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1385 サニヨーではありません。ポンパ バキューム、真空ポンプのことです。某日本有名メーカーの物は2馬力25ジュタ、某インドネシアの物は3馬力10ジュタ、某インドネシアの家庭用2馬力は2.4ジュタ、何十年も前から使っていた日本製は10年ほど前に止めた。そして、10ジュタのインドネシア製をその後は使っていたが、それでも、高いと思い、今回は2.4ジュタの物を購入した。 他の物も合わせて、購入しようと思いグロドックまで出掛けた。探しまくり、尋ねまくってやっとたどり着いたのがこの真空ポンプ、チカランやジャバベカ当たりでも探したが、丁度いいと思うものが無かったが、流石、グロドック、在った。 行きは渋滞の中、延々と運転し続けて、9時に会社を出たのに、アンチョール経由で、着いたのが11時を回っていた。駐車スペースを探すのも大変、いつもながらの混雑ぶり、インドネシアの繁栄を象徴しているよう。ゴミゴミしているし、色々な匂いが混じって、独特の臭さ、皆さん,たくましく売っているし、買っているという感じ、私は、ここの人々の動き、この雰囲気は好きだ。 一つの店で買い物をした後、その店の人に、他の買いたいものを言うと、それぞれを扱っている店の名前と場所を教えてくれる。近くなら、その店へ行って買ってきてくれる。皆さん、人懐こい。店の人が知らないと、他の客が知っていれば教えてくれる。勿論、歩き回って探す物も多いが、思いもよらず簡単に買えることもある。 帰りは14:20くらいの出発だったが、JL、スディルマン経由で、気持ち悪いほど順調、15;30には会社へ戻った。しかし、コタ付近のいつもながらの競り合い、特に駅前付近はクランク道が繰り返されるので、割り込み割り込みの連続になる。あまり、気を使っているつもりはないが、それでも疲れる。 グロドックは土曜日午前中だけ、日曜日はクローズ。だから、日曜日にしかジャカルタへは行かない私にとっては、平日にしかグロドックへ行けないのは非常に残念、だから、行きたくないと思うが、行かなければならない時がある。 せっかく、数年前に新しいグロドックビルが生まれたにもかかわらず、業種別に区画を割り振らなかった。だから、もう一つ思う事は、色々な店が全く不規則な場所で商売をしている。ホームセンターなら、色々なコーナーがあって、目的の物は頭の上に表示を見れば、在るところが分かるようになっているし、表示が分からなければ、店の人に聞けがあるところまで案内をしてくれる。ところが、グロドックの場合は、目的別に区画整理をしていないので、行きなれない人には、何がどこにあるかわからないし、在る場所は全体に散乱しているので、全体を回らなければならない、また、一つの物をやっと買っても、次の物を買うにはまた全体を回らなければならない。勿論、既に書いたように一軒の店で世話をしてくれる場合もあるので、聞くことが大切だし、親しくなることが大切でもある。使用目的別コーナーに分けてあると、もっと、グロドックは発展すると思うが、ジョコウィさんが、提案し実施したらいいと思うが、どうでしょうか。 明日はいよいよスイッチオンの予定である。ようやくここもできた。 混雑 異臭 親切
2012.10.31
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1384 すごい店に買い物に行ってきた。場所はジャバベカのプルタミナ天然ガス基地の向かい側、見かけは屑屋。実はトコバングナン(took bangenan)日本なら、ホームセンターです。日本のホームセンターに近い店もあるし、そのチェーン店もある。しかし、私が求めるウレタンの低発泡シート、3mm厚さとゴムシート、2mm厚は知る限りではここにしかない。グロドックへ行けば買えるが、タンブンからチカランの間ではここにしかないことは、10年ほど前から知っていて、仕事を立ち上げる時には必ずここへ買いに来ていた。今回も同じ行動でした。 この店、とにかく、どう見ても、いい加減に積み上げてあるだけだが、小物の商品の種類は大型ホームセンターに負けないのではないかと思う。建築に使うあらゆる部品というのでしょうか、電気関係のパーツも揃っている。私が求めるシートも厚さが1mmから10mmの間、1mm間隔で在庫がある。その在庫がどこにあるかは、店の一人の男性、写真の中で黄色いシャツを着ている人、こういう物、と、目に着く場所にあるものを、指していうと、サイズは?とか材質は?などと聞いてくれる。それらのことを答えると、あるよ。と、答えてくれる、値段は?と聞くと、奥のカウンターで聞いてくれと、言われる。奥のカウンターで価格を聞いて、戻ってきて、OK,買うから用意してくれと、いうと、その品物を奥の方の山の中から、出してきてくれる。私の場合はシートだから、買う希望の長さに切ってくれる。それを持って、また、カウンターへ行き支払いを済ます。 お客さんは常時5人程度が来ている。どの山の中のどのあたりに何があるか知っているという。この程度の在庫は二階にもあるという。ちょっと中を覗いてみたが、二階へ階段が見当たらなかった。この中にきっとあるのでしょう。この山の中にも多くの商品が埋められているはずだが、どんな方法で出すのでしょうか。 という具合で、仕事を始める時には、少ししか使わないが、また、非常に小さいものだが、なくてはならないものがある。そういうものは、一か所の店でそろえてしまう事ができないので、一つ一つ、置いてある店へ行って買わなければならない。面倒なことだが、無ければ、“画竜点睛を欠く“ことになってしまう。 それにしても、地震でも来たら摘んである商品の下敷きになってしまいそう。希少価値 屑屋 ホームセンター
2012.10.30
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1385 昼過ぎ、いつものように洗濯が終わった後、思い立ってジャカルタの日本食品スーパーへ行ってきた。 行きの途中と帰りの途中のジャカルタ。どこから高速道路を降りて、どこから高速道路に乗ったか写真を見て分かるようになっている。どうでしょか、分かりますか。 何を買いに行ったかというと、納豆とうどん。いずれも日本から持ってきたものは大分前に無くなっていて、インドネシアで買う事が出来るが、うどんはチカランでも売っているが韓国製、どちらも日本製はジャカルタへ行かないと手に入らない。そろそろ、どちらも食べたくなった。そこで、ジャカルタへ行ったのでした。14:30に家を出て、戻って来たのが16:30、スーパーにいたのは10分弱でした。 納豆もうどんも日本から輸入したものは日本で買う、1.5倍の値段がする。高い。そこで、どちらも、開発商品と書かれているインドネシア製の物を買った。値段は日本で日本製の物を買うのとほぼ同じ、味や感触は私が期待する物と若干違うが、普通に食べられるので、これで充分である。12月の帰国まで持つように多めに購入した。うどんは冷凍保存する。 うどんはそれほどでもないが、納豆はインドネシアでも旅に出ている時以外は、いつでも食べたいと思っている。チカランでも日本食レストランでマグロ納豆などのメニューはあるが、それでは、あまり食べた気がしない。 実は、子供のころ、臭くいて食べる気がしなかった。家で家族が食べていても、私は食べなかった。納豆は子供が“なっと、なっとお、なっとっ”と言いながら、早朝に売って歩く物だった。私に友達もアルバイトをしていた。私は新聞配達の手伝いなどしていたので、彼らとよく会ったが、納豆売りはしなかった。匂いが嫌いだったし。 しかし、小学校の5年の秋、担任の先生が皆で納豆を作ってみようと言い出し、希望者だけで作ることにした。何故、希望者だけかというと、約16時間の温度管理をしなければならないからだ。大豆と湯たんぽ、もう一つ肝心なのは稲藁である。それも、稲を刈ってから二週間ぐらい過ぎたものが良いと言われていた。まだ、緑色が残っているのも、何故かは知らないが納豆菌が付いているからだそうだ。大豆を茹でて、その稲藁で小分けにして包む。それらを毛布でくるむ。炬燵の中に入れる。そこからが何度だったか忘れたが、約60度?湯たんぽで一定の温度の保つ十時間以上である。学校の用務員室の一角を借りて、一時間毎に温度のチェックと湯たんぽの交換をした。私も夜9時ごろと明け方5時ごろ学校へ行って、その役目をした。見事に、粘り気のある臭みもある納豆が出来上がった。その日の給食時には皆で食べた、私も食べた。今までの食べず嫌いが嘘のよう、それ以来、納豆は欠かせなくなった。特に生卵と混ぜて熱いご飯にかけ、かき回してかっ込むのが一番おいしい。それは、その時から50年を遥かに超えていても同じである。朝食はそれだけの時もある。 子供のころ好きだった食べ物は年をとっても好きのままで、しばらく食べていないと、食べたくなるものだ。黒はんぺんのフライ、ジャガイモをホクホクに茹でたもの、キャベツの千切りにとんかつソースをかけたもの、そして、納豆。いずれも、ごちそうではない。子供のころ、親から、お前は安上がりでいいなと言われたことがある。 好物 安上がり 食べず嫌い
2012.10.29
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1382お茶 裕福になってきた証拠でしょう。最近は犠牲祭に殺す動物の寄付が異常に増えて、昨日、一日では殺しきれずに、朝の内にはまだ、かなりの頭数の動物が、道の両側のマスジッドの近くに繋がれていた。しかし、これらの動物も午後三時ごろには、いなくなっていた。いたのは。その肉を貰う為の人間様たちでした。もらって、三々五々家路につく途中でした。テレビでは、その肉の奪い合いの風景を流していた。全土各地で大騒ぎの場所が確認出来ないほど。多くあったでしょう。ま、こんなものでしょうね、インドネシアの程度は。 私がインドネシアで飲んでいるお茶です。静岡ですから、物心が着いた時にはこのようなお茶を飲んでいた。小学校の給食でも、脱脂粉乳は当然飲んだが、こういう色のお茶も普通に飲んでいた。中学校は弁当だったが、お茶だけは学校から出されていた。高校でもそうでした。家では、毎日、何回、何杯飲んだかわからない。お茶は貰った物以外は静岡近郊のお茶です。静岡の北の方面に各地ブランドお茶があるし、牧のガ原や川根など大井川沿い、天竜川沿いの各地のもそれぞれ山地はある。静岡の東の地方、富士川沿い、富士山の麓、伊豆にもある。とにかく、皆さんは地元のお茶のフアンです。私も、静岡の北の方面のお茶も飲むが地元、丸子(マリコ)のお茶をもっぱら飲む、というより、妻が、近所のお茶屋で売っているお茶を買ってくるからである。私は、日本へ買えると、最近は、サリワンギも飲むようになったが、インドネシアへ戻るときには丸子のお茶を持ってきて、サリワンギではなく、日本茶を飲んでいる。味も重要だが色の重要、目でも満足しなければならない。日本でも静岡の外へ出ると、緑色のお茶が出されることは全くと言っていいほど無い。子供のころ不思議に思った。何故静岡のお茶だけお茶らしい色をしているのだろうかと。こだわりは、保管は冷凍庫にする。お茶は透き通った黄緑色でなければならない。内側が真っ白い茶碗を使う。日本でと急須を使うがインドネシアでは茶濾し器を使う、三回おなじ茶葉を使う、三回目が一番、私の好みです。 インドネシアの日本食レストランで飲み物はお茶パナスです。お茶ディンギンを飲むことはない。勿論、色など分からない、茶碗の色がまちまちだからだし、本来の色も緑ではないことだけは分かる。おいしいとは思わないが、それでも、熱いお茶を頼む。食事の時にはお茶を飲みながらが、習慣になっているから。 インドネシアらしい風景。争う 怪我人 気絶
2012.10.28
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1381 イスラムのお祝の日 イドゥル アドゥハ、私が一番嫌いな日です。何でこんな残酷な行事をあっけらかんとやるのでしょうか。皆さん、着飾って、マスジッドへ行き、その周りに、首を切って食べるための牛やヤギが繋がれている。何やかやと、お祈りした後、普通に皆の前で首を切ってそれらの動物を殺し、切り開き、皆さんに振舞う。こういう事をイスラムの初期には人間、捕虜を食べはしなかっただろうが、殺して、盛大に騒いだのでしょう。人の代わりに今は動物で代用しているのでしょう。どう子供たちに教えているか知らないが、残酷さをあっけらかんと見ていられる、あるいは、自分がその役目をすることを名誉と思うくらいに、当然の行為だという感覚を持たせる。戦闘的な意識、攻撃的なイスラムだと思うが。それを自分たちは何とも思わない世界を作り上げている。アラーの神がそうしなさいと言ったと伝えた将軍さまの巧みなところだと思うが、ジハードの考え方は、こういう行事にも表れていると思う。 嫌な、行事である。 日本の元旦の朝のように閑散とした通り、ほとんどの人はマスジッドに出かけてしまっていて、町は閑散としている。マスジッドの前にはお祈りの正装をした男女が大集合、一部の道を塞いでお祈りの列が出来ている。 前日の夜から明け方にかけて、大勢の人が大騒ぎをして、ゴミはそのまま散乱している、その傍に大勢な人が集まってお祈りをしようとしている。犠牲祭も気に食わないが、このゴミの風景も気に食わない。宗教以前に人間としてもモラルっていうものがあるだろう。ゴムぐらい片づけてからお祈りしたら、と思うし、宣教師や学校の先生は宗教について語る前に、「皆さん、ゴミを捨てないようにしましょう、ゴミが捨てられていたら、他人の物だから。そのままにしておくのではなく、拾って、決まった場所に捨てましょう。神様はきれい好きだったのですよ」と、お説教したらいいと思う。このゴミの山、インドネシア中のゴミの山を神様はどういう顔をして眺めているのでしょうか。動物の首を跳ねて歓声を上げ、その肉に寄って、たかって、われ先にと駆け寄る前に、身の回りのゴミを拾ったらどう。 預言者と言われる神様と民衆の間の仲介者の誰一人として、ゴミの持ち帰り運動を提唱した人はいません。神はゴミについて無関心だったのでしょう。その当時がゴミが気になるほど無かったのでしょうか。そうでなくても、臭いもの、汚いものは人間の責任で無くしましょう、くらいのことは、言い残しておいてほしかった。コーランやバイブルや仏教経典に書いてほしかった。 イスラム国家はどこでもそうですが、インドネシアでもイスラム教に対する批判はご法度です。しかし、人間の歴史も短いが、宗教の歴史などは遥かに短い、だから、宗教以前にもっと基本的な人間としても共通なモラルがあるはずだ。 嫌い 平気 不感
2012.10.27
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1380 二ヶ月ほど前から、盛んにニュース沙汰になっているが、何十年も前から、繰り返されていること、既に親になっている人達もやっていてその子供もやっていること。何世代に渡っても繰り返していること。今後何十年過ぎても、繰り返されるでしょう。犠牲者も何人か出る。その度に、文部省や学校関係の人達が対策について話をするが、何の効果も無い。今は大学生も大学同士の喧嘩が頻繁に起きている。一種の流行だ。収まっても、また、繰り返される。大学生や専門学校生の人数が増えているので、程度が低くなっている。それだけ、喧嘩の高校生化している。警察が介入するが、そうすると、警察と学生との泥喧嘩になってしまう。全土で、頻発している。インドネシアは今でも、リンチのようなものが頻繁に起きている。バイク泥棒が警察が来る前のボコボコにされるのは普通である。バスとバイクの接触事故でも、目撃者の誰かが、バスの運転手が悪いと言い出せば、群衆が運転手を引くずり降ろしてボコボコにするだけではなく、バスを滅茶苦茶の壊してしまおうとする。大勢で押して横倒しにしようとする。もう一つ、不思議なことは、その現場に有名テレビ局にカメラマンがオンタイムできていることです。一部始終を撮影している。その一部が放映される。Adjie Massaid Angelina Sondakh Reza Artamevia Kompol Brotosenoゴシップ、ゴシップ。四人の関係をご存じの日本人はほとんどいないと思う、知っている人は、かなりのミーハーです。私もその一人かな。どうでもいいことですが、今、ホットなゴシップは Angelina Sondakhアンジー ソーダが妊娠三カ月という事です。何故、ホットかというと、私の記憶は確かではないが半年以上前に収賄の疑いで留置所暮らしになっているはず。その間、子供や家族や関係者が面会をしているが、外泊したことは無いはずだ。その人が妊娠三カ月、その二か月前に、彼女の新しい恋人という記事で乗っていたのが、Kompol Brotoseno(通称、セノ)という男性、勿論、その人との子供に違いないと言われている。KPKの職員、弁護士、法務省など関係者が適当な意見を言っている。こういう事は初めてではない、と、言いわけにも何にもならないことを言っている。彼女は元ミスインドネシアで、国会議員である。若くして亡くなった元夫がAdjie Massaid(アジー)さんで、有名な俳優、かなりのハンサムで、人気があった上に国会議員に転身し、主にスポーツ進行に尽くした。もし、この人が生きていれば、汚職の疑いが掛けられたでしょう。コルプシ(汚職)の疑いはスポーツ施設の建設に絡んでいたからだ。そしてもう一人、Reza Artamevia(レーザーさん)有名な歌手で、アジーの最初の妻。間に子供が二人いる。彼女が捨てられた形で離婚し、国会で知り合ったアンジーと結婚してしまった。一人の子供がいる。彼がなくなった時にはレーザーと彼女が引き取った子供二人も参列していた。というわけですが、レーザーさんの歌の一つに上田正樹という歌手とのデユエット曲があり、彼がインドネシアへ来て一緒に唄ったこともある。というわけで、留置所にいる有名女性が妊娠三カ月というゴシップでした・ハギノのナイフ式自動カッター付き引取機、新品に見えますか。ラップトップのプロモ価格、350万Rp(3万円)ウインドウズ フィスタ7、完璧にインストールされていた。直ぐ、普通に使えます。保障1年です。ただし、ソフトは全てコピーです。ライセンスステッカーは貼られていません。べたべた貼ってあるものが何もないという事は、すっきりしていていいが、会社の中で使ってはいけません。会社の備品リストに入れては絶対いけません。場合によっては法外なペナルティー吹っかけられます。それは、予告なしで、突然やってきます。 汚職 留置所 妊娠
2012.10.26
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1379 Opa Gangnam Styleとして世界を席巻した韓国の歌とダンス。私は日本では流行らないと思った。インドネシアでは何か催しがあって人が集まれば、ダンドゥットゥのダンスをする習慣があるので、当然のようにガンナムスタイルの音楽を流せばダンスが始まる。多分、カラオケでも盛んに流されてダンドゥットゥとともに女の子は踊っていると思う。しかし、日本人の客は立ち上がってそのダンスを一緒になって踊る人は少ないと思う。酔っ払った勢いでもあまり参加しないと思う。日本人には盆踊りや伝統的な夏祭りの踊りに参加することはあるが、その他の時に踊りまくるという習慣が無いと思う。外国人が何かの機会に町で踊っていてもそれに参加する人は少ないと思う。韓国では日本で何故、ガンナムスタイルがヒットしないのか、ヒットしないことが、あたかも韓国嫌いの象徴と勘繰っている人もおおいらしい。K-POPはヒットしているし、韓国ドラマも、ヒットしている。なのに。何故?日本人の習慣に合わないとは、理解できないらしい。バブル期の渋谷界隈なら、道端で、また。歩行者天国で通りがかりの人が参加して群衆でダンスをしたかもしれないが、今は、そういう雰囲気になれる場所もないようだ。韓国の皆さん、そういう事情だから、世界中でヒットしたからといって、日本でヒットしなければ何かの陰謀だなど考えないでほしものです。順調に準備は進んでいる。押出機の試運転は終わった。スクリューの回転方向も確認した。金型は作ってあるが、押出機のヘッドと繋ぐアダプター部分は現物合わせなおので、今作っているところ、来週の頭に受け取れるので、火曜日か水曜日には試作を始めることができるでしょう。そうなれば、関係各社に仕事が始まりましたと宣言することになる。押出成型品なら何でも、いつでも、出来るようになる。開業宣言は10月末日にする予定だ。 それに先駆けて既に何点かの見積もり依頼が入っている。硬質PVCの話で余るやりたくないが、EJIPの某A社ではできないらしい。客先が困っているとのこと。 仕事を始める時には必ず必要な物、ボルトやニップル、ホース、継ぎ手、各種スパナやレンチ、こまごまとしたものをそろえなければならない。規模は小さくても大きくても無ければ仕事ができないものです。毎日、買い物に走っている。こういう事をインドネシアで何回繰り返したでしょうか、それでも、以前は、ジャカルタのコタ、グロドックまで行かなければ手に入らなかった物が多かったが、今は、チカラン、ジャバベカ、チビトゥン界隈で手に入るので、ずいぶん楽になっている。ミツトヨのダイヤルノギスなどは日本でも手に入りにくいがインドネシアのミツトヨが近くにあるので簡単に手に入る。 これらの建物?は全て違法建築です。法律によると最低一年は刑務所送りになると、警告看板が出ているが、全く無視されている。店が多いが例のカフェもある。奥行き2mくらいだが、ここに寝泊まりする。 ダンス 苦手 不人気
2012.10.25
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1378 昨日、お茶の話を出したのは静岡の人間としてのこだわりがあるからで、他の県の人は、お茶の色や味についてそれほどこだわらいと思う。先日、日本へ一時帰国していた、私が以前、手伝っていた会社の人で、静岡の中学の後輩が戻って来た時に黒はんぺんを買ってきてくれた。私自身は、インドネシアへ戻るときに必ずスーパーで10パックほど買って持ってくる。ただし、インドネシアで他の人へのお土産として渡すことは一切しなかった。理由は二つ、他人に上げたくない。自分で全部食べたいからです。それと、賞味期限はたった三日です。自分は10日間ほどの間に食べてしまうが、それでも、期限の三倍以上の日数が過ぎている。それで、私がお腹を壊したということは無いが、他人に上げて、今まで、食べたことが無い味だと評価されることは承知しているが、万が一、食あたりでも起こされたら大変である。賞味期限を過ぎている物を食べさせたという事になってしまう。彼はそれを勿論分かっているので、静岡のあちこちを探したらしい、賞味期限がせめて一カ月ほど、というパックを。しかし、見つからなくてあきらめた。ところが、日本出発当日の朝、静岡駅のキヨスクで見つけた、真空パックになっていて賞味期限が三カ月になっていた。それを、持ってきてくれたのです。私たちが貰ったのは、それから一週間後ですから全く問題なし。ゴルフが終わってから良く行く日本食レストランでコックに頼んでフライにしてもらった。涙が出るほどおいしくて、子供のころの黒はんぺんを食べたシーンが幾つも蘇った。10以上のシーンだ。 やはり、フライにとんかつソースをちょっと付けるのが一番おいしい。これにキャベツの千切りが山盛りに添えられていれば、何もいうことは無い。その他の主な食べ方は、軽く焼いて、ショウガ醤油で食べる。味噌汁でも澄し汁でも細長く切って入れる。ですが、その味を消さないように引き出すような料理がいいと思う。 インドネシアでは数年前、静岡の同じ高校の後輩がチカランで日本食レストランを経営している、そこで、彼が静岡から持ってきた黒はんぺんを客に振舞っていたが。そこでも、それきりで、その後は全く、御目にかからない。 焼津と静岡でしか売られていないと言われる黒はんぺん、理由は、日持ちはしないと聞いている。同じ製法で漁港の町ならどこでも作ることができると思うのだが、作らないのは何故でしょうか。こんなおいしいものを作らないのは不思議である。静岡のスーパーでは当たり前に大量に置いてある。安い、6~7枚入っていて80~100円以下である。 小学校の低学年のころ、小使いを5円貰っていた。多分、他の子は10円が普通だったと思う。駄菓子屋で5円紙芝居に5円というのが標準的な使い方だった。私は皆と遊んでいる時に紙芝居が来ると遊びを止めてみんなと別れて、そして駄菓子屋へ行って黒はんぺんのフライ(二枚のフライが一本の竹串に刺さっている)を5円で買って家に帰った。時間を掛けて食べた。おやつである。他の子は多分、水飴を買って紙芝居を見て、その後も遊んで、夕方家に帰る前に駄菓子屋へ寄ったと思う。 この写真の黒はんぺんはこの倍の包みで500円、高いが土産物用に多分、防腐剤など加えられていて真空パックになっているので、当然かなと思う。普通の黒はんぺんはもう少し小ぶりで、濃い灰色で茶色見は全くない。 チカランバラットのジャカルタ側からの出口ゲート、こんなガラ空きは奇跡的である。 おいしい 懐かしい リンドゥ
2012.10.24
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1377サントリーから売り出したボトルのお茶、MIRAIを買って飲んでみた。今まで、インドネシアで幾つも緑茶という売りこみ文句でボトル入りのテーが売りだされたが、全部甘い(甘すぎる)紅茶でした。今度こそ、日本の伝統的なお茶と言って宣伝しているので、日本のボトルのお茶の味が少しはするかと期待したが、期待はずれ、やはり、やたら甘い紅茶でした。生まれも育ちも静岡の人間としては、緑色をしていなければお茶と言ってもらっては困るよ、と思っているし、渋みや苦みが若干なければお茶と言えないと思っている。日本のお茶は体にいいと思って飲んでいるが、インドネシアのこの種のお茶は体に悪いと思って飲まない。 新発売の大宣伝をしている割合には、今までの甘い紅茶となんら変わらない。知らないで飲めば、新しいお茶と思う人はいないでしょう。インドネシアでお茶と言えばテーです。それもサリワンギという名前のチィーバッグがほとんど、独走している。それに砂糖をスプーンで何杯も入れる。解けなくて底に沈んでいるのが見える。かき回しても飽和状態なのでそれ以上解けないくらいに入れてある。テーマニスと言います。氷を入れて冷たくしたものをエステーマニスと言います。熱いままの物をテーパナスと言います。私はインドネシアのレストランや道端のテント屋台で食事をするときに飲み物としてお茶を頼むなら、テーパナスあるいはテーディンギンのタワールと言います。紅茶だけで他になにも入れないでほしいという意思表示です。黙っていると滅茶苦茶甘いお茶が出てきてしまうからです。みらいお茶はそのテーマニスです。それも、サンガット マニスです。私にとっては甘すぎるくらいの方がインドネシア人にとっては、合っているのです。サントリーは、それを知って、やたら甘いお茶を売りだしたと思うが、日本の伝統的なお茶と言って宣伝するのは、ちょっと、違うじゃないのと言いたい。こんなに甘いお茶は日本では飲まない。缶紅茶の甘いものでもこんなに甘くない。 26日はイドゥル アドゥハ(犠牲祭)です。また、一年が回って来た。道端のあちこちに牛と山羊と羊が売られている。犠牲になる動物の価格表です。ドンバは羊、サピは牛です。山羊はカンビンですがここには乗っていない。羊より安いと思う。クラスについてはどういう程度なのか全く分からないが牛の価格は羊の七倍くらいのようです。イスティメワはスペシャルという意味です。 韓国人の客が多い“足のマッサージ”の価格表、日本語は無い。私は一番安い一時間4万5千Rpというやつを受けた。若い男がマッサージするからだろうか、10ほどの区切りがあって、私を含めて5人の客だったが、他の四人は韓国の奥様たちでした。日本人の家族連れや奥様同伴の出向者はジャカルタにしか住まない(例外はある)が、韓国の人達はチカラン辺りにも奥さんと一緒に住んでいる。結構、若い人が多い。お茶 もどき テー
2012.10.23
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1376 私に対して、怒鳴った人に、怒鳴り返したことはある。その組織で私より地位が高い人達です。そういう人達が私より仕事ができるとは若いころから思えなかった。そういう人達は私より遥かに高額給料を受けとっていることも許せなかった。そういう人達は私に限らず、怒鳴る対象の人達に自分がやって手本を見せることはできない。出来ないのにも係わらず、自分が想定した速度でできなかったり、想定した機能を持った製品ができなかったりすると、“いったい、なにやってんだ“と、みんなの前で怒鳴るのです。“そんなにいうなら、自分がやればいいじゃないか”と工具を投げ出して、その場から、逃げ出し、工場の外回りを何回も回りながら、頭を冷やして元の現場へ戻ったことも何回かある。こんなことで、仕事を投げ出したら自分の負けだと思うからだ。結局は客先に説明をするのは私だし、満足される製品を作るのは私しかいないからだ。その完成した製品を持って行くのはその私を怒鳴った人である。しかし、客先は分かっている。客先の担当者も早く作ってほしいし、その製品を持って、主力商品にしたいから熱心です。私は土、日曜日に出勤して試作を当たり前のようにしていたので、客先の担当者も土日でも様子を見に来ることがしばしばだったから、私一人がその製品に関係していることは十分知っていてくれた。29歳で、サラリーマンを止めたのは当然の成り行きだった。当時の工場長は私が辞表を出して半年も受理しなかった。大学の時の先生や親会社の取締役をしていた私が家に招かれて囲碁の相手をして方に頼んで私を説得してくれたが、一度出した辞表を引っ込めるほど半端な決心ではなかった。半年後にやっと、離職票を受け取って、職安へ持って行くことができた。半年間、出勤しないで子守りをしていた。給料はいらないというのに、振り込まれていた。そういう私ですが、指導対象のインネシア人、社長時代の部下たちに対し、怒ったことは一度もない。カッとなって怒鳴ることなど出来ようがない。部下や教え子にたいし、世間でいう、“頭にきた“ことは、一度もない。しかし、上司の分からず屋には何度も“頭にきた”ことがある。思うように事が運ばない時には私の指導の仕方を考えなおす。充分指導したと思っていて、出来ない場合は、残念ながら、この人はこの仕事に向いていないと思う。他にこの人に向いた仕事があるはずだと、説得する。部下や指導対象者で、お山の大将的気分で、怒りっぽい人には、同じ程度の仲間と一緒にやるような仕事の場に変えてやる。部下の中には“社長は甘い。怒るべき時はある、そういうときには怒ってやることが、その人にためになる“と私にいう人がいた。”そうか、それじゃ、まず、怒鳴らなければならないのは、何々君だな“とその人間にいった。彼は黙ってしまった。だから、インドネシアで仕事をしている時にはインドネシア人に取って私は、何でも話せる良い人である。色々な個人的な悩みをきいてやるし、皆さんを食事に招待したり、ジャカルタへ連れて行って、ボーリングやアイススケートやジェットコースターなど、全く、経験したことが無いことを経験させたり、夜学に通う人に学費を出してやったり、社内のチェス大会や卓球大会など後援をしたり、とにかく、皆さんの職場が楽しくなるように支えた。勿論、技術指導に必要な言葉は半年でマスターしたくらいだから、日常会話などはもっと早く覚えた。こういう技術指導者(テクニカル アドバイザー)の身分の私の存在が邪魔になるのは当然かもしれない。組織のプレシデント ダイレクターやマネージャーの日本人にとっては、全てのことが彼らには出来ないことだし、やろうと努力しようなどとは思いもよらないこと、そんな余裕も気配りも行動力も補助心も持ち合わせていない。ただ、思うようにさせたいだけ、それができなければ、怒鳴るだけ。着任早々、本社の当時のNO2のO常務が、インドネシアに来た時に、いきなり、「太田さん、あんたみたいな人(仕事の手伝いをするよう外部から呼ばれた人、そういう人は役立たずで給料だけ持って行く、と、彼が思っている人達)は本社に大勢いる、とにかく、何もしないで、契約期間が終わるまでじっとしていてくれればいい」と、おっしゃった。また、押出しの現場の環境のことでその常務に提案をしたら、「あんたは、ないも言わんでええ、黙って見とりゃあええ」と、名古屋弁?で怒鳴られた。インドネシアのプレシデント ダイレクターやマネージャーはその人の子分たちだった。それ以後、常務がインドネシアに来ても、まったく、しかとされた。挨拶をしても、知らん顔された。それほど、私のやることは、気に入らなかったのです。インドネシ人に受けがいいことを気に入らなかったのです。彼らができないことを私を使ってやればいいのに、そうして、インドネシア従業員が素直に彼らになじむようにすればいいのに、そういう、能力は彼らにない。 それらの人は、今は、どこで何をしているのでしょうか、今は、組織から外されている。 カキリマを運んできても、ここで商売してもいけない、禁止と書いてる看板の前でカキリマが商売をしている。 火炎樹と散り落ちた花弁。能力 実行 補助心
2012.10.22
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1375 その方一人の日本人。66ナイロンの射出成型品を作って20年の人、押出成型については全くの素人。プラスチックの原料は何であっても、射出用、押出用、何とか用と成型方法によって溶融特性が異なる原料を使うということを知らない。インドネシア人の私の指導した若者は。それを知っている。常識的に使い分けている。そういう知識がこの人には無い。V06ナイロン(炎を遠ざければ自分では燃えないで火が消えてしまう6ナイロン、自己消化性6ナイロン)の成形をするときに溶融粘度を上げるために普通の押出用6ナイロンを数%混ぜていた。難燃材が多く混ざっていると、溶融粘度(溶けて口金から出てきたときの硬さ)が低くなって押出しには向かなくなり成形をしにくくなる、収率が落ちる。そこで、工夫をして、他人ができない製品を作るのです。私にとっては、貴重なノウハウである。自己消化性は失われていないことは確認していた。昔、射出用の原料しかない時に、熱硬化性のエポキス樹脂を混ぜて、誰もできない製品を作り上げたこともあるし、66ナイロンに押出用が無い時には、6ナイロンの押出し用を混ぜて完成させた。いずれも、日本では誰も作れなかったプロファイル製品を作り上げて、客先に提供し、客先は、それを基礎に事業を拡大できたという代物でした。多いに喜んでいただいた。それがもとで、何とか勲章の表彰を受けた人もいるくらいだ。私に対するパワハラの真っ最中、うまいものを見つけたと思ったのでしょう。彼曰く、「原料偽装、とんでもないことをしていた」と、私を怒鳴ったのです。「こんな製品を納入し続けることはできない、客先に本当のことを言って、謝って、納品を止める」とまで、言った。その後、私は押出部門から干されることになった。「もう何もしなくていい」というのです。例の社長も同意して、その人が押出も見ると宣言した。私は全ての仕事を取り上げられたのでした。会社に通勤するが、何もするなということだ。その製品について何をしたかというと、射出用のVO66ナイロンでやれと押出スタッフに命令したのです。それこそ、原料そのものが違うし、とろとろ、垂れてしまう射出用原料では横に引っ張ることもできない。勿論、やれと言うだけで、自分は溶けている樹脂を掴むこともできない。彼はナイロンにも色々な樹脂があって、それぞれ、全く違う特性を持っていることを知らない、ナイロンとは、自分が扱ってきたナイロンしかないと思っている。もし、6ナイロンの製品を66ナイロンで作って納めたら、偽装どころか大間違いの製品を納めることにある。しかし、射出用だから、押出し製品はできるはずがない。私の教え子たちは困ってしまうばかり。できないと報告したら、「太田は、いったい何を教えていたんだ」と言っていたという。結局、私がその会社から去った後も、その製品に関して客先に説明を出来ないし、代替えの製品を持っていって、これに変えたいということも提案できないし、客先は問題なく(というより喜んで)使っているのだし、そのまま、納め続けたという。充分な利益もあげていたという。 ちなみに、ナイロン(ポリアミド樹脂)マミド基(NH2-)を持った樹脂の総称で、一般的にプラスチックとして使われているだけで、6ナイロン、66ナイロン、6,10ナイロン、11ナイロン、12ナイロンとある。それぞれに難燃性、耐熱性、可塑性などを挙げる効果のある無機物や化学的化合物を混ぜた種類があり、分子量の大きさを調整して各種成形方法に適した溶融粘度を作り出している。すべてが明らかに違う樹脂になっているが、混ぜれば、無限大の種類の原料を作り出すことができる。しかし、ただ、かき混ぜるだけで溶かして成形しても化学的に結合しないので、剥離してしまう関係の樹脂同士もある。理屈ですが、このくらいのことを知っていることが、ナイロンを扱う人の最低条件です。 花と寝転び 無知 夜遊び プッツン
2012.10.21
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1374 どんな経緯であろうが怒りっぽい人間は大嫌いだ。私は子供のころから普通の状態では怒ったことは一度もない。怒る人間に対しては、こちらが怒りを感じる。だから、私に対して怒って来た人間には怒り返す。上司であろうと、年下だろうと、相手が冷静さを欠いて、私が納得できないことで、プッツンしてくれば、こちらも、怒鳴り返す。それでも、中には、そんな奴を相手に、怒鳴り返しても、こちら、後で、不愉快になるだけと、この人は気の毒な人だと、同情し、放っておく場合もある。次の人は、その気の毒な人です。いい大人が、可哀そうにと思うだけである。インドネシア人に、かっとなって、怒る日本人は、日本人に怒らないということはない。抑えている分、怒りだすと強烈になる。自分より地位が低い人と思えば誰にでも怒鳴りつける。私に、他人の悪口を言う人は、私の悪口も他人にいっている。自分より地位が高い人には腰を曲げて御世辞を言うし、ごもっともと、持ち上げるが、蔭では悪口を言っている。「その製品はどういう製品か見たことがありますか、」と聞くと、「見る必要などない」という。「原料が何か知っていますか、原料価格は幾らぐらいか知っていますか」と聞くと、「そんなこと知る必要は無い」とおっしゃる。その製品はボールペンのペンホルダーという製品で、8φで長さが120mmのパイプです。二種類の樹脂で縦方向に縞模様にしたものです。勿論、インドネシアでは始めての製品です。その一本の価格は800Rpでした。三年ほど毎月2~3万本注文が来ていたが半年前ほどから注文が途絶えてしまった。そのデザインのボールペンを売らなくなってしまったからでした。その時から、2千本ほど長期(といっても半年)在庫になってしまった。当時のレートで約2万円の在庫である。何とか引き取ってもらうように交渉して、間もなく、引き取ってもらうことになっていた矢先、社長から、呼び出された。かなり、怒っている顔だ。その顔は以前に私にも向けられたし、インドネシア人に対しては毎日の顔だった。「太田さん、2百万円の在庫を何故、ほっておくんですか」とおっしゃる。明らかに単位をドルと勘違いしている。そこで、最初に書いたように、聞いたのです。「そんな金額が帳簿に残っているのですか、何かの間違いですから、もう一度、確認してくだい」と、丁重にお願いした。「間違えているはずが無いでしょ、確認済みだから言ってるんだ」と、声が大きくなった。こういう人は始末が悪い、どうにもならない。「間もなく、引き取ってもらうことになっていますから、在庫は直ぐになくなります」と返事をし、それで、その場は切り上げさせていただいた。後ろから“まったく、もう”という声が聞こえた。 一週間後、売上伝票が回ったはずだ。2万円を見て,2百万円売りあげたと、喜んだのでしょうか。その製品の在庫がなくなって、してやったりと思ったのでしょうか。その後、そのことで、何も言ってこなかった。 これは一つの例に過ぎない。それ以前もそうだったが、このことで懲りずにその後も見当違いの怒りが私に何度もぶっつかってきた。もう、どうにもならない、たった二人を除いて、インドネシア人全員が私に同情した。そのたった二人は、社長の横に座っている通訳兼秘書らしき女性でした。もう一人は、程度が低い同士で気があっていた日本人でした。お互いに慰め合っている様子だった。 三人ともヒステリックに怒鳴って自分の思う通りにさせるしか方法が無い。私なら、言って納得させてやってもらうとか、自分がやって見せてからやってもらうとか、雰囲気を和やかにしてやってもらうとか、怒り以外でもやらせる方法はいくらでもあるが、彼らにはそれだけの知識もなければ率先行動力もない。ユーモアなど全く持ち合わせていない。 到着した押出機
2012.10.20
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1373 意外にも、昼前、押出機三台、ナイフカッター付き引取機二台がタンジュンプリオクから到着した。これで、大物の装置は揃ったことになる。十何年もインドネシアで技術指導をしてきて、何ライン作ったでしょうか、恐らく、20ライン以上作ったでしょうか。最初は一ライン一千万円くらいかけて日本から持ってきたが、十ライン以降はインドネシアで中古押出機を買い、引取機などの後続装置はインドネシアの町工場を指導して作ってもらった。一ライン四百万円くらいでできた。今回は、押出機を、私が昔使ってた太田化工に置いてあったものをほとんど運賃だけで持ってきた、後続装置は水槽とスパイラルカッター付き引取機だけをインドネシアの町工場でつくってもらったので、一ライン二百万円ほどで整えることができた。今、日本で、チューブ製造一ラインを手に入れるには2千万円が相場でしょうか、事実、ここ数年以内に、自社で使うチューブ製造装置を日本で買って持ってきた会社を二社知っている。一社は一台の押出機から二本取りをするライン、四千万円かかったそうです。それも、収率が良くないし、稼働率も50%以下なので、他の仕事を取りたいが、他の種類は出来ないという。太田さん、買ってくれないかと言われたが、丁重にお断りして、その会社で使うチューブの内、その装置では出来ないものを、私が作って納めていたので、今はN社がお手伝いしている。まだ、直ぐに装置を動かすことはできないが、全ては社内で準備をすることが残されているだけなので、スケジュールを立てやすい。今月中には全ての準備を完了し、始動スイッチオンをしたいと思う。長い間待ったが、待たされたという気はしない。順調にことは推移していたが、その順調はインドネシアでの順調なので、とにかく、ゆっくりである。私はその行程で、何もできない。お任せするしかない。それを、分かっているので、焦る気持ちは無かった。御客さんになってもらう方たちにも、何も、日程については話さなかった。これからは、他人に任せることではなく、自分でやることだから、話をすることができる。稼働までのスケジュールを建てなければならない。 一人だけ、かなり遅れて私の教え子になった若者をリーダーとして入ってもらった。前の会社ではカルヤワン トゥタップ(正社員)になれなかった人です。今、問題にされているコントラクト(契約社員)のままの人です。私の10年以上の元部下たちの全員は正社員になっているので、給料もある程度高く設定されている。トップは10ジュタ貰っている。平均で6ジュタくらいだろうか。そういう人を私のもとへ呼ぶことは無いし、もし、今の会社を止めてしまっても、私は拾わない。心境としては1996年にインドネシアへ上陸し、仕事を始めた時とほとんど同じなので、最低賃金の若者を採用して、育ててゆくつもりだ。 急こう配の急カーブの道、スキーでパラレルをしている気分。ジャワ島中央部の山岳地帯では珍しくない。すれ違うことができない、山賊が出そうな山道、実際に山賊に会ったことは無いが、若干の不安を感じる。 揃い踏み 高ぶる ついに来た
2012.10.19
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1372 押出機や引取機、カッターはタンジュンプリオクに着いている。明日辺りに搬入されればいいなと思うが、内容チェック中とか、いつ始まるのかいつ終わるのか、いつ搬入されるのか、タイムテーブルは作れないが、インドネシアのことだから、全く予想がつかない。その他の準備、主に試作に使う金型と原料の手配だが、おおむね、揃ってきた。試作には何百キロもいらない、せいぜい、25~50Kgもあればいい、しかし、種類は多ければ多いほどいい。原料屋にサンプルを頼んでも少量購入となれば手に入りにくいし、価格が高くなってしまう。これには今までお付き合いした方々の協力なしでは、簡単にできないことだが、幸いにも、快く引き受けてくれる方が多くて大変助かった。ゼロから仕事を始めるのは何回目でしょうか。どんな原料でも。始めて手に入れた時の喜びは本当に良いものです。ありがたい。 インドネシアには私の教え子が最低でも50人はいる。その内の半数以上は16年前18~20歳だった人たちである。彼ら彼女らはインドネシアでのエンプラ押出しに先駆者です。その人たちが、三社で重要な位置に着いている。今や年齢も三十代の後半、脂が乗り切っている年代です。それぞれは、会社の営業が仕入れてきたアイテムをできるかどうか判断し、日本人に伝えている。日本人がやると決断すれば彼らが実行する。 ただし、日本人が引き受けようと決断するには相当リスクを感じるらしくて、断ってしまう場合もある。会社の営業が仕入れた話の他に、これだけ長く押出しの仕事をやっていれば、現場の人間たちにも“お前のところでできないか”“お前のところでやってもらえないか”という話は舞い込んでくる。ところが、それらの話は、その会社の営業には話をしない。何故でしょうか、理由ははっきりしている。自分に見返りが何もないからです。また、話をしても、もみ消される可能性が高いからです。やってほしいと言った人に対する期待を裏切る可能性が高いからです。余計なことに首を突っ込みたくないからです。そういう話を受ける環境を作ることが大切ですが、そこまで、頭が回らないのが普通の人です。 もともと、私の仕事はホビーの一つですが、年をとるにつれてその度合いは高まる一方。インドネシアで誰も引き受けない仕事をやって行く意欲は衰えない。これからも、以前と同じように、色々な仕事を断らずにやってみようと思う。今までたくさんのそういう仕事をこなしてきたが、その教え子たちから聞いているだけでも、やみくもの引き受けてしまうわけにはいかないが、まだまだ、在ることは確実である。 ヒュンダイの工業団地を過ぎてデルタシリコン2に入る、なおも進むと、こういう景色になる。デルタシリコン5とか6でしょうか。時間が無くて、端まで行かなかった。とにかくここも広い。 原料 機械 人間
2012.10.18
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1371 11月始めの私の誕生日まで、束の間の同じ年である。現役を引いて久しいが、ボランティアで色々な役目をしていて、忙しい生活をしているようだ。私が日本にいると、余計な仕事が増えるので、いない方がいいらしい。銀行から自動で支払うことができる家の全ての費用は私の預金から払われているのだから、いなくても、文句は言わない。必要な時だけ帰ってきてほしいらしい。12月初めに帰国予定だが、その時は、私がいなければならない行事があるからだ。電話をする。 長距離運転旅の要領 1 私は疲れることは無い。給油やトイレで止めるだけで、何時間でも運転し続けることができる。といっても、8時間ぐらいか。それも、水を飲みながら、何かを摘まみながら、ちょっとした風景に当たれば写真を撮りながら、偶に車から降りて通り過ぎた風景を撮ることもある。あまり、運転をしているということを考えないし、意識をしていない。視線を何かに集中することは無い。ただし、分岐点に差し掛かった時だけ、緑の板に白文字の道案内板を探す。木陰に隠れているので、在れば、一時停止して看板を読む。 2 現在、インドネシアで至る所にポンパ ベンシン (ガソリン スタンド)はある。山の中でも、一般の車が走ることができる道なら、5Km以内に右か左に必ずある。目立つので、決して見逃すことはい。マスジッド(イスラムのお祈り場)とトイレは併設されているので、給油をしなくても寄る人は多い。コンビニもそこにはある。ネットへ接続もできる。 3 ジャワ島なら全島、大きな町にはバイパスのような町の中へ入らなくても通過できる道がある。看板で“コタ何々”と書いてある方向へは行かないで、その町を通り過ぎた町の名前が書いてある方向へ進む。コタは町中という意味でもある。バイパスが無い町では、メイン道路は片側二車線になっているので、中央寄りでなく道端側を走る。アンコッタが邪魔だが、大型トラックは中央寄りを走るので、その方が見通しが効くし、早く通り過ぎることができる。どこかで書いたが、高速道路はバストラックは左側の車線を走ることを義務付けられているが、一般道は中央寄り(日本では追い越し車線)を走ることになっているらしい、左車線が追い越し車線になっている。 4 眠気が来るのは自分のコンディションに依る。夜中に走ることもある。臭い物(例えば、自分が履いていたソックス)の匂いを嗅げば眠気がすっ飛ぶということは分かっているが、そんなことはしないで、ボトルの水を顔に掛ければ眠気が吹っ飛ぶ。 5 こちらの人は算数の計算はできないが、地図を見たことが無い。地理の教科書にインドネシアや世界地図があるのにである。私はその教科書地図をもっていてそれを見て土地の名前を確認している。道を聞くときに地図を見せて、今、この地図のどこですかと,尋ねて、ここです、と、指さして答えることができる人はいない。だから、地図を見せるのは無駄。行きたい場所をいうだけである。70%位は信用できるが、間違って、というより、適当なことをいう人も多いので、変だと思ったら、まめに聞くこと、町中なら、オジェックやベチャのトカン(運転手)に聞く。 5 メイン道路のどこにでもホテル、ホームステイ、プンギナパン、ロシメンの看板はある。休みたくなったら、泊まる場所を見つけるのに困ることは無い。日本人向きかどうか、私はどうでもいい。 6 パンクをする確率は日本より遥かに高いと思う。しかし、道端にはタンバルバンと書いた看板が、頻繁に出てくる。コンプレッサーが店の前に置いてある。釘が刺さっているくらいなら10分で直る。一万Rpで充分。 7 山に入ると、道の様子はジェットコースターのようになる。坂の角度は半端ではない。立ち往生しているトラックはあるし、登ってはいるが、今にも止まりそうな車もある。登り切った先の道がどうなっているか分からない道も多い。追い越しを掛けなければどうにもならない。追い越しは簡単である。躊躇しないことです。前から車が来ても途中で止めないことです。絶対、前方の車は減速か停止をします。そう信じます。何百回、それ以上でしょう、追い越しを掛けたが事故になったことは無い。 隅を走って自然に内側へ寄る、再前方は二車線になっている。 大外を回って右折する。 疲労 眠気 給油
2012.10.17
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1370 ジョコ ウィドド(ジョコウィ)、バスキ氏コンビのジャカルタ州知事と副知事が就任した。お祭り騒ぎ、人気先行のモテモテの雰囲気だが、どうでしょうか,問題山積のジャカルタ、全てのことに関して、今より悪化させない現状維持も難しいでしょう。それにしても、就任式の制服?が軍服?なのは何故でしょうか。違和感を覚える。 心得ていること、1 バイクも車も、右からでも左からでも、交差点でなくても、出てきたら、一旦停止はしないで、必ず、私の車線に入ってくる。赤信号でも左折はOKという交差点がほとんどである。2 右側で駐車している車は後方確認しないで。ウインカーも点滅させず、取りあえず突然発進する。3 バイクも車も方向指示器は信用できない。例として、右折するために右のランプを点滅させる、それはいいが、左へ寄るのです。そして、後続車を中央車線側からやり過ごしてから、やおら、右折するのです。中央寄りで対向車を待つ、日本的な車と半々ぐらいです。消し忘れ、点け忘れ、どうでもいい、いい加減、とにかく、信用しない。4 二車線以上の道では、割り込めるほどの車間が無くても、割り込んでくる車は当たり前に在る。5 右折車線、左折車線、直線車線という考えはほとんどない。三車線の交差点で、中央車線から右折する車も在れば左折する車もある、右折車線から直進する車もある。 空いている車線は必ず空いたままにしておかない、必ず、後続車は空いている車線に入ってきて空きを無くす。路肩も含めて、一車線や二車線増えることも当たり前である。遠慮しているとクラクションを鳴らされる。 運転術 1 常に冷静に、割り込まれても、クラクションを鳴らされても、無感情でいること。2 渋滞の車線に進入する方法、アンコッタが来たらチャンス、左に寄ろうとしながらゆっくり走っているので、窓を開けて制止すればなおゆっくり走ってくれる。バイクが集団で来た時も同じ、車線変更のチャンスでもある。3 右折でも左折でもUターンでも二車線以上の時には、一番外回りをする。回り終わった時には一車線になる場合が多いので、内側からの車を抑え込むように速く回れる。4 渋滞になったら、左端車線か路肩に移動する。渋滞の時の路肩走行は捕まらない。確率の話だが、中央寄りよりは速く渋滞を抜けることができる。5 料金所に沢山ゲートあって、前で渋滞している時には、直進ゲートより、遠い隅の方が、行列が短いので、端に寄る。5 枝の道からメインの道に出て右折する時、右から来る車を止めて右折させる人が必ずといっていいほどいる。信号の役目をしている。1000~2000Rp渡す。しかし、車線を渡って右折しなくても左側に侵入して暫く行ったところにUターン場所が在れば、そちらを選ぶ。その方が安全だと思うし、速いし、お金をいちいち準備しなくていい。ガソリン代はほとんど変わらない。6 例えば5車線になっていて、前方で2車線になる時のように、扇の要に集まるような道では真ん中にいないで端の車線から斜めに真ん中へ寄って行く、直進より割り込みの方が強いからです。チカランバラットの出口が典型的、右端の列に着いて、前の車に離れず、着いて行けばいいのです。それに、端にいれば片側だけ注意すればいい、中にいれば両側を見なければならない。 ディエンのヒンドゥ遺跡、チャンディ アルジュナの現在と数年前。どこか違います。 コツ 空き 斜め
2012.10.16
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1369 “怖くて、とても運転なんかできないよ”という人が大部分です。中には、運転をしたくて、工業団地内のレストランへ行くときだけ、運転手を使わない人はいる。良く運転する人で、日曜日のゴルフ場、それも、近場に限る。工業団地内や日曜日なら渋滞が少ないからです。日系の会社は全部と言っていいでしょう。日本人が自分で運転することは許可しません。私は自分で運転するリスクより運転手を使う不合理さの方が我慢が出来なかったので、16年前、赴任して半年後には運転手を使うことを拒否した。1 乗る前に運転手と車を待たなければならない。この時間のロスは我慢がならない。2 運転手の運転技術が私の思う運転と大きな開きがある。車間距離、速度、アクセルやブレーキのタイミング、車線の選び方、などなど、違和感がある。3 車内の温度管理や風向きを運転手が私に合わすことなど不可能です。4 他の運転手と賭けごとをしながら待機しているだけで、給料、残業手当をもらえることは、一般の従業員に不公平感を持たせる。そんな運転手にお金を渡すなら、他の人を援助した方がいい。 それ以降は会社に一筆書いて運転手を使っていない。車も会社の物ではなく、自分で買った。空港へ送ってもらう時だけ、他の人の運転手を借りることが唯一の例外です。 その間、事故に遭ったことは何回かあるが、怖くなって、運転を止めようと思ったことは一度もない。走行不能になった事故は二回、バイクが車の横へぶっつかってきて、サイドミラーやドアーを破損させられたのが二回、坂道で前のトラックが下がってきてバンパーを壊されたのが一回、これらは、私に落ち度は無い。ただ一回だけ、ゴルフ場の駐車場で、駐車場所にバックで入れようとして隣の車の前部バンパーの隅に当てて、へこませたことでした。日系のある会社の社長の車でした。運転手を呼んで、名刺渡し、後日謝りに行った時には、保険で修理済みでした。勿論電話でそのことは前もって知らされていた。バリで買った木の彫刻、“オラン マル”を持っていって、その説明をした。 ”ちっとも怖くない“インドネシアでの運転は日本でより、気を使わない、日本より自由である。違反で捕まる心配はほとんどしない。もし捕まっても、日本人は吹っかけられるが、それでも、その場で二三千円ほど払えば、済んでしまう。 “なるほど、私もそう思う、だから、自分で運転しよう”と、思う日本人は誰もいないでしょう。私も他人には勧めません。 リッポチカランのルコタムリンの一角。これらの中にマッサージやカラオケ、その他が何軒あるでしょうか。気楽 解放 自由
2012.10.15
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1368 “ガンナム スタリルではなくガンリマ スタイル”というジョークが分かる人は、ちょっと、インドネシア語ができる人かな? “みらい“mirai ocyaという商品名のボトル茶のコマーシャルが盛んに流され始めている。「がんばって」と平仮名で書かれた幟が何本も背景になっていて、和太鼓を叩きながら、Gambatte Gambatteと連呼している。新発売のお茶でしょう。私は、まだ、飲んでみていない。以前にも緑茶?(tee hijau)といって売りだされたお茶が在ったが、妙に甘くなっていた。渋みのある味ではインドネシアでは売れないのではないでしょうか。この“みらい“はどうでしょうか。 “Shinzui“”Masako“”Hadarabo“”Katana“”Ninjya“”Kodomo“などなど、まだまだ、沢山あります。日本語がそのまま商品名になっているのです。新しく生まれる物、消えて行ってしまうもの、色々です。しかし、次第に増えていることは確かです。それぞれ、何の商品名か分かりますか。商品と言葉が繋がらないものもあり、インドネシアに住んでいない人には分からないと思います。“Kozuii”コウズイと聞こえるがこう書いてある商品などは。まったく、商品と意味が違います。 その他に、日本で売られている商品が同じ名前でそのまま売られている物は数え切れません。健康食品、スポーツドリンク、洗剤、オムツ、化粧品、生理用品、消臭剤、薬品、蚊やゴキブリ駆除剤、生活に密着した必需品は全て日系の商品です。これからも、どんどん、日本から進出して来るでしょう、日系企業同士の競争が一層熾烈になってきます。日本語がそのまま商品名になる製品もどんどん増えてくるでしょう。 日系企業の商品でなくても、宣伝の中に“日本の技術を使っている”と、はっきり、言っているコマーシャルも多い。ジェパンという言葉が良く聞こえてくる。最近発売さえた、日本では病院や会社の玄関などに置いてあるような手の消毒液は、それの典型だ。 有名なレストランチェーン、日系企業ではないと思うが、“ほっか ほっかべんと”Hokka hokka bentoの最新メニュー、天ぷら、エビ天がメインらしいが、大宣伝をしている。 インドネシアの田舎の典型的な風景、人がいますが分かりますか。がんばって 氾濫 独占
2012.10.14
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1367 ここ何年間に高速道路の通行券の自動発券機が設置されるようになってきた。日本のように日時や車のナンバーの一部が印刷されているわけではない。ただ、どこのインターから入ったか分かるカードである。今まで、人が渡していた物を箱からベロっと出てくるのを引っ張り出して掴むのです。その装置の面白いところは、券が出てくるのが遅いので、列が長くなった時には、人が出てきて、装置より10mも20mも前で券を渡す。この方法は、以前も窓口で待っていて渡していた時も、列が長くなれば、人が出てきて渡していた。内容が単純だからできる技です。自動化されても、必ず、そのあたりに人がいなければなりません。故障で券が出てこない場合も多いし、トラック用は高い場所セダン用は低い場所と上下二か所から出てくるが、センサーが誤動作して、セダンなのに上から券がでてくる時もある。その逆の時もある。後ろから見ていると面白い。運転手は近いので気がつかない。手を伸ばして、振っている、出てこない券を催促している。担当者は常に監視しているらしくて、割合早く出てきて、券を渡している。遮断機が開かないこともしばしばである。 遮断機ではなくて青と赤のランプで通過していいか、まだかを示しているが、券を取らないで赤の状態で通過してしまう車もある。特に列が長くなって券を遥か手前で手渡しで受け取った人はどんどん通過していいわけだが、貰っていないのに、貰った人と同じように通過してしまうのです。 インドネシアでは自動というかオートというか、そういうシステムはまだなじみが少ない。自動販売機はジャカルタの空港など大きな都市の空港に設置されているが、あまり、使っている姿を見かけない。決して安くないし、同じものを売っている店がそのあたりに沢山ある。自販機は信用されていない。そして、その近所に自販機を見張っている人がいる。以前、モナスの地下の歴史博物館?にコーラの自販機が在った。その横に人が座っていた。 車のオートマ車の普及速度が日本ほどではない。私がキジャンのオートマ車を買ったのが1998年でした。インドネシア国産オートマ車の走りでした。マニュアル車より15万円ほど高かった。今もその時と同じ価格差です。オートマ車の方が高いのです。インドネシアの人に聞くと、“故障しやすく交換部品が入りにくい“から、買いたくないという。“運転方歩が分からないから”という人もいる。1000CCそこそこの車も大部分はマニュアル車、当分、価格の設定は今と変わらないでしょう。自分が運転しないで、運転手を使う習慣もオートマ車で高い車を使う必要は無いというのが日本人の考え方でもある。 洗濯機も一層で脱水までやってしまうものはまだ売りだされていないと思う。全自動ではないのです。 インドネシア人は自動の物がいったん故障すれば、もう、当分使えなくなってしまうと思っている。空港の一階二階を往復するだけのエレベーター、今は直っているのでしょうか、半年以上は故障のままだったと思う。 各地の交通信号、新設しても直ぐ故障してしまう。使えなくなって、そのままになっている物が多い。結局、警官や近所の人がいて、交通整理をして、お金を受け取っている。 自動 故障 担当者
2012.10.13
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1366 山葵畑とクンタンゴレンの製造現場を見学する前に、サンライズを拝みに行った。04:00出発、真っ暗の中、車で15分ほど、かなり、狭くて凸凹の道を進む、一応駐車場に車を止めて、直ぐ、歩き出す。というより、登りだす。かなりの急斜面、左片側は断崖絶壁、反対側は右手で壁を触るようにして登る。普通の人では無理でしょう、と思えるような登りだ。私は四回目、今回は足元の雲海が消えず、ヲノソボの町を見下ろしことができなかった。上空に雲が全くないので、その雲からの反射光が無いため、スンドロ山は赤くならなかった。しかし、今日の景色も、一興だった。06:00下山。その足で、クンタンゴレンを作っている場所へ行った。ディエンから11Km西の町、バトゥール。朝市の真っ最中、狭い道が一層狭くなっていて、人をかき分けるように、超ゆっくりで車を進める。工場へ着いた。と言っても、大鍋が三つあるだけ、皮むきは家庭で使う、栓抜きのような形をしたもの、薄く切る道具は、鰹節削りの大きいもの、非常に台所的、こんなものかと思うが、油や塩にノウハウが在るのでしょうか。ディエンに二社在るという。そのすぐ近くに山葵畑が在った。在る、日系企業がオーナーだという、かなり広い、まあまあの斜面に黒い網で覆われた一体が見える。その下に正真正銘の山葵が見事に栽培されている。葉っぱを摘まんで食べてみた。辛い。ここで、収穫された山葵や茎や葉っぱはバトゥールの工場で洗われて、スマランの工場で、粉砕して、振り掛けや練りワサビの原料を作って、日本へ輸出するということでした。以前は、ディエンにこんな規模で商売になるの?と思うくらいの面積だったが。其方には今は無かった。今は、写真の規模の畑が他にも三カ所あると言っていた。今は、山葵の根の部分の収穫はしていない、茎や葉っぱの収穫だけ、根の収穫は、一年に一回だけだそうだが、茎や葉はその間三回収穫するそうだ。捨てる部分は全くなし。日本はどうでしょうか。 日本の安曇野や安倍川奥や伊豆天城の清流で栽培している人達はショックを感じると思う。何も清流などはいらない。適した気候が在ればいいだけらしい。確かにここの湧き水は飲めるし、澄んでいるが、沢のように流す必要は無い、土に水分が十分なら良いので、水を掛けているだけ、雲、霧に覆われる時期が多いので、水やりはほとんどしないという。茶色に変色しないように、黒い網で覆ってあるそうだ。日本でだってこの方法で簡単にできそうなものなのに、やらないのは何か理由があるのでしょうか。ディエンに小規模だが、ギンセン畑もあるが遠くから見ると似ている。 これじゃ、多分日本の何十分の一の経費しか掛らないと思う。私たちが口にしている振り掛けや練りワサビの表示にインドネシア産と書いてあるのを見たことが無い。どうでしょうか。 もう一つ、気になった果物がった。パパヤ ディエン チャリカである。形は一人前だが小さい、太さは5Cm長さは7Cmくらい、熟すと黄色くなるが、おいしくないし、柔らかくもならない。小さく切って砂糖汁で煮て、瓶詰めで売っている。乾燥してスライスし、砂糖をまぶしても売っている。とにかく、ディエンにしか無いらしい。ジャガイモ畑の畔道のようなところに植えられている。 高原野菜なら何でも作っている、ちょっと目に付くのは、キャベツ、タマネギ、白菜、人参、日本なら八ヶ岳の麓、清里や野辺山など小海線沿線の雰囲気と似たところが在って、日本人が懐かしく思うような場所だと思う。 残念ながら、日本人の観光客が来たという話は聞かない。商社の人が仕事で来るくらいのものらしい。交通の便が良くない。ジャカルタから飛行機を使うならジョクジャかスマランだが、そこから、車で3~4時間かかる、それも、日本人が想像できないほどの急な登り下り、急カーブの連続です。麓のヲノソボに泊まって、朝早くから出発し、一日中、私が行ってみた墓所を訪ねたらいいと思うが、どうでしょうか。行く気になる人はほとんどいないと思う。 地熱発電所から水蒸気が登っている。ガルット近くのパパンダヤンとともに地熱発電の先駆的な場所である。 結局、ディエン辺りにいたのは、18:00から翌日の09:00まで、その間、ホームステイでくつろいでいる以外、外で行動したのは5時間だけである。帰りは来た道とは違う。プカロンガンを目指した。この道も分かりにくい、表示が無い本当に狭い道、不安に思うが、その道しかないと信じるしかなかった。どうにか、北海岸へ出ることができた。 山葵 チャリカ 中部ジャワhttp://otaenplaext.net/newpage36.html 旅行記http://otaenplaext.net/newpage35.html 写真集http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html以前の旅行記http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0308.html以前の写真集
2012.10.12
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1365 ヒンドゥ遺跡と地熱発電と野菜の高原です。昨日、05:30に家を出て、北街道をひたすら東に進み、プカロンガン、バタンを通過、ウェレリと言う町から南下し、途中にディエンと言う看板が見えたから、左折して山に登り着いたのが、06:00でした。実は、ウェレリを通り過ぎてクンダリまで行ってしまったのです。一時間以上のロスでした。とにかく、インドネシアの道案内、道路標示は分かりにくい。と言うより、数が少なすぎる。道の途中には、この道はどこへ向かっているというのが全くない。在る程度大きな、交差点にしかない。ちょっとした分かれ道程度では標識は無い。また、標識のほとんどは、どういうわけか、大きな木の葉っぱで隠されている。半分も見えない標識が多い。私は標識が在れば、過ぎ下で車を止めて確認する。それでも、今回は曲がるべき場所にDiengとかWonosoboといった、私が目標としている場所の文字が見当たらなかった。地図を持っていっているが、これば、大まかなもので、当てにならない。とにかく、ディエンに、もう、薄暗い大雨の中、到着した。まだ、土産物屋が空いていたヒンドゥ遺跡チャンディ アルジュナへ行った。実はここの土産物屋で買ったポテテチップスがおいしかったから、買いに来たのでした。在ったあった、試食をしたら、結構な味、ちょっと体調に買ってしまった。ディエンはじゃがいもの全国生産量の50%だそうです。高原野菜の一大産地である。見渡す限りのクンタン(ジャガイモ)畑、とにかく、うねりにうねった山という山、谷という谷、すべてがジャガイモ畑、“耕してジャガイモ、天に登る”である。機械化が全然されていない。その急斜面にへばり着くように多くの人が仕事をしている。ワイアーロープで簡易ロープウェーを作ろうと考えないのでしょうか、天秤棒を肩に担いで収穫したジャガイモを運んでいる人が急斜面を上り下りしている。土産物屋でクンタンゴレンを買って、直ぐ傍のプスパ インダーというホームステイに泊まった。一泊、20万Rpで紅茶やコーヒーは飲み放題、食パンとバターやジャムは置いてあるので、いつでもどれだけでも食べられる。TVはインドビジョン、なんと、NHKワールドも受信できる。熱いお湯も出る。安い、きれい、行く人にはお勧めです。その他にもちょっと道を走っただけでも、ホームステイやホテルの看板を沢山見た。以前はそういう看板は無かったが、観光に町が力を入れていることが分かる。寒い、2000mの高地、コンビニでアンチ モスキート(ニャムック)を買おうとしたら、売っていない。蚊はいないよ、と、言われた。ホテルにエアコンは必要ない。 ポテトトップス、厚い薄い塩味。昔懐かしい味がする。 今どこにいつかというと、チカランの家に戻っている。高原 寒い ジャガイモ
2012.10.11
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1364 カラワンはどうか、27ホールあり、コンペをするとき、不公平が生ずるような気がする。ロータス、オーキッドのコースが一番難しいと思うし、一番疲れると思う。メンバーはカートを使っても使わなくてもいいらしいが、それ以外の人は、必ずカートを使わなければならないらしい。これも、金額的にも疲れかたでも、不公平になる。もう一つ、私が思うに、カートを使ってもかなり疲れる、使っても使わなくても同じではないかと思う。カート道がコースより、5~10m高いところにある。カートから降りて、そこから下り、打ち終わってその降りた分、また昇って、カートに戻らなければならい。打つ度に下り登りを繰り返す。ばかばかしくなる。結局、コースが登りの時も、カートへ戻らない場合が多くなる。だから、メンバーは歩く人が多い。ビジター、ゲストはカートを使うのがばかばかしくても使わなければならない。変だと思う。クラブハウスの改修中、いつまで,改修中なのでしょうか。レストラン、ロッカー、シャワーなどの設備がテンポラリーなので、状態が良くない。終わっての食事は、スダナの方へ行く人が多い。とにかく、日本人の会員が多い。ここの会員の人は、他ではほとんどやらない。費用が違いすぎるからです。 私のホームコース、ジャバベカはどうか、気になるのは、プレー費が一番高い、メンバーは25万Rpだが、ゲストはどうでしょうか、はっきりとは知らないが、150万Rp位するのではないでしょうか、会員以外の人を誘いにくい。他のコースのメンバーの人はここでコンペをするなら参加しないと言う人も多い。コンペの人数によっては割引も聞くが、100万Rp以下にならない。メンバーではない人は、平日に、仕事と称してやるようです。平日のプレー人数は四コースの中で一番多いのではないでしょうか。 コースの状態は、一番いと思う、上り下りは少ないし、グリーンから、次のティグラウンドまでの移動が少ない。土、日曜日はカートを義務ずけられているので、進行も早い。バンカー、グリーンの様子は癖が無いと思う。コースの横に水が多く、曲げる人は、ボールを失くす確率が高い。 レストラン、味はまあまあだが、値段が高い。コンペ以外の人は、リッポチカランへ行って食事をする人が多い。 メンバーの私としては、このコースが一番疲れなくて良いと思う。今どこにいるかというと、ディエン(Dieng)にいる。何しに来たかと言うと、ポテトチップスを買いに来た。何と、乾季どころか豪雨だった。寒くて仕方が無い。 登り 下り 平坦
2012.10.10
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1363 ジャカルターチカンペック高速道路沿いに四カ所ゴルフ場がある。チカランバラットからジャバベカ、カラワンバラットからスダナとカラワン、ブキットインダーからチカンペックである。 素人の私がそれぞれのゴルフ場から受けた印象を書いてみる。そんなことは無いと思われるかもしれませんが、私の印象ですから。一番遠い、チカンペックから、始めてゆく時には分かりにくい場所です。ブキットインダーのインターを出て、直ぐ突きあたりで、右折します。ブキットインダー工業団地とは逆の方向です。直ぐに、造成中の工業地帯が在り、日系企業の工場建設もしています。それを右に見て、1Kmくらい行くと右側にププク クジャンの工業団地の入口です。そこがゴルフ場への入口です。ゴルフ場の看板はありません。守衛から目的を聞かれます。工業団地の中を真っすぐ進んで突き当りを左折、100mくらいのところが右にゆっくりカーブをしている。そのカーブを曲がる手前で真っすぐ前を見ると小道が在り、そこに小さい看板が在り、肥料屋のゴルフ場と書いてあります。バッグを渡して駐車場へ行き、ロビーへ入ります。土日は20万Rp,平日は8万Rp、キャディーは男だけ、完全歩きです。ティグランドが砲台になっていて、グリーンも砲台で4カ所の中で一番狭い。コースはひたすら登る印象だ、グリーンから必ず下って次のティグランドへ行く時は登る、ティショットを終わるとまた下る、そして、コースをひたすら登る、グリーンに遠くから転がしてオンはできない。パーオンをさせるには、高い球で止めることができる人でないと難しい。とにかく疲れるコースです。安上がりでダイエットをしたい人向きです。アウトは特にボールを失くす心配は在りません。水も無いし、うっそうとした林もありません。インはちょっと、水も林もあるので、曲げる人は失くしやすいでしょう。 グリーンの様子もバンカーの様子も普通です。初心者が練習するには良い場所だと思う。特に若い人向きでしょう。コンペを開催しにくい。打ち上げをする場所はどうしようかということになりそう。 スダナはどうか、場所は分かりやすい。高速を降りて右へ曲がり、遠くないが、ポリシティドゥールが多いので、車を運転する人は気を使う。カートでボールの傍まで行けるのがいい。ただし、雨の後など下が緩い時には禁止になる。カートを使っても使わなくてもいい。しかし、歩きでは登りが多いし、コース間の移動が遠いので、大変だと思う。コースの途中に小川があるコースが多い、二打目で超える飛距離の人は問題ないが、人によっては、いちいち、手前で止めなければならない。一目の印象でバンカーが多い。フェアウェーバンカーは問題ないが、ガードバンカーの状態が私に合わない。回りの50Cmほど斜めになっている部分に柔らかい砂をかき集めて在るのでそれ以外の大部分の平らな場所は、固い土になっていて、ボールを砂と一緒に上げることができない。どうしてもトップしてしまう。出してもグリーンを遥かにオーバーしてしまう確率が高い。グリーンは酷いうねりは無いが早い、最初、寄せの距離感を修正しなければならなくなる。受けのグリーンが多いと思う。直接カップを狙うにはバンカー越えが多くなるが、とにかくオンをさせればいいのなら、転がせての乗せやすいと思う。コンペを開きやすい。打ち上げも、中でもいいし、近くの何カ所かの日本食レストランを使うのもいいと思う。宿泊施設も拡充したし、現在、在る会社の寮(メス)を建設中、この辺り、もっとにぎやかになるでしょう。一番からクラブハウスを振り返る。在る会社の寮を建設中。歩き カート 体力
2012.10.09
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1362 自分で会社を興してから、20何年間、色々な人と出会ってきたが、付き合う人々は社長として見るので、取引関係、雇用関係や上下関係、損得関係ははっきりしていた。だから、だれも私に対して文句を言ったり、怒鳴ったりしなかった。そういう経験が私にはないのです。だから、インドネシアで始めて、53歳にして、怒鳴られるということを経験した。大変ショックだった。怒られると、この人、頭がおかしいいんじゃないのと思う。怒られて、なるほどと思ったことは一度もない。 事実、どう見ても、私のほうが能力は上だし、結果も私のほうが出しているし、第三者からの評価も私のほうが上である。しかし、冷静さを欠いて私を叱る。自分は何様と思っているのでしょうか。総じて、インドネシアで同じ会社で出会った人は怒りっぽい。私より若い人からも怒鳴られた。これには本当に参ってしまった。言って聞かせてやろうと思っても本人冷静さを欠いているし、私の言うことを彼らの能力では理解できないのだから仕方が無い。私に仕事や技術についての知識は全くお持ちでない。本当に参ってしまった。こちらが冷静に受け答えをすると、なお、頭にくるらしい。 そういう人は私より会社では責任ある立場だし、私が命令や指図(日本へ返すとか、他の人と変えるとか)出来ない立場だし、かといって、直ぐ逃げ出すわけにも行かないので、なお弱ってしまう。 オタンウータンはインドネシア語で”森の人”ですが、96年からインドネシアで仕事を始めて、出会った人々は私にとって初体験の変わった人が多かった。これが一般社会の普通の人たちかもしれないが、私にとっては、オラヌータンに会うように新鮮だったし、ショックだった。これほど、人間はいろいろな種類があるのかと。余りにも世間知らずだった。 新任の社長さん、私より10歳若い、どう見ても、動きが悪い、物覚えも悪い、その上、白を黒と言って、インドネシア人を怒鳴りつける。そういう人が、“私と一緒にやりましょうよ”と、上から目線で、いってきた時は、まったく返事にこもってしまった。“良くいいうよ”この人、私と一緒にやれる何も持っていないのに、この発言の裏付けは何だろうと考え込んでしまう。 この人はその後、私の仕事の足を引っ張ることしかしなかった。黙って見ていてくれれば、成果が上がって、その人の手柄になるのだが、そういうことは、自分の立場を悪くするという被害意識を持ってしまうのです。私をうまく使うという人間的容量が無いのです。私が育てている人間を他の部門に異動させてしまった。やはり育てていたQCの担当者を、母親の病気の為に休暇を取って故郷へ一週間ほど帰って、会社を休んでいた。その時に私が日本へ仕事でいっていて、インドネシアにいなかった。インドネシアへ戻ったら、目を掛けていた、その担当者が止めさせられていた。私に何の断りも報告もなかった。それらはほんの一例である。 最近、ゴルフ場で日本人の酔っ払いが、ゴルフ場の人間に暴力を振るって、怪我をさせた。泥酔状態だったと言うが、それで、情状酌量されるものではない。酔っ払っていなくても、暴力をふるう日本人はいる。だから、本当に泥酔だったかどうかも疑わしい。暴力や暴言は恥ずかしいことです。みっともない、日本人の恥だと思う。 今日の記事とは無関係。昨日の記事と関係あり。醜い ソンボン 旧日本軍
2012.10.08
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1361 これからもよろしく!!成り行きで間に入ってしまった会社が、知識でも技術でも何ら役割を果たすことができなかった。何年かその状態が続いたが、話し合いで抜けてもらうことにした。直接、取引が徐々に増えていった。利益は充分に上げさせてもらった。それ以上にその会社にもっと多くの利益を与えていた。当時、Kg600円~1000円する原料で製品を作り、三倍の1800~3000円で納めていた。利益は三分の一を超えていたので,一カ月3トン分納品すれば、百八十万~三百万円の利益があった。その会社は原料価格に十倍で売っていた。諸経費を引いても、五百万円くらいの利益を上げていたようだ。今もその製品は同じ客先に納められている。それを知ったら、腰を抜かすほどの話だと思う。それぞれの売値は半減して利益も半減しているが、それでも、充分、満足な仕事として継続している。ただし、その会社の兵隊さん、いちゃもんを付けては、たびたび、私の会社の現場に乗り込んできて、いつの間にやら、そっくりの方法で、社内で生産を始めてしまっていた。だから、その会社の一部の建物の小物製品生産工場は、私の会社の装置とそっくりである。半年ばかり、その方の要望で顧問として、通ったことがある。良くここまでまねたなと思うほどの装置が自分達の技術と思い込んでいる若者作業者によって、運転されていた。その他にも、私の会社で手掛けた製品ではないが、その会社の技術開発担当者がしばしば私に相談に来た。今は現役を引退したり亡くなってしまったりした人たちだが、その人の腹心の部下として、創業以来会社に貢献してきた人たちでした。海外の工場も彼らが前線で恰好を付けたのでした。その活躍ぶりを知っているし、同世代なのだし、技術屋なので、話があった。彼らの問い合わせや確認には親身になって答えた。私が指示した通りに装置を作ってトライをし、その結果について、検討し、再度、改良装置でトライ、それを繰り返して、ついに製品化に成功した製品が幾つかある。いわば、共同開発だが、それは、彼らだけの力でやったことになっている。そういう製造工程も数ラインある。そういうことは、その人知っていて、色々世話になっているなと、何回か言われたことがある。そういう人達がいなくなってしまって、創業当時の貴重な経験、経過を知る人はいなくってしまった。本人一人が年齢も飛びぬけて高くなってしまった。それでも、会長として、孤軍奮闘、側面から見ていて、もう、そろそろ、気楽になったら?と思うことがあった。私が言うのはおこまがしいが、実際に、そう言ってあげたこともあった。取り巻きに言ってやる人はいないからだ。かくして、テレビドラマでしか見たことが無いような、クーデターが起きてしまった。直属の部下たちも反対しなかったし、そんなことなら、私も身を引くとは言わなかった。私がインドネシアへ来てしまってからも、日本へ帰るたびにゴルフに誘われて、やっている。今もそれは継続している、この年末、年始にも何回かご一緒することになるでしょう。今までずっと、家庭を振り返らなかったので、今後はゆっくり奥さんと旅にでも出てほしい。多分、そのお手伝いをすることになるでしょう。どっちかが死ぬまでよろしくと言うところでしょう。 最近現れた焼き芋屋、蜂蜜のように甘いさつま芋と言う意味です・値段は1Kg一万Rp、約、80円です。 年末のオープンと書いてある工事中のホテル、ズリ エクスプレスと書いてあります。マクドナルドの裏、ファーマーズマーケットの右横。リップチカランの現在のホテルの合計部屋数の倍くらいの部屋数が在りそうだ。長生き 息抜き 振り返る
2012.10.07
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1360 雨季になりそうな黒い雲が現れるようになってきた。時折、昼間でも小雨がぱらつくようになった。今朝、会社概要などが更新された。完全にトップ交代を公表したことになる。発表責任者もファンドからの人間だ。悲哀を感じる。何故、ジャスダックの上場を止めてしまって、ファンドと手を結ぶことにしたのか、資金調達の早道か安全か、狙いは何だったんだろう。結局、それが、命取りになってしまった。牛耳られてしまった。腹心だと思っていた部下たちも長いものに巻かれるしかなかった。そうしなければ、自分が路頭に迷うのだから。従業員とその家族、関連下請けを含めれば、恐らく一万人以上の生活に責任があると心配してきた。それが、社外に発している方針とは別の経営の基本方針だと、常日頃言ってきた。それが、私の誇りだと言ってきた、その人が、こんなことになってしまったのだから、残念でならない。1981年倒産した会社の後を引き継ぎ、新日鉄化学などの支援を受けて、創業社長になった。倒産した会社の組合とかなり厳しいきわどい交渉をし、何とか、障害を無くして専業に集中できるようにした。押出部門はもともと地道な利益を上げていたし、その部門の直属の部下たちは、私と同世代の人達で、皆さん、優秀だった。倒産した会社の時からその人たちを知っていた。大学の後輩もいた。その他、国立大学の工学部を卒業した連中が多かった。私が独立したのが、1973年ごろ、静岡へ本社を移したのが1982年でした。その直後から、手違いがあって、間接的な取引が始まった。断面が小さい、塩ビ以外の製品の孫請けになった。30年以上前からの手伝いです。V0のPP丸棒3φ、5φで長さが50mmから2000mmまで、数ミリ刻みの種類があった。耐熱難燃N6黒のスパイラルチューブ、5φで肉厚は0.5mmでした。それも、長さが50mmから1000mmまであって、1mm刻みの種類があった・長さの公差が±2mmだから、1mm刻みの規格は変じゃないのと言っても、いうことを聞かない。その他にも縦割れチューブやのノ字チューブでも原料がN6やPCでこなした。その成型技術を持っていなかったというより、自社に挑戦する迫力がある人材がいなかったので、私のことは、直ぐに、その創業社長に伝わった。それ以降は、何かと、お呼びがかかった、何とか工業会などは、私は出席したくなかったが、引っ張り出された。ジャボンという木です。紙になります。構想道路わきの枯れ草が燃えあがっています。多分、誰かがわざと火を付けたのだと思う。高速道路の両脇には焼いた跡が連続している。反乱 クーデター 出張中
2012.10.06
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1359 例の辞任の件、公表されたようですね。9月21日決定、26日社内公表そして10月3日ネットで公表した。たった一行、冷たい感じがする。 労働組合が大きな問題の一つとしてアウトソーシング システムの解消を訴えている。私は、それらの気持ちは十分わかる。私が、インドネシアの労働者なら、先頭に立って、そのシステムの解消運動に参加するでしょう。アウトソーシングとは一般的に人材派遣業者と人材紹介会社を利用することだと思う。前者はその業者に雇用された状態で、各会社に派遣をする。例えば警備会社、仕事の内容範囲、給料、保険、退職金などは業者と会社の契約で、派遣された人達が実際に給料や残業などでどういう待遇になっているかは関知しない。要するに、契約の金額を払えば、本人に対して会社は何も責任を負わない。給料は派遣会社から振り込まれる。ただし、派遣された人の仕事ぶりに不満があれば、交換してもらうと言うことは、業者との契約内容に含まれている。運転手も派遣会社を使う会社が多い。専門職と言われる職種で派遣会社を使う会社が多いが、中には、一般職で誰でも出来るような仕事が急に忙しくなって、一週間とか一カ月などの短期間で使う会社もある。後者は手作業の担い手の採用をしたい会社に人材を紹介する会社です。人数は何人でも構わない、採用したい人数に+αを紹介してもらい、面接やテストをして採用し、採用した人数分の礼金を払う。採用された人達は先ずコンタクトといって、会社との契約社員になる、期間はばらばら、半年もあれば一年もある、もっと短いのもある、それは、本人と会社の契約です。契約社員になるということです。どういうわけか知らないが、契約は三回まで延長できる、それ以降は止めてもらうか、正規社員にするか会社が判断する。おおくの会社は止めてもらって、新たに契約社員を採用する。三分の一ずつ毎年契約社員を定期的に新しく採用するシステムを取っている会社が多い。ところが、仕事ができる人に関しては、例えば、一年毎の契約の人は、三年後に一旦止めてもらって、一ヶ月後にまた、契約社員として採用する会社もある。許されるのかどうかは知らない。本人は、本当は正社員にしてもらいたいが、仕事がなくなってしまうよりましだし、給料も最低より若干上乗せしてもらえるので、勤め続けることを優先する。いずれの方法でも労働者は業者に登録料や謝礼金を払わなければならないし、派遣社員は、毎月、何%かをピンはねされていることになる。登録料は採用されなくても変換はされない。地元系もあれば日系もある、その他の外国系もある。それぞれに紹介料も使用料も違う。使う側は、比較して使うことになる。自分で募集活動をしなくても良いので、結構、利用会社は多い。正社員の比率をできるだけ少なくしようと思うのは当たり前で、現場の作業者は上から下まで全員、契約社員か派遣社員という会社も珍しくない。なぜ、正社員の人数をできるだけ少なくしようとするのでしょうか。一番の問題は退職金制度と時間外労働手当制度が労働者にとって優遇され過ぎていることです。これらの労働基準法が変わらなければ、この傾向は変わらないでしょう。余談だが、正規社員に有利な条件を知らないまま、新規に進出した会社で、運転手も警備員も経理や人事の人達と同じように最初から、正規採用してしまった会社は、後悔していてが、もうどうにもならない。カラオケやゴルフ場で運転手は博打をしながら待っているだけで、時間外手当がどんどん加算される。それが、何百%だから。笑いが止まらない。 労働省も簡単に派遣会社や人材紹介会社を禁止することはできないでしょう。日本のように職安という、人材紹介の職業紹介のための成熟した公的機関が無いのだから。対向車線を逆走するバイクデモ隊昨日の名残、ここの何千人も集まった。ゴミの山が散在していた。何の花?http://otaenplaext.net/newpage0.html派遣 紹介 斡旋
2012.10.05
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1358 Buruh Mogok労働者が故障したのではなく、デモやストライキのことです。そういうタイトルで、放送されていた。昨日から、この前のデモの様子からして、相当、コントロールが効かない、羽目を外した行動がとられるのを予想して、会社は休みにしなくても日本人や韓国人は出社しない人が多かった。それは、賢明な判断だったと思う。私も会社ではなくゴルフ場に、06:00過ぎに向かった。EJIPの入口の突き当たりの交差点にはテレビ局の中継車が既に待機して、中継の準備をしていた。嵐の前の静けさだったようだ。朝早かったが、従業員出勤バスは、早めに会社へ着かせるために、早めに迎えに行ったのでしょう。既に工業団地に向かう方向は渋滞をしていた。ジャバベカ工業団地方面は出勤者が少ない。休みにした会社が多かったと後で聞いた。賢明である。ゴルフ場へ着くと、平日にもかかわらず、駐車場の車の数は土曜日曜並みに多かった。そして、受付カウンターの前には平日で一人しかいない受付女性の前で長い列ができていた。そして、皆さん、ちゃんとブッキングしているのです。突然の休みではなく。以前から今日は出勤しないと決めてあったのです。ゴルフをしている最中にも、各会社の従業員から情報が入ってきていた。結論から言うと、MM2100もEJIPも事務局が従業員がデモに参加しないように出勤させて工場内から出ないようしようとしたが、それが裏目に出たようです。休みにしてしまって自宅待機を命じていれば、参加する、あるいは参加させられる人数は、少なかったと思うが、各会社に出勤してきているのですから、デモ隊の思うつぼになってしまった。デモ隊は、会社の門前で大騒ぎをして、中には門を壊された会社もあるほどで、強制的に男性社員はデモに合流させた。今から会社の仕事は止めて男はデモに合流する。女性は返す、という連絡を受けた日本人は多かったともう。女性は、門の外に出された。多くの会社の従業員はデモに参加しなければならなくなってしまった。かくて、バイクに乗った若者が、工業団地内外を我が物顔で乗りまわした。FJIPの入口には、5000人とも6000人ともいわれるバイクと人が集まったという。チカランバラットの高速の入口は警察が封鎖して、デモ隊が高速道路に侵入しないように警戒していた。チビトゥンもそのようだったらしい。高速を使いたい人は、解除になる18:00ごろまで両ゲートは使えなかった。デルタマスから入った人は、問題なかったようです。私はどうしたか、何が起こるか分からないが、とにかく、家の方向(EJIPと同じ)に向かった、先ず、ジャバベカ2の中を通過した。マテル(テディベアーで有名)は休業、そのあたりの会社全てが休業、だから、セキュリティーが閉ざされた門扉の内側で外を警戒しているだけで、道は普段より空いていた。メイン道路に出て左折し、高速の入口方面に向かった。何事もない、日曜日のように空いていた。異変を感じたのが、カリマランの川を渡ったころからでした。対向車線勿論、こちらの道の中央寄り車線も対向車がハザードランプを点滅しながらやってくる。これは、前方で閉鎖されていてUターンしてきた車だなと思った。前の車はそのまま前進しているので、行き着くところまで行こうとそのまま南下した。何事もなかった、さっきのUターン車はなぜだったのだろうかと首を傾げながら、私はずっと順調、高速の入口前を通過した。 記念に写真を撮った。高速の上を越えて降りた時にいきなり右側の高速道路ジャカルタ方面だけの入口方向からバイクデモの大集団がやって来た。 初遭遇である。しかし、対向車線なので私の方は順調そのもの、その対向車線を私と同じ方向、EJIP方面にバイクデモ隊が逆走大行進を始めた。私の車と中央分離帯を挟んで並走して行った。間もなく、その並走とは別れて、私の家の方に入った。無事に何事もなく、ちょっと、物足りない感じで家に着いた。工業団地と言う工業団地は、大小に限らず、デモ隊が威嚇行進をしたようです。そして、仕事をしている会社は軒並み、仕事を辞めさせられて、男はデモに引きずり出されたらしい。その点、ジャバベカ工業団地は、休業させたのが正解だったようです。ゴルフを一緒にやった人の中にも、会社は休みにして土曜日出勤にしたと言う人がいた。それらは中小の会社だが、バイクの集団が何回か前を通過したが、何事も起きていないという、報告が入っていたようです。前回のデモから学んだことは高速道路に侵入させないことでした。それは、成功した。しかし、今回の問題点は、従業員を出勤させたことで、逆にデモ隊の人数が膨れ上がったことでした。そして、デモに参加したくなかった人も参加させられてしまったことでした。デモ アウトソーシング ベースアップ
2012.10.04
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1357 皆さんの努力は涙ぐましいものがある。聞きたくないが、バソやサテアヤム、サテカンビンなどに、ネズミや犬の肉が混ぜられている。貴方が食べたサテのくしに刺さっている幾つかの肉の内の一つはネズミかもしれないですよ。焼いてあるから、心配はありません。そこまでしなくてもいいのにと思うが、事実です。流石に、これには警察も関与していないと思う。 小学校の塀の外で売られている水飴やアイスクリームや駄菓子類全てに人工甘味料や着色剤が使われている。それらのほとんどが、保健省や産業省から承認されていない物です。時々、抜き打ち検査をするが、やはり、承認されていない、発がん物質が含まれている物質が使われている。テレビで隠しカメラ(camera sembunyi)や声を変えたインタビューで放送されるが、皆さん、気にしているのでしょうか。相変わらず、学校の近所を通ると、子供たちがカキリマに群がっている。先生も何も言わない。日焼け防止 化粧品、口紅など女性が肌に塗る類の物全てがやはり、不純物が混ぜられているか、空の容器に似たような粘度の物質を新たに充填して売る。肌が荒れてしまった女性からのインタビューや製造元の人間へのインタビューが声を変えて流される。 最近、コマーシャルで目立っているのが、日本人なら、だれでも、商品名で、日系の物だと分かる、シャンプー、石鹸、洗剤の偽物を作るのは、簡単でしょう。作ろうと思えば私にもできる。50年前、学生時代に何種類か作ったことがある。インドネシアで今、一番人気の石鹸、私も使っているが、これとても、田舎へ行けば本物は少ない、と、インタビューに答えている人がいる。 車もバイクのエンジンを使った地を這うような四輪車や三輪車が公道を平気で走っている。偶に、そういう車の愛好者が大会をやっている。集団で、何十台も道を占領することがある。パンガンダランへ大集合と言う、催しがあった時には数百台がインドネシア各地から集合した。途中に動かなくなった車が何台も放置して在った。集まって、何をするでもなく、それぞれの車を眺めたり、技術の交換をしたりするのです。勿論、車検証は無いし、ナンバーもない。それでも、警察につかまっているのを見たことが無い。 円柱形やロケットのような形をしたヤシの実からできる砂糖、茶色で沖縄の黒糖とは一味違った甘さで、健康にも良さそう。しかし、これにも色々な物が混ぜられていて、純粋な物は少ないという。サトウキビからの当たり前の砂糖を混ぜるなどは当たり前らしい。田舎へ行くと大鍋でヤシの実からとれた果汁をかき混ぜながら煮詰めている。次第に粘度が増してくる、その途中で、何やら、瓶から化学物質を何CCか鍋の中に混ぜる。甘さを増すのと、早く、固まらせる効果があると言う。一種のノウハウでしょうか。テレビでは発がん物質だと解説していた。 こそくな手段でも多くのインドネシア人は少しでも安く提供し、自分は儲けようとする。他に知恵の使い道は無いのでしょうか。 誤魔化し 自分だけ コソク
2012.10.03
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1356 善意?奉仕?色々な物の入れ替え少量販売で、できるだけ公平にばら撒く業者が生まれる。インドネシア全土的に水不足、特に地下水を汲みにくい山間部の小川は枯れている。飲料水の不足は深刻である。大手の飲料水メーカーはそのような山地、僻地までサービスが行き届かない。そこで、ボトルの飲料水を供給する業者が必要になる。大きなガロンボトルから小さな600mlなどに移して小売りする。もっとも、これとは別に都市部で、大手飲料水メーカーの空のガロンボトルに普通の水を入れてキャップは同じものを作って封をして売っている業者がある。これは、とっちめなければならない。 先日、LPGガスの入れ替え販売業者が摘発された。3KgLPGシリンダー(ボンベ)が灯油不足と多額の援助を消すために、LPG3Kgを、例外はあるが全国的に普及させた。それは成功したが、その後のガスの入れかえが間に合わないことと、周辺諸国の事情でLPGも価格が高騰した。そこで、12Kgや40Kgの大型ボンベから3Kgに移し替えて売った。若干高くても、無くては商売にならない人種が多い。当然、購入するし、その業者も儲かる。一種の社会奉仕のつもりでやっている。確信犯だが、ガスの取り扱いだから、当然、免許とか資格とか認可が必要だろうが、それは、タンパである。 水ガスがそうなら、ガソリンや軽油は昔からの話で、今どうのこうのではない。自然発火の可能性がある揮発性可燃物の取り扱い、販売だから、当然、大量保管したり売ったりするのは法律違反だと思うが、インドネシアは問題ない。4500Rpga6000~10000Rp/Lで売っている。地方へ行けば、ガソリンスタンドの向かい側に1Lボトルに詰め替える作業場あり、200Lドラム缶から、10Lや20Lのポリエチレンタンクに移し替える作業もしている。その様子を警官が見守っている。何のために警官がいるのか分からない。写真撮影をされないように回りを見回しているように見える。 と、この、ガソリンもそうだが、水もLPGも警察が関与しているのは間違いない。昨日書いた色々、書類も警察が関与している。とにかく、うまみのあるような仕事、業界には、必ず、役所も警察も係わっている。皆さん、持ちつ持たれつの関係である。偶に、どこでどう間違えたのか、摘発されたというニュースが流される。そこだけの話で終わってしまう。事件の拡大はしない。 チャガールアラムのジャングルへ入る前の緩衝地帯、昔はここを通る侵入者を監視していたが、今はガイドと一緒なら自由に通過できる。左端にジャングルへ向かう道がかすかに見える。右側に鹿がいる。 二十分くらい急な登りの後、平らなちょっと開けた場所に出る。そこに石の椅子がある、私の休憩用指定席です。 乾季で日に焼けたラフレシアの蕾、二週間後位に咲くでしょう。しかし、日に焼け方が酷いので、咲いたと同時に黒くなり始めるでしょう。 詰め替え 小売 社会善
2012.10.02
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1355 誰かが危害を受けるわけでもない、破壊されるわけでもない、多くの人が利益を受けると思うことです。迷惑を受けるのは誰でしょうか。インドネシアでは必要なことでしょう。先日、大学の卒業証書偽造の疑いである組織が摘発された。何故ばれたのかは、確認していないが、就職活動をするために偽造卒業証明書を添えて願書をだしたが、面接担当者から、これは偽造だと指摘されたて、返されたとか。彼は、怒って、偽造組織を訴えたという。滑稽な話で、自分も逮捕されたとか。これは、偽造、証明書のほんの一例に過ぎない。ほとんどの会社は就職条件として高卒以上、というのがある。また、アカデミーやユニフェスタスで専門知識を学びたくても、高卒でなければ、それらの学校に入れない・地方から、職を求めて、あるいは専門学校へ進むために、ジャカルタ近郊にやってきた若者の中には、高校を卒業していない人も大勢いる。KTPを持っていない人も大勢いる。 なので、そこは、インドネシア。住みついた下宿屋の環境にはそういう先住者が大勢いて、彼らから、偽物を作る手段を教えてもらうのも当たり前です。各高校には卒業証書を発行するための営業担当者がいて、ラマダンが終わった時などは、営業活動が忙しくなるとか。帰省した人達のUターンと一緒に田舎から出てくる若者が多いからだ。今、丁度、忙しい時に当たる。 住民票も自分で必要事項を書いたり、書類をまとめて申請すれば、新たな場所でも作ることはできるが、厄介なので、エージェントに頼む人が多い。エージェントは役所の営業担当者に頼んで作ってもらう。お金は個人の懐に入る。市場規模がかなり大きいらしいから、一人一人からの金額は少なくても纏めれば大きな金額になる。当たり前だが、警察もこの組織に係わっている。これらの多くのお金が、かかわっている人達、係わっている組織に配分され、個人の懐へ入る。私が以前住んでいたコンプレックスは警察の上層部の人の所有、経営だった。アルソックの相談役もしていた。そこのセキュリティーに頼めば、そういうたぐいのことは直ぐに対応してくれて、本人が出かける必要があれば、セキュリティーがバイクで送ってくれて、役所の中の手続きも、彼の後をついて行けば良いだけである。私はその時の金額的な手伝いは何人かにしてやっている。かくして、その土地辺りで生まれて、その土地の高校を卒業したという若者が誕生する。地元出身者採用が何十パーセント以上という規制をしているエリアも多いが、それも問題なくなる。KTP(Kartu Tanda Penduduk)や高校卒業証書だけでなく、技術専門学校や大学の終了証書も頼めば手に入れりことができる。学校へ行くお金が無い、多くの若者を救う必要な組織なのだとインドネシア人は納得している。日系企業を欺くことは罪だと思っていない。日本人が想像できないほど、あらゆる方向で、相当な広範囲で、様々な、偽装や偽造が行われている。疑い出したら切りがない。そしてその疑いは当たっているのです。それが、インドネシア。 救済 組織 偽造
2012.10.01
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