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昨日、オフ会がありましたので、そこでの体験から少しご紹介したいと思います。
最初に訪れた仁壁(にかべ)神社というところでは、不思議なインスピレーションが降りてきました。
それは、今回のオフ会に参加された男性で図形の造形をされておられる方がいらしたんですが、その方が仁壁神社の神主と縁があり神社の本殿にご自身で造形物を奉納されていました。
ぱっと見では、球体の構造物で、多角形を複雑に組み合わせた構造をしています。
写真を撮るのを忘れてしまい残念なのですが、中心には五茫星が隠れています。
私は、その造形物をずっと本殿内で見つめている内に、あるインスピレーションがわき起こってきました。
それは、造形物が、かつて私が7次元領域(ヘミシンク的にはフォーカス49に相当する領域)で見た人類の集合意識の形状にそっくりだったことです。
巨大な球体で、あらゆる人の意識が放射状に、点と点で結ばれており、巨大な球体構造を形成しているように私には非物質的に認識できたことを思い出しました。
球体とは、完成形を意味し、どこの点においてもすべて中心とつながっています。
球体の表面や内部にあるあらゆる点が、あらゆる方向に向かってネットワーク構造をなしている、そんな様子です。
私の感覚では、それは人類意識と深い関わりのあるキリスト意識ともつながっていて、かつて地上に存在したイエス・キリストやブッダなどは、このキリスト意識の発現する程度が並はずれて大きかったように感じ取っています。
男性が造られた構造物の中心に見えてきた五茫星。
これは、まさにイエス・キリストを象徴するものであり、人類の集合意識の中心をなすものとしてとらえることができます。
そのような深い意味を探ることのできる造形物を完成させるのに、男性は10年以上を費やしたと言います。
私なりに感得した、構造物の持つ深い意味について、神社本殿内で男性と互いに意見を交換させていただきました。
なお、私の高次によれば、今回オフ会に来られた方も、私と深いつながりがどうやらあるみたいです。
それは、初めに訪れた仁壁神社本殿内が「再会の場」であると高次から象徴的にテロップで伝えられたことに関係してきます。
男性との出会いは、古代エジプト時代にさかのぼるようです。
今から約3000年以上も前のことです。
当時、私と男性は神官としてエジプト王朝につかえていました。
そこで同じ神官として、友人としての付き合いがあったみたいです。
そして、時代を超えて、再開の場として選んだのが、仁壁神社本殿だったわけです。
もう一人、女性が参加されたんですが、この方との出会いは、プレアデス時代にさかのぼるみたいです。
私はどういうわけか、アンドロメダから地球圏にやってくる前に、プレアデスに滞在中に意識同士の交流があったのかもしれません。
魂の遍歴というのは複雑で、また同時に、出会いというのは偶然ではなく必然であると私は考えています。
そういったことを感じ取りながら、我々はまた別の場所へと移動していきます。
次に訪れたのは、錦鶏の滝(きんけいのたき)という所でした。


リーディングしてみると、ここは古代には修験道の修行場であり、現代で言うところの禁足地にあたるみたいです。
もちろん、現代では、禁足地にはなっていませんが、仮に現代で当てはまる名前があるとしたら、それに該当する場所です。
ここは、近くに萩往還といって江戸時代に防府から萩まで歩いて人々が通った道がそばにありますが、それとは別に、それよりはるか以前に、ここら辺一帯が修行場だったように感じられます。
それを象徴するかのように鎮座しているのが、不動明王(ふどうみょうおう)の奥の院です。
この不動明王という存在は、自然霊を使う、もしくはそれに関係する高次意識の象徴らしく、その存在の奥の院が水の美を象徴する滝の近くに鎮座しているのも、偶然ではないと感じました。
実際、同行した知人の話では、滝に向かうあるポイントで、結界が張られているかのような明確のエネルギー場の違いを感じ取ったとのことでした。
上で述べてきたことは、私独自の視点から、その滝の場が持つ非物質的意味合いを文章化したものです。
昼食後、山口市内のスサノオを祀る神社等を巡った後で、車で南に走り、月崎遺跡という所に行きました。


ここは9千年前に栄えた所らしく、エネルギー的には今回巡った中でもっとも素晴らしいところだと個人的には思いました。
私が感じ取っていたのは、なんと言っても海からくる浄化のエネルギーです。
そして、どこからともなく湧きあがってくる、第3チャクラから丹田あたりにずしんとくるエネルギーでした。
また、スサノオ(地球意識)に象徴される神社(名前は忘れました)、月読命を象徴する「月崎遺跡」、そして月崎遺跡にすぐそばにそびえる、アマテラスを象徴する「日の山」。
この、地球と月と太陽が和合するポイントで、それぞれのマカバを完成させる出来事。
その産物がこれです。


よく見られる、ピラミッドを上下重ね合わせた形状からできているのですが、これにはある仕掛けがしてあって、ちょっと軸をずらすことで、六茫星が浮かび上がってきます。


マカバは通常、ピラミッド形状をなしていて回転しているように認識できたり、複雑な曼荼羅形状にみえたりまちまちなんですが、オーソドックスな上下二つのピラミッドをある角度にずらす(地球に例えるとポールシフトさせる)ことで、六茫星(太陽意識の象徴)が浮かんできます。
それを、月崎遺跡の近くにあったおしゃれなカフェでオフ会の締めくくりとして皆で作成しました。
今回の旅は、五茫星(イエス・キリストの象徴)から始まり、これからの太陽信仰を象徴する六茫星の完成で終わりました。
それを導いたのは、不動明王であり、スサノオでした。
地球、月、太陽の三位一体の完成形をマカバで締めくくったことには、これからの弥勒の世を迎えるにあたり大きな意味合いが込められているように感じます。
あるサイトでは、スピリチュアル系には、我々がエネルギー的に大きな淀みの中にいて、エネルギーが流れていない状況に陥っているという方が居られるみたいです。
ですが、私はこれとは全く異なった見解をもっています。
我々は、この宇宙を創造するにあたり、エネルギーポイントのゆがみを作り出したように感じています。
時空と時空の狭間(はざま)、エネルギー的な特異点に位置するのが、今の我々が住む太陽系です。
そこは、多次元領域宇宙ではまれな、三次元的物質空間を形成しています。
むしろ、我々は、エネルギー的なよどみを「あえて」作り出し、「今ここ」に存在しているわけです。
それをもっとも端的に象徴的に表しているものがあるとすれば、現象界に表れている、今回ご紹介したような三位一体を象徴的に示す隠されたポイントです。
我々が直面する現実界は、混沌(こんとん)としています。
多次元領域宇宙から切り離されたかのような、非物質的なものとは無縁の、混乱に満ちた世界にいます。
ですが、我々はそういった環境にあえて身を置き、その人にしかないオリジナルな体験を積み重ねている真っ最中なわけです。
まさに体験の中でしか得られない、霊性進化の上でのかけがえのないものが秘められています。
