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斜めからインドネシアを眺める 825 事業仕分けは、不必要な事業や省庁で重なっている事業を廃止するか統合するなどして無駄を省くことらしいが、そんなことは当り前。それぞれの人件費を一般の会社並みに厳しく査定し、契約公務員を採用し、人件費を徹底的に少なくする。民間がやっていることとい同じ努力をするべきです。とにかく、公務員は甘やかされ過ぎている。国民が公務員にはなりたくないと思わされるほど、厳しい雇用条件にしてみたらどうでしょうか。そのくらいのことで公務員の仕事の質は、逆に今より高くなること請け合いです。民間を規制したり、邪魔をしたりする仕事を高級取りが威張ってやっていては、日本の再維新にはならない。 公務員に関しは退職金や年金についても、抜本的に今の制度と金額を御破算にしてから、ゼロスタートでやりなおしたらいい。国民誰もが反対しない。公務員がストライキをするなら、させておけばいい。いくらでも変わりに仕事をする契約社員を雇うことが出来る。そして、彼らでなくても、彼らがしている仕事は出来るということを証明したらいいのです。 外国で、ボランティア的仕事をしているので、報酬は無いに等しい、それでも、やりがいや、充実感は十分ある。ですから、前にも書いているが、国とか地方とかの行政に頼ることは無い。ずっと、頼ったことは無い。逆に、税金を払うことや各種許可をとるとか望まない義務を押しつけられて、私がすることに対し、足を引っ張られたことが多かった。それが無ければ、もっと自由に、私が望むことを出来たと思うし、今よりもっと多くの他の人たちに手助けができたはずである。 日本には制度としてまだ充実していないが、寄付制度を免税という方法で充実すべきだと思う。タイガーマスク現象は良い例だと思う。日本も捨てたものではないと思う。こういう気持ちを、政治家や行政は自分たちが予算の配分の権利を握る範囲を小さくしてでも、育てるという、気持ちの余裕が欲しい。 諫早の水門干拓事業などは、最初からなにもすべきで無かった。そこの、様々な欲がからんで、予算の分捕りと配分で人間を狂わせてしまった。同じようが現象があちこちにある。全て、無かった時に戻せばいい、出来ないところは出来るだけでいい。どうしようもないところはそこで止めればいい。反対と賛成が争うに決まっている。争いが決着するまで、行政は黙って見ていればいい。仕事は少なくなるし、行政の担当者もいらなくなり、減らせるし、契約や派遣で済ませる。良いことずくめである。予算を与える必要は全くない。文句をいうのは、お金の配分を欲しかった人だけである。そういう人は、前にも書いたが、税金を払っていない。 今日の風景
2011.01.31
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斜めからインドネシアを眺める 824 海外技術援助のための人材派遣機構がある。その機構を通じて派遣される人の給料は一年1千5百万円ほどです。今もその機構は存在しているが、1年に何人派遣しているのでしょうか。いつ申請があっていつ申し込みがあって、いつどんな人がどんな技術者がどこへ派遣されているのでしょか。一般の人は全く知りません。そういう機構があることすら知りません。今、東南アジアなど、新興国と言われていた国々に日本の企業がこぞって進出していて、優秀な技術を持った人が何万人と出かけて行って、指導をしています。そして、会社から派遣されている人たちでも、1千万円が最高で、自分の主義主張でボランチャ的に現地採用で指導している人は5百万円以下で仕事をしています。どうでしょうか、この実態と、国の派遣企業との落差は。仕分けとか何とか言っているが、こういうことは多いと思う。なぜ、派遣給料が高級すぎるのか?それは、その派遣機構の事務局や審査をする人々の給料が高いからです。一般の会社のサラリーマンの給料体系とは違う、高給の体系になっているのです。ですから、派遣する人の給料もそれに合わせているだけです。まさか、外国へ送るその道のベテラン技術者を自分たちの給料の半分というわけにいかないからです。 そして、この世の中、その機構への予算が削られれば、事務や審査員を減らしたり減給したりしないで、派遣の人数を減らすのです。職員の人数はそのままで、調査とか何とかで、外国へ彼らを派遣したり駐在人を置いたりする人数も減らさない。手当も、お手盛りで非常識的に多額である。聞いてびっくりする。 そして、彼らは、貰い過ぎとは思わないで、まだ少ないと思っている。というのは、外交官やその他の国家公務員の給料や外国での手当てや生活環境を知っているからです。高級も高級、各種手当、家族に対する手厚い保証、車、住宅、通信費、交際費、調度品費、などなど、一般市民がひっくり返ってしまうほど贅沢な暮しを保証されているのです。 ここで、提案です。外国関連費用を今の半額にしたらどうでしょうか。人件費や数々の手当から始めましょう。やればできます。民主党は直ぐそうしてください。それを手本にすればその他のことも、節約しようということになります。 ちなみに海外派遣機構の年間報酬と職員の報酬を三分の一にしても、仕事をしたいという人はいくらでもいます。今の5倍の人数を派遣することが出来るでしょう。 これは、ほんの一例にすぎません。公共も一般も、無駄が多いし、偏りが多い。インドネシアの汚職は笑っちゃうほどひどいものですが、日本も日本人も、その点で相当な悪がいることは確かです。 スマトラ島最北部のアチェ州、この最北端がバンダアチェ(津波で壊滅した地域です)その北の海に浮かぶウェー島そのサバンという町辺りに宿泊し、一番北の端まで行ってきました。
2011.01.30
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斜めからインドネシアを眺める 823 国でも、地方でも、会社でも、学校でも、金銭的不正は付き物で、人類というものは、欲の塊とごまかしは一体で付き物である。 私が、先ず、金銭的不正の手法を教えられたのが、高校時代でした。静岡県トップの進学校で、国や県や市の主要ポストに多くの人たちが付くことになる学校です。事実、それを私に教えてくれた先輩も権の中小企業商工会の事務局長を長年務めることになるし、一緒に教えてもらった同級生は県の税務署でトップに近い地位までいた人でした。 運動クラブに与えられた予算の使い方です。それが静岡市のスポーツ用品屋ではなく、わざわざ、藤枝駅前のスポーツ用具屋へ連れていかれた。ボールを何ダースか纏め買いをして値引きしてもらい、領収書は正規の価格で書いてもらいます。高校の部活の配分は配分委員というのが、どうして選ばれているのか知らないが、生徒会の役員が主体になって、後援会や父兄会からの寄付金を各部の活動データ実績を見て査定するのです。その時の資料の一つに領収書が必要になる。そのための、領収書をごまかすのです。 どこの会社の購買担当や社長にはそういううまみがあり、誰かに早く変わってほしいとは思わなくなります。10年も同じ部署で任されている人は、もはや、交代すると、後継者が真面目な人なら、とんでもないことをしていたと指摘されることになる恐怖が膨らんでくるから、交代を拒否するようになります。もし交代されるということになれば、自分の方から、止めてしまう、という人もいます。その会社に残って他の場所で働くことが出来ない状態になることが本人、一番、分かっているからです。 どうですかあなたは、どうですかあなたの会社は。現地人の購買担当は、3年以内で、担当を交代させるのが常識です。そうでないと、癒着が自然に生まれてしまいます。これは多くの日本人が分かっていることです。日本人も同じことなのに、長年交代させないのは、会社自体の怠慢だし、欠陥会社です。 食事、アルコール、カラオケ、車、家の調度品、ゴルフ、旅行などなど、購入先が接待費や交際費として落とすことがらで、アンダーテーブルが動いているのです。そんなことは分かっているよ、誰でもやっているよ、いちいち、そんなことというのが、社会的常識かもしれないが、どうでしょうか。 アチェの津波で内陸の残された船は今や観光スポットとし、整備されつつある。ナンカの木と実。
2011.01.29
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斜めからインドネシアを眺める 822 かと思うと、こちらの中小規模の会社社長さんを一人で長年続けている人は大変満足している人が多い。10年以上も同じ社長がやっている会社は、必ず、叩けば埃が出ます。 そういう、現地社長は、本社から、新しい人を送り込むと、出来るだけ早い内に排除しようとする。やることをやったら、さっさと帰れというのです。自分はいい加減で交代したいとか、帰りたいとかは思わないし、言わない。一人ならぼろが出ないで、快適に暮らせるのです。会社は、赤字ぎりぎりでいいのです。そういう人は、交代させられると、本人にとって死活問題に発展してしまう可能性が心配だからです。うまみを全て明らかにされる可能性がるからです。 製造工場なら、原料や資材関係の値下げ交渉をしません。製品の値上げ交渉もしません。本社から催促があっても、難しいと返事をします。原料も資材も他から安い物を購入することが出来るが、切る変えるぞ、と脅かして、値下げをさせるということはしません。そこに、個人的なうまみがあるのです。こういう癒着がどんどん、増えていって、少なくなる事はありません。監査も手出しをしようがありません。 本当は、予告なしに、出来るだけ一瞬の間に、さっと、交代させなければなりません。隠す余裕を与えないように、二週間以内くらいに交代しなければなりません。そういう会社は、時に引き継ぎは必要無いのです。一人の人が全てを仕切っている会社は、それほど、難しいことは無いのです。単純に、原料を決まったところから仕入れて、決まった仕事を長年やっているだけです。技術的に難しいことは何もしていません。 本社は、交代させれば、直ちに利益の配分を享受できるのに、日本の経営者は、そこに気が付かないし、決断が出来なくて、ずるずると、現地の一人社長の懐を肥やさせているだけなのです。こういう会社が大変多い、中小企業の子会社ですから、規模的に日本人は一人です。ですから、普通に仕事が流れているなら、本当は相当な利益が上がるはずなのです。利益が、あがっていないということは、どこかに不自然な動きがあるのです。 苦しい会社なら、とにかく、短時間で交代させる勇気と決断が、中小企業の窮地を救いますし、余裕でやっている会社なら、なおのこと、後継者を育てるべきで、そのリスクはほとんど無いどころか、逆に思いがけない利益が上乗せされるはずです。交代させない会社の本社の上層部の怠慢です。そういう可能性のある会社は大変多い。インドネシアはそう珍しくないブーゲンビリアの三色の接ぎ木の花。鶏冠という花です。赤が多いが、こんな黄色もあります。
2011.01.28
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斜めからインドネシアを眺める 821 どういう人選をするのでしょうか。推薦を頼まれた人は、優秀な人を出したくないので、どちらかというと、あまり評価が高くない人を推薦し、この祭、ちょっと厄介な人を出してしまおうと思うのが人間というものです。推薦を頼んだ人は、推薦された人の事を推薦した人から、いいことしか聞いていない。その人を送り込まれた、インドネシアの現場は、インドネシア人が一番迷惑を受ける。そして、日本人同僚も迷惑を受ける。しかし、その人を送った人は、その人について良いことしか聞いていないので、何故、インドネシア人がその人の言うとおりに動けないのか、分からず、インドネシア人の能力が低いと判断してしまう。こういうことです。いいことは何もない。悪循環が重なるだけです。こういう会社は沢山あります。ストライキやデモまで発展する事態になるのはこういう会社です。 日本の会社の人材が枯渇しつつあるのです。外国へ進出している会社は日本にじっとしている会社より、やる気や、勢いを感じるのが普通ですが、足元がふらついている前線拡大は、昔の日本軍のようなもので、精鋭はどんどん少なくなり、人数合わせだけの教育や能力不足の下士官クラスが、無茶な指揮をするようになってしまうのです。 外国へ進出していく企業の日本人は、それぞれの部署で社長でなければならいはずですが、残念なことにサラリーマンその物の人が増えている。待遇がどうの、同僚と扱いが違うの、車や運転手がどうにもならないとか、通訳がいなければ何もできないとか、仕事以外の事で愚痴をこぼす人が増えている。来たくて来たのじゃない、有無を言わさず出されたという気持ちが強い。社長的考えなど思いもよらない人たちばかりだ。10年、20年前に進出してきた中小の会社の殆どがこういう状態といっても過言ではない。だから、同じ会社の中の日本人の能力や考え方が違うので、なかなか、うまくいかない。開き直ってしまう人も多くて、「それなら、私は帰らせてもらいます」など行って、本当に帰ってしまう人も少なくないので、仕事が出来る、同僚も、そういう人には気を使わざるを得ないが、勿論、その人達もストレスが旧今日に達すれば、爆発する。爆発した人が、私に、こういうわけで爆発しちゃったよと、はけ口として、私に、話す場合も多い。現地の本当の社長さんは大変です。カンクンの畑、日本のワサビ畑に似ている、清流で育てるのが最適らしい。と、名前が分からない花。
2011.01.27
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斜めからインドネシアを眺める 820今月から、手伝い始めた会社。私は来て半月、その人は半年以上前にその会社に来ている。日本人にも変なのがいて、今日こんなことがあった。以前、客先訪問して紹介した時、客先から見積もり依頼のために図面とサンプルを渡され、本人が受け取った。その図面を見せてほしいと頼んだら、「だいぶ前のことですよね、もらってないと思います」という、「そんなことは無いから、探してくださいよ」といったら、「捜しますよ、でも、覚えていない」でした。その後暫くして、インドネシア人の部下から、「サンプルは、私が預かっていますが、図面は貰っていません、見たことはあります、無くしたてしまったのでしょう」といってきた。こんな重要なことを忘れてしまっているし、しっかり、ファイリングしていないのです。「受け取ったのですから、無ければ、あなたから、もう一度、ファックスででも送ってもらってください」と頼んだら、「太田さん、自分で取り寄せてくださいよ」だって、呆れてしまった。 ついでに書くと、その人から「客先のリストをください」と言われ、インドネシア人部下に私の目の前で、それを渡してもらった。それから、一週間後、今度は日本人が8人ぐらい集まってのミーティングの時、私に「客先のリストをまだ、貰っていない速くしてください」と皆さんの前でいわれてしまった。「もう渡しましたよ」と言ったら、首をかしげて、「貰っていませんよ」という。それが終わって、インドネシア人スタッフに確認していた。勿論本人も渡したといった。当り前である。ころッと、忘れてしまっていて、覚えていない、ファイリング保管もしていない。インドネシア人スタッフが再び私の目の前で、その日本人に渡した。その後、客先のリストを請求してくることは無くなった。しかし、そのリストにある客先に連絡を取った形跡が全くない。自分から、呼んだり、出かけたりした気配が全くない。何のために要求したのか分からない。 その人は関係なしに、ISOを収得してあるのだから、一応、必要なすべての書類は整っている。自分で何がどこにファイルしてあるのか確かめたらどうかと思うが、その気配も一切なし、思い出したように、この書類やリストは整っているかと、インドネシア人スタッフの要求する。その人が思いつくような書類は全部整っているのです。インドネシア人スタッフが余計な世話をしなければならないだけだということを本人感じていない。 あなたは、どうでしょうか、心当たりはありませんよね。私からすると、昨日の話も、この話も、とんでもなく呆れる話です。色々な人種がいるものだと思う。 バンダチェの復興のシンボルの一部、スマートなデザインの橋。テンポラリー住宅と向こうに見える。津波警報での逃げ込み建築物。
2011.01.26
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斜めからインドネシアを眺める 819 アチェまでのチケットは往復1.5万円、なぜか、バリまでと同じ、安かった。宿泊費は一泊4千円程度、タクシーのレンタル料は1時間5百円、8時間で約4千円、これはウェー島の中も同じでした。アチェからウェー島往復スピードボート代は千円。片道所要時間は1時間でした。バリの料金に比べればおそらく全てが半額程度だと思う。ですから、欧米人も、これを知れば、バリよりこちらを長期滞在の場所にするでしょう。海は汚れていなし、もの売りは煩くないし、食事や色々な道具のレンタル料も安い。イスラムが厳しいので風紀もいい。マレーシアやタイに住む日本人にはお勧めです。プーケットから船で訪れてもいいところだと思う。 アチェの新築、空港ターミナルビル、モスジッドではありません。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html アチェ旅行記http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html アチェ http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html ウエー島 現実の世界に戻って早速、インドネシアらしい話に出会ってしまった。分かってはいるが、精神的にやられてしまう。セトレスが増す。 先週中の今日、届けると約束したものがある。13:00頃という約束だった。二時になっても届かないので、約束した人間に問い合わせた。返事は、いつものとおり、ラギジャラン(途中の道)の返事。誰もが、いつもこういう返事、私は、「それでは、分からない。今どの辺りまで来ているのか、あとどのくらい時間がかかるのか」と聞く。ご本人、「分からない、ドライバーから連絡が無い」という。「ドライバーから、連絡が無くて、どうして、道の途中と分かるのか?ドライバーに聞かないのか」というと、黙ってしまう。「直接、私からドライバーに電話をして聞くから、ドライバーのハンドホン(HP)の番号をおしえろ」という。しぶしぶ、電話番号を教えた。それが、HPの番号ではない、どこかの事務所の電話番号だ。そこに電話して分かったことは、最初に約束したところは販売元で、製造元の電話番号を教えたのです。ドライバーなどとは全く、関係無かったのでした。そのい製造元の人、曰く「ここで、作っているのではなく、今、作っているところから届けられたばかりで、今から、修正して、明日の夕方までには届けます」という。全く、とんでもない話で、最初の約束は何だったのか、その後、今日に対応も、今、届けるための道の途中という返事も口から出まかせ。人を待たせていること、そして情報も出鱈目、良く、それで商売が出来るなと思う。 もう、どうしようもないので、水曜日の午前中に届けるように製造もとと約束するしかなかった。今度は、守ってくれることを期待する。
2011.01.25
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斜めからインドネシアを眺める 818 先ほど23:00頃、家に戻った。今朝、7:00にサバン郊外のコテージから車で送ってもらい港へ07:30に到着、08:00発でウエー島を離れる。09:00前にバンダアチェの港に到着、日曜日で、港や隣接する海岸には大勢の家族つれがあふれていた。その海岸は2004 12の大津波が到着した場所です。そんなことは全く想像が出来ない和やかな、平和な風景です。 この近くに5階建ての大駐車場のような建物があって、2000人位と車が500台収容できる避難場所だという事でした。遠目からは壁が少なくて、上に上にと車が登れる坂道が取り巻いている。回りに何もなく、かなり遠くからでも見える。ところが、地元の人に依ると、2005年のニアス大地震、津波の時、かなりの揺れがあって、避難、命令が出た時に、周りの人はここに逃げてこないで、車で、海岸から離れようとして、山の方に避難してしまったとか、全く、人間の心理を研究していない無駄な建築物だという評判だった。かなり高額な援助資金を使ってしまったらしいので、なお無駄だったと言われていた。 海岸付近からは流された家々の多くを買い取って、広い片道三車線、両方で、六車線の道路を作った。区画整理、この際ということで進んだ。そういうこともあって、車でさっさと奥地に逃げ込むことが可能になったということもこの施設に逃げ込まなかった理由だと思う。こういうこともあるので、なにもかも完璧とはいかないが、総合的には、安全、安心が格段に増したと感じているでしょう。多くの悲しみ、犠牲を残したが、GAMの独立戦争は終わってしまったように感じるし、津波の後地が、観光地化していて観光客も増えているし、街の環境は綺麗になったし、残った人には住みやすい地域になったと感じていると思う。6年前に10万人以上の人が無くなった。大津波があった場所とは思えない。 街の中心に、感謝の公園があって、援助をした国々の名前を書いた小舟が舳先を上にして半分地下に埋まった形で公園の周囲に並べられている。一周400m位のランニングコースを走る人はその国々へ有難うという文字を見ながら通り過ぎる事になる。日本への感謝は日本語で書かれていた。 16:45アチェ、イスタナ イスカンダル ムダ空港を出発メダンへ40分ほど寄って、ジャカルタ着21:00過ぎでした。 平和な公園風景。
2011.01.24
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斜めからインドネシアを眺める 817 正真正銘の最北端の島ウエーに来ている。北はマラッカ海峡の西の入口、対岸のちょっと南はマレー半島のペナン辺りである。 10:00発のスピードボートで約1時間、ウエー島に到着、欧米人の客が目立つが日本人らしき人とは一人も会わなかった。聞く処に依ると、シンガポールやマレーシアから釣りのツアーで日本人が来るらしい。 早速、タクシーを借り切って、ホテルに向かいブッキングし、その後13:00には島の観光に出かけた。タクシーの費用は、今日の6時間余りと、明日の朝、ホテルから港までの合計で、50万Rp(4千5百円位)、小さな島で、海岸は殆ど無く、海から直ぐ山になっている、その関係で、津波の被害は1000人程度であったらしく、アチェに比べれば微小扱いで、援助はほとんど入らなかったという。 海はあくまでも澄んでいて綺麗、インドネシアで行ったことがある中で、トップクラス美しい海だと思う。ここまで来る目的はやはりこの海だと思う、ダイビングやシュノーケリングや読書(欧米人のスタイル)で何日も過ごしたい人には快適で、日本人の観光スタイルでは不向きだとお思う。 日本軍が築いたトーチカに先ず、案内された。サバンという一番大きな(といっても小さい)街を通って西へ向かって、いちばん最初の観光地がそこだった。マラッカ海峡を見下ろす高台に、たったの一か所だけ残っていた。錆びた大砲が寂しかった。こんなところまで日本軍が来ていたのかと呆れてしまうが、そんなことを言ったら、ここまでやってきた日本兵に悪いような気がする。彼らが望んできたわけではないはずだから。それにしても、無駄なことがここまで及んでいたのかともったいないと思う。 インドネシアの西の端、1997年にモニュメントが作られた。当時は、訪れる人も多く観光地として賑やかだったろうが、今は、ムニュメントの崩れも激しく、修復もしないのでしょう。肝心な中心に壊れた跡があり、何があったのか想像できない。地球儀でも有ったのでしょうか。この場所の西は、あの2004年12月26日のインド洋の大地震の震源地があるはずだ。 島全体は勿論、インドネシアならどこにでもあるバナナとヤシは自然のままジャングルのようになっている場所もあるが、この島の主な産物はピナンのようだ。例の口に放り込んでムシャムシャしてから、ペッと吐き捨てる赤い木の実である。ヤシの木に似ているようで似ていない。実は、ジャヤプラのように口にすることは無いらしくて何倍も大きい。赤の染料の原料になると聞いた。 滝があったり湖があったり、近場でちょっとした観光地があるが、これも、聞く処に依ると地震と津波の後、湖の水が濁ってしまい、以前は飲み水に使ったり、綺麗な観光地だったが今は、閑散としていた。 この島の売りはやはり素晴らしい海である。 東の端に殆ど近い、パプアのジャヤプラはだいぶ前に行っているので、これで、インドネシアの東西の端へ行ったことになった。
2011.01.23
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斜めからインドネシアを眺める 816 インドネシアでイスラムの戒律が一番厳しい土地で、女性は必ずジルバブをまとわなければならいらしい。外でジルバブを纏っていない女性を見ることは無い。聞くところに依るとデートも公共の場で抱き合ったりしては逮捕されるらしい。 綺麗に作りなおしてある街だが、今のうちは綺麗になっているが、私が予想するには、10年も過ぎれば、ゴミだらけの臭い街のなってしまうと思う。今でも、ちょっとした繁華街は既に臭いしきたなっている。道端のゴミもブカシほどではないが目につくようになってきている。海もマラッカ海峡側は綺麗だが、インド洋側は既にかなりのゴミが流れついている。 津波でなにもかも現れる以前は、ただ、イスラムの戒律が厳しい、喧嘩好きな田舎町、土地柄という印象があったが、今は、やはり、喧嘩好きだけが抜けた、単なる田舎町で、特徴は無い土地だと思う。 インド洋を渡って、西洋から遠征してきた船が、最初に会う島である。だから、この土地に早くから上陸拠点を作ったに違いない。鉄道も飛行場もインドネシアで一番先にバンダアチェに出来たらしい。今は、その見る影もない。1870年代の写真が残っていてその中に、鉄道敷設工事の写真があった。 観光で訪れても何もないところです。今日までのところ、目を見張るような素晴らしい景色と言える場所はありません。だから、モスジットの宗教や建築に興味がある人、津波について研究したい人以外にはあまり面白くない場所だと思う。津波がなかったら、未だに内戦が続いているだろうし、何もないところだから、世界に知られることは無かったでしょう。悲しみは大きいだろうが、世界中からの応援を受けて、街の区画整理は進んだし、新しい住宅は沢山出来たし、何より、内戦が終わった。津波以前より安全で生活水準も上がったと思う。ゴミは増えるでしょうが。 こんな海の向こうから高さ20mの津波が襲ってきたのです。話は変わるが、マッサージを頼んだら、受けるのは男か女か聞かれた。この地では、異性へのマッサージは禁止だそうです。
2011.01.22
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斜めからインドネシアを眺める 815 今、どこかというと、インドネシア(スマトラ)最西端、最北端にいる。アチェ州の州都バンダアチェです。03:00過ぎに家から出てスカルノハッタ空港、06:45発 ガルーダでバンダアチェに向かった。10:35に到着した。予備知識無し、ただ、例の2004年12月の大地震、大津波に依って10万人以上の死者、行方不明者の犠牲を出した。この爪痕は各所に残っていた。ただし、街の雰囲気はそれを感じさせないほど大部分の環境は既に、大津波以前以上になっているようです。 インドネシアにしてはかなりのお金を集中させたと思う。もともと、独立志向が、インドネシアで一番過激な地域だった。何十年にもわたって、独立戦争、ゲルラ戦争が、続いていた。横道にそれるが、以前、ルマーアバンというジャバベカの郊外に住んでいた時に、近所の人から、自分息子がアチェの前線へ送られることになったと心配そうに話をされたことを覚えている。 何度も、和平協定など結ばれていたが、直ぐに、反故にされることを繰り返してきた。石油などの地下資源が豊富な地域で、インドネシアは放したくない。これを機会に政府は投資を集中したと思う。海外からの援助も素直に受け入れた。その過程でのお金の流れはインドネシアにしては怪しい部分が比較的少なくて、有効に使われたと思う。今は、内戦の雰囲気が感じられない。 この大津波を機会いに、独立運動は消えてしまった印象があって、以前は、危険区域氏指定されていたが現在は指定は無い。バンダアチェの街の雰囲気は明るく、新しい。道も広く、舗装に穴が無い。両側の家や店も皆新しいので、清潔に見える。何と言っても、空港ビルが出来てまだ二年だという。雰囲気が気持ちいい。 今日は空港へ着いて直ぐ案内所で、ホテルの予約と車の手配をした。空港からホテルへチュックイン、そのすぐあとから、市内観光に出かけた。運転所は女性だった。ゆっくりの運転でクラクションを鳴らすことなく、リラックス出来た。 見ても回ったところは、大津波の爪痕を記憶として残しておこうというという場所がほとんどだった。フェリーが現在の一番近い海岸から内陸6kmの場所に流されてきてそのままに鎮座している場所などでした。
2011.01.21
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斜めからインドネシアを眺める 814電話代(ハンドホーン、ネット接続費用を含む)3000円、ケーブルテレビ、インドビジョンは3300円、電気代は温水器、エアコン二台なども入れて2500円水道代1500円、アクアボトル15L×6で700円、合計11000円前後です。燃料費はLPGはボンベを持っていれば500円以下。どうでしょうか、日本と比べて高いでしょうか安いでしょうか。テレビはケーブルテレビを入れなければ視聴料は只です。アンテナやコードの設置を業者に頼んでも、全部込み1000円で取り付けてくれます。 シャープアクオスの33インチ液晶デジタルテレビの価格が3万円位(アンテナなどの設置工事込)、パナソニックの高さ1.5mほどの冷蔵庫が1.4万円、トーシバ二槽洗濯機がやはり1.4万円位、送り賃込みで、合計6万円弱、安いですよね。全部現地の日系企業です。サムソンやエルジー製品も殆ど同じ価格です。日系の方が高いという印象は無い。家賃は二万円出せば、インドネシア人の中の上位の分譲住宅地の二階建て一軒家を借りることが出来ます。中味は空ッポなので、自分で調達する必要があります。エアコン、給湯機、水のディスペンサー、ガステーブル、テーブルや椅子、戸棚や応接セット、ベッドなど、必要に応じて、自分で整えなければなりません。しかし、書いたこれ等を全部一遍に買ったとしても、多分、15万円以下で済むでしょう。 日本の平均的年金生活者が過ごすには十分な安さだと思う。多分、マレーシアやタイでクラスより安上がりだと思う。 気になる病院もジャカルタ近郊4~50km以内なら、大きな総合病院があり、現地のAIGなどの保険(保険料年払いで7万円ほど)に入れば無料で受けられるか、払っても申請すれば帰ってくる。日本の国民健康保険より遥かに恵まれている。国際保健ですから、日本でも適応されるはずです。 どうです、いいことばっかりでしょう、会話と食事だけです。これが現地に馴染める人なら、お勧めです。どうでしょうか。“Andai aku jadi Gayus”“もし、私がガユスになったなら“という歌が、ガユスのそっくりさん(本物はそっくりではないが、カツラとメガネをバリでテニス観戦していた時と同じにしているので良く似ている)によって歌われている。色々な場所に土地や建物を持っていて、貯金やストックは合計3億5千万円を簡単に手に入れることが出来る、といっている。今までと合計で本人は20年の懲役が確定した。罪状は10件以上追加された。静岡茶と干し柿とギックリ腰の薬とソニーエリクソン3GのHP(ハンドホン)です。
2011.01.20
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斜めからインドネシアを眺める 813毎月15日から20日の間で払うことにしている、生活費を昨日支払ってきた。一般的に日系企業で仕事をしている日本人は自分が払いに行くことは無い。電気代やケーブルテレビなどの部屋や家に掛る費用は、会社が払う家賃に込みになっている場合が多いし、ホームテレホンのように自己負担になっている場合は会社が払い給料から天引きする。会社から与えられるハンドホンとその使用料は当然会社に請求があり、会社が払う。 ところが、私の場合は、それらのすべてが私の負担で私自身が払いに行くことになっている。家に、請求書は来るし、ケーブルテレビ費用はどういうわけか毎月変わるので、リモコンを操作して、テレビモニターから、支払い金額を知る。 インドネシアは預金から天引き自動送金システムが無いので、いちいち、出向いて支払わなければならない。飲めない水の水道水代だけ、分譲地のオフィスへ行って払う。三カ月に一回でいい。それ以上滞納すると、水の供給を止められる。一回だけ止められたことがある。 それ以外は、銀行のATMで送金する。ハンドホン使用料、電気代はATMのモニターを操作していくと、支払い金額が示されるので、その金額がOKかどうか確認して、支払いボタンを押す。ケーブルテレビの使用料は調べていって、その金額を打ち込んで、OKボタンを押す。 インドネシア語と英語を選ぶことが出来る画面で、どっちでもいいが、インドネシア語を選ぶ。送金ではなく、支払いボタンを押すと、いろいろな支払先の画面になる。其の中から電話とか、ケーブルテレビなどのボタンを押す、変わった画面で、電気会社やケーブルテレビ会社を選ぶ、その後、自分のコード番号を入れたり、ハンドホンの番号を入れたりして、金額をチェックする。支払いボタンを押す。ちょっと、慣れない人には難しいだろいうし、普通の日本人では、一回や二回聞いただけでは覚えられないと思う。もう、何年も爺さんが、ATMを操作して、間違ったことは無い。まだまだ、ボケていないと確認するにはいい機会だと思っている。 高速道路の日常的路肩風景、故障車や事故車を見ない日は無い。人は自由に歩いている。バスはどこでも客を降ろす。通学にも使われている。 支払い、自己負担、操作
2011.01.19
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斜めからインドネシアを眺める 812三カ月以上前から、ソアル ガユスなる人物が、インドネシアのニュースに出てくる回数が頻繁になっている。いかのもインドネシアらしい話です。汚職で刑務所に入っているはずの彼が、バリで催されたプロテニスの試合の観覧席で観戦している姿が報道された。坊主に近い短髪でメガネをかけていないでギョロ目丸顔のご本人、メガネをかけて長髪を頭の真ん中で分けている姿で移されていた。 警察、検察が,あわてて調べたら、今回が初めてではなく、何度も、外出していて、事もあろうにマレーシアヤシンガポールへも出かけていた。その都度、帰ってくるのも面白いと思う。 刑務所の職員,署長も承知の上、警察の幹部も承知していた。ということは、勿論、彼から、その都度、それなりの金が支払われていた。多くの人間が絡んでいたことは明らかだが、これを、すべて明らかに出来ないのがインドネシアです。 その本人、今になって、この件の裁判で、汚職は悪いことだと反省して、政府、警察などの汚職の実態を明らかにするといっている。関係者は戦々恐々でしょう。 今は、また、彼のパスポート偽造が明らかになって、出入国管理局の関係者がやり玉に上がっている。彼絡みで、何か他にも出てくるのではないかと思う。 ずんぐりむっくりの風采が上がらない唯の小男といった感じだが、金を持っているのでしょう。好きなことをやっている。 ヌサカンバンガン島監獄島の刑務所から、頻繁に外出していたスハルトの息子トミーの話は有名で、誰も、批判する人いないし、マスコミも、分かれば事実と思われることを報道するが、だからといって、それを追求しないし、大統領もなにも言わない。 女性刑務所に収監されている女性に多いな一室が与えられ、豪華リビング調度品が整っていて、飲み物、食べ物も高級レストラン並みの物が支給され、テレビは勿論、カラオケの装置まであって、家族,親せきは自由な出入りが認められていたという話がある。その後どうなったのでしょうか、報道が消えてしまった。 何でもありのインドネシアの縮図のような面白い話である。
2011.01.18
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斜めからインドネシアを眺める 811 結局、落ち着く処に落ち着くことにした。この歳になっても、揺れる気持ちはどうにもならずに、右往左往してみたが、何のことは無い、自分の気持ちの中で大山鳴動、鼠一匹も出すことはできなかった。考えてみれば鼠を出す意味もなかったのでした。抜けた気がしない、が、結局、抜けなかったのです。しかし、送別会を盛大にやってもらった手前、のこのこと出社できない。妙な状態になっている。理由は、勿論、技術的なバックアップというより、私がやらなければ出来ないことの方が多いので、客先に心配かけないためにも、私が、いつでも傍にいなければならない。元のように戻れない理由は、恰好が悪いというだけではなく、ほかの会社の総務や人事の手伝いも頼まれていて、なんとか、手伝わなければならない、しがらみが出来てしまっているからです。 私も、なんだかよくわからないが、とにかく、何社かの影の総務役と一社の技術支援をしなければならなくなってしまった。それも、殆ど、無給のボランティアです。 話は変わって、ゴルフのオリンピックの計算法について、もう一度簡単に書いておきます。自分が+何点か-何点かを計算する方法です。 1 全員の合計をメモしてください。2 次に自分の点に人数を掛けてください。3 2の数字から1の数字を引いてください。それだけです。例 四人で -5、12、15、30で、自分が12の時1 -5+12+15+30は522 12×4は483 48-52は -4です。4 全員の計算をするなら、-5の人は-20-52で -72です。 15の人は60-52で +8です。 30の人は120-52で +68です。簡単でしょ、合計が分かれば、各々の人で自分がいくら払うか、いくら受け取るか直ぐ計算できるはずです。ぜひ、自分の分だけでも、暗算で計算してください。払うなら、さっと、支払えば、気持ちが良い。三人の時は2で3をかければいいのです。0や-の人がいる時でもこの計算方法でいいのです。 ジャワ島の南側の海はインド洋です。インド洋の波は高い、平均で1.5mは、あるでしょう。普通の海水浴場でそんなですから、日本のように泳いで沖まで行くインドネシア人は皆無です。この波に潜り込むことを繰り返して100m位沖へ出れば大きなうねりにぷかぷか浮いていることが出来る。気持ちが良い。サーファーやライフセーバー達が私を監視していてくれる。
2011.01.17
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斜めからインドネシアを眺める 810 日本の寒気のニュースが伝わってきます。インドネシアにも寒いニュースはあります。2008年夏にインドネシアに設立したタンゲランの会社です。其の会社の診断を頼まれた、何とかなりそうなら、私に会社の基礎作りと、各種認可申請のスピードアップをしてほしいと頼まれた。やっと現地の社長なるものから会いましょうということになって、会った結果が、厄介者が来てしまったというような扱い。その上に、立ち上げをやってきた人間が、私に、どういう姿勢で仕事をしてもらわなければならない、あなたにそれが出来ますか、出来ないでしょう、というような言い方をする。こんな事だろうと思った。私から評価すれば、二年以上も準備に携わっていて、未だに、いつ、仕事を始められるか見通しが付いていない。私なら半年で終わらせることである。あれやこれやの一つも出来ていない。二年間、いったい何をしていたのか、この人たちは、と言いたい。そういう人が、私を知らないで、評価しようとし、こういうことはできないでしょうという。こりゃだめだ。そりゃそうです。私が入れば、彼らたちは必要無くなるし、今までの停滞を明らかにされてしまうからです。ある会社が進出するのに催促されて、進出することにしたらしいが、催促した会社が、もう、待ちきれない状態になっていることを彼らは深刻に考えていない。この会社の日本の社長さん、どうするつもりなのでしょうか。下手をすると、仕事が始まらないまま、早晩、相当、危機的状態になってしまうのではないかと思う。中小企業としては、社運をかけるくらいの覚悟をしてインドネシアへ出ることを決めたに違いない。それにしては、立ち上げを任せることにした人間との出会いで、運が悪かった。某大メーカーのインドネシアの元社長の紹介ということで、その大会社で購買を担当していた人を、立ち上げの責任者にした。これが、最悪だったようで、一向に準備が進まない。日本の社長さん、期待はずれは認識していても、大会社からの紹介の、そこの社員だった人を切ることが出来ない。インドネシアの一部の日本人の間で、気の毒な会社として知られ出している。手伝いは遠慮させていただいた。日系エージェントに丸投げして、そのまま待つことしかできない責任者では、はっきり言ってだめです。エージェントを使わず、自分で直接申請、交渉するような勢いがある人でないとだめです。あなたの会社は大丈夫ですか。人の起用を誤っていませんか。担当者の交換に躊躇はいけません。ずるずると同じ人間に任せることはマイナスが見えにくい。インドネシアの赤とんぼ、年中いる。躊躇、鈍感、決断
2011.01.16
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斜めからインドネシアを眺める 849 国民皆高学歴というのは国にとってマイナスである。大学を増やすことは亡国行為である。親たちが、子供に高学歴を押しつけるようになって、熱いうちに打つべき鉄をことごとく冷してしまった。冷えてしまって、どうにもならなくなった鉄達は、もうどうにもならない。それでも、親たちはそれに気が付かないまま、高学歴を強い続けた。国も、地方も、同じ親たちなので、大学を増やし続けた。世の親たちの勘違いで、日本の力を削いでしまった。 若いうちから、専門の仕事に就きか、専門の技術を学べば、より高度で深い才能を開花することが出来たのに、すべてを棒に振ってしまって、大学では遊んでしまっていた。大学を出てから鍛えればいいと悠長なことをいっていても、既に、体で覚えることは不可能になっていることに気が付かない。 これに気が付いて、1970~80年代の勢いを回復するには半世紀以上先の話になるのではないかと思う。それくらい、深く落ち込んでいるし、まだ、落ち込みは止まっていない。 窃盗の減少、また、説明不足の統計が発表された。数の減少だけで、良いことだと結論付けようとしているように感じられるし、特に警察や教育者を安堵させてしまっていると感じる。私が思うに、窃盗を犯す年齢層の人口が減少しているのが減少の原因で、その年齢の犯罪率は増えているかもしれない。高齢者の交通事故が増えているのと同じで、高齢者だから事故が多いということにはつながらない。事故率が高いのはやはり若者だと思う。 オーストラリア、ブラジル、スリランカの大洪水や地滑りは半端じゃない、今どき、こんなことがあるのかと思うくらいである。地下資源や農産物の世界の供給地である。そう遠くないうちにそれらの不足,高騰という事態に見舞われることが予想される。インドネシアも各地で洪水や崖崩れの被害が出ている。悪天候に依って、農業や漁業への被害も大きいようだ。米の価格も上がっているが、一番問題にしているのは唐辛子の価格である。インドネシアらしい。
2011.01.15
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斜めからインドネシアを眺める 848 そのかれ、小学校は別だったのでどういう子か知らなかったが、中学で同級になって、これが、運動部にも文化部にも属せず、勉強もどうしようもなかったようだ、存在感は全くなかった。とても高校受験する子ではなかった。当時は一学級50~60人、静岡市は中高一貫の女学校が多く、市立の中学の男女比率は3;2くらいだった。そのうち、進学のための普通高校、女学校へ行くのは10~15人、工業、商業など専門高校へは20~30人、残りの20~25人は就職だった。 中学就職は大工、左官、店員、中小企業の作業者、などなど、就職には困ることは無かった。売り手市場だった。ところが、彼は、なかなか就職を決めることが出来なかった。卒業するときになっても受け入れ先が見つからず、担任が困り果て、校長に相談し、そのコネで、ふぐ料理屋へ丁稚奉公出来ることにやっとなった。それが、それから20年後、官公庁の職員と彼らにすり寄る建設業者や議員たちの接待用の奥座敷になった。また、談合の会場になった。中学の時には想像も出来ない、市や県、裏情報を握る隠れた大物になっていた。 領収書を発行しない世界なので、収入や利益をはっきりさせることが出来ない。もともと、数字は苦手なので、関心もない。税務署に目を付けられ、帳簿が殆ど無いので、河豚を何匹仕入れたかで、売り上げを計算されて、納税額を計算されたそうで、何千万納めたという。それでも、彼にしてみれば、もっと、取られると思っていたと言っていた。 だから、同級生に来てもらって、安くても、彼の料理を振る舞うことは彼の誇りでもあると思う。 味は一流で、ある時、太田化工の従業員を連れて、食事に行った時、奥さんにといって、土産に鯵のフライを渡された。これが、うまい、そこらの惣菜屋やスーパーの惣菜コーナーで売っているものとは全く別物、妻も、また、貰ってきてと、言っていて、それから、何回か、スーパーで売っている値段で分けてもらったことがある。 スキューバダイビングを今でもやっているのでしょうか、4~50歳のころは南太平洋へ潜りに行くのが楽しみだといっていた。 高学歴イコール成功と思っている母親は、私から言えば、大間違い、全然関係ないどころか、早くから才能を伸ばすという観点から見れば、本人の才能を潰してしまっているのです。
2011.01.14
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斜めからインドネシアを眺める 847マグラン(ボロブドゥールがある)とジョクジャカルタ間の国道がムラピ山からの泥流で寸断されている。私が子供のころ、あるいはそれ以前の日本、学校以外の勉強塾が無かった頃、家庭環境イコール親の能力そのままに学校の勉強の成績に関係していた。親の能力や家庭環境に関係していたのは、勿論、勉強だけでは無かった。運動会で駆けッこが速い友達の親も足が速くて積極的に父兄の競争に参加していたし、ソフトボールの上手な子の親は、練習の手伝いを良くしていたし、キャッチボールを道端で良くしていた。鍛冶屋の子が、工作が上手だったり、町内の集まりで、酒を飲んで踊りだしたり、何やら落語のように冗談や洒落の話をしだす大人がいた。その子供も、目立ちたがり屋で、皆の前で、物まねをしたり、歌を歌ったりしていた。中学卒で就職する人、商業や工業、農業の高校へ行く人、そして、わずかな人が、普通高等学校へ進み大学を目指す。中卒で、ある程度方向を決めて目指した。適材適職は中卒から始まっていた。 私の中学三年の時の同級生で小柄だが頭が良くて腕っ節が強い奴がいた。小学校のころから野球で有名だった。其の同級の時に彼の野球部は県大会で三位になり、本人は首位打者になった。高校も同じだった。彼は勉強そっちのけで野球に打ち込んだと思う。私はどちら付かずの中途半端な高校生活を送ってしまった。二年の時、あれよあれよという間に甲子園で決勝まで行ってしまった。彼はセカンド。決勝では柴田の法政二高に負けてしまったが、彼は柴田から二本ヒットを打った。その後早稲田で野球をやっていたが、明治神宮でかれの姿を見ることは無かった。しかし、社会人になって、車のセールスを立派に務めあげた。自慢の同級です。同級会では彼はそのことを話さないので私も話題にはしない。 もう一人、印象深い同級生がいた。ここしばらく、集まる機会が無いが、同級会は必ず彼が経営する静岡でも有名なフグ料理亭“春日”に集まることにしていた。一人前一万二万するフルコースを5五千円位でOK。 成田空港の管制塔とガルーダインドネシアの機内
2011.01.13
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斜めからインドネシアを眺める 846 インドネシアから日本を斜めから見ている。あくまでも、平均の話です。 今はどうか知らないが、今も同じだと思う。東大や京大生の親の収入は高い。だから、教育にお金を掛けることが出来る。金持ちの子供ほど高学歴になれる。金持ちの子ほど高学歴になれる。高学歴も金次第、という、結論付けをする人がいる。統計は統計として、その通りでしょうが、逆に、東大生や京大生の親が何故高収入なのかということを全く考えていない。 多分、親も高学歴だと思う。じいさんばあさんも高学歴に違いない。高学歴でなければ、真面目で努力家だと思う。だから、学歴が低くても仕事で成功しているのだと思う。 ガリ勉をしなければ高学歴になれないということは無いわけで、塾へ行かないで、学校の勉強だけで、優秀な成績を収める子供もいるし、塾へ熱心に通っていても成績が伸びない子供もいる。私が感じるところでは、低学年の時ほど塾へ通っているかいないかが成績に反映されるが、学年が上がるにつれて、塾通いと成績の関係は薄れてくると思う。其の流れで行くと、大学までは優秀だった人も社会へ出てから、成績とか、実績が、伸びない人も出てくる。大学へ行ったって、卒業してから、どうにもならない人が多く出てしまう。要するに素質や能力がもともと薄い人が、他人(親も含む)からの脅迫で、高学歴になるための勉強をして高学歴になっても、無理に無理を重ねていたタガがはずれれば、なにもかもが崩壊しかねない危ない状態になるのです。 途中で無理に気が付けば、ほかの道を選ぶだろうし、回りが気付けば、回りもほかの道を勧めるだろうに、早く気が付くことが肝要だと思う。遺伝の要素が大きいことに。足が速い、手先が器用、努力家、他人を笑わせるのがうまい、臭いに敏感、冒険心が強い、何かのスポーツが得意、腕力が強い、などなど、揚げればきりが無い。そういうことに親も子供に影響していることを認めるべきで、自分が学校の成績が良くなかったのに、覚えるのが苦手だったなら、子供にそれらを、自分のようにならないようにと、勉強させても、子供の将来に逆風になってしまうことを思わなければならないと思う。お母さんがお父さんのようにならないようにと、無理やり子供を自分の言いなりにさせようとするのは大間違いだし、家族を崩壊させる原因になりかねない。 半年以上続いている高速道路のゲート作りが、多分二月中には終わって、使用開始になると思う。だから、かなり見かけが具体的になってきた。しかし、私には、未だに、どういう使い方をするのか見えてこない。
2011.01.12
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斜めからインドネシアを眺める 845 難しい話ですが、税金の配分の問題です。もう一つ、誰が税金をどれだけ払うかの問題です。 二十数年前、北欧へ旅行した時のこと、コペンハーゲンで土産物を買った。店の人が、免税にはちょっと足りないから、この小さい陶器を買えば、消費税免除の申告が出来ると言っていた。其の時、本当かなと疑問に感じたが、言われたままにそれも買った。その場で申請書類を書いてくれて、空港のカスタム出したら15%現金で戻ってきた。大きい。 消費税が15%ということを初めて知った。多分現在は20%以上になっていると思う。消費税は、大金持ちも生活保護者も均等に税金を払うシステムです。ただし、零細企業は免除されたり、食料品や衣料品は免除されたり、何かは、減税されたり、その税金の使い道が限定されたり、いろいろ、弱者保護の配慮は多かれ少なかれされているのが一般的です。消費税が高いか低いか、人それぞれの状態によって判断は変わるが、これも、所得税を多く払っている人ほど、消費税率を上げた方がいいと思っているし、税金を払っていない人ほど、消費税は無しの方がいいと思うのは当り前です。なん%にするかは、国民の資質に依ります。このままの赤字国債の増加は、誰が考えたって、危機的状態は分かっている。それから脱却するには消費税を上げるしかないと思っている人、政治家は多い。しかし、一般国民は上げることに反対。選挙に響くから、消費税に上げに触れることはタブーになってしまっている。ヨーロッパの多くの国を手本としなければならない時期になってしまっていることを、納得しなければならないと思う。菅さんは消費税を上げたいと思っている。それに、賛同できない日本である限りは、10年先には、国債は大暴落をしてしまう可能性が高い。怒られそうですが、結局、私にとっては、どうでもいいことですが、誰も、国も、地方も頼りにしていないので、違う世界の話です。インドネシア人の中流住宅地、今私が済んでいる場所は中の上です。消費税、自立、配分
2011.01.11
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斜めからインドネシアを眺める 844ある経営者が力説していた。投票権や立候補権は明治時代のように、納税が幾ら以上にするべきだと。その気持ちを私は理解できる。一見、人を差別するようで、平等ではないという文句が出るだろうけれども、文句をいうのは、税金を納めていない人です。税金を納めてない人や団体イコール税金からの配分を求める人や団体です。税金を納めている人や団体は、税金を少なくしてほしい、とは言いますが、税金の分け前を欲しいとは言いません。言うにしても、声は小さい。デモはしません。また、税金を納めてない人や団体は納税をしている人や団体の税率を引き下げることに反対をします。逆にもっと、税金を沢山納めよというのです。払っていない人の税金を少なくしようがありません。減税しようがありません。だから、金持ち優遇と言って、不公平だというのです。 税金から補助を受け取り続ける人は、ずっと貰い続けたいのです。いつか、補助金を受け取らなくても自立し、税金を納める側にまわりたいと思わないのです。事実、援助や補助を受けながら納税側になった例は殆ど無い。それでも、税金を納める法人を増やさなければ日本丸は本当に沈んでしまうと思って、会社の利益向上のために頑張っている経営者は多い。そういう経営者をわたしは素晴らしいと思う。今どき、使用人を搾取し、暴利をむさぼる悪徳経営者などは無い。皆さん、人一倍、二倍、三倍仕事や研究をして利益を上げて納税もしているのです。時々、ニュースになる詐欺まがいの商売をして、金をだまし取り、利益を申告せず脱税をする、ふとどき物もいる事はいるが、それは犯罪者であり経営者ではない。 私に話をした経営者は、沈みゆく日本の中で、雇用機会の創出も義務としているからすごい。私は、日本では出来ないがインドネシアでそれをしているし、納税をする人を育てている。私に、日本でそれをやれよと言っていた。ジャムソステック以外に保険会社はいくつかある。一般のインドネシア人や企業が団体で入る保険会社は何社かある。外国人も自分で入る場合はこれ等から選んで入るようだ。日本人の多くは、派遣元の会社が保険に加入して、保険証を送ってくる場合が多い。ハスの花、日本よりはるかに見る機会は多い。
2011.01.10
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斜めからインドネシアを眺める 843 たったの二週間だったが、全く違う世界から戻ったので、皆さんに会うのは久しぶりのような気がする。また、がらっと変わって、ゴルフ、例によって、いつものメンバーでした。やはり、ゴルフは暑いか、暖かな場所に限る。6人だったが、3人はN社の元同僚でした。新しい人が、二人、ドライビングレンジへ来ていた。どこまで増えるのでしょうか。 色々な話を聞くが、押出は大変そうだ。私がいなくなって、たった二週間で、いろいろな事が発生していると聞いている。それでも地球は回る。望まれれば、外から、出来ることをするつもりだ。望まれなければ、勿論、手出しはしない。余計なことはしない。ジャバベカゴルフ、今年から値段が上がった。会員は22万Rpから25万Rpへ、ゲストは130万Rpになったらしい。午後からでも、65万Rpから80万Rpになったとか。いよいよもって、メンバー以外はやりたくなくなる。新しい会社へ行くのは12か13日になりそうだ。はじめて、成田エクスプレスの乗り換えに使った品川駅ホームから、成田エクスプレス車内から隅田川、車の渋滞。
2011.01.09
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斜めからインドネシアを眺める 842 インドネシアに戻っている。インドネシアタイム23:00過ぎに家に着いた。疲れた。いつも、東京駅から乗っていたが、品川から成田エクスプレスに始めて乗ってみることにした。これが、慣れていないので、致命的ではないが、失敗が多かった、時間が余ってしまい、うろうろしていたが、寒くて仕方がない。暖をとる部屋が無い。それに、通勤の人たちでごった返していて、うろうろすると、皆さんの行方を邪魔してしまうし、危険を感じた。成田からガルーダ、BALI行きは11:00発、ジャカルタ行きは12:00発。成田でも余裕が出来た。余裕が出来過ぎて、ゲート付近の椅子で、熟睡してしまい、搭乗ノアナウンスに気が付かず、そのまま眠っていたら、起こされた。もう誰も周りにない。あわてて、搭乗機にむかった。行列の最後尾が機内へ入るところだった。私の後から乗り込む人はいなかった。シートは後尾に近い通路側を指定した。狙い通り、真ん中の四席に私一人だった。飛び立つと同時にひじ掛けを全部上げて、早速、眠りに入った。食事はしないで眠り続けた。いつごろは覚えていないが、イミグレの係員に起こされて、パスポートを渡した、暫く、居なくなって、すぐ戻り、パスポートと青いプラスチックの板を渡された。全部、殆ど夢の中だった。彼らが機内を回ってパスポートに判を押して回る姿を見なかった。目が覚めたら、ランディングの30分前だった。 もらった、青い板をイミグレカウンター横で渡し、其のまま、出てきた。行列に並ぶ必要は無いので、早い。 成田だけだと思うが、短期滞在(30日以内)のビザの費用を徴収するカウンターが搭乗券受け取りカウンターの横にあって、機内で払うのではなく、前もって払うことになっていることも、サービスの一つだとおもう。JALやANAと差別化する狙いだ。これも、ジャカルタで行列しなくて済む。ガルーダは安いし、サービスが良いし、成田直行だし。インドネシアからの往復チケットはガルーダに限る。スカイタワーと入国手続き済みの証明札。
2011.01.08
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斜めからインドネシアを眺める 841 日本滞在最終日でした。今朝は、N社の仕事始めのセレモニーに同席しようと、まるで、通勤のように、7:15にマリコの家から出て、焼津のインター、吉田インターまで東名を使って、7:45に到着した。もう、訓示が始まっていて、終わるのを待った、その間に、インドネシアから来ているという従業員と世間話をしたり、工場を見せてもらったりした。特別なものは無かった。挨拶を済ませ、インドネシアでは、改めて、応援をすることを約束した。 帰りは、太田化工へ寄るために、高速道路を使わずに150号線(静岡から焼津を通って御前崎、浜松の方に向かう海岸沿いの国道)を使った。吉田町から焼津を過ぎ大崩海岸を通って静岡へ入ると太田化工がある用宗(モチムネ)がある。新年の仕事はもう始まっていた。 大崩海岸というより、海岸は無く、切り立った崖の上を急なカーブで右往左往しながら、上り下りしながら道は続く。突出した場所ごとに富士山が前に見える。旧東海道はこの辺りは宇津の谷峠を越えるので、この道は明治になってから出来た道です。東名など自動車道、新幹線など鉄道は、有名に日本坂トンネルを通る。 駿河湾は一望できるし伊豆半島、御前崎まで見える。富士山と日本平(谷津山)が用宗海岸の向こうに見える。日本平の右端の海岸近く、久能山東照宮があり、つい最近国宝に指定せれたらしい。それと、久能山の石垣イチゴは、私が小学校の頃、教科書に登呂遺跡と共に乗っていた。この写真の範囲内に全部ある。太田化工はこのスポットから500mくらいのところにある。 日本の冬に、私がインドネシアへ持って行く物は、干し柿と切り干し芋である。子供のころから大好きで、インドネシアにはないものです。 百円ショップでインドネシア人への土産物をいろいろ仕入れる。30点以上になる。それでも、一つ一つどれを上げても、インドネシアでは手に入らないものなので、大いに喜ばれる。オロナインなどいろいろ試したが効き目が無かった。毎回悩まされる両足の湿疹は今回封じ込めた。というのも、ゴルフ仲間のK氏からのアドバイスで、メンソレタームを塗っておけば予防になると聞いていて、それを実行した。なるほど、納得、解放された。
2011.01.06
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斜めからインドネシアを眺める 840統計的に65才以上の交通事故が多い、山での事故も60歳以上が多いと%で言われている。その理由付けが、当り前のように、高齢による判断力低下、体力低下、注意力低下だと言っている。これは変。一番の理由は、高齢者の運転と登山が増えているからです。率的に見れば明らかです。年齢は事故の原因とは直結していないと分析していないので、警察は、対策を誤っている。一人当たりの事故率を見てほしい。中国がGDPで日本を抜いて世界で二番目になった。それはそれでいい。しかし、誰も言わないし、問いたださないのは、一人当たりのGDPである。もし、国のGDPが日本と同じなら、人口は十倍なので、中国の一人当たりのGDPはまだ、日本の十分の一でしょう。そう見ると、中国がまだ発展途上国というのは分かるし、貧富の格差が異常に大きい、ということも分かる。歪が大きくなっていることも分かる。中国も危うい状態になりつつあることが分かる。統計とか数字というのは、見方に依って、印象が変わることを、承知したうえで、受け取らなければならない。一つの数字や統計で、状態を判断したり評価したりしては誤りを犯す確率が高い。ということで、昨日の続き、税金を納めることがバカバカしくなって、国外逃亡でしたが、それは、15年前くらいからの流れで、消えた10年どころかもう15年以上沈みつづけている。ほんの少しだとは思うが、私は、其の沈む速度を速めるほうに力を注いでいる。私が、インドネシアで製品を作ってしまっていることは、今までその製品を作っていた会社から、仕事を奪ってしまっているし、雇用機会も少なくしてしまっている。税金を払わないばかりか、ほかの会社の税金支払い能力も削いでしまっている。アジアの若者に仕事の機会を与えるとともに、技術を教えて国のレベルをあげるという理由は、間違っていないと思うが、日本の現状を見ると、今度は、日本の若者に雇用機会を与えるとともに、技術を伝えなければならないかな、と、迷いだした。庭の冬の花
2011.01.06
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斜めからインドネシアを眺める 839 日本へ一年ぶりに戻ってきて、10日過ぎた。何年か前から意識していたことだが、年々雰囲気が暗くなっている。子供がいない、年寄りしかいない。車から見て、道端に子供は一人もいない。スーパーマーケットへ行っても、子供、赤ちゃんを見ることはなかった。 インドネシアと完全に対照である。赤ちゃん、子供、若者がどこへいっても、溢れている。道端、家の前に出てきている。国の勢いというか、発展というか、進歩というか、成長というか、向上というか、今より見通しが明るいというか、楽しみが沢山あるような雰囲気である。 それと反対に、日本の雰囲気は、明らかに,後退、収縮、暗転である。政治の貧困はずっと昔、私が経営者だったころから感じていた。行政は私の経営者としての意欲を削ぐことしかしなかった。高額な税金を納めていたが、バカバカしくなっていた。それが、経営者を止める理由の一つでした。毎日15時間ぐらい働いたり、新商品の開発に頭を使ったりしても、その利益の60%以上は税金で持っていかれていた。人の何倍も仕事をし、考えても、持っていかれるばかりで、其の持っていかれた税金は、私が、思うような使い方をしてくれない。気に入らないからと言って、納めなければ、犯罪者になってしまう。 日本へは税金を納めたいと思わなくなってしまって、私は、社長を止め、インドネシアへでて、自分のお金を自分が思うように使うことにしたのです。 15年前に、私は、とっくに日本を見はなしたのです。そして、行政を頼りにしない、頼れないと思う人がどんどん増えているのです。外国にいると、日本の政治、行政の貧困は群を抜いている。首相がコロコロ変わること一つとっても、外国は日本を当てにしなくなっている。ただ、お金を出してくれることを願っているだけで、お金をせしめて、懐へ入れて、ほくそ笑んでいる、東南アジアの政治家や経営者の顔が思い浮かぶ。沈みゆく日本丸から、沈んでしまう前に、頼りにしていますと、揉み手をして、出来るだけお金を貰っておこうという態度が見え見えなのですが、日本の政治家は、感じていない。
2011.01.05
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斜めからインドネシアを眺める 838また、ゴルフ。30日のメンバーから一人抜けて三人でした。冗談や馬鹿が言える三人なので、私の提案でグリーンにオンして竿以上の距離なら自動竿とした。そうしたら、S氏からの提案で、竿は三点ではなく五点にしようということになった。たわいない話だが、73才と67才二人の三人は、ほとんど、童心に帰ったように夢中になって、オリンピックを争った。ハーフの食事をしながら、盛んに、S氏の基本的な考えを私に伝えようとする。私の生き方と、考え方はそれとは真反対である。それも、S氏は承知している。しかし、それでも、私の考えを変えてS氏の考えに同調して行動してほしいと言っている。困った、影響されそうで怖い。N社は6日が始業式になるとのこと、昨年末でN社から抜けて、今年、インドネシアで、ほかの会社を手伝うことになっている私に、始業式に顔を出して欲しい、というより、半強制的に始業式に来い、という。何のために行くのか分からないが、断りきれないので、8時には行くことを約束してしまった。インドネシアでほかに会社に籍を置いても、N社を手伝えという意思を強力に、私に伝えていることが理解できる。 N社、ゴルフ場、富士山静岡空港がここから近い、箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ、の、大井川です。ゴルフ場近くに茶畑の向こうに朝日を浴びた富士山です。皆さんの検索で一番多いのはやはりというか、当然というか、残念というか、“ブロックM”“カラオケ”“キャディー”です。日本人駐在員が一番、興味があるのは、こういうことであるとはっきり言える。 “じゃかるた新聞”です。一面トップの記事と各記事の見出しを見ることが出来ます。http://www.jakartashimbun.com/ “日本円とインドネシアルピアのレート”です。http://www.seputarforex.com/berita/kurs/grafik.php?ec=jpy&va=yen_jepang
2011.01.04
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斜めからインドネシアを眺める 837 インドネシアの国としての翌年の暦は10月の終わりごろ政府から示される。宗教の決まった日があるのでそれが優先で、日本のように日曜日に重なったときは月曜日を休みにする、ということはありません。会社によっては、動かしてもあまり問題が無い日で飛び石になる場合は月曜日や金曜日に移動します。レバランやクリスマスの休暇は国の休日以外にチュティブルサマといって、有給休暇を皆さんで取りましょうという日を政府が指定します。これは、拘束力はありませんが、会社の暦はそれに従うのが慣例です。 その年に依って、日曜や土曜日に重なれば、休日の数が違ってきます。今年は休みが少ないとか、多いとかいう現象が起きます。年賀状、もう何年も書いていません。インドネシアへ行く前は、毎年欠かさず、筆で一枚一枚書いていました。年賀状は子供のころから、墨を磨って筆で書くものだと思っていた。印刷など邪道だと思っていた。当時はワープロで印刷しようとすれば出来たし、会社から印刷して出すことも出来ましたが、そうしなかった。百枚位は書いていた。相手の人に合わせて、冒頭の謹賀新年以外は文面も、考えながら変えていた。気持ちを込めて書いていたが、そのスタイルを変えることが出来ず、少々、負担になってきていた。インドネシアへ赴任したことを、自分としては、理由にして、年賀状を書くことを止めてしまった。毎年、暮れ正月10日間ほどは日本にいるが、書こうと思っても、間が抜けた時期になってしまうと思った。日本へ戻ったら、その書かない理由が消えるので、また再開すると決めている。まだ、その時になっていないので、今年も書かない。年賀状というものはこちらから出さなければ、いつの間にやら、来なくなってしまうもので、今回受け取った年賀状は、十通でした。暫く来なかった人から、復活することはないので、どんどん少なくなる一方です。ですが、それを寂しいとか、お付き合いが少なくなってしまったとか、思いません。お付き合いの対象が、日本国内よりインドネシア国内に移ってしまっているし、メールでのやり取りで十分なお付き合いをしているのですから。付き合い場所というか、環境というか、そういうものが変化することは仕方が無いと思う。長く生きていれば、これからも変化をし続けると思う。年賀状というものは、日常的には付き合っていない人に、“元気ですか“元気ですよ”と出すものだと思っているから、対象は増えていることも確かなので、私はウェブサイト、ブログにアクセスしていただきたいと思っている。
2011.01.03
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斜めからインドネシアを眺める 836新年明けましておめでとうございます。ウィーンフィル ニュー イヤー コンサートを聞きながら、くつろいでいる。毎年、元日の夜は何十年もこうしている。95歳になる母親と食事をした。まだ、インドネシアで仕事を続けることで心配をしてくれているが、日本へ帰ってきてしまうと、安心してぽっくり行かれても困るので、心配を掛けるくらいの方が長生きするでしょ、という、たわいない話をした。全然ボケていない。インドネシアの正月はレバラン、ラマダンだし、中国は春節だし、その国々では、も西洋暦の年末年始は、一応、1月1日はナチョナルホリデーにしているが、長期の休みはなく、暦通りです。この時期を会社も特別な扱いはしません。クリスチャン国家はクリスマスから正月にかけて休みとしますが、日本もそれに近い。国の事情によって会社独自の休日、仕事日の暦を作ります。インドネシアの場合、ナショナルホリデーは独立記念日、元日以外は全て宗教がらみです。その重要度も違います。その休日が自分の宗教と違う場合は休んでも仕方が無いので、休日出勤をしたいのです。一般的に、インドネシアへ進出してくる企業の狙いは、人件費の安さです。人海戦術で組み立てをする会社が多いのは当然です。三交代で、休日は、ほとんど無視して、連続生産をします。休みは、交替勤務のシフト変えのため、どうしても、連続では出来ないので、そのための休み、一週間に、8時間だけ組み立てラインを止めるだけの会社が多いし、四組三交代の会社は、レバラン休暇以外は、全く、製造ラインを止めない。残業も最小限にすることが出来る。仕事の内容に依る。そういうことを知っていれば、各社独自に年間カレンダーは、経営者の考え方次第です。必要なことは、インドネシア従業員に、カレンダー作りの基本的考え方を、周知させることです。 年末年始の暦はインドネシアの暦通りにする会社が多い。日本人は、帰省するする人も多いが、有給休暇を消化することになる。 富士山の頂近くの日の出です。富士五湖の一つ、本栖湖から撮影です。PT.PARAMOUNT BEDの今年のカレンダーの一月、カリマンタン、ポンティアナックの町の北にある赤道のモニュメントから写したサンセットでした。
2011.01.02
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斜めからインドネシアを眺める 835昨年中は、多くの方々に大変お世話になりました。有難うございました。Thank you so match. Terima kasih baniyakです。昨年は年初から、重い荷物を抱えたり背負ったりしたが、今は、既に消したものあり、継続するものは、全てを軽くして、ほかの人に渡した。だから、私は何も荷物は抱えていないし、引きずっているものはない。その状態で年を越し、来年1月9日までは、荷物が無いままです。 つかの間の荷降ろしです。もういいじゃないか、と、思うのですが、性分でじっとしていられない海の中のマグロならぬ、カツオです。泳ぎ回っていないとSurgaへ帰ってしまいます。先ほどの電話打ち合わせで、どうも、かなり重い荷物を背負い込むことになると予想される。インドネシアへ戻ったら直ぐに、手伝いを頼まれている会社へ初訪問し、社長の人物像や今までの経過と現状を確認し、その重さを感じることになる。昨年12月中旬まで、縁もゆかりもない会社と人の手伝いをしようとするわけで、相手次第という要素が沢山ある世界で、どれほどの荷物になるだろうか、現在は想像できないが、面白くなりそうである。インドネシアの写真集です。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html とにもかくにも、2010年さようなら、皆さんに取って、2011年も良い年であるようお祈りします。また、本年もよろしくお願いいたします。ドイツ ニュールンベルグの孫たち、バナナは私がインドネシアからの土産でもっていった物です。
2011.01.01
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