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もう早いもので10日以上経ってしまいましたが、この前行った台湾の宜蘭の写真をアップしたいと思います。8月19日の日記にもすでに書いています(一部の写真は重複します)が、宜蘭は台北から東方向へ電車で2時間、日本統治時代の建物も残るのどかな地方都市です。きれいに撮れた写真もあったのでせっかくなのでお見せします。この写真好きなので、また使いますが台北から西へ二つ行った板橋駅。ここから特急に乗りました。途中の松山駅。日本っぽい地名が残っているところが郷愁を誘います。2時間で宜蘭着。特急の切符。2時間特急に乗っても日本円で1000円も行きません。「無座」でしたが半分以上の区間は座れました。駅前にはこういう旅行情報センターがあります。地図などたくさん置いてあるのでいきなり行っても不便はありません。宜蘭の駅舎。前にも書きましたが、「設治記念館」。かつて日本がここを統治したときの公邸の跡。これが入口の門。これは現在「音楽館」となっているところ。裏からみたところ。なかなか美しい。これも裏から。これも宜蘭の「売り」、「宜蘭酒廠」。蒸留酒、ビール、ワイン各種の酒を製造している地場の酒造メーカー。中は見学できて、土産物屋、利き酒、酒の展示など観光地化されています。帰りの特急電車。宜蘭の滞在時間は3時間ちょっとでしたが、とても充実していました。帰りも快適。そんなことで、いずれ電車で台湾一周でもしてみたくなりました。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.31
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やや硬いタイトルにしてしまいましたが、先日の台湾旅行で関心をもったことのひとつに、台湾での中国語のローマ字表記ということがあります。私、「ローマ字表記フェチ」でもありますので、日本語でもよく間違ったローマ字表記(事実上の国際標準になっているヘボン式以外の表記。例えば「ち」を「CHI」でなく「TI」としたり、長音「おー」を「OO」とか「OU」などとするもの)を見るといつも気持ち悪くなります。大陸ではすでにローマ字表記(英語でも)するときはピンインをそのまま使うことになっていますが、台湾では少し前までウェード式という、英語っぽい表記が使われていました(というか、ピンインよりも歴史はずっと古い。日本のヘボン式にやや近い)。というかまだ人名や地名にはそのまま使われています。例えば台北を「TAIPEI」(ピンインではTAIBEI)、高雄を「KAOHSIUNG」(ピンインはGAOXIONG)とするものです。大陸のピンインではQ、Xなどのように英語など欧米の言語からの類推ではまず発音できないような変な綴りを使っているのにくらべ、台湾のウェード式ではCH、HS(若干問題はありますが発音は可能)となっていてわかりやすく、個人的にはこちらの方が好きでした。ビビアン・スーの「スー(徐)」をHSU(大陸ではXU)とするのも親近感をなぜか感じました。でも今回台湾に行って事情が変わっていることを改めて知りました。この写真、前も使いましたが、台北近郊の板橋駅です。「板橋」のスペルが「BANCIAO」になっています。これは台湾が90年代終盤ごろから使用し始めたもの(通用ピンインといいます)ですが、国際情勢に合わせて大陸式ピンイン(台湾では「漢語ピンイン」と言っています)のさっき例に出したような不可解なスペルを修正したバージョンといえます。大陸式では「BANQIAO」ですが、QをCに代えたり、ZHをJHとしたり、XをSにしたり、英語しか知らない人でも読みやすくしています。ちなみに前のウェード式では「PANCHIAO」(PANTSIAOかも)だったはず。ところがこれで台湾全体が統一されているわけでなく、場所によってばらばらな感じです。「民権西路」というMRTの駅。ローマ字は「MINQUAN W. RD」となっており、これは完全大陸式のピンイン。現行ローマ字表記の下を見ると昔のつづり「MINCHUAN W. RD」というのが塗りなおされているのが見えました。「新店」というMRTの駅。ローマ字は「XINDIAN」でこれも大陸式。これも昔のウェード式表記「HSINTIEN」の上に塗りなおしています。現地の人に少し聞いたところでは、台北市内を走るMRTの場合はすべて大陸式ピンインとのこと。これは現在の馬英九市長が就任してから(次の有力総統候補といわれています)、大陸式に少し前に全部代えたそうです。一番上の写真は台湾国鉄の駅なので、台湾式の通用ピンインが使用されているといったように完全非統一です。台北市内は道路標識のローマ字も大陸式だったと思いますが、郊外では台湾式になっていたりします。さらに、台北TAIPEIなどは定着しているのでTAIBEIとはしないことになっているようです。「蒋介石」などは北京語や広東語が混在したCHIANG KAI SHEKのまま。私としてはどちらのピンインも好きではないです。無理してピンインを使わなくてもいいのではないかと思います。こんなところまで中国大陸さまの無言の圧力を台湾は感じているのでしょうか。日本でも、「北京」をBEIJINGと書くようになってから、中国語を知らない人はみんな「ベイジン」と濁ってしまいますが、本来の中国語の発音は「ペイチン」なのにローマ字に引っ張られて覚えてしまうことが多いです。前にANAのテレビCMでも「杭州(HANGZHOU)」を「ハンジョウ」と発音していましたが、「ハンチョウ」の方が適切だと思いました。でもどちらの発音でもカタカナ式発音ではたぶん通じないので「こうしゅう」「くいしゅう」で十分だと思いますけどね・・・ちょっとマニアックな話になりました。ご関心ある方がいればまだ書けることはありますが、アクセス数が減りそうなのでこのへんでやめておきます。ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.30
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会社のパソコンがウイルスで不具合になったため無線LANスポットを放浪しながら自分のパソコンで昼間はメールチェックしていましたが、会社にいても仕事にならないので早めに家に帰ってきました。さて、先日行った台湾ネタをひとつ。台北市内を走るMRT(中国語では「捷運」。市内では地下鉄ではあるが郊外部分は外を走る)のホームにあった表示です。こういうの、日本にもありますかね。「夜間婦女候車区」とは夜に女性や子供がホームで電車を待つためのエリアということですが、ホーム中央がそのための場所で、ここには監視カメラも備えてあります。エレベータの表示も一緒にありますが、結構気を使っている感じがします。台北の地下鉄はまだ新しい部類に入る(98年ごろ開通したかと思います)ので、東京の地下鉄のホームよりも概ねきれいですが、このような細かい配慮がなされているところも非常に好感が持てます。先日の日記で女性専用車両が不評で運用を見合わせているということを書きましたが、良いものはいろいろ取り入れ、問題があればすぐ修正するという姿勢もなかなかのものです。電車の車内には優先席にあたる「博愛座」がありますが、この言葉は台湾発だったんですね(これも前に日記で少々触れました)。細かいことですが、大陸とは違うきめ細やかさが台湾にはたくさんあると思います。では今日もこれから仕事です・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.29
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先週の木曜日、会社のパソコンからいつも見る中国サイト(c114というやつ)にアクセスしたら、ウイルスをつかまされました(悲)。もちろん、アンチウイルスソフトは入っていて、定義ファイルも更新され、処置もされています。アンチウィルスソフト上では「検疫」になっていますが一部「放置」になっているためか、その後おそらくメモリに何か影響を及ぼしていて、Office文書(Powerpoint)がうまく見られなくなったりしてます。このウイルスはトロイの木馬の亜種で中国のQQというインスタントメッセージサービスのパスワードを掠め取るもののようです。ウイルス情報によれば危険度は低いというもののようですが、困ったものです。こういうのは久しぶりです。中国ではこの種のウイルスは日常茶飯事でしょうか・・・なお、ブログは家のパソコンのみでやっておりますのでご安心を。 ではこれから家で仕事です・・・
2006.08.28
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金門島日帰り旅行記その5、最終回です。(13)の民俗文化村を見終えて、(14)の823記念館に向かいます。金門島訪問の主たる目的は小金門の(6)と大金門の(12)から大陸側を見ることにあったので、とりあえずその目的は計画どおり達しました。あとは運ちゃんに任して帰りの飛行機の時間まで主要なところを回ってもらうことにしました。島の南東部にある(14)823戦史記念館。ここには1958年8月23日の砲撃に関する各種資料が展示されています。これは同じところにある「兪大維先生記念館」。兪大維氏とは、蒋介石時代の国民党政権で国防部長をした人です。全然知りませんでした。中には同氏の戦跡ほか、蝋人形などがありました。展示を見た後、運ちゃんの知り合いと思われる土産物屋のおじさん、おばさんと少し世間話をしました(土産は何も買いませんでしたが)。かつて大学のときに台湾語を少し勉強したことがあったので、「我是日本人(ゴアシージップンラン)」と台湾語で言ってみたら喜んでました。運ちゃんによれば、金門では「台湾語」とは言わず、「ビン南語(「ビンは門がまえに「虫」)」といい、両者は微妙にイントネーション等で違いがあるとのことです。そういえば、前にアモイに行ったときも同じことを試しましたがちょっと違和感を感じました。また福建省でも北の福州では方言の系統が違うのでビン南語は全く通じず、数字の数え方を聞いてみたらまるで違っていたことを思い出しました。(15)に向かう途中立ち寄った海岸(南の方角)。なかなかきれいなところですが、他に人はほとんどいませんでした。(15)の金門国家公園(日本流に言えば「国立公園」でしょう)の中にある金門島に関する観光展示のひとつ。ここは軍事的な話でなく、どちらかといえば金門の自然環境や古代からの歴史などに重点を置いていろいろな説明がされています。-とはいうものの、同じ敷地内には軍用機や高射砲などもろもろの兵器が展示されています。やはり島全体が軍事博物館といった趣です。ちなみに10年前くらいに北京の人民解放軍の射撃場で下の高射砲を1発50元くらいで撃ったことがあります。今は解放軍の商売は禁止されているはずなのでもうないと思いますが(私は軍事オタクでも射撃オタクでもございません)。金門島もそのような商売をすると集客効果があるような気もします(かつて北京の射撃場には日本のヤ●ザが大挙して射撃の練習に来たという噂もありました)。同じ国家公園の敷地内にある「蒋経国先生記念館」。蒋経国氏はご存知のように蒋介石の息子、2代目の総統です。面白いのはこてこての反共のはずのかつての国民党の中で、蒋経国は若いころソ連に留学していたということ。あの時代、表向きにはいろいろ対立関係はあったものの裏では意外とつながっている部分も結構あったということの一例だと思います。孫文の別名孫中山の「中山」も日本留学時代に千葉の中山競馬場の近くに住んでいたとか、世話になった人が「中山さん」という人だったとかいう話もありますので、今のようにメディアが対立を煽り、各国政府もそれを利用する時代とは違って、ほのぼのとした部分も実はあったのではないかと思います。もちろん、当時も戦争に導いた偏ったメディアや一部の指導者の責任は否定するところではありません。中はこんな風になっています。台北にある中正記念堂の小型版という趣もあります。衛兵などはここにはいませんが・・・(16)の近くにある「金門酒廠」、酒の工場です。金門の主要農産物はこうりゃんで、蒸留酒を大量に生産しています。地ビールも生産しているそうです。(16)のてき山坑道(「てき」の字は写真にあるとおり、「曜」の右側)。台湾式ピンイン(通用ピンイン)ではJhaishanと書きます。島の南西側にある大規模な坑道です。恐らく規模としては一番大きいと思われます。中はこんな感じで結構真っ暗。突き出た岩に頭をぶつけました。大事にならなくてよかったです。トンネルの先は海につながっています。さて、帰りの飛行機の時間が近づいてきました。運ちゃんがまだ大丈夫というので、空港に向かう途中にある海岸、(17)の後湖海浜公園というところに立ち寄りました。ここもきれいな海岸です。正面やや右寄りに空港があります。後ろを振り返ると海岸にたたずむ戦車。ここに廃棄されて置いてあるということではなく、公園の展示物のひとつとして置かれています。でも、金門島を端的に象徴する風景であると強く感じます。さて、夕方6時15分発の帰りの飛行機に合わせてその45分くらい前に空港にもどりました。タクシーの運ちゃんとはビジネスライクにさっさと別れましたが、効率的にいろいろ回ってくれて感謝です。定刻どおり飛行機は離陸し、台北に帰りました。なかなか充実した日帰り旅行になりました。最後に、金門島に行って思ったことを少々。金門島は歴史的にも、現状でも両岸の間におかれた非常に特殊なところだと思います。少し違いますが日本でいえば沖縄のようなところであり、両岸双方の政策に翻弄され、本来あるはずの漁業などの地場産業が全く育たず、台湾本土からの各種支援に頼らざるをえない状況が長年続いてきたと思われます。したがって、道路などのインフラ整備は軍事、基地の島ということもあって充実してはいます。92年以降の開放、96年の台湾海峡危機を経て2001年の小三通開始以降は、どちらかというと対立時代の各種補助金もおそらく減少し、金門島側は軍事施設関係や過去の対立時代の遺産をもとに観光業を強化しようとしていますが、実際には通過する人は増えても、この島の経済自体はそれほど潤っていないと感じました。また、両岸の対立関係が仮になくなったとしても、今度は別にこの島を経由する必要もなくなり、台湾からアモイあたりへ直行便を作れば済む話で、大陸側に極めて近いという地理的条件のためにアモイ側の属領のようになり、大陸側から大挙して人が来たりするとこの島の特徴もなくなってしまうでしょう。現在の大陸側中国人の多くは金門島を砲撃したことを知っている人も恐らく少ないと思われるので、別に台湾側の軍事施設を見ても何も思わないかもしれません。この島にあるのはかつての国民党の勇ましい部分を宣伝する要素は多いですが、今の民進党政権からすれば、「大陸反攻」など昔の遺物として金門島の存在そのものをすでも重視していない立場ではないかとも思ったりもします。香港のように、大陸に入るための窓口のひとつとして、金門島が今後その特殊な立場を生かして発展することを心から望みます。以上で金門島日帰り旅行記を終了します。全部ご覧いただいた方、ありがとうございました。来週からは台湾関係小ネタについて書こうと思います。では。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.27
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金門島旅行記その4です。再び小型フェリーで(10)の水頭碼頭に戻ってきました。時間は11時半ごろ。船の到着に合わせてやって来た路線バスに乗って、金門県の中心部、金城鎮行きにとりあえず向かいます。これが金城の中心部ロータリー。蒋介石の銅像が立っています。それほど古いものではないようです。左奥が島内各所に向かうバスのターミナルになっています。街としては人通りはそんなに多くはないですが、この左側の方に細かい商店街などもあり、それなりに賑やかなところではあります。ちなみに金門県の人口は約7万人、うち軍人が1万人くらい、小金門は4000人弱で軍人が1000人くらいとのことです。昔は人口の半分近くが軍隊だったといわれています。金城中心部にあった廟です。大陸でも福建や広東にはこんな感じのがよくありますね。金門島は軍事関連の名所のほか、華僑の故郷ということも一応売りにしています。金門島含む福建沿岸地域からかつて東南アジア方面に向かって華僑がたくさん海を渡りました。さて、街中にあった現地人経営のファーストフード的寿司屋で軽く昼食をとり(客には「いらっしゃいませ」と日本語で言っていました)、午後の観光に向けて足を確保しないといけないので、まずバスターミナルで時刻表らしきものを見てみましたが、本数や行き先も限定されるので客待ちしていたタクシーと交渉して足をキープしました。4時間で1500元(5500円前後)という料金でしたが、午前の小金門での時間と距離を考えればまあこんなものだろうと思って、OKしました。いろいろ観光ガイドもしてくれたのでコストパフォーマンスはよかったと思います。車は(11)の金城を出発、島の真ん中を東に向かって突き抜け、北東端(12)の「馬山観測所」に30分くらいで到着しました。運ちゃん(私と同年代くらいのおやじ)は道中スピードを落としていろいろ説明してくれました。馬山観測所の入口。「還我河山」、日本語では「我々の山河を返せ!」ということですが、すでに時代錯誤的感覚に陥ります。この観測所は金門北側にある大陸側泉州方面と数kmの距離のところにあり、もともと大陸側の動きを見張る目的で作られたものです。これが観測所の入口。左側には高射砲などの兵器が並んでいました。突端の観測所までこのようなトンネルを通って行きます。前にいるのはタクシーの運ちゃんです。見えました。大陸側です。突端部の小窓から見たところです。この日午後になって霧が晴れてきたのでようやく見ることができました。見えるのは泉州市郊外の海岸とのこと。人の気配は全然ありません。これも大陸側。先ほどの場所からやや左側(西方向)に向きを変えています。先ほど人影はないと言いましたが、この写真の真ん中あたりに漁船らしき小船が浮かんでいました。ちなみに台湾の新聞で見ましたが、大陸の漁民は台湾側に結構たくさん出稼ぎに来ていて、正式に上陸できないため港の中の劣悪な環境で暮らしているといった内容でした。観測所の中はこんな感じです。右側の穴から撮った写真が前の2枚です。観測所を出るとこのような石碑がありました。「民国70年」とありますが、西暦では1981年にあたります。台湾に行くと「中華民国○○年」という年号が使われるので一瞬とまどいますが、今年は民国95年です。辛亥革命の年が起点になっています。観測所を出たところにあった立入禁止のバリケード。このあたりはまだ軍事施設が多くあるのでこういうのがたくさんありました。さっきの写真の反対側は海なのですがここも立入禁止。海や砂浜は結構きれいなのですが少々もったいないです。馬山を出発、近くにある(13)の「民俗文化村」というところに行きました。ここはかつて明治~昭和初期ごろ、金門島出身のある華僑(王敬祥という人)が日本の神戸で事業に成功し、その後故郷に帰り多額の金を出してビン南式の町を作ったそうですが、それを記念して金門風民家をテーマパークのような形で開放しています。中には土産物屋も多いですが、実際人の住んでいる家もあります。このあと、(14)の「823戦史記念館」というところに向かいます。続きはまた明日。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.26
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台北からの金門島日帰りレポートその3です。小型フェリーは(2)の水頭碼頭を出発し、15分くらいで小金門側の(3)九宮碼頭に到着。前日に台北駅の観光情報センターで金門の地図を入手していましたが、そこに小金門のサイクリングルートが書いてあったので、自転車で一回りでもしてみようかとも一瞬思いました。でもやはり40おやじにその体力はなさそうなので、客引きに来たタクシーのおばさんに進んで引っかかりました。島1周約2時間で500元(2000円以下)、大陸だったら絶対値切りますが、ここでは気持ちよくOKしました。港から10分もかからないところにこの「823勝利記念」のモニュメント(地図上の(4))があり、ここが小金門の凱旋門といった風情でしょうか。一昨日の日記にも書きましたが、「823」は1958年8月23日、大陸側人民解放軍が四方八方から一斉に金門島に向け砲撃を開始、台湾側がこれに耐え、島を死守したことを記念するものです。ここは先ほどの(4)から数分車で北上したところにある「八達楼子」(5)。ここから島の四方へ道が伸びており、島の中心地的存在。周りには戦時を思わせるスローガンが並んでいます。88年に初めて台北に行ったとき、総統府の周りには「滅共反攻」「光復大陸」(ちょっと違うかも)とか激しいスローガンが当時はまだたくさん並んでいましたが、そのころの雰囲気を彷彿とさせます。さらに北上すると、「国姓井」というのがあります。「国姓」は「国姓爺」、鄭成功のことです。ここ小金門は、明が滅亡したあと、鄭成功が大陸反攻の根拠地にしたところでもあり、その関係の名所も残っています。地図上(6)の湖井頭戦史館(「頭井湖」ではないです)。小金門で一番行ってみたいところでした。ここは小金門の北西寄りにあり、天気が良ければ2km少々しか離れていない大陸側のアモイを眺めることができます。--坑道の中が展示館になっていますが、上から蒋介石がここに何度も視察に来たことの紹介、大陸側から着弾した砲弾、大陸からどのような攻撃を受けたのかなどの資料が展示されています。湖井頭の先端の砲台から除いた大陸側。残念ながらこの日午前中は霧がかかっていて、対岸は見えませんでした。右側の小島は大陸側の島ではないとのこと。その後湖井頭を出発、タクシーはかつて戦車の通った道だというところを通って行きます。途中で見た海岸にあるくさび状のもの。名前を何というのかよくわかりませんが、敵の上陸を防ぐためのものであることは明白です。金門の海岸は基本的に美しいところが多いのですが、長年戦地であったため、開放されたのはまだ最近のことで、この写真のように立入禁止のところもまだあります。海岸が開放できなかったことで、本来こういう島なら当然盛んなはずの漁業もほとんど行われていないそうで、内陸部の農業(高粱)が主要産業とのことです。仮に両岸の対立関係がなくなれば、リゾートなどの観光資源として使えるところは多いと思います。地図中(7)の将軍廟というところです。将軍廟の近くの民家はこんな感じ。途中に寄った土産物屋。かつて大量に撃ち込まれた砲弾を使って、包丁の生産が盛んになったということです。にわかに信じられない部分もありますが・・・桟橋近くの九宮(四維)坑道(地図の(8))。タクシーからはここで下車。坑道とは戦時の防空壕かつ軍事物資、武器等を格納する倉庫と考えればいいでしょう。中はこんな感じのトンネルになっています。手すりの向こう側には海水が流れています。さて、再び(9)の桟橋に戻り、帰りの船を待ちます。先ほどのおばさんの運ちゃんも次の客を待っています。試しに大陸で買った中国製ケータイを見てみると、大陸側ケータイ事業者「中国移動」の電波を受信しました。大陸からは数km離れていますが、大陸の国際識別番号「00」を頭につけて日本の自宅の留守電にかけてみたらつながりました。金門本島の内陸側でも電波を受信できましたので、基地局が実は金門内にあるのではないかと一瞬よくわからなくなりました。小金門に別れを告げ、船は金門島に戻ります。続きはまた明日・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.25
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さて、まず最初に目指す小金門に行くため、(2)の水頭碼頭を目指します。ここは元々小金門に行く小型フェリーの発着場のみだったところですが、「小三通」が始まってからは対岸のアモイまで行く定期船のための港になっています。立派なターミナルビルです。上に「金門歓迎nin」の文字が見えます。左側に上下船するところがあります。大陸側から来る人はこれをどのような思いで見るのでしょうか。アモイ行きの船です。結構きれいな船でした。両岸の現在の関係を象徴する意味も当然あるでしょうから、ターミナルビルや船そのものなど、ハード的にはかなり気を使っているものと思われます。ちょうどアモイ行きの船がもうすぐ出港するタイミングでした。見た目大陸の人か台湾の人かはわかりませんが、朝一番の船ということもあり結構混雑している方なのではないかと思われます。ちょっと撮影に失敗しましたが、金門~アモイ間の出発便の表示。午前中はほぼ1時間に1便。アモイまでは時刻表を見ると約50分で到着するようですが、日帰りも容易にできます。この桟橋からアモイまでは数kmなのでもっと早く着きそうな気もします(先日乗った東京湾フェリーの久里浜~金谷間35分と比べると、速度は違うのでしょうが50分はちょっと長い気がします)が、多少迂回する航路なのかもしれません。現在は乗船資格に制限があって外国人は特殊なケース以外は乗れませんが、もっと往来が自由になれば私のような物好きは大陸側日帰りをするかもしれません。「小三通」というと大陸側の人は台湾本土まで行けないのかと思っていましたが、金門に来る飛行機で前に座った親子らしき人が「大陸人士入出境・・・」という渡航証明のようなものを持っていたのが見えたので、台湾本土まで意外と簡単に来れるようなことを改めて知りました。後で乗ったタクシーの運転手の話では、福建省以外でも上海から団体であれば金門経由で台湾訪問ができるようになる(なった?)ということだそうです。ただし、いずれの場合でも台湾側には受け入れ人数の制限がある模様です。ターミナルの中にある台湾元から人民元への両替所。こういうのはここでしか見られない景色だと思います。さて、こちらは私の乗る小金門行きの乗り場。アモイ行きと違ってシャビーな建物を通って乗ります。30分に一本の頻度で出ています。確か料金は48元だったかと思います。船の中はこんな感じ。ややシャビーな船です。フェリーと言っても車が2~3台乗れば一杯で、満席でも30名ちょっとくらいしか乗れません。復路で乗った船はもう少し大きく、冷房つきでした。船は15分くらいで小金門に着きます。約10年前にアモイから小金門を見たことがあったので、上陸がちょっと待ち遠しかったです。小出しにして申し訳ありませんが、今日はこのへんで・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.24
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さて、本日から先週金曜日8月18日に行った金門島日帰り旅行についてご紹介します。ご存知ない方のために、金門島は下のような位置にあります(地図は金門県政府のサイトから拝借しました。http://tour.kinmen.gov.tw/default.aspx なお、このサイトには日本語サイトもありますのでご関心ある方はご覧ください)。金門島と馬祖島は中国大陸側に張り付いていますが、いずれも台湾(中華民国)の支配下にあります(さらにマイナーな金門県に属する烏丘というところもあります)。金門島の大きさは日本でいえば小豆島くらいでしょうか。これらの島は1949年の中華人民共和国成立後も、中華民国側が最後の砦として死守したところです(こんなに大陸から近いのになぜ攻撃されなかったのかというと、当時の人民解放軍は海軍がほとんどなく、攻める能力がなかったとも)。しかし、朝鮮戦争などが終わって大陸側の「大躍進」など失政から目をそらす目的もあったといわれていますが(台湾側にはそういう説明あり)、1958年の8月23日(今日です)に大陸側の四方八方から金門島砲撃が行われ、雨のように砲弾が降り注いだとされています。中華民国側はこれに耐えて島を死守したということでこの日が記念日になっています。あまりにたくさんの砲弾が来たので、その後金門島はそれを使って作る包丁の産地になったということです。その後1987年に台湾の戒厳令が終了すると、92年に金門島でも戒厳令が終わり、観光向けにも開放されることとなりました。2001年元旦からは金門に原籍を持つ大陸側住民の金門訪問(小三通)が認められ、対岸のアモイから直通の船で金門経由での台湾訪問ができるようになっています。そんなことでマイナーな地域、国境、紛争地好き(別に軍事おたくではないです)な私としては、いつか行ってみたいところのひとつになっていました。今回日本からネット経由で台北からの直行便を予約(最初は現地で予約しようと思っていましたが、どうも満席になる可能性があったもので)、電子チケットを購入しました。朝6:45発の金門行きのフライトです。話はそれますが、金門の英語表記は「Kinmen」。大陸式ピンインJinmenでもなく、台湾の従来のウェード式表記Chinmenでもありません。これは現地ビン南語の発音から来ているものです。古い文献では英語表記はQuemoy、廈門XiamenをアモイAmoiというのと同じといえます。本題とはあまり関係ないですが、台北松山空港で食べた朝食。これが搭乗した華信航空(マンダリン・エア)の飛行機。この日朝は雨が降っていました。金門行きは台湾海峡でよく霧が発生するため、欠航になることも多いと聞いていましたが、順調に時間どおり飛びました。機内はほぼ満席。約55分のフライトで到着します。金門島に到着。ここが金門の玄関口、尚義空港。空港ロビーには搭乗を待つ軍隊の人たちがたくさん。戒厳令が終わったあと、軍隊の数は相当減ったそうですが、今でも若い兵士を中心に数千人が駐屯しているとのことです。空港は上の地図の(1)です。ここから番号順に回ります。今日はさわりだけで申し訳ありません。この後小金門(烈嶼)を目指して(2)の水頭に向かいます。では明日に続く・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.23
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成田前泊も含めて5泊6日で台湾と沖縄に行ってきたわけですが、一応仕事がIT関係なので基本的に旅行関係のほとんどの部分をインターネットを利用して手配しました。前に2度台湾に行ったときは往復の飛行機以外は国内線の移動なども含めすべて現地で手配しました(それでも不都合は何もなかったですけど)が、日本からほとんど何でも事前に簡単に手配できるので、あらためて便利な時代になったもんだと思います。ブログをやられているような方は、すでにネットを駆使していろいろやられていると思いますので、今更と思うかもしれませんが、そうでない多くの人にも是非こういうやり方を知ってもらいたいと思う今日この頃です。ネットやクレジットカードというとすぐ誰かに個人情報が漏れたりとかスキミングとか、負の面のみ強調されますが、自分としてはそんなことは交通事故が怖くて外に出られないというのと同じことだと思ったりしています。また、中国さまではあまりカード決済をしたいとは思いませんが、台湾であれば信用のある世界なので私としては気になりません。さて、今回の旅程は以下のような感じでしたが、ネットをどこで使ったのか合わせて少々ご紹介します。16日(水) ・自宅~成田空港<京成スカイライナーをネットで予約>・成田空港至近のホテルで前泊<楽天トラベルでネット予約、支払いはカード(M社、ネットで支払い状況チェック、その後M銀行から引き落とし、ネットバンキングで残高確認などができます)>17日(木) ・成田~台北(昼着)<航空券は会社で使っているエージェントのHPからフライトを調べて予約、支払いはネット上でカード決済> (ここで大相撲ご一行と一緒のフライト)・台北~烏来~台北(これは地下鉄とバス・タクシー移動でネット不可)・台北市内の日系ビジネスホテル泊<「台北ナビ」という現地サイトから予約、支払いはネットバンキングで事前に振込み済>・ホテルでは部屋でADSLが無料で利用可、ちなみに海外用ケータイでもメールチェック18日(金)・台北(早朝発)~金門(金門旅行記は明日以降書かせていただきます)~台北(夜着)<フライトは国内線の航空会社「華信航空」のサイトで事前にeチケットをカードで購入(金門には4社が飛行機を飛ばしていますが、ネットで会員登録等なしに買えたのはここだけ)>・夜は現地駐在の方と交流19日(土)・台北のホテル~台北駅~板橋駅~(特急「自強号」)~宜蘭~(特急「きょ光号」)~台北駅~淡水~西門町~ホテル<この日はネットを使っての手配はありませんが、やろうと思えば鉄道の手配もできるはず>20日(日)・台北(朝発)<空港の無線LANスポットでメールチェック>~沖縄<フライトは前述エージェント経由ネット手配>・沖縄着後、レンタカー(空港からレンタカー会社までは無料送迎)<事前にネットでレンタカー手配、支払いはカード>・沖縄観光(道の駅3ヵ所、古宇利島、海洋博公園、国際通りなど)・ビジネスホテル着<楽天トラベルで手配、楽天ポイント利用で特に格安。支払いはカード>、ここは光(Bフレッツ)が各部屋配備で無料21日(月)・沖縄観光(海中道路、伊計島、道の駅2ヶ所、首里城公園、平和祈念公園、ひめゆりの塔)・沖縄(夕方発)~羽田<フライトは前述エージェント経由ネット手配>といった具合に沖縄でのカーナビ利用も含めると、IT利用で旅行というのも旅行会社に依存せずに好きなようにかつ無駄のない旅程で、持ち金も最小限でできるということを実感しています。もちろん、旅行特有の予定外のハプニングに遭遇することも個人的にはむしろ歓迎するほうなのですが、時間的に余裕のない社会人が旅行するにはとても便利な時代になったと思います。そんなことで本日は写真のない抽象的な話になりましたが、何かのご参考にでもなれば幸いです。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.22
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無事に台湾・沖縄巡業から帰ってきました。出発日に大相撲台湾公演の力士一行と同便になったこと以外は、天気も良く、ほぼ計画どおりに回ることができました。ブログ用小ネタも今後しばらくは大丈夫だと思います。さて、今日は昨日の続きの沖縄観光を簡単にご紹介します。あらためて思いますが、レンタカーで沖縄のドライブというのはとても快適です。どの車も無料で最新のカーナビがついているので、初めてでもほとんど道に迷うことはなく、安全かつ効率的に走れます。カーナビのない時代ではこのように短時間で効率的に観光スポットを回ることなど考えられません。ちょっとレンズが曇ってしまいましたが沖縄4つ目の道の駅「喜名番所」(読谷村)。でもここは道の駅といってもこの番所の展示のみ(ただし今日は月曜休館日)。土産物屋は周辺にありますが、道の駅としては他にトイレと駐車場しかありませんでした。日本最南端の道の駅「かでな」(嘉手納町)。これで沖縄全道の駅は塗りつぶしました。となりに有名な沖縄最大の米軍基地「嘉手納基地」があります。上空を低空で旋回する軍用機を見ました。これが道の駅の展望台から見た嘉手納基地。でかすぎて写真には収まりません。同じ展望台から見たところです。左側が基地。沖縄風の民家がたくさんあります。騒音問題は厳しいのでしょうが、基地があることで潤っていることも相当あるはず。こういうのは難しい問題です。嘉手納以外にもドライブすると有名な普天間その他、テレビでよく聞く名前の近くを通りましたが、確かに基地や米軍施設の数多さは身をもって感じます。さて、夕方の便なので那覇市内に戻り、首里城公園に行きました。これが有名な守礼門。実は沖縄の歴史にも結構前から関心があります。10数年前の大河ドラマ「琉球の風」は薩摩の琉球侵略時に琉球国王だった尚寧王の時代の話でしたが(主役は東山紀之で、尚寧王は沢田研二でした)、そのあたりの歴史的展示もあります。見た目はまさに中国ですね。ただし建造物はすべて過去戦争などで消失しているので、これらは比較的最近復元されたもの。これらは平和祈念公園にある各施設。上から式典広場、平和祈念資料館、平和の礎。ここでは細かく触れませんが、特に一番下の平和の礎は前から見てみたいと思っていました。いろいろ考えさせられます。最後の訪問先は「ひめゆりの塔」。花を手向けてきました。看護要員として女子学生の方たちが沖縄戦に駆り出され、多くの方が亡くなられています。あらためて合掌。そんなことで1泊2日という短期間でしたが、レンタカーとカーナビを駆使することでご紹介した以外のところを含め、じゅうぶん効率的に回ることができました。次回もし行く機会があれば、どこかのリゾートで長期間のんびりしたいものです。明日以降はたぶん台湾ネタになります。では。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.21
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無事にお昼前に台北から沖縄に到着しました。台北空港で飛行機のチェックインをするときに思ったのですが、フライトの行き先の中国語表記は「琉球」。決して「沖縄」という漢字はなぜか出てきません。でも英語表記では「Okinawa」。これは中国・台湾どちらも沖縄という日本式の呼び名を使わないのは今でも潜在的自国領土ということなのでしょうか。ちょっと不思議。さて、道の駅マニアとしては沖縄でも道の駅を塗りつぶさないといけません。事前にレンタカーを予約してあったのですが、那覇空港ではレンタカー会社送迎レーンのスペースが大きく、レンタカー利用は相当メジャーであることがわかりました。沖縄の道の駅は5箇所。まず最北端にある一つ目に向かって出発しました。道の駅に向かう途中の沖縄自動車道の伊芸サービスエリア。SAで食べた沖縄そば。ソーキそばというのもありますが、沖縄そばはソーキ(たぶん手前のやつ)とラフテー(上の肉)と蒲鉾のようなものの3種類のミックス(のはず。違っていたらすいません)。最北端の道の駅に行く途中に別の道の駅があったので立ち寄り。ここは許田(きょだ)というところ(名護市)。やはり置いてあるものが違いますね。見てて飽きません。当然ではありますが、沖縄は台湾とはだいぶ違います。これが沖縄最北端の道の駅「ゆいゆい国頭」(くにかみ・国頭村)。沖縄本島北端の少し手前にあります。那覇周辺からは高速と一般道で約2時間(100km弱)。上の道の駅に展示されていたヤンバルクイナ。沖縄本島北端にいるらしい。先ほどの道の駅から10kmくらい南下したところにある道の駅「おおぎみ(大宜味)」(大宜味村)から見える海。さらに南下してリゾートや米軍基地をかすっていくと、古宇利(こうり)島という小さな島があります。まだ去年開通したばかりの橋を渡ったところに海水浴場がありますが、この海、すばらしいです。写真の腕がいまいちなので感じられないかもしれませんが、海がエメラルドグリーンに光っているところがあり、今まで見た海の中では最も美しいものかもしれません。沖縄の海は素晴らしいです。これは昔「沖縄海洋博」をやったところにある「美ら海(ちゅらうみ)水族館」。この水族館は一枚のガラスの大きさが確か世界一でギネスにも載っていると書いてあったと思います。驚いたのはこの巨大なジンベエザメ。10m近くあるのもいました。沖縄の有名な観光地「国際通り」の入口(左の方に伸びています)。ちなみに霧がかかっているように見えますが、私のタバコの煙です。台北の「夜市」のようにここも観光客でごった返していました。締めに沖縄料理の店に入りました。左が有名なゴーヤチャンプルー。右のはラフテー、真ん中のは海ぶどうです。どれもなかなか美味でした。飲み物は泡盛のサワー。残るはあと一日、行き残した二つの道の駅のほか、首里城やひめゆりの塔に行こうかと思っています。お楽しみいただければ幸いです。ではまた次回・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.20
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台北滞在中です。昨日無事に金門島へ行くことができたので、今回の旅行の所期の目的は達成できました。今日はもともと特に行き先を考えていませんでしたが、とりあえず台北駅まで行って片道2時間くらいで行けそうなところを電車の時刻表を見ながら決めました。最初は花蓮までと思いましたが、片道3時間はかかるので、台湾北東部の宜蘭というところに行ってみました。宜蘭には日本統治時代の建物などが少し残っていますが、歴史に関心のある方にはお奨めできます。夕方以降は台北市内から電車で30分のところにある淡水で夜市を満喫したあと、台北の渋谷(?)という西門町でしめました。以下写真で簡単に速報です。台北から宜蘭行きに乗るとまず混雑していて座れそうにないこともあったので、台北駅から西側2つ目の板橋から特急「自強号」に乗ることとしました。というよりも、私、東京の板橋区在住で、昔板橋駅の近くに住んでいたので、同じ名前の板橋駅にぜひ行ってみたいと思っていました。ちょっと感動です。「板橋」の台湾式ピンイン表記は大陸とちょっと違いますが、このネタは別の機会にご紹介したいと思います。一応今年10月に開通予定の台湾新幹線「高鐵(高速鉄道)」の始発駅はこの板橋駅になるということで、すでに駅の設備は出来上がっており、非常に立派な駅舎です。少々見にくいですが、台北駅の「女性専用車両」乗車位置を示す表示。日本を参考に導入したとのことですが、不評だったそうで今はカバーがかけられ、運用していないと聞きました。これは宜蘭駅。この「自強号」という特急電車に乗って2時間で到着しました。宜蘭市内にある昔の日本建築。日本統治時代は「宜蘭支庁」の役人の公邸だったそうで、今はその当時の歴史を説明する展示館になっています。中にはそのまま畳の部屋もあり、靴を脱いで上がります。台湾のいいところは、展示の中で日本の侵略行為など影の部分についてもいろいろ触れていますが、同時に日本が行った各種インフラ整備などの光の部分も正当に評価していることです。どこかの国とは違って大人だと思いました。宜蘭駅前にいた宅急便の車。日本のものと完全に同じです。これは夜に行った淡水の夜市。物凄い人出でした。いろいろな屋台で少しずつ食べ歩きました。西門町にあったテレクラの看板。日本とシステムは同じようです(私は経験ありませんが)。それぞれの細かい話はいずれ日記のネタにしたいと思います。明日は早朝に沖縄に移動、1泊する予定です。ここまで運よく極めて予定どおりに進んでいます。寝坊しないように今日はこんなところで失礼します。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.19
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本日、予定どおり金門島を日帰りしてきました。詳細版は帰国後報告させていただくこととして、一応行った証拠として写真だけ数枚かいつまんでアップします。金門島の玄関、尚義空港。「823記念モニュメント」。「823」は1958年8月23日、共産軍が金門島へ一斉砲撃を開始した日。金門島北側の馬山観測所から見た大陸側。2kmくらいの距離。島の南側の海岸にたたずむ戦車。ちょっとだけお見せしました。また後ほど・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.18
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台北の某ビジネスホテル(日本にもあるホテルチェーン)の部屋から書いています。今日は昼すぎに台北に到着。台風の影響でルートが若干変更になった以外は予定どおりでした。ひとつ前の日記に書いた大相撲台湾公演については、こちらのニュースや新聞でも話題になっていますが、そんなことは全然知りませんでした。やはり台湾はいいっす。今回約10年ぶり3度目の訪問(すべてプライベート)ですが、大陸の殺伐、混沌とした雰囲気とはまったく違い、本来中国人はこうあるべきという模範のような感じを私としては感じてしまいます。基本的に人がやさしくて穏やかです。当たり前ですがちゃんと信号は守りますし、しっかり列になって並びます。地下鉄(MRT、捷運という)のエスカレーターでは日本と同じように左側を空けてみんな右側に整然と立っています。バスの中では小銭を持っていなかった客がいたので運転手が乗客に声をかけ、別の乗客がすぐくずしてあげたりしていましたが、丁寧なお礼をその客はしていました。まだ半日しかいませんが、日本の田舎町に来たような印象を来るたびにもってしまいます。さて、今日は台北市内から約30km南に行った山の中にある「烏来(ウーライ)」という温泉街に行ってみました。箱根や鬼怒川に似たひなびた温泉街といった趣があります。日本の統治時代から温泉地として有名なところだったはず。少数民族タイヤル族の住む町としても知られています。温泉街の入口はこんな感じです。日本の温泉街を彷彿とさせます。川の横に温泉が沸いていて、ここは水着着用ですが無料で入れます。ここは有料ですが(250台湾元、1元は3~4円くらい)、ためしに入ってみました。温泉の入口はこんな感じ。日本の温泉地の日帰り温泉と同じような雰囲気でした。中は、湯船が5種類ほどあって熱めの42度くらいのものから体温くらいのものまでありました。これは帰りに乗ったバス。日本のバスとほとんど変わらず、行き先などもわかりやすいので、初めて来ても利用しやすいと思います。1時間ちょっとかかって台北市内にもどりました。大陸への旅行や出張の場合は、私としては常にサバイバルをしているような感じになってしまいますが、台湾の場合は本来の意味の旅行をしているという実感があります。そんなことで明日は朝から金門島へ行く予定です。おやすみなさいませ。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.17
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台湾に予定どおり着きました。このホテルはADSLが部屋ごとに無料で使用できます。台湾のことはさておき、速報です。 大相撲台湾公演(明日とあさってだそうです)の力士と同便になりました。朝昇龍はじめ魁皇、千代大海などなど間近で見れて感激です(ちょっとミーハー)。ちなみに千代大海と安美錦はスモーカーでした。あと、露鵬と把瑠都のコンビは仲良しそうでした。台北の空港のトイレでも力士にはさまれて用を足させていただきました。大相撲は子供のころからファンでしたが、生の力士を見たことはなかったので、ちょっと感動。台湾レポートはたぶん明日から。明日は金門島の予定です。速報終わり。
2006.08.17
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明朝台湾へ行きますが、今日は試しに成田空港近くの某ホテル に前泊しています。このホテルの宿泊客はほとんど成田トラン ジットや明日のフライトに乗るような人ばかりなのですが、日 本人の宿泊客はきわめて少ないんですね。 このホテル含め周辺のホテルと成田市内を循環するバスに乗っ て成田の郊外にある巨大なイオンのショッピングセンターにさ っき行ってきましたが、ここも外国人客の比率がとても高いで す。成田というところは結構国際化しているところだというこ とをはじめて知りました。 台湾に着くのは明日ですが、もうすでに周りには台湾人の団体 などもいるので、日本にいながらにして少し台湾にいる気分を 味わっています(大げさ)。 明日はたぶん台北から書き込みをすると思います。では!
2006.08.16
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テーマとカテゴリーとタイトルがばらばらなような気もしますがご勘弁。すでに多くの方ご承知のとおり、小泉首相が今朝靖国神社参拝をしました。元々支持するも何も、本来大騒ぎするような話ではないと思っていましたが(6月9日の日記にも少々書いてます)、初心を曲げずに参拝したことは私個人としては純粋に評価しています(私は自民党支持でなはいです)。私が問題と思うのはメディアの方だと思っています。今日も参拝後の記者会見では15分近く小泉さんは話をしていますが、その後のニュースでの報道はその部分はごく数分。「中国と韓国が猛反発」というところに偏っていますね。メディアは政治家に「説明責任」だのなんだの言いますが、ちゃんと説明していても恣意的にメディアが編集しているので、あれでは見るほうが誤解もします。評価する報道はほとんどなく、揚げ足とり、批判一辺倒、中韓寄りに偏ったのものばかりでがっかりします。今日の会見をライブで全部見ましたが、「(A級戦犯など)特定の人を参拝しているのでない」「A級戦犯の戦争責任はある」と明言しているなど、その他もろもろ合理的な説明をわかりやすくされていると感じました。全部聞けば大方の人はじゅうぶん納得できる説明だと思います。そもそも分祀の話にしても、心の中で戦犯を除くすべての犠牲者に対して参拝していると思ってそれぞれの人の気持ちの中で分祀すればいいと思います。もともと精神的な世界の中の話なので物理的に分祀などはムリですから、新たに追悼施設のような箱物を作っても意味はなく、千鳥ヶ淵墓苑もあるので十分だと思いますけどね。○か×かの判断しかできない中国さまに理解させるのは難しいでしょうが、今日の小泉さんの発言の全文を正しく翻訳して中国の新聞にでも意見広告を載せるようなことでもしてほしい(中国さまは受け入れられないでしょうが)です。ただし、中国側も今日の反応は官製デモ以外大したものではなく、すでに「織り込み済」といった雰囲気もありますね。ところで、全然話は変わりますが、先日これ買いました。週末長距離ドライバーとしては、信号待ちなどのときに首肩背腰など簡単なマッサージをしてくれるので、ドライブ好きの方にお奨めです。信号待ちが待ち遠しくなったりします(運転中にも使用はできますが気が散って危ないので×)。ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.15
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今日は親戚の中学生ほかと一緒に内房方面に行きました。道の駅には行きませんでしたが、そんなに渋滞にはまることもなく、計画どおり東京湾フェリーに乗って横浜経由で戻ってきました。走行距離は約250km。私としては短い部類に入ります・・・最初は板●区方面から都心に向かいましたがここは首都高が渋滞していました。都心を過ぎて湾岸線に入るともう渋滞はなく快適。川崎からアクアラインに入り、海ほたるPAで休憩したあと、内房に入り、最初の目的地「マザー牧場」に着きました。小さな子供向けのところという先入観がありましたが、いろいろな動物に触れたり、牧場というところもそもそも行ったことがなかったので、天気が良かったことも含め(着いたときは一瞬大雨でしたが)、とても癒されるところだと思いました。これ、ひつじです。犬がこのひつじたちの背中の上を飛び回ります。 うまです。 ぶたです。あと、牛、ダチョウ、アヒルその他もろもろいました。牛とぶたはうまそうでした(不謹慎)。その後、マザー牧場から30分弱で「東京湾フェリー」の千葉側発着地の金谷に行き、出発間際のフェリーに滑り込みました。今回乗るのは3回目。房総方面へのドライブはこのフェリーを使うととても便利ですし、今日のように天気が良いととても快適です。1時間に一本は出ていて、予約は不要、通常そのまま行けばいつでも乗れます。これはフェリーの直前を横切った巨大な貨物船。パナマ船籍と船内放送で紹介していました。フェリーは三浦半島の久里浜に到着します。久里浜から横浜横須賀道路を通って横浜ランドマークタワーへ行きました。これはランドマークタワー69Fの展望フロアから南西方向を見たところ。後方は相模湾です。このあと、横浜中華街で夕食を食べて帰宅しました。横浜から自宅までは全く渋滞もなく、1時間もかからずに到着しました。いつもこんなに道路がすいているとありがたいのですが。 今日はそんなことで穏やかな一日でした。ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.14
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さて、来週の初めまで夏休みです。久しぶりに長い休みがとれて、かつ体調もいいのでいろいろなところに行ってみたいと思っています。そんなわけで、今週後半から台湾に行ってきます。といっても普通のところは面白くないので、金門島まで行って対岸の中国を見てこようと思っています。以前澎湖島まで行ってレンタルバイクを借り(台湾では無免許)、島を一周し西側で台湾海峡の中国軍艦をたまたま目にしました。まあもう若くないのでそんな無理することはありませんが、かつての最前線を見たいと思っています。ただし、問題は台風。さっきのニュースで新しい台風が発生したとのこと。台湾や沖縄方面に台風が行かないように願うばかりです。予定通りに行けば台湾の帰りに沖縄の道の駅耐久レースをやってきます。今日は親戚とドライブ。渋滞にはまらなければいいのですが・・・
2006.08.13
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仕事でメールを書くときに、まず本文の最初に「○○様」、または少し親しみを込めて「○○さま」と書くようにしています。この前、日本語である社外の中国人(日本語ぺらの日本採用)にメールを書く機会があったのですが、その人の名前(姓)が「何」。まあ中国人ではよくある姓のひとつではあります。で、メールをいつものように書き出そうとすると「何様」、「何さま」。あれ、何か変と思って眺めると「あんた、何様(なにさま)?」と言っているような感じがしてちょっと躊躇しました。中国語的に「何先生」でもいいのでしょうが、個人的には日本語の文章に「先生」という中国語を混ぜるのは邪道だと思っているので不可(この話題は7月12日の日記で書きました)。「何 様」とスペースを空けてもあまり変わりはなく、最終的にはやや馴れ馴れしい印象をかもし出しつつも、「何さん」にしました(完全初対面のような人であればフルネームでもいいのでしょうが何回もそれをやると違和感があり、私としては親しみが感じられません)。これと同じような例で、「王様」。「王」という姓の人にメールを書いたりするときもちょっと悩ましさを感じます。「王様」というと何かふざけた印象もあり「王様ゲーム」を思い出してしまいます。「王さま」もあまり見た目は変わらず、「王 様」も違和感あり。何かこういうときの良い書き方をご存知の形がいらっしゃればぜひお知らせいただければ幸いです。書いていてこれの中国語の逆パターンに近いものを思い出しました。「賈Jia3」(日本語読みは「カ」)という姓の副局長さんがいました。中国では副局長でも呼びかけるときは「副」をとって「局長」だけを名前につけますが、賈さんの場合「賈局長」と呼びかけると発音は「Jia3 Ju2zhang3」となって中国語では「假局長」と発音が同じになり「ニセ局長」という意味になります。みんな心の中ではそういうふうに思いながらも、「賈局長」という意味で呼んでいました(この賈局長は本当にいい方でした)。あと、「付Fu4」という姓の人も困ったものです。「付」は「副」と発音が完全に同じなので、「付」さんという人は局長にいくら昇進しても「付局長」=「副局長」のまま。他にもいろいろこのような小ネタがあったと思いますが忘れました。昨日のダジャレネタの流れですが、こういうくだらないことも中国人から聞いたことは何故かありません。不思議です。ところで今日も日帰り温泉に行きましたが、少々長風呂しすぎて貧血になりました。おやじの体力の限界による引退も近いかもしれない今日この頃です。失礼しました。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.12
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日本人は多くのおやじを始めとして、ダジャレなどのギャグを普通の会話の中でよく受け狙いで言うことが結構あると思います。私もおやじになる前から結構ダジャレ系のくだらない話はとても好きでした。滑ることももちろん多いですけど。。。一方、中国人とはいろいろな人と長年付き合いがありますが、高尚な四字熟語や長ったらしいエピソード的な一応面白い話は聞くことがありますが、ダジャレというのはほとんど聞いた記憶がない気がします。中国人との宴会は数多く出たことがあり、オフィシャルからくだけたものまでいろいろなシチュエーションがありましたが、中国人のダジャレは聞いたことがない気がします。中国語という言語の特徴上、同じ発音で違う漢字になることが多いので結構ダジャレを言うことはできるのですが。私のかつての上司は子供のころ中国で過ごしたこともあり、中国語はネイティブでしたが、その上司はダジャレが好きでよく宴会のときには自ら中国語のダジャレをしょっちゅう言ってました。例えば「研究Yan2jiu1」と「煙酒Yan1jiu3」などは宴席で「研究研究(検討しましょう)」と言ってたばこと酒でごまかすようなときにはぴったり来る言葉でした。私の本名も中国語の発音にすると「毎日酒を飲む」のような音に近いので、上司からそのような別名をいただき、私自身も宴会で話題がなくなって静かになったとき、「自分の名前は『毎日酒飲み』」と言って乾杯をしかけ、墓穴を掘ることもありました。自分でもいろいろダジャレを考えて、例えば「北京師範大学Bei3jing1 Shi1fan4 Da4xue2」を「北京吃飯大学Bei3jing1 Chi1fan4 Da4xue2」と言ってみたり(受けませんでした)、電話の交換台でつないでもらうとき「請転・・・Qing3zhuan3・・・」と言いますが、天気予報の「晴転多雲Qing2zhuan3duo1yun2(晴れのち曇り)」と引っ掛けたり(理解されませんでした)しました。中国人にこのようなダジャレを言う人がほとんどいないのはどうしてなのか、昔から疑問を感じているのですが、答えがなかなか見つかりません。考えられることとしては次のような理由かと・・・(1)そのようなくだらないことを言うのは見識を問われかねないので外国人の前では言わない(中国でも昔から「相声」という漫才はありますが、そういうくだらないことを言うのはこういう人だけだと考えている?)。(2)そもそも言葉遊びをするような習慣はない(日本人の方が特殊である)。(3)日本人のように自分を卑下するようなことは絶対中国人は言わない。(4)外国人にそんなことを言ってもわからないので宴会の場などでは言わない。中国人同士では結構使っている。などが仮説として考えられますが、よくわかりません。どなたかお分かりの方がおられましたら教えていただければ幸いです。皆さま、よいお盆休みを・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.11
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突然ですがマイナーな国シリーズ、アフリカのウガンダです。ウガンダはケニアの西隣の内陸の国です。ゴリラのふるさととしても有名ではあります。あと、70~80年代にはアミン大統領というとんでもないおっさんの独裁でも有名です。アミン大統領はかつてアントニオ猪木との試合がセットされたりしましたが、その前に確かクーデターで失脚したかなにかで試合が流れたこともありました。ここに行ったのは2回、滞在日数は合わせても4日くらいですが、隣の東アフリカでは一番メジャーな国であるケニアの出張時についでに行った感じです。訪問した先はホテルとあちらの役所くらいだったので、大した思い出というものはないですが、飛行機から見た景色はきれいでした。ケニアのナイロビからウガンダ航空のプロペラ機で飛び立つと1時間も経たないうちにアフリカ最大の湖、ビクトリア湖の北側上空を飛びます。このあたりは緑がとても豊富でした。関係ないですが、旧英国植民地だった場所には「ビクトリア」という名前がたくさんありますね。このビクトリア湖のほか、ジンバブエにはビクトリア・フォールズ、香港にもビクトリア・ピークとかビクトリア港など世界中にあったりします。ウガンダの玄関口はそのビクトリア湖のほとりにあるエンテベ空港というところで、70年代にハイジャック事件でも一瞬ですが有名になりました。首都はカンパラといいますが、空港から田舎の道をまっすぐ1時間あまり北上したところにあります。首都といっても山間部の小さな田舎の町という感じで、高い建物は当時(94~95年ごろ)あまりありませんでした。市内を少し歩いたりしたものの、特に印象に残ったものはないのですが、ここの滞在中の思い出はひとつだけ。朝起きたときに「ここはどこ?私は誰?」と思ったことを覚えています。あらためて「とんでもないところに来てしまったもんだ」と素朴に思いました。それだけです。別にオチはありません。食べ物でひとつ思い出したのは確かキャッサバ(?)というイモを磨り潰したものやバナナをゆでたようなものが主食として出されたような気がします。書きながら思い出していますが、一般的にウガンダ人はとても勤勉でした。役所の事務所内にも入りましたが、どこか日本の昔の会社風の雰囲気で、個室はなく机を島形にして配置していました。アフリカでも欧米のように個室形式が多かった記憶がありますが、この国の場合は日本式となぜか近くてとても親近感をもったことを思い出します。そんなことでとりとめのない話になりました。失礼します。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.10
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外交部報道官「韓国は親戚だ」北朝鮮をけん制という記事が今日のサーチナに載っていました。北朝鮮が中国の忠告をも無視して先般ミサイルを発射したことに対する中国側の公式見解として出た発言です。中国はこれまでの行きがかり上、北朝鮮を非難するような発言はしてきませんでしたが、本音は相当北朝鮮の扱いには辟易としていることが垣間見られます。水面下でも事実上金融制裁を北朝鮮に課していると聞きますので、両国間の関係はかなり悪化しているのでしょう。それはそれとして、中国さまが「韓国は親戚だ」とまで言うのは、よくここまで言ったものだとある意味感動ものです。韓国人はこの発言をどのように感じるものなのでしょうか。中国と韓国はかつて朝鮮戦争で戦っていますし、90年代初めまで国交もなかったわけですが、これほどまで中国が踏み込んだ発言をするのはかなり珍しいと思います。「小中華」である韓国さまも、「大中華」の中国さまからこのように言われてうれしいと思う人と、中国さまに飲み込まれるという危機感を持つ人の両極端に分かれるのではないかと想像します。韓国はすでに日本以上に中国経済の影響下に入っていますし、中国さまなしでは自国の経済が成り立たなくなる段階まで来ていると感じますが、この発言は、大半の韓国人に後者のような危機感を持たせることになるきっかけになるような気もします。そもそも韓国・朝鮮人は潜在的に中国東北地方はかつて高句麗の勢力範囲だったことで自分の領土だと主張する人もいますし、北京にいた朝鮮族小姐からも中国人を「粗野」だとして毛嫌いする文化が根深くあることも聞いたりしていましたので、「親戚だ」などといわれると、韓国・朝鮮系の人はかえって反発するのではないかと思います。それにしても韓国は少し前までは日米台と近くて中朝とは一番遠い関係にあったのが嘘のようです。北朝鮮よりも韓国のほうが中国に近い位置になってしまっています。韓国は特に今の大統領になってからさまざまな部分で変な方向に走ってしまっていますが、そのうち中国さまからは「親戚だ」ではなく、「弟だ」にランクアップ?されるのではないかと思ったりします。冷静になって見てみると、90年代後半以降、香港に始まり、マカオ、そして韓国と、膨張していく中国さまにいつの間にか征服されているようにも見えます(東南アジアやアフリカの一部などもしかり)。次は日本の番かも・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.09
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トップに紹介している杉本信行氏の『大地の咆哮』の中で、上海総領事館の仕事として、邦人保護の実情、苦労を紹介している部分があります。「・・・・・なかなか減らないのが酒によるトラブルである。店と揉めたのは自分の落ち度なのに、総領事館に飛び込んできて、『邦人を保護するのが役割だろう』と大騒ぎをする。酔って自宅がどこかを失念し、真夜中に総領事館前に乗りつけた邦人。急性アルコール中毒で倒れ、総領事館に担ぎ込まれてきた邦人。やむなく館員が何とか自宅を探し当て送り届けるケースもあるが、そういう邦人に限って一言の礼もない。・・・・・」本の全体の流れではごくごく小さな話ですが、私の北京駐在時の経験にこれと似たようなことがありました。もちろん大使館とか領事館のレベルとは違いますが、親会社や関連会社からの長期・短期の出張、たまに社員のプライベートでの来訪などもあり、年間延べ2000人以上の出張者を数名の駐在員でさばいていました。リスクマネジメントのために出張日程や宿泊先なども逐一確認していて、急病や事故があっても対応できるように、専門の日系医療サービス会社とも契約をしていました。確か98年ごろ、10名弱くらいの九州地方からの訪問団がまず天津に行き、そこで現地の関連団体の歓待を受けていました。そのうちの1名が初めての訪中ということもあってか、夜の宴会で張り切って白酒を飲みすぎて倒れました。ここまでならよくある話ではありますが、自分は酒は相当強いと思い込んで飲んだらしく、吐血して倒れたという知らせが随行で行っていた同僚から携帯電話に連絡が入りました。とりあえず、その夜は様子を見るということでホテルで安静にすることになりました。しかし、翌日朝になりまた連絡が来て、「容態が思わしくないので北京の病院を手配して欲しい、日本の家族にはこちらから連絡する」ということになり、前述の医療サービス会社と緊急に連絡をとり、北京市内の外国人も入院できる病院を手配しました。昼前には北京に到着して即入院。医療サービス会社の円滑な手配ですぐ個室を確保できました。本人は意識は回復したものの、状況が理解できないのか話しかけても反応があまりなく、正直とても心配しました。その後少し元気になると、他の訪問団員はすでに別の地方都市に向けて出発してしまったので、逆に「何で自分は行けないんだ」と文句を言うようになりました。この御仁、北京の病院には3泊ほどいましたが、その他の団員も再び北京に戻って合流、文句言う本人もそうだし、その他の団員もひとりくらい北京に残ればいいのに我々に丸投げといった非常識な連中ばかり。訪問団の団長は平謝りしていましたが「ちょっとどうよ」と内心思いました。最後に団員が揃って、一応我々駐在員と彼らで送別会のような一席を設けましたが、入院した本人からは最後まで礼のひとつもなく、帰国したあともあれだけ大騒ぎをしたのに本人からは何も連絡は来ませんでした。別にこちらもお礼をしてもらいたくてやっているわけではないですが、常識ある人であれば何か連絡してきても良さそうなものです。この御仁は当時40前後の人だったと思いますが、自分の命が一瞬でも危うい状態にあり、そのために何人もの人が動いたことを何も感じないというのは、非礼に腹を立てることを通り越して悲しささえ感じるものです。前にアフリカの仕事をしていたときも、カメルーンという国で同国に駐在している大使館員の方と話をしたことがあります。その方は、「大抵呼び出しがかかるのは悪いことばかりですよ。この前は日本人のバックパッカーの遺体が港に流れ着いて、引き取りに行ったんですよ」というような話をしていました。著書の中で杉本氏も言っていますが、確かに大使館員などは裏金疑惑や高額な給料などの待遇が批判の矢面に立っていることはある面そういう事実もあるでしょうが、別にすべてがそういうことばかりではなく、またそれと引き換えに相当ストレスのたまる仕事であり、一部の人の事象ですべてその仕事をしている人が悪というような言い方をするのは、似たような仕事を経験したものとしてとても寂しいことだと感じています。今日は少々真面目に・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.08
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久しぶりに「おとなの社会科見学」カテです。市場調査の仕事をしている関係上(?)、新しい日本文化のひとつである「メイドカフェ」を実際自分の目で見てみる必要を感じていましたが、会社の同僚と一緒に(男女2名ずつの4名で)、ランチがてら秋葉原まで行きました。行き先ですが、まず事前に下の本で訪問先の調査をしました。表紙を見るとエ●本のように見えるかもしれませんが、内容はいたって健全なものです。すでにメイドカフェに行ったことのある方にはお分かりですが、メイドカフェは女性でも気軽に入れる「癒しの場」です。このうち、いろいろ候補は上がりましたが、メジャーそうな下の店へ行ってみることにしました。アットホームカフェ www.cafe-athome.com/athome/index.htmlここは秋葉原駅から北西側の雑居ビルの中にありますが、7Fに店があるほか、6Fが待合室兼グッズショップ、下の階にはメイドが足裏マッサージなどをやる店もあり、「メイドビル」のような趣があります。店に到着したのは12時少し前だったので、それほど待たずに中に入れました。順番になるとお決まりの「お帰りなさい、ご主人さま!」の一言(ちなみに女性には「お帰りなさい、お嬢さま!」)。「おお、ついに来た」とちょっと感動しました。店はそれほど広くはなく、学生風の若者や、女性客、一人できたサラリーマン風の男性など20名弱の客。学生風の若者はメイドとUNO(トランプ)で遊んだり、ビデオの映像に合わせて軽く踊るしぐさをみせたり、なかなかこういうところでしか見ることのできない光景でしたが、とても楽しそうにしていました。私たちはそれぞれランチメニューとドリンクを注文しましたが、しばらくしてドリンク(アイスラテ)が来ると、メイドさんから「ガムシロップを入れますから、OKのときに『にゃん!』と言ってくださいね」と言われて萌えました。私の注文したオムライスのようなメニュー(「ひよこさんボール」という名前。上のホームページに実物があります)には、オムのうえに「萌え」とケチャップで書いてあります。途中、イベント的なものが始まり、ステージに立った2人のメイドとのじゃんけん大会が開始。店の名前にあるアットマークから始まり、グーは両手で猫の手、チョキはウサギの耳(?)、パーはクマの耳のようなしぐさをしたあと、じゃんけんをします。これで勝ち抜いて最後に残れば、何かもらえます。また、このあと、たまたまこの日誕生日だった女性客が専用のバースデーソングで祝福された後、メイド全員と記念写真(チェキ)を撮ってました。なかなか和ませるひと時ではあります。基本的にメイドの応対は非常に丁寧で、見た目高校生か大学生くらいなのでしょうが、メイドを演じきっている感があります。客のほうも、マナーをしっかり守る客ばかりで、とてもよい雰囲気の場所だと思いました。みんなバーチャルな世界を楽しんでいるといった趣があります。個人的には癒されるにはとてもいい場所だと思いますが、リアルなプレイが好きな方にはちょっと中途半端で耐え切れないかもしれません。まあ平均的中国人には受け入れ不可能だと思います。さて、食事が終わり、客が入れ替わっていきます。大体ワンクール90分という感覚。私たちも会計をすませ、「ご主人さま、お嬢さま、行ってらっしゃいませ」と言われて、非日常の空間から去りました。話にはいろいろ聞いていましたが、とても和むところであると率直に思いました。おやじとしては一人で行くには勇気が少々いるところですが、一度行ってみる価値はあると思います。ちなみに、料金は食事代とテーブル代などでおおよそ2000円くらい。あと、残念ながら店の内外での写真撮影は禁止のため、お見せできません(別料金でチェキで写真は撮れます)。いずれにしても一見の価値はあると思いますので、関心のある方はぜひどうぞ。私はもう一度行くかもしれません。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.07
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今日の耐久レースは少々短めで全行程300kmちょっと。時間も出発から帰宅まで10時間くらいでした。道の駅めぐりというより、その他のところの方がメインでついでに道の駅といった感じになってきました。 これは群馬県みどり市(旧笠懸町)にある岩宿遺跡。左の山の中に発掘現場があります。右側は遺跡に関する展示をしている岩宿博物館。ここは日本にも旧石器時代があったということを証明するもので、戦後発掘が行われたそうですが、それまでの日本には旧石器時代がないという定説を覆す重要な発見だったということです。最近遺跡に目覚めたかもしれません(先週と先々週には「さきたま古墳」「登呂遺跡」に行きました→日記参照)。これは道の駅「くろほね・やまびこ」。伊勢崎方面から日光方面へ向かう途中の渡良瀬川沿いにあります。ここは確か3回目の訪問ですが、前に来たときは黒保根村、今は桐生市の一部になっています。 これは「富弘美術館」(みどり市・旧東(あずま)村)。完全に美術館なんですが、道の駅としても認定されています。ここは星野富弘さんという方の作品を展示しているところですが、星野氏は事故に遭って体が不自由になってから、口に筆をくわえて絵と文章を書くようになり、とてもやさしい絵と心に響く文章を書かれています。相田みつお氏にも通じるところがあります。山奥の美術館というのに、かなりの人でにぎわっていました。私は全然知らなかったのですが、人気のある方のようですね。確かに星野氏の文章には癒され、感動するものも多くあります。一風変わった道の駅としてもお奨めしたいところです。ちなみに右の写真はこの道の駅の横にある「草木湖(草木ダム)」。これで群馬県の道の駅は18ヶ所すべて訪問したことになります。次は足尾銅山。道の駅ではありませんが、今日の目的地としたところです。群馬側から日光方面に向かって栃木県に入ると旧足尾町に入ります(今は日光市)。ここは江戸時代1600年代に銅の採掘が始まり、1973年まで銅山として稼動していたそうです。明治維新から戦前の日本経済を支えたところではありますが、「足尾鉱毒事件」としても有名なところです。今はかつての銅鉱が観光地として見学できるようになっています。 左のようなトロッコに乗って坑内に入ります。長く乗るのかと思ってちょっと期待しましたが、これに乗って入れるのは入口から100mくらいのところまでです。中は右のようになっていてひんやりとしてました。昔の採掘の様子などが蝋人形のようなものを使って展示されています。坑道の総延長は1000km以上あり、東京から博多くらいまであると言っていました。大したものです。これは道の駅「どまんなかたぬま」。日本の経度・緯度の真ん中のラインがクロスするのがここだそうです。少し前までは栃木県田沼町だったはずですが、今は佐野市の一部になっています。前出の「みどり市」などもそうですが、市町村合併で昔の名前がなくなってしまって特徴のない変な名前になったところも多いですが、合併前の名前が唯一道の駅に残っているともいえます。最後に行ったところは「佐野プレミアムアウトレット」。御殿場にも同様のものがありますが、テーマパーク的大規模アウトレットショップの集合体です。アウトレットといっても、貧乏性の私には高いものばかりです。夏用のサンダルでも買おうかと思ったら、4割引きくらいで9000円以上したので、サンダルにこれだけ払うのは馬鹿馬鹿しいと思ったのであっさりやめました。そんなことで道の駅だけでなく、150km圏内にもいろいろ見所があることに改めて気がついたりしています。最後までご覧いただきありがとうございました。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.06
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今日は家の近くで先ほどまで花火大会をやっていました。自宅から1kmくらいのところにある荒川土手で毎年この時期やっている「いたばし花火大会」というやつです。歴史的には私が小学生くらいのときからやっていて隅田川の花火復活よりも早く、規模も大きいのですが、世間一般にはあまり知られていないマイナーな花火大会です。対岸の戸田市でも同時開催していたりするので板橋区・北区・戸田市・川口市あたりではそれなりに知られているはず。外に出て1枚撮ってみました。ケータイなので画像は小さいですが花火に見えますでしょうか。割り箸立てを上から見たような感じにも見えます・・・ところで、中国関係ですが、最近下の本を読みました。『大地の咆哮 --- 元上海総領事が見た中国』(杉本信行著)著者は元上海総領事の杉本信行さんという方。外交官の立場から30年中国を見てきた方で(杉本氏が総領事のときに領事館職員の自殺事件があった)、偏りなく客観的な立場から中国の抱える深刻な問題を論じています。「農民というのは中国では職業でなく身分」とか、「靖国問題に対する中国側の立場」や個人的に特に関心のあるODAに関する問題など、示唆に富む話が多くありました。私などが言うのは僭越ですが、自分の考えるところと非常に近い考えをもった方がいたことに感動しています。惜しむらくは著者は現在末期がんに侵され病床にあるということです。何とかご回復いただきたいものです。この本にあった話題を踏まえてまたいくつかネタを書きたいと思います。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.05
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中国語で呼びかけのひとつに、 「師傅!(shi1fu、シーフ)」というのがあります。この言葉個人的にはちょっと好きです。日本語で言えば、差し詰め「よっ、師匠!」と言っている感覚があります。中国にある程度滞在すると耳にする言葉だと思います。使う場面で一番多かったのは、ちゃんとした運転手への敬称として「●師傅!」(●は姓)、タクシーへの運ちゃんに「師傅!」という呼びかけに使うといった形だと思います。昔は運転手というと一部の特殊な技能を持った人がする仕事という意味で「師匠」として尊敬されていたことがきっかけだと思います。確かに87年に初めて仕事で長期間滞在したときは、車の数も少なく、運転手という仕事も特に外国企業で働く場合、普通の人より明らかに高給取りで、運転手になりたいと思う中国人も結構いて、運転手本人も誇りをもって仕事をしており、「プロ」の雰囲気もありました(その分ローカルスタッフと運転手の確執なども問題も常にあり)。90年代後半になると、タクシーの数も増え、北京などでは郊外の農民がワンボックスを買ったりして、「黄虫」と呼ばれる1元タクシーが爆発的な形で登場しましたが、このころでもまだ運転と言う技術をもった人は今に比べれば多くなかったので、まだ「師匠」といっても許される範囲の人はいました。でもこれが今のように中国でも誰でもマイカーを持つ時代になったりしますので、運転と言う技術自体当たり前のこととなりつつあり、「師匠」と呼べるほどの運転技術をもった人はごく少数になり、車の運転などしてはいけないような人まで運転するようになってしまいました(日本でもそういう人はいますが)。こうなったことで、最近は運転手に対して「師傅」という言葉を使うことが少なくなったような気がします。昔からの「師傅」な人としては、きっと腹立たしく思っているかもしれません。この前北京に行ったとき、20年近く前から知り合いである会社関係の運転手の車に乗り、「●師傅!」という言葉を何回も使いました。何となく彼としゃべっていて居心地の良さを感じたりしました。ちなみに、昔は外国人に対しても、呼びかけにいきなり「師傅!」という場合もよくありました。日本語でいきなり真面目に「師匠!」と呼ばれることは、一部の途上国などの繁華街で「しゃっちょーさん!」と怪しく呼ばれるくらいしかないので、少々恥ずかしい感じもしました。市場経済化する前は、中国人同士では「同志!」が主流で、「先生!」「小姐!」もあまり使いませんでしたので、我々外国人が名前を知らない中国人を呼びかけるときにも「師傅!」ということもありました。今の殺伐とした中国の社会では、「師匠」と呼べる人もあまりいなくなった気がしますし、いずれこの言葉は衰退してなくなってしまうのではないかと思ったりします。ではまた。失礼します。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.04
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カテが10件までしか入らないので、アフリカではないですがマイナーな国シリーズとして、ブルネイをちょっと紹介します。私は昔からマイナー系が好きで、古くはアンチ巨人、アンチ北の湖(さすがに「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代には属しません)から始まり、マイナーな時代の中国様や中国語(そういうことなので、今のメジャーになった中国はアンチの対象になってます)などを経て、人が注目しないものが好きなわけです。そういう流れで、ブルネイに行ったのは1990年の夏。ちなみにブルネイはボルネオ島の北側マレーシア部分の真ん中上あたりにある、人口100万に満たない小国(確か私の住む板●区の人口と同じくらい)です。でも、この国は天然ガスなどの資源で潤っていて、世界有数の金持ち国家と言われ、ここの国王(ボルキア国王)は世界最大?の大金持ちということで有名です。国王は親日家でもありお忍びで来日しては、銀座のデパートのワンフロアを借り切って品物を丸ごと買っていくという噂も当時からありました。90年ごろはこの国は英国から独立してそう年数が経っているわけではなく、あまり知っている人もいませんでした。当時「地球の歩き方」マレーシア編の中の3ページくらいの情報だけを頼りに、香港でチケットを買ってマニラで乗り継ぎ、ロイヤル・ブルネイ航空(機内のトイレの便座が金でできているという噂がありましたが、さすがにそれはなく、でもドアの取っ手は金箔だったかも)に搭乗、一度マレーシアのコタキナバルでワンストップしたあと、ブルネイの首都バンダルスリブガワンに到着しました。ここは完全にイスラムの国なので、酒などの持ち込みは禁止、空港で荷物を開けられたかと思います。空港内の表示はアラビア文字(マレー語をアラビア文字で書いているのか、アラビア語そのものなのかわかりません)と英語。ちょっと異質な雰囲気を感じました。当時は観光で来る客など皆無だったようで、空港のタクシー乗り場も閑散としており(この国の人は基本的にみんな車をもっている。ほとんど高級車だったかと)、数台しかいないタクシーを見つけて、一応予約を入れていたホテルに向かいました。首都と言ってもたいした大きさではないので、歩いていける程度のところに一応観光スポット的なところがありました。3泊したのですが、はっきり言って行くところがあまりなくて暇な時間が多かったです。市内には大きなモスクや水上集落(カンポン何とかといったはず。ちょうど大規模な火災があった後だったので、黒こげになった集落あり)が有名のようです。水上集落は陸地からかなり離れたところにもあり、陸との間を猛スピードの無数のモーターボートが結んでいます。モスクは大理石が使われとても美しく、かなり大きなものでしたが、確かムスリム以外の人は入れないということで、入口から中を覗いただけだったかと思います。街中には「チャーチル博物館」というのもありました。チャーチルとは第2次大戦時のイギリスのチャーチル首相のことですが、なぜチャーチルの博物館がブルネイにあるのかいまいちよくわかりませんでした。そのほか、やや中心部から離れたところには当時アジアに急拡大する前の「ヤオハン」もありました。基本的に街中を歩いている人はとても少なく、みんな車で移動するのが当たり前で、夕方の小学生の下校時などは、子供を乗せた車で道路は結構混雑していました。この国、今もそうだと思いますが税金はなし、医療なども無料で受けられるという社会保障も万全だそうです。労働者は周辺の国から出稼ぎに来るので、ブルネイ人は適当にのんびり暮らしている感じでした。ちなみに、ここにも華僑の人たちが結構いて、中国系のレストランなどもありましたが、大陸の人とは違ってとても穏やかな雰囲気でした。さて、90年のあと、北京駐在時にもこの国を再び訪れる機会がありました。春節休みのときに駐在員の同僚と北京からバリ島に行こうとしたときに、ジャカルタ経由などの通常ルートより予約がしやすいということで往復ブルネイで1泊つきのルートで行くことになりました。1998年2月のことです。往復とも北京~バリ間はブルネイ航空でしたが、週1~2便程度にもかかわらず、ガラガラ。客は10人程度しかいませんでした(北京~ブルネイ間)ので、非常にゆったりと機内で過ごせました。往路はほとんど街中を見る時間はなかったですが、復路は数時間余裕があったので、街中に出ました。前回と比べると、さすがにブルネイとしても資源が枯渇したあとに備えて観光地化しないといけないと考え始めたようで、すでに郊外にはテーマパークなどもろもろ建設がされており、前回よりも活気が感じられました。この日たまたま、ボルキア国王の誕生日ということで祝日になっており、かつ黄金でできた巨大な王宮の中を誰でも入ることができたので行ってみることになりました。さらに、ブルネイ国民のみならず、外国人でもこの日は国王と握手ができ、お土産がもらえるということだったので、王宮の中に入り、長蛇の列に並んでみました。1時間くらい並びましたが、まだ先が遠く、フライトの時間も近づいてきたのでやむをえず国王との握手は断念しましたが、とてもいい思い出にはなりました。次回行く機会があれば(まあないとは思いますが)、国王との握手を目的に行ってもいいかなとも思ったりします。あれからまた8年くらい経ちましたが、その後もブルネイに関する報道は特に記憶がなく、誰からも注目されないままどのような変化をしているのか、ここにも中国様が浸透しているのか少々興味を持つ今日この頃です。そんなわけで意外と日本から近くにある、マイナーな国を是非注目していただける方がおられれば幸いです。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.03
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久しぶりに中国ネタです。でもこのタイトルで書くと激しい内容になってしまうかもしれませんので、あらかじめご了承ください。中国に行くと、「文明」という言葉を日常の会話などの中でも接することがよくあると思います。例えば「没有文明!」とか「文明単位」といった言葉は結構前から見たり聞いたりしました。前者の意味としては「文明がない」=「文化レベルが低い」=「民度が低い」という感じになると思います。後者の方は、「模範的なモラルの高い職場」といった感じで、恐らく日本的に言えば共産党の支部かどこかから表彰または認定を受け、「文明単位」と書かれた金色の看板はよく目にしました。しかし、中国様は「四大文明発祥の地」ではなかったでしょうか。今の中国人も自分が文明・文化の中心という思い込みで、日本を含む周辺の国々をいまだに野蛮な人間と思う自己中心的な「中華思想」が根底にあることは皆さんご承知のことかと思います。でも「文明発祥の地」のはずが「没有文明」という言葉が頻繁に出てくる日常生活に矛盾は感じたりしないのでしょうか。3000年くらい前にあった「文明」が今現在なくなっている状態をどう思っているのか聞いてみたいところです。もちろん、中国にも「文明」のある方々はたくさんいます。でもその絶対数でいえば、全体からいえば非常に少数で、大多数の「没有文明」の人にそれを分からせるのは無理だと思って、何も言わなかったり、大多数の文明のない人に影響されて自ら腐敗したり、本当にそれがいやな人はとっくに海外へ出て行ったりしている状況がずっと昔から続いていると思います。今の共産党政権も、幹部連中は一応「有文明」なのでしょうが、大多数の「没有文明」である人たちのことを当然信用していないにも関わらず、一方ではそれを利用して少し前の文化大革命とか、江沢民以降の反日教育とか、この前の反日運動とかなど、「没有文明」な人たちを巧みに動員して自分の都合のいいように使っていることは紛れもない事実だと思います。人民のそういった特徴を熟知して、一方で改革開放といって経済を外国の力を利用して発展させつつ物質的には自分たちの力で人民を一応豊かにさせたように感じさせ、その一方では選挙もない民主主義でもない状態にしておきながら、少ない情報をもとに人民を扇動させるようなことを昔からやってきているわけですが、ある意味民度の低さを利用した巧妙な統治をしているといえなくもありません(そういう甘やかした対応を続けた外国側にも問題あり)。昨日の夜の「報道ステーション」で広東省に進出した日本の自動車メーカー3社のことをやっていました。各社も新型モデルをまず中国に導入するとか、相当な力を入れる一方で、同時に交通マナーが最悪で頻繁に事故が起きていることや、それに対応すべくメーカー側(ディーラー)による交通安全教室、自動車保険の講習会も紹介していました。しかし、ある意味「没有文明」なそういう人たちにそこまでして自動車を売り込むというのは、短期的商売としてはいいのでしょうが、本当にあの国の人たちのためになるのか疑問を感じます。今の運転マナーは自転車の運転をしているのと同じで、日本だったら小学生以下のマナーやモラルしかない人たちに車の運転などさせていいのかと思ったりもします。あの調子で「没有文明」な人たちがそのまま物質的に豊かになり、世界中に浸透していくと、数の多さから各国とも太刀打ちできなくなるときが来るのではないかと真面目に憂いています。私は別に石原慎太郎や小林よしのりなどの支持者ではないですが、多数の日本人が何も問題意識をもたずに中国に対して浮ついた感情だけをもっていると、石原氏らの憂慮に全面的に同意するわけではないですが、いずれ日本も滅びるかもしれません。そのような「文明」のレベルがまだまだ低い状況にあることをよく見た上で、是々非々であの国を見ていかないといけないといつも思っています。最後に、前も何度か書きましたが、私は中国が大嫌いとかすべての中国人が嫌いだとかそういう偏った考えはまったくなく、いい人もたくさん知り合いにいますが、事実は事実としてちゃんと捉えないといけないと常々思っているということです。偉そうにいろいろ書いてすみませんでした。今日はちょっとテンション高いかも・・・ ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.02
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アフリカネタ続きです。アフリカ関係の仕事をすることになるまで、黒人の方々とは接する機会はほとんどありませんでしたが、最初のころは結構苦労しました。なぜかというと、会う人みんなが同じ人に見えてしまうからです(これは黒人の方を差別する話でなく、人種の違いを感じるというお話です。念のため)。黒人の方々、特に男性は基本的に大体髪型はみんなアフロの短めの髪型であまり特徴がなく、極端にでかいとか太っているとか特徴があれば別ですが、そうでない一般的な体格の人だと認識するのが非常に難しかったです。あるミーティングで5~6名の黒人の人たちがちょうど窓から差し込む日光の逆光になる形で、私と面と向かって座ったことがあります。こうなると、もともと区別するのが難しいうえに、みんな顔のつくりまでよくわからなくなり、真っ黒にしか見えません。午前中その人たちと名刺交換をしたりして、それなりに各人と話をしたのですが、昼食をはさんで午後からまたミーティングを始めると、午前中に会った人だったかどうか、一部の人が入れ替わっているように感じるのですが、どの人が初めて会う人なのかまったくわからず、しょうがないので適当に名刺交換をしてみると、「あ、私さっき交換しました」と言われてしまい、かなり赤面しました(黒人の方は赤面するのでしょうか)。また、夜暗いところでは男性はみんな同じ顔に見えたりするので、一部の悪い輩はそういう特徴を利用して、「どうせ区別がつかないだろう」と、堂々と東洋人狙いで悪事を働く者もいると聞きました。さすがに1年以上この仕事をやった段階で何とか慣れて、少しずつ違いがわかるようになりましたが、そうなるまでにどんな人でもある程度は時間がかかるものと思います。逆に黒人の人たちからすると、東洋人の顔もみんな扁平で目が細いといった同じ顔に見えるのでしょうから、まあお互い様なんでしょうが、いずれにしても自分とは完全に見た目が違う人の中に放り込まれるというのは、いろいろな意味でそこでしか味わえないものを感じるものだと思いました。最後に私が現地で会ったほとんどのアフリカの黒人の方々は、中●様と違って心優しい控えめな方々ばかりであったことを付け加えておきます。ではまた明日。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.08.01
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