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だまし討ちのようだったライブドアの株買収騒ぎは、アメリカ流の企業買収を見るようで、好きになれない。この騒ぎには政治家、官僚まで口をはさみ、すごいことになってきたが、なにも日本企業が米資本主義の薄汚さまで真似しなくても・・・違法すれすれ、金が全てのアメリカンスタンダードが日本にとって、良い訳がないと思うんだが。果たしてグローバリズム(野放しアメリカニズム)は必然なのか?アメリカンスタンダードには倫理に根ざした枠があって当然ではないか?その枠が無いなら、国際的ルールに欠陥があるのでは?資本家、お雇い弁護士で固めたアメリカの経済ナショナリズムには、日本も経済ナショナリズムまたは市民的嘲笑で抵抗するしかないのか?毒(ホリエモン)をもって毒(旧幣企業)を制すという見方もあるしなー・・・判らん。とブログのなかでぼやくことしきりですが・・・ブログのなかでぼやくことの空しさを感じて、最近はブログ巡りはするが、書き込みの意欲が落ちています。しかし「無能感と多幸感の「あわい」を遊弋すること、それが複雑系としての社会を生きる人間のマナーだと・・・」というふうな、こんな哲学的な問答が垣間見られるのもブログのおかげなんですね。これを読むと、ぼやき続けることにも淡い有効性があるかも?・・・という希望も沸くではないですか。私が勝手にリンクしているヒラカワさんのブログから内田樹さんとヒラカワさんの哲学的なお話が見られるので、紹介します。●「複雑系」というのは単純に言ってしまえば「入力と出力が一対一的に対応しているわけではない」システムのことです。プリゴジーヌの「バタフライ効果」(北京で蝶が羽ばたきすると、それによって生じた空気圧の変化が太平洋を越えてカリフォルニアにハリケーンを起こす、というあれです)という絵画的な比喩で知られるように、「わずかな入力の変化が劇的な出力の変化を結果することがある」のが複雑系の特徴です。株式市場における投資家の行動から鳥の渡りまで、現実世界のほとんどすべての事象は複雑系です。だから、「自分が悲惨な人生を送っている」という事実からは「その悲惨な人生から受益している人間がいる」という事実は演繹できない、というのが二十世紀以降科学的な「常識」に登録されたはずなんです。にもかかわらず、あたりを見渡して見ると、これを「常識」として日々ものごとを判断している社会人て、ほとんどいないんですね。ほんとに、こういうことこそ「常識だろ」と思うんですけど、「常識」って意外に「常識」とされてないんですね。●複雑系としての社会には二つの側面があります。「先がどうなるか正確に予見することはできない」ということ。これはぼくたちにある種の無能感をもたらす場合があります。もう一つは「わずかな入力の変化で劇的な出力の変化が生じることがある」ということ。これは「レバレッジ」に行き当たりさえすれば、一人の力で宇宙全体さえ動かせるという多幸感をもたらす場合があります。この無能感と多幸感の「あわい」を遊弋すること、それが複雑系としての社会を生きる人間のマナーだとぼくは思うのです。時が経つのを忘れてその問答に聞き入るが、これがネットに溺れるということなんだろうか?ヒラカワさんも、こう言います。同感ですねー!●ライブドアのニュースが示しているのは、資本主義社会の末期的な姿だろうと思う。ひとつの企業の末期ではない。資本主義というシステム全体の末期はこのような形で表出するという見本を見せられているという他はない。個々の欲望を解放する方が、それを誰かが制限するよりも、社会総体としては公平かつ安全に機能するという方に賭けた。だから、いまさらいわんこっちゃないなどと言うつもりはない。ただ、人間の欲望というものをすこし甘く見ていたのかも知れない。いま俺たちが見ているのは、欲望が規矩を越えていく劇である。自分の規矩に従って負けたっていいじゃないかという人間がいなくなれば、「右も左も真っ暗闇」じゃござんせんかということになる。●確かに、ここのところの十年は、終身雇用性を前提とした雇用システムが、なかば意図的に、なかばやむなく崩壊し、変わって自己責任、労働市場の流動化、それに伴う、成果主義、能力主義といった労働思想が台頭してきたことは事実です。こういったアメリカグローバリズムの進展を日本の企業社会は否応なく受け入れているわけです。それが、人を幸せにするシステムではないとは、言いやすいことですが、多少格差が広がっても、平均点を引き上げるという方向は今後も変わらないように思えます。これは、経済成長神話がなくなるまで、続くと思います。で、じゃあどうすりゃいいだよということなんだと思います。ライブドアのアメリカ流買収劇
2005.02.25
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1941(昭和16)年、陸軍大臣東条英機の名で出された「戦陣訓」あたりから、捕虜になることは最大の屈辱という価値観が形成されたのですが・・・・生きて捕虜になった場合「非国民」と非難されたようです。明治、大正期を過ぎ、皇軍も世間の常識から隔絶されて純粋培養されてくると、井の中で精神主義も極まり(だんだんとウロが回ってくるというか)狂気を帯びてきたようです。明治につくられた「軍人勅諭」には、「生きて虜囚の辱を受けず」というまで理不尽で人間無視の軍律はなかった。こういうアホな軍律を思いつく官僚軍人には、当然として民間人保護という考えは理解不能なんだろう。しかしまー 当時は民間人まで「戦陣訓」の風潮に染められていたんで、軍人ばかり責めるのは酷かもしれないが・・・・・日本人(昭和の軍人)がここまで凋落したのは 何故だ?という疑問がわいてくるのです。そして、こういう思想教育で育った我が将兵は、終戦前に満州と沖縄で棄民ともいえる行動を取ってしまった。特に沖縄では米軍より怖い皇軍であったらしいが、思想教育の行き着く先にはこんな愚かで悲惨な状況があったということを、いつまでも記憶しておく必要があると思うのです。そのあたりを田村先生のHPの戦陣訓を見て考えてみます。●第8 名を惜しむ 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答 ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。●沖縄では日本軍によって,多くの住民がスパイ容疑で殺害され(日本軍は参謀長名で,「沖縄の方言を使う者は間諜(スパイ)と見なし処分する」と命令した。その背景には,「厳然たる措置をとらねば,米軍にやられるより先に,島民にやられてしまう。だから,断固たる措置が必要だった」という蔑視思想があった。例えば,沖縄本島北部で米軍に降伏した国頭(くにがみ)支隊の秘密戦大綱には「本島ノ如ク民度低ク……」記されている)。また,各地で住民の「集団自決」を強要した戦い⇒それは,軍命として出された「悠久の大儀に生きよ」や,戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」などの思想教育の賜物(たまもの)であった。沖縄戦
2005.02.22
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年々感じる酷暑や大型台風の頻発などの異常気象には温室効果ガスの影響が懸念されていますね。私事ですが、楽天日記を書き始めの頃、我が家のケヤキの葉っぱの惨状(下記写真)を書いたことがあります。確証するデータがあるわけではないが、たぶんケヤキは中国から流れてくる酸性雨の影響を受けていると疑っているのです。 今日の新聞報道によれば、日本鉄鋼連盟は中国からの要請をうけて、環境技術を供与することを決定するそうです。(24日の運営委員会で正式決定予定)これからマイカーブームとか鉄鋼生産が加速する中国からは、更なる悪影響が懸念されるけれど、環境負荷の減小につながる今日のニュースは日本としても一市民としても朗報であり・・・・京都議定書が発効(2/16発効)したあとに、こういう具体的な動きが出たことは喜ばしいことだと思います。温室効果ガス(CO2等)の大口排出国の1、2位はアメリカ、中国であり、そのアメリカは京都議定書から早々と離脱し、中国は京都議定書の対象外ということで、京都議定書の有効性に疑問をはさむ意見があるにしろ・・・・一極なのに環境に無責任なアメリカに猛省を促す意味でも、ここは日欧は万難を排して京都議定書を守り進めるべきではないかと(ゴマメのような)市井の一市民としても思うのです。環境問題とはアメリカに抗して日本が世界に対してイニシアティブを執れる唯一の分野であり、一極主義のアメリカを諌め、崩すための最適の入り口だと思うのです。そして、世界はアメリカの為だけにあるのではないことを、アメリカの片田舎にまで浸透させて、アメリカ市民による政権への突き上げを期待しようと切に思うのです。尖閣列島の日本側ガス田から天然ガスを横取りしていると報道されているような中国にはODAを終結すべきだという世論もあるけど・・・・日本の環境保護にもつながるし、世界トップの省エネ技術を供与することが京都メカニズムの活用にもつながるし、ギクシャクした日中関係の改善になるなら、今回のニュースは一石三鳥のような朗報との思いがするのです。<京都メカニズム>京都議定書の目標を国際協調によって達成するための措置で、これまでに日本政府が承認した京都メカニズムのプロジェクトはマレーシア、チリ、インドなどに対して15件あるそうです。その措置とは・・・・先進国同士で温室効果ガスの削減に協力し、成果を自国の実績にする。・途上国の削減量を先進国が受け取るクリーン開発メカニズム・排出枠を売買する排出量取引本川裕さんの社会実情データ図録より世界各国のCO2排出量を紹介します。本川裕さんは「米国は現在でも20.3%排出に責任があるが、過去の累積では29.5%と3割近くを占めており、責任はより大きい。」と言っています。チーム・マイナス6%とは
2005.02.20
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ロボットの話が続きます。といっても映画「A.I」の感想なんですが・・・・愛情を持つ人工頭脳(A.I)とは、ロボットが追い求める夢とは・・・SFそのものです。少年型次世代ロボットであるデイビットをロボット会社の従業員夫妻が引き取った。彼らは不治の病に冒された実の子供を冷凍保存してあり、デイビットはその代わりだった。母親を永遠に愛し続けるようプログラムされたデイビットだったが、まもなく実の子供が最新の医学で生き返り、あっけなく捨てられてしまう。そして、ピノキオのようなデイビットの旅が始まる。・・・人類が絶滅したあと進化したロボットが、氷結した海の中からブルーフェアリーとデイビットを発掘するところが、「2001年宇宙の旅」で描かれたように月でモノリスを見つけた人類という設定に似ていて、スタンリー・キューブリックとの繋がりが感じられます。ブライアン・オールディスの「スーパートイ」をもとにスタンリー・キューブリックは映画「A.I」を作り始めたが、お二人の仲たがいで完成には至らなかったようで・・・キューブリックの没後にスピルバーグが後を引き継いで「A.I」が世に出ました。キューブリックの「A.I」を見てみたかった気もするが・・・・スピルバーグの「A.I」もこれはこれで・・・良かった。ロボットが2000年の時を経て、夢を追うという筋立ては手塚治虫の火の鳥を彷彿させるが、「ET」を作ったスピルバーグの感性はこの映画にむいているかも知れませんね。ところでデイビットの家の欄間もガラス窓もなにがしか日本風にできているが、黒澤映画に憧れたスピルバーグの作品には日本がでてくることがよくあります。「太陽の帝国」ではゼロ戦パイロットに憧れる英国少年が出てくるし、ジュラシックパークはゴジラから着想したらしいし、もしかしたら「A.I」には鉄腕アトムが影響を与えているかもしれない。この映画のなかにピノキオの挿話は出てくるが、デイビットの夢を追いかける遍歴そのものがピノキオのお話とダブっていて心憎い演出です。ジュード・ロウ演じるジゴロロボットの手引きでセックスシチィに出かけることになるが、ピノキオのお話でも似ているシーンがあったかな?海に沈んだ遊園地でデイビットがブルーフェアリーの像を見つめて2000年の時がたつというのが、壮大でいいですね。人類が絶滅したあと、人類の記憶そのものとも言えるデイビットを未来のロボットが丁重に扱い、健気なデイビットの夢をかなえてあげるのが泣かせます。つねづね思うことだが、おとぎ話は究極のSFではないかということです。誰か かぐや姫をSF仕立ての映画で作ってくれないものだろうか。A.Iオールディスへのインタビューところでオールディス翁はジョージルーカスのスターウォーズを次のように批判しています。目からうろこですね。西洋=肉体。東洋=精神という陳腐なクリシェにまんまと観客は引っかかった。このトリックでルーカスは人殺しの道具に他ならないフォースの実態を隠し、心の問題へのすり替えに成功したんだ。それは教育ではなくZENであり、訓練ではなく修行だった。主人公の努力は描かれるが、それらはアメリカ人の記憶に見当たらない、追体験が出来るものでもない。つまりは観客に努力の気分だけを味わってもらうための座興に過ぎない。おまけにそれらはヒューマノイドタイプの教官ではなく、導師であるヨーダによってなされるのだ。SWのヒットはアメリカ人の精神がどれだけ脆弱になっているかという証拠でもあるね。彼らはフィクションの中でさえ辛さをリアルに味わいたくないんだよ。
2005.02.19
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トップのマッドアマノを覗くとスターロボットウォーが載っていた。やはりこう書くか・・・・座布団5枚!数日前のテレビでも キャタピラ駆動の戦闘ロボットが放映されていたが・・・・これまでの米軍の侵略戦争を見てみると、地上戦でいかに効率的に人的被害を抑えて戦うかが、米軍の課題であることは容易に理解できる。スターロボットウォーとは片手間で戦うラムズフェルドにとっては、SFではなくて実現可能な最新兵器なんでしょうね。日本の優秀なロボット技術も、うかうかしていたら同盟軍に召し上げられる可能性だってあるのではないか?(まさか 商機到来とは思ってないでしょうね。)世界中に常備軍を駐留させているアメリカにとってはイラク占領に割く部隊の規模には当然として限りがあるようです。効率重視のラムズフェルドは短期決戦には勝利したが、占領後の投入兵員をけちりすぎたようで、日本占領のような成功例と比較すれば、1桁ぐらい多くてもよかったのではないかと思うが、陸軍軍人の絶対数に限りがあるからそれもできないようです。それにしても 米軍占領下の日本で米兵の死者が出なかった事実には驚きますね。
2005.02.18
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今日も天木さんのブログを見たが、まったくだ!と思ったので転載します。日高義樹さんは言う●ブッシュ政権の軍事優先一国主義の現れの一つが、国防総省の機能強化だ。従来は国務省(外交戦略)、国防総省(軍事)、CIA(情報・工作)の三権分立体制をとってきた。しかし今後はすべての役割を国防総省が握る事になる。日本に対する配慮を多少なりとも心がけてくれた国務省の地盤沈下で、アメリカの日本に対する態度は従来のものとは全く異なるものになる。●ブッシュ政権のエバンス商務長官は、「貿易赤字が増えたらドルを刷って渡せばよいだけのことだ」と発言している。アメリカがおそれているのは中国人民元と日本円を中心としたアジア経済圏だ。それを押さえ、二つの国に稼がせてアメリカに投資させる。日本と中国がアメリカと貿易を続ける限りアメリカは超然と出来る。フランスとドイツの凋落によりユーロはアメリカの脅威にはならない。そして天木さんも言う ●このようなアメリカの戦略が思い通りに実現するかどうかは世界情勢の推移にかかっている。しかし少なくともこれが米国の正体であることは知っておく必要がある。この米国の正体を知った上で小泉首相や外務官僚が無条件の米国追従を繰り返しているとすれば売国的である。もしこの米国の正体に気付くことなく「米国は日本にとって最良の同盟国だ」と信じているのならとんだお人好しだ。まったくだ!米国の正体を知った上での対米追従とは、まったくお人好し(アホ)だ。
2005.02.15
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立春は過ぎても春は名のみの寒い朝ですが・・・朝連にでてみたら、こころなし日の光が春めいています。今日は菜の花忌ですね。いかにも司馬さんへのオマージュという優しいネーミングでしょう。八戸ノ里の司馬遼太郎記念館にも行ったことがあるんですが、この家の庭が自然風で司馬さんの人柄が表れているようで、好きなんです。司馬さんと言えば若干批判的な意味を含んで“司馬史観”ということばが定着していますが、歴史学者をさておいて、ひとりの物書きの歴史認識が与えたインパクトは大きかったようです。史観といえば歴史認識のスタンスでしょうが、悪くいえばバイアス、偏向とでもいうものでしょう。偏向?した私が個人的歴史学としてブログのサブテーマを設けているくらいだから、司馬史観は気になるところです。米軍上陸に備えて、オモチャのような戦車を与えられて栃木県佐野で待機する司馬さんは鬱憤やるかたなかったでしょう。物書きになるまえの この怒りはもしかしたら司馬史観のベースを成したのかも知れません。司馬さんは昭和の歴史を嫌い、とうとう昭和を舞台にした作品は出さずに亡くなりました。。敗戦前に 統帥部の過ちをどれだけ実感として把握していたかは知りませんが、戦後の司馬さんは、とことんこの統帥部を批判しています。私も日本を破滅に引き込んだこの統帥部という尊大で無能な官僚集団がとことん嫌いです。ところで楽天のeba3515さんが司馬史観について歴史学者(の卵?)として次のように客観的に評価していますが・・・司馬さんはやはり好きです。確かに司馬は偉大な歴史作家だが、彼が評価した人物はイメージが良く、彼が悪く小説に書くと悪いイメージが広がってしまったというマイナス面がある。例えば、『菜の花の沖』で彼はロシア使節レザーノフをことさら悪く描写していて、クルーゼンシュテルンを引き合いに出して彼を評価していて、以後レザーノフというと、あまり良くない印象が定着してしまっている。『竜馬がゆく』で坂本竜馬を持ち上げすぎたとか他にも探せばいろいろあるだろう。明治期の日本史学界は、帝国大学を中心として巷間にはびこる歴史の俗説を徹底的に排除することを目的にして、その大ボス重野安繹はマスコミから「抹殺博士」と呼ばれた。しかしその後はそういう仕事は一段低いものと見なされたのか、今ではあまりそういったことは行われていない。
2005.02.12
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歴史認識の違いというか、認識度の違いによりネット内で中傷合戦が見られるが・・・・だいたいがまあ「ソースを見せろ」というネットウヨの呪文は立証責任の転嫁でしょ。・・・・と秀さんが言っています。秀さんはつねづね論理的で長文のブログを書いているので、休日でないと全て読む暇がとれないのです。今日は休日でじっくり読んでみたが・・・秀さんの2/10ブログで歴史認識について明解に述べているので、その弁を紹介します。●歴史認識というものも、歴史というものをどうとらえるかという本質論があるのかどうか疑わしい。学生の頃によく読んだ羽仁五郎さんは、歴史というものは、単に過去に何があったかという記述をするのではなく、未来への指針とすべきものを引き出すものだと語っていた。過去を否定し克服することこそが歴史学習の根本にあるものでなければならないという主張だった。これはとても共感したものだ。●「歴史認識」はもっと根本的・普遍的なものにかかわって提出されなければならないだろう。例えば、「正義」と言われる概念も、それがあらかじめ絶対的に決まっているものではなく、歴史を経て獲得してきた概念であるととらえるのが、本来の意味での歴史認識だろう。「南京大虐殺」の問題も、その事実があったかなかったかというつまらない問題としてとらえるのではなく、「正義」の問題として普遍性を持たせた方向で考えることこそ、歴史認識を基礎にしたとらえ方になるのではないか。近代の戦争では、単純な軍隊と軍隊の衝突での戦闘だけに限らなくなった。その戦闘に、非戦闘員である民衆が巻き込まれるのがほとんど必然になった。これを「正義」の観点からどうとらえるかと言うことが根本的な問題だと思う。これが確立すれば、「南京大虐殺」の問題も、そのとらえ方が確立していくだろう。それでは、小林よしのり氏と秀さんとでは歴史認識はどのように違うのだろうか?・・・建国記念の日だから自問してみようか?(もしふたりがディベートしたなら、たぶん秀さんがコテンパンに圧倒するのではないだろうか?)ところで今日は春節ということで 南京町に行ってきたが、ものすごい人出でした。関西いちえんから来たひとが、狭い南京町にあつまれば混んで不思議ではないが、ルミナリエより混んでいている活況は不景気を吹き飛ばすようで・・・喜ばしいですね♪
2005.02.11
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フジテレビがライブドアの傘下に入るか?というニュースに驚いた。ライブドアの堀江社長がメディアの株取得にのりだし、わずか2時間のだまし討ちのようなニッポン放送株買収だったそうです。この買収劇は経済ルール上は合法らしいが・・・・私はアメリカがもたらした企業買収の動きには好感は持っていない。金が全ての自由競争がアメリカンスタンダードであるが、そのアメリカンスタンダードが世界に幸福をもたらしただろうか?アメリカでは90年代に入り、金融やIT関連で始まった企業の合従連衡、合併再編の嵐がメディアにも浸透し、メディアが巨大コングロマリット化したらしいが、これが報道の自由にいいわけがない。日本ではアメリカ流経済の後追いが多々あるが、アメリカを反面教師として活用する知恵が育たないように思うが、なぜなんだろう?ライブドアの狙いはプロ野球なのか?メディアなのか?・・・あるいはアメリカ流のマネーゲームか判らないが・・・メディア買収が狙いならば、アメリカ流の悪しき情報操作につながる恐れがあるのではないか?と心配です。ところで日本の財務省、金融機関がアメリカにからきし弱いのが気掛かりですが、財務省なんかはアメリカとの共倒れによるリセットを狙っているのでは?と思うほどのていたらくです。ということで「円のドル化」を憂う天木さんの2/5ブログを紹介します。米国の双子の赤字の約4割を米国債購入という形で支える日本は、もはやドルが下落すると資産を失ってしまう為永遠にドルを買い支え続けなければならなくなっている。これこそ、日本の資金によって経済破綻を防ごうとする米国の日本金融支配の結果である。そして自らも経済破綻に近づきつつある日本がもはやこれ以上米国のドルを支えきれなくなったとき、残る選択肢は「円のドル化」しかないというのだ。「円のドル化」によって日米の債権債務関係は棚上げとなり財務省の責任は吹っ飛んでしまう。為替差損のリスクがなくなれば日本の個人資産は自動的に金利の高い米国へ流入していく。邦銀は軒並みに資金が枯渇し経営危機に陥る。取引企業も窮地に陥る。そこに外資が来て日本企業を次々に買収するのだ。米国の日本支配は、軍事的な占領と金融による占領があたかも車の両輪のように急速に進んでいるかのようだ。小泉首相や竹中大臣の一連の改革が、米国の手先となって日本経済を米国に差し出していると巷間囁かれる理由がここにある。やってくれたよ!大黒選手!北朝鮮メディアは沈黙しているそうです。それにしても北朝鮮は強かった。引き分けでなくて・・・・良かった。
2005.02.09
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無条件降伏を回避する本土決戦方針に基づいて・・・・大本営は米軍上陸のまえに虎の子の精鋭部隊を台湾に避難させたという。その時期、沖縄県民を本土に疎開させるには輸送手段がなったにしろ、「出血持久」という冷酷な方針により(結果的に)民間人を戦闘に巻き込んだ日本軍人の愚かさはどこからくるものだろう?日本の軍人と外交官は戦争の負け方を知らなかったのだろうか?そうではないだろう・・・・サムライの時代から戦ってきたので、壊滅的敗戦を避けるだけの知恵、無意味な殺生を避ける知恵はあったのではないだろうか?その知恵まで鈍らせた昭和の軍人の凋落とは、まさに武士道に反するものではないかと思うのです。ということで天木さんの2/3ブログが「武士の逆襲」(講談社現代新書)を書いた東京大学教授(倫理学・日本倫理思想)の菅野覚明氏(49)の弁を紹介しているので受け売りで紹介します。明治15年(1882年)に発布された「軍人勅諭」の成立の検証で、菅野さんは、武士道が巧みに換骨奪胎される過程を見て取る。すなわち帝国軍隊の指導者たちは、本来の武士道の精神をたくみに排除し、国家の軍隊の統制を図る為、「本来の武士道」に代わる「大和心」を生み出したというのだ。「・・・もし旧日本軍に武士道が正しく伝承されていたら、先の大戦のような壊滅的敗北は無かったと思う。武士道には戦争を終わらせる知恵も含まれていましたから・・・」我々は本来の「武士道」の教えを今一度自らの手で考えてみるべきなのだ。沖縄戦は「軍隊は第一に軍隊を守る,住民は二の次ぎ,三の次ぎ」という軍隊の本質をものの見事に立証した戦争であり、武士道とは縁の無い戦争だった。沖縄戦リンク
2005.02.06
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最近、カードのスキミングが話題になっていますね。ゴルフ場、風俗営業店、自宅(泥棒)などでスキミングされて、偽造カードで預金引出しされる犯罪です。この犯罪の被害者に対しては銀行からの補償はゼロで冷たいものです。銀行は不審な引出しを連絡してはくれるが、被害にあっても銀行は補償してくれないのです。1日の引出し限度額は500万円だが、それを6日繰返されて3000万円の被害にあった例とか、カードローンの限度まで引出されて預金額以上の被害にあった例さえあるそうです。(怖い)ICチップ内蔵のカードも万全ではなくて、個人情報がばれるだけにより危険との話もあるそうです。私のカードは事情により無効になったがその後新たにカードを作ってない。めんどうな手続きもさることながら、田吾作としてはカードが信用できないのです。我が家には嫁さんの使うダイエー系のカード1枚なのでスキミング被害にあったとしてもしれているが、全財産をひとつのカード口座に入れることは危険そのものらしい。個人の預金者に冷たい態度はお役人の態度そのものであり、消費者保護という意識は半官半民のような銀行には薄いことは当然として予想される。日本でも1988年に預金者保護の法制化が議論されたが、なりすまし詐欺などを恐れる銀行側の反対で見送られてしまった。(詳細は日経ニュース参照)日本の銀行は世界標準から外れていて、消費者保護の意識が欠落しているが・・いつまでたっても護送船団体質を脱しきれない邦銀はいずれ国民のしっぺ返しを食らうだろう。窓口のお追従笑顔より、横並びを脱して欧米の銀行のような消費者保護の姿勢を採ることこそが、お客さまのためではないのか?財務省の天下り役人を受け入れる銀行は特殊法人なのか?・・・・特殊法人ではないが、NHKと同じで半官半民のような体質は特殊法人そのものではないだろうか。かって半官半民、親方日の丸とは揶揄の意味を含んでいたにしろ、信頼の証であったが・・・・・今では不誠実、冷酷の証に成り果ててしまったのだろうか?(行員の高給を維持するには、金の亡者たらざるを得ないのか?)
2005.02.04
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