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ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿 であったのは千秋 の恨事 ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。 蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼 になりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀 に拭 いている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。 「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えても未 だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。 「まるで噺 し家 の話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。 迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡 でも嵌 められないうちはとうてい黙っている事が出来ぬ性 と見えて、また次のような事をしゃべり出した。 「僕の失恋も苦 い経験だが、あの時あの薬缶 を知らずに貰ったが最後生涯の目障 りになるんだから、よく考えないと険呑 だよ。 結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出 す事がある者だから。 寒月君などもそんなに憧憬 したり※※ したり独 りでむずかしがらないで、篤 と気を落ちつけて珠 を磨 るがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易 したような顔付をする。 「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅 君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承 わる。 「なあに、こう云う訳さ。 先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。 僕も随分|呑気 だが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏 さんと云う有名な別嬪 がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜 が食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。 主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。 迷亭は構わずどんどん話を進行させる。 「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。 山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸 ったが少しも利目 がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄 とかいう千字文 を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。 翌朝 になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日 申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬 の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵 である。 塵より軽いものは風である。 風より軽い者は女である。 女より軽いものは無 である。――よく穿 ってるだろう。 女なんか仕方がない」と妙なところで力味 んで見せる。これを承 った細君は承知しない。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月31日
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さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟 にばかり拘泥 してはいられないからね。 鏡花の小説にゃ雪の中から蟹 が出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。 「その時分の僕は随分|悪 もの食いの隊長で、蝗 、なめくじ、赤蛙などは食い厭 きていたくらいなところだから、蛇飯は乙 だ。 早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へ鍋 をかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。 不思議な事にはその鍋 の蓋 を見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、旨 い工夫をしたものだ、田舎 にしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊 を小脇に抱 い込んで帰って来た。 何気なくこれを囲炉裏の傍 へ置いたから、その中を覗 いて見ると――いたね。 長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろの捲 きくらをやって塊 まっていましたね」「もうそんな御話しは廃 しになさいよ。 厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。 「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。 爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作 につかまえて、いきなり鍋の中へ放 り込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴が塞 ったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。 気味 の悪るい」と細君しきりに怖 がっている。 「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱 していらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首 がひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中 蛇の面 だらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々 に蛇の頭を持ってぐいと引く。 肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子 でもって飯と肉を矢鱈 に掻 き交 ぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦 い顔をして「もう廃 しになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。 「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯 忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分|御饌 も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅の労 れもある事だから、仰 に従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。 「それから明朝 になって眼を覚 してからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。 朝起きて巻煙草 をふかしながら裏の窓から見ていると、向うの筧 の傍 で、薬缶頭 が顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。 「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜 の娘なんだもの」「だって娘は島田に結 っているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。 「僕も不思議の極 内心少々|怖 くなったから、なお余所 ながら容子 を窺 っていると、薬缶はようやく顔を洗い了 って、傍 えの石の上に置いてあった高島田の鬘 を無雑作に被 って、すましてうちへ這入 ったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢 なき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月30日
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あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用 がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求 に是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。 主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。 「まあこの容子 じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気 に見受けられる。 「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」 寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。 金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。 実は二三日 前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。 寒月君もこれには少し辟易 の体 であったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切 れた時、極 りの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。 「先月大磯へ行ったものに両三日 前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。 相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。 奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯 恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。 随分|軽蔑 なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。 「君だって恋煩 いなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。 「そりゃ僕の艶聞 などは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方 の記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。 「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学 のために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。 「僕のも大分 神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。 「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談 じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。 「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。 寒月君だけは約束を守って一言 も云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。 「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡 筍谷 を通って、蛸壺峠 へかかって、これからいよいよ会津領 へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。 「だまって聴いていらっしゃいよ。 面白いから」と細君が制する。 「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋を敲 いて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭 を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶると悸 えたがね。 僕はその時から恋と云う曲者 の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金 の高島田 に髪を結 いましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。 「這入 って見ると八畳の真中に大きな囲炉裏 が切ってあって、その周 りに娘と娘の爺 さんと婆 さんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹 が御減 りでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯 でも炊 いて上げようと云うんです。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月29日
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見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴|眼尻 から頬へ流れ出した。 山葵 が利 いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。 「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際 を激賞した。 迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度|敲 いたが「奥さん笊 は大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数 を掛けちゃ旨 く食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。ところへ寒月君が、どう云う了見 かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被 って両足を埃 だらけにしてやってくる。 「いや好男子の御入来 だが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座 の裏 にあって臆面 もなく残った蒸籠を平 げる。 今度は先刻 のように目覚 しい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠 二つを安々とやってのけたのは結構だった。 「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もその後 から「金田令嬢がお待ちかねだから早々 呈出 したまえ」と云う。 寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑を洩 らして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力の入 る研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。 「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。 比較的に真面目なのは主人である。 「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球 の電動作用に対する紫外光線 の影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球は振 ってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。 「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡 なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子 の球 をこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々|反身 になる。 「元来|円 とか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、廃 したらよかろう」と迷亭が口を出す。 「それでまず実験上|差 し支 えないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。 「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだん磨 って少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側 が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨 り潰 したかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。 始めは林檎 ほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺 ほどになります。それでも根気よくやっていると大豆 ほどになります。 大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。 私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々 と述べる。 「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。 実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然|老梅 君に出逢ったのさ。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月17日
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製品の仕様と評判基本仕様【商品名】 EGS(イージーエス) エアロビクスステップ 【メーカー】 EGS(イージーエス)【価格】: ¥ 1,999 通常配送無料 【原産国】:中国【本体サイズ】長さ:約66cm・奥行き:約30cm・高さ:10cmと15cmの二段階調整・重さ:約3kg【材質】本体:PP【おすすめ度】 5つ星のうち 4.1 【ランキング】Amazon ベストセラー商品ランキング スポーツ&アウトドア - 58位 (ベストセラーを見る) 1位 ─ スポーツ&アウトドア > フィットネス・トレーニング > エクササイズグッズ > ステップ・昇降台 【商品の説明】 ダイエットやリハビリに! スローステップ運動をはじめよう! 今、話題のスローステップ運動をお手軽に! EGS(イージーエス) エアロビクスステップ 踏み台昇降運動 EG-3086【レビュー】最安値で購入できて満足。いろいろ検索して、ネット最安値と思われるのがこちらでした。はめるのがすごく大変でした。足が取り付けにくいのは他の方が書かれている通りでしたが、また私は靴下一枚もしくは素足で使用していますが、滑るような事もなく、滑り止めで足が痛くなるようなこともありませんでした。ですので、一回はめたらもう外したくはありません。(笑)ごく普通のステップ台です。普通に踏み台昇降運動に利用するなら、問題無しです。箱に何の説明もなかったので高さ調節のやり方が不明だったのですが、商品写真の3枚目にあるように、本体裏側に収納してある足を取り出してはめ込みます。はめ込む時ちょっとコツが入りますが、バンバン叩けば(笑)しっかり入ります。色が黒で居間にあっても違和感ないのも良かったです(見慣れただけ?)材質が樹脂のみで金属部品がないため、サビの心配もなく長く使えそうです。作りは多少チープではありますが、それもこの値段なら納得という感じです。レビューに有る様に高さ調整のジョイントがはめにくいという事は無かったです。簡単に入りました。それでも簡単に外れる様な事は有りません。ただ、外すのはそんなに簡単では無いと思いますが私は取り外す事は無いのでいいと思ってます。もう少し幅が狭くてもいいと思いますので星4つにしました。 【管理人追記】 付属品はありませんが、インターネットでやり方等を探すといろいろあります。
2015年05月17日
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まった、こちらの刃の先は錐 に出来ている。ここん所 は書き損いの字を削 る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。 一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここに蠅 の眼玉くらいな大きさの球 がありましょう、ちょっと、覗 いて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だが欺 されたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? 厭 ですか、ちょっとでいいから」と鋏 を細君に渡す。 細君は覚束 なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりに覘 をつけている。 「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。 最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっと覧 せろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。 「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。 美くしい髪ですね。 腰までありますよ。 少し仰向 いて恐ろしい背 の高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人は大 に急 き込んで細君に食って掛る。 「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三 が御客さまの御誂 が参りましたと、二個の笊蕎麦 を座敷へ持って来る。 「奥さんこれが僕の自弁 の御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀 に御辞儀をする。 真面目なような巫山戯 たような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。 主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦 は毒だぜ」と云った。 「なあに大丈夫、好きなものは滅多 に中 るもんじゃない」と蒸籠 の蓋 をとる。 「打ち立てはありがたいな。 蕎麦 の延びたのと、人間の間 が抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味 をツユの中へ入れて無茶苦茶に掻 き廻わす。 「君そんなに山葵 を入れると辛 らいぜ」と主人は心配そうに注意した。 「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。 君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩 が好きだ」「饂飩は馬子 が食うもんだ。 蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸 をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。 「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。 初心 の者に限って、無暗 にツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。 何でも、こう、一 としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃 いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。 迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂 れの上に纏綿 している。 「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。 奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。 「この長い奴へツユを三分一 つけて、一口に飲んでしまうんだね。 噛 んじゃいけない。 噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉 を滑 り込むところがねうちだよ」と思い切って箸 を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。 左手 に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸 すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸 った分量だけツユの嵩 が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目|這入 っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分 も浸 らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。 迷亭の箸は茶碗を去 る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。 動かないのも無理はない。 少しでも卸 せばツユが溢 れるばかりである。 迷亭もここに至って少し※躇 の体 であったが、たちまち脱兎 の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間 もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛 が一二度|上下 へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月12日
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細君はたった一言 「まあ!」と云ったがそのまあの中 には驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数 が省けてありがたいと云うまあが合併している。ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかに扱 かれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。 「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交 りに仏頂面 をする。 「いや御目覚 かね。 鳳眠 を驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。 主人は無言のまま座に着いて寄木細工 の巻煙草 入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向 の隅 に転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。 迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。 「まあ奇麗だ事。 大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。 「奥さんこの帽子は重宝 ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨 をかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとく拳 ほどな穴があいた。 細君が「へえ」と驚く間 もなく、この度 は拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張ると釜 の頭がぽかりと尖 んがる。 次には帽子を取って鍔 と鍔とを両側から圧 し潰 して見せる。 潰れた帽子は麺棒 で延 した蕎麦 のように平たくなる。それを片端から蓆 でも巻くごとくぐるぐる畳む。 「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。 「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一 の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口 から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載 せてくるくると廻す。もう休 めるかと思ったら最後にぽんと後 ろへ放 げてその上へ堂 っさりと尻餅を突いた。 「君大丈夫かい」と主人さえ懸念 らしい顔をする。 細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもし壊 わしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったら宜 うござんしょう」と注意をする。 得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好 にたちまち回復する。 「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。 「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。 「だって苦沙弥君は立派な麦藁 の奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏み潰 してしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段 を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。 迷亭君は今度は右の袂 の中から赤いケース入りの鋏 を取り出して細君に見せる。 「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝 な奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運 を免 かれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖 の仕合せだと吾輩は看破した。 「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形 の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。 次には平たくして紙の上へ横に置くと定規 の用をする。また刃 の裏には度盛 がしてあるから物指 の代用も出来る。こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪を磨 りまさあ。ようがすか。この先 きを螺旋鋲 の頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌 にも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付 の箱なんざあ苦もなく蓋 がとれる。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年05月05日
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