松阪市の学習塾・双葉
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高校生が自主的に始めた古典の授業だが経過はさておき、私が講義をしていくことになった。昨日は、孟子の「助長」のくだりを中学生も巻き込んで、3時間にわたる講義。今日は、孔子の「敬遠」を講義。当然「仁・義・礼・智・信」の話になっていく。だが、途中から雲行きが怪しくなり・・・。後で、高1にだけ、少し話はしたが不完全燃焼でもあり、少し間違えたことも言ったのでここに改めて記す。儒教には五倫五常がある。五常とは「仁・義・礼・智・信」の五徳のことである。この中で根本となるのが仁。仁とは、「人が二人」と書く。すなわち人を思いやることである。孔子はひとつのことに対して、さまざまな説明をするが「人を愛すること」「私心を克服して礼を重んじること」あたりが「仁」の説明としてよく知られている。仁がはっきりとしていればそこから「義(私利にとらわれず、なすべきことをすること)」が生まれその具体的な行動として人に「礼」を尽くそうとするようになり「礼」を尽くすために、「智(真理)」や「信(守るべきもの)」を知ろうとするようになる。同様に、五倫(父子の親(ふしのしん)・君臣の義・夫婦の別長幼の序・朋友の信)においては「父子の親」が全ての根本となる。親子の間に必要なものは「孝」である。「孝」とは親に対する「仁」といえる。親子の関係というのは全ての関係の始まりといえる。社会集団の最小単位であり、もっとも最初に出会う人だからだ。したがって、この始まりを尽くせる(親子関係がきちんとできる)ことで義・別・序・信が成る。五倫は、具体的であるがゆえに、ややもすれば歴史的に政治的に「男性」や「年長者」によって悪用されがちであるが決して、「男尊女卑」であるとか、「年上に絶対服従」ということではない。「別」とは各々がその分を尽くすことであり、これを「節操」といい、「礼」ともいう。「夫婦の別」とは、自分の役割(分担)を知り、それを尽くしなさいということを、端的にわかりやすい夫婦になぞらえただけだ。「長幼」を知るとは、長じたものは先を進んでいることを知りなさい。それを知った上で「義」を考えれば、後進を導く役割があることに気づく。気づけば自ずと「分(役割)」と尽くそうとするだろう。「幼」はそれにたいして、「礼」を尽くしなさい。そういう意味だと私は勝手に解釈している。「儒」の心を、現代社会にあてはめるのは絶対的には正しいとは思わない。しかし、孔子以来、幾多の検証にさらされてなお、現代にも息づいている以上、そこに某かの真実はあるのだろう。安藤塾の安藤先生も「父子の親」がすべての始まりであることを踏まえて「親に感謝の心を持てば、合格する。」と言われるのだろう。さて、親を呼び出しておいて「帰れ」という君に「考(仁)」はありや否や。
2012.12.21
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