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風邪が流行っているが、どういう訳かこういった流行にすぐに乗ってしまう悪い質のようである。木曜から気管に痰が絡み調子が悪い。ま、雨が降り寒かった木曜に朝風呂をしまった上、午後に歯医者に行きそのまま元職場のクラブ練習に出かけたのですっかり体が冷えてしまったようである。次の日は朝からのどの痛みに苦しむ。どうも調子が悪い予感がしているときに尺八を吹くと大概気管支炎のような症状になるので、いままでも注意はしているので、今回も初弾きの会に呼ばれているが自重しなくては成らない。それでも、なんやかんやと藪用が急き立てる。まず趣味の会の機関紙の校正原稿が印刷所からメールで送られてきたのでチェックして返信をすます。家内の仕事のトラブルに付き合ってごたごたする、土曜日には娘と孫が、旦那が仕事なので食事しに来るしで、ゆっくり休めない。それにJAZZ講座の自主練習に音楽室を借りたが、設備を借りる費用を節約するために、物置から向かし使った設備を引っぱり出し整備し、調子の悪かったルーターを購入して設定のし直しと、なんか落ち着きのないことである。それでも、ホームページの送り込みをしても、写真が上手く送れないので、来週に持ち込みの用事も残ってしまった。ま、それでも日課にしている安威川を1時間あまり散歩して気分転換を図る。
January 25, 2009
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あれこれ藪用が続いて、気持ち的にも落ち着かない数日である。持病以外に、歯痛も重なり、踏んだり蹴ったりと言うところか。昨日は所属会の役員会があり、演奏会などの打合せで半日が費やされる。今日は朝から今年に入ってから二つ目の勉強会である。課題曲は「虫の武蔵野」「飛騨に寄せる三つのバラード」そして、尺八メンバーで山本邦山の尺八三重奏「扇」を演奏する。いずれの曲も、歯痛やJAZZの課題曲、最近手に入れた明笛の練習に、所属会の機関紙発行のために原稿整理をし何とか原稿を印刷所に郵送するところまでこぎつくが、その合間に入り込む病院通いの時間とで、あわただしいここ数日である。はかにも、お声掛けを受けている二つのお琴の初弾き会用の曲の方に集中して練習しないと間に合いそうにない。どういう訳か、こんな時に限って、普段起こりそうもないハプニング、パソコンのルーターの調子が悪くて、プロバイダのホームページのデーターを送り込んでもうまく行かない。そこに追い打ちのように家の方でトラブルがあり、つい言わなくてもいい悪態をよめさんに吐いて、後で反省しきりである。穏やかな陽を下をのんびり散歩しているときが、本当は人間にとって一番幸せなんだなと思う。しかし、いまの世の中、こんなことを望むとしたら、周りから袋叩きに合いそうな雰囲気である。そう言えば、ずっとむかし手塚治虫の漫画の未来都市の漫画を見ながら、人間は一生懸命働いて豊かな社会になれば、いつか人間は自動化された高度な社会とロボットによって、自由を謳歌できる世の中が訪れると、夢想していたのに、何の何の、その蓄積された高度文明社会から人間が駆逐されようとしている。この人間の歴史に置いては、人間らしい豊かさなど夢なのだろうか。
January 18, 2009
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今日は本年最初の三曲勉強会である。私は「御山獅子」をリクエストしている。メンバーは12人でそのうち尺八は6名。但し本日は1名欠席である。午後から名ので、少し寒いが午前中に散歩に出かける。いつものコース、自宅から裏通りを通り、川端(康成)記念館まえの緑道を安威川と、茨木川の合流点まで行き、そこから安威川左岸の河川敷の下り阪急ガードに至るとそこからほぼ高架の線路沿い道を阪急茨木市駅に至る道である。この1時間強を歩いていると、自然と頭の中をいろいろ記憶が浮かんでは消える。現役時代なら、仕事に関する事やら、日常のイヤナ出来事や何か楽しかった事などが自然と浮かんでは消えたりしたものであるが、このごろはそういった日常事を夢想する事もあまりない。ところがどういう訳か、歩いていると遠いむかしにかじったことのある詩などがふと頭に浮かんでくる。水辺の白鷺を見かけると 白鳥はかなしからずや 空の青 海のあをにも染まず漂ふ (若山牧水)と言ったものであったり、河川敷のベンチに座って、澄み切った冬の空に浮かぶ雲を眺めると おおい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうち"ゃないか どこまでゆくんだ ずっと磐城平の方までゆくんか (山村暮鳥)と言った詩や、少し季節を戻して、晩秋の頃には路傍に秋草に接してみて、佐藤春夫の さまよい来れば秋草の ひとつ残りて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折れば苦し花ちりぬ が、ふと浮かんでくるのである。大した頭でもなかったのに、今頃こんなものが浮かんでくるのは暇なのか、老化の予兆なのか、社会から脱落したので、考えることが亡くなったからかもしれない。そうそう、長いこと、この、手折れば苦しを、手折れば空なしと記憶してしまっていたが、これなどは自分の性格の消極性の象徴であるのかもしれない。暑い夏場は、すぐに大関松三郎の とっくん とっくん 水をのむ とっくん とっくん とっくん とっくんの部分だけが、浮かんでくる。最近の憂鬱な世情を思うと、 牡蠣の殻なる牡蠣の身の、 かくも涯(はて)なき海にして、 生のいのちの味気なき そのおもひこそ悲しけれ(蒲原有明)がじんわりと浮かんでくる。今日、百年に1度の経済危機だと世間では言うが、確かに1920年代の世界大恐慌で、株がかみ切れ同様になった時代ではあったが、日本ではもっと近くで、終戦直後の経済の混乱、どん底状態であったはず。あれはいったい何だったのだろうか。結局百年に一度の経済危機とはアメリカ資本主義の躓きのことを指す言葉であるのだが、それと手ドリスディ主演”Tea For Two”を観ると、株暴落で無一文に成った?主人公がハッピーエンドで終わる映画であったが、最後のシーンでは結局、裕福な暮らしはやはり裕福そのままで終わりところが理解しがたい、印象的な内容である。ま、何を言いたいのか分からなくなったが、世の中がグローバル化しても、日本には日本の、引き継がれた哲学があって、それが守られてこそ、この閉塞した時代を切り抜けることが出来るのかもしれない。で、伝統の尺八を極める努力を忘れない?・・・・少し飛躍しすぎでしたね。ハ、ハ、ハ。
January 11, 2009
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今月は、勉強会が2回、初弾き会の依頼が1回あり、JAZZ講座も来週から始まるので、ぼつぼつ動き始めなくては成らない。なかなか尺八の練習の最近は腰が重くなってしまっている。朝からいつも通りに安威川沿いに1時間少し歩いてから喫茶店で休憩して自宅に帰り着くとすぐに、BASSのK氏から電話。練習にこないかと言う。自宅一つ裏通りのK師宅にクラッシクギターと尺八を持参する。一応、今回は”What a Wondeuful World”と”Amazing Grace”を今回の発表会では尺八を使う予定なので、そつらを重点的に練習する。Suingで”月の砂漠”のJAZZアレンジをしたが、キーボードの方はOK出会ったが、BASSのK氏はこり過ぎとNOを突きつけられ、曲の変更となった次第である。帰宅すると尺八のT師から演奏会案内が届いている。むかしは良く一緒に活動したがいまは別罰の活動になってしまったが、奥さんと共にエネルギッシュに演奏活動している姿に脱帽である。(啓発されて、頑張ろうという気が起きないのも、これまた年のせいか)夜には所属会の機関紙の件で電話があり、いやでも周りからせかされているようで、とにかく今年も頑張るしかないか・・・・・
January 6, 2009
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明けましておめでとうございます。新年の挨拶は、起床して最初に家内と交わした言葉です。その後、二人でささやかなお節料理でお祝いです。もう子供や孫たちも、いまでは嘗てのようにに我が家に集まりません。各自の家庭で祝っていると思います。家族がそろうのは3日、いまは亡き母が居た頃からの慣習で、妹夫婦宅に集合した時が初顔合わせの時になります。明日は早速、病院です。暮れも正月もあまり関係のない状況です。これは看護士さんら病院関係の方も同じなのですが・・・で、今日は、朝食後、初散歩としていつも通り安威川沿いに約1時間歩きました。寒い一日でしたが、歩くのがが日課のようなものなので、歩かないとその日一日何か達成されない不満が残りそうです。そして、いつも通りすっかりなじみになっている珈琲館で一服のコーヒーを味わい帰宅です。途中神社を通って観ましたがいつもの通り長蛇の参拝者行列に遭遇、拝むことなくそこを立ち去りました。帰宅後、初風呂に入っただけで大したこともなく一日が幕を閉じようとしています。ちゃんちゃん!
January 1, 2009
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