森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2025.08.11
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カテゴリ: 生の欲望の発揮
正岡子規は「病牀六尺」の中で、 ​「悟りというのは、いかなる場合でも平気で死ぬことかと思っていたのは間違いで、いかなる場合にも平気で生きることであった」​ と書いている。

正岡子規は当時不治の病と言われた脊椎カリエスに侵され、激しい痛みと身体の自由が奪われていた。寝返りを打つこともままならず、鴨居に通した紐を体に巻き付けて引っ張ることでなんとか目的を達するような状態であった。その痛みは我々の想像を絶する。
普通ならば「どうして自分だけがこんな目に遭わなければならないのか」と運命を呪うか、放心状態ですべてを諦めて死を待つことくらいしか考えられない。

以前の正岡子規は武士道や厭世観の影響もあり、死を恐れないこと、あるいは潔く死を迎えることが「悟り」であると考えていたようです。
その後病気になって考え方が変わりました。
「平気で生きる」とは、単に死を恐れないということではなく、どの様な困難な状況にあっても、動揺せず、平静な心で日々の生を肯定し、受け入れることこそが真の「悟り」であるということが分かったということです。

これは森田理論の考え方と近いものがあります。

①苦痛や困難を直視し、病の苦しみから逃げ出さないで、それをありのままに受け入れること。



子規にとって「悟り」とは、死を遠ざけることで、死を賛美することでもなく、死と隣り合わせの状況であっても、ひたすらに「生」を肯定し、そのなかで精神的な平安を見出すことだったと言えます。

これは倉田百三の「絶対的生活」の考え方と重なります。
倉田百三は当初、哲学的な思索や観照によって真理に到達しようとしましたが、それだけでは現実の苦悩から救われないことに気づきました。
そこで、「神の力が自分を動かして、その動きの中で反省すればよい」というように、思索だけではなく、具体的な生活の中での実践や体験を通して真理をつかむことを考えました。
そこに到達する段階で、森田先生の思想的影響を多分に受けています。

倉田百三の「絶対的生活」とは、苦悩や煩悶があっても、それを無理に打ち消そうとするのではなく、「あるがまま」に受け入れることを指します。
この考え方は森田理論の①不安や症状を「あるがまま」に受け入れる。②不安や症状にとらわれないで「なすべきこと」をなすという考え方と同じです。





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Last updated  2025.08.11 08:01:53
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