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「ある人物をひとに観察させるとき、よほどの器量の者に見せなければ印象を誤る」 (夏草の賦、文庫本上、司馬遼太朗著より)
これはどういうことかというと、蟻が像の全体を見ることができないように、 普通の人では、大人物は大きすぎて見えないというようなことです。
つまり、心の内面で考えていることとか志し等が高尚すぎて、凡人では慮ることが できないというようなことです。
凡人はその大人物を自分のレベルで浅くしか見ることができず、本当の姿というものを 知ることができないから、その大人物の人物評を誤りやすいということです。
同じ行為をしていても、例えば寄付をしているときに、行為は同じでも、 その動機のところが問われます。
寄付を売名行為の手段にしている場合と、純粋に本当に役立てて欲しいという 気持ちで寄付をする場合とでは、大きな違いがあります。
一般に、寄付をする人の動機まで見抜くのには難しい面もあります。
ただ、大人物の場合は、認識力が高く、物事や人物がよく見えるので、
寄付をする人とちょっと話しただけで、その人の動機まで見抜くことは
たやすいかもしれません。
会社の入社面接試験でも、人事部の採用担当者が不採用にした受験者が他の会社で採用され、 将来その会社の社長になったという例を聞いたことがあります。
一般に人事部の人は自分の部下にしたいぐらいの人を採用する傾向にあるらしいです。 その人事部の採用担当者は将来大成するような人を見抜くだけの力がなかったのでしょう。
本の偉人伝なども同じようなことがいえます。
偉人伝の中の偉人とその作者とでは、通常偉人の方が、大人物であり、認識力が高く、
物事がよく見えます。
したがって、作者はその偉人の全体像をつかみきらずに、十分には表現できないでしょう。
誤解する場合もあるかもしれません。
目に見える行為については書くことができても、どういう思いでその行為をしたかまでは 想像でしか書くことができません。
私たちは、大人物や偉人にはなかなかなれないでしょうが、近づくことはできます。
そのためによこしまな考えや、自己中心的な考えを捨て、認識力を高めていく努力を
していきたいものです