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苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨 しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。 丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載 せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。 「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。 髷 の重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好 から露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日 はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。 「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日 は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。 「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣 では寒いくらいでございましたのに、一昨日 から急に暑くなりましてね」「蟹 なら横に這 うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。 倒行 して逆施 すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々|懲 りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐 がない。 「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。 「昔 しハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。 牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘 にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。 「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ている間 に、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋 ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。 牛の尻尾 を持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼を覚 まして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。 分らないはずでさあ。 牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、後 ろへ後 ろへと引きずって行ったんですからね。 鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。 「時に御主人はどうしました。 相変らず午睡 ですかね。 午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。 何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数 だがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。 第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。 今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴 する。 「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。 迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。 今途中で御馳走を誂 らえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人 には出来そうもない事を述べる。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年04月21日
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坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。 暑いとその上へ日傘をかぶる。 寒いと頭巾 で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛 とか称する無意味な鋸様 の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。 等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨 の上へ人為的の区劃 を立てる。 中にはこの仕切りがつむじを通り過して後 ろまで食 み出しているのがある。まるで贋造 の芭蕉葉 のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。 丸い頭へ四角な枠 をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身 を窶 してどうするつもりか分らん。 第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。 四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈 のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑 なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人 がよると障 わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。 彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。 自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。 猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。 気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣 を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。 毛衣では全く熱 つ過ぎる。これでは一手専売の昼寝も出来ない。 何かないかな、永らく人間社会の観察を怠 ったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪 する様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎 主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分 である。 昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向 観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。 水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。 「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中 に響き渡るような声を出す。 主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法 な真似をやるものはほかにはない。 迷亭に極 っている。いよいよ来たな、これで今日半日は潰 せると思っていると、先生汗を拭 いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥 君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ抛 り出す。 細君は隣座敷で針箱の側 へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒 めぬ眼をわざと※ って座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布 を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。 「おやいらしゃいまし」と云ったが少々|狼狽 の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。 「いえ、今来たばかりなんですよ。 今風呂場で御三 に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日 は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。 「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「私 しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。 好いですよ。 昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気 な事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「私 なんざ、寝たくない、質 でね。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年04月17日
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吾輩は何の目的もなく器械的に跳上 る。 満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。 耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。 護謨管 のごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。 屈竟 の手懸 りに、砕 けよとばかり尾を啣 えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳 ね返る。起き上がるところを隙間 なく乗 し掛 れば、毬 を蹴 たるごとく、吾輩の鼻づらを掠 めて釣り段の縁 に足を縮めて立つ。 彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。 距離は五尺。その中に月の光りが、大幅 の帯を空 に張るごとく横に差し込む。 吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。 前足だけは首尾よく棚の縁 にかかったが後足 は宙にもがいている。 尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。 吾輩は危 うい。 前足を懸 け易 えて足懸 りを深くしようとする。 懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。 二三分 滑れば落ちねばならぬ。 吾輩はいよいよ危うい。 棚板を爪で掻 きむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。 自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時まで身動きもせずに覘 いをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。 吾輩の爪は一縷 のかかりを失う。 三つの塊 まりが一つとなって月の光を竪 に切って下へ落ちる。 次の段に乗せてあった摺鉢 と、摺鉢の中の小桶 とジャムの空缶 が同じく一塊 となって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕 の中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。 「泥棒!」と主人は胴間声 を張り上げて寝室から飛び出して来る。 見ると片手にはランプを提 げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼 よりは身分相応の炯々 たる光を放っている。 吾輩は鮑貝 の傍 におとなしくして蹲踞 る。 二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。 主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。 月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切 ほどに細くなった。 六こう暑くては猫といえどもやり切れない。 皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利 のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入 の毛衣 だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中 質にでも入れたいような気がする。 人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭 のかからない生涯 を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水 の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾 を潜 った事はない。 折々は団扇 でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢 なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢 に漬 けて見たり、味噌 をつけて見たり好んで余計な手数 を懸けて御互に恐悦している。 着物だってそうだ。 猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載 せて暮さなくてもの事だ。 羊の御厄介になったり、蚕 の御世話になったり、綿畠の御情 けさえ受けるに至っては贅沢 は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。 衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫 も合点 が行かぬ。 第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放 っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好 をこしらえて得意である。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年04月04日
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東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡 を通るか、津軽海峡 へ出るか、あるいは遠く宗谷海峡 を廻るかについて大 に心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。 吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。 吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開 いて御三 の顔がぬうと出る。 顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目 でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然|眸底 に落つるからである。 御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜 に懲 りてか、早くから勝手の戸締 をする。 書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。 何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水 の壮士を気取って、竜鳴 を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日 はステッキ、明日 は何になるだろう。 夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。 吾輩は大戦の前に一と休養を要する。 主人の勝手には引窓がない。 座敷なら欄間 と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。 惜し気もなく散る彼岸桜 を誘うて、颯 と吹き込む風に驚ろいて眼を覚 ますと、朧月 さえいつの間 に差してか、竈 の影は斜めに揚板 の上にかかる。 寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子 を窺 うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。 戸棚の中でことことと音がしだす。 小皿の縁 を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色 はない。 皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。 時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。 戸一枚向うに現在敵が暴行を逞 しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。 鼠は旅順椀 の中で盛に舞踏会を催うしている。せめて吾輩の這入 れるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しだ。 今度はへっついの影で吾輩の鮑貝 がことりと鳴る。 敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶 の間から尻尾 がちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥 にかちりと当る。 今度は後方 だと振りむく途端に、五寸近くある大 な奴がひらりと歯磨の袋を落して椽 の下へ馳 け込む。 逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。 鼠を捕 るのは思ったよりむずかしい者である。 吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。 吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、台所の真中に頑張 っていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。 小癪 と云おうか、卑怯 と云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。 吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らし心 を労 らして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。 残念ではあるがかかる小人 を敵にしてはいかなる東郷大将も施 こすべき策がない。 始めは勇気もあり敵愾心 もあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので台所の真中へ坐ったなり動かない事になった。しかし動かんでも八方睨 みを極 め込んでいれば敵は小人だから大した事は出来んのである。 目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えて悪 くいと云う念だけ残る。 悪 くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気の利 いた事は出来ないのだからと軽蔑 の極 眠 たくなる。 吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。 吾輩は眠る。 休養は敵中に在 っても必要である。 横向に庇 を向いて開いた引窓から、また花吹雪 を一塊 りなげ込んで、烈しき風の吾を遶 ると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くる間 もあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影は後 ろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾 へぶら下がる。 瞬 く間の出来事である。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年04月01日
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