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韓定食さんはご謙遜なさるのですが、 関連して保健体育の噺をつづけます。 新人(ホモサピエンス)のメス・・いや女性は、季節を問わず年間を通して12回も排卵を続けます。 おかげで多くの機会が得られます。これは少数の男性と多数の女性の間に子孫をもうけるのにも好都合です。 この結果、精力絶倫は子孫を残すうえで有利ともいえます。 ただし、十分な餌・・・いや生活資材の調達ができなければ、多数の妻子は養えません。多産だけではなく、文化の発達とともに、安定した環境で言語、社会性、知識などを伝えることも必要ですから、精力絶倫だけではオス・・いや、男性は務まりません。両立を図るため、精力絶倫の効用は小さくなっています。若いうちに結婚することのほうが、精力絶倫よりも大事だと考えられます。
2009/01/31
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暇な人だけお読み下さい。きっと、くだらない噺です。さて、自然観察の結果、人類の精 子はチンパンジーなどに比べて運動能力が劣っており、滅亡の兆しを見ることができます。人類は、ある必要により一夫一妻制を採っていることから、射■から受■までの過程で、異なる個体からの精■の間での競争がなく、厳選されない結果と推理されます。その結果、人類の体内受■は困難さを増し続けており、いずれ途絶するでしょう。体外受■がありますが、これによって、さらに精■は過保護に置かれ、いっそう運動機能と■子を作る機能を失うでしょう。顕微鏡授■もありますが、これによって、精■を作る機能が過保護に置かれ、結局、その機能を失うでしょう。そこで、将来、ある時点から人類は広義の乱婚制に移行するでしょう。(!) チンパンジーを真似なくてもよいのですが、テストに合格した精■によって受■する必要があるということです。選別の方法は、人工的であっても構いません。しかし、夫の選択と精■の選択を一致させることは困難になります。先に■子の候補を選び、その持ち主たちから花婿を選ぶ体制(system)もありえます。また、多数の花婿候補の中から、より元気な精■の持ち主を選ぶ体制もありえます。パートナーを省略し、■子だけを選ぶ体制もありえます。扶養する義務は社会全体、結果としては、子どもがいない者がより多く負うことになります。現在の体制から最も近いのは、どれでしょうか。人工授■のシングル・マザーか、かけもちでカレたちと交わって出産に到るヤンキーなママでしょうか。経済力の裏付けがあれば後者は排除できませんが、現体制では、思慮深さと経済力は関連性が高いでしょう。人工授■は、現体制では必ずしも精■選択が適切ではありませんから、前者には問題があります。どちらでもない大多数の夫婦は、経済力を蓄える間に年齢が高くなっていることから、すでに少子化を体現しており、滅亡への行進を演じている大群に過ぎません。当面は、ヤンキーなママによって元気な精■を温存しつつ、人工授■の制度改革が必要かもしれません。ヤンキーなママから生まれて成長した若い男性を人工授■の■子提供者に募るという方法はどうでしょう。 ・・・ 精■提供者として魅力的な知能指数を発揮してもらうために、生育環境を整備すれば可能かもしれません。母親は誰が父親かわからない子を産むような女性だが、その子に特別の待遇を与え、聡明な青年に成長させ、■子を提供してもらうという方法です。 蛇足ですが、福音書にあるとおり、あるおとめがみごもって生まれたひとりの男の子がイエスだといいます。文字通り処女懐胎であれば、この子の精■を形成したY染色体は、遺伝してきた古い物ではなく、創造されたばかりの完全な物です。この染色体をより多くの人類により早く伝播させることが一種の「人類救済」になります。もちろん、新品のY染色体を持つイエスは地上にいませんから、再来を待たなければなりません。その■子を観察すれば、チンパンジーの精 子並みに元気に泳ぐでしょう。そして、自らの使命を自覚するならば、夫がいる多くの女性を妊娠させるか、妊娠させた多くの女性に夫を与えるに違いありません。一夫多妻男はすぐに叩かれますから。さて、そのような奇跡の男の子を演じる偽者が登場したらどうなるでしょうか。まるで、空想的な物語のようですが、 あながち、ありえなくないことは、皆さんが見聞されている通りであります。
2009/01/27
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NHKスペシャル女と男 ~最新科学が読み解く性~ 第3回 男が消える?人類も消える? http://www.nhk.or.jp/special/onair/090118.html哺乳類はY染色体によって遺伝的に雌雄を固定しており、一生、同じ性のまま生きる。米青子の半数ずつが雌雄に分かれる仕組みだからだ。この結果、Y染色体だけは破損しても世代交代のときに修復されることがなく、代々摩耗している。Y染色体が耐用年数を過ぎたところで、その哺乳類の種(しゅ)は滅びる。 哺乳類のそれぞれの種が存続するためには、遺伝子操作によって、Y染色体以外の染色体に性の決定因子などを移動させる必要がある。そのようなことが果たして可能になるのだろうか? 既にY染色体を失う一方で、そのような染色体を持つ種もごく少数いる。これが偶然だとすれば、人類がそれに選ばれることを期待するのは難しい。どうやら、哺乳類はどの種も寿命が短い動物として創造されたようだ。というわけで、太陽必滅論と同様に、哺乳類必滅論に到る。 しかも、一夫一妻制がよく守られている人類の場合は、他の人の米青子と女性の体内で競争するような自然淘汰が無く、より深刻な状況にあるといい、実際、人類の米青子の運動能力は、「乱婚」を採っている類人猿よりもかなり劣っているようだ。乱婚の風習を全く排斥したのは、愚行だったのか?環境破壊や核戦争の回避といった最低限の(5%の)責任分担を果たしつつ、天命を待つしかないような・・・・。諸行無常。
2009/01/22
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・・・彼らは わが国の武力だけでは自衛できないことも、 その力がわが国に好き勝手に振る舞う資格を与えてはいないことも 知っていた。 そうではなく、 先人たちは、 国の力は慎重に行使することで増大し、 安全は、わが国の大義の正しさ、模範を示す能力、謙虚さと自制心の陶冶から生まれる と知っていた。・・・They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as we please. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint. <バラク・フセイン・オバマ>
2009/01/22
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アッシリア東方教会の信徒、ケン・ジョセフ父子の著書は、平和憲法と隠れキリシタンの国・日本を褒め称えるものであり、左派系にとっては耳に入り易い。感動的でもある。しかし、粗雑な書き方のために、歴史捏造に陥っている。これは、「いつか来た道」である。京都・桂離宮の庭には多くの織部灯篭があるが、造園を手掛けた人物が織部の直弟子だったからと考えるべきである。この織部灯篭は「キリシタン灯篭」とも呼ばれるが、その俗称から皇室とキリスト教とを結びつけるのは、強弁に過ぎない。 景浄はペルシャから来た大秦寺の僧で、中国では景教の最高指導者である。空海と景浄は同時代に長安に暮らし、何らかの接点があったかもしれない、という想像はできるが、直接の影響を見ることはできない。インドから来たカシミール(けい賓国)出身の般若三蔵という仏僧は、ソグド語の密教経典を翻訳するために、(異教徒である)景浄の協力を求めたことがあるが、この漢訳経典は出来が悪くて採用されず、帝の指示(勅命)により、サンスクリット(梵語)の経典から仏僧たちにより組織的に漢語に翻訳された。空海が日本に輸入したのは、この出来の良い理趣経である。光り輝き、天下を照らす神は世界各地に見られるが、ギリシャ語の新約聖書とくにマタイ福音書でも、秘密裏のキリスト変貌(変容)の出来事ととして「顔が太陽のように輝いた」と描かれている。長いユダヤ人の歴史・伝統の中で、このような出来事が記されたことは無く、神秘主義的である。空海が日本に持ち帰った「宿曜経」という暦には七曜が記されており、日曜日はソグド語の太陽神「ミール」すなわち「密」「蜜」が当てられている。ローマ帝国の太陽神の祭りはクリスマスという行事に変わったが、ミトラス教などの太陽神信仰をキリスト教へ取り込むためであった。カトリックの教理を確立したアウグスチヌスは青年時代、マニ(摩尼)教に帰依していたが、マニ教もゾロアスター教の影響から太陽神ミスラを信仰していた。光を強調する二元論と来るべき救済者のような、ゾロアスター教的要素は、インド経由で間接的に密教にも影響したのだろう。このように、ケン・ジョセフ父子による歴史解釈には多々問題があるわけだが、日本人のアイデンティティーのために提言してくれていることには感謝している。日本人は今のところ多様な信仰を共存させ、純粋に信仰を貫く人々に敬意を払っている。が、同時に、個人の信仰を宗派間抗争に発展させる組織的狂気や侵略・謀反・国盗り・独裁に利用する政治的策謀にはよく警戒し、一応の平和を保ってきた。・・・オウム教団への警戒が足りなかったことは悔やまれる。さまざまな犠牲を無駄にしないためにも、不当な迫害や無関心による放任ではなく、これからも、常に努力が必要であると思う。
2009/01/19
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大日如来の「大日」は、摩訶毘盧遮那(まか・びるしゃな) を意訳したもので、インドの神話でヴァイローチャナ(Vairocana) と呼ばれる神である。大日如来 http://dug.main.jp/sinma/ta.htm#dainitinyorai マハーバーラタに太陽神として登場することから、漢語の「日」と訳され、「大日経」という漢文の経典となったのは、唐の時代724年に行なわれた翻訳による。また、徳宗帝の勅命によりサンスクリット語経典から「六波羅蜜経」の翻訳が進められたが、仏教側の言い分によれば、その前にインド人の仏僧・般若三蔵が親戚から請われて、ソグド語経典からの翻訳を試み、ソグド語に明るいペルシャ人の景浄という景教僧(メシア教徒)に協力を求めたところ、失敗に終わった。景浄による歪曲を非難する声もある。亀松歴史倶楽部 (松岡繁氏主宰) http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/ 「密教伝承」 http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame8.htm いずれにせよ、景教側による仏教解釈の試みによって、当時から問題が起きていたといえる。「混ぜるな危険」というべきか。「方壺島」(漢文愛好者のHP)大秦景教流行中国碑http://homepage.mac.com/two_yossy/fang-hu_island/02-sibu/10-shakushi/001-0-text_01.html 『貞元新訂釈教目録』巻17に、「建中三年に■び、上国に屈せり。貞元二祀に至り、訪れて郷親に見ゆ。神策正将の羅好心は、即ち般若三蔵が舅氏の子なり。悲喜相慰め、将きて家中に至り、用つて親親を展べ、延留して供養す。好心 既に三宝(仏法僧)を信重すれば、仏経を訳すを請ふ。乃ち大秦寺の波斯(ペルシャ)僧・景浄と与に、胡本(ソグド語で書かれた本)・六波羅蜜経に依りて訳し、七巻を成す。時に般若は胡語に閑(な)れず、復た未だ唐語を解さず。景浄は梵文(サンスクリット)を識らず、復た未だ釈教(シャカ教)に明かならず。伝訳を称すると雖も、未だ半珠を獲ず。図るに虚名を竊むも福利と為ること匪らず、録するに聞奏を表して意は流行を望む。聖上(徳宗帝)は濬哲文明にして、釈典を允恭すれば、其の訳する所の理昧く詞疎きを察す。且つ夫れ釈氏の伽藍と大秦の僧寺とは、居止 既に別れて行法全く乖く。景浄は弥尸訶(メシア)教を応伝し、沙門釈子(仏僧)は仏経を弘闡すれば、教法をして人を区分し、濫りに渉ること無からしめんと欲す。正邪異類は、■・渭 流れを殊にす。網に綱在るが若く条有りて紊れず、天人の仰ぐ攸は四衆 帰を知る。分けて有司に命じ、乃ち制を下して曰く、『中書門 牒を下す。王希遷の牒して勅を奉ずるに、釈教の深微にして、道俗の虔敬なるは、皆な梵本に因りて法は中華に被ればなりと。宜しく王希遷をして所司と与に道行有る僧を精選し、西明寺に就きて重更(かさ)ねて翻訳して奏に訖ぶべし。牒至りなば勅に准ひ、故牒のごとくせよ。貞元四年四月十九日 牒す』と。及び祠部に牒するに勅に准ふこと亦た然り」原文http://www.on118.com/wanfosi/jingshu.asp?id=814
2009/01/16
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【東方のキリスト教】アラブ人の多数は、よく知られている通り、ムスリム(イスラム教徒)である。また、アラビア語はイスラムの勢力拡大にともなって普及したため、アラビア語圏に住んでいる人々は、宗教には関わりなく、アラブ人とみなされている。 イラク共和国内の非ムスリムも同様である。しかし、ネストリウス派として知られるキリスト教徒は「アッシリア人」の末裔であると自己紹介している。アッシリア東方教会という宗派であるが、古代に、キリストの母(マリア)を「神の母」と呼んでも良いか、などを巡ってローマ帝国内の教会指導者と決裂した。431年、エフェソス公会議のことである。 その後、帝国東半部のギリシャ語圏における教会(東方正教会)と、西半部ローマ語圏のローマ教会とが決裂した。帝国の分裂に伴う動きである。 1994年に、ローマ教会(カトリック)とアッシリア東方教会は、バチカンで対話を開始し、二性論については当初から一致していたことがローマ側に認められ(笑)、1500年を超える期間、「単性論の教会」とみなされていた誤解が解かれた。 【宗派対立の内実】対立の内実は、教理そのものではなく、信者の取り合いである。ローマ帝国の領域および勢力が興亡するに伴って、境界域では宗派間で信者の改宗が起きる。帝国と教会が一体化しようとすることにより、避けられない事態だったといえる。カトリック(天主教)はポルトガル、スペインの植民地支配の拡大に乗じて宣教師を送り出した。 【多様性の弱点】東洋の2つの国は鎖国して禁教令を布いたが、米国および隣国の圧力により開国した。この結果、キリスト教のさまざまな宗派が先を争って乗り込んできた。 ニューギニアには多数の部族がそれぞれ異なる言語を使用しており、宣教団はそれらの膨大な言語と格闘しているようだが、加えて、全世界の大小さまざまな宗派からそれぞれの宣教師が送られて、ひしめきあっている。 大型の専門店に行くと、似たような商品が際限なく並んでおり、選ぶまでに疲れきってしまうが、どうだろうか。もう少し待てば、もっと気に入るものが棚に並ぶようにも思われる。 終着駅では傘の忘れ物が山積みになるように、文物が国を超えて往来する道筋の終着点では、多様な宗派がごった返しているのである。 このような土地では、「キリスト教は四分五裂している」という印象を与えるのは、避けられない。宣教の目的も、宗派間の競争に勝つためと見られ、あるいは、外国政府・財閥の別働隊として利用されていると疑われるだろう。そこで、このような「未開の」土地では、「文明人」の宗教的な間違いを正してやろうという先住民も登場する。混合の新興宗教といえばそれまでだが。 【宗派対立の要否】地域住民の共同体が成り立っている土地では、宗派間の競争は迷惑千万であろう。古くからの社には、教理を説かない神職や当番がいて、儀式や祭りだけが行なわれ、村に一つだけの寺では、意味不明の長い読経と、勧善懲悪の説法をするだけの僧がいる。安定した「神国」であり「仏国土」であるともいえるだろう。 【日本周辺の景教】さて、中国に景教(つまりネストリウス派)が伝わり、太大秦寺が建てられた。そのような時代から、日本列島は海外に門戸を開いており、渡来氏族が活躍し、また、西域の多様な文物が届く状況にあった。朝鮮半島南部の仏国寺では、古代の景教の十字架が発掘されたとも聞く。 しかし、日本には目立つ痕跡を留めていない。知られていないだけである、という説もあるが、どうだろうか。シルクロードの道中で木っ端微塵に砕かれたものが、列島に吹き寄せられたのではないか。空海が持ち帰った密教は景教の影響を受けており、いや、景教などの要素も取り込んでおり、需要を満たしていたともいえる。空海は官費で留学させてもらったのであり、もともと、朝廷の政策として大陸から新しい宗教を輸入しただけである。 【自給自足】日本では帰化人・渡来氏族の時代が過ぎ、平安朝も終わる。やがて、中央アジアではモンゴル帝国が興り、その帝室にキリスト教徒の后が迎えられ、フビライ帝の母になったが、日本では、国内で新しい宗派が生まれて磨きが掛かり、自給自足ができ、もはや、大陸から輸入する余地は無くなっていた。 モンゴルではキリスト教を旗印とする叛乱があり、撃破された。日本では天主教が伝えられた後、鎖国し、その後に叛乱があったが、ヨーロッパでも農民反乱と小宗派が結びついていた。日本の農民一揆には「一味神水」というある種の「共餐の儀式」があった。いわゆる「水盃」であり、神道風の儀式である。地域の団結は、生命・生活がかかった特に大切なものであり、宗派間の対立によって乱されてはならない。 中東の平和回復のために、マル・ディンハ4世総主教(イラク出身で、現代の景教を率いる指導者) をはじめ、関係者の皆様にとって、日本の経験が参考になれば幸いである。 ※ 参考文献「隠された十字架の国・日本」または「隠された聖書の国・日本」 ケン・ジョセフ父子共著 徳間書店
2009/01/09
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世紀末予言を扱う出版物として、ノストラダムス大予言があったが、大外れだった。 ソ連・東欧のマルクス・レーニン主義を掲げる党の独裁体制とともに、社会主義(を標榜する官僚統制の)経済体制は崩壊したが、これを予言した人物は多々挙げることができる。しかし、ベストセラーの著者としては、ラビ・バトラに並ぶ者はいないだろう。出版および関連業界の景気浮揚に貢献した(笑)として、イグ・ノーベル賞を受けている。 さて、ラビ・バトラの予言は続きがあり、来年「2010年」までに資本主義経済が破綻・崩壊するということである。 追随者によって要約されているものだけでも十分に論旨は明快であり、資本主義破綻の理由の部分については、私には反論の余地を見出せない。大衆は雇用を介して搾取され、消費できなくなるので、商品は売れない。国際競争の結果、どこの国でもますますそれが避けられなくなる。販路拡大に注がれるエネルギーの浪費が地球環境を傷めつけ、資源が枯渇するということだ。ただし、原文は読んではいないが(笑)。 使える核兵器を巡って両陣営がしのぎをけずっていたあの時期に、2つの体制の破綻・崩壊を予言し、これまで着々と実現しているのを見れば、下手な占い師などよりも予知能力に長けていることは認められるだろう。 ヨハネ黙示録など、聖書の中の預言の解釈には、これに類似するものがある。巨人像の両足が1本ずつ砕かれるという夢の場面が語られ、その解釈として、米ソ2陣営の崩壊を予表するものと解釈されていた。この解釈のオリジナルは知らないが、私は「七枝の燭台」とかいう私家本で読んだ。日本人の福音派牧師によるもので、1985年以降の事件をラビ・バトラが予言した時期と同じである。そういえば、ある過激派がチラシに断片的に引用していたように記憶する。 宗教家とその信者たちには予言を好む人が少なくないように思うが、ラビ・バトラのように、経済活動に直接関与している人々を納得させるような具体的な予言にはなかなかお目に掛かれない。「心の時代」を説き、宗教家を自任する資産家も、他のあさましい人々に交じって、蓄財、より有利な投資、狡猾な節税に励んでいるのではないかと思われるが? ところで、いまさらどうでもよいことかもしれないが、ダンベリー刑務所から帰ってきた老人からは、どんな予言を聞いただろうか。
2009/01/06
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米国では世界恐慌以降、公共事業などを通じて政府が雇用を確保するために意を用い、積極的に出動することもありました。レーガン(当時、カリフォルニア州知事)は俳優労働組合の指導者から政界へ入りましたが、政治・政府が社会・経済に介入することを嫌い、やがて大統領になると、新自由主義の旗手として完全に転換してしまいました。社会保障ではなく、投資減税による景気刺激策を多用しましたが、選挙民にも受け入れられました。米国は冷戦終結を手にして黄金期を迎え、金融工学を駆使する投資ファンドの隆盛、IT長者の登場、と、一時は繁栄を謳歌しました。緩い貸付けによって住宅建設を煽りましたが、一転、低所得層向けの融資「サブプライム」問題の深刻化、金融危機、ビッグ3経営危機、と大不況に至りました。新自由主義は行き過ぎだったかと思われますが、レーガン大統領を礼賛した保守系メディアなどは後悔しているでしょうか?
2009/01/04
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イラクのフセインは身内を重用する世俗的な独裁者でした。政権中枢はほぼスンニ派で占められました。情報相(シーア派)と副首相(キリスト教徒)は例外でしたが、イラクの体制の下で少数派は冷遇に耐えていました。イラン・イスラム革命以前、イラクには140万人のキリスト教徒が住んでいたといわれます。その後、イランに対する戦争、クウェートへの侵攻、そして、米英軍によるフセイン政権打倒を経て、キリスト教徒は激減しました。特に、バグダッド陥落後、古来の (イエスの母マリアを“神の母”と呼ばないネストリウス派、単性論の非カルケドン派、カトリックと合同した東方典礼のオルソドクスなどの) キリスト教会とキリスト教徒の商店、住民に対する公然の迫害が起きました。キリスト教徒は、難を逃れてイラク国外へ移り、2006年には、国内に留まる者は30万人に減ったといいます。フセイン大統領は確かに反米的な“邪魔者”に違いありませんでしたが、宗教の自由に関する限り、有益な政治家(必要悪)でした。彼を単純に敵視し、除去する選択は、イラクのキリスト教徒を危険に曝す結果になりました。米大統領の尻馬に乗ってフセインをこき下ろした宗教家がいるようですが、後悔しているでしょうか。
2009/01/04
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今年も“落とし穴に嵌まりやすい自分たち”を反省してまいります。お付き合いの程、よろしくお願いします。
2009/01/01
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