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政府は少なくとも秩序の維持を使命としているので娼婦に関連する諸問題にも取り組むことになる。各当事者は政策から影響を受けるが、政策に影響を与える者は必ずしも狭義の当事者とは限らない。近代に登場した公娼制度は、教会等宗教権威の無力を背景として、世俗の政府が見出だした現実的な選択肢であった。公娼制度に対して改良または廃止を求める運動は、3つの源流から出ていた。【人権擁護】が一つ目。奴隷的な人身売買などを指弾する運動。【キリスト教徒】の運動が二つ目。地上における救済活動である。隣人愛が無いところに「神の国」は無い故の活動。【婦人/女性解放】の運動が3つ目。女性が男性の従属物とされていることに焦点を絞る。それらの差異から制度/政策への評価・関心も異なってくることは見落とせない。【統一教】の場合、全て女性の貞操は教祖のものであるという独自の教理から、これに対する侵犯であるが故に売春は罪である。自由な恋愛は異教徒などに貞操を盗まれることを意味し、売春や不倫と同罪である。よって、全く異質な運動である。キリスト教においては、古代からのユダヤ人の経典が売春を禁じており、淫行は宗教上の背反行為の比喩としても引き合いに出される都合からも、売春は許容できない。但し、悔い改めを前提に無償によって無罪とする。他方、人権擁護の観点からは売春を(無形の圧力による)被害と捉える。また、女性解放の観点でも被支配の表れであり、宗教系の矯風/純潔運動との違いが明白に存する。歴史上の戦地売春(軍が設置した公認の慰安所運営)を、・・・国際条約に適合する政策の下で行われた(しばしば非合法な)民間の事業・・・と評価して済ます人々は、当時の公娼制度を適法なものとして支持する。公権力は不作為に対して責を負わないとする理論によっているが、遺憾ながら擬装請け負いによる責任転嫁が透けて見える。
2012/04/30
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朝鮮半島で1919年の三・一独立運動が挫折した頃から広く歌われるようになった「希望歌」、別名「絶望歌」、「蕩子警戒歌」、「蕩児自嘆歌」。この蕩子(タンジャ)とは親日派を指す。1925年には「この風塵の世」という曲名でレコード化された。運動圏で歌い継がれ、韓流映画にも登場した。『京城スキャンダル』 内容紹介 1930年代の京城(現ソウル)、祖国独立を掲げる闘士と、流行と自由恋愛を楽しむモダン・ボーイ&ガールが混在していた時代。10分あれば京城の女たちを自分のものにできる!と豪語する京城最高のプレイボーイ、ソヌ・ワンは、仕事仲間からある女性を落とす賭けを持ちかけられる。その相手は、どんな口説き文句も通用しない当代随一のカタブツ女、祖国解放に命をかける独立闘士ナ・ヨギョンだった。賭け事から始まったこの嘘の恋愛が、徐々に彼の人生を変えていく―元の曲は米国の讃美歌であり、日本では福音派の聖歌集に「いつかは知らねど」として収録されている。米国では「Garden」の曲名だが、韓国に持ち込まれ、統一教では「園の歌」。日本では讃美歌よりも「真白き富士の嶺/七里ヶ浜哀歌」として広く知られる。讃美歌「Garden」→ 唱歌「夢の外」→ 歌謡「真白き富士の嶺」→ 韓国歌謡「希望歌」という系譜になっているという。
2012/04/27
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亡くなった家族の位牌を仏壇に納め、礼拝するという風習があります。日本人にはとてもポピュラーでトラディショナルな儀礼です。さて、韓国のある宗教では、教祖夫妻を「まことの父母さま」と呼びます。しかし、その姿を金の像にしたうえ、礼拝します。生きている両親には直接に会いに行き、親しく挨拶し、会話するはずですが、本人たちが生きているのに、仏像にして礼拝するのですから、理解不能です。死んだもののように扱っているのです。レーニン、毛沢東、金日成はミイラにされて展示されていますが、これと同じです。キリストさまや仏さまは、生きているときに弟子たちの偶像崇拝を許すことはありませんでした。本人と直接に会話できるのですから、人形の類で代用する必要はどこにも無いのですが。
2012/04/17
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伝統的な仏教徒やカトリック教徒は偶像崇拝に寛容です。他方、プロテスタントはカトリックから分離し、偶像崇拝を廃止しました。ただし、アタナシウス派の新約聖書を引き継いでおり、個人崇拝も引き継ぎました。イエスはキリストであり、神と一体かつ同質であるが同一ではない……。アタナシウスは、4世紀、地中海世界で学術の中心を占めた国際都市アレクサンドリアの大司教でした。キリストは人間であると同時に神の性質も備えているという認識(つまり二性論)と神とキリストは異なる人格であるという事実とを整理したに過ぎません。 お釈迦様は永遠の仏陀(久遠本仏)と同じ性質を帯びているという考えがこれに相当します。仏教では一人ひとりに仏性(つまり成仏する可能性・資質)があると考えます。キリスト教徒は、イエスに取って代わる者(弥勒菩薩など)を一切認めません。イエスが地上に残した言葉の超越性はそれほどまでに初期の信徒を圧倒したからです。神の神性や永遠の力は人間にとって計り知れない……。このことを人々は十分に知り得るだけの知性は備えており、偶像崇拝のような虚しい愚行を為す者は、自らを貶め真の神を冒涜するものです。(神を裏切る淫行に準えられている)金のご父母さま像に敬拝するという四七男派は、信徒を愚行に導き形骸化を推進していると思われます。
2012/04/15
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「韓国政府は、今回の発射にかかる費用を約8億5千万ドル(約700億円)と推定する。」…「中国産トウモロコシ約250万トンが買える金額で、北朝鮮の配給基準では、1900万人の1年分の配給量に相当するという」…朝日新聞4月12日夕刊一般大衆を犠牲にして浪費する似た者同士ですか。
2012/04/13
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この社会には貴賤や貧富の差があります。 establishmentとは既存社会体制ということ。世の中には支配層と底辺があるだけではなく、自殺、孤独死、過労死、餓死、凍死に満ちた社会に住んでいることは隠しようもありません。 この体制を支える要素の一つに権力集中制があります。 下級は上級に従う、という近代的常備軍や絶対王政の官僚機構の原則であり、中国明代や李氏朝鮮時代の朱子学もそのような権威主義でした。 すべての企業や学校でも普通に通用しており身近な原則です。『服務規律』などと称されます。 新しい真理はこれとは異なります。そうでなければ新しくありません。古い規律の下では、「カラスは白い」と上級が言えば下級も「はい、白いです」と認めなければなりませんでしたが、新しい規律は異なるのです。 コンプライアンスは組織を社会に開いておくことを求めています。個人の人格と意思を尊重する市民社会にあって、一般には通用しない奇異な掟を組織員に適用しないこともコンプライアンスです。反社会的勢力と市民的集団との大きな違いともいえます。 カインは先に生まれた権力を有する者であり、後から生まれた権力を持たない者に対して、優位に立ちます。それを謙譲と謙抑によって劣位に立つものを尊重するのが新しい規律です。 日本のアベル・カインは間違っている、と聞かれたかもしれません。 後輩や新参者の弱味に付け込むのは、古い規律を悪用する犯罪に過ぎません。 暗い支配システムの分身に過ぎないもの、それが反社会的カルトです。 不毛な対立を演じていたサドカイとパリサイや神殿を食い物にした両替商等と何が違うでしょうか?真理をねじ曲げて隣人であるはずの人々の宗教心を悪用して蓄財と勢力拡大を図る利己の輩ではないのですか?
2012/04/05
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