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東京の猛暑を逃れようと、上高地へ行って来ました。午前7時、余裕を持って新宿西口へ。この日は湿度が高く、ビルの陰にいても滝汗が流れます。 上高地をガイド風に書くと、穂高岳、焼岳、霞沢岳など北アルプスの秀峰に囲まれた、標高約1500mの高原です。北アルプスの玄関口として多くの登山者が訪れ、明治20年代に登山家のウォルター・ウエストンによって世界に紹介されました。以後、日本を代表する山岳リゾートになり、08年にフランスのガイドブック「ミシュラン」で2つ星を獲得。上高地のシンボルともいえるのが河童橋。梓川沿いには白樺・モミ・コメツガなどの原生林に包まれて大小の池が散在しています。 午前8時、バスは予定より少し遅れて出発しました。中央道を上高地へ一直線。途中で双葉SAでトイレ休憩します。目的地まで新宿から4時間あまり、意外に時間がかかりました。降車場所は3箇所ありますが、初心者は大正池がいいというので、それに従います。バスを降りてゆるい坂を下ると、視界が開け、大正池が見えてきました。わりと大きな池です。平日なのに、観光客で賑わっています。河原に坐ってお弁当を食べている人もたくさんいました。大正4年(1915)の焼岳大噴火によって、梓川の流れがせき止められてできた池。淡いブルーの水、立ち枯れた樹木が幻想的な雰囲気を醸し出します。池の西側には、今も細く噴煙を上げる活火山、標高2455mの焼岳が迫る。現在では、下流の発電所に送る水の貯水池としても利用されています。写真を撮りながらゆっくりと木道を歩きます。標識がありますが、人の流れに付いていけば迷うことはありません。気温が上がってきました。木陰に入ると風が心地よいですが、陽の中を歩くと汗がでてきます。30度は越しているでしょう。20分ほどで田代池へ。このあたりは湿原のようで、水が滲んでいます。池の水は所々色が変わっていました。六百山や霞沢岳からの伏流水による池。台風や大雨による土砂の流入により、以前よりは浅く小さくなっているそうです。池の周りには湿原になっており、水生植物や浮島も見られる。6月中旬~7月上旬はレンゲツツジやニッコウキスゲの花が見ごろに。8月下旬のこの日は、花の端境期のようでした。田代橋を渡って終点の河童橋へ向かいます。途中に上高地を紹介した登山家のレリーフがありました。ウェストン碑。ウェストン園地にあります。上高地を世界に紹介した英国人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの功績を讚えて日本山岳会が立てた碑。ウェストンは明治24年(1891)上高地を訪問、その後、明神池近くに住む上條嘉門次らの山案内で槍ケ岳、奥穂高岳の登頂を果たしました。これはスポーツとしての登山の先駆けとなり、日本近代登山の父といわれています。 ここまでくると、河童橋とバス停はすぐそば。が、体力をひどく消耗しているのがわかります。近くにあったホテルのロビーでしばし休憩。ビールを飲みたかったのですが、ジュースで我慢しました。休憩したにも関わらず、少し歩くとまたも息切れが。......最後の気力を振り絞ってやっと目的地までやってきました。河童橋。清流、梓川に架かる上高地のシンボル的存在の吊り橋。橋の上から奥穂高岳(3190m)、吊尾根、前穂高岳(3090m)などの穂高連峰の勇壮な景観を眺めることができ、記念写真を撮る人々で、いつも賑わっています。橋の名の由来は定かではなく、かつて河童が棲んでいそうな深い淵があったからなど、いくつかの説があるようです。橋の上は清流を眺める人や、写真を撮る人で一杯。吊り橋なので橋が揺れます。それが意外に怖かったのは、軟弱な東京人のせいでしょうか。午後3時、まだ暑いです。この先に明神池がありますが、そこは最初からパスするつもりでした。ここまでが限界です。バスの出発まで1時間あまり。ついにビールにありつけます。村営の食堂に入り、生ビール2杯とお新香の盛り合わせ。やっと生き返りました。定刻に帰りのバスが発車。途中で2回のトイレ休憩がありましたが、諏訪湖SAではゲリラ豪雨の直撃を受けました。稲妻が走るとすぐに雷が鳴り、落雷が近いことがわかります。被害はなかったようですが、高地の天気が変わりやすいことが実感できました。今回の上高地散策ですが、暑さと疲労で参ったことを告白しておきます。美しい自然に触れても感動しない自分をあらためて発見。自然よりネオンの下を歩いたほうが心がトキメク無粋な年寄りを自覚しました。
2010年08月27日
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8月13日(金)日本テレビ系 金曜ロードショー 21時~22時54分放映。制作=2008年 日本映画 東宝映画配給 2時間22分。原作=浦沢直樹。監督=堤幸彦。出演=唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子、香川照之、石塚英彦、佐々木蔵之介、生瀬勝久、森山未来、黒木瞳ほか翌年に大阪万博開催を控え、人類が初めて月に降り立った1969年の夏、小学生のケンヂは、同級生の仲間たちと空き地の原っぱに秘密基地を作ります。彼らの秘密の遊びの一つである"よげんの書"には、悪の組織、世界征服、人類滅亡計画、それを阻止する正義の味方など空想の数々が描かれていました。劇場版は2時間22分の大作ですが、テレビは正味1時間36分。3分の1ほどカットされています。が、予備知識皆無の年寄りには、ダイジェスト版として、面白く鑑賞できました。なかなかスリリングな内容です。といってもダイジェストなので、わかりにくい面が多々あります。悪に向かう戦士は9人のはずなのに、7人しかいません。あの双子の兄弟はどこへ行ったのでしょうか。そしてケンジは教祖の素顔を見たはずなのに、誰にも教えないという不可解さ。これは次作への興味を繋ぐために、わざとはしょったのでしょう。稚拙な手法ですが、そして詐欺的手法ですが、本編がどうなっているのかはわかりません。続編も録画予約してあるので、取りあえず続きを見てみましょう。
2010年08月20日
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2010年8月16日(月)新宿ミラノ2にて制作=2010年 アメリカ/イギリス映画 ワーナー・ブラザース映画配給 2時間30分。監督・脚本=クリストファー・ノーラン。出演=レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、マイケル・ケインほかドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、潜在意識の奥底に潜り込み、他人のアイデアを盗み出すという技術を持つスペシャリスト。それ故、企業スパイの世界において引っ張りだこの存在でした。が、最愛のものを失い、国際指名手配犯となります。彼に巻き返しのチャンスが訪れました。「インセプション」と呼ばれるミッションを果たせば、かつての幸せな人生を取り戻せるかもしれないのです。だがそれは、他人の潜在意識に入り込み、ある考えを"植えつける"という最高難度のミッションでした。『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督自身がオリジナル脚本を執筆し、心理構造にまつわる現代的な要素を盛り込んだ次世代アクション・エンターテインメント超大作。というのが、映画会社の宣伝文句です。潜在意識という言葉ですぐ連想されるのがベルグソンという哲学者。20代はじめの頃、何冊か読みましたが、難解で理解不能でした。プルースト「失われた時を求めて」は潜在意識をテーマにしたもの、というのがフランス文学の常識です。プルーストの天才をもってしても、それが成功したとは言い切れません。フロイドやユンクの深層心理を表現しようとしたジョイスの「ユリシーズ」も同様です。ただ、この二つは大胆な実験小説として、20世紀の文学史に大きな足跡を残しました。この困難なテーマを映像化しようとした監督のクリストファー・ノーラン。その意図は壮としますが、はたして成功したでしょうか。答えは残念ながら否です。現実と潜在意識の世界が整理し切れていない、というのが最大の原因。夢の世界にはいくつかの層があるようです。そこを往来することは出来ますが、いま彼らがどの層にいるか、注意しないとよくわかりません。層によって時間の経過が異なり、それがよけい混乱に拍車をかけていました。各層には侵入者に対して防衛機能があるらしく、武装したガードマンがいて、激しい銃撃戦が展開されます。知能戦争と同時に、武力戦もあり、娯楽映画の常道、味方はほとんど傷つきません。ほとんどですが。登場人物には役割分担があり、それがキャラクターも兼ねているのですが、はなはだわかりにくい描写で、一度くらいでは理解できないでしょう。要するに難解なまま、派手な銃撃戦のみが印象に残る、という出来でした。「マトリックス」も仮想現実を描いていますが、境界の出入りはわかりやすかったような気がします。映像には金をかけているようで、その凄さには圧倒されますが、それだけの作品で終わっているのが残念です。意余って力及ばず、の実験映画で、一般には向かないでしょう。客の入りも3分の1くらいでした。
2010年08月18日
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夏の甲子園8日目は、東京勢が第2試合、第3試合に連続して登場、という珍しい日程になりました。<関東一11-4遊学館>第2試合は関東一が、遊学館(石川)の2投手から17安打11得点を奪いました。15安打と10打点を、5番までの上位打線がたたき出したのです。なかでも4番宮下明大内野手(3年)は5打数5安打4打点。二塁打が出ればサイクル安打達成だったという大当たり。<早実21-6中京大中京>早実が25安打21得点で大勝。コンパクトな振りを徹底し、集中打で相手投手陣を打ち崩しました。1回に小野田の先制打など打者13人で8安打を記録して7点を挙げ、5回には打者16人の11安打で12点を奪いました。中京大中京は先発の浅野と2番手の森本がいずれも相手の勢いを止められずに甘い球を狙い打たれ、守備も3失策と足を引っ張りました。この試合、コールドゲームになるのではないか、と思いましたが、最後まで続行。甲子園にコールドの規程はないのでしょうか。前年度優勝校を大差で破った早実、この調子で決勝まで進んでほしいものです。
2010年08月14日
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月例のバス旅行に行ってきました。今回のテーマは「さわやかクルージングとロープウエイ、ランチバイキング」です。参加したのは8月9日(月)真夜中、雨音で目を覚ましました。窓を開けると、かなり激しく降っています。猛暑日から解放されそうですが、雨の行楽は歓迎できません。朝になると、小降りになっていました。傘を差して新宿西口へ。9時10分ですから、通常より1時間ほど遅い出発になります。東名道に入り、1時間ほどで海老名SAへ。相変わらずの小雨で、蒸し暑くなってきました。トイレで体調を整え、かつらぎ山パノラマパークへ向かいます。ここは今年7月に「伊豆の国パノラマパーク」として新装オープンしたそうです。平日にも関わらず、道が混んできました。それでも10分の遅滞で済んだのは、運がよかったかもしれません。12時30府に到着し、待望のランチ。50種類の食材の中には、富士宮の焼きそば、ご当地の魚を使ったにぎり寿司もあります。ビールで喉を湿しながら、副菜でおなかを充たしました。食後はオレンジジュースとコーヒーで一服。ランチタイムは60分ですが、少し早めに切り上げ、ロープウエイに乗ります。標高420mのかつらぎ山と山裾の全長1800mを片道7分で往復。山頂からは富士山、駿河湾、箱根、天城の山々が見えるはずでした。小雨と霧で眺望が遮られ、「富士見の足湯」も雨水が混じったため、使用不可。余った時間は売店をぶらぶら。取りあえず、かわはぎ、あじ、かれいのみりん干しをお土産に買いました。ビールのお供に最適でしょう。誰にもあげずに、自分で喰うつもりです。次は駿河湾のクルージング。ミニクルーズですから、周遊は内浦湾内を約30分。デッキは1階と2階に分かれていて、ほとんどの人が2階へ上がりました。カモメの餌付けができますが、小生はパス。松島湾に較べるとカモメの数が少なく、あまり迫力はありませんでした。最後は「日本名水100選」にも選ばれている柿田川湧水へ。。日本最大級の湧水量を誇るそうです。ペットボトルでお持ち帰りも出来るようですが、荷物になるので遠慮しました。このあと沼津ショッピングパークでお買い物。なぜか食べるラー油がありましたが、まったく興味がないので素通り。19時30分、無事新宿へ帰ってきました。先月の霧ヶ峰ビーナスラインと同じく、小雨と霧と曇天で、絶景とは縁がない日帰り旅でした。どうも富士山には嫌われているようです。いや自分では気が付かない悪天候男なのかもしれません。はとバスは久しぶりですが、添乗員とガイドがいて、移動中にその地域の故事来歴などの説明をしてくれました。これは面白く、勉強になりました。往路と復路の2回、お茶が出たのもはじめてです。乗降するとき、タラップの先に踏み台を置いてくれたのも点数が高いです。この種のツアーはお年寄りが多いので、こういう配慮は他の会社も見習ってほしいものだ、と感じました。天候を除けば、ほぼ満足が出来るツアーでした。いつも裏切られるバイキングですが、今回は及第です。相変わらずビールが高いですが。
2010年08月10日
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暑さに負け、ブログの更新が滞っています。怠慢というか、無気力というか、意欲が湧きません。残暑もきびしいようですが、秋の気配が近づけば、気力も回復するでしょう。月曜日は駿河湾のクルーズへ行って来ます。その報告は火曜日頃。
2010年08月08日
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100歳以上のお年寄りはどこに。都内最長寿のはずだった男性が、実は30年前に亡くなっていた、という事件を発端に、所在不明のお年寄りが全国に点在していることが明らかになりました。この人たちが長寿大国ニッポンの統計にどれだけ貢献していたかわかりませんが、外国のメディアは、長寿大国の崩壊と報じているところが多いようです。今の仕組みでは「死亡届」が提出されない限り、公的機関は生死をつかめません。希薄になった家族や地域のつながりが、「長寿社会」を足元から揺るがしているようです。 死亡届は親族らが記入欄に必要事項を書き、(1)届け出人の住所(2)死亡者の本籍地(3)死亡地--のいずれかの自治体に提出します。親族がいない場合は、アパートの大家や管理人、病院の院長らが届け出人となります。孤独死などで死亡届が提出されない場合、近くの住民らが気づいて役所や警察に連絡が入らない限り、確認のしようがありません。核家族化と肉親愛、隣人愛が薄れた結果、現代の老人は人知れず黄泉の国へ旅立つしかないようです。
2010年08月05日
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埼玉県秩父市の防災ヘリコプター墜落事故の現場を取材するため山に入った日本テレビ報道局の記者2人が1日午前、心肺停止状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。女性の滑落事故、それを救助しようとした防災ヘリコプターが墜落...。7月下旬に"二重遭難"が起こった地を訪れた記者とカメラマンが、"三重遭難"したのです。スクープを狙うジャーナリズムが裏目に出てしまったのか。2人は、7月31日午前6時半ごろ、日本山岳協会ガイドとともに秩父市大滝の林道から入山。ガイドが「水が冷たく、軽装で危険」としていったん3人とも引き返したのですが、記者の2人は再び入山。しかし、2人は戻ることはありませんでした。最悪の三重遭難事故になってしまったのです。2人は沢登り用シューズを履き、災害携帯電話、無線機などの通信機器を所持していたが、発見時の服装は2人ともTシャツ、ジャージー姿だったそうです。7月24日午後に滑落して滝つぼに落ちた女性(55)を救助するため、25日に出動した埼玉県防災ヘリが墜落したのは標高約1100メートルの山中。最も近い登山口から徒歩で4、5時間かかり、登山経験者でも容易に立ち入れない場所でした。県警は報道各社に取材を控えるよう求めていました。特ダネをものにしようという功名心が、今回の悲劇を生んだようです。
2010年08月02日
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