自分のやり方を押し通しているんでしょうよ。気の弱い私は心の中でしか、言えなかった。そんなことが3週間分繰り返されていたので、ついに嵐山で切れてしまった。たしかトンカツ定食を注文した義母が、トンカツを食べる前から唐辛子を大量にかけ始めた。それからフライドポテトにソースか何かをかけていた。味を見る前から合わない香辛料をかけているので、私は少し注意をした。そうしたら、義母はいつもの屁理屈を返してきた。フランスでは何をふりかけても誰も何も言わないし、今ここでも誰も見ていないじゃないの、って。私はその言葉に切れてしまった。誰も見ていなくない。私が見てるし、私は恥ずかしいと。それを聞いて義母はショックを受けたようだ。私に恥ずかしい思いをさせてしまったことに気づいて、一瞬謝った。義母の振る舞いや行儀の悪いマナーは、彼女に悪気は全くない。人に悪印象を与えていることさえ、全く気が付かないのだ。私の中に今までたまっていたものが噴出してしまったとはいえ、トンカツに唐辛子かけたぐらいで私らしくないキツい一言を言ってしまった。すぐに謝ればよかったのだが、間が悪く謝る機会を失ってしまった。案の定、バスに戻り次の「金閣寺」を回る頃には、義母は私と口をきいてくれなくなってしまった。バスの中から私は夫にメールを打ち、義母に失言してしまい、謝る機会を探している旨を伝えた。夫は「気にするな。悪いのはマナーの悪い母だから。」と言ってくれたが、気がすまない。重苦しい雰囲気の中、「清水寺」を回り、ツアーは終了した。そのあとホテルに戻り、休憩した。時間がたつにつれて、だんだん話しずらくなっていった。夜、夕食に出た。義母の夫が私たちの間に入り、なんとか雰囲気を盛り上げようとしてくれるのが痛々しかった。夕食はピザ。全員のピザがそろい、食べるときに私は義母にタバスコをすすめた。そうしたら義母は首を振り、私に「ハズカしい思いをさせられないからタバスコはかけない。」という。私「まだ怒っているんですね。」義母「そう。。。とっても怒ってる。」私「ごめんなさい。あんなこと言うべきではなかった。」義母「良く聞いて。」 「私は日本になんか絶対来たくなかった。言葉はわからないし、習慣は違うし文化も違うし。でも息子がどうしてもというから一生懸命重い腰を上げてやる気を起こさせて来たの。」 「あなたのあの発言は、今まで私があなたにしてもらった全ての好意をゼロにしてしまった。いいことなんて何も残ってないわ」 「日本人は目にマスクをつけて、私の振る舞いを見ないほうがいいわ。」ここまで言われて私は手が振るえ、固まってしまった。さらに、義母は自分が相当怒っていることを私の夫に言わないで欲しいと言うのだ。しかしもう報告済みなので、黙っているわけにもいかない。それを義母に言ったら義母はころっと態度を変えて、私の謝罪を受け入れるというのだ。なんのことだかさっぱりわからなかった。そのときは、義母が嫁を責めたことを息子に知られると都合が悪いと思ったのかと思った。そして、なんとか夕食を終え、ホテルに戻ろうとしたとき、私の夫から電話が入った。私のことを心配しての電話だった。私はまともに電話口で話せず、ただ泣きじゃくることで精一杯だった。落ち着いて再度事の詳細を報告した。私の発言が義母を怒らせてしまったのは、理解できたようだ。だが、こうも言う。「もうわかってきたとは思うけど、母は何かが足りないんだよ。」「だから私は母から逃げて日本に着たんだよ。」って。夫が味方になってくれて、ほんとにうれしかった。そのあと夫は義母と電話で話をし、少したしなめてくれた。ずっと泣いている私を義母も、その夫も抱きしめてくれた。その場で表面上は解決したのであった。しかし、この事件は私に大きな影響をもたらした。なんで私が謝らなければならなかったのかどうも納得いかない。失言はもちろん謝る。が、何故あそこまでいわれなければならないのか悔しくなった。その晩、風呂で泣き、ベッドでも声を殺して泣いた。眠れなかった。27日目。義母はすっかり元の義母に戻った。私も冗談などを気軽に返せるようになったが、どうしても自分から必要以上のことは話せなくなった。顔も上げるのが辛く、下向き加減だった。この日は「二条城」を見学。昼ごろ京都駅に向かい、帰路についた。昼は私:京樽のおにぎり。義母夫婦はサンドウイッチ。新幹線にて。新幹線でもずっと押し黙っていた。義母に言われたことが頭から離れず。夕方家につき、すぐに夫も帰ってきた。夫は義母と何か話をしたようだ。それから義母が私を気遣い始めたのがわかった。夕食の後、義母は私にルージュをプレゼントしてくれた。手紙を添えて。手紙には私への感謝と謝罪が書いてあった。私は彼女からの謝罪を待っていたので、うれしかった。でも、心の底ではその謝罪をまだ受け入れることが出来なかった。私の心は本当に傷ついてしまったようだ。夜、寝る前に夫に自分が義母から言われたことを告白した。あまりの言葉に夫は信じられないと言っていた。28日目。本日はゆっくりすると決めていた。義母はどこにも出かけたくないと言っていたが、昼食後3時間の散歩に出かけた。ちなみに昼食は冷凍スパゲッティ。義母たちは私の心の傷を感じて、夫と二人だけにしてくれたらしい。あれ以来、口を開くのが怖く、義母と話すときはどうしても口ごもってしまい、うまくいえなくなってしまった。トラウマ状態である。夕飯は揚げ餃子・酢豚・サラダ・チャーハン。29日目。今日は私の両親が義母たちとの最後の食事をしに来てくれた。私の母は私の姿を見るなり、自分の娘がやつれたのを感じ取ったらしい。すごい痩せたと言われた。ショックだったのは、あの事件のせいで白髪が出来てしまったこと。白髪のない自慢の栗色だったのに。しかも今日、自分の父親に言われたのだ。「ひょっとして、白髪じゃないのか」って。それも、根元付近から白くなってる。これって最近出来た証拠じゃない!?マリー・アントワネットも一晩で白髪になったというからひょっとして私も!?気が気ではない。そのうち、10円はげでもできるんではなかろうかと心配している。昼のメニューはオードブル・サーモンとえのきのオーブン焼き・串カツ・天プラハンバーグ・サラダ・クレープ:バナナまたはリンゴのフランベ。最後のビズをして、両親と義母たちはお別れをした。私の母はあともう少し頑張りなさいと私を気遣ってくれた。母には何も言っていないのに、私の苦悩が伝わってしまったようだ。さすが母親。夕食は豚丼・サラダ。
2005年01月09日
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今日はモノレールで街を一周して、買い物に出かけた。昼食はお好み焼きと焼きうどんにサラダ。お好み焼きは好評だった。義母は料理が好きなので、いつもレシピを聞かれる。決まって答えるのが小麦粉とタマゴと水。てんぷら、マドレーヌ、お好み焼き、うどん、等等いつも同じ答えを言っているようだ。同じ食材でどうしてこんなにバリエーションがあるのかと不思議がられた。午後は義母たち独自にお買い物。コートなど買ったようだ。セールなので、安くてよいものが手に入り喜んでいる。店員とはジェスチャーなどでコミュニケートしているようで、その武勇伝を聞くと店員の苦労が伺える。私はしばらくその店に足を運べないだろう。夜はスパゲッティパミセリを使ったトマトのスープタイプパスタとサラダ、レンコンと牛蒡の金平。明日から義母たちを連れて3日間京都旅行に出かける。夫のみ留守番。間違いなく珍道中のクライマックスになるだろう。それを考えると、眠れない。
2005年01月04日
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今日は朝早くからドライブに出かけた。行き先はアクアライン。風が強く空気が澄んでいたので、富士山がとても綺麗だった。私が夫の家族をアクアラインへつれてきたのは3回目。最初は弟。都内のホテルまで迎えに行き、レインボーブリッジ経由で海ほたるへ。次は夫の叔母家族。5人家族なので、父と母に協力を要請して、大きなバンで出かけた。しかし過去二回とも夫は仕事だったので、夫にとって今回が初めてのアクアラインになった。(彼も喜んでいた。)アクアラインを通り抜け、今度はお台場へ。そこで降りて見物をする予定だったが、台場の出口が見つからず諦めた。大井で降りて、東京見物をしながら帰路へとついた。あてずっぽうに走っていたのに、品川埠頭・カレッタシオドメ・銀座・水天宮・・・などなどいろいろ見物できた。昼食はガストで済ませた。義母:ソーセージとポテトフライにビール。義母の夫:鉄板餃子と焼き鳥。酒のつまみばっかりで、二人とも正月の気分を満喫しているようだ(笑)。そのあとずっと渋滞にはまり、浦安から我が家まで2時間半もかかってしまった。夕食はムサカとサラダ。いつもより多めに8人前のレシピで作ったが、好評だったようで、全部なくなった。8人前であることを告げると、皆青くなっていた。それから今日で預かっていた猫のプーちんが最後の夜を迎えた。今まで預かった猫ちゃんの中で一番人になれてる子で、ウチのポンとも仲良しになり、毎日二人で遊んでいた。性格も声もポンにそっくりで、何回間違えてしまったことか。明日の夜に飼い主様が迎えに来たら、ポンポンきっと寂しがるだろうな。
2005年01月03日
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今日は私の実家に新年の挨拶に行った。事故やらなにやらの渋滞で2時間以上かかってしまった。いつもは1時間少々で行く道のりなのに、、。しかも私の車は、特性上ほとんど2シーター状態なので、バックシートが異常に狭い。義母夫婦には本当にかわいそうだった。さて実家につくと、いきなりフランス式挨拶ビズの荒しである。私の両親もだいぶなれてきたようだ。しかしハタで見てるとおもしろい。今回は私の弟家族も参加してビズ合戦になった。ホッペにキスされることを予想していなかった弟家族は大騒ぎ!5歳の甥っ子などは「やられた!」などと逃げ回っていた。食事は両親の手作りで、てんぷら・ポークの竜田揚げ・筑前煮・数の子・マカロニサラダなど。デザートはタピオカミルク。会食は非常に楽しく進み、みんな良く話し、良くコミュニケートしていた。ただ私は通訳に回されるため、口が忙しくて食べ物に手を出せなかった。でも本当に楽しかった。弟家族も義母夫妻が来るのを楽しみにしていたらしく、積極的に参加してくれていたのが、うれしかった。甥っ子も姪っ子も義母夫妻をとても好きになったようで、大きくなったらフランスに遊びに行くと約束していた。帰りはまた義母夫妻からビズの洗礼を受け、弟家族・両親とも緊張の一瞬。そして両親のセダンに乗り換えて出発した。夕方家に着き、8時頃夕食。メニューは実家からもらった余り物で済ませた。余りものであることを詫びたら、愛情のこもったおいしい料理だと皆言ってくれた。
2005年01月02日
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元旦。毎年正月気分が薄れていく今日この頃である。結婚してからお餅を満足いくまで食べたことがない。なぜなら夫が餅を好まないからである。今年は餅を食べない外国人が3人もいるので、ますます餅離れしそうである。今日は午前中に風車のある公園に散歩に出かけた。その前に、ちょっとした事件が起こった。私が洗濯物を干そうと思ったら、義母の夫が手伝おうと行って、さっさとベランダに出てしまったのだ。冗談じゃない!私のランジェリーもあるのに触って欲しくない。私は必死に英語で結構ですと訴えるも、彼には英語が通じない。そこで義母が助け舟を出してくれて、やっとベランダから引っ込んでくれた。彼にしてみれば、寒い中大変だろうと手伝おうとしてくれたのだろう。私のパンツがあっても一向に解しないだろう。でも私は違う。おじさんにパンツやブラを触られるなんて嫌なものはイヤである。そのあと私がベランダに出ている間、3人でそのことについて話したそうである。どうして私は手伝われるのを嫌がるのだろうって。そこで夫がうまく言い含めてくれた。私は義母夫妻を疲れさせたくないからすべて自分でやろうとするんだと。。そこで納得してくれたようだが、私の気持ちはおさまらない。しかもドライブ中ずっと義母の夫とはぎこちない雰囲気が出来てしまった。昼食に焼きうどん(ソース味)(再登場)を食べた後、義母に本当のことを打ち明けた。義母の夫を傷つけたかもしれないが、どうしても私は自分の下着を男性に触られたくなかった、と。義母は自分の夫は私から傷つけられたとか微塵にも思ってないし、かえって自分を疲れさせちゃいけないと気を使ってもらったと言っていた。そして私を抱きしめてくれた。夕方まで自由行動。夕食は五目御飯・大根と油あげの蒸し煮・もやしのナムル・レンコンとわかめのサラダ・チキンとピーマンのピリカラいため。デザートに花梨のマドレーヌ。
2005年01月01日
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