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金曜日早朝に東京に出かけ、あまり重要でもない仕事(椅子に座っているだけ)をこなし、ホテルにのんびり1泊して、土曜日は丸1日東京遊びだった。といっても、美術館巡りである。たまたま、是非見たいと思うような展覧会がいくつか重なっていたのはラッキーだった。 しかし、愚かなことに、ホテルで文章書きをするつもりになって、ノートパソコンと参考にする本を2冊ほど詰め込んだので、けっこう重い鞄をかかえて歩き回る羽目になった。結局、1行どころか1字すら書くことはなく、20分ほどネットチェックしただけのPCだった。元鍛冶丁公園の集会。(2013/9/27 14:25) 疲れのせいでぼんやりした頭のまま、元鍛冶丁公園に着いたときには集会は終わりかけていた。デモで何度も見かけた顔が多いのだけれども、不思議なことに、見知らぬ顔もたくさんいるように思えた。 最近は、新しい(初めての)参加者というのは減っているのは確かなことで、それなのに新しい顔がたくさんと思うのはどういうことだろう。老いた脳というものは、記憶がしょっちゅうリセットされるのかもしれない、などとうだうだと考えながら、デモに出発である。脱原発のことは上の空なのであった。元鍛冶丁公園は飲み屋街「国分町」の傍。(2013/9/27 14:35) 次ぎに考えていたのは、写真のことである。まったく同じコースを先週は夜に歩き、今日は昼に歩くのである。夜の写真と同じ場所で、昼の様子を写してみようなどと考えたのである。国分町通りを横切る。(2013/9/27 14:36)稲荷小路も横切って。(2013/9/27 14:37) 昔、よくうろついていた盛り場を昼間通りかかると、じつに薄汚く、自堕落な感じがしたものだった。見てはいけないものを見た、という感じだった。 今の盛り場は、明るい真昼に通りかかってもこざっぱりしていて、ほとんど落差は感じない。とてもきれいなのである。盛り場にはもう「人生」はなくて「消費」があるだけなんだ、などという感想を抱いたりしながら、口ではシュプレッヒコールに口を合わせている。「井ヶ田茶舗」。(2013/9/27 14:49)一番町、「藤崎」前。(2013/9/27 14:52) 日曜日の一番町は人出が多い。「お茶の井ヶ田」の店頭には行列ができている。並んで買うようなお茶屋さんの品物がなんなのか、私には見当が付かない。 藤崎を過ぎる頃、足がかなり重くなってきて、気がつくとぼーっとしていてシュプレッヒコールの口も動いていないのだった。こんなふうにどんどん体力がなくなっていくのだ、というのが今日のデモの総括なのだった。青葉通り、「ダイエー」前へ。(2013/9/27 15:04)
2013.09.29
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元鍛冶丁公園に集まる人々。(2013/9/20 18:33) 今日のデモの集合場所である元鍛冶丁公園は東北一の繁華街と呼ばれている国分町のすぐ傍にある。警察活動を取材するTV番組で繁華街の大交番としてよく紹介される「国分町交番」は、この公園の隣である。 だから、風紀紊乱にして安全、という奇妙な公園なのだ(政府の原発政策に絶対反対と主張しているこの集会の参加者にとって安全かどうかは微妙だけれども)。元鍛冶丁公園は飲み屋街「国分町」の傍。(2013/9/20 18:49) まだずっと若かった頃、毎晩のようにこのあたりを徘徊しては飲んだくれていたのだが、もちろんその頃の街の面影はほとんどない。 昔は、一番町から国分町を越えて、この元鍛冶丁公園なんかには怖くてとても来ることはできなかった。今では東北最大の繁華街と言われる国分町ですらそんなに飲み屋はなくて、隣接する狭い稲荷小路が中心だった。 あの頃は、じつに大勢の人と知り合いになり、そしてそのまま別れていった。友だちづきあいにマメでない私にとって、それっきりという人が多く、今でも連絡が取れているのはきわめてわずかなのだ。 人はどうなのか、誰でもそんな風なのかは分らないけれども、戻せない人生はそのまま受容するしかない。じつは、それが幸なのか不幸なのか判然としないけれども、私は私の若い頃を懐かしむという感情がほとんどない。若くて愚かだったこと思い出して叫び出したくなるほどの恥ずかしい感情に襲われることがしょっちゅうあって、懐かしむどころではないのである。国分町通りを横切る。(2013/9/20 18:56) デモは、元鍛冶丁公園を出発してすぐに国分町通りの繁華街を横切る。道端には客引きなのか案内なのか黒い服を着た男女が立ってデモを眺めている。 そういえば、先日、このあたりでしつこい客引きが二人逮捕されたというニュースがあった。仙台は精神性においては圧倒的な東北の田舎だと思うが、そういう点でだけは東北の田舎ではないということらしい。稲荷小路も横切って。(2013/9/20 18:58) 国分町通りを横切ってすぐに、稲荷小路を横切る。国分町通りには、バーやクラブが入ったビルが林立しているが、稲荷小路は平屋から二,三階建ての建物が多くて、すこししっとりした感じの飲み屋街になっている。 とはいえ、内実がどうなっているかは、外でほとんど飲まなくなった私には知る由がないのだが。一番町、老舗の「井ヶ田茶舗」前。(2013/9/20 18:12) 稲荷小路から一番町までもあっという間である。国分町通り、稲荷小路、一番町通りは南北に平行に走っているのである。 仙台の繁華街の店舗のほとんどは中央資本だと、知り合いの郷土史家(趣味なのだが、いちおうそう呼んでおく)が嘆いていたことがあったが、「お茶の井ヶ田」はその例外のひとつ、一番町に店を構える仙台の老舗である。 正月2日の初売りには大盤振る舞いをして、とくに茶箱は人気の的で、暗いうちから客が殺到していた。これもまた昔の話で、現在の初売りがどんな具合なのか見当がつかない。そういうことに興味を失ってからだいぶ久しいのである。一番町、「藤崎」前。(2013/9/20 19:15) 「藤崎」デパートも昔からの仙台のデパートである。二つの大きな繁華街、南北に走る一番町と東西に走る中央通りの交差するところに立地していて、仙台の街の真ん中という印象である。青葉通り、「ダイエー」前。(2013/9/20 19:27) 「藤崎」の角を曲ると青葉通りである。つまり、「藤崎」は一番町通りと中央通りと青葉通りに面しているのだ。しかし、歩行者専用の一番町や中央通りに比べれば、青葉通りの人通りは圧倒的に少なく、デモを歩く身としては、やや張り合いが減少する。 東二番丁通り(大通り)を横切るときは、いつも信号が赤になってしまい、デモが渡り終えるまでお巡りさんが車を制止していてくれる。80人から100人というデモの列が1回の青信号で大通りを渡りきるのは難しいが、かといってデモを分断するほどの長い列ではないという判断なのだろう。 大通りの向こう角には「ダイエー」がある。妻がしばしば自転車で買い出しにやってくる店である。「ダイエー」前の青葉通りの地下には大きな公営の駐輪場がある。 「ダイエー」の隣が仙都会館で、ここでデモはいつものように流れ解散をする。「ご苦労様でした。」 見知った顔があればそう言い、いなければ胸の中で呟いて、いつものように急ぎ足で帰るのである。
2013.09.20
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昨年(2012年)の7月に始まった「脱原発みやぎ金曜デモ」に参加するようになってから、朝日新聞の「朝日歌壇・俳壇」に掲載される投稿短歌や俳句の中から、原発事故に関連したものを抜き書きしている。 最近、原発事故に関連する短歌や俳句がめっきり減ってきた。新聞の投稿欄なので、そのときどきの季節やトピックにふさわしい歌や句が選ばれやすいだろうから、それはそれで仕方がない。 マスコミ・ジャーナリズムは事件や事故を「風化させてはいけない」と言いつのるが、真っ先に風化させているのは、新しい事件や事故、目新しい風俗や風説を追い求めているマスコミであり、そのマスコミの言説をそのまま受け止めているマジョリティの大衆(の一部?)であろう。そういう人々をネグリ&ハートは「メディアに繁ぎとめられた者」と呼んで、権力に支配され虐げられている主体形象の一つにあげている [1]。 しかし、生まれた土地を放射能で汚され、避難せざるを得なかった人々、放射能被爆に日々怯えて暮らすしかない人々にとって「風化」などあろうはずがない。 抜き書きを思い立った2012年7月から前、原発事故までの期間の「朝日歌壇・俳壇」には沢山の関連した歌や句が掲載されているのは当然で、いつかそれらを抜き書きしたいとずっと思っていた。 しかし、古い新聞は捨ててしまっているので、図書館で縮刷版で調べるしかない。図書館の机に拘束されている自分を想像するだけで少しばかりうんざりしてしまって、ずっと放っていたのだが、この水曜日の午後、なんとかとりかかることができた。 ハンディスキャナーとOCRソフトでノートパソコンに直接読み込めば楽勝と思っていたのだが、縮刷版の文字が小さすぎて文字変換の成功率が異常に低い。直接打ち込む方がずっと早いのだが、ど近眼でなおかつ老眼の身にはこれまた楽な作業ではないのだった。2001年3月と4月分から拾い出すのに3時間かかってしまった。 とはいえ、始めたものは途中で投げ出せない。拾い出し、抜き書きを続けていけば、私にも何か別の風景が見えてくるかもしれない、そんなことを期待しているのである。久しぶりの勾当台公園野音前。(2013/9/13 18:24) 「脱原発みやぎ金曜デモ」が始まった頃、脱原発デモを詠った歌や句がたくさん投稿され、たくさん選ばれていた。炎天に我もとぼとぼ蟻のごと脱原発を唱えて歩く (三郷市)岡崎正宏 (2012/8/6 永田和宏選)炎天の「さらば原発集会」に出たき八十路の思いよ届け (東京都)峰岸愛子 (2012/8/6 佐佐木幸綱選)原発の再稼働否(いな)蟻のごととにかく集ふ穴あけたくて (長野県)井上孝行 (8/20 佐佐木幸綱選)一〇〇円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷 (神戸市)北野中 (8/20 佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏選)原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと (秦野市)森田博信 (8/20 佐佐木幸綱選)国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に (埼玉県)小林淳子 (8/20 高野公彦選)身分明かす物持たず行くデモでなく気軽でもないパレードを歩く (日野市)植松恵樹 (8/27 永田和宏選)「故郷」の唄を歌いて人々は明り灯して国会包囲す (東京都)白倉眞弓 (8/27 永田和宏選)国会を包囲し気付けばお月さま明るく静かに見守っている (町田市)北村佳珠代 (8/27 佐佐木幸綱選)脱原発の人犇(ひし)めきて蓮開く (旭川市)河村勁 (7/23 金子兜太選)雨上がりでベンチは濡れていた。(2013/9/13 18:32) そして、避難先で、あるいは放射能汚染の地で生きなければならない日々を詠った切実な歌や句も散見されるのだ。兀兀(こつこつ)と人生きるなりふくしまの重いひき臼しずかにまわし (福島市)青木崇郎 (2012/10/22 佐佐木幸綱選)みちのくに人は還らず秋刀魚焼く (横浜市)永井良和 (2012/10/1 金子兜太選) 私は、私の住む仙台から福島までのその距離感でしか事象を見ることができない。投稿された短歌や俳句は、日本(世界)の至る場所、そして福島のど真ん中そのものから見たフクシマを指し示しているにちがいない。そのような眼差しや感情をいくぶんかでも我が身に取り込めたら、図書館での苦行も救われるだろう、そんな淡い期待を抱いているのである。デモ出発前。(2013/9/13 18:46) さて、久しぶりの勾当台公園野音前集合のデモである。どういうわけか、参加した人たちは写真に写りにくい微妙な暗がりの方に多く偏っている。 撮影技術など皆無の私は、コンデジでやたらに写して、まぐれ当たりの写真を後で選ぶしかないのだ。フラッシュを焚けば近くだけが強調されて、場所感が薄い写真になってしまう。一番町を行く(1)。(2013/9/13 19:01) 今日は久しぶりに沢山の子どもたちが一緒に歩いている。一人がシャボン玉を次々吹き上げていて、後から続く大人たちがシャボン玉にじゃれている。「シャボン玉飛ばしデモ」も楽しいかもしれない、日曜昼デモではとくに。一番町を行く(2)。(2013/9/13 19:02)一番町を行く(3)。(2013/9/13 19:03) [1] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲、清水知子訳)『反逆』(NHK出版、2013年)。
2013.09.13
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私は、たいてい朝の3時から4時くらいに目覚め、それから本を読んだりしながら時間を過ごし、6時くらいに犬と一緒に朝の散歩に出る。早く目覚めるのは、前夜の夕食時の酒の酔いで早々に寝てしまうからである。 若い頃、酒を飲んだ勢いで寝てしまわないと、一晩中まったく眠れないということがしばしばあった。つまり、酒は不眠症対策でもあったのだ。それが習慣になった。ただ、朝早く目覚めた後はそれほど楽しい時間ではなかった。これから始まる1日への何ともいえない不安、未来(将来)への不安のような感じがあって、そんな神経症的な感情をもてあます時間でもあった。 いまはそのような神経症的な気分はない。そんな習慣が残っているだけで、長い「かわたれどき」に頁を繰って淡々と本が読めるのである。時として読んだ本の書評のようなことを書いてブログにアップしたりする。 いまや、今日という一日は、昨日とまったく同じような一日だろうということが、身に染みているのである。それはそれで問題なのだが。何も起こらぬと決まった一日の暁ほどに切ないものはない。無用である以上に、切ないものはない。疲れた空に星がひとつ青ざめて懸かっている、暁に怯えて。 チェーザレ・パヴェーゼ「北の星」 部分 [1] 脱原発デモも当初はいくぶん非日常性を帯びていて、朝目覚めて一番にデモのことが浮かんだりしていたが、最近はそんなこともない。週一とはいえ、何でもない日常の一コマとして過ごしている感じである。これもまた、これはこれでいいのか、という感じがする。東北大学片平キャンパス北門前。(2013/9/6 18:38) 今日のデモは、東北大学片平キャンパス北門前からである。ここは三〇年以上も通った勤務場所だった。歩いて通っていたのだが、そのときのいくつかの通勤経路の一つを辿ってみた。次の北門前集合の時は別のルートを辿って歩いて見よう、などと考えながら北門前に着く。デモの出発を待つ。(2013/9/6 18:39) 今日のデモは集会を持たずにそのまま出発するので、三三五五集まってきてはそこここで待機している。いつもより人は少ないと思っていたのだが、デモに出発する段になると、暗がりからたくさんの人が出て来る。一番町アーケード街の灯りが(南町通り手前)。(2013/9/6 18:56) デモのルートは、五橋通り、南町通り、青葉通りを越えるように一番町をまっすぐ北上して、広瀬通りに出たら左折して西に進み、晩翠通りを左折して青葉通りに出るように一周してふたたび青葉通り一番町交差点を経てそのまままっすぐ東二番町通りを越えて仙都会館前で流れ解散となる。勾当台公園や錦町公園を出発するデモより少しばかりコースが長い。明るいアーケード街。(2013/9/6 18:58)晩翠通で信号待ち。(2013/9/6 19:23) デモはいつものように元気に進む。ぐるっと周回してさっき通った青葉通りと一番町の交差までくると、3、4人の人がデモを待っていてくれて、声を合せてくれる。 一番町を過ぎてすぐに、私から少し手前の列に10人ほどの若い女性が加わってデモに参加した。東京からの学生さんたちだということだった。 旅先で、デモに参加するのはちょっといいな、そう思える出来事である。今の私は旅に出ることは滅多にないのだが、もしそんなチャンスがあったら是非やってみたい。「旅先でデモをする」って、きっと印象深い旅になるだろう、そんな気がする。青葉通、ダイエー仙台店前。(2013/9/6 19:38) いつもより長いデモだったので、いつものバスの時間は過ぎてしまった。バス停に着くと次のバスまで8分。待ち時間が10分を超えたらきっと歩き出しただろうが、微妙な長さの8分を待つことにした。 暗い道を自宅に辿り着き、玄関を入って靴を脱ぎながら、「あれ、晴れていたかな?」、なぜかそんなことが気になった。玄関ドアを開けて仰いでみると、暗い曇天であった。見あげると 空に星があった星があったことよりも見あげる ということを思いだしたそのことに涙ぐまれた 新川和江「見あげると 空に……」部分 [2] そんな詩を思いだした。叙情的と言えば聞こえは良いが、ちょっとナルシシスティックで感傷的な詩ではある。それでも私はこの詩が好きなのだ。そんな私に、敬愛する詩人の一人、石原吉郎がちゃんと次のようなエクスキューズを用意してくれているのだ。一つの感傷によって、数々のふるい感傷を忘れることができるなら、私の感傷も多少は新しいはずだ。 石原吉郎 [3] [1] チェーザレ・パヴェーゼ(河島英昭訳)「パヴェーゼ文学集成6」(岩波書店 2009年) p.185。[2] 新川和江「詩集 『春とおないどし』抄」『新川和江全詩集』(花神社 2000年)p.401。[3] 石原吉郎『望郷と海』(筑摩書房 1972年)p. 189。
2013.09.06
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