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会社の人たちと鬼怒川温泉に一泊しています。昨日は30年ぶりに日光東照宮に行ってきました。とりあえず写真を一枚。続きはまた今晩に。
2006.09.30
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さて、今日も12年前のアフリカのサファリの写真にお付き合いください。昨日の写真より約半年前、1994年3月にケニアに初めて行ったときの写真です。このときはナイロビから陸路で確か片道4時間くらいのところにある、「アンボセリ国立公園」というところに1泊で行きました。キリマンジャロに近く(このときは見えませんでした)、山を越えればタンザニアという位置にあります。これはナイロビ市内。確か標高2000m近いので、階段に上ると息が切れます。緑が多くきれいなところですが、当時隣国ソマリアの内戦の余波などもあり、治安が非常に悪い状況ではありました。このときアンボセリで泊まったロッジ。何という種類かわかりませんが、サルが出迎え。部屋はこんな感じでした。電話の横にあるのはたぶんマラリア避けのスプレーかと。これがサファリの入口。このときはサンルーフ付きのワンボックスでした。ちなみに同行者はいなかったので車には私一人。感動を分かち合う人がいなかったのは少々寂しかったです。ゾウです。普通の安物のカメラで撮っていますが、絵のような景色です。ゾウをもう1枚。ゾウを見るならアンボセリ、だそうです。シマウマが目の前を横切ります。これも絵のような景色。真ん中に団子のように見えるのはカバ。カバは水辺にいるのでこういうところではめったに見られないと運転手が言っていた記憶があります。あと、サイを見ると天国に行けると言っていたような気も・・・(それほど珍しいということです)最後はついでですが、帰路トランジットで1泊した南アフリカのヨハネスブルク。アフリカでは最大の都市(のはず)、見かけはニューヨークみたいなところでしたが、当時から(今も)世界最悪の治安といわれていました。知らずに危ないところを歩いてしまったことに後から気づきました。そんなことで昔を思い出して書いているうちに、また行きたくなってきました。ああ・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.29
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また昔話ですいません。今日の写真は1994年11月に行ったアフリカ・ケニアの「マサイマラ国立動物保護区」、いわゆる「サファリ」というものです。ケニアでは最も有名どころのサファリで、マサイ族の居住地に隣接しているところです。このときは仕事で2週間あまりナイロビに滞在したのですが、週末を使って1泊で同行者と二人で行きました。あくまでも仕事の合間の土日に自費で行ってますので誤解はしないでくださいませ。このような小型のセスナ機に乗ってナイロビから1時間くらいのところにマサイマラ保護区はあります。ちょうどこの数ヶ月前、日本人観光客の乗った同型機が墜落事故を起こしたことを同行者も私も別々に聞いていたのですが、その話題はお互いに一切触れませんでした。座席が乗客7人分(操縦席のとなりにも一人乗って後ろに6人)しかなく、低空で飛行かつ進行方向とは反対向きの席でしたので、緊張感と息苦しさで大変でした。上空からはこんな感じです。地平線の先まで見え、雲の形から遠くでスコールが降っているのがはっきりわかります。草原の真ん中にある滑走路に着陸した飛行機。最初滑走路にシマウマの群れがいて着陸できず、1回旋回して待ったあと、ようやく着陸したことを覚えています。写真は帰りの客を乗せて飛び立つところだと思われます。先ほどの飛行場には迎えのガイドと車が来ていて、予約していたロッジ式ホテルに到着します。見かけはシャビーな感じがしますが、ちゃんと別棟にレストランや土産物屋の建物も完備しています。シャワーやトイレもあったと思います。さて、専用のジープでサファリを回ります。基本的に動物が活動するのは朝なので、サファリも早朝~午前中実施が基本です。まずはライオン。日本のサファリパークとは違って動物は密集していませんので、プロのドライバーが動物の出没するポイントを選んで進みます。チータです。正面にいるようなああいう車に我々も乗っています。ダチョウですね。景色が最高にきれいです。動物を見つけられなくても十分満足できました。でもちょっと油断するとこのようにぬかるみにはまります。通常数台のキャラバンで回りますので、お互いに助け合うことになります。またちょっと油断すると、目の前をキリンが横切ったりします。馬のようにも見えますがハイエナです。夜はロッジでこのようなマサイ族のショーもありました。マサイ族は「誇り高き人」ということで、あえて文明の恩恵を受けないというのが建前ですが、かなり商業化はされていました。ケニアには1週間~2週間の滞在を4回くらいしましたが、サファリのファンになりました。たぶん明日も別の写真をアップします。仕事のついででもないとなかなか簡単には行けませんが、機会があればまた行ってみたいと思っています。360度地平線の景色の中にたまにぽつぽつと動物がいる光景を見たことで少し人生観も変わった気がします。そのまま天国に行ってしまいそうです。そんなことで、ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.28
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今日も相変わらず中国さまの日本製化粧品への嫌がらせのニュースをさっきテレビで見ました。返品にすごい形相で殺到したり、化粧品のビンを床に投げて割ったりなど、どうしてああいう極端な行動しかあそこの人はできないんですかね。悲しくなります。で、まったく話は変わりますが、また昔の写真をスキャナーで読みこんでみました。20年前、1986年3月大学卒業直前に行った韓国旅行中に訪れた板門店(パンムンジョム)の写真をどうぞ。北朝鮮ネタはこことかここにも書いていますが、北朝鮮から行ったときの写真がどうしても見つからないので、韓国側から行ったときのものだけちょっとだけ紹介します。このときはソウルで外国人のみ参加できる板門店ツアーに乗っていきました。ソウルから1時間余(とても近くに軍事境界線があるわけです)、バスはまず国連軍キャンプに到着し、いろいろ注意事項を聞かされます。北朝鮮側兵士に話しかけたり、微笑んだり、手を振ったりしてはいけないときつく言われた上で「当局は不測の事態が起こっても生命の保証はしない」という誓約書にサインします。このころはまだ冷戦時代ですので、南北の軍事境界線地域(=非武装地帯DMZといいます)に入るだけで独特の緊張感を覚えたことを今でも強く記憶しています。ラフな格好で行ってはいけないと事前に聞いていたので一張羅のジャケットにネクタイを締めて行きました。ちなみに上の写真は国連軍キャンプにある参加国の国旗。基本的に米軍中心で構成されていますので、実態はイコール米軍といってもいいと思われます。これが休戦会談の行われる会議場です。建物の中央が国境にあたります。向こう側の白い建物は北朝鮮側。ここには97年に北朝鮮に行ったときに入って向こうから南の韓国側を見ましたが、韓国側から行ったこのときは、振り返って南側の建物を撮影するのは禁止、といわれていました。会議場の中はこんな風になっています。机の左が韓国側、右が北朝鮮側。マイクのコードが国境になっています。警備の兵士は南側からの人ですが、その前に立ててある国連と北朝鮮の旗が、ある時期競争になって相手より高くしようとして天井を突き抜けそうになり、ばかばかしくなってやめたという逸話があります。ちなみに建物の外にいるのは北朝鮮軍の兵士。タバコを吸ってくつろいでいますが、北側にはこのときもすでに緊張感はあまりありませんでした。北朝鮮側の兵士と目が合ってしまいましたが、小心者だったので思わず目をそらした記憶があります。確か韓国側の見張り台だったかと思います。これの向こう側は北朝鮮です。国境付近では両側から宣伝放送を大音量でやりあっている時代でした。国連軍の兵士がガイドになって説明しているところです。真ん中右寄りの橋が国境にあたります。確かこれは「ポプラ事件」というのが70年代にあって、橋のところにあったポプラの木を国連軍兵士が切ろうとしたら北側の兵士が突然やってきて南側兵士を殺傷したという事件を説明しているところだったと思われます。左側の塔のようなものがあるところは確か北側の宣伝用の村落だったかと思います。また昔話になってしまいましたが、あまり多くの人が行かないところだと思いますのでお楽しみいただければ幸いです。ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.27
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またしても、とある日の中南海の男子トイレ。胡きんとうが用を足していると、そこに温かほうが入ってきました。温かほう(以下「温」):にーはお、胡さん。また会ったね。調子はどう?胡きんとう(以下「胡」):にーはお、温さん。最近尿の出が悪くてねー。温:それはそうと、日本は安倍が首相になったね。胡:そうだね。やっと小泉が代わったから、ちょっとやりやすくなるかな。温:それはどうかな。金じょんいるなんかにも厳しいことを言う奴だから甘く見ないほうがいいかもね。胡:金なんたらの国はとりあえず難民がたくさん来ないように生かさず殺さずでうまくやっておいてよ。そうしておかないと日本にもモノが言えないからね。そういえば、最近、日本の化粧品とか寿司が問題になってるけど、あれって温さんが仕掛けたの?温:まあね。ちょうど2階とかいう日本人が今来てるから、それに合わせてちょっとプレッシャーをね。胡:そうなの。でもうちの奥さん、あの資●堂っている化粧品のファンなんだよね。買えなくなったらまずいなあ。怒られちゃうよ。寿司の話もあれってカルフ●ルって店の品物の話みたいだよね。ヨ●カ堂とかにすればよかったのに。温:ちょっと命令の仕方を間違ってねー。まあいいよ。どっちにしても、うちの人民はブランドの名前で簡単に振り回せるから。一言いえば日本のイメージを落とすのなんか簡単だよ。そうそう、上海市の書記もついでに腐敗ってことでやめさせといたから。胡:うまいね。ちゃんとバランスとってるね。でも、あんまりやりすぎるといつこっちに返ってくるかわからないから気をつけないとね。温:大丈夫だよ。うちの人民も頭のいい奴はみんな海外に行っちゃったし、残っている人間はたまに見せしめでもしておけば大したことないよ。ところで今晩の食事は?胡:ああ、今日の晩御飯は寿司だよ。大トロはうまいねえ。日本の食事って健康的でいいよね。温:そうだね。今度また何か搾り取ってくるからね。体大事にね。じゃあ。胡:よろしくね。じゃあ。-----------------------------------------------------------------ごく一部の方のリクエストにお答えしまして、昨日今日の中国関連ニュースを踏まえ、第2弾として妄想してみました。もう一ひねりしたかったのですが思いつきませんでした。事実関係等に誤りがありましたら平にお詫びいたします。ではまた。※ 今日の日記だけ見ると何だかわからないかもしれませんので、昨日とおとといの日記もご覧くださいませ。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.26
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nhatnhan625さんのブログで日本の化粧品に対する中国さまの嫌がらせのことが書かれています。もう中国さまったら相変わらずアホみたいなことしてるのね、と思ったら今日のサーチナではこんな記事もありました。日本料理店の寿司から大腸菌、省政府「十分注意を」 浙江省・杭州市で販売されていた寿司(すし)から基準を超える大腸菌やカビが検出されたことを受けて、同省政府・工商部門は日本料理店に対する検査を実施した。24日付で人民日報などが伝えた。 浙江省政府・工商部門では杭州市内にある5つの日本料理店に対する検査を行った。サンプルとして調べた寿司のうち、品質基準を満たしたのは35.3%にとどまった。 基準を満たさなかった寿司では大腸菌や一般細菌が基準量を上回った。例えばネタにサーモンを使った握り寿司からは基準の7倍、ネタに甘エビを使った握り寿司からは基準の3.1倍の大腸菌が見つかった。 同省政府・工商部門と同省・消費者協会では「寿司の素材の大部分が加熱処理しておらず、製造の過程で微生物が少量混入しただけでも、人体への影響が出る」「寿司を購入したり、食べたりする際は、十分注意すること」と呼びかけている。(編集担当:菅原大輔)もうこんなのばっかりであきれてしまいますね。寿司屋といっても日本人が経営しているものとも限らないし、寿司ネタの仕入れや保存、流通などは日本人がどう考えてもすべてやっているわけではないでしょう。意図はわかりませんが日本のイメージを落とすような目的が裏にあることが行間から感じ取れます。もうここまで来ると末期症状ではないかと思います。同じくnhatnhan625さんが引用されている中国人に生まれ変わりたくない 64%が多少割り引いて考えたとしてもよく中国さまの現状を物語っていますね。日本ももっと言うべきことは言えばよいと思いますが、あまりに幼稚な話ばっかりなので、まともに相手にするのも憚られますね。。。昨日の日記に書いた胡きんとうと温かほうの話もあながち事実とそう遠くはないかも。。。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.25
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とある日の中南海。トイレで用を足している胡きんとうの横に温かほうが入ってきました。温かほう(以下「温」):にーはお、胡さん。精が出ますねー。胡きんとう(以下「胡」):やあ、温さんじゃない。元気でやってる?温:ぼちぼちですな。胡さんはどう?胡:いやあ、最近は暴動も多いし、アメリカもうるさいし、忙しいよ。でもロシアとかイランとかがよくしてくれるからね。大事にしないと。そういえば、日本は小泉がやめて阿倍という奴が首相になるみたいね。温:「阿倍」じゃなくて「安倍」だよ。胡:ああ、そうだっけ。阿倍仲麻呂の子孫じゃないの?遣唐使の末裔かと思ってたよ。温:胡さん、まずいよ。ちゃんと日本のことくらい知っておかないと。次の反日デモを仕掛けるタイミングもあるし。胡:そうだね。でも、小泉なんかは気楽でいいよね。あれだけ靖国行くなと言ったのに行っちゃうし。でも5年もやればやめられるんだからいいよ。俺たちはやめたくてもやめられないからね。温:そうだよね。たまんないよ。失脚したら命ともども終わりだからね。江さんも怖いし。胡:アメリカなんかは中国は民主化されてないってよくいうけど、こっちの身にもなってほしいよ。この国で選挙なんかやったらどうなると思ってるの。今だって市場経済になってからみんな言うこと聞かないし、すぐ腐敗なんかするし、こんな国で選挙なんか無理に決まってるでしょ。温:そうそう。うちが選挙をしないことが世界の安定につながることをわかってないよね。胡:そういえば、温さん、娘さんの会社はうまく行ってるの。今アメリカにいるのかな。温:そうね。結構儲けてるみたいだね。いろいろなものを家に持ってきてくれるよ。胡:いいね。企業をやっている人はいいよね。みんなストックオプションとかいうやつで、しこたま儲けてるでしょ。それに自分の子供を留学させたりしていつでも逃げられるようにしてるよね。俺たちみたいな国の役人は給料安いし、自由もないもんね。やってられないよね。月餅券横流しするくらいだもんね。温:まあそんなこといわないで。もうすぐ国慶節だしたくさん贈り物ももらうでしょ。胡:それはそうだけど。最近日本からの贈り物が少ないから、またちょっとプレッシャーでもかけようかな。温:いいね、それ。まあお互い今のうちに稼いでおこうね。胡:そうだね。じゃ、また。娘さんによろしく。温:じゃあね。---------------------------------------------------------なんていう話をどこかの国の指導者はしているのではないかとふと思いました。ちょっとあちら寄りにしすぎたでしょうか。反響がよろしければ、第2弾を考えます。では。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.24
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最近の日記はずっと昔話ばかりでしたので、今日はリアルタイムの話です。テレビで今日と明日、お台場の「東京ビッグサイト」で「旅行博2006」というのが開催されているというニュースをたまたま目にしました。近くまで行く予定もあったので、試しに行ってみました。マイナーな国をはじめとする世界各国のことや海外旅行にとても関心のある私としては琴線に触れる展示会でした。今まで全然知りませんでしたが、このイベントはとても面白いです。世界各国の政府観光局、航空会社、旅行会社などがブースを出しており、米・中・韓・欧、東南アジアなどメジャーどころはもちろん、アフリカや中央アジア、中南米などのブースもあり、各国の地図や旅行パンフなどが無料でたくさんもらえて感動しました。大規模なところでは抽選会や民族の踊りなどのイベント、エジプトやアフリカの料理店なども出されていたり、世界各国いろいろな人種の人もたくさんいたりしました。次の行き先候補のひとつにしているロシア極東の地図ももらいましたが、ロシア人女性とも直接話ができ、短時間でしたが非日常空間を味わった気がします。関東地方在住でこういうのがお好きな方、これは絶対お奨めです。会場の写真を何枚かお見せします。台湾の人形劇これはついでですが、ビッグサイトから見た東京湾。羽田を飛び立った飛行機が中央に見えます。この「旅行博2006」は明日までです。ご関心ある方はこちらをどうぞ→http://ryokohaku.com/top.html人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.23
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ブログ開始135日目、3時間くらい前に10000アクセスに到達しました。早いのか遅いのかよくわかりませんが、ひとえにアクセスしていただいた皆様のおかげでございます。ブログを始めてみていろいろな方の意見や面白い話を聞くことができ、いろいろな面でとても役に立っていることを実感しています。また今後もいつまで続くかわかりませんが、よろしくお願いします。
2006.09.23
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まだ続きます。桂林~昆明間は当初乗れるはずだった直通の特急列車で行っても車中2泊だったわけですが、これを途中2回乗り継いで行くはめになったので、車中3連泊になってしまいました。もちろん、新疆方面に行く場合などは4泊とか5泊かかりますし、チベットに陸路で入った方などはもっと大変だったでしょうから、それらを経験した方に比べればこの程度は大したことはないのかもしれません。でもほとんど汽車の中でまる3日近く動けないで過ごすというのは相当辛いです。それに輪をかけて下手に場所を動こうものなら、その場所を掠め取って微動だにしない輩がいるために、トイレに行くのも最低限(同行者がいて場所を押さえてもらったので助かりました。一人だったらどうなったことか)の回数、食事も弁当を売りにくるわけでもなく、途中停まった駅で窓から手を伸ばしてゆで卵を買うくらいのものでした。柳州で数時間過ごしたあと、次は貴陽(貴州省)行きの汽車に乗りました。このときは運よく「対号(席あり)」の切符がとれました。しかし、自分たちの席であるはずのところには先に占領している輩がいて、いくら言っても無視するばかりで動く素振りも見せません。こちら側は4人いましたので袋叩きにするぞといったような態度で圧力をかけるとやっと動きましたが、上で言ったように隙を見せればそのほかにもたくさんの「無座」の客がいるのでいつ席をとられるかわかりません。席自体も木製そのものでクッションなどなく、背もたれは直角ですわり心地は最低。常に警戒していないと何をされるかわからないので緊張感が続き、精神的に落ち着く余裕はまったくありませんでした。柳州~貴陽間は車中泊で翌日の午前中に到着。駅で昆明までの切符を何とか手配し、列車の発車まで5時間くらい駅で待っていました。ここは貴州省の省都ですが、観光地でもないので外国人はほとんど来ないためか外国人用の待合室などはなく、だだっ広い駅のホールの床に座って時間をつぶしていました。そうすると、我々のところに障害者の浮浪児が物乞いにやってきました。同行者の一人がよせばいいのに、日本の5円玉をその子供にやってしばらくすると今度は老人女性の物乞いが近づいてきました。そうこうしているうちに我々の周りにはいろいろな障害を持つ物乞いが10人以上集まってきて、取り囲まれてしまいました。これはやばい、と思った我々は走って退散しましたが、そもそもそういう人たちが集団になって少しでもカネを持っていそうな人間がいると数の圧力で攻めまくるパターンのようです。こういう光景は今でも多くの都市であると思いますが、当時の中国はこてこての社会主義であったはずなのに、なぜこういう人たちが誰からの庇護も受けず、こんなことでしか生活ができないのかとわかって、この国は絶対にどこかおかしいと思いました。貴陽駅の待合室では他にもさらに、たくさんの人がいるど真ん中で子供に小便をさせる輩もいたりなど、最悪の都市という印象が残りました。今でも貴州省は中国で最も貧しい省ですが、どの程度改善されているものなのか、行きたくはありませんが少々関心はあります。そんなことで貴陽~昆明間もさらに車中泊で、まる3日かかって昆明にたどり着きました。この3日間ほとんど飲み食いもしなかったので、昆明で体重を量ったら5kg痩せていました。ダイエットしたい方は中国で「硬座」に乗って3泊ぐらい車中泊をされることをお奨めします(ウソ)。昆明以降は、もうこのような地獄絵図は見たくなかったですし、そもそもバックパッカーといっても修行に来ているのではなく遊びに来ているのだからカネを使うべきところでは使えばいいじゃん、と思って原則一等寝台「軟臥」で通しました。物事は柔軟に考えないといけないということを学びましたし、最悪の状況を最初に経験しましたので、後の行程はある意味快適に過ごせた印象が強く残っています。あまりオチもなく、文章だけになってしまいましたので面白くない話かなとも思います。でも私としてはこの3日間の経験がその後の中国に対する厳しい見方の始まりということでいまだに忘れられない最も印象深い最悪の思い出だったというわけでした。今は物質的には豊かになりましたが、人心の面ではそんなに変わっていないような気がします。この国が自分の国の国民を大事にするときが来るのはいつのことなのか、依然として憂いを感じています・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.22
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続きです。別にオチがあるわけではありませんので、期待しないでご覧ください。さて夜の11時ごろ出発予定の昆明行き特快を桂林駅の待合室で同行者(この時点では3名)と待っていました。ちょうど他にアメリカ人の学生3人(日系人男女1名ずつ、白人男性1名)が同じ汽車を待っていたので彼らと適当におしゃべりをして過ごしていました。今思うと、この待合室は外国人専用の待合室だったかと思います。周りに中国人がいた記憶がありません。ちなみに切符はこんな感じでした。裏はこんな感じ。当時の切符は、硬い切符の裏に乗車する汽車の番号を書いた紙を貼り付けるか、またはスタンプで押すかどちらかの形をとっていたと思います。貴陽駅で乗り継いだことを示す紙が貼ってありますが、これは普通に乗っていれば貼り付けられるものではありませんでした。その先に起こることも知らず、呑気に待合室で待っていると、1時間遅れくらいでようやく汽車が到着する旨、連絡がどこかからありました(駅員が言いに来たのか、掲示板が出たか覚えていませんが、少なくとも電光板のようなものはありえません)ので、同じ汽車に乗る他の大勢の中国人客と列に並びました(日本のような整然とした列は思い浮かべないでください)。汽車がホームにゆっくり入ってきました。並んでいた位置(ホームの外です)から乗車位置までは100m以上。入口が開放されると周りの中国人客が大量の荷物を抱えながらも一斉に全力で走り出します。我々や米国人客はあっけにとられ、状況がつかめないまま、我々もとりあえず走りました。でもどこが「硬座(自由席)」の乗車位置なのか全くわかりません。何がなんだかわからないまま、殺到する中国人と一緒にドア(手動)付近に走ります(ちなみにホームは車両よりかなり低い位置)。周りはドアに殺到してもみくちゃになっている客のほか、開いている窓から無理やり車内に入り込む者、車内に目を向けると別に帰省ラッシュ時でもないのに長距離列車とは思えないほどの満載になった客の数、激しい怒号、この生き地獄のような様子を見て、我々4人と米国人客3人は完全にあっけにとられ、そうこうしている間に乗れない客を無視しつつ汽車は発車してしまいました。我々はホームに取り残され、しばし茫然とその場に立ち尽くしました。自由席とはいえ、汽車に乗れないということは全く想定外でした。まだ中国に入国して1週間も経っていないのにこのあと1ヶ月近くどうしたらいいのか途方にくれました。我々はしかたなく駅舎にもどり、確か怒り狂う米国人客とともに他にどういう方法があるのか、駅員に罵声を浴びせつつ、何とか5時間後に到着する途中の柳州(広西チワン族自治区)まで行く汽車があることがわかったので、これに乗ることにしました。でも次の汽車に本当に乗れるのかわかりません。切符をもっていても、客の数が常にオーバーフローしているので乗れる保証がないので、不安なまま同じ待合室で今度はほとんど無言のまま汽車が来るのを待ちました。すでに真夜中ですが、眠るほどの余裕もなく、未明の4時ごろに到着する汽車を待ち続けました。やがて、また汽車がもうすぐ到着するという知らせが来ました。我々はさっきと同じ轍を踏んではならないと緊張しながら、汽車が入線してくるのを目にしました。今度は絶対に乗ってやる、と悲しい決意を胸に汽車に向かって100mくらい全力疾走で走ります(私は足が遅いうえに足ももつれ、遅れをとりました)。汽車の周りはさっきと同じように大量の中国人客。車内もすでに満員。それでも今度は何とか無理やりドアに体をねじ込み、背中に背負ったリュックの圧力で窒息しそうになりながらも、我々4名と米国人学生3名は車内に押し込まれました。とりあえず乗れたことで一瞬ほっとしたのもつかの間、車内を見ると通路に折り重なって横たわる乗客、網棚の上で寝ている乗客、さらに窓からも乗ってくる輩、ひまわりの種、食べかすなどの多量のゴミがちらかった床、便所から垂れ流されているナゾの液体。これは正直言って家畜が無理やり押し込まれた状態と変わらないのではないかと思いました。両親から戦後の買出し列車というのは大変だったんだよね、という話は子供のときから聞いていましたが、きっとそれよりもひどい状況なのではないかということが頭をよぎりました。それでも何とか横たわっている客の間に無理やり体を入れ(混んでいるのは事実ですが、みんな自分の場所を決めたら譲らないのもこうなる一因)、もうすでに肉体的にも精神的にも疲れの極地に達していたので、体育座りのような形で床に座りました。となりに寝ていた老人(女性)は死んだように寝ていましたが、これがまた臭い。一度乗ってしまうと人が多すぎて動けず、場所を少しでも移動してしまうとすぐとられてしまうので動こうにも動けず、したがってトイレにも行けず、こうなると垂れ流ししかないわけです。そんな苦しい形でスピードも出ない汽車に押し込まれた状態で7時間くらい、眠れず、トイレも行けず、食事もできず、この汽車の終着、柳州駅に昼前くらいに辿り着きました。まだ昆明ははるか遠く・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.21
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今日はいろいろあって、今帰ってきました。ずっと21年前の中国旅行の昔話が続きますがお付き合いください。香港から陸路深セン経由で中国に入国したあと、汽車で広州に行き2泊。このときは春だということもあり、街中で長細いサトウキビがたくさん売られていました。当時の人民はこのサトウキビをかじって、その食べかすをところ構わず撒き散らすので、広州駅前の広場はそれで一杯になっていました。それが中国国内に下り立った最初の印象です。広州では同行者とローカルな食堂に入りました。そこでまず出てきたお茶でまずびびりました。お茶の表面に油がぎらぎら見えています。さらに、箸。当時は割り箸などはありませんでしたが、どうみても色が黒く見えるので、これを持っていったティッシュで拭いてみるとティッシュが真っ黒。皿も拭いてみましたがやはり真っ黒。あまり細かいことは気にしない方でしたが、衛生観念がまったくないことに愕然としました。このあたりでは、もう何故こんな国の言語を勉強してしまったのか、真面目に後悔を感じ、他の同行者も言葉少なく、恐らくみんな相当なショックを受けていたものと今になってみれば思います。途中は若干省きますが、広州の次は桂林に行きたいと思っていましたのでその足の確保に向かいました。桂林に直通する汽車は切符がとれない状況でしたので、やむなく長距離バスに乗ることにして梧州という町で一泊、2日間ほとんどバスに乗りっぱなしでようやく桂林に着きました。このときのバスはかなりの山道を途中通過するのですが、どう見ても坂道を下るとき、ガソリン節約のためか、エンジンを切っていました。当時私は車の免許をとって間もなかったので、下り坂はエンジンブレーキを使うということが当然と思っていましたが、こんな運転の仕方がありうるのかと驚きました。ガードレールもない山道をこれで下るので、生きた心地がしませんでしたし、仮にこんなところで事故に遭っても誰も助けに来てくれないだろうと思いました。私も同行者もますます口数が少なくなっていきます。これは広州~梧州のバスの切符。続いて梧州~桂林のバスの切符。1日10時間は乗っていたと思います。途中停まったトイレ休憩では家畜と一体方式のトイレにまた愕然。それでも、気を取り直して桂林に着き、バス停に雲霞のように集まってくるチェンジマネーの嵐を何とか交わしつつも、「丹桂飯店」というホテル(今はあるのでしょうか)に宿泊することになり、翌日の璃江下りの船の予約を何とかすることができました。確かに桂林の奇岩怪石や山水画のような景色はきれいで、船内で見知らぬ中国人と火鍋をつつきながら、何とかみんな元気を取り戻すことができました。これは璃江下りの船の切符。往路の船と復路のバスの切符込みです。ついでに桂林で乗ったバスの半券も出てきました。当時はまだ「分」という単位も結構使われていました。桂林では次に向かう昆明までの汽車の切符を買いに行きます。この当時は桂林始発の長距離汽車は一本もなかったので、やむをえず特快(特急に相当)の硬座、それも無座という切符をみんな買いました。この汽車に乗れば車中2泊で昆明に着くことができます。確か汽車は夜の11時過ぎに桂林駅に入線する広州方面始発のものでしたが、到着が遅れていました。さて、悲惨だったのはこのあとです。やっと本題に行き着きますが、続きは明日にします。あまり期待しないでお待ちください・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.20
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21年前の中国旅行の昔話、つづきです。当時は「地球の歩き方・中国自由旅行編」が出て確か2年目か3年目くらいのときでした。大学では中国語専攻だったので、すでに周りには留学経験者や何人かリュックを背負って旅行してきた人がいましたので、当然のことながら必ず在学中に一度は行こうと思っていました。やろうと思えばすべて自分で手配も可能でしたが、海外は全く初めてということや、一応慎重派だったりするので、「地球の歩き方」が主催する「ダイヤモンド・スチューデント・ツアー」という中の香港経由入出国で往路の香港・広州1泊ずつがセットになったメニュー(途中は完全フリー)に、友人3人とともに申し込みました。夜のCP(カナダ太平洋航空)で香港入国というパターンでしたが、しめて99,800円だったはず。これに参加すると以下のような旅行用ダイアリーがもらえて、3ヶ月くらい前から何を準備したらいいかとか、もろもろの注意事項が書いてあります。また、旅行計画や支出を書き込みできるようなページなどがあります。海外旅行が初めて、それもいきなりバックパッカーとして行く人のために、かつ金のない学生のために結構細かく注意事項が書いてあります。でも、当時は欧米に行く人が大半だったので、中国のようなところに行く場合はあまり考慮されていなかった気がします。まあ、こんな感じで書いてありますが、「最後の電話は彼女にかけよう」とか「ぼくらはファーストクラスでなくエコノミークラスです」などと結構大きなお世話なことまで書いてあります。他のページには「旅先からお母さんに電話しよう」などと書いてあるところもあります。これは、ちゃんと行き先を言わないで参加する学生が結構いるので、旅行社に「今うちの息子はどこにいるんでしょう」という電話がよくかかってきたからだということだそうです。でも当時の中国からはそんなに簡単に電話できませんでしたけどね。今のように直接ダイヤルしてかけられず、申し込んでから相当待たされる上に品質も最悪、料金も高額でした。今となってはリコンファームは特殊なケースを除きどこも不要になっていると思いますが、初めての海外旅行のときはそれまで英語で電話などかけたこともありませんでしたから、結構緊張感がありました。言う方は決まったセリフを言えばいいでしょうが、想定外の質問をされるとパニック状態になり、しどろもどろになった記憶があります。当時のレート表が出てきました。「昭和59年1月5日現在」となっています。昨日の日記でも書きましたが、この時点では1ドル=233.90円となっています。1人民元は118.95円、1香港ドルは30.32円になっています。当時の中国はまだ「未開放地域」というのがたくさんあって、外国人が行けないところが多く、行き先も限られていましたが、みんな同じ「地球の歩き方」を持っていくので、たまたま応対がよかったレストランなどに日本人旅行者が集中していったりして、味をしめたその店がぼりまくったなんて話も結構ありましたね。このときが初めての海外旅行でしたが、「汚れてもいい格好で」とかほとんど「探検」に行く感じで、最初は無事に帰って来れるのか、本当心配でした。そんなことで、だらだらと昔話でした。まだ明日につづきます・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2006.09.19
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スキャナーでいろいろできることがわかりましたので、先週に引き続き21年前の中国旅行のときの些末なグッズ(というか紙切れ)をご紹介したいと思います。1985年3月8日の人民元と円の交換レートです。2万円が210人民元(兌換券)になっていますので、ざっと1元=90元くらいでした。前の日記で1元=40円くらいと書きましたが、これは1987年のときでした。思い出してみると、100元札が1万円札といったところです。85年はおそらく「プラザ合意」で急速な円高が始まった年だと思いますが、私が中国に行ったのはその前のようですね。これは広州から香港まで乗ったときの搭乗券です。当時の記録を見ると100元払っているようです。日本円で9000円くらいですが、今はもっと安いのでは?西安の兵馬俑の入場券。0.3元となっていますが、これは外国人料金ではないかも。10年くらい前まで、中国の観光地は外国人と中国人で入場料が別で、外国人料金は大体5~10倍くらいだったと思います。北京に駐在していた90年代後半までそんな感じで、私はよく中国人のふりをして安く済ませました。これは北京で長城(八達嶺)の一日ツアーに乗ったときのもの。前門にいくつか店が出ていたのでそこから乗りました。料金はこの券の後ろに領収書が残っていたので見てみると6元でした。中国人向けなので(といっても外国人は拒否されない)、外国人は私と連れのもうひとりのみ。長城のほか、十三陵の定陵と長陵に確か行きました。長城の場末のローカルな食堂で他の客と一緒に昼食をとった記憶があります。上海でタクシーに乗ったときの領収書。こんなのが残っていたことに自分でもちょっと感動しています。たぶん、他の都市でタクシーに乗っても小汚い紙切れの束の領収書というパターンだったはずですが、こと上海だけは乗車時刻、下車時刻まで書いてあったことに感動したのかもしれません。ただ、この当時はタクシーに乗れる中国人はほとんど皆無でしたので、サービスとしては却って今よりも良かったかもしれないと思われます。筆談のメモが残っていました。左上に杭州の名産について書いてあるので、おそらく杭州から広州まで軟臥(一等寝台)に乗ったときに同室になった中国人と話したときのものと思われます(軟臥は学生には贅沢と思われるかもしれませんが、せっかくカネを払って来ているんだから、無理に座れるかどうかもわからない硬座などはやめようとすでに割り切ってました)。上のメモの中で、私の書いた字は右上でさかさまになっている「未完の大局」となぜか「みかん」(そういえば映画名を『蜜柑の大局』とすでにおやじギャグを言ってました)、「Superman」と書いてある部分、左の「お花見」だけだと思います。右下はたぶん、知っている日本の映画は何?という話であることは想像がつきますが、「寅さん」「蒲田行進曲」とか書いてありますね。一番下の「星球大戦」は「スターウォーズ」ですが、このころの軟臥に乗るような中国人は、結構日本のことを知っていたんですね。左下にも「松坂慶子」の字があります。結構昔から記録好きでしたので、他にももろもろネタが出てきました。また次の機会に昔話させていただきます。では。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします。
2006.09.18
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関東の道の駅踏破に向けて、長野県北部を回ってきました。国土交通省の管轄上、長野県の北側は関東地方の扱いになっています。長野県北側は25ヵ所道の駅がありますが、まだ3つくらいしか行っていないので、まずは松本~長野の近辺にあるものを塗りつぶしに行きました。今日の所要時間は約13時間、走行距離は600km強でした。往路は中央道経由で行きましたが、これは諏訪湖SAから見た諏訪湖。なかなかきれいです。一つ目の道の駅は「小坂田公園」(塩尻市)。右側に展望台、真ん中右側に昆虫などの自然博物館、裏側にはゴーカートやパターゴルフなどがあり、遊園地の趣あり。これは松本城。外から撮影しただけですが、ここに来たのは学生のとき以来23年ぶりくらいです。当時のことを思い出してちょっと感傷的に・・・長野県に行くと、おそらく長野オリンピックのときにそうしたのでしょうが、英語だけの信号下の表示がたくさんあります。地名の読み方は日本人でもよくわからないのがたくさんあるので、ローマ字で大きく書いてあるとなかなか分かりやすいです。二つ目です。「アルプス安曇野ほりがねの里」(安曇野市・旧堀金村)。このあたりは北アルプスの山(槍ヶ岳、穂高岳など)がたくさん見えます。これは「安曇野松川」(松川村)。国道沿いにありますが、この手前の松とのコントラストが結構きれいでした。左側奥が北アルプス。4つ目は「池田」(池田町)。ここはハーブが特産ということで、道の反対側にハーブ農園などがあります。5つ目、「大岡」(長野市・旧大岡村)。前は「大岡村」という駅名でしたが、長野市に合併されたようなので、たしか「長野大岡物産センター」といったような名前に変わっていました。道の駅の裏側を流れる犀川(さいかわ)。水面が緑色で、非常に美しい川でした。6つ目は「パークライン中条(なかじょう)」(中条村)。長野市から白馬方面に抜ける新しい道(長野五輪のときに作られたようです)の途中にあります。「中条」から見た風景。日本の田舎の風景は本当にのどかで美しいです。7つ目は「信州新町」(信州新町)。このあたりは長野市から目と鼻の先といった感じ。これは8つ目「さかきた」(筑北村)。長野ICから南へ長野道を下って麻績IC(これで「おみ」って読みます。普通読めませんよね)というところで下ります。もう5時を回っていたので閑散としていました。ちなみに上のはトイレです。道の駅は高速のSAとは違って夕方5~6時には店仕舞してしまいますので道の駅めぐりも自ずと昼間の勝負になります(駐車場とトイレは通常24時間利用可です)。9つ目、今日の長野県最後の道の駅「あおき」(青木村)。最近できたばかりのようです。もう日が暮れようとしているところです。さて、その後上田菅平ICから上信越道に乗り、本日最後の道の駅は群馬県の「ふじおか」(藤岡市)に到着、軽く食事をしました。ここは高速からも一般道からも直接行くことのできる「ハイウェイオアシス」というカテゴリーに入るものですが、さらに道の駅としても認定されているところです。上信越道と関越道の藤岡JCT近くにあるので、これまでにも何度か立ち寄りました。ここはそれほど田舎ではなく、ハイウェイオアシスも兼ねるので遅くまで営業しているようです。ここらあたりから雨が激しくなってきました。そんなことであと2日くらいかければ長野県北部の道の駅を踏破できそうです。冬になる前に行かなくては・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.17
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週末は温泉と道の駅系の話にいたします。昨日までのスキャナーによる昔の写真復活シリーズは平日にやることにします。アフリカのサファリの写真なども出てきたのでまたいずれアップしたいと思います。さて、ある温泉情報誌で2年連続で関東地方の人気ランキング1位になったという温泉に行ってきました。埼玉県の小川町にある「おがわ温泉花和楽(かわら)の湯」というところです。私の家からは約60km、関越道の嵐山小川ICで下りると10分くらいで着きます。東武東上線の小川町駅からもそう遠くありません。ちょっと写真がいまいちでしたが、まだ2年前にできたばかりできれいな和風建築になっています。朝11時前(営業時間は10時から)でしたが、人気の温泉らしく、すでに結構人が来ていました。ここのホームページで使われている写真を拝借しましたが、こんな感じでとてもきれいなところです。やはり人気ランキング1位というのも納得できます。料金もリーズナブル、泉質も滑らかな感じで、源泉かけ流し、地酒風呂などの露天風呂、屋内にもかけ流しやサウナ(ロウリュウといって1時間おきくらいにアロマの香をタオルで吹きかけるパフォーマンスあり)、岩盤浴など、施設の大きさはそれほどでないものの、メニューが豊富です。岩盤浴は入場料込みで時間制限もなく、順番に入れ替えるという形でした。いろいろ行きましたがこのパターンはあまり他にはありません。露天の各風呂にも、この温泉は加温、加水をしているかどうかなど、正直に正しい情報を示してあり非常に好感が持てました。レストランその他の施設も内容が充実しています。レストランのテーブルにあった小皿は上から「花」「和」「楽」という柄の順番にどこもちゃんと並べてあるなど、細かいところにも気配りがされていることはちょっと感動ものでした。お昼過ぎにはほぼ満員の状態になり、入場制限をするほど客が集まるなどなかなかのものです。露天風呂には「うたた寝湯」といって、寝転びながら入れるのがあるのですが、ここで空を見ながらぼけーっとするこの瞬間がやめられません。お近くの方、ここはお奨めできます。温泉から近くにある道の駅「おがわまち」。ここは「和紙のふるさと」というのが売りで、昔から和紙の生産が有名のところだそうです。この道の駅は野菜などの販売はしていませんでしたが、和紙を使った民芸品など特徴的なものがありました。温泉に頻繁に行くようになってから、肌がつるつるになった感じがします。あまり肌つやのいいおやじは気持ち悪いかもしれませんね・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.16
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今日も昔の写真と昔話で行きます。ちなみにこの時の全行程は香港~深セン~広州~梧州~桂林~柳州~貴陽~昆明~成都~西安~北京~上海~杭州~広州~香港の35日間でした。杭州の銭塘江大橋。これより河口よりだとは思いますが逆流するあれ(なんていうか忘れました)で有名なところだったかと。杭州といえばやはり西湖。なかなかきれいな写真ではないかと自画自賛。西湖というと、大学のとき皆で暗唱させられた「西湖是中国著名的風景区。湖面不很大、周囲約30公里・・・」というテキストの大半はまだ覚えています。一応「鉄」系でもありますので、日本では見られないこういうものにも感動しました。杭州動物園のパンダ。北京動物園でもパンダを見ましたが、日本の過保護パンダと違って、良くいえば自然な姿、悪くいえば手入れが悪くて薄汚い、といった感じでした。杭州のあとは汽車に36時間乗って広州に行きました。これは東方賓館(今もありますよね)というホテルから撮ったものと思われますが、正面は広州交易会の会場でもある建物のはず。ちょうどこの時期交易会が行われていて、市内のホテルがどこもとれず、あるホテルの紹介で相当郊外のホテルに連れて行かれました。高かったです。今も変わらない光景だとは思いますが、広州市内のバス。乗る客と降りる客の戦いが見えます。このときの広州は北京や上海と比べると服装が少しきれいだったような印象があります。このときは広州から香港に向かうのに、交易会の関係でうまく汽車の切符がとれず、やむなく学生の私にはど高かった飛行機に乗りました。確か30分くらいで香港に着いたと思います。ああやっと大陸を離れるという安堵の気持ちと、もう少しいてもいいかなという両方の気持ちがありました。話はちょっとそれますが、このときから香港の前の啓徳空港着陸時のスリリングな進入に感動し、その後飛行機の入路(香港カーブっていいましたかね)の真下まで行って見学したりしたこともありました。香港は今とあまり変わりませんが、これは香港島側セントラルあたりかと思われます。左の建設中のビルを見ると香港上海銀行の本社ビルのようです。このときは香港のマクドナルドに直行しました。大陸の「探検」が終わって緊張感が解けた感覚がありました。九龍側のチムサチョイです。ここの近くのYMCAに泊まりました。最後です。ネイザンロードをチムサチョイから北向きに撮ったものと思われます。正直、香港には文明を感じました。このときから中国語といっても北京語だけでなく、広東語にも目を向けるべきでは、と思いました。そんなことで今日の昔話はこのへんで。ではでは。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.15
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今日も21年前の写真を何枚か。20年っていうとそんなに昔という感覚は全くないんですが、こと中国さまを見る限り隔世の感を強く感じますね。いわずと知れた万里の長城(八達嶺)。人の服装以外は今と同じでしょうね。このときは前門から中国人向け一日ツアー(確か5元くらいだったと思います。当時の1元は40円前後だったかと・・・)に人民たちと一緒に乗りました。乗ったバスは左側通行に変わった沖縄から払い下げられた左ハンドルの乗り合いバスで、日本語で書かれた行き先表示や押しボタンなどそのままの状態でした。長城には駐在時に20回以上行きましたので、写真を見れば大体どこにいるかわかります。これは俗に「女坂」といわれる勾配がややなだらか(といっても相当のものですが)な方です。左側が北京市内方面です。現在の八達嶺は高速が正面の山をぶち抜いて右の方に抜け、通常の入口やロープウェイ乗り場は右側にありますね。当時は市内からここまでは対面通行の山道を2時間以上かけて来ました。急に上海に移ります。これは豫園商場の中です。これは豫園の庭園部分でしょうか。北京も上海も着ているものはほとんど変わりません。この写真も6月17日の日記でも使いましたがスキャナーだとやはり鮮明。上海市の中心にある人民広場です。今では地下鉄の接続駅がこの下にあって高い建物がたくさん建っている場所になっています。左側が南京路(今は歩行者天国になっている)のはずです。この当時の上海は全体的に暗いうえに、人がやたらたくさんいたので第一印象は正直言って最悪でした。この右側のビルは上海大廈のはず。この近くの浦江飯店というところのドミトリーに宿泊しました。外灘(バンド)から黄浦江を見たところ。この左側が浦東で、現在は東方明珠タワーがあるところのはずです。この当時は浦東は何もなかったので、漁船がたくさん繋留されている記憶がある以外は全く何も覚えていません。このとき感じたのは、上海はかつては東京以上に発展していた都市だったはずなのに、30年以上完全に時間が停止して死に体の状態にしてしまったこの国の政治の責任は大きいということでした。その後の発展振りを見ると、国が政策を誤らなければ上海のような都市は容易に発展できることを証明していると思います。あまり印象の良くなかった上海で唯一いい思い出になっていることは、魯迅公園を一人で歩いていると、日本語を勉強しているという上の二人の復旦大学の学生に話しかけられたことです。確か彼らは私と同い年で、上海以外のどこかの出身だったと思います。熱心に日本や日本語のことを聞いてきたことを覚えています。この後彼らの宿舎にもお邪魔しました。帰国後彼らには写真を送りましたが、その後どうなったのか。もしかしたら日本にいるのかもしれません。名前も忘れてしまったのでもう会うすべはありませんが、二人とも純粋で真面目だったので、今頃立派な方になられているのでしょうか・・・そんなことで、またじじいの昔話みたいになってしまいました。お楽しみいただけたら嬉しいです。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.14
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引き続き懲りずにスキャナーで昔の写真シリーズです。ちゃんと昔の写真を整理していなかったので断片的ですが、1985年3~4月(まだ学生でした)にバックパッカーとして中国に行ったときのものです。観光地そのものは今とあまり変化がないと思いますので、当時の服装などが鮮明にわかるものを少しだけお見せします。今日は北京と西安の写真です。天安門広場の人民英雄記念碑です。まだ天安門事件前でしたので、記念碑のところは立ち入り禁止になっていません。左側は人民大会堂、右の方角が天安門です。北京駅です。これは今とあまり変わらないかもしれませんね。このときは西安からの夜行列車で到着し、バスに乗ってホテル探しをしました。故宮の北門を出て景山公園の方角(北)を見たところ。景山公園は駐在時に酔っ払った状態で駆け足で登ったために貧血を起こしたいやな思い出あり。この写真、前に一度6月17日の日記でデジカメ接写版を使いましたが、スキャナーだと鮮明です。真ん中奥へ行く通りは長安街で天安門方向。信号機の後ろの建物が北京飯店のはずです。同じ場所から今写真を撮ればど真ん中に東方広場のビル群が見えるはず。これは西安の大雁塔(鐘楼かも)のあたりから恐らく北方向を撮ったところ。時代を感じさせます。西安には8年くらい前に行ったのが最後ですが、そのときでもすでに昔の面影はありませんでした。もう1枚同じところから撮った写真。車はこのころはほとんどがバスだったと思います。西安では大雁塔、小雁塔、秦始皇帝陵、兵馬俑などに行った記憶がありますが、それよりもショッキングだったのは駅前のローカルな食堂で食事をし終わったところ、食べ残しを狙って数人が殺到したことでした。当時は改革開放政策は始まっていたとはいえ、市場経済導入前の社会主義体制でしたが、毎日の食事にも困る人たちが相当いることには改めて愕然としたりしました。最後がやや重くなりましたが、またいろいろ掘り出してきたいと思います。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.13
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調子に乗って昨日に続きスキャナーで読み込んだ18年前の台湾旅行の写真です。ちなみにこの旅行は88年8月、4泊5日、会社のヤローと二人で行きました。写真ではお見せできない秘密の経験もさせていただきました(やましいことではありません)。旅程は羽田→台北(基隆)→高雄→澎湖島→台北→羽田だったと思います。まずは台北から。故宮博物院です。これは総統府。この左側に昨日の「反共必勝」という看板があったと思われます。今となってはどこだかわかりませんが、たぶん台北の西門町あたりかと・・・前の写真と連続しているのでやはり西門町かも。当時の私はまだ大陸中国しか知らなかったので、こういう楽しい店があることに相当感激しました。すいかジュースを飲みつつ南国的な雰囲気を堪能した記憶があります。これも今では当たり前の光景ではありますが、セブンイレブンがあることにも相当感動しました。圓山大飯店。当時は台北で最大・最高級だったのでひやかしに見学に行きました。ちなみにそのとき泊まったのは台北駅前の部屋は全面ガラス張りのあやしいホテルでした。これは台北から日帰りで行った基隆(キールン)の何とかという観光地。ちょっと笑えました。なかなかいいアングル。台北と基隆の真ん中北側の野柳という海岸。奇岩怪石で有名なところです。なかなかきれいな海です。台北駅です。今はすでに地下化されてしまいました。当時は日本のローカル線の駅のような風情がありました。高雄行きの特急に乗るところです。先月乗った特急にはいませんでしたが、当時の特急にはこういうスッチーのようなおねえさんが乗っていました。顔がみたいです。高雄駅です。これも風情のある駅舎です。高雄市内はこんな感じでした。真ん中の看板は「国際牌」=ナショナル。まだパナソニックという前ですね。最後は澎湖島(のはず)の島をつなぐ橋から撮った1枚。なかなか美しいです。写真を見ると改めて当時の記憶がよみがえるものですね。やはり台湾はいいところでした。明日はもしかすると21年前の大陸をお見せするかもしれません・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.12
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少し前に複合プリンタを買ったので、試しにスキャナーを使ってみました。家庭用でも最近のスキャナーってすごいんですね、と感心してしまいました。18年前に行ったときの台湾の写真を何枚か試しにどうぞ。台北の中正記念堂。先月の台北旅行では行きませんでしたが、これはきっと変わっていないでしょうね。台北の総統府近くにあった「反共必勝」の看板。まだ対立の時代を感じさせます。蒋介石の息子、蒋経国総統がこの88年の1月に亡くなり、李登輝総統が就任した年というタイミング(写真は8月)。その近くにあった「薬師丸ひろ子コンサート」の垂れ幕。ああ懐かしい・・・台湾海峡に浮かぶ澎湖島の馬公空港。この前行った金門島の空港に似ています。澎湖島ではレンタルバイクを飛ばして島の西端まで行きました。これが台湾海峡です。真ん中の船は軍艦ですが、台湾側のものか大陸側のものかわかりません。当時何となく緊張感は感じました。でも今思えば、当時の中国さまは発展の初期段階だったので現在のような尊大な態度はそれほど感じられなかったですね。今の方がずっと緊張感があります。そんなことで、昔話でした。スキャナーってなかなかいいです。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.11
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昨日のプロ野球中継を見ていたら、巨人にいる台湾人投手が投げていました。アナウンサーや解説者は彼の名前を「ジャン・チェンミン」と呼んでいましたが、漢字でどう書くかというと「姜建銘」です。台湾人なので、大陸式ピンインは使わない(8月30日の日記で書いたように最近は台湾式「通用ピンイン」も使われていますが)ため、たぶんパスポート上のローマ字表記はウェード式ローマ字で「CHIANG CHIEN MING」のはずです。大陸式ピンインでは「JIANG JIANMING」となります。もしカタカタで無理に書くのであれば、「チャン・チェンミン」か「ジャン・ジェンミン」となるはずなのに、何故か混在しています。姜選手の背番号の上のローマ字表記は「C.M.CHIANG」となっているので、じゃあ「チャン・チェンミン」じゃないの、と思いましたが、単に間違っているだけなのか、何か意図があるのか少し不思議です(さらに厳密にいうと、「チャン」は「張」になってしまうので、「姜」は「チアン」とすべきですが)。実は子供のころからプロ野球ファンでして、東京生まれ、東京育ちでありながら中日ファンという完全マイノリティでした(幼少から大勢に反抗的ないやな奴)。中日は台湾人選手を古くから重視していたこともあり、そういう点からも台湾人選手を応援していました。それはさておき、これまで日本のプロ野球に在籍した台湾人選手で活躍した選手のローマ字表記を並べてみます。・郭源治(中日): 登録名→かく げんじ 背番号の上のローマ字→KAKU (台湾での表記はKUO、大陸式ならGUO)・郭泰源(西武): 登録名→かく たいげん 背番号の上のローマ字→KAKU・荘勝雄(ロッテ):登録名→そう かつお 背番号の上のローマ字→SOH (台湾での表記はCHUANG、大陸ではZHUANG)・呂明錫(巨人): 登録名→ろ めいし 背番号の上のローマ字→RO (台湾での表記はRO、大陸ではLU)・大豊泰昭(中日・阪神等):登録名→たいほう やすあき、本名は陳大豊 背番号の上のローマ字→TAIHOH90年代までに来日した選手の登録名やローマ字はみんな日本語読みでした。2000年以降くらいから変化があって、原音のカタカナ表記に変わりつつあります。・許名傑(西武): 登録名→シュー・ミンチェ 背番号の上のローマ字→HSU (フルネームはHSU MING CHIE、大陸ではXU MINGJIE)・張誌家(西武): 登録名→チャン・ズージャ 背番号の上のローマ字→CHANG (フルネームはCHANG CHIH CHIA、大陸ではZHANG ZHIJIA)本来、中国人の名前はどのようにカタカナで書いても、うまく書けませんし、無理にカタカタにする必要はないと常々思っています。たぶん台湾人選手の名前をカタカナ書きにするようになったのは、韓国人選手が増えてきて彼らはカタカナで読んでいるのに台湾人もそうしないとまずい、と誰かが言ったのかもしれません。韓国語の場合はカタカナ化しても原音に比較的近いですし、声調もなく日本語とそれほど遠くない特徴があったり、韓国側も日本人の名前は原音で呼んだりなどの相互主義もあるのでまあいいかと思います。中国人・台湾人の場合はそもそも言語の発音や成り立ちが全然違うのでそうする意味はないと思いますし、中国語を話す人は日本語の知識がない限り絶対に日本人の名前を日本語の音で発音することはなく、勝手に中国語の発音で読んでいますが、これは半永久的に変わらないでしょう。中国人通訳を通す場合に、日本人が無理に現地音に配慮したつもりでカタカナ的に中国人の名前を言っても、通訳は大体「は?」となって通じないことも多いことは現地で何度も体験しました。日本のマスコミも中国人名・地名(慣習的に定着しているシャンハイやチンタオなどは例外)を発音するときはそういうこともあって依然として日本語読みのままです。冒頭の姜建銘投手のカタカナ表記は台湾式と大陸式が混ざっていて無茶苦茶になっていますし、例に挙げた張誌家投手も同じような感じ(「誌」という字が「ズー」というのは台湾っぽい)。無理にカタカナ発音をせず、堂々と「きょう けんめい」投手といえばいいと思うんですが、どんなもんでしょう。こういうマニアックな話題にお付き合いいただいた方、ありがとうございます。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.10
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関東の「道の駅」のホームページを見ていたら、最近いつの間にか2つ増えていることがわかりました。栃木県北西部に1つと、千葉県房総半島先端に1つです。一応関東地方の全・道の駅は制覇していました(長野県北部除く)が、新たなのができてしまうと行かないといけません。ということで、今日は思い立って栃木県に新しくできた「湯西川」(ゆにしがわ、日光市・旧栗山村)に向けて出発しました。東北道から日光宇都宮道路を経由して今市で下り、鬼怒川温泉・川治温泉を経てさらに山奥にある「湯西川」に着きました。ここからさらに10kmくらい先に秘境に近い温泉地「湯西川温泉」があります。この道の駅は野岩鉄道(東武浅草から会津若松行きの特急はここを通ります)の「湯西川温泉」駅に併設されています。まだ8月にできたばかりです。表から見るとこんな感じ。中央にあるのは足湯です。2Fには温泉もあります。最近このパターンの道の駅が多いですね。湯西川温泉街を突き抜けると「平家の里」という観光地があります。湯西川一帯は昔、平家が壇ノ浦の戦いで源氏に敗れたあと、落人がここまで逃げ延びたという伝説に基づき、当時の家などを復元しているものです。-中はこんな感じです。なかなかきれいなところではあります。なぜか鹿もいました。景色がきれいだったのでもう1枚。次は40kmくらい北上して栃木県から県境を越えて少し行ったところ、福島県にある「たじま」(南会津町・旧田島町)。山奥ですが会津方面への重要ルートでもあるので結構人も多く、農作物も豊富に売られていました。福島県の道の駅訪問はまだ2ヶ所目。その後再び南下して塩原方面に抜けました。これはその途中にある「湯の香しおばら」(那須塩原市・旧塩原町)。ここは前に来たことがあったので、近場に何かないかと思って案内を見たら「もみじ谷大吊橋」というのがすぐ近くにあるので行ってみました。「日本一 もみじ谷大吊橋」と書いてあります。前に吊橋は茨城県の「竜神大吊橋」というところに行ったことがありますが、そこも何かの日本一と言っていました。ここの「日本一」というのは、「無補剛桁歩道吊橋」では日本一長い320mを誇るということだそうです。「無補剛桁歩道吊橋」というのは、通常の吊橋は荷重を支えるための「補剛桁」というのがあるそうですが、この橋はワイヤーロープを横に張るのみで支えるという方法ということです(受け売り)。吊橋の上です。ダム湖の上にあるので景色はなかなかいいです。吊橋の全景はこんな感じでした。このあたり、紅葉の時期になるときっと相当きれいだと思います。塩原温泉郷を抜け、最後に行った道の駅は「にしなすの」(那須塩原市・旧西那須野町)。前に一度来たことがあります。ここは那須地域の開拓を紹介する博物館があるのみで、物品の販売は何もありません。たぶん、市町村合併で同じ市の中にひとつ前の塩原の道の駅もあったりするので役割分担しているのかもしれませんが、ややハコモノ的公共事業の雰囲気を感じさせるところです。敷地は広いですが閑散としていて、店を作って集客しないと無駄な建物として見られてしまうかもしれません。そんなことで、本日は約9時間、400km強の行程でした。通常土曜は日帰り温泉、日曜が道の駅でしたが、今週末は逆にしてみました。やや寝不足・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.09
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今日はいいネタが思い浮かばないので、私のパソコン周りをお見せします。実はUSBグッズマニアです。全部USBから電源をとる代物です。左からライト、マイナスイオン発生器、掃除機です。マイナスイオン発生器は本当にマイナスイオンが出ているのかよくわかりません。鳥の形をした掃除機は吸い込む力が弱いのでPC上のほこりさえも音だけであまり吸いません。このほかにも、USB扇風機とUSB灰皿があります(興味のある方は一番下のショッピングリストをご覧ください)。USB灰皿は電気の力で煙を吸い込む構造になっていますが、かなり音がうるさいです。どれもアイデア商品としては面白くて惹かれますが、あまり役に立つものは今のところなさそうです。何か面白そうなものをご存知のかた、ぜひご紹介ください・・・今日は淡々と終わります。みなさま、よい週末を。。。
2006.09.08
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おとといの日記で中国語のいわゆる標準語「普通話」について少し書きました。普通話といってもみんな出身地の方言を引きずりながら話すので、かなり変化の幅が広く、それを理解する中国人の耳の許容範囲は日本人が理解できる範囲の日本語の発音の幅よりも広いと思うということです。これを実感したのはだいぶ前ですが、1987年に北京に初めて長期滞在したとき、「中国共産党第13次全国代表大会」というのがあって、これの開幕宣言をした胡耀邦(当時総書記)の肉声をテレビで聞いたときです。当時存命だった胡耀邦(湖南省出身)、トウ小平(四川省出身)などの「第2世代」の人たちは方言丸出しでしゃべっていました。広東語・上海語・福建語を引きずって普通話を話す人はもともと北京語とはやや違う系統にあるので個々の発音で巻き舌がないくらいのもので、結構普通話をちゃんと話しますが、四川や湖南の人はそれほど地元の方言が普通話とは遠くないので、かえって方言そのままを話す傾向にあるのではないかと思いました。胡耀邦などのこの時代すでに老人の範疇に入っていた人たちはそもそも普通話をしゃべろうという意思もないのではっきり言って何を言っているのかよくわかりませんでした。国家を代表するような会議の場の開会宣言で方言丸出しというのには、とてもびっくりした記憶があります。ちなみに、胡耀邦のそのときの開幕宣言はこう言っていました。「中国共産党第13次全国代表大会、現在開幕!」正当な普通話のピンインで書くとこうなります。Zhong1guo2 Gong4chan3dang3 di4shi2san1ci4 quan2guo2 dai4biao3 da4hui4 xian4zai4 kai1mu4!胡耀邦の発音は大体ですがこんな感じでした。Zong3guo2 Gong2can2dang2 di3si2san3ci1 quan2guo2 dai3biao1 da3hui1 xian2zai2 kai1mu2!ちょっと違う部分はあると思いますが、巻き舌がないのは当然、声調が全然違います。「現在」は普通話では「シエンツァイ」ですが胡耀邦の発音は「シアンツァイ」で声調も4-4でなく2-2でした。(ピンインをご存知でない方すいません)当時総書記という立場なので、確かこの方言丸出しで「活動報告」などを長々と演説したはずですが、当時はまだこういう人たちがたくさんいましたので会議の出席者からすれば違和感はなかったのかもしれません。こういう経験を踏まえて私としては中国人の耳の許容範囲の広さを感じたわけです。でも今思えばやはりあのくらいなまっていると、本来通訳がいてもおかしくないくらいで、やはり聴衆からすれば何を言っているのかわからなくても別に気にしないというこの状態は、人の話を聞いているようで全然聞いていない一般的中国人の特徴につながっていることなのではないかと思ったりします。ちょっとわかりにくい話になって申し訳ありません。。。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.07
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今朝、紀子さまが無事にご出産されました。私は秋篠宮さまご夫妻と同年代なのでとてもうれしい限りです。純粋に非常にいいニュースだと思います。会社の近くに安産祈願で有名なところがあり、まわりにマタニティ関連の店があるのですが、昼歩いたところいつもより買い物客が多かったような気がします。さて、このニュースを中国さまがどう伝えているのかちょっとだけ気になったので調べてみました。新華網(新華社)ではこのような感じ。「41年ぶりに日本の皇室は男性継承者を迎える 新生児は2.5kg」内容を見ると、特別な論評はなく、事実を淡々と述べている感じで、皇位継承問題含め、日本で報道されているものと大体同じです。最後に上海の日本研究専門の教授が出てきますが、普通の考え方で、「雅子さまと紀子さまの確執が生ずることなどはない」と冷静な話をしており、特に偏った話はないようです。安心しました。ご出産前の報道(8月30日)ですが、こんなのもありました。「日本の皇室は40年ぶりの王子誕生に1億円を投げ打つ」タイトルを見て、ちょっと下世話な感じがしましたので中身を見てみると、概ね日本で報道されているニュースに基づいて書かれていますが、「通常1週間で53万円の愛育病院でさらに5万円払って特別病室に入った」とか記事タイトルにもある1億円を含めて出産費用への言及が少々気になります。まだ赤ちゃんの性別がわからない段階で「40年ぶりの王子」としているところも、日本の週刊誌から拾ってきた内容に見えます。こういったニュースを見て、普通の中国さまの方たちはどういう感想を持つのでしょうか。自分の国の指導者の家族の話などまったく報道されないのに、外国のこういう話がすぐに伝わることを疑問に思ったりしないのかとても疑問です。ところで、「帝王切開」というのは中国語では「剖腹産」というんですね。知りませんでした。一応社会主義の国では「帝王」という言葉は禁句なのかもしれませんが、「剖腹産」だと文字通り「腹を切って生む」そのものなので、ちょっとストレートすぎる表現である気がします。そんな話はさておき、いずれにしても「将来の天皇」とかそんなことは関係なしに、お健やかに育っていただければと心から思います。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.06
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会社は都心の某下町にあるのですが、近くにいつも行列ができている有名なたい焼き専門店があります。たい焼きしか売っていませんが常に昼通りかかると10数名は並んでいます。そんなにおいしいのか疑問に思っていましたが、面倒なので並んでまで買おうとは思いませんでした。ところが今日はどういうわけか客がいなかったので、試しに買ってみました。うまいです。衣がカリッとしているところや餡子がなかなか美味。この近辺にはさらに100m以上の行列ができる親子丼屋もあります。この情報だけでどこだかわかる方、さすがです。さて、全く話は変わりますが、私は昔から言語の発音・音声になぜか敏感で、いろいろな外国語の発音をそれらしく真似するのが一応得意です。そんなことで、中国人が普通話(いわゆる標準語)を話すのを聞いて、大体どこの地方の出身なのか当てるのが好きでして結構高い確率で当てられます。そんなわけで普通話=北京語と思っている方もいるのではないかと思ったりしたので、小ネタをひとつ。普通話は北京語など北方の方言をもとに作られていますが、土着の北京人の発音は日本で言えば土着東京人の話す江戸弁と同様、普通話とは微妙に発音が違っています。私が北京駐在したときの会社の運ちゃんの一人は典型的北京語の発音をしていました。土着北京語の主要な特徴は「舌をやたらと巻く」ということですが、これは普通話の捲舌音(巻き舌音:ZHI、CHI、RI)よりさらに舌全体の位置が奥にあるといった感じで、かなり篭ったような音に聞こえます。慣れないと「ひゅーひゅー」と言っているように聞こえます。特に語中のSHの子音が顕著に弱くなり、例えば、「不是Bu2shi4(プーシー)」は、極端に書けば、「プーヒー」「プーイー」と聞こえます。あえてピンインで書けばshiがri、yiに近い感じになります。「晩上Wan3shang(ワンシャン)」は「ワンヒャン」といったようになります。あと、こちらの方が有名ですが、語尾にer(児)を付けることが頻繁にあります。一応小さいもの、可愛いもの、年下のものなど名詞に付けるのが原則ですが、「玩」など動詞に付く場合もあります。人の姓、例えば「王さん」を呼ぶときに、「小王児Xiao3 Wangr2」のようになりますが、単に呼び捨てにするときにも「王児Wangr2!」というときもあります。そんなわけで、北京で暮らしていても何故か中国語が聞き取れないときがよくあります。もちろん地方出身者がなまっているケースもありますが、土着北京人であることが多々ありました。普通話というのはみんなそれぞれの出身地の方言をひきずってしゃべってますので、それを聞き取るために中国人はかなり日本人よりも耳の許容範囲が広いと感じることがありました。ただ、そもそも中国人って、人の話をあまり聞いていないので全然関係ないかもしれませんが・・・今度は自分なりに分析した別の地域の普通話の特徴でも書いてみたいと思います。ではまた。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.05
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平日は中国ネタ中心ですが、今日は週末の続きでドライブ関係ネタ。マニアックな話なのでまたアクセス数が減りそうです。先日楽天ブックスでこの本を買いました。ポイントで買いましたのでタダでしたが。「浜崎橋はなぜ渋滞するのか?」 「浜崎橋」とは東京の港区の海岸沿いにある首都高速の「浜崎橋ジャンクション」のことです。ここはレインボーブリッジ、湾岸線方面と南行き羽田方面、北行き東京駅方面が分岐・合流する渋滞の名所です。よくTBSの定点カメラでもここが登場します。この本は関東エリアの高速道路の渋滞についていろいろ分析してあって、その対処法、抜け道など最新の情報に基づいてたくさんの例が紹介してあります。「『都内では電車の方が速い』。あなたは常識としてそう思い込んでいませんか」という一文から始まります。これは、最近ではETC(料金所で停車せずにそのまま通過する後払い方式)の普及や監視員制度導入によって路上駐車が減ったことで、以前のような渋滞が激減したということを言っているものです。確かにいつも週末を中心にドライブしていますが、そういう印象は多少感じています。ETCとカーナビを使うと時間面、安全面でとても効率が良くなったことは毎回実感しています。よく首都高を使う者としてなるほどと思ったのは、「箱崎JCTでUターンして7号線へ戻るテク」とか「緊急時にはリムジンバスについて行こう」など、なるほどと思う方法がいろいろありました。他にも渋滞が頻発する地点の構造分析や、交通情報センターのアナウンサーの方々の原稿なしでしゃべる職人的仕事が紹介されてあって、ドライバーの方であれば結構楽しめます。またこの情報を使っていろいろ試してみたいと思います。最後に高速道路と中国の関係で思ったことをひとつ。数年中国に行かない間に最近では内陸の省も含めてやたらたくさんの高速道路ができたことに少々びっくり。北京でも五環路という、関東地方でいえば外環のような高速道路もいつの間にかできていたし、上海周辺でも蘇州は当たり前、無錫・南京方面や杭州方面など結構いろいろなルートがあることがわかりました。こんな車社会になっても高速道路に入ってくる人や自転車はいまだにいるでしょうし(前にそういう光景は何度も見ました)、あまりに乱暴な運転で死亡事故を起こした会社関係の中国人もいたりしたので、まだ運転してみたいとは思いませんが、いずれこの本のような分析ができるくらいの落ち着いた環境を中国さまも早く作ってもらいたいものです。そんなことでややこじつけ的な終わり方でした。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.04
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関東の「道の駅」はほとんど行ってしまいましたが、関東扱いになっている山梨県の長野県寄りのところのいくつかは未踏破だったので、思いつきで行ってみました。朝8時前に出て家には夜7時すぎに戻ったので全行程11時間、走行距離は約400kmという耐久レースでした。ところでなぜ土曜日でなく日曜日にいつも行くかというと、土曜日午前はレジャーの車と業務車がバッティングして絶対に渋滞するからです。日曜日だと車の量が格段に減ります。今日は環八から中央道に上って約150km、2時間半くらいで最初の道の駅へ・・・今日最初の道の駅は「はくしゅう」(山梨県北杜市(旧白州町)。長野県境に近いところですが、「南アルプス天然水」の水源があるところ。手前に水が湧いていて勝手に持って帰れます。さて、ここの道の駅で付近の観光スポットの紹介を見たところ、サントリーウイスキーの白州蒸留所、サントリー南アルプス天然水工場というのがあって、工場見学ができることがわかったので行ってみました。すぐ近くです。これが工場の見学者用入口。観光地化してますが、入場料は完全無料。入口で名前を記入します。中にある「ウイスキー博物館」。ここで見学の申し込みをしますが、「ウイスキー」または「天然水」工場、両方の工場という3種類の見学コースがあり、それぞれ1時間ごとに2名以上集まれば実施というプログラムです。ツアーの場所にもなっているようで、観光バスも何台か来ていました。見学開始までの待ち時間に博物館を見ました。ウイスキーの歴史など各種展示があります。見学は30分の工場見学と30分のウイスキー試飲。説明員のおねえさんと一緒に回りますが、敷地が広大なので一部区間はバスにも乗ります。この写真は大麦を発酵させる巨大な樽。次が蒸留の工程。ウイスキーというのは発酵させるところまではビールと同じですが、発酵後2度蒸留してさらに長期間熟成するとあのような感じになるのだそうです。恥ずかしながらウイスキーの色が琥珀色なのは、樽の木の成分がにじみ出ているからだということを初めて知りました。あと、焼酎は若干原料が違いますが、蒸留を一度するところまではウイスキーと同じで、熟成という工程がないため透明な色をしているということ。勉強になりました。熟成に使う樽は、30年くらいすると柔らかくなって熟成のための成分が出てこなくなるとのことで、再生させるために樽を焼く「リチャー」という工程があります。こんな風にして中を焼きます。炎が最大の状態。この後、手に持っているひしゃくで水を思いっきり一杯ぶっかけると一瞬で火が消えました。このワザは職人でないとできないとのこと。以上がサントリー工場見学の状況です。このあと、ウイスキーの試飲の時間でしたが、私のようなドライバーは飲めないので「天然水」と「なっちゃん」をもらいました。説明員のおねえさんに聞いたところ、「山崎」という銘柄は京都の山崎蒸留所というところで作っているそうなので、関西方面の方はここと同じような見学ができると言っていました。今日はこのサントリー工場、いきなり行きましたが、無料でいろいろ体験できてなかなかいいところだと思いました。さて、道の駅にもどります。二つ目は長野県境を越えてすぐのところにある「信州蔦木宿」(長野県富士見町)。温泉があります。次は再び山梨県に戻って「こぶちさわ」(北杜市・旧小淵沢町)。ずっと「こぶちざわ」だと思ってましたが濁らないんですね。ここも温泉があり、さらにリゾートホテルもあります。清里に近いことから客も多かったです。その後清里(山梨県)、野辺山、小海(長野県)などを通過して群馬県に向かいます。これは長野・群馬県境の「十石峠」の展望台。群馬県の上野村に入りました。ここは1985年の日航ジャンボ機墜落事件の現場があるところです。現場(昇魂の碑)は山奥で歩いていく必要がありましたので、村の市街地の小高い丘の上にある「慰霊の園」に行きました。後ろの慰霊塔のところには当時身元判明が不可能だった方々のご遺体の一部などが埋葬されているとのことです。ロウソクとお線香で冥福を祈らせていただきました。合掌。上野村にある道の駅「上野」。ここに来るのは3度目。ここの名産らしい「イノブタ」のラーメンを食しました。さらに東に行ったところにある「万葉の里」(神流町)。万葉集と何か関係あるのかと思ったら「まんばのさと」と読むとのこと。道の駅の横を流れる神流川(かんながわ)。きれいだったので記念に1枚。このあたりは「鮎の里」とも言われているそうです。さて、本日最後の道の駅「上州おにし」(藤岡市・旧鬼石町)。右側は廃校になった学校の校舎ですが、学校跡を道の駅に作り変えたようです。そんなことで思いつきでいろいろ回りましたが、結構何とかなるものです。来週末は休もうかと思いますがどうなるか・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.03
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しばし中国さまのことは忘れて、週末は温泉めぐりにマニア化しています。首都圏の方限定ですが、このサイトを参考にさせていただいて、最近家から10km圏内くらいで面白そうな日帰り温泉を回っています。温泉って近場でもほとんどどこでも掘れば出てくるということにあらためて驚きです。先週の土曜日は、家から5kmくらいのところにある埼玉県蕨市の「わらび・やまとの湯」というところに行きました。外観はこんな感じ。ケータイの画像なので少々不鮮明ですが、住宅地の真ん中にあります。銭湯代わりに使っている人も多そう。この温泉のHPから借りてきましたが、お奨めはこの真っ黒な温泉。入ると肌がつるつるします。女性には特にいいのではないでしょうか。HPの説明によると、地下1,200メートルで掘り当てたナトリウム-炭酸水素塩温泉(重曹泉ともいう)というもので、一般的には胆汁の分泌を促し、肝臓や脾臓の働きを過発にするので、胆のう炎、糖尿病などに良いということだそうです。ここ、結構気に入りました。料金も安く、家からも近いので会社帰りにも今度行ってみようかと思います。二つ目は今日行った豊島園(練馬区)にある「豊島園・庭の湯」。ここも家から7km、車で20分くらいであっさり到着しました。遊園地「としまえん」の敷地の一角にあります。入口はこんな感じです。ここは「大人のための温泉」というコンセプトでやっているので、中学生未満は入場禁止になっています。値段はやや高めですが、こういうのを売りにするのもいいかもしれません。中は撮影しませんでしたが、パンフレットを抜粋してみました。ここの売りはやはり、左にある「バーデ」だと思います。ここは水着着用・男女混浴で入るところですが、温泉というより室内温水プール。ここは水中歩行などの無料講習も一日何回か行われ、私も30分以上水中歩行をしてみましたが、結構運動になりいい汗をかいた感覚です。この屋外には露天温泉(お湯は黄色)・軟水ジャグジーがあり、屋内には塩分濃度の濃い「死海プール」というのがあり、本物の死海のように体が浮きます(でも尻に爆弾を抱える私としてはひりひりして痛い)。このほか男女別の内風呂・露天風呂もあり、施設は充実しています。半日くらいこういうところでボーっとしていると、本当にリラックスできます。近場でもまだまだ行っていないところがありますので、今後もしばらくはこの線でマニア度がアップしそうです。人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.02
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今日の「サーチナ」にこんな記事がありました。ザンビア野党「中国資本を追い出す」大統領は平謝りアフリカ南部のザンビアの野党指導者が中国を非難する発言を繰り返して問題になったようです。「我々は金を払って中国企業に鉄道や道路を建設してもらっているが、中国に借りを作るべきではない」「私が当選したら中国資本を追い出す」「主権国家である台湾を悪く言う人がザンビアにいることは悲しいことだ」「これまでザンビアの人々が絶賛してきた『あの国』よりも、日本の方がわが国に貢献している」「欧米諸国やインドはザンビアで多くの業績を達成してきた」ザンビアという国には私も10年以上前に2度ほど行ったことがあります。この国は銅鉱山などの資源が特に豊富な国で、日本の商社もかなり前から駐在員を置いていました。ここの日本大使館には当時日本の大手鉄鋼会社からも大使館員として派遣されている人がいました。中国が発展する全然前(70年代)からザンビア鉱山からインド洋に面した港に物資を運ぶためにタンザニアとの間に「タンザン鉄道」というのが中国の援助で、敷設されましたが、この土木工事には大量の中国人が動員されたという話を聞いたことがあります。そんなわけで、昔からそれなりに中国とザンビアとの間では関係があったはずだとは思いますが、野党指導者とはいえ、ここまでの非難発言をするというのは尋常ではない感じがします。ザンビアに限らず、資源を持つほかのアフリカ諸国には最近大量の中国企業と中国人労働者が進出していることはかなり知られていますが、現地人との間で相当の軋轢が背景にあるのは事実だと思います。日本、台湾や他の先進国のアフリカに対する対応のしかたと、怒涛のようにやってきて現地人の雇用をも奪っている今の中国さまのやり方にはきっと不満をもっているアフリカ人は相当いることが想像されます。基本的に中国人さまのアフリカ人に対する態度は非常に見下したものがある意味普通の状態であり、ザンビアなどの政府側としては、一応援助をもらって(場合によっては中国式の腐敗した対応に巻き込まれ、弱みを握られているはず)いるので面と向かった非難はできないのでしょうが、すでにこの中国式の浸透方法は各国で大きな問題になっているはずです。ザンビアやその周辺の内陸国は、概ね穏やかな人が多い傾向にはありますが、そういう人にここまでのことを言われることを中国さまはもっと謙虚になって自分のやり方を見つめなおしてほしいと心から思います。一種の躁状態にあり、誰も止める人のいない中国さまは、10年以内くらいにかつての日本がたどった道に向かうのではないかと真面目に危惧します(ある人は2年後に国威発揚型オリンピックを控えた中国は、1936年のベルリンオリンピックを控えたヒトラーのドイツに似ているということを言っていました)。少々話が飛躍しましたが、こういうマイナーな国のマイナーな人たちの気骨ある発言にもっと耳を傾ける必要があると常々思っています。今日はこんなところで・・・人気blogランキングへ中国BLOGGER人気ランキングよろしくお願いします。
2006.09.01
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