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1171 4月1日から、成田発着のガルーダインドネシア、バリ、ジャカルタ往復はターミナル1を使うことになる。エイプリルフールではないようです。知ったのは4月2日のE-チケットが届いた時でした。チケットにはターミナル2になっていて、もう一通の案内書にはT-1になっていた。旅行社に案内書が間違えているぞと、クレームを付けた。普通なら、変更など思いもよらないことなので、クレームを付けることなく、今迄通りT-2と決め込んでいたでしょう。しかし、この時、届いたE-チケットはパスワードでブロックされていた。パスワードのことなど全く事前に話しが無く、いきなりそんなE-チケットが届いたら、誰もが戸惑ってしまうでしょう。担当者に電話あるいはメールして聞きだすしかないが、もし、いなかったら、返事が在るまで開けない。出発ぎりぎりの場合だったら、なお、戸惑ってしまうでしょう。私が問い合わせた時にも担当者が外出中でいなくて、その上司が私に対応した。多分、あなたのハンドホーンの最期の四ケタでしょう、という。確認して見たら、それで、開くことが出来た。開いたところで、ターミナルについて違うことが書いてあるので、ついでに、クレームをつけたのでした。その後でGFF会員へのお知らせとして、ターミナルが変更になったという知らせはメールで入ったが、もし、会員でなければ、また、その時、クレームをつけていなければT-2に行ってしまったことでしょう。皆さん、4月1日から、成田発のガルーダ便はターミナル1北ウイングです。ご注意ください。必ず、間違える人はいます。会社からの外の風景とショーケース。実質の仕事は今日で終わりました。厳密に言うと契約は3月31日までですが。昨年7月からでしたが、半分はインドネシアだったので、実質4ヶ月でした。その間、何をしたかというと、何もしていない。早く、この場から離れたいと思っていただけでした。ほっとしている。ある方から、お礼の品を戴いた、何も成果を上げていないのに恐縮してしまう。 この会社から得たものは一つも無い。それでも、受け取る人達の能力次第だが、与えたものはインドネシアを含めてかなりの技術を伝えた。私の手伝いをしてくれた若者は、つかの間だったが、良く手伝ってくれたと思う。他の若者が経験できないことを経験したと思う。もう、会うことはないが、印象は残ることでしょう。Keadaan Indonesia sedang ramai.Harga BBM (Bahan Bakar Minyak) naik Rp 1.500.Harga awal Rp 4.500. Menjadi Rp 6.000.Demonstrasi mulai terjadi di mana-mana di seluruh indonesia.Pemblokiran jalan, Bandara, serta tempat Vital mulai di duduki demonstrans.Kerusuhan mulai terjadi, pembakaran serta pengrusakan (mobil, pos polisi, dll). 4月1日カらインドネシアではガソリンの価格を4500Rpから6000Rpに上げるという法案を3月末に採択する、という報道は一か月以上前からあった。明らかにインドネシアのガソリン価格は安い、プルタミナへ補助金が出ているからです。その補助金を減らそうというのです。プルタミナ以外のガソリンスタンドもある、それらのガソリン価格は原油価格に連動しているので、今なら、8000Rp~9000Rpです。それでもガソリン税を払う日本に比べればかなりやすい。インドネシア国民は格安ガソリンを買える権利を失いたくない。値上げ反対のデモを各地で仕掛けている。かなり過激になって来た。思い起こせば、1998年ジャカルタ周辺の大暴動の引き金はガソリン価格の値上げでした。それによってスハルト政権が倒された。 そこまでは、行かないと思うが、ユドヨノさん、連立与党のゴルカル党も値上げ反対に回ったらしいので、どうするでしょうか、強行するでしょうか。学生、労働者は先のベースアップ要求デモで高速道路の封鎖という手で味を占めているので、今回も空港方面、チカンペック方面の高速道路にバイクがなだれ込む可能性が高い。 4月2日ジャカルタ到着日に高速道路が封鎖されていないことを願う。 E-チケット 最終日 ガソリン値上げ
2012.03.31
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1170 金型製作、私の金型の取りつけ方なら、金型本体だけを作ればいいのだが、この会社の取りつけ方に合わせるために余分なアダプターを使わなければならなかったので、金型費用は予想以上に高くなってしまったし、熱が掛る時間が長くなってしまうようになってしまった。樹脂が出てくるまでの道が長いため、余計な原料を使うし、分解もしやすくなる。こんなことはPVCの経験がなくたって当り前に知っていることである。ごつい金型になってしまった。あたかも、この会社の伝統的な大きくて重い金型になってしまった。もう一つ私の無知でいい加減に考えていたことがる。PVCの分解がこれほどヒドイとは考えていなかったことである。PVC以外、今迄経験した樹脂は溜まる場所が少しくらいあっても分解を考える必要がなかった。 インドネシアと掛け持ちで仕事をしていると、試作も連続では出来ない。1月の試作で、うまくいかなかった部分を修正して次の機会にやるというスタイルだった。2月一杯インドネシアにいる間に、自腹で金型を作った。それまでの金型はごつ過ぎて気に入らない部分だらけだった。ちょっとくらいの修正では意味がない。全てを私のやりか手で金型を作った。重量は最初の三分に一になった。だから、金型の材料費も三分の一で済んだ。簡単に修正できるように一番安い材料にした。これが成功でした。金型の基本的なスタイルは間違いなかった。分解場所がまったく無きなり、ひっかかり安い箇所が無くなり、分解して、塊になり、隙間にひっかかってしまうことも無くなった。そうなれば、こっちのもの、これらは、PVCに関係なく、何十年もやって来たことである。それに修正を加えていって完成品まで持って行くというだけの事でした。いつものように隙間を広げたり狭めたり、薄くしたり厚くしたりを繰り返し、求める寸法に近づけた。冷却方法は水や空気を掛けることバキュームで引っ張ること、また、それぞれの場所を変えること、冷却金型と溶融金型の距離と傾きを色々変えてやってみること。100%シックスセンスの世界で私が得意とするところ。一緒にやってくれた若者にその手法を見せることが出来たと思う。 そして、40何年この仕事をしてきて、全く見向きもしなかった。そしてまた、手を出したいと思わなかった、手を出したら駄目だと思っていた、PVCのプロファイル、それも軟硬質二種類を同時に押し出す、一般に言われる二色成形というおまけ付きの製品をほとんど完成させることが出来た。特に面倒だったことは、三か所の軟質PVCの量を均一にすることでした。これは、勘で通り道を広げたり、狭くしたりするしかない。先端の矢印の大きさ、各硬質部分のR、あちらお変えればこちらが変わってしまう。忍耐が必要。というところまで書いた後、再度、冷却金型の形状をいじってトライした。一日中、立ちっぱなしのトライだったが、残念ながら、タイムリミット、終了。他の方が引き継ぐでしょう。金型の修正が必須。日本平動物園、工事中の個所が多くなんとなくゆっくり見て回れないといった雰囲気だが、かなりの混みようだった。結果 トライ 初体験
2012.03.30
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1169 AIJ投資顧問の浅川なにがし、“盗っ人猛々しい”とはこういう人の事を云うのではないでしょうか。私より10歳近く若く、私より落ち着いて、温和な顔をしている。多分、世間では立派な紳士として通っていたのでしょう。人のよさそうな顔をしていて、事態は極悪、非道、近くにたら、彼の股間を思いっきり蹴り上げたい。 いるなら、お子さんやお孫さんは、この人をどう思うのでしょうか。言っていることは、つじつまが合っていないし、報酬は7千万万円?それが正当だ?ふざけんな!!それも他人の金を預かって1000億円以上の損失を出し、ばれなければ、もっと、金を集めて、撒き捨てるか自分の懐へ入れてしまう行為を続けるのでしょう。 資産を投げ打っても返そうなどという普通の気持ちを持っている人なら、ここまでひどいことはしない。 中途半端なやくざの方がよっぽど可愛げがある。こんな極悪人は全財産没収のうえ、禁固10年以上にし、東京駅前周辺の交番の前で、警棒を持たせて1週間ほど、立たせておいたらいい。自分が何をしでかしたか、今後、身の処し方を、一般市民が通るのを見ながら考えたらいいと思う。 その人を見ながら、その人がどういう事をしたのか、話しをすれば、小学生でもそういう事をしてはいけないねと分かることでしょう。 何とか製紙会社の御曹司が会社の金をギャンブル100億円以上つぎ込んだり、銀行員が自宅建設費用にその他に1億円以上横領したりしたことは、一応、反省をしているが、浅川なにがしは、反省など全くしていない。何が悪いんだ、という顔をしている。ぶつかったもの PVCのプロファイルを作るのはこの仕事に携わって46年、今回が初めてだった。きっかけは、南部化成のテクノセンターで顧問として仕事をするようになったのが2011年7月1日でしたが、その9月に、私のこの製品を作ってください、難燃が必要なのでPVCでやってほしい、云われた事でした。PPでやらせてほしい、といったが、価格が高くなるから、PVCでとまた言われてしまった。 価格的に比較すれば、比重の事を考えれば難燃V0PPの価格が1.5倍でもPPの方が製品として安くなる。だから、PVCの方が安いというのは間違った意識だし、環境問題を考えれば絶対PPの方が客も歓迎するはずである。しかし、私が売るわけではないので、気が進まないが、やってほしいということに、出来るかできないか答えるしかなかった。毎度のことだが、やりましょう、と返事をするしかなかった。全く、PVCについては経験がないとはいわないままでした。 この会社では何十年もPVCの製品しかやっていなかったくらいに、PVC成型のベテランが大勢いる。其の中で、全くPVCの成型について知らない私が取り組まなければならない羽目になり、社内の目も気になった。とわ云え、軟質PVCと硬質PVCのこのような製品を自分でやってみたいと、名乗りを上げるような人材もいない事情もこの会社にはあることを感じていた。現在ある“のノ字”の断面をしたプルファイルはスパイラルチューブやコルゲートチューブやチューブを縦割りしたものと同じ使用方法で、電線などを何本も配線する時にばらばらにならないように束ねるためである。いずれの製品も巻く径に合わせて、沢山の寸法を揃えなければならない。この製品を作る目的は、今迄の三種類くらいの寸法を一つにすることができるので、在庫の種類を少なくすることができるかららしい。メリットはそれだけ?らしい。 じゃ、デメリットは?1 三種類を一つにするということはその三種類の一番大きな寸法に合わさなければならないので、本数が同じならボリュームは大きくなってしまう。勿論、これだけでも価格は高くなってしまう。2 製品の重量も増えるのでそれでも価格が高くなってしまう。3 軟質PVCを部分的に使って丸めこみやすくしてあるが、それは結束力を小さくしていることにもなる。4 生産速度は遅くなる 5 二種類の原料を使っているので、一般的には不良品を粉砕して再利用することは出来ない。これも価格が高くなる要因になる。 で、なぜ、この製品を作らなければならないの、という疑問を引くずったまま、また、営業力に依ってヒット商品になることを願いつつ、試作をすることになった。 太田化工の製品の一部、ほとんどが6ナイロンの小型プロファイルですが、V0あり耐熱(150℃)あり長いものあり短い(5mm)グロメットやエッジンクは日本で初めて作ってから四十数年、ロングランです。中にわかりますかEVAのバイクの風よけの縁取りが入っています。この製品も日本では初めて太田化工が作り始めました。メリット デメリット 未経験
2012.03.29
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1168 瓦礫の山を地元で処理するか、全国各地でお手伝いしてもらうかは、地元の意見を尊重したらいいと思う。自分たちで使う、埋め立てる、焼却するなどの方法を取るのは自然です。それと、被災地同士でこれ等の事を分け合ってやっていくのも自然です。しかしながら、地元だけでは処分できない場合、どこか手伝ってくださいということになれば、近隣地域を始めとして手伝いの手を上げるのも、これも自然です。このことと、放射能が心配で受け入れられないという話しは別次元の話で、当り前に受け入れるのが自然です。 原発再稼働についても福島原発で起きたようなことが起きても放射能漏れは起こさないという確証が第三社機関から得られれば、着実に稼働させたらいいと思う。脱原発については平行してより安価な安全な発電システムを隔離したらいいと思う。いずれにせよ、福島のような大事故は誰も想定していなかった。いま、大反対している人達も、それ以前はそれほど反対していなかった。危険を知らされていなかった、情報公開が十分では無かったなどと、知らなかった理由を並べても仕方がない。これから、どうするかの話で、私は、順次再稼働させたらいいと思う。そして、福島原発に掛ったストレスでも何の問題も発生しないような、防護策を講じたら取りあえずはいいと思う。当然ながら、他の発電方法でも、より、効率的に発電できるように研究を重ねることも大切な方法の一つです。原発は駄目、コストアップも駄目というのは、年金下げはだめ、消費税の増税も駄目といっているのと同じだと思う。リスクは負担しないが十分の配分は受けたいというのは虫が良すぎる。昨日書いたように、今、どんな政党、どんな人物が日本のリーダーになっても何も解決しない。沖縄の基地問題もどうにもならないでしょう。どうにもならないと言わないのが、日本の政治家でしょう。消費税を10%にしたからといってどうにもならないことは、ちょっと賢い人なら直感的にでも分かる。それを反対する人は、消費税を上げないで、何か他の方法で医療負担の軽減や年金の増額が出来る方法を示してください。もし、衆議院総選挙があれば、その方法をマニフェストで唱ってください。出来るはずがない。州構想,都構想?何でも言ってちょうだい、原発廃止?何でも言ってください。この人達も本質に気が付いていない。自己中なだけで、天下国家を論じるだけの目を持っていない。お金がないのに欲しいというのではなくて、お金が入るようにしなければならないでしょ。人口構成でしょ。 月と金星と木星。この木なんの木異常 人口 無駄話
2012.03.28
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1167 日本の一番の問題は、大震災でも円高でも景気の低迷でもありません。人口構成の問題が根本の問題です。TPPの問題でもありません、現在日本の問題は原因を追求すれば全てが人口構成問題に集約されます。ピラミット型になれば、全ての問題がなくなります。では、今の極端な三角形に菅笠を被せたような人口構成が消えるのはいつごろに慣れでしょうか、誕生人口縮小が停まるのは何年後でしょうか。10年後に下げ止まりになるとすると、それから70年後、計80年後にピラミッドになるでしょう。 こういうことを大声で唱えている人がいますか。政治家でも学者でもタレントでも、とにかく誰もいない。目先の問題点を失くすにはどうすればいいか、それぞれが、分かったように主張するのは、本当に滑稽です。沈みゆく日本の中で、欲と欲の激突で、全体が沈んでいる事を深刻に考えないで、その船の高い場所へ移動しようともがいているだけで、それも、本当に高い位置か船から遠く離れた場所からでしか確認できないのに、それぞれの手段は自分の場所が高いと言っている。そして、高い地に多くの人が集まれば、その地は低くなってしまう。そんなことも分からないで、誤った判断をする人にくっついてしまって行って、自分の位置を下げてしまう人も、それに、気が付かない。日本丸は沈んでいっているのです。それを、止めようとする人はいないのです。また、もし、いたとしても、その考えに賛同しないのです。公務員の削減や給料のカット、国会議員の削減、報酬カットを何%やっても、若干、沈没を遅らせるだけです。根本解決にはならない。しkし、それさえ出来ない。支出を減らして収入を増やす。当り前のことです。だが、支出を減らすことができる政治家はいますか、いません。当り前です。人口構成が逆三角形だからです。医療費と年金はどんどん増えます。税収はドンドン少なくなります。この状態を解消できる政治家は世界中、どこにもいない。それ何に、今の政治家、これから現れる新興宗教の教祖のように日本を立て直すには自分でなければならない、などと、まくしたてる人も、この問題には触らない。そうです。どうにもならないことが分かっているから、他人を攻撃するが、自分の方法を云わないのです。 斜陽、没落の日本が太平洋戦争終戦以後40年間くらいの勢いが再現されるには70年は掛るでしょう。それは、特定の政治家や独裁者によってではなく、自然現象として人口構成がピラミッド型になるからです。今、この日本の危機的状態を何とかしよう、何とかできるという人は全員ペテン師です。私はとっくの昔に、日本の政治や行政はないものと思っています。何の頼りにもしていません。税金の配分に恥も外聞も無く集っている団体や個人が自立して、税金を納める側になったという例は殆ど無い。孫たちが60歳以上になったころから日本は上向きになるでしょう。斜陽 落日 没落
2012.03.27
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1166 大震災跡地の瓦礫の処分や利用の仕方や引受先について何の問題解決の糸口も出来ていない。1年過ぎても、大筋の方法が決まっていない。沈みゆく日本人全体の象徴的状況だと思う。 一番、どうしようもないことは、放射能が心配で、引き受けに反対といっている連中である。バカバカしくて、話にならない。安全だ、安全だと、数値で示しても、そういう連中は、納得しない。そういう連中につける薬はない。 という事を無視して処理法を考えれば、幾つかの方法が在る。1 それぞれの自治体が償却や埋め立てやその他の利用の仕方で処分をする。2 被災自治体が処分しきれないだろうと判断した部分について、他の自治体が分けあって処分の手伝いをする。コストや雇用の事を考えれば、地元で処分した方が良いに決まっている。防波堤や防風林、低い土地のかさ上げをするなど、利用方法はいくらでもある。本格的にそれらを作るには地元の瓦礫だけでは足りないといこともあるかもしれない。これ等の組み合わせ、他地域受け入れ能力や距離などなど、総合的に判断しなければならない。これを纏める役目が必要です。国がリードしなければなりません。しかし、纏めようとする姿勢がまったく感じられないし、纏めてほしいという要望も無い。復興省の若い大臣は外観では一生懸命やっているように見えるが、ブレーンに多分、色々な要素を考慮しながら纏める人間がいないのでしょうね。省の内部からも纏めようという考えが湧き出てこないのでしょうね。このまま、瓦礫を引き受ける、拒否する、というニュースだけが空虚に響くのでしょうね。ポイントからかなりずれた処で、もめたり、気を使ったりしている日本は没落の過程を進んでいるしか見えない。大阪で賑やかな橋下なにがしという人も差し迫った瓦礫問題については何の提案もしていないと思われる。彼は消費税についても何も発言していないような印象がある。国政に打って出て、大戦争を仕掛けたいのなら、塾を作る前に、一番重大な、日本が抱えている問題について、自分の意見を前に出しておかなければならないはずです。それを聞いてから、塾生を募集するのが当り前のプロセスだと思うが、また、応募する人達は、そういう問題で彼がどう思っているのか確認してから応募するのが筋だと思うが、何千人が集まってきているらしい。変だと思う。これも、日本没落の筋道に現れる過途的現象なのでしょうね。 家の野菜園の一つと私の部屋の縁側で布団を干している上で遊ぶ孫 没落 無進路 自立
2012.03.26
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1165 今回のインドネシア行きガルーダのチケット代金は89000円程でした。旅行社へ行って、チケットの購入を頼み、価格をチェックしてもらった。先ず、12,800円というのが出てきた。4月から価格が大幅に下がると聞いていたので、「そんなはずは、無いでしょう、10万円を切るのが在る筈だよ」といって、探させた。あった、しかし、20日間以内という条件が付いていた。ということで、帰りの便は20日ということにした。20日以上30日以内なら98000円でした。勿論、その前に、シンガポールでワーキングビザを取ることになるので、そのチケットは不要になる。それにしても、日本で買うとなぜ高いのでしょうか。バリ島への格安ツアーを探してみた。5泊くらいで10万円などというものがあれば、それに便乗しようかなと思っても見た。しかし、適当なものがなかった。残念。インドネシアで買えば、燃料サーチャージにも依るが、今の時期、1000US$以下で手に入れることができる。この前のインドネシアから片道チケットは300US$だった。 私と私の手伝いをしてくれた若者の送別会、今後を励ます会というのを職場の若者が開いてくれた。街の焼き肉レストラン。これが、また、初体験である。焼き肉レストランはジャカルタやチカランでしか行ったことがなかった。それと、皆さんの明るい雰囲気には、感心した。良い雰囲気、良き仲間達がそこにあった。何人かの若者の中にいると、自分が彼らの倍くらいの歳だという事を忘れさせてくれる。もう、二十年くらい、長い間味わっていないつかの間の環境でした。私を呼んでくれた皆さんに感謝したいし、私たちを励ます会といっていたが、この会社に、この職場に居続ける若者たちにそれをお返ししたい。 ちょっと気ななることは、皆さん、優等生過ぎる。サラリーマンとしては最適かもしれないが。 また、先ほどは中国から戻ったヤント君と食事、彼も、もうすぐ40歳、やっと、結婚を申し込んでOKを取ったらしい。もう一年、静岡県立大の大学院へ通って、その後はインドネシアへ戻り、就職、結婚と、行くらしい。 私とたまたま接触することになった若者との付き合いはそうな長くない。私自身の旅もそう長くない。 若者 旅路 真面目
2012.03.25
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1164 帰りの挨拶で、“また明日”、というと、子供が夕方暗くなる前まで一緒に遊んでいて、その遊びを止めて各家に帰る時を想像する。大人は日常使わない。仕事が終わって、同僚に挨拶して帰路に着くとき、何と言いますか。“お疲れ様””お先に“というのが大部分だと思う。”さよなら“”また明日“は殆ど聞かない。 インドネシアではどうでしょうか。“お疲れ様“という人は一人もいない。”お先に帰ります”という人はいる。やはり一番多いのは“また明日“です。”Sampai besok””See you “です。週末はどうでしょうか、”また、月曜日“です。”週末を楽しんで“Selamat akhir pucan”“Have a good week end”と同じですね。日本だけでしょうか、”また明日”と言わないのは、私は“また明日“というのが習慣になっているので、必ずといっていいほど、云って帰ります。“お先に、また明日”と言います。インドネシアでは”sampai besok,また明日“と言います。 塩ビの二色成形のトライは今日で終わり。完全ではないが、ほどほどのところまでできた。これだけ作れば後の人が改良すればいい。私の仕事はここまでです。引き継いでやる人は、色々言うでしょうが、色々やってくれればいいのです。ここまで、ほとんで出来上がっているのですから、手を加えて、もっと良くなるようにしてくれればいいのです。良くならないで、悪い方向に向いてしまっても、私がやった方法に戻れば良いのですから、気楽に出来るはずです。 今の会社との契約は残すところ1週間、やっとここまで来た。私の手伝いをしてくれた若者も来月から、生産ラインのある工場に戻るらしい。短い間で、それも、塩ビのトライの手伝いが主だったので、私が揃えた装置でのトライは殆どしていない。この会社に無い方法なので、私がいなくなったら、無用の邪魔な装置になってしまうでしょう。だからといって、私がいて、その機械を使いこなす指導をしたところで、使う仕事を取る可能性が限りなく少ない。結局、私は何もしない方が良かったという結果になるでしょう。予想通りといえば予想通り、こんなものでしょう。早く、この場から離れた方が双方の利益になるでしょう。その若者の送別会だった。インドネシアでの4月のスケジュールを送った。 私のWEB SITEhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ 77777回のアクセスを通過しました。どなたでしょうか、何の賞品も出ませんが、あなたにとって、何か良いことが在ると確信します。ウェブサイト ホームページ ハッピー
2012.03.24
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1163 インドネシアで使いたい道具、工具や原料や添加物など、インドネシアでは手に入らないものが、新しい職場で必要になる。何度かの新しい職場に赴任する前には必ずしなければならない儀式のようなものである。いつもハンドキャリーをする。 ところが、日本でも、手に入れにくくなっているものが在る。以前はホームセンターで売っていたが、今は売っていない。以前は作っていたが今は作っていない。そういうものがなぜか増えているのです。私が使いたい物は、日本でも貴重品になってきている。多分、作っても儲からない物になってしまっているのでしょう。そこで、そういうものは通販で買うしかないと悟った。 生まれて初めての通販に挑戦、通販というと、病的にはまり込んで何でもかんでも広告に引かれて買ってしまうという、罪深いものという印象が在って、全く、利用したいとは思わなかった。しかし、今回は、仕方なく利用した。先ず、手に入れたいもので、検索した。そう多くないが在った。価格をテェックして、種類や数を入力する。確認をみて、買い物籠に入れる。その次が支払い方法を選択。メンバー登録をすれば、次の買い物の時にいちいち、なにやかやと書きこむ必要がないですよ、ト、書かれている。次の買い物はないので、登録しないで、次の画面に移動。送り先を含む本人確認である。郵便番号と電話番号で、住所(送り先)が自動的に判明する。タクシー予約と同じである。メールアドレスは必須である。後に購入確認と支払い確認が入る。 私はクレジットカードで支払いを選んだので、その関係の情報を要求されて、カード番号などを書き込む、他人に教えるなどとは、心配になるが、信頼するしかない。最期に支払いと書いてある場所をクリックすれば、たちどころに支払われた。 メール着信を確認すれば、買い物の明細と支払い手続きがなされた、と二通、入っていた。品物を発送したというメールが入っていないので、ちょっとの間、心配したが、二日後に品物は家に届いた。三種類総額5万円以上の買い物でした。 余りにも簡単に買い物ができてしまったので拍子抜け、便利さを感じた。多分、仕事に必要なもの購入はこの方法で繰り返すことになりそうだ。 インドネシアで私が作ったもののネット販売をするつもりである。会社の近所の桜と家の近所、東海道五十三次、府中から手越の次、鞠子の宿のとろろ汁の丁子屋前の桜買い物 通販 ネットショップ
2012.03.23
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1162 桜の開花予想をする気象庁、今は、していないのかな。ソメイヨシノの五分咲きが通勤途中に在った。高知で開花宣言が出たらしい。今朝のラジオで気象庁への地震に関する質問事項に気象庁は丁寧に答えている、という話があって、其の内容について幾つか紹介していた。 1 いつどこで地震が起きるという予言はデマである。その通り、ノストラダムスはどうなったのでしょうか。確か、マヤ歴の終わりの今年、人類が滅亡する、というのは最近余り、云われなくなったが、どうなっているのでしょうか。その都度、心配する人は心配するし、いかがわしい占い師がテレビに登場する機会が増え、仕事が増える。何月何日に大震災が起きると言った人がいれば、その人の頭がおかしいのです。病院から抜け出した人でしょう。今の日本でどんな優秀と言われる地震学者でも、日にちを特定できないどころか、何カ月後でも何年後でも、特定できない。出来ると言う人は頭が変でしょう。2 動物の異常行動で地震を予知できるという話も、根拠がない。その通り、 大震災が起きると必ずといっていい。鳥が騒いでいたとか、イルカやクジラが異常行動をおこし、海岸へ打ちあがったとか、ナマズではないが、鯉が騒いだとか、云う人がいる。地震学者の中にも動物の行動と地震の関連を真剣に研究している人がいる。今のところ、関連が在ったと認められないというのが見解だと言っていた。当り前である。こんなことを真剣に書きたくないが、信じる人がいるので、書いておくが、動物の衝動的行動は人間がそう思うのであって、動物にとっては地震に限らず、その他の何倍、何十倍の現象が原因で日常おとなしくても、騒ぎだすのです。地震が起きるだろうと、彼らが思った時だけ、騒ぐのではありません。地震の時以外は全く騒がないという証拠を見つけなければ、地震予知はできません。ということは地震と動物の異常行動は関係ないということです。3 地震雲は全くない。その通り、馬鹿馬鹿しくて、そんな質問するなよと言いたい。地面の中のことと、空のこととどう関連付けるのでしょうか。ということで、気象庁はマトモナことを云っています。しかし、出来ないのに、地震学者は予想したがります。何年以内になん%と、いい加減にしてほしい。清水付近、4月14日に新東名が開通するらしい。そのジャンクション準備中。地震 予知 気象庁
2012.03.22
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1161 春分の日、知らなくて、休みでもないので、いつもの通りの時間に家を出たら、20分も早く会社へ着いてしまった。道が異常に空いている、何かどこかで事故でもあった、ここら辺までまだ、車が到達していないのだろうか、などと、考えていて、会社の近くになって、あっそうか、今日は祭日だった、と、気が付いた。 昨日できなかった試作を再開した。いろいろと、ひらめきに従って、実行してきたが、限りなくOK品だろうと思われる形状に近づいている。まだ少し修正が必要なので、この製品については、今週で終わらせる。来週一週間で、まだ、見せていない製法を披露することにしたい。 昨日の光る粉(顔料)の話の続きだが、私が求めるのは押出成形品に混ぜることができる、あるいは、押出成形用原料にこの顔料が混ざっているコンパウンドかマスターバッチです。しかし、いずれも、全く、考慮されていない。射出成型しかこの世に成型方法がないような取り組み方をしている。シートにしても押出成形で作られていなかった。そこで、私は、この会社のためにもこの顔料を使って、色々な組み合わせの押出成形をして、技術を確立したいと思うようになってしまった。光学的な試験、テストはこの会社が当然、やるはずです。私はサンプルを作ると共に、インドネシアで売れそうな製品を開発する。もう一つの大問題はこの顔料が非常に高価であることと、効果を出すための含有量が10%以下にはならないことです。例えば、kg当たり2万5千円で10%混ぜればkg当たり2千500円です。ベース原料がkg200円なら、合計で2千700円になります。製品の重量が100gなら原料費だけで270円になります。その倍の価格で売り出したとしても一個の値段が540円になってしまいます。インドネシアでこの価格でも欲しいと言われる製品を開発しなければなりません。インドネシ人がレストランでナシゴレンとエステーマニスを頼めば、200円くらいです。それの三倍以上でも買いたいと思う製品です。こりゃ、ちょっと大変だと思うが、自信はある。これからインドネシアへ進出する会社は自社製品を国内入りするか、受注生産なら、相当特殊な特徴を持っていなければならないと書いた。私は前者を狙っているのです。元気 独特 成長
2012.03.21
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1160 ジャカルタのデモでバスの使用が禁止されたと聞いている。それならバイクの使用も禁止したらいいと思う。何年振りだろうか、東京へ車で行ってきた。有る会社訪問でした。順調に迷わずに行ってきたが、道中、行きも帰りも非常に眠かった、というより、可成り長時間、居眠り運転をしていた。はっと気が付いた時に隣の車と接触しそうになっていて、あわててハンドルを切り、車がふらついた。其のたびにサービスエリアに入って眠ろうかと思いつつ、トイレに各一回ずつ寄っただけだった。インドネシアに比べれば、日本の道は走る時の緊張感が少なくて済む、第一に、上り下りの斜度が小さい。どんな山の中でも、橋やトンネルで上下を空く泣きしている。平坦なので、アクセルの調整がすくない。第二に、カーブのRが大きい。これも、速度の調整をする必要が少ない。第三に、全部の車の速度の最低最高の差が小さい。流れの速さはその流れに乗っていれば速度的に不満がないので、前の車についていればいい、抜きつ、抜かれつは全くする必要がない。結局、運転中の緊張感が少ない、操作をすることが少ない。私が眠くなる原因だと思う。 日本国内で相当久しぶりに、往復数時間の運転をした。無事に戻ったが、戻っても眠かった。畜光顔料というのを御存じでしょうか、明るい時に光を溜めこみ、暗くなったら、自身が光を放出して光る、という顔料です。現在は長時間光り続ける物が在ると聞いて、勉強させてもらいにそのメーカーを訪問して勉強させていただいた。従来品はせいぜい3時間しか光らなかったそうですが、今の物は十数時間光り続けるという。実際、私自身がそういう発行体の光り具合を光り始めから、ほとんど光らなくなるまで、見続けて確認したことがないので、光り方のイメージがわかない、いつから光り始めてどんな割合で光らなくなるのかも分からない。例えば、十時間以上光続けると言われても、どの程度の暗さからどの程度光り出し、光が半分ぐらいになるのは何時間後でしょうか。光っている実感は人に依ってまちまちだと思うから、数値的に光具合を表していると思うが、そのグラフと実感がどうなのか、私自身まったく把握していないという疑問が生まれてしまった。自分で、色々な組み合わせの製品を作って、長時間観察するしかないと感じさせられた。その会社自体がそれほど細かくテストをしていなし、原料についてもマスターバッチにしても、そういうテストをしていない。また、屋外で使うことについても、売り出している会社にしては持っている資料や情報が少ないようだ。どうも、建物の中で使うことしか想定していないようだった。私は逆に屋外で使う使い方しか考えていないというのに。こういう資料も自分で作らなければ責任ある説明が出来ないと感じた。多分のその会社の人も私が言うことで勉強になったと思うが、私も訪問して良かったと思っている。インドネシアへ其の顔料をハンドキャリすることにした。蒲原トンネル抜けた処と富士川サ-ビスエリアを過ぎた処の富士山、今の富士山が一年中で一番、雪が低いところまで積っている。光る 勉強 眠い
2012.03.20
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1159 インドネシアに於ける製造業の大半は日本企業が担っている。バイクや車は、そこまでやらなくてもいいじゃないのと思うくらいに、日系企業同士が競争し合って、ドンドン増産している。この事実は間違いないし、当分の間この状況は続くだろうし、インドネシア人もそれに期待を寄せているようです。とにかく、あらゆる産業です。日系企業は日本人が引っ張っているのは当り前ですが、インドネシア企業も日本人が重要な部分は手伝っている。パン屋さん、家具屋さん、洗剤屋さん、生理用品屋さん、皆、日本人が手伝っています。インドネシア伝統的な染物、バティック産業も日本人が手伝っています。ホテル、セキュリティ、人材派遣、タクシー、ロジスティックなどなどのサービス業のほとんども日本人がいます。海の魚、エビ、淡水魚の養殖、農業も日本人が指導しています。インドネシアローカル企業といっても必ずその中に日本人がいます。事実、私も純粋なインドネシア企業三社から技術指導の依頼を受けたことがあります。 韓国企業が表面に出ているのはシロモノ家電(テレビ、冷蔵庫、エアコン。洗濯機),とハンドホーンである。これらは日系企業の方が早くから進出していたが、今は完全に席巻されている。日系の大手家電メーカー数社が纏まっても韓国一企業にかなわなくなっている。今や、インドネシア人もサムソンやLGの製品を買いたいという人が多い。それでも、そのくらいは渡していいじゃないのと言いたいくらいに、日系企業の占める割合は圧倒的に大きい。前にも書いているがテレビ番組のスポンサーも圧倒的に日系企業だし、プロフェッショナルスポーツ団体へのスポンサー、パトロンも、各種リーグ戦大会の後援も日系企業だし、レコード大賞のようなものやインドネシアンアイドルのような新人タレント発掘番組など何でもかんでも日系企業が主催だったり、日系企業名が冠になったりしている。 で、これから、インドネシアに出てこようとする企業は、完全に後発になる。既に同じような企業が揃っている中へ飛び込むのですから、それなりの独特な売り込み材料を持っていなければならない。それか、インドネシア国内売りが出来そうな自社商品を持っていることぐらいでしょうか。日本や中国ではもはややって行けないという理由だけで、なんの戦略を持たずにインドネシアへ進出しても、利益を生むまでには相当な試行錯誤が必要になるでしょう。ただし、インドネシアの国内市場はあらゆる産業で右肩上がりですから、その波に乗れば投資金額を回収するのに時間は掛らないでしょう。Perabuhan Ratuプラブハンラトゥです。ジャカルタからほとんど真南のインド洋に面する港町。休憩なしなら4時間で着きます。ジャカルタから一番近いサーフィンスポットです。プラブハンは港の意味、ラトゥは御姫様です。 安倍川に架かる橋の一つの静岡市街側と手越(てごし)宿側です。その向こうが丸子(まりこ)宿になります。日本色 独占 勢い
2012.03.19
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1158 もう少しで試作品が完成する。速度は私が20歳代の時と比べれば私自身が原因で二分の一、仕事の環境が原因で三分の一掛けあわせて六分の一である。昨年の9月から取りかかっているが、20代でその時の環境なら、10月中には完成していたはずである。それでも、やるしかないのでやって来たが、割り切れない気持ちを引きずっている。製品自体、私がやってみたいと思っている形状ではないので、なおのことである。私が日本にいる時、インドネシアの情報はヤフーインドネシアとジャカルタ新聞から受けている。いずれも、ネットで開いている。http://www.jakartashimbun.com/特にジャカルタ新聞はトップニュースを写真付きで全文読むことができる。その他は見出しだけです。この新聞の内容は、一ページ目はインドネシアのニュース、二ページ以降は、朝日新聞から抜き取った日本のニュース、スポーツや芸能も含まれる。次いで、インドネシアのニュースやトピック、日本関係では日本語学校や同好会、その他なに夜間やとの集まる会の様子が伝えられている。インドネシア国内の日本人絡みのニュースが主になっていて、日本人学校の様子などは知りたいと思っている日本人は相当少ないと思うし、ゴルフのどこかとどこかの対抗戦の様子も知ってどうするのと思う。日本人のジャズバンドや合唱団の活動をニュースにしてどうするのと思う。独自の取材はそれらの関係だけしかしていないような印象を受ける。多くの日本人が求めている情報は、インドネシアの世相絡みのニュースだと思う。政治や経済、事件、事故のニュースです。それらは、他の新聞から転載したものばかりで、実際に取材はしていない。インドネシア新聞までは求めないがせめてその半分ぐらいの情報は流して欲しいものだと思う。インドネシアのニュースが少ないと思う。私がインドネシアにいる時にテレビで確認したニュースは翌日の新聞には載らない、翌々日にほんの一部だけ報道される。日本人は洪水や崖崩れ、地震や火山の噴火についてニュースの五分の一も知らされていないと思う。それなりの料金を払えばネットで全文を読むことができるが、その気には、全くならない。NHKワールドやプレミュームを、支払いをしてまで見たいと思わないのと同じです。インドネシアに住む大部分の日本人と思想が違うことは承知していての私の考えや行動です。そして、「日本の、いや、日本人の常識はそれ以外の国の非常識」それは、実にまともな文言だと思う。昨日の写真は、ウジュンクロンでした。ジャワ島の西南の端です。陸上から行くことはできません。西海岸、ムラックやチャリタやタンジュンルスンからボートで行くしかない。野生の白イノシシが生息しているという話しは1996年には聞いていたが、その後、今迄、出会ったという話は聞いていない。また、ここはインドネシアのどこでしょうか。 借り物 同好会 学級新聞
2012.03.18
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1157 円のじり安と中東情勢不安が原因で原油の価格が高騰している。ガソリン価格は一か月前より10円近く上がっている。幾らかというと147円から155円です。それはそれで、今日、夕方満タンにした。未だにセルフのガソリンスタンドでは入れたことがない。今日、気が付いたのだが、ガソリンスタンドのシステムが三種類あるらしい。フルサービス(従来通り)セミセルフとセルフです。私はフルサービスしか使ったことがない。看板の価格を見るともう一つプリペードカードというのが在る。価格は4種類あるのです。一番安いのはセルフのPPカード価格です。それにしても、30L入れて4500円と4650円の150円の差は気になる差でしょうか、車を使って仕事をしている人にとっては重要かもしれませんが、そうではない人とって、そんなことで気を使うほどの差でしょうか。どうもわからないのは、そのサービス内容です。セミセルフなどは、いったいどんなことをしてくれるのだろうかと思う。私自身は元々ガソリンスタンドで何もしてもらっていない。ガソリンを入れてもらって代金を払うだけです。灰皿の掃除を始め、車内を拭いてもらうということも、してもらわない。外からガラスを拭いてもらうことは断らない。それだけのことです。フルサービスの店でフルサービスと強調する様なサービスは何も受けていない。別にサービスを望んでいない。そして今日の通勤道路のGSのレギュラー価格を見ると、セルフでも149~154円でした。フルサービスでも151~155円でした。なんなの?今日私が入れたのはその151円のGSでした。価格の決め方も分からなければ、サービスの内容も分からない。やはり、日本は変だ。いろいろ、細かいことをこちょこちょやっている日本が滑稽に映る。ちなみにインドネシアの国営ポンパベンシン、プルタミナは日本の平均的価格の4分の1以下です。感覚的には高速代と燃料費は無料である。政治の違いでしょう。昨日の写真の場所は分かりましたか、サバンです。といって、まだわからないでしょう。2004年12月スマトラ島の最北端、大震災と大津波に見舞われたバンダアチェが在る。その町から西北の島Aweh(アウェ)にある町の名前がSabang(サバン)です。インドネシア最西端の地です。 また、インドネシアのどこか分かりますか。セルフ セミセルフ フルサービス
2012.03.17
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1156 東北地方以外では東京都に次いで二番目の瓦礫受け入れ自治体になる。静岡では静岡市や浜松市でも受入れの根回しが行われているようです。こんなことが今頃ニュースになるのが変。どんどん、全国の自治体は瓦礫の受け入れを積極的に行えばいいのです。日本は変な国になってしまったものです。仕事場の隣町の島田市で市長さんが震災後の瓦礫の引き取りを始めると宣言するといっていた。確か今日だといっていた。実際に焼却テストをして放射能が検出されなかったというデータをすでに発表している。しかし、それでも、放射能が心配だから受け入れは反対と言っている人がいる。何をかいわんやです。この人たちに何を言っても仕方がないと思っている市長さん戸惑いで苦笑いをしていた。私もそう思う。こういう人たちは、どうしようもない人たちです。無視していい人たちです。無知な人たちの上に、困っている人々や地域に少しでも助けの手を伸ばそうとしない人々を、いちいち相手にしていたらきりがない。それと似たような人種は国会議員の中にも多い。私がわからないのは、議論が尽くされていないという反対理由です。何かを解決しよう、問題をなくそうと誰かが何かを提案し、それを実行に移そうとするとき、反対論者が必ずいうセリフです。議論が尽くされたという状況はどういう状況なのでしょうか。反対論者はそこを言わない。反対している自分たちの意見が通って、やるといったことを、やっぱりやめますと言わせた時点で、議論が尽くされたということになるなら、議論は永遠に続く、それが思うつぼかもしれないが、何の解決策も講じないということになる。今、問題になっていることは認識しても解決の方法が異なる場合。何かをしなければ問題はなくならない。だから双方が提案し合えばいいし、期限を設けて議論し、その期間に議論の席に着かなくても期限が過ぎたら採決するのが民主主義でしょう。 もうひとつ、それをするなら、その前にしなければならないとが沢山あるだろう。という理由で反対する人のことです。その前にその人が言うことをやれば、賛成するのでしょうか、そして、その前にやらなければならないことというのは具体的に何でしょうか、そして、その程度はどのくらいでしょうか。議員定数の削減、天下りの全面廃止、議員報酬の削減や特権の削減、公務員の給料は下げることが決まったようですが、その他の優遇制度はまだまだ沢山ある、それらの廃止、仕分け会議でいらないと言われたものへの予算配分の停止、などなど、消費税上げの前にしなければならないことが沢山あるというのです。その通りだと思う。しかし、どこまでやればやったと認めてくれるのですか、また、そう言っている人たち自身がこれらの廃止に積極的に取り組んでいないどころか、選挙がらみで、係わりたくないと思っている事ばかりです。だから、こういう人のことをいちいち聞いていたら、改革も改善も何もない。それが日本です。日の出国ではなく日没の国日本です。 インドネシアですがどこかわかるでしょうか。議論 説明 公開
2012.03.16
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1155 毎日のように金型を焼きにある場所へ行っている。試作をするのにこんなハンデキャップはない。プラスチックの押出成型に携わって、46年になるが、焼場のない場所で仕事をしたのは始めてで、焼場は常に工場の敷地内にあるものと思っていた。一度使った金型を解体して整備するには、くっ付いている樹脂を取らなければならない。取るには熔かして何かの道具を使ってはがし取るか、完全に焼いてしまって灰だけにしてしまうかです。熔けただけの状態では完全にきれいにはできないので、一般的には焼いて灰にしてしまうための準備でできるだけ樹脂を少なくしておく手段です。最終的には焼き場に持って行って焼いてしまいます。エアーを吹きかければ灰もなくなってしまうので磨くだけです。例外がPVCやABSなど金型にペッタリ着いてしまわない樹脂です。また、こういう樹脂は焼くと暗い煙をモクモクと舞い上がらせるし、臭い。これらは最適の温度で、プライヤーなどで引っ張ればきれいに金型から?すことができる。エアーを金型から離れ際に吹きかければうまく取れる場合が多い。ただし、?すタイミングを逃すと取れないので、温度を上げなおして取ることもある。金型が複雑になればなるほど、はがしにくくなることは当然です。そういう場合は焼くしかない。焼けばきれいに取れることはほかの樹脂と同じです。PVCは塩素ガスを大量に発生させるので、金型自身を錆させやすいし、その環境にある鉄類の錆を早めることになるのを承知しておかなければならない。ということで、焼場は仕事のスピードアップと品質の向上に必要です。使う、使わないは別にして、LPGバーナーの焼場か、急がない時には電気炉は必要です。電気炉は500℃~1000℃くらいでセッティングできればいいと思う。タイマー付は勿論です。夕方、炉に入れておけば朝来たときに金型がきれいになっていて、温度も常温になっているという仕掛けです。場所はこれも当然ながら、外である。雨がしのげればいい場所です。だから、昨日の買い物でバーナーを買った。大きな口径のLPGバーナーがインドネシアでは手に入らないからです。 焼場があれば30分で済む仕事、今の職場に焼場がない。だから、金型を整備するのに数時間かかってしまう。それも、某社の焼き場を借りてでの話です。もし、某社に焼き場がなければ、もっと時間がかかってしまうし、納得いくきれいさにならなくても、この程度でいいかと、セットしてしまうしかない。そんな状態では試作が思うようにできないが、仕方がない。何十年も焼場がない会社に、いても1年程度の人間が、思うように仕事ができないからといって、焼場を作ってほしいとは言えないし、説得もできない、稟議書を書いても環境がどうのこうのといって、却下されることは分っているので、提案もしない。焼場 電気炉 整備
2012.03.15
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1154 朝晩は冷えるが昼間の車の中はクーラーを使っている。花粉症は期待に反してやっぱり来ている。春の陽気は私に合わない。何だ、この訳のわからない中途半端さは、桜の花などわざわざ見に行きたいとは思わない。たまたま、通った道に咲いていれば、昔なら綺麗だと思っただろうが、今は、桜や桃の花を見てもなんとも思わなくなってしまっている。先日、ノギスの写真を添付した。それも、ダイヤルノギスです。ノギストは、長~~い長い付き合いです。私の仕事で一番大事な道具です。仕事をしているときは必ず私の傍に置いてあります。ダイヤルノギスは40数年使っている。同じものではない。区切る区切りでその場の私の一番弟子に置いてきた。10年、20年と私のもとで働いてくれて、私がその場にいなくなれば、その人間が私の後継者になれると見込んだ人です。中には半年とか、一年半くらいで、その場を離れる時もあって、そういうときは、未熟であっても、まだ頼りなくても、私がそこに存在していたという証拠を残すかのように、置いてきた。今回も私のノギスは私の手から間もなく離れる。大分前からデジタルノギスが主流になっていて、ダイヤルノギスを手に入れるのが難しくなっていた。最近はついていないのでしょうか、メーカーのカタログには紹介されなくなった。私は、ダイヤルノギスを使うのが苦手である。右手の親指に力加減がしにくいのです。正確には測れないと思っている。百分の一まで数字が出ることに違和感を覚える。せいぜい0.05が最低見分けられればいい。それにはダイヤルノギスが最適だと思いこんでいる。次の場に新しいダイヤルノギスを持っていかなければならない。板前が、包丁を持って行くようにです。通信販売で買った。一丁、9000円です。インドネシアへ持って行く、インドネシアでは手に入らない。何回目かの新しい職場にも、私が使いやすいと思っていて、インドネシアで探すのが難しい工具や道具を日本で買って持ち込まなければならない。その準備をそろそろ始めようとしている。一つがハサミである。ナイロンやPCのチューブや小型異形品を切るのに日本の剪定鋏が最高。岡恒のハサミです。日本でも一番値段が高い高級品です。これも地元のホームセンターにはここ数年前から無くなっている。通信販売で買うしかない。大井川からの富士山と南アルプス方面の山々通販 ジャパンメイドゥ 必需品
2012.03.14
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1153 40年以上前の私に嫉妬する。東洋プラスチック精工の人々はぜひ当時の事を、間違いのないように知ってほしい。灯油で冷却の理由は隙間に入った水が突沸して製品が飛びはねまったく形にならなかったので、ジワリと沸騰して揮発する灯油を使ったのです。他にもポリエチレングリコールやグリセリン(コイリングチューブを作る時に150℃にして中に通した)を使っても良かったが、値段が高すぎた。66ナイロンに6ナイロンを混ぜたり、それらのナイロンにエポキシ系の熱硬化性樹脂の液体を混ぜたり、色々な方法で成型性の悪さを改善しようとした。だから、純粋にその原料だけを使った製品では無い事の方が多かった。それをノウハウというか、テクニックというか、ごまかしというか、原料偽装というか、色々の見方は有るだろうが、それを積極的に明かすことはしなかったし、その混ぜものに依って何らかの問題や害を与えたことはなかった、製品が出来たことで誰からも喜ばれたし、評価された。その他に、ステバリなどの滑剤を混ぜたり、グリスを混ぜたり、お餅ではないが澱粉を混ぜたりして、製品の物性を改善しようとした。ひらめきは次々と浮かび、実行した。若いころの頭の柔軟性と実行力には我ながらすごかったと思う。今は、そんな元気は全く無い。 私が二十代の頃はアメリカに既にある製品を日本で作り上げることに80%位の力を注いだと思う。しかし、技術を真似しようとは思わなかったし、アメリカでの製法を解明しようとはしなかった。独自のひらめきで、似たような製品を作り上げた。確実に私の方法の方が、設備は簡素だし、製造速度も速かったのではないかと自負していた。アメリカからの輸入をしなくても良いようにしてきた。破格の安さで提供したがそれでも当時ナイロンの価格は600円/kg以上していた、それを製品にすれば1800円/kgで売れた。PCはナチュラルで900円/kg色ものは1200円/kgした。製品にすれば2700円、3600円で売れた。会社の利益に貢献するとともに、ベースアップや労働協約の交渉を強気ですることが出来た。 自分が経営者になってから20年くらいは、既に開発した製品の量産に追われていたし、アメリカや他の先進国から見つけて来た新しい製品といって頼まれることも無くなっていたので、それまで積み上げてきた技術で受注をこなしていた。インドネシアへ来てからは日系企業が日本から輸入している押出製品の現地調達のお手伝いをし始めた。日本から輸入しなくても良いようにしてきた。そしてそれらの全てが日本の中小企業の押出成形技術者がそれこそ何年も掛けて物性や形状を確立したものです。私はそれらの製品を作ったことがなかった。状況はアメリカからの製品を国産化した時と同じだった。製法は同じはずがないが、そっくりさんを3ヶ月以内には作ってサンプルを提供してきた。今の会社ではそれが出来ないでいるので、間もなく、それが出来るような状態にする。独自の方法で製品を作り出すのは快感~~~~!!!平均的なインドネシアのレストランの価格とヤーカンクン(空芯菜)というメニュー 独自 真似ず 国内調達
2012.03.13
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1152 このことに触れるのは自然でしょう。私はインドネシアにいてこの大惨事を知った。多くの人と違った見方をする私です。その時思ったことは、また、何の予知も出来なかった。何十年も前から東海地震について直ぐ起きてもおかしくないと警告していた人はいるが、その他の地では全く地震や津波の予知や警告をしていた地震学者は一人もいなかった。少なくとも阪神淡路大震災を目の当たりにして、自分たちの無力さ、何をやっているんだという反省が在って、その後の研究のしかたや歴史的解明など、やらなければならないことが沢山ある、今迄の研究のし方では何の役に立たないという事に気が付かなければならなかった。去年静岡に集まった地震学者が口々に自分たちの無力さを嘆いていた。何も役に立っていないことを認識したようでした。 素人の私でも三陸沖海岸の地震は小学校のころから、いつ起きてもおかしくないという事をしていたし、どこらへん辺り(30m以上)まで津波が過去に達していたことも知っていた。なのに、5m(中には12m以上の場所もある)の防潮堤を作って、津波が来たら、この扉を閉めれば良いという説明をそのあたりへ行くたびに説明されていた。地震学者はそれでいいと言っていたのでしょうか。歴史的な事実を全く無視していたというしかない。 誰だって、東北地方の地震について大きな声で警告しなければならなかったし、原発の立地としてそこを選ばなければならに理由が一体なんだったのでしょうか。最低でも、太平洋側に原発を作ることに大反対する地震学者がいても良かったと思うし、政治家も行政も電力会社の人達にも反対する人がいても良かったと思う。 阪神淡路大震災のあと約15年の間に日本の各所で大地震が起きている甚大な被害が発生している。それらの全てを誰もが警告しなかった。其のたびに地震学者は自分たちが一体何をしているのか、反省する機会になっていたのに、全く、他人事のように、何故起きたかと解説をしているだけである。プレートの沈み込みに地盤が耐えられなくなって反発したのですと言っている。馬鹿じゃないの、地震が起きるたびに同じ解説を繰り返すだけです。それなら地震学者はいらないでしょう。 東北大震災の後、今後は、今迄の予知を見なおして、ドンドン、大規模になると変更している。東海地震や東京直下型地震について、より深刻になることを警告しだした。ここでも、馬鹿じゃないのと、言いたい。その他の日本の各地方についてまったく触れていない。九州は、山陰は、東北の日本海側は、北海道は、警告しなくていいの? 内陸地方(関東北部、中部山岳部)はどうなの?予知や警告を出来るわけがない、それが現状です。だから、今予告している自信についても何の根拠もないのです。ただ、大きい自信がおきる確率が何%といってその確率を上げているだけです。地震学者にとっては当たっても当たらなくてもいのです。確率直ですから。2004年のインドネシア、スマトラ東北端部のバンダアチェの2011年1月の様子です。死者、行方不明者は10数万人でしたがその面積は東日本大震災の10分の1もない。その地に約5年間に渡り先進国を始め多くの国々から援助隊が来て街を復興させた。地元民は政府の指示に従っただけでした。だから震災前以上の洗練された町になったのです。地震妻に対策については、高台に住宅を移したことと、避難ビルを作ってだけです。それに比べれば、住民の自立心は違うし、生活水準、製造業の水準が余りにも高度だし、農業や漁業の水準も大きく違う。外国の援助隊が来ても回復させるだけの力はない。全部、自力で元以上にするには10年以上掛るでしょう。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html 今日はテレビ画像を見て何度も涙を流した。娘も妻も留守で私と孫の三人で留守番。無力 その場限り 無駄使い
2012.03.12
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1151 私の履歴ですhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0069.html http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0060.html50年史の20.21ページは、ABSシート以外、大部分が私の仕事でした。プロファイルに関しては、100%私が手がけました。自転車の泥除けは、テナイトブチレートは商品名で、セルロースアセテートブチレートcellulose acetate butyrateという樹脂です。揮発するガスはウンコ臭かった。この製品は結局、両端の切断が洗礼されたスマートなものにならず、一年程度で終わってしまった。ちょっと話しの種にはなったが、実用的ではなかった。これも、曲げ加工は簡単に出来たし、チェックも用のアルミ箔の挟みこみも簡単に出来た。寝食を忘れて、などということはなかった。他の難しい仕事のついででした。正月返上の仕事は泥除けでは無く、ボビンスリーブやPCチューブの生産が間にあわなかったためでした。押出用の6ナイロンがまだ、無い時代、ワイヤーカットや放電加工機がなかった時代、両足の厚さや長さを同じにするのも難しかった、形を決めるのに大変苦労しましたが、灯油を使うことで一挙に解決しました。誰もが、その方法について、仰天したし、皮肉や批判もしたが、その人達には到底できない仕事なので、納得するしかなかった。その時の方法で今もエッジングやグロメットを作っているし、他の6ナイロンプルファイルでも灯油を使って作っている。エッジングやグロメットは灯油を掛けるだけだが、灯油を循環させ、冷却しながら、他の樹脂を作るバキュームで引っ張る冷却金型にも使っている。グロメットの切り込みを入れる方法として、会社の上司達は剃刀の刃を上下往復させトントンと切り込みを入れることを提案した。長いチューブを後で短く切るのにその方法が取られていたからです。しかし、私は、カッターナイフの刃を回転させて払うように切り込みを入れることに決めてそれで走った。コの字を作っておいて水分を吸わせ柔らかくしてから、きれば、割れてしまうことはなかった。私一人のアイディアと休日返上の労力(当時は何の苦労とも思っていなかった)の産物でした。だから、短期間で出来上がったのです。また、11ナイロンと12ナイロンのことだが、どう考えたって12ナイロンの物性が11ナイロンに比べて劣っていた。両方とも可塑剤を適当量混ぜて柔らかさをコントロールするのだが、同じ硬さ柔らかさでも破裂強度やキンクテスト(折り曲げの繰り返しテスト)で劣っていた、製品の艶でも11ナイロンの方が上だった。12ナイロンは11ナイロンに負けたのです。当時、そのチューブでコイリングチューブを作った。これも日本で初めてでした。今ではPU(ポリウレタンチューブ)に変わっていますが、エアーを送る天井から吊るされたくるくるコイル状になっているチューブです。当時はマックスエアネーラという会社に出荷していました。コイリングチューブは一週間ぐらいで出来ました。両端を真っ直ぐにする事やコイルにしてからひっくり返すと数倍の反発力になることも、遊んでいて直ぐに気が付きました。全ての新製品は、営業からは私にこういうものが出来ますか、という、問合せから始まり、私がやりますと言えば客先から試作依頼を受諾したのです。チームで技術を確立したのではありませんでしたし、大体三カ月以内には客先へサンプルを提出した。インフルエンザB型に感染した二人、タミフルを処方されている。体重に依って量が違うようです。楽しい 短期 休まず
2012.03.11
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1150 実名をだしても差し支えないと思い、実名で書きました。東洋プラスチック精工(株)TPSの50年史が突然、家に届けられていた。何故、私の元へ届けられたかというと、主な理由は組合長を二年間と前後4年間組合の執行部に属していたからです。労働組合創設の記事は出ていますが、その翌年には教育宣伝部長として執行部にはいった。翌年副組合長、三年目に組合長になっていた。大卒、はえ抜き第一号入社から3年目で労組の執行委員長になっていたからです。 この50年史の中に、私がいた時代に関して、大きな間違いが二つあります、初代組合長の現在についてです。それと、6ナイロンコの字型プロファイルの製品名が「エッジグロメット」になっていますが、『エッジング』と『グロメット』の二種類です。当時、開発に時間がかかったと書いてありますが、私は3カ月で作りますと納期を明言して、一か月遅れの4ヶ月で作りあげた。現在でもこの製品については私の関係会社がその当時のお客様北川工業のお手伝いしています。TPSでは現在作っていません。詳しくは次のウェブサイトで。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.htmlこの他にも小さな間違いが点在しています。40年以上前のことですから、仕方がないでしょうが、事実と違っているので、重要な二つだけ書かせていただきました。 日本アンテナのデルリン(POM)チューブ、昭和丸筒のABSボビンスリーブ、臼井国際産業へは6ナイロンチューブ、厚木プラスチックへはポリカペンダント用PCチューブ、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.htmlその他、6ナイロン、11ナイロン、12ナイロンチューブを当り前に作り、POM(ジュラコン)の異形品はソフトクリームの製造販売機の前面に使われた。今でも、同じ構造なので、ソフトクリームを孫に買ってあげるたびに懐かしく思う。ナイロンプロファイルの一号は、66ナイロン二硫化モリブデン30%入り馬蹄形のチェーンコンベアーの滑りガイドに使われたりしていた。岩谷産業が間に入って、名古屋機工という会社に納めました。エッジング、グロメットもそうですが、ナイロンのプロファイルはアメリカのポリペンコ社製が在って、形状と全量は、その物まねです。しかし、私の製法は、物まねではありません、明らかに、全く違います。全てが、日本で最初の製品です。全て、私が製品化したと言って過言ではありません。何日も徹夜をしたし、休日にもほとんど会社にいた。今の妻とデートの後も会社に戻った。 私が入社した時、素材類(丸棒や板)はドイツの技術を導入して作られていました。しかし、ドイツ人の技術で作られた装置はごつ過ぎる上に、樹脂漏れが多く、また、焼けが発生しやすかった。私は、そのあとじゅつ技術を否定して改良した。金型は簡素化され、樹脂漏れロスも焼けも少なくした。その方法が今でも使われていて、その後の改良はないと聞いている。 私が係わったのは昭和41年から48年(1966~73)まで、わずか7年間でしたが、最期の二年間は、N6、N66,PCなどにガラス繊維(ロービング、チョップドストランド)入りのペレットを作る部門まで任されていた。炭素繊維まで入れたペレットも作った。押出のベルト基材とシート以外の全てを見ていた。売り上げでは、私がリーダーでいた部門が会社を引っ張っていた。ロスが多いと言われていたが、開発商品ばかりなので最初から100%近い収率とはいかない。ただし、利益率は群を向いていた。 50年史を手にして、大変懐かしく思いました。私が在籍していたころ、私の人格が形成された頃、の記事しか読みませんが、何十年もの間、思いもしなかったことがこの本によって思い出されます。送ってくれたことに感謝します。 まだまだ これから 昔は昔
2012.03.10
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1149 前兆はというか初期症状は、後で考えると1年以上前からあった。脈が飛んだとは思わなかったが、頭がくらっとして立っても坐ってもいられなくて床に寝転がるしかなかった事が在った。気を失うのではないかと思ったが、それはなかった。何十秒間に3回、へたりこんだ。只事ではないと思い、近くの医者へ行ったが、症状はその時の何秒間だけで、医者へ行く途中、行ってからも、その後、一年以上その症状は現れなかった。もう一つは、体のあちこちが攣ったことです。特に、ゴルフなどそんな過激とは思わないスポーツの後、必ず攣るようになった。そのころ、海水浴場で沖まで泳いでゆくことを止めた。パンガンダランなどインド洋に高波を潜り込んで通過して沖へ泳いで行って、大きなうねりの上でぷかぷか浮いているのが私の海の楽しみ方でした。インドネシア人は誰も出来ない。それを止めた。万が一でもライフガードに迷惑を掛けたくなかった。もう一つそのころ気になりだしたのが目の渇きでした。チクチク痛むようになって目薬を欠かせなくなった。それから約一年後、頻繁に心臓の脈が飛ぶようになって病院へ駆け込むしかなくなった。シロアム、心臓病ではインドネシア一番のハラパンキタ、スハルトが晩年通っていたプルタミナ、近所のアニッサ、日本人医師がいるタケノコ、それからSOSやビンタローのインターナショナル、もう一か所日本人医師がいるメディカロカ、次々と症状が出るたびに相談に行った。全てインドネシアでは超一流の病院です。全ての病院であなたは全く異常が在りません。全ての数値は正常です。と言われ、追い返された。自立神経失調症やうつ病と診断されたこともない。ただただ、あなたに悪いところは有りませんと言われてしまっていた。症状を云う度に神経質になり過ぎているのでしょう、とも言われた。それなのに、飛行機に乗ることは危険だ、とんでもないとも言われていた。何でも無いのに飛行機禁止とはつじつまが合わないことを日本人医師はいう。自分の責任問題になることを心配した、護身的な言い方をするしかなかったのでしょう。時のパワハラ日本人も同じで帰国はまかりならぬになってしまっていた。インドネシア人の医師も日本人医師も誰一人としてパニックのパの字も云わなかった。ただただあなたは神経質すぎるということと、飛行機に乗ってはならない、という事だけでした。 それではどうすればいいの?インドネシアから脱出するしかなかった。そして、誰にも話さず、決行した。 日本へ帰ってからも、一か月、何か所もの病院を回ったがパニック障害を疑った医師はいなかった。一ヶ月後にやっと、あなたは典型的なパニック障害ですよ、今は良い薬が在ります。直ぐに治ります。といってくれた医者に会うことが出来た。その次の日から、嘘のようにパニック障害の症状は消えてしまった。 その医者がいう原因は、頑張りすぎだそうです。自分がそう思っていなくても回りの人から見れば頑張りすぎている人、多分私はその口でしょう。さぼり薬を処方してもらって治ったのです。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html 異常なし 原因 治療
2012.03.09
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1148 トライが大詰めに差し掛かってきた。始めてクーリングダイへ通した。引取機まで届いた。しかし、出来上がった中途半端な製品は、どうも、使いものにならないような気がする。製品の狙いとしては十分、納得できるし、そんな使い方が出来ればいと思うが、現実問題として、この難しい製品を作り上げたとしても、実用にはならないのではないかと思う。なんとなく、力が抜けてしまったが、とにかく、今週中には恰好をつけて思うともう。使える使えないについては私がとやかく言う立場にはない。原料を変えたら良いかもしれないが、原料が変われば、製法も変わってしまうので、今月中に私が結論を出すことは出来ない。昨日のビートタケシの番組で不眠についてやっていた。扁桃体という用語が盛んに出てきていた。不眠の人はそれが過敏に反応するからだと言っていたような気がする。それはそれで、分かったような、分からないような話だが、結局はその人がアクティブかポジテュブか、悪い方に考えるのか、良い方に考えるのか、違いらしい。その放送の中で、呼吸困難や過呼吸や心臓の鼓動飛ばしなどでパニックになる人の悩みを取り上げ、結局、精神科に行くようにアドバイスされて、そので、パニック障害と病名を明らかにされ、治療に当たっている、という話が紹介された。2006年私のパニック障害はこんなものではなかった。それも、インドネシアでの話しである。原因はネガティブでも悪い方に考えるでもない、原因は明らかにパワーハラスメントをインドネシアで受けた事でした。それはそれとして、原因は明らかにストレスとの戦いでした。ネガティブではなく、アクティブだったからパワハラをネガティブ人間から受けたのです。だから、治療はポジティブになることでは無く、神経の誤動作を失くすために神経を使わなくする薬で治す事でした。その薬に依って飲んだ日からパニック症状は消えてしまいました。これほど、見事に治ってしまうことは珍しいと思うが、実際、その後、全く、症状は有りません。パニック障害という病気を全く知らなかった、知っていれば、すぐに日本へ帰ってその薬を飲めば良かったが、知らないから、パニックになるばかりでした。ただ、うつ病いではないことは認識していた。死にたいと思ったことは一度もなかったどころか、死ぬと思ったことは何度もあったが、ここで死んでなるものか、とその都度、思ったからです。ここで死んだら、執拗なパワハラを仕掛けた人間がほくそ笑む、そんなことは絶対させないと思っていたからです。パニック障害は知ることです。そして、適切な処置をすれば治る病気です。現在、パニックに苦しんでいる人、薬で治ります。適切な薬を処方してくれる医者に会うことを祈ります。そして、本人は、そういう医者に会うまで、精神科か総合診療科の名医を探すことです。ぴったりの薬が在るはずです。と、私に薬を処方してくれた医者が言っていた。薬で必ず治ると言っていた。パニック障害 うつ病 完治
2012.03.08
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1147 夜明け前の雷で目が覚めてしまった。大雨が降っていたが出勤途中には止んで、生温かい変な感じの空気が漂ってきた。日本を感じた。こんな気候はインドネシアにはない。それと同時に花粉症の季節到来を感じた。この妙な空気は何十年も前から経験している花粉症の空気だ。そう思っただけで、むずがゆくなってくる。 花粉症の思い出、小学校の低学年の時は既に、毎年、春になる前にヒドイ風邪を引く体が弱い子だと言われていた。鍛えるために4年生から6年まで冬は半ズボンで過ごした。それでも、毎年恒例の風邪は続いた。ちり紙といって、鼠色したお尻を拭く紙と兼用の鼻かみ用の紙を束でいつも持っていて、授業中も、クシャミは連発し、いつも、チンチン鼻をかんでいた。皆にうるさいから出ていけと言われたことは当り前でなんとも思わなかった。学年末テストの時は、いつも、時間の半分くらいで終わらせて、答案用紙を先生に渡して教室から出ていって、外で、ぶらぶらしていた。一日何科目もある時はその繰り返しだった。中学の時には科目毎に先生が変わっていたが、どの先生も公認だった。一年の時、校庭のテニスコートの脇でしゃがみ込んでハクションを連発していたら、校長先生が現れて、なぜ、こんなところにいるのかと聞かれたこともあった。終業式や卒業式、送辞を読むとき大変だった。そんなに別れが悲しくなくても花粉症で顔の真ん中付近はクシャクシャになっていた。そういう意味ではふさわしかったかもしれない。 これは、インドネシアで仕事をするようになるまで、毎年、続いた。私が独立したころ30歳の頃、花粉症という病名が世間に現れた。当時は文明人が掛りやすい、野蛮に近い人間は掛らない、などと言われていて、自分は物心が付いた時から花粉症だったと言って、若干、自慢をしていたこともあった。しかし、その症状は毎年、ヒドイものだった。ちり紙ではなく、トイレットペーパーは毎年、5巻き以上は使ってしまっていた。鼻の周りは真っ赤でひりひりしていた。テレビや色々な人が、予防法や治療法や専門医などを云ってくれる。それを、いちいち実行もした。しかし、一向に効き目はない。いつの間にか、何も、対策をしなくなった。もう、完全にあきらめて、一生付き合うことに決めていた。しかし、1997年からほとんどこの季節には日本にいることは無くなったので、完全に花粉症から、解放された。この快感は私でなければ分からないだろうと思うくらいだ。4月1日、日本から離れるまで今年はどうか、十何年も掛っていないのだから、治ってしまっていて、掛らないことを期待する。 花粉症と私の係わりあいは半端じゃない。エピソードは数え切れない、一冊の本が書ける。 春ですよ、菜の花と桜、梅の花と桃の花。 鼻水 クシャミ 涙
2012.03.07
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1146 本格的に最終月の仕事が始まった。7月からこの場所に赴任してきたが、不完全燃焼のまま半分居候のような状態だった。10月ごろから、塩ビの二色成形の異形品を作ることを頼まれ、簡単に引き受けたはいいが、障害が多くて思うように進まないばかりか、それが下で、本来、私がやるべき若者への技術伝授の時間が無くなってしまった。ここへ来て、やっと、余裕ができ、追いこみ指導が出来る状態になった。一か月で何ができるかといったって、何もできることはない。しかし、準備した金型について一通り製品を作って見せようと思う。 ほっとした気分になった一日でした。ひょっこり、時間つぶしに私のところへやってきて、“勝手なことを云ってるようだな、とにかく、一通り、教えて何かを残して置いてくれよな””いい加減、もう、のんびりしたらどうかね“とも言ってきた。”女房にも何もしてやっていないから、人生、ちゃんと、帳尻を合わせてやらないとな“。「その通り、そろそろ、引退したら、人の事より自分のことでしょ」といってやった。”どっちが先に死ぬか分からない“「順番から言ったら、私が弔辞を読んであげますから」と、そんな、会話をした。その後、カンボジア、ベトナム、などへ行ってきたばかりらしく、その辺りの様子を話してくれた。というより、自分の感想を話しながら、確認していたという感触だった。まだまだ、引退など、全く考えていない様子。”後継ぎがいないしな”と、ご自分で言っているが、「後継ぎがいないのは自分の責任でしょ」と、私は言えなかった。 ともあれ、折を見て、私の方からアポを取って了解を得ようと思っていたところ、親父さんの方からひょっこりやってきて、“しょうがないな“と、言ってもらったことで、3月末日で解放されることがはっきりした。インドネシアにいれば、嫌でも、PT.N社やそこの日本人や従業員と会う機会が沢山ある。縁を切ってしまうなどということはあり得ない。外にいて、応援する事になるでしょう。気楽に。 隠居 回遊魚 解放感
2012.03.06
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1145 初の休日、曇天で超寒い、こんな日にゴルフをやったりしたら、我慢大会になってしまいそうだ。インドネシアにいれば確実にゴルフをしているのに、日本はつまらない。若い時なら、日帰りでも、富士山の麓辺りにでもスキーをしに行っているかもしれないが、仲間はいないし、この歳ではそんな気も起きない。孫も家の中で大騒ぎしていてうるさいが、自分の部屋を暖かくしてじっとしているしかない。 若い坊さんが私たち家族の焼香の仕方というか作法というか、それが気になったのでしょうか。若しかしたら、たまりかねたのでしょうか。一通りの御教供養が終わった後、御焼香の仕方についての講話を始めた。どうでもいいことだと思っているが僧侶にしてみれば作法通りにやってほしいのでしょう。私は最初に合掌して例をしてから、香をつまんでおでこに持って行き、火に掛ける、それを三回して、再び合掌して礼をしてお終い。その前後に親族に礼をする場合もある。今までこれが正式な方法だと信じていた。他人の方法を注意深く観察したことはないし、坊さんに聞いたことも、葬儀屋に聞いたこともなかったが、なんとなく、こういう方法をしていた。曹洞宗では私の方法で正解ですが、僧侶の多くは御焼香の回数は一回半だとか、二回目はおでこに持っていかないで、只、横に移して落すだけだとか、それが正式だとか、ただし、人数が多い場合はアナウスで一回にしてほしいなどがある、それはそれでいいとか。たかが焼香されど焼香、それぞれの宗派でも違うだろうし、仏教徒ではない人も来るだろうし、基本的には気持ちであり、感謝だと思う。話しは、それるが、そのために合掌をして礼拝が一つの自然な流れになるのが人の本能的動作だと思う。インドネシアのヒンドゥーもイスラムもその動作は自然です。これ等の宗教に共通する習慣が在る。それは日の出を拝むことです。それも合掌してである。宗教が現れる前に人間は拝んだのでしょう。神秘的なこと、神々しいもの、美しいものは人を感動させ、思わず祈りたくなるように出来ている。私も、日の出の写真を大切にしている。 拝礼 焼香 自由
2012.03.05
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1144 実際は亡くなってから46日、シジュウクニチ(49日)の法要を行った。母親は今日から本格的に極楽での生活が始まったらしい。“この世の中“から”あの世の中“へ到着したという。親父のもとへ落ち着いたと思う。 今は、多分、富士市に統合されて庵原郡ではなく富士市富士川町になっていると思うが、生まれ故郷の富士川町の国1の富士川橋の富士川町側の橋を真っ直ぐの延長線上の山の上に先祖代々のお墓が在り、その中に分家した私が作った親父の墓が在った。小学校の頃、私に生れ故郷でもあるし、親父の兄達の家が何軒か其の辺りに会ったので、夏休みのお盆の頃一週間から10日間ほど、この辺りに遊ぶに来ていた。いとこも大勢いて、彼らは私が静岡の都会からやってくるのを楽しみにしていたようで、毎日のように富士川で魚を追いかけたり、泳いだり、山に入って昆虫を追いかけていた。お盆の時は生き物の殺生は駄目だと言われていたが、そんなことは無視して、山川を走り回っていた。入れ替えあり立ち替わり、従兄弟連中が私に付き合ってくれていた。流石にウサギはいなかったが、“カブトムシを追いしかの山、小鮒釣りしかの川”私の故郷そのものです。 お墓の中も遊び場の一つだった。写真はそのお墓の一風景で60年以上前から変わっていない。孫が今、この場にいるのが不思議な感覚を覚えさせられる。この地で、私が作った墓の中に次に入るのは順番からいって私である。そう早くは入りたくないが、30年先まではいらないということは確率的にゼロである。この予測は東海地震が30年以内に起こる可能性が80%というものより遥かに確実な予測です。般若心経を唱えながら、ギャーテーギャーテーハラギャーテーと言いながら、そんなことを考えていた。 思い出 49日 故郷
2012.03.04
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1143 家からでる時間が真っ暗ではなくなった。車のライトのスモールを点けようかどうか迷う。この状態がインドネシアの夜明けの明るさに似ている、日没時間もほぼ同じに思う。20日程で彼岸なのでそうなのでしょう。気温はずいぶん違うのは当然である。 インドネシアから持ってきた金型でトライを始めた。肉厚が均一でないことと補助押出機からの樹脂量が均一ではないことなど、若干の修正が必要です。来週の火曜日辺りに二回目のトライをねらっている。かなり、以前より希望が持てるようになってほっとしている。今月半ばには客先へ出せるサンプルが出来るでしょう。そのトライの合間をぬって、別の製品のトライをする。とにかく、今月一杯、仕事日で20日程しかないので、残りの日の空きを作らないように試作を組み込んでいかなければならない。ここで、もう一つ気が付いたことが在る。これは今まで全く経験がないことで、私以外に誰も気が付いていない、勿論、この会社の人誰もが気が付かないだろう。私のやり方というより、この種の製品を作る時に、ただ、私が作った方法と同じ方法でサイズが違う製品の金型を作った時に、同じように出来ないでしょう。それを証明してやる必要がある。 きらり光ったその先には何とも言えない喜びが待っている。何度も、そういう気持ちを味わってきた。誰にも分からない、私だけの世界である。多分、今まで日本に無いもの、もしかしたら世界中にもないものかもしれない、無いと思っていて、たまたま、あったとしても作り方が同じはずがないもの、そういうものが自分の力で出来上がって、少人数でもいいから他の人が認めてくれた時です。エンプラやウルトラエンプラの押出成形ではそういう経験を沢山してきた。これからも続く、まだまだ続く。そして、後、十日もたたないうちにそういう時が来ると予想出来る段階になった。これも、この世の中で私しか意識していないことかもしれない。同じ種類のラフレシアですが違いが分かりますか。多くは内側の花弁は裂けていない。 近い 重要 気付く
2012.03.03
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1142 インドネシアで今一番人気の車は、と聞かれれば、Xenia(ダイハツ)だと思う。Avanza(トヨタ)と同型です。1000~1200ccでしょうか。つい何カ月か前にフルモデルチェンジをして、一層、売れるようになったのではないかと思う。もともとキジャンが国民車のようなものだったが、庶民にとっては高級過ぎる、値段も高いし排気量も大きすぎるという評価になっていて、ちょっと、小金持ちが買う車になっている。キジャン、イノファと言います。そして、明らかにトヨタがダントツに強い。しかし、庶民は燃費が良くて価格も安いダイハツの車を先ず買うようになっているようです。4月から使う車、ゼニアを注文した。セダンはインドネシアの道に合わない。キジャンは良いが、高いし、燃費が悪い、大きすぎる。日本人の多くはキジャン イノファの後部座席で居眠りをしている。 日本ではネジ合わせだけで1万6千円、嫌になってしまう。日本でなら、50万円くらいする金型を、インドネシアで15万円で作ってきて、その金型のネジ合わせをしただけです。全額の10%掛ってしまった。日本で外注を使うのは、これが最後です。本当にバカバカしい。一事が万事、日本は何でも高い。品質が良い、日本品質は世界をリードしているから高くても買う、などという寝言は通じなくなっている事を知らなければならない。今や日本しかできなくて東南アジアでは出来ないというものは殆ど無くなっている。逆に東南アジアで出来て、日本では出来ないというもののほうが多くなっている。ドンドン海外へ逃げてゆく、逃げたものは返らない。 最近、私にインドネシアのいろいろな業界の様子を伺いたいという話が多い。インドネシアにいる時には視察で回っているので私からも様子を伺いたいと何社かの人が寄っている。日本でも、私のウェブサイトを見て、私の話を聞きたいと会社へ来る方も多くなっている。いっそのこと、日本にいる時にはインドネシア語を教えちゃおうかな、などと思ったりもする。ついでに、インドネシアの実態を伝えることも出来るし、結構、生徒が集まるのではないでしょうか。 庭の春 低燃費 物価
2012.03.02
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1141 一ヶ月ぶりのテクノセンター、雰囲気は変わっていない。今朝は東京でも雪、静岡でも北部山岳地帯、富士山周辺から伊豆半島にかけて雪だったよう。東名は足柄サービスエリア辺りは上下線とも通行止めとか、私の朝の通勤は寒い雨の中、まだ、薄暗い中でした。いつものことだが、えらい、違う世界である。手がかじかんで何をするにも抵抗が在る。こんな話をインドネシア人にしても全く経験がないことなので、へ~~~と言って聞き流されるだけである。悴む、という、インドネシア語はないと思う。 早速、インドネシアへ輸出予定の中古押出機や引取機などに関して、送る日程以外の詳細を打ち合わせた。やっと、再び、仕事が面白くなりそうで、その点は、ちょっと、ウキウキしだした。 という時に、今になって、ジャバベカ2の工場に入ることを歓迎するという連絡がインドネシアから届いた。その会社と言うのは例のクローズした某K台湾バイクの工場を買収して日本の某S化学と資本提携したA社です。もう一週間ほど早く、話があれば乗っていたしょうが、今はもうヒュンダイ近くのA社に身を寄せることに決定したので、そこが狭くなってしまった時にまたお世話になろうかどうか相談したいと思う。 という時に、今になって、ジャバベカ、ユニフェスタス プラシデントなどがあるエディケーションセンターの一角にある某工業技術専門学校の教授から、指導に来てくれないかという話しが入った。ジャバベカゴルフまで1キロメートルの近くにある、現在は、プラスチック射出成型と金属加工、木材加工部門が在る。押出部門を作りたいと言ってきた。私も大変興味が在るので、落ち着いたら、非常勤で週に何回か何時間か伺って指導できるようにしたいと返事をした。この話は本当に興味が在る。私の本文かなと思う。太田化工へ行ってきた。零細企業のままが良い、今季も利益を上げている。そのすぐ前の用宗(モチムネ)港、漁港です。生シラスの味はぴか一、アワビも安くておいしい、これも刺し身が良い。私は只で貰って食べることが多い。 依頼 遅刻 光明
2012.03.01
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