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「馬鹿をおっしゃい。 桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」 「酒ばかりじゃない。 交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」 「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。 妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」 「道楽もいいさ。 桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」 「なくって仕合せだわ。 今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」 「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫 を大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」 「これが精一杯のところですよ」 「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入 り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。 何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。 吾輩はその夜 豚肉|三片 と塩焼の頭を頂戴した。 八 垣巡 りと云 う運動を説明した時に、主人の庭を結 い繞 らしてある竹垣の事をちょっと述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣 の次郎 ちゃんとこと思っては誤解である。 家賃は安いがそこは苦沙弥 先生である。 与 っちゃんや次郎ちゃんなどと号する、いわゆるちゃん付きの連中と、薄っ片 な垣一重を隔てて御隣り同志の親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五六間の空地 であって、その尽くるところに檜 が蓊然 と五六本|併 んでいる。 椽側 から拝見すると、向うは茂った森で、ここに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月 を送る江湖 の処士 であるかのごとき感がある。 但 し檜の枝は吹聴 するごとく密生しておらんので、その間 から群鶴館 という、名前だけ立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのは無論である。しかしこの下宿が群鶴館なら先生の居 はたしかに臥竜窟 くらいな価値はある。 名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として、この幅五六間の空地が竹垣を添うて東西に走る事約十間、それから、たちまち鉤 の手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいる。この北面が騒動の種である。 本来なら空地を行き尽してまたあき地、とか何とか威張ってもいいくらいに家の二側 を包んでいるのだが、臥竜窟 の主人は無論窟内の霊猫 たる吾輩すらこのあき地には手こずっている。 南側に檜 が幅を利 かしているごとく、北側には桐 の木が七八本行列している。もう周囲一尺くらいにのびているから下駄屋さえ連れてくればいい価 になるんだが、借家 の悲しさには、いくら気が付いても実行は出来ん。 主人に対しても気の毒である。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、そのつぎに来た時は新らしい桐の俎下駄 を穿 いて、この間の枝でこしらえましたと、聞きもせんのに吹聴 していた。ずるい奴だ。 桐はあるが吾輩及び主人家族にとっては一文にもならない桐である。 玉を抱 いて罪ありと云う古語があるそうだが、これは桐を生 やして銭 なしと云ってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐 れである。 愚 なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主 の伝兵衛である。いないかな、いないかな、下駄屋はいないかなと桐の方で催促しているのに知らん面 をして屋賃 ばかり取り立てにくる。 吾輩は別に伝兵衛に恨 もないから彼の悪口 をこのくらいにして、本題に戻ってこの空地 が騒動の種であると云う珍譚 を紹介|仕 るが、決して主人にいってはいけない。これぎりの話しである。そもそもこの空地に関して第一の不都合なる事は垣根のない事である。 吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れての空地である。あると云うと嘘をつくようでよろしくない。 実を云うとあったのである。しかし話しは過去へ溯 らんと源因が分からない。 源因が分からないと、医者でも処方 に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。 吹き通しも夏はせいせいして心持ちがいいものだ、不用心だって金のないところに盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀 、垣、乃至 は乱杭 、逆茂木 の類は全く不要である。しかしながらこれは空地の向うに住居 する人間もしくは動物の種類|如何 によって決せらるる問題であろうと思う。
2016年01月14日
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