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と、幸い主人が寝る時に解 きすてた縮緬 の兵古帯 がある。 陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括 って、苦もなく背中へしょう。あまり女が好 く体裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安 の股引 の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨 れて青大将 が蛙 を飲んだような――あるいは青大将の臨月 と云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好 になった。 嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。 陰士はめり安をぐるぐる首 っ環 へ捲 きつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬 の上着を大風呂敷のように拡 げてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆 とその他あらゆる雑物 を奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとを続 ぎ合わせてこの包みを括 って片手にさげる。まだ頂戴 するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂 へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳 して火を点 ける。 旨 まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞 ってまだ消えぬ間 に、陰士の足音は椽側 を次第に遠のいて聞えなくなった。 主人夫婦は依然として熟睡している。 人間も存外|迂濶 なものである。 吾輩はまた暫時 の休養を要する。のべつに喋舌 っていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼が覚 めた時は弥生 の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。 「それでは、ここから這入 って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向 気がつかなかったのですな」 「ええ」と主人は少し極 りがわるそうである。 「それで盗難に罹 ったのは何時 頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。 時間が分るくらいなら何 にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。 「何時頃かな」 「そうですね」と細君は考える。 考えれば分ると思っているらしい。 「あなたは夕 べ何時に御休みになったんですか」 「俺の寝たのは御前よりあとだ」 「ええ私 しの伏せったのは、あなたより前です」 「眼が覚めたのは何時だったかな」 「七時半でしたろう」 「すると盗賊の這入 ったのは、何時頃になるかな」 「なんでも夜なかでしょう」 「夜中 は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」 「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。 巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向 痛痒 を感じないのである。 嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜 いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々|焦 れたくなったと見えて「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で「まあ、そうですな」と答える。 巡査は笑いもせずに「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外 してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及 候也 という書面をお出しなさい。 届ではない告訴です。 名宛 はない方がいい」 「品物は一々かくんですか」 「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。――いや這入 って見たって仕方がない。 盗 られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。 主人は筆硯 を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。 「あら厭 だ、さあ云えだなんて、そんな権柄 ずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据 える。 「その風はなんだ、宿場女郎の出来損 い見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」 「これで悪るければ買って下さい。 宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」 「帯までとって行ったのか、苛 い奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。 帯はどんな帯だ」 「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子 と縮緬 の腹合せの帯です」 「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価 はいくらくらいだ」 「六円くらいでしょう」 「生意気に高い帯をしめてるな。 今度から一円五十銭くらいのにしておけ」本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月26日
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吾輩は無論泥棒に多くの知己 は持たぬが、その行為の乱暴なところから平常 想像して私 かに胸中に描 いていた顔はないでもない。 小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭 にきまっていると自分で勝手に極 めたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決して逞 くするものではない。この陰士は背 のすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。 年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際 があるとすれば、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯 の芽生 えが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。 寒月君は苦味 ばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にも惚 れ込まなくては義理が悪い。 義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質 だからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟 調和の実を挙げらるるに相違ない。 万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。 吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。 陰士は小脇になにか抱えている。 見ると先刻 主人が書斎へ放り込んだ古毛布 である。 唐桟 の半纏 に、御納戸 の博多 の帯を尻の上にむすんで、生白 い脛 は膝 から下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。 先刻 から赤い本に指を噛 まれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りを堂 と打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。 陰士は毛布 を落して、出した足を急に引き込ます。 障子の影に細長い向脛 が二本立ったまま微 かに動くのが見える。 主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病 みのようにぼりぼり掻 く。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。 寒月だと云ったのは全く我知らずの寝言と見える。 陰士はしばらく椽側 に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済 してまた片足を畳の上に入れる。 今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。 一穂 の春灯 で豊かに照らされていた六畳の間 は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李 の辺 から吾輩の頭の上を越えて壁の半 ばが真黒になる。 振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然 と動いている。 好男子も影だけ見ると、八 つ頭 の化 け物 のごとくまことに妙な恰好 である。 陰士は細君の寝顔を上から覗 き込んで見たが何のためかにやにやと笑った。 笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。 細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付 けにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津 の住人|多々良三平君 が先日帰省した時|御土産 に持って来た山の芋 である。 山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆 を用箪笥 へ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚 か、沢庵 が寝室に在 っても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重 に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。 陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分 目方が懸 りそうなのですこぶる満足の体 である。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多 に声を立てると危険であるからじっと怺 えている。やがて陰士は山の芋の箱を恭 しく古毛布 にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月19日
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現に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、大 に玄妙不思議がると同時に、ますます神の全智全能を承認するように傾いた事実がある。それは外 でもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。顔の道具は無論|極 っている、大 さも大概は似たり寄ったりである。 換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料で出来ているにも関らず一人も同じ結果に出来上っておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆 に感服せざるを得ない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化は出来んのである。 一代の画工が精力を消耗 して変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来んのをもって推 せば、人間の製造を一手 で受負 った神の手際 は格別な者だと驚嘆せざるを得ない。 到底人間社会において目撃し得ざる底 の伎倆であるから、これを全能的伎倆と云っても差 し支 えないだろう。 人間はこの点において大 に神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点から云えばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場から云うと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力は決してない者であると断定が出来るだろうと思う。 神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子 も同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨 く行かなくて出来るのも出来るのも作り損 ねてこの乱雑な状態に陥 ったものか、分らんではないか。 彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹 とも判ぜらるるではないか。 全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。 彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時 に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入 らんのは気の毒な次第である。 立場を換 えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人|逆 せ上がって、神に呑 まれているから悟りようがない。 製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚 を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅 見せろと逼 ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。 弘法大師に向って昨日 書いた通りの筆法で空海と願いますと云う方がまるで書体を換 えてと注文されるよりも苦しいかも分らん。 人間の用うる国語は全然|模傚主義 で伝習するものである。 彼等人間が母から、乳母 から、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。 出来るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚 の能力がないと云う事を証明している。 純粋の模傚 はかくのごとく至難なものである。 従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆 焼印の御かめのごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時に今日 のごとく勝手次第な顔を天日 に曝 らさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。 吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。 本 を忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見 した時、以上の感想が自然と胸中に湧 き出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。 吾輩の眼前に悠然 とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常 神の製作についてその出来栄 をあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。 特徴とはほかではない。 彼の眉目 がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜 二つであると云う事実である。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月16日
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せんだってなどは主人の寝室にまで闖入 して高からぬ主人の鼻の頭を囓 んで凱歌 を奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出来るだけ緩 やかに、溝に添うて滑 らせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内も乞わず戸締 を外 ずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極 っている。御高名だけはかねて承 わっている泥棒陰士 ではないか知らん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔 を拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足 ばかり進んだ模様である。三足目と思う頃|揚板 に蹶 いてか、ガタリと夜 に響くような音を立てた。吾輩の背中 の毛が靴刷毛 で逆に擦 すられたような心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見ると未 だ口をあいて太平の空気を夢中に吐呑 している。主人は赤い本に拇指 を挟 まれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチを擦 る音が聞える。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼は利 かぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だろう。この時吾輩は蹲踞 まりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。――足音は襖 の音と共に椽側 へ出た。陰士はいよいよ書斎へ這入 った。それぎり音も沙汰もない。吾輩はこの間 に早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやく気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向 要領を得ん考のみが頭の中に水車 の勢で廻転するのみで、何等の分別も出ない。布団 の裾 を啣 えて振って見たらと思って、二三度やって見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦 り付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否 やと云うほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛む事おびただしい。此度 は仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時ばかりは咽喉 に物が痞 えて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いた。肝心 の主人は覚 める気色 もないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリミチリと椽側を伝 って近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもう駄目だと諦 らめて、襖 と柳行李 の間にしばしの間身を忍ばせて動静を窺 がう。陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりと已 む。吾輩は息を凝 らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠を捕 る時は、こんな気分になれば訳はないのだ、魂 が両方の眼から飛び出しそうな勢 である。陰士の御蔭で二度とない悟 を開いたのは実にありがたい。たちまち障子の桟 の三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変る。それを透 して薄紅 なものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間 に暗い中に消える。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔 の向側にあらわれる。疑いもなく陰士の眼である。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後 に隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間ではあったが、こう睨 まれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢出来んから行李の影から飛出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有する訳 であるが、その前ちょっと卑見を開陳 してご高慮を煩 わしたい事がある。古代の神は全智全能と崇 められている。ことに耶蘇教 の神は二十世紀の今日 までもこの全智全能の面 を被 っている。しかし俗人の考うる全智全能は、時によると無智無能とも解釈が出来る。こう云うのは明かにパラドックスである。しかるにこのパラドックスを道破 した者は天地開闢 以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながら満更 な猫でもないと云う虚栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、猫も馬鹿に出来ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏 に叩き込みたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろう。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月12日
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それだから千金の春宵 を心も空に満天下の雌猫雄猫 が狂い廻るのを煩悩 の迷 のと軽蔑 する念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。 吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋も出来ぬ。のそのそと小供の布団 の裾 へ廻って心地快 く眠る。……ふと眼を開 いて見ると主人はいつの間 にか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団 の中にいつの間にか潜 り込んでいる。 主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本 を書斎から携 えて来る。しかし横になってこの本を二|頁 と続けて読んだ事はない。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえある。 一行も読まぬくらいならわざわざ提 げてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、止せと云っても、決して承知しない。 毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくる。ある時は慾張って三四冊も抱えて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて来たくらいである。 思うにこれは主人の病気で贅沢 な人が竜文堂 に鳴る松風の音を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。 活版の睡眠剤である。 今夜も何か有るだろうと覗 いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯 の先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。 主人の左の手の拇指 が本の間に挟 まったままであるところから推 すと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。 赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計 が春に似合わぬ寒き色を放っている。 細君は乳呑児 を一尺ばかり先へ放り出して口を開 いていびきをかいて枕を外 している。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。 猫などは生涯 こんな恥をかいた事がない。 元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑 するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞 して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。 第一天井から鼠 の糞 でも落ちた時危険である。 小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ体 たらくで寝そべっている。 姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと云わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。 妹のすん子はその復讐 に姉の腹の上に片足をあげて踏反 り返っている。 双方共寝た時の姿勢より九十度はたしかに廻転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡している。さすがに春の灯火 は格別である。 天真|爛漫 ながら無風流極まるこの光景の裏 に良夜を惜しめとばかり床 しげに輝やいて見える。もう何時 だろうと室 の中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋 りをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女である。 私は生れてから今日 に至るまで歯軋りをした覚 はございませんと強情を張って決して直しましょうとも御気の毒でございますとも云わず、ただそんな覚はございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚はないに違ない。しかし事実は覚がなくても存在する事があるから困る。 世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。――夜 は大分更 けたようだ。 台所の雨戸にトントンと二返ばかり軽く中 った者がある。はてな今頃人の来るはずがない。 大方例の鼠だろう、鼠なら捕 らん事に極めているから勝手にあばれるが宜 しい。――またトントンと中 る。どうも鼠らしくない。 鼠としても大変用心深い鼠である。 主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中 でも夜中 でも乱暴|狼藉 の練修に余念なく、憫然 なる主人の夢を驚破 するのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠慮する訳がない。 今のはたしかに鼠ではない。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月11日
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極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた鈴木藤十郎君である。 「君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡 なに上品に控 え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子 を見たらいかに実業家|贔負 の尊公でも辟易 するに極 ってるよ、ねえ苦沙弥君、君|大 に奮闘したじゃないか」 「それでも君より僕の方が評判がいいそうだ」 「アハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられん訳だ。 僕も意志は決して人に劣らんつもりだが、そんなに図太くは出来ん敬服の至りだ」 「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるが巴里 大学で講義をした時は非常に不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首 を袖 の下に持って防禦 の具となした事がある。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は……」「だって君ゃ大学の教師でも何でもないじゃないか。 高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑魚 が鯨 をもって自 ら喩 えるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ」 「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ」 「大変な見識だな。しかし懐剣をもって歩行 くだけはあぶないから真似 ない方がいいよ。 大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀 くらいなところだな。しかしそれにしても刃物は剣呑 だから仲見世 へ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負 ってあるくがよかろう。 愛嬌 があっていい。ねえ鈴木君」と云うと鈴木君はようやく話が金田事件を離れたのでほっと一息つきながら「相変らず無邪気で愉快だ。 十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次 から広い野原へ出たような気持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油断がならなくてね。 何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。 話は罪がないのがいいね。そして昔しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくっていい。ああ今日は図 らず迷亭君に遇 って愉快だった。 僕はちと用事があるからこれで失敬する」と鈴木君が立ち懸 けると、迷亭も「僕もいこう、僕はこれから日本橋の演芸 矯風会 に行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こう」「そりゃちょうどいい久し振りでいっしょに散歩しよう」と両君は手を携 えて帰る。 五 二十四時間の出来事を洩 れなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹 する吾輩でもこれは到底猫の企 て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。 従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄 するにも関 らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾 である。 遺憾ではあるがやむを得ない。 休養は猫といえども必要である。 鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯 しのはたと吹き息 んで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになった。 主人は例のごとく書斎へ引き籠 る。 小供は六畳の間 へ枕をならべて寝る。 一間半の襖 を隔てて南向の室 には細君が数え年三つになる、めん子さんと添乳 して横になる。 花曇りに暮れを急いだ日は疾 く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。 隣町 の下宿で明笛 を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底 に折々鈍い刺激を与える。 外面 は大方|朧 であろう。 晩餐に半 ぺんの煮汁 で鮑貝 をからにした腹ではどうしても休養が必要である。ほのかに承 われば世間には猫の恋とか称する俳諧 趣味の現象があって、春さきは町内の同族共の夢安からぬまで浮かれ歩 るく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢 した事はない。そもそも恋は宇宙的の活力である。 上 は在天の神ジュピターより下 は土中に鳴く蚯蚓 、おけらに至るまでこの道にかけて浮身を窶 すのが万物の習いであるから、吾輩どもが朧 うれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しである。 回顧すればかく云 う吾輩も三毛子 に思い焦 がれた事もある。 三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に恋慕したと云う噂 である。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月08日
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漆桶 を抜くがごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地 の至境に達したのさ」あまり迷亭の言葉が仰山 なので、さすが御上手者 の鈴木君も、こりゃ手に合わないと云う顔付をする。主人はまた始まったなと云わぬばかりに、象牙 の箸 で菓子皿の縁 をかんかん叩いて俯 つ向 いている。迷亭だけは大得意で弁じつづける。「そこでこの矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒の淵 から吾人の疑を千載 の下 に救い出してくれた者は誰だと思う。学問あって以来の学者と称せらるる彼 の希臘 の哲人、逍遥派 の元祖アリストートルその人である。彼の説明に曰 くさ――おい菓子皿などを叩かんで謹聴していなくちゃいかん。――彼等希臘人が競技において得るところの賞与は彼等が演ずる技芸その物より貴重なものである。それ故に褒美 にもなり、奨励の具ともなる。しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。下手なものをやれば智識の威厳を損する訳になるばかりだ。彼等は智識に対して千両箱をオリムパスの山ほど積み、クリーサスの富を傾 け尽 しても相当の報酬を与えんとしたのであるが、いかに考えても到底 釣り合うはずがないと云う事を観破 して、それより以来と云うものは奇麗さっぱり何にもやらない事にしてしまった。黄白青銭 が智識の匹敵 でない事はこれで十分理解出来るだろう。さてこの原理を服膺 した上で時事問題に臨 んで見るがいい。金田某は何だい紙幣 に眼鼻をつけただけの人間じゃないか、奇警なる語をもって形容するならば彼は一個の活動紙幣 に過ぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手くらいなところだろう。翻 って寒月君は如何 と見ればどうだ。辱 けなくも学問最高の府を第一位に卒業して毫 も倦怠 の念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜|団栗 のスタビリチーを研究し、それでもなお満足する様子もなく、近々 の中ロード・ケルヴィンを圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではないか。たまたま吾妻橋 を通り掛って身投げの芸を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの発作的 所為 で毫 も彼が智識の問屋 たるに煩 いを及ぼすほどの出来事ではない。迷亭一流の喩 をもって寒月君を評すれば彼は活動図書館である。智識をもって捏 ね上げたる二十八|珊 の弾丸である。この弾丸が一たび時機を得て学界に爆発するなら、――もし爆発して見給え――爆発するだろう――」迷亭はここに至って迷亭一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗に云う竜頭蛇尾 の感に多少ひるんで見えたがたちまち「活動切手などは何千万枚あったって粉 な微塵 になってしまうさ。それだから寒月には、あんな釣り合わない女性 は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中 でもっとも聡明なる大象と、もっとも貪婪 なる小豚と結婚するようなものだ。そうだろう苦沙弥君」と云って退 けると、主人はまた黙って菓子皿を叩き出す。鈴木君は少し凹 んだ気味で「そんな事も無かろう」と術 なげに答える。さっきまで迷亭の悪口を随分ついた揚句ここで無暗 な事を云うと、主人のような無法者はどんな事を素 っ破抜 くか知れない。なるべくここは好 加減に迷亭の鋭鋒をあしらって無事に切り抜けるのが上分別なのである。鈴木君は利口者である。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口舌 ではない実行にある。自己の思い通りに着々事件が進捗 すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流 に達せられるのである。鈴木君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、この極楽主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落して当該 事件が十中八九まで成就 したところへ、迷亭なる常規をもって律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるる風来坊 が飛び込んで来たので少々その突然なるに面喰 っているところである。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」から引用・編集し提供させて頂いています。夏目 漱石慶応3年1月5日江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月06日
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それだから百日紅の散るまでに著書が出来なかったのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などを奢る理由がないと威張っているのさ」「なるほど迷亭君一流の特色を発揮して面白い」と鈴木君はなぜだか面白がっている。迷亭のおらぬ時の語気とはよほど違っている。これが利口な人の特色かも知れない。「何が面白いものか」と主人は今でも怒 っている様子である。「それは御気の毒様、それだからその埋合 せをするために孔雀 の舌なんかを金と太鼓で探しているじゃないか。まあそう怒 らずに待っているさ。しかし著書と云えば君、今日は一大珍報を齎 らして来たんだよ」「君はくるたびに珍報を齎らす男だから油断が出来ん」「ところが今日の珍報は真の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知っているか。寒月はあんな妙に見識張った男だから博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでやっぱり色気があるからおかしいじゃないか。君あの鼻に是非通知してやるがいい、この頃は団栗博士 の夢でも見ているかも知れない」鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬ話してはいけぬと顋 と眼で主人に合図する。主人には一向 意味が通じない。さっき鈴木君に逢って説法を受けた時は金田の娘の事ばかりが気の毒になったが、今迷亭から鼻々と云われるとまた先日喧嘩をした事を思い出す。思い出すと滑稽でもあり、また少々は悪 らしくもなる。しかし寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見 やげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとくまずまず近来の珍報である。啻 に珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰おうが貰うまいがそんな事はまずどうでもよい。とにかく寒月の博士になるのは結構である。自分のように出来損いの木像は仏師屋の隅で虫が喰うまで白木 のまま燻 っていても遺憾 はないが、これは旨 く仕上がったと思う彫刻には一日も早く箔 を塗ってやりたい。「本当に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっち除 けにして、熱心に聞く。「よく人の云う事を疑ぐる男だ。――もっとも問題は団栗 だか首縊 りの力学だか確 と分らんがね。とにかく寒月の事だから鼻の恐縮するようなものに違いない」さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に云うのを聞くたんびに鈴木君は不安の様子をする。迷亭は少しも気が付かないから平気なものである。「その後鼻についてまた研究をしたが、この頃トリストラム・シャンデーの中に鼻論 があるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたら善い材料になったろうに残念な事だ。鼻名 を千載 に垂れる資格は充分ありながら、あのままで朽 ち果つるとは不憫千万 だ。今度ここへ来たら美学上の参考のために写生してやろう」と相変らず口から出任 せに喋舌 り立てる。「しかしあの娘は寒月の所へ来たいのだそうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君はこれは迷惑だと云う顔付をしてしきりに主人に目くばせをするが、主人は不導体のごとく一向 電気に感染しない。「ちょっと乙 だな、あんな者の子でも恋をするところが、しかし大した恋じゃなかろう、大方|鼻恋 くらいなところだぜ」「鼻恋でも寒月が貰えばいいが」「貰えばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。今日はいやに軟化しているぜ」「軟化はせん、僕は決して軟化はせんしかし……」「しかしどうかしたんだろう。ねえ鈴木、君も実業家の末席 を汚 す一人だから参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才水島寒月の令夫人と崇 め奉るのは、少々|提灯 と釣鐘と云う次第で、我々|朋友 たる者が冷々 黙過する訳に行かん事だと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい」「相変らず元気がいいね。結構だ。君は十年前と容子 が少しも変っていないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化 そうとする。「えらいと褒 めるなら、もう少し博学なところを御目にかけるがね。昔 しの希臘人 は非常に体育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議な事には学者の智識に対してのみは何等の褒美 も与えたと云う記録がなかったので、今日 まで実は大 に怪しんでいたところさ」「なるほど少し妙だね」と鈴木君はどこまでも調子を合せる。「しかるについ両三日前に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したので多年の疑団 は一度に氷解。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月05日
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気の毒だねえ、いい頭の男だったが惜しい事をした」と鈴木君が云うと、迷亭は直ただちに引き受けて「頭は善かったが、飯を焚たく事は一番下手だったぜ。 曾呂崎の当番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麦そばで凌しのいでいた」 「ほんとに曾呂崎の焚いた飯は焦こげくさくって心しんがあって僕も弱った。 御負けに御菜おかずに必ず豆腐をなまで食わせるんだから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底から喚よび起す。 「苦沙弥はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉しるこを食いに出たが、その祟たたりで今じゃ慢性胃弱になって苦しんでいるんだ。 実を云うと苦沙弥の方が汁粉の数を余計食ってるから曾呂崎より先へ死んで宜いい訳なんだ」 「そんな論理がどこの国にあるものか。 俺の汁粉より君は運動と号して、毎晩|竹刀しないを持って裏の卵塔婆らんとうばへ出て、石塔を叩たたいてるところを坊主に見つかって剣突けんつくを食ったじゃないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の旧悪を曝あばく。 「アハハハそうそう坊主が仏様の頭を叩いては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。しかし僕のは竹刀だが、この鈴木将軍のは手暴てあらだぜ。 石塔と相撲をとって大小三個ばかり転がしてしまったんだから」 「あの時の坊主の怒り方は実に烈しかった。 是非元のように起せと云うから人足を傭やとうまで待ってくれと云ったら人足じゃいかん懺悔ざんげの意を表するためにあなたが自身で起さなくては仏の意に背そむくと云うんだからね」 「その時の君の風采ふうさいはなかったぜ、金巾かなきんのしゃつに越中褌えっちゅうふんどしで雨上りの水溜りの中でうんうん唸うなって……」 「それを君がすました顔で写生するんだから苛ひどい。 僕はあまり腹を立てた事のない男だが、あの時ばかりは失敬だと心しんから思ったよ。あの時の君の言草をまだ覚えているが君は知ってるか」 「十年前の言草なんか誰が覚えているものか、しかしあの石塔に帰泉院殿きせんいんでん黄鶴大居士こうかくだいこじ安永五年|辰たつ正月と彫ほってあったのだけはいまだに記憶している。あの石塔は古雅に出来ていたよ。 引き越す時に盗んで行きたかったくらいだ。 実に美学上の原理に叶かなって、ゴシック趣味な石塔だった」と迷亭はまた好い加減な美学を振り廻す。 「そりゃいいが、君の言草がさ。こうだぜ――吾輩は美学を専攻するつもりだから天地間てんちかんの面白い出来事はなるべく写生しておいて将来の参考に供さなければならん、気の毒だの、可哀相かわいそうだのと云う私情は学問に忠実なる吾輩ごときものの口にすべきところでないと平気で云うのだろう。 僕もあんまりな不人情な男だと思ったから泥だらけの手で君の写生帖を引き裂いてしまった」 「僕の有望な画才が頓挫とんざして一向いっこう振わなくなったのも全くあの時からだ。 君に機鋒きほうを折られたのだね。 僕は君に恨うらみがある」 「馬鹿にしちゃいけない。こっちが恨めしいくらいだ」 「迷亭はあの時分から法螺吹ほらふきだったな」と主人は羊羹ようかんを食い了おわって再び二人の話の中に割り込んで来る。 「約束なんか履行りこうした事がない。それで詰問を受けると決して詫わびた事がない何とか蚊かとか云う。あの寺の境内に百日紅さるすべりが咲いていた時分、この百日紅が散るまでに美学原論と云う著述をすると云うから、駄目だ、到底出来る気遣きづかいはないと云ったのさ。すると迷亭の答えに僕はこう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そんなに疑うなら賭かけをしようと云うから僕は真面目に受けて何でも神田の西洋料理を奢おごりっこかなにかに極きめた。きっと書物なんか書く気遣はないと思ったから賭をしたようなものの内心は少々恐ろしかった。 僕に西洋料理なんか奢る金はないんだからな。ところが先生|一向いっこう稿を起す景色けしきがない。 七日なぬか立っても二十日はつか立っても一枚も書かない。いよいよ百日紅が散って一輪の花もなくなっても当人平気でいるから、いよいよ西洋料理に有りついたなと思って契約履行を逼せまると迷亭すまして取り合わない」 「また何とか理窟りくつをつけたのかね」と鈴木君が相の手を入れる。 「うん、実にずうずうしい男だ。 吾輩はほかに能はないが意志だけは決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」 「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。 「無論さ、その時君はこう云ったぜ。 吾輩は意志の一点においてはあえて何人なんぴとにも一歩も譲らん。しかし残念な事には記憶が人一倍無い。 美学原論を著わそうとする意志は充分あったのだがその意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月04日
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細君も君の事を御世辞のない正直ないい方 だと賞 めていたよ。全く迷亭君がわるかったんだろう。――それでさ本人が博士にでもなってくれれば先方でも世間へ対して肩身が広い、面目 があると云うんだがね、どうだろう、近々 の内水島君は博士論文でも呈出して、博士の学位を受けるような運びには行くまいか。なあに――金田だけなら博士も学士もいらんのさ、ただ世間と云う者があるとね、そう手軽にも行かんからな」こう云われて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもないように思われて来る。無理ではないように思われて来れば、鈴木君の依頼通りにしてやりたくなる。主人を活 かすのも殺すのも鈴木君の意のままである。なるほど主人は単純で正直な男だ。「それじゃ、今度寒月が来たら、博士論文をかくように僕から勧めて見よう。しかし当人が金田の娘を貰うつもりかどうだか、それからまず問い正 して見なくちゃいかんからな」「問い正すなんて、君そんな角張 った事をして物が纏 まるものじゃない。やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いて見るのが一番近道だよ」「気を引いて見る?」「うん、気を引くと云うと語弊があるかも知れん。――なに気を引かんでもね。話しをしていると自然分るもんだよ」「君にゃ分るかも知れんが、僕にゃ判然と聞かん事は分らん」「分らなけりゃ、まあ好いさ。しかし迷亭君見たように余計な茶々を入れて打 ち壊 わすのは善くないと思う。仮令 勧めないまでも、こんな事は本人の随意にすべきはずのものだからね。今度寒月君が来たらなるべくどうか邪魔をしないようにしてくれ給え。――いえ君の事じゃない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかかると到底助かりっこないんだから」と主人の代理に迷亭の悪口をきいていると、噂 をすれば陰の喩 に洩 れず迷亭先生例のごとく勝手口から飄然 と春風 に乗じて舞い込んで来る。「いやー珍客だね。僕のような狎客 になると苦沙弥 はとかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はいつもより上等じゃないか」と藤村 の羊羹 を無雑作 に頬張 る。鈴木君はもじもじしている。主人はにやにやしている。迷亭は口をもがもがさしている。吾輩はこの瞬時の光景を椽側 から拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思った。禅家 で無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕である。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕である。「君は一生|旅烏 かと思ってたら、いつの間 にか舞い戻ったね。長生 はしたいもんだな。どんな僥倖 に廻 り合わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとく毫 も遠慮と云う事を知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものだが迷亭君に限って、そんな素振 も見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちょっと見当がつかぬ。「可哀そうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は当らず障 らずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神経的にいじっている。「君電気鉄道へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発する。「今日は諸君からひやかされに来たようなものだ。なんぼ田舎者だって――これでも街鉄 を六十株持ってるよ」「そりゃ馬鹿に出来ないな。僕は八百八十八株半持っていたが、惜しい事に大方 虫が喰ってしまって、今じゃ半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、虫の喰わないところを十株ばかりやるところだったが惜しい事をした」「相変らず口が悪るい。しかし冗談は冗談として、ああ云う株は持ってて損はないよ、年々 高くなるばかりだから」「そうだ仮令 半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つくらい建つからな。君も僕もその辺にぬかりはない当世の才子だが、そこへ行くと苦沙弥などは憐れなものだ。株と云えば大根の兄弟分くらいに考えているんだから」とまた羊羹 をつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食 い気 が伝染して自 ずから菓子皿の方へ手が出る。世の中では万事積極的のものが人から真似らるる権利を有している。「株などはどうでも構わんが、僕は曾呂崎 に一度でいいから電車へ乗らしてやりたかった」と主人は喰い欠けた羊羹の歯痕 を撫然 として眺める。「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品川まで行ってしまうは、それよりやっぱり天然居士 で沢庵石 へ彫 り付けられてる方が無事でいい」「曾呂崎と云えば死んだそうだな。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年02月02日
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