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「そう、粗忽 だから修業をせんといかないと云うのよ、忙中|自 ら閑 ありと云う成句 はあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」 「ええ、どうも聞きませんようで」 「ハハハハそうなっちゃあ敵 わない。 時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻 でも食っちゃあ。 竹葉 でも奢 りましょう。これから電車で行くとすぐです」 「鰻も結構だが、今日はこれからすい原 へ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙 ろう」 「ああ杉原 ですか、あの爺 さんも達者ですね」 「杉原 ではない、すい原 さ。 御前はよく間違ばかり云って困る。 他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」 「だって杉原 とかいてあるじゃありませんか」 「杉原 と書いてすい原 と読むのさ」 「妙ですね」 「なに妙な事があるものか。 名目読 みと云って昔からある事さ。 蚯蚓 を和名 でみみずと云う。あれは目見ずの名目よみで。 蝦蟆 の事をかいると云うのと同じ事さ」 「へえ、驚ろいたな」 「蝦蟆を打ち殺すと仰向 きにかえる。それを名目読みにかいると云う。 透垣 をすい垣 、茎立 をくく立、皆同じ事だ。 杉原 をすぎ原などと云うのは田舎 ものの言葉さ。 少し気を付けないと人に笑われる」 「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。 困ったな」 「なに厭 なら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」 「一人で行けますかい」 「あるいてはむずかしい。 車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」 主人は畏 まって直ちに御三 を車屋へ走らせる。 老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭 へ山高帽をいただいて帰って行く。 迷亭はあとへ残る。 「あれが君の伯父さんか」 「あれが僕の伯父さんさ」 「なるほど」と再び座蒲団 の上に坐ったなり懐手 をして考え込んでいる。 「ハハハ豪傑だろう。 僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。 君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりで大 に喜んでいる。 「なにそんなに驚きゃしない」 「あれで驚かなけりゃ、胆力の据 ったもんだ」 「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。 精神の修養を主張するところなぞは大 に敬服していい」 「敬服していいかね。 君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ。 時候おくれの廻り持ちなんか気が利 かないよ」 「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。 第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味 がある。 心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。 「えらい事になって来たぜ。 何だか八木独仙 君のような事を云ってるね」 八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。 実はせんだって臥竜窟 を訪問して主人を説服に及んで悠然 と立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪 らしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪 の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻 を挫 いた訳になる。 「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑 だから念を推 して見る。 「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日 と少しも変りゃしない」 「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」 「まあそんな贔負 があるから独仙もあれで立ち行くんだね。 第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯 が君全く山羊 だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好 で生えていたんだ。 名前の独仙なども振 ったものさ。 昔 し僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝 ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年07月27日
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皆この甲割 りへ目を着けるので」 「その鉄扇は大分 重いものでございましょう」 「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ。 伯父さん持たして御覧なさい」 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。 京都の黒谷 で参詣人 が蓮生坊 の太刀 を戴 くようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。 「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割 と称 えて鉄扇とはまるで別物で……」 「へえ、何にしたものでございましょう」 「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃 ちとったものでがす。 楠正成 時代から用いたようで……」 「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」 「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。 建武時代 の作かも知れない」「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。 苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」 「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性 のいい鉄だから決してそんな虞 れはない」 「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。 現に寒月がそう云ったから仕方がないです」 「寒月というのは、あのガラス球 を磨 っている男かい。 今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」 「可愛想 に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」 「玉を磨 りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土 では玉人 と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。 「なるほど」と主人はかしこまっている。 「すべて今の世の学問は皆|形而下 の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。 昔はそれと違って侍 は皆|命懸 けの商買 だから、いざと云う時に狼狽 せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯 ったりするような容易 いものではなかったのでがすよ」 「なるほど」とやはりかしこまっている。 「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手 をして坐り込んでるんでしょう」 「それだから困る。 決してそんな造作 のないものではない。 孟子 は求放心 と云われたくらいだ。 邵康節 は心要放 と説いた事もある。また仏家 では中峯和尚 と云うのが具不退転 と云う事を教えている。なかなか容易には分らん」 「とうてい分りっこありませんね。 全体どうすればいいんです」 「御前は沢菴禅師 の不動智神妙録 というものを読んだ事があるかい」 「いいえ、聞いた事もありません」 「心をどこに置こうぞ。 敵の身の働 に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。 敵の太刀 に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。 敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。 人の構 に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」 「よく忘れずに暗誦 したものですね。 伯父さんもなかなか記憶がいい。 長いじゃありませんか。 苦沙弥君分ったかい」 「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。 「なあ、あなた、そうでござりましょう。 心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。 敵の太刀に心を置けば……」 「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。 近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。 客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」 「や、それは御奇特 な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」 「へへへそんな暇はありませんよ。 伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」「実際遊んでるじゃないかの」 「ところが閑中 自 から忙 ありでね」本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年07月24日
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「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」 「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。 「どうもそう、御謙遜 では恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」 「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤 になって口をもごもご云わせている。 精神修養もあまり効果がないようである。 迷亭君は襖 の影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、後 ろから主人の尻を押しやりながら「まあ出たまえ。そう唐紙 へくっついては僕が坐る所がない。 遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる。 主人はやむを得ず前の方へすり出る。 「苦沙弥君これが毎々君に噂をする静岡の伯父だよ。 伯父さんこれが苦沙弥君です」 「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日 は御近所を通行致したもので、御礼|旁 伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共|宜 しく」と昔 し風な口上を淀 みなく述べたてる。 主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風な爺 さんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少|場 うての気味で辟易 していたところへ、滔々 と浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参 も飴 ん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする。 「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人は未 だに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在 って、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解 の折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。 今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでも伴 れてあるいてもらわんと、とても用達 も出来ません。 滄桑 の変 とは申しながら、御入国 以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと心得て「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治の代 も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」 「それはない。 赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代 でなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日 の総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」 「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ。 苦沙弥君、伯父はね。 今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。 袖 が長過ぎて、襟 がおっ開 いて、背中 へ池が出来て、腋 の下が釣るし上がっている。いくら不恰好 に作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形を崩 す訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟 が離れ離れになって、仰 むくと間から咽喉仏 が見える。 第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然 しない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪 のチョン髷 ははなはだ奇観である。評判の鉄扇 はどうかと目を注 けると膝の横にちゃんと引きつけている。 主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョン髷 や鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。 主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って「だいぶ人が出ましたろう」と極 めて尋常な問をかけた。 「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。 昔 しはあんなではなかったが」 「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が知 っ高振 りをした訳ではない。ただ朦朧 たる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見れば差 し支 えない。 「それにな。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年07月07日
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天気の悪るいのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七日間 考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢 の酢味噌 が天下の士であろうと、朝鮮の仁参 を食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧 き出る訳である。 主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解な言句 を呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ。 何でもよほど哲理を研究した人に違ない。 天晴 な見識だ」と大変賞賛した。この一言 でも主人の愚 なところはよく分るが、翻 って考えて見るといささかもっともな点もある。 主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限った事でもなかろう。 分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高 い心持が起るものだ。それだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴 するにも係 らず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。 大学の講義でもわからん事を喋舌 る人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。 主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺 に存するかほとんど捕 え難いからである。 急に海鼠 が出て来たり、せつな糞 が出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家 で道徳経を尊敬し、儒家 で易経 を尊敬し、禅家 で臨済録 を尊敬すると一般で全く分らんからである。 但 し全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭 しく八分体 の名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手 をして冥想 に沈んでいる。ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。 声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。 主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のまま毫 も動こうとしない。 取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。 下女は先刻 洗濯 石鹸 を買いに出た。 細君は憚 りである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる。 吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱 から敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た。 主人も主人だが客も客だ。 座敷の方へ行ったなと思うと襖 を二三度あけたり閉 てたりして、今度は書斎の方へやってくる。 「おい冗談 じゃない。 何をしているんだ、御客さんだよ」 「おや君か」 「おや君かもないもんだ。そこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家 のようじゃないか」 「うん、ちと考え事があるもんだから」 「考えていたって通れくらいは云えるだろう」 「云えん事もないさ」 「相変らず度胸がいいね」 「せんだってから精神の修養を力 めているんだもの」 「物好きだな。 精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だね。そんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。 実は僕一人来たんじゃないよ。 大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」 「誰を連れて来たんだい」 「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。 是非君に逢いたいと云うんだから」 「誰だい」 「誰でもいいから立ちたまえ」 主人は懐手 のままぬっと立ちながら「また人を担 ぐつもりだろう」と椽側 へ出て何の気もつかずに客間へ這入 り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然 と端坐 して控 えている。 主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙 の傍 へ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。 昔堅気 の人は礼義はやかましいものだ。 「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促 がす。 主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後 ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間 の変化したもので、上使 が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑 と構えているのだから上座 どころではない。 挨拶さえ碌 には出来ない。 一応頭をさげて「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年07月06日
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以前ダイエットが目的で一生懸命水泳に励んだことがあります。しかし効果はありませんでした。周りの人に聞いても同じで、体調は良くなったけど痩せないねとか話していました。今回の記事に共感、納得できる内容でした。運動だけで痩せられないのはなぜ? 2016.2.1 , EurekAlert より: たくさん運動するほどカロリー消費量も増えるとは限らない?! 運動するだけではダイエットが成功しない理由がここにあるかもしれない。米国ニューヨーク市立大学による研究報告。「運動は、健康にとって不可欠です。しかし、私たちの身体は、運動量の増加に適応するようになっている。そのため、身体をしっかり動かしても、残念ながらエネルギー消費量が思惑通り増えるとは限らないという。今回の研究によって、非常に活動的に生活している人たちのエネルギー消費量は予想に反して、座位時間の長い人たちと同程度でありました。活動量が多くなっていく場合、私たちの身体は自動調整を行うようになっているようです。今回の結果みよって示されることは、毎日のエネルギー消費における身体活動の効果をもう一度考え直す時が来たことを示している。すなわち、身体活動が増えればエネルギー消費量も増えるのは当然、と考えるのはやめるべき時がきたのだとしている。研究結果によって、運動が身体と心を健康に保つというエビデンスを揺るがすものではありません。ただ、ダイエットの目標を達成するために体重管理や不健康な体重増加を防ぐためには、食事にも重点を置く必要があることが改めて示されたのです。とニューヨーク市立大学のポンツァ氏は話している。【測定対象と結果】今回の研究対象として、301人以上の男女を対象に1週間、エネルギー消費と身体活動量を測定した。すると、被験者たちは身体活動量は少ないものの、日々のエネルギー消費にとってはかなりの効果をもたらしていることが見えてきた。だが、より詳細に分析をすると、このパターンは身体活動レベルが低めな人たちにのみ当てはまることが示された。中程度の身体活動レベルの人々は、最も低いレベルの人々に比べエネルギー消費量が200kcalほど多かった。一方、身体活動レベルが中程度以上のをもつ人々の場合は、中程度の人と変わらなかったのだということでした。ポンツァ氏らは今後の活動として、活動レベルの変化に免疫機能や生殖器系等がどのような反応をみせるかを調査する予定とのこと。
2016年07月06日
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時下秋冷の候 に候 処貴家益々御隆盛の段|奉賀上候 陳 れば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共 是れ皆|不肖針作 が足らざる所に起因すと存じ深く自 ら警 むる所あり臥薪甞胆 其の苦辛 の結果|漸 く茲 に独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じ候 其 は別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座|候 本書は不肖|針作 が多年苦心研究せる工芸上の原理原則に法 とり真に肉を裂き血を絞るの思を為 して著述せるものに御座|候 因 って本書を普 く一般の家庭へ製本実費に些少 の利潤を附して御購求 を願い一面|斯道 発達の一助となすと同時に又一面には僅少 の利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算 に御座|候 依っては近頃|何共 恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附|被成下 と御思召 し茲 に呈供仕|候 秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与|被成下候 て御賛同の意を御表章|被成下度 伏して懇願仕|候 ※々 敬具 大日本女子裁縫最高等大学院 校長 縫田針作 九拝とある。 主人はこの鄭重 なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠 の中へ抛 り込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。 第三信にかかる。 第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。 状袋が紅白のだんだらで、飴 ん棒 の看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥 先生|虎皮下 と八分体 で肉太に認 めてある。 中からお太 さんが出るかどうだか受け合わないが表 だけはすこぶる立派なものだ。 若 し我を以て天地を律すれば一口 にして西江 の水を吸いつくすべく、若 し天地を以て我を律すれば我は則 ち陌上 の塵のみ。すべからく道 え、天地と我と什麼 の交渉かある。……始めて海鼠 を食い出 せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚 を喫 せる漢 は其勇気に於 て重んずべし。 海鼠を食 えるものは親鸞 の再来にして、河豚 を喫せるものは日蓮 の分身なり。 苦沙弥先生の如きに至っては只 干瓢 の酢味噌 を知るのみ。 干瓢の酢味噌を食 って天下の士たるものは、われ未 だ之 を見ず。……親友も汝 を売るべし。 父母 も汝に私 あるべし。 愛人も汝を棄つべし。 富貴 は固 より頼みがたかるべし。 爵禄 は一朝 にして失うべし。 汝の頭中に秘蔵する学問には黴 が生 えるべし。 汝何を恃 まんとするか。 天地の裡 に何をたのまんとするか。 神? 神は人間の苦しまぎれに捏造 せる土偶 のみ。 人間のせつな糞 の凝結せる臭骸のみ。 恃 むまじきを恃んで安しと云う。 咄々 、酔漢|漫 りに胡乱 の言辞を弄して、蹣跚 として墓に向う。 油尽きて灯 自 ら滅す。 業尽きて何物をか遺 す。 苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。……人を人と思わざれば畏 るる所なし。 人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤 るは如何 。 権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。 只 他 の吾を吾と思わぬ時に於て怫然 として色を作 す。 任意に色を作し来れ。 馬鹿野郎。……吾の人を人と思うとき、他 の吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的 に天降 る。 此発作的活動を名づけて革命という。 革命は不平家の所為にあらず。 権貴栄達の士が好んで産する所なり。 朝鮮に人参 多し先生何が故に服せざる。 在巣鴨 天道公平 再拝 針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。 寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風 に構えている。 寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断 に引き裂いてしまうだろうと思 のほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味を究 めようという決心かも知れない。およそ天地の間 にわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。 人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だ。それどころではない。 人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではない。 山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云っても差 し支 えはない。 烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊 とか理窟 さえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年07月01日
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