PR
Keyword Search
Calendar
New!
歩世亜さんComments
Free Space
日本地図Freepage List
図書館で『 プラナカン 』という本を、手にしたのです。
聞き慣れない『 プラナカン 』ということばが気になるので・・・チョイスした次第です。
*********************************************************
<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">
【 プラナカン 】
webp 画像につき開示できず
< 商品説明 >より
プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。 19 世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。
<読む前の大使寸評>
追って記入
https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b
">
プラナカン
</a></td></tr></tbody></table>
「第 3 章 日本が破壊したもの・支えたもの 」から興味深いあたりを見てみましょう。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P103 ~ 107
<font color="brown"> < 英国と中国に協力した「罪」の代償 > </font>
最終的には 6 月 25 日に、 5000 万ドルの小切手を日本軍に上納する儀式が開かれた。その相手とは、当時の日本の新聞が「マレーの虎」と呼んだ人物。第 25 軍司令官、山下奉文中将である。
借入金を含めた 5000 万ドルの小切手が、リン・ブンケンから手渡された。プラナカンたちの血と汗の結晶が、山下の手に渡った瞬間だった。横浜正金銀行の小切手の現物が残っている。漢字で「林文慶」と書いたリン・ブンケンの署名が見える。
式の会場に山下が粗有れるまで、リン・ブンケンらは 1 時間以上、起立したまま待たされたという。山下は小切手を受け取った後、日本の対英米戦争の意義や日本人の道徳、美徳などについて 1 時間近く演説したという。
要求を突きつけてから実際の献金に至るまで、日本軍がシンガポールを陥落させてから約 3 ヵ月しかたっていない。なぜ、これほど急いだのだろう。
献金は第 25 軍の独断で実行されたようだ。計画の報告を受けた日本本土の陸軍省は、
<font color="brown"> < ソチン虐殺事件 > </font>
日本による占領時代に、プラナカンの歴史は大きく道筋を変えました。その一つの大きな原因が、いまお話ししたように多くのプラナカン家庭の財産が失われたという事実です。
けれども、もう一つ失ったものがあります。プラナカンの人命です。私たちが「ソチンの悲劇」と呼ぶ事件のことをお話ししましょう。ソチン (Sook Ching) は中国語で「粛清」という意味です。そう、日本軍が多くの華人を粛清し、殺害した「 ソチン虐殺事件 」です。その史実を日本の学校ではあまり教えないようですが・・・。
日本軍はシンガポールに侵略前から「ソチン作戦」の実行計画を練っていたようです。侵攻後の素早い動きからみて、そう考えざるを得ません。 1942 年 2 月 15 日に日本軍がシンガポールを占領すると、彼らは直ちに「好ましくない華人」を見つけ出し、そして殺しました。
その「好ましくない華人」とは誰だったのか。日本軍は「プラナカン」とはいっていません。
しかし、多くのプラナカンが、自動的にこの分類に入りました。日本軍が捕獲と殺害の対象に指定したのは、特に中国の国民政府を資金的に支援していた人々だったからです。
( 中略 )
「粛清」は 2 月末から 3 月初めにかけて約 2 週間、続きました。 18 歳から 50 歳のすべての華人の男性は、島内のいくつかの登録所に出頭を命じられました。男性だけが対象です。彼らが「好ましい華人」かどうかを日本の軍人がその場で判断し、トラックで運び去りました。何が起きたのか・・・。埋められた大量の死体が後に発見されました。
南京大虐殺のシンガポール版という人もいます。被害者の人数は日本の見解では 5000 人だと聞いていますが、シンガポールとオーストラリアの歴史家は 2 万 5000 人~ 5 万人と推定しています。
</td></tr></tbody></table>
<a href=" https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603290001/ "> 『 プラナカン』 1 </a>
『クルドの夢 ペルーの家』2 2026.04.26
『クルドの夢 ペルーの家』1 2026.04.24
『ウクライナ侵攻までの3000日』2 2026.04.22