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4年ちょっと働いた某コンビニを今週でやめた。やめた理由は、もっと条件の良さそうな仕事が見つかったから。いてもいなくてもよいバイトらしくすでに入れられていたシフトも私の希望通り外されていた。マイブラシまで持ち込んで洗っていた什器の洗い方で、オーナーとの言い争いに敗れオーナーの言うとおり洗うようにしたらものの1週間もしない間に什器が茶色に汚れていったのもおかげで? 週3回入れてもらえる約束だったシフトが週1回に減らされたのも今となっては良い思い出。什器を適当に洗うようになって浮いた時間はありがたく、塾の予習に充てさせていただきました。本当にありがとうございました。とりあえず、店長と朝勤務のおばちゃんたちには本当にお世話になりました。お山の大将でずっとやっていた私には人の下で働くのは久しぶりで良い経験になりました。現在は、早く生徒増やしてダブルワーク状態を抜け出したいと思う朝5時40分起きの毎日です。
2012.10.17
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限界がすぐそこに見えてきたので塾は趣味として当分やっていくことにしました。趣味というのは、本業をきちんとやって成り立つもの。おかげさまで、趣味に取れる時間は思ったより少なく授業時間だけは、何とか堅持したのですが今まで、1日最大18時間はとれていた教材研究の時間が1日最大4時間しかとれません。そして、その4時間はきっと睡眠に充てると思います。本当にありがとうございました。
2012.10.11
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ご意見、拝見しました。あなたのお母さんと同じく、例え、どれだけ私にとって不都合でもきちんと考えた筋の通った言い分ならば、貴方の思うようにやってみればよいと思います。ただし、駄目だと気づきつつも、体裁悪いからずるずると続けたり上手くいってないのを隠すのは駄目ですよ?駄目とは、語義通り、打っても仕方ない手です。続ければ駄目詰まりになり、もっと悪くなっていきます。自宅学習の問題点を指摘します。だから止めろと言っている訳ではないので、その点は誤解なきよう。まず、実際、自宅学習がきちんとできる人は、全体の1割もいないでしょう。いや、学校の宿題とかみんな家できちんとやっているじゃないかと言われるかもしれませんが宿題というのは、出さないと怒られるという意味で強制力がかかっています。だから、みんなやっているだけです。自分のためだと思ってまたは、面白いと思って自由意志でやっている人がどれだけいるでしょうね。学校の宿題であっても、受験レベルで勉強することは可能です。(各教科間での調整をしているのかしないのか、量が多いので難しいですが)先生の中にはすごく工夫された良い宿題を出す方もいますしね。しかし、大抵の人は提出できればいいというレベル。宿題の中に、「受験」であるとか、もっと大きく「自己向上」というものを見ている人はほぼいません。ですから、できればいい、答えが出ればいい、学校の先生から文句を言われなければいいで終わっていきます。本当は、自分が満足できるかが問題なのです。次に、またかと言うかもしれませんが、携帯電話です。昔の学生は、家に帰ってしまえば、友達との連絡は基本できません。テレビは居間にしかありませんし、家に帰って夕飯を食べて、洗い物の手伝いをしてお風呂に入ってしまえば、もう後は本を読むか、勉強するか筋トレするか、それくらいしかすることがありませんでした。ですが、今の学生は違います。親が甘いので、ろくでもないテレビを見ていても怒られることもさほどありませんし夜の外出にも甘い。親が友達のところまで送っていくような状況が生まれてきています。携帯電話の管理も子どもまかせです。アメリカ的自由主義、個人主義は少なくとも今の日本には当てはまりません。文化の土壌が違うのです。conquerorであり、奴隷を使った民族と共同作業を営んできた民族では、相違が大きすぎます。ですから、そういう主義を当てはめるべきなのかという疑問もあります。閑話休題。携帯電話の電源を自分で落とす意思が持てない者にとって勉強中だろうが、就寝中だろうが、時、ところをかまわずメールや電話が入り、集中を途切らせる携帯電話ほど邪魔なものはありません。おかげで、集中力を保てない、さらには、本当の意味での集中状態にすら入れない学生が増えました。本来は、塾だから電源を落とすのではなく、外出中の緊急連絡のために持つものだから、帰宅すれば電源を落とすのです。集中したいから、電源を落とすのです。まともな大人なら、帰宅してからの携帯電話は、家の固定電話と同じく非常識な時間にはかけませんし、緊急でもないメールも打たないからいいですけどね。今のあなたの本当に集中できているときの集中力の持続は、だいたい50分くらいだと思われます。それでは、受験時の80分4問は、オーバーロード(過負荷状態)です。本来の実力が出せないと思います。今の家庭は、勉強するのに理想的な家庭が少ないのです。それが、事あれば「塾に来い。」と私が言う理由です。あなたが、自立しようといろいろと考えていることはわかります。ただ、今のあなたに欠けているのは、実行段階での意思の強さです。計画をたてた段階でほぼ満足してしまい、計画に狂いが出てきたときに、アジャスト(≒調整)しながら本来の方向に向けていくのではなく、いつのまにか立ち消えになっていくところです。思いつきに酔うといいますか・・・そういうところがあります。思い付きを吟味し、実行する中で洗練していくというところがありません。実は、あなたの考えることは、客観性にかけるところ、攻撃性が高いところと遵法性が低いところを除けば概ねいつもたいして間違ってはいません。ただ、継続しない。そして、言葉を選ばずに言えば、お嬢様であるがゆえに自立と言いつつ、人を頼るのではなく、甘えている部分があるところが問題です。「頼る」というのは、自分では出来ないところを誰かに助けてもらうということです。当然、自分でできることは自分でやるのです。でなければ、頼る相手に申し訳ないでしょう。全て、相手に任せきること、そして、助けてもらえることに感謝せず助けてもらうことを当たり前のように思うのは「甘え」と言います。頼るのであれば、相手の信頼も裏切らない義務のようなものがあると思うのですが基本、自分には甘いですね。(人のことは言えたもんじゃないですが・・・。)だから、せっかくの良いアイディア、思いつきもあまり生かされていかないのです。だから「塾に頼り切りもまずい。」という言葉になるのです。塾に「依存」してしまう人というのは確かにいます。しかし、依存というのは「それがおかしいということがわかってもなお」相手に任せきりにしている状態を言います。塾にいながらにして「孤高である(ひとり高みを目指す)」ことも可能なのですよ?「頼る」「甘える」「依存する」この3つの違いを理解して甘えたり、依存することの無いように。さて、きついことも言いましたが、正直な意見です。貴方の思うように一度やってみてください。ただし、ブログにも書いたように、自由の意味だけは履き違えないでください。自由な時間を手に入れたら、またお花畑に舞い戻っていかれては困ります。自由と言うのは、本来苦しい部分があるはずなのです。全てが自己責任なのですから。あれをやれ、これをやれと言われ管理されたほうが、実は楽です。自分で考えなくてもいいですし、失敗すれば言った相手に責任おっかぶせて言い訳にしとけばいいわけです。私の事情、体調などは考慮に入れてもらわなくて結構です。それは、私の自己責任ですから、無理なら無理とはっきりと言います。例の「休憩時間は君らが休むためじゃなくて私が休むためにあるんだ。」のようにね。ご質問あれば遠慮なくどうぞ。
2012.10.03
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