PR
Freepage List
Calendar
生きとし生けるものすべてに共通すること、それは、「愛によってはぐくまれている」ということです。
多次元的にみて唯一リアリティのあるものは、愛だとされています。
より拡大すれば、愛だけでなく神性さの発現は皆リアリティを持つと言っていいように思います。
喜びそのものといった生命力の発現や、
思いやりや優しさといった慈悲心の現れ、
さらには、知性や創造性の発揮といった神的部分の発現、
あらゆる直感や叡智といった万物を創造せしめる霊的働き、
そういったものが、リアリティのある、死してもなお経験として積み重ねていく上で、本来の私たちの進化にとってなくてはならないものです。
かつてシルバーバーチは、愛とは宇宙最大の力をもつものだとしました。
その愛の力よって、地球人類に協力すべく、神のように進化した多数の存在達をこの地球圏に接近せしめているのだといいます。
本来は、もう地球圏になど接近する必要のない存在達が、同じように「すべてなるもの」の一部である地球人類のために力を貸すように気持ちを向けさせるもの、それが愛だといいます。
あるいは、こうも言えると思います。
愛とは我々そのものなのだと。
愛はエネルギーであり、われわれもエネルギーとしての本質を持っています。
その根源力となるものはすべて、「すべてなるもの」(=創造主)に由来します。
ですから、生きとし生けるものすべては愛によってはぐくまれていますし、もっと言えば、それらはすべて、愛の発現である、こうも言えると思います。
人間、動物、植物、惑星、恒星、銀河、宇宙。
すべて愛がカタチを伴って顕現したものです。
我々は生きていくうえで、様々な経験をします。
それは、楽しいことばかりではなく、つらいことかもしれませんし、悲しいことかもしれません。
でも、どんな時でも、「私たちは愛そのものである」ということを忘れないでいただきたいです。
たとえ人間がどう思おうとも、その霊的真実だけは不変なのです。
そうはいっても、困難に直面しているときには、どうすればいいのか分からなくなる時があります。
そんなときはどうすればいいのでしょうか?
心静かに自分自身を見つめてください。
万物に対峙し、そこに自らの神性さの現れを発見するなかで、静かに自己と対話してみてください。
魂の奥からのインスピレーションに従ってみてください。
そこで、あなたにとっての必要な導きが必ず得られます。
上で述べた万物とは、森羅万象のすべてです。
外的事象は内的精神の現れですから、自分自身と向き合うこととは、これすなわち、森羅万象の中に自らを見出すことにほかなりません。
具体的には次のようにされるといいかもしれません。
普段通りの生活をしていく中で、人と人との言葉によるコミュニケーションを通したふれあいの中で、相手の中に神性さを発見するようにします。
仕事や学校、家庭、あるいはプライベートでの人ととのかかわりの中において。
あるいは、自然と対峙するのもいいかもしれません。
自然とは、より大きな自分、地球意識の現れですから。
草花、木々、土、水、風の動き、そういったものを五感を通して感じてみてください。
あるいは動物と接してみてください。
動物の純粋さは、人を癒します。
忙しさのあまり人が忘れかけているものを思い出させてくれます。
あるいは忙しくて時間がないという方。
少しの間、たとえそれがほんの数分であったとしてもかまいません、実際に自然に触れられなくても、想像してリラックスしてみてください。
我々には、想像力によって体験することができるという叡智も備わっています。
森羅万象に自分自身を見出せるとき、人ははじめて自分自身の神性さに気付けます。
すると、その瞬間、世界を見つめる目が変わります。
他人を見つめる目が変わります。
それは、他人の中に自分と同じ神性な部分を見るからです。
ご自分がしてほしいことを、他人にもしてあげてください。
どんな些細なことであってもかまいません。
それはとりもなおさず、自分自身に対するやさしさにほかなりません。
なぜなら、そういった愛の発現は、究極的には自分自身に対する行為にほかなりませんから。
愛は与えれば必ず自分にも返ってきます。
愛が欲しいと思われている方。
まずはご自身で他人に愛を与えてみてください。
このように、分離ではなく統合の道を歩まれてみてください。
そうすれば、必ず物事は好転し始めます。
「思いが現実を変える」という法則は、ここにも表れています。
生きとし生けるものすべてに共通すること、それは、「愛によってはぐくまれている」ということです。
ご自身が愛そのものであることを感じてみてください。
(写真はWikipediaからです)
