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内閣府の園田康博政務官は31日、政府・東京電力の統合対策室の合同会見で、福島第1原発5、6号機から出た低濃度汚染水を浄化した処理水について、「安全が確認されている」と述べ、処理水を飲んだ。政治家たるもの、そうあるべきだ。低線量被曝についての今の風潮は、個人的には目に余ると思っている。除染というが、除染した土はどこへ持っていくの?問題先送りで、余計なお金だけ使う今の民主党のやり方はポピュリズムだ。だからこそ園田政務官には、敬意を表す。私たちは低線量被曝とともに生きる。3年5年で解決はつかぬ。***とはいえ...旅先でお世話になった方、知人の誕生日祝いに差し上げたワイン調達はPower Larksなのだ自家消費はかまわぬのだけど、差し上げたあとで気づいた...どうしよう...(内部被曝はしないはずなので、実際には問題は生じない)お知らせした旅先の知人から、返事があった。「輸入品だし、ボトルに入ってるから心配ないよ」よかったほかの方々にもご理解いただければ...Power Larksできてから、あそこで買ったワインは大量に飲んでる。いろんな方に差し上げてきた。皆さんにおわびせねば...なのだろうか?低線量被曝について、ばかばかしい論議はもうやめにしないと、このままでは、何も飲んだり食べたりできなくなる。
October 31, 2011
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2011年は、1911年から100年。1912年が大正元年だから今年は大正100年でもある。前年1910年は日韓併合。大逆事件。その大逆事件の処刑であけた1911年には、関税自主権の回復(不平等条約の撤廃)、普通選挙法の可決、中国の辛亥革命...2011年はそれらのことの100周年でもある。1911年におこったことは、こちらご参照1911年2月1日、大逆事件処刑に憤り、千歳村粕谷にあった徳富蘆花は、第一高等学校で咆哮した。その草稿が謀叛論として今日残る。明治が終わった頃、日本は大きく、急速に変貌していく。日露戦争が1904年、1905年。世界の強国ロシアと互角に戦い、国際社会にその存在を示し、条約改正を勝ちとった。開国以来の半世紀、日本の悲願であった条約改正は1911年、大きくメルクマールだったはずだ。悲願のはずの改正は、日清日露戦勝の影にかくれ、雲散霧消したかの如き扱い。実際、当時の雰囲気はそうだったのかもしれないし、世界の強国として認められた日本にとって、不平等条約など、触れたくも無い過去の恥部ということか。だが、今日、そのことを指摘する人を聞かぬが、それまで不平等条約改正に向け、努力を重ねた世界の優等生日本は、この時期を境に一気にお行儀の悪い国へと変貌している。(もっとも、僕は、日韓併合は必ずしも侵略意図から出たものではなく、評価には時間がかかると思っている)条約改正、第一次世界大戦による欧州列強の弱体化、債務国から債権国へと変貌する日本...対支21カ条要求、シベリア出兵...大逆事件は、「急速にお行儀の悪い国と化しつつあった日本」の傲慢さが、国内に現れたものかもしれぬ。今日の我々からすると、開国から明治の終わりまでは、あっという間のように思いがちだ。実際には、半世紀以上。一方、明治と大正、そして昭和は全く違う時代のようにも思う。事実は、明治44年が1911年。翌1912年が明治45年=大正元年。昭和元年が1926年だから、明治から15年で昭和になっている。明治の終わりから昭和の敗戦までとて35年弱。元号のマジック。明治の人が二世代にわたり、やりたいこともやらずに我慢した条約改正。条約改正が実現し、タガがはずれたとき、日本はハメをはずした。日清日露の戦役で、日本の軍隊はよく国際法を順守したと言われる。そのことを誇りとする記述を、今でも目にする。しかし、それは、昭和において、軍に限らず麻のように乱れた。他者の言を聞かず、国際連盟を脱退。敢て孤立の道を選び、潔しとした。もはや、誰にも遠慮することなく、自分の言いたいことを言い、やりたいことをやる。明治維新から1911年=条約改正まで45年条約改正から敗戦まで35年知らぬうちに、我々は敗戦への折り返し点をまわっていた。かの年も激動。今年も激動今年起きた(起きる)いくつかのことが、未来において、不幸の原点と言われぬことを願う。
October 30, 2011
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世田谷区は28日、同区八幡山1の歩道脇の地表部分で毎時約110マイクロ・シーベルトの放射線量が測定されたと発表。さらに、文部科学省は29日未明、最大で毎時170マイクロシーベルトの放射線量が計測されたと発表した。パワーラークス前の歩道。原因物質は特定できていないが地中に埋まっている可能性が高いため、東京電力福島第一原子力発電所の事故とは関連が低いようだ。***かつてそこは、共同組合短期大学の敷地だった。沿革はこちらそれらによれば、今の土地の北側に短大の前身である「産業組合中央会付属組合学校」の寮ができたのが、1929年(昭和4年)という。立志社の敷地は、それほど大きなものではなく、パワーラークスの東北端、共同組合短大の石碑が置かれている駐車場あたり。学校所在地はいろいろ転々としたようだが、1954年(昭和29年)、立志社の敷地を拡張し、本館・校舎・図書館・第2寮を建設し移転。パワーラークス前歩道のあたりは、グラウンドの北側で、東西に長い建物が建っていた。特に放射線とはご縁の無さそうな学園。唯一、戦後しばらく東京農業大学博物学教室に同居していたとある。鉱物標本など、そちらから移転したものがあり、放射性物質が、学園移転時に放置された?何が原因とは分からぬものの、こちらがそうなら、世田谷で福島原発事故とは関連しない高放射線量地点が2か所目。厳密に測れば、その程度のものは、結構いろんなところにあるんではないか?***「なーんで世田谷ばかり、こういうのが出るの?」「世田谷は広いし、多くの人が住んでいる。測定する機会も多い。1920年代から軍需工場の下請けがあったり、宅地化してたりで、放射性物質の管理がずさんな時代に、いろんな経緯で、放射性物質が持ち込まれる環境があったのかもしれない」「原因は何かしら」「弦巻は蛍光塗料用のラジウムだったよね。台湾では、コバルト60が混入した鉄筋を使って建てられたアパートの住民が被曝したという。日本でも放射性物質の管理は、存外いいかげんだったし、そういう海外からいろんなものが混入した鋼材などが輸入されて使われている可能性も否定できない。いろんなケースがあるから一概にはいえない」「パワーラークスは営業できるの?」「気の毒だが、原因が判明し、除去されるまでは、営業停止だろうなぁ。だいいちお客さんが行かないんじゃないか?」「商品は汚染されないの?」「放射線源が飛び散るとかでなければ大丈夫だが、短絡的に廃棄とかバカなことになりかねない。もっとも、どこでどうやって処分するかが問題だ。本当は線量測って、問題ないとすればいいんだろうけど」「貰ってこれないかな?」「放射性物質拡散を防止するという観点から、原因が分かるまでは、販売も移動もできないだろう」「なんかバカバカしいね」「昨日まで、何もなかった場所が、数字を測っただけで危ない場所になる。不条理だな」
October 29, 2011
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「最近へーベルハウスでアパート建てる人が多いね」「あぁ」「したらね。30年一括借り上げシステムってのがあるんだって」「ふーん」「皆さんそれ使ってらっしゃるのかしら?」「そうかもしれないね」「30年一括借り上げって、お金借りなくても大丈夫なの?」「さぁ...お金はいずれにしても借りるんじゃないかな。やり方がいくつかあって選べるようになっているかもしれない」「たとえば?」「旭化成が、建築協力金のような形で、建設費の一部、若しくは全額を預託して、賃料収入から返済額を控除して家主に支払うとかだね。自己資金のある人は、借金を少なくして、収入を多くとることができるとか」「一階をお店にすることなんかできるの?」「さぁ...へーベルハウスにお店併設パターンがあれば、物理的には可能だろうけれど、30年一括借り上げは住宅だけが対象で、店舗はダメのような気がするね」「どうして?」「店舗は立地に左右されるし、業種選定の自由度、営業権の問題があったりで、マスプロダクト的な商品には適さないように思う」「ウチは可能性あるの?」「さぁ。僕らがほかに住むところがあれば可能といえば可能」「慧(息子)が文句言わないかしら?」「さぁ。まずは自立しないとね。会社が家賃出す会社だから、若いうちはいいんじゃないか」「30年間一括借り上げって家賃はどれぐらいになるのかしら」「さぁ。家賃保証だと、言い値家賃の5割から7割ぐらいかなぁ。場所による。そんなに楽な商売にはならないと思うよ」「駅から遠いところはつらいかしら?」「経堂だと、多少駅から遠くても、取り組みは可能だろうけれど、あくまでもアパートだから、徒歩10分ぐらいが目処じゃないかい。もっとも、奥でもバスが使えるところならいいだろう。南側なら世田谷通り出て、三軒茶屋までバスってのもある」「古くなると、家賃下がるよね」「そうだ。だから30年だ」「一回は大修理が必要だね」「そうだね」「これから、どんどん増えて競争が激しくなるんじゃない?」「ワンルームは厳しいと思う。ファミリータイプはそうでもないかも」「マンションなんかいっぱいあるわよ」「ファミリータイプのマンションは、1970年代後半から大量供給がはじまった。耐震性とかいろいろな課題がある半面、特に分譲型の場合、権利調整が難しくて建替えが進まない。都心に近い便利な場所では、もはや建替え以外に大規模開発の可能性は少ないから、50平米4-6戸程度の物件はいいんじゃない?それに、旭化成にしても場所が集中してたほうが管理し易いから、桜上水で物件があれば、まだまだ増やすと思うよ」「旭化成でいいのかしら?」「住宅専業、不動産系より個人的には好感がもてる」「どうして?」「メーカーだからかなぁ?よくわからない。はっきりした根拠があるわけじゃない」
October 28, 2011
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北杜夫さんご逝去の報に接し、思いだしたのが羽根木公園。北さんゆかりの青山病院(のちの梅丘病院)は1926年かの地に移転し、北さんは翌1927年、当時代田にあった斎藤茂吉二男として生まれた。北さんはのちに、ふたたび東松原にお住まいになり、近くにあった羽根木公園が、かつての根津山であることにお気付になったという。いくつか思いつくところがあり、メモをしておく。***青山病院が移転してきた頃、まだ小田急は開通せず、最寄駅は玉電(現世田谷線)の山下だった。玉電開通から戦後しばらくまで、赤堤通りの踏切のところに「六所神社前」という駅があったので、そちらが最寄り駅でも良さそうなものだが、その頃は、まだ赤堤通りは開通していなかったのだと思う。青山病院(梅丘病院)は松原六丁目にあった。根津山(羽根木公園)は代田である。根津山は通称で、東武の根津さんの持ち物だったと伝わる。一方、根津山は、さらにその前は六郎次という鍛冶屋が住み、六郎次山と呼ばれていた。戦前から戦時中は、軍の出先があり、民間のものとは異なるしっかりした防空壕があったいう話しを伺った。としてみると、羽根木公園は、軍が根津さんから接収したものなのだろうか?根津さんは、松原に別荘を持っていた。その名残が、一部だけ残っていて、それは、松原の六丁目にある世田谷百景松原のミニいちょう並木。旧梅丘病院の裏側にあたる。青山脳病院は、その名の通り、青山にあったものだが、それが火災に会い、松原に移転したという。脳病院が青山にあったのは、王子グリーンヒルアパートメントの場所。そこは、根津さんゆかりの根津美術館からすぐの場所である。なぜ、青山病院跡地に「王子」という名前があるのだろう?王子といえば、王子製紙。王子製紙前身の一つに富士製紙なる会社があり、ここの経営者穴水要七は、根津嘉一郎と同じく甲州財閥。邪推、憶測、妄想が拡がる。被災した青山病院の土地を買い取り、松原への移転を斡旋したは、甲州財閥ネットワークだったのではあるまいか...梅ヶ丘病院から、羽根木公園にかけての一帯は、かつて北沢窪といった。上北沢、下北沢の北沢。北沢川、北沢用水沿いにあたる。北沢警察署、北沢税務署の北沢は、北沢窪の北沢だ。その一帯に根津さんがあり、そこに青山脳病院が誘致されてきた。さきに、羽根木公園は代田だと書いた。もともとは、代田の北にある羽根木の飛び地。しかも、その一部は松原6丁目である。根津さんはいつから、このあたりの土地を所有していたものか?おそらく、明治の末から昭和の初期においてであると思う。そのあたりの謄本を調べれば、そのことは分かるのだろう。僕の疑問は、根津さんがこの地を所有なさったのが、その時期であるとして、果たして、何の脈絡なく、縁もゆかりも無い土地を入手したのかである。甲州財閥とは何か?なぜ、山梨という土地から、あのような投資家、企業家集団が現れたものか?僕は、甲州財閥形成の一番の背景は、渋沢栄一もそうだが、明治維新によって徳川幕府が解体され、その支配下にあった人材と財力が、民間に開放されたところにあると思う。根津さんは、山梨市の出。青梅街道につながる雁坂道の沿道で、甲州街道にもほど近い。世田谷と甲州は、甲州街道でつながれ、甲府勤番が往来した。たとえば、船橋村を知行地としていた山本勘助縁戚とつたわる山本家が、甲府勤番在任中の事件に関係したことが記録されるなど、世田谷一般に、甲州、武田家と関係するお宅は多い。今日、無縁に見える二つの土地は、20世紀初頭までは、案外強く結びついていたのでは?小田急電鉄、及び、その親会社鬼怒川水力電気の創業者利光鶴松は、大分の出身。甲州財閥は、電力とか鉄道に多く出資していたし、同じ議員仲間でもあるから、小田急も甲州財閥とのかかわりがありそうだ。世田谷区成立の頃、甲州財閥支配下となった京王電気軌道社長は穴水熊雄。この人は、桜上水、蘆花公園などの命名者でもある。穴水要七の縁戚ではなかろうか?
October 26, 2011
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円戦後最高値 北杜夫死去 2011年10月26日 「1ドル=75円73銭...戦後最高値かぁ」「戦後って、戦前はもっと高かったの・」「まぁ、戦後は新円だからね。同じ通貨かどうかという問題はある」「北杜夫さん亡くなったのね」「23日に講演会出てって言ってるから、ぽっくり逝ったんだ」「2日間ぐらい。まぁよかったとも言えるのかな?」「親の七光の部分もあるんじゃない?」「才能はおありなんでしょう。だけど、斎藤茂吉の評判が今一つなのは北杜夫がよく言わなかったせいがあるんじゃないかなぁ」「あなた昔よく引き合いに出したわよね」「さびしい王様の時期だな」「おっぱいが呼び鈴になる女とか、おっぱいが5つある女とか。おっぱいばっかり。ばっかじゃないの?」「俺のせいじゃない。あなたと北杜夫が悪いんだ」「どうして私が悪いのよ」「女でおっぱいがあるからだ」「あんたたち。忙しいんだから、朝からそんな話ししてない!」
October 26, 2011
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「こないだ不眠症の講座へ行ったんだ」「へぇ。寝れないんだ」「話し聞いてるうちに、ノンレム睡眠を1時間やったらレム睡眠4時間分ぐらいになって、一日に寝るのは一時間でいいとか、なーんだこんな講座いいかげんなんだなんだとか考えてるうちに眠くなってしまった」「つまんねぇ話しほど、よく寝れる。俺テレビ見てると寝ちゃうんだよね。特につまんないドラマ」「その講座で聞いたんだけど、一番寝る時間が少ない動物は何だか知ってる?」「さぁ...小さい動物のほうが寝る時間少ないように思うんだけど」「そうね。敵を警戒しなきゃなんない動物のほうが寝る時間少ないように思うんだけど。実は馬なんだって。2時間ぐらいしか寝ないんですって」「へぇ」→動物の睡眠時間「どうして寝れなくなっちゃうの?」「やらなきゃいけないことがあると、それがプレッシャーになって」「俺なんか、何かやんなきゃいけないことがあるほどよく寝れる。明日の朝までにやっとかなきゃいけない仕事を家に持ち帰ったときなんか、もう、それはよく寝れる。しょうがないから、朝の5時ぐらいに起きて、必死になってやっつける。そんなことずーっとやってきた」「不眠症の夢ってのがあって」「なにそれ?」「いつまでたっても寝れないんだ。ほんとに寝れないときとまったく一緒」一晩中寝れず、まんじりともしない。朝になっても、寝不足でまぶたが腫れてひどい状態なのだが...「えっ?何言ってのよ。一晩中いびきがひどくて、寝れなかったのはこっちだよ」「....」
October 23, 2011
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来月末に、大阪が知事と市長のダブル選挙になる 橋下という知事が、大阪府と大阪市の一体化を訴え知事を辞任、折から予定されている市長選に打って出る 東京23区って大阪府+大阪市より効率がよいと、東京都世田谷区民である僕は思うのだが、 大阪府を大阪都に、と東京都と同じような体制をとるという。 今の市議に替って区議、一人の大阪市長に替って複数の大阪都〇〇区長の人数が増えるだけのような気がする。 知人から旅先へ連絡があった。 立候補を考える人があり、手伝えという。 これ大変なんだよな。 各マスコミ、経済団体、市民団体などからの、膨大な質問に答えねばならない。 特定政党に支援を頼めば作業からは逃れられるが、この時期の政党頼みは、「自分」を主張する眼目を失い選挙戦の中に埋没する危険がある。 質問者それぞれに思惑があり、答えによっては、こちらの手のうちを明かし、或いは、将来の地雷がしかけられ、戦わずして排除される。 たとえば、 「市民が安心して暮らせる安全なまちにしていくために具体的施策を示して下さい」 と質問があるとする。 質問に答えるには、市民の安心、安全とはいかなるものかを自分で定義せねばならない。 無限定の安心、安全に応える財政の余裕がもはや無い中で、この質問にまともに答えることは、ばらまきを約束することにほかならない。 「道州制に対する考え方を示して下さい。道州制に賛成であれば今後の道州制へ移行の道筋と大阪市が果たすべき役割についてお答え下さい。その場合、関西広域連と「大阪市」「大阪市」の関係についてもあわせお答え下さい。道州制に賛成でなければ、その理由をお答え下さい」 この質問も危ない。 「道州制」は分かっているようで、明確に定まっていない。 賛否を言うには、自分なりの道州制を定義していかねばならない。 一方、答えなければ、定見なしとレッテルを貼られる。 とりあえず、帰路、メールで送られてきた膨大な資料を読み込み、帰宅後、過去の見解と矛盾せぬよう、NHK、関経連あたりの質問に答え、様子を見る。 幸か不幸か、週末は自宅。カミサンは長野へ出かけると言っていて、娘は「サーフィン」 (あのなぁ。婚姻届出すんじゃなかったのか?) しばらくは前さばき。
October 23, 2011
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下北沢5時とメールで約束した。3時過ぎ、別な知人から電話があり、大阪の件で、だいぶん長く話して4時をまわった。頭の中では下北沢5時なのだが、その時間のイメージは、いつのまにか6時になっていた。5時をまわり、そろそろ上がって、少し早目に下北沢と思ったところ、メール。途中でいいだろうと、駅まで歩き、駅の階段下でメールをのぞくと「どこ?」とある。「いかん!」そうだよ。待ち合わせは5時。6時じゃない。急ぎ電話をかけ、「ごめん。一時間間違えた。あと15分」今にはじまったわけじゃないが、これはボケではない?
October 18, 2011
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弦巻で高い放射線量が測定された。「最初、弦巻っていわなくて世田谷だけだったじゃない。あのとき、早くどこか言えよって思った」「測るからいけないんだ。測れば、結構、ああいう数字の場所ってあるんじゃないかな」「どうして高くなるの?」「さぁわからない。案外福島が原因じゃなかったりして。そこらへんの街の中にも、危ないものは結構存在していて、厳密に追究するのはどうかなぁってとこもあるんだ。不動産取引でも、クリーニング屋とか、ガソリンスタンド、メッキ屋なんかの跡地は、土壌汚染の検査して問題なしって照明がないと、売買できない」「私は喪服でも手で洗う人だから、クリーニング屋は関係ない」IARC発がんリスク一覧などご参照実際、弦巻の場合、原因は福島じゃなくて、放射性ラジウムが入った瓶が民家に放置してあったのを測定してしまったらしい。ラジウム鉱泉は身体に良いという人もあり、民間療法でラジウムが取引されたことがあるんじゃないだろうか?しばらく前に、岩盤浴って流行った。あのときもラジウム岩盤浴ってうたい文句にしてたのが、結構あったように記憶する。ラジウムだって、アルファ線出すし、発がん性はある。昔、時計の蛍光塗料に使われていて、すでに、その頃から発がん性の指摘はあったと思う。おふくろとか、ばあさんとか、怪しげな民間療法に手だした時期がある。ぼくんちの倉庫にもラジウムぐらい眠ってるかもしれない。一度放射線量測ってみるか。
October 14, 2011
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風邪をひいてしまい、せっかくのお天気に、家で寝て過ごすはめに。「あなた、毎年今ごろ風邪ひくんじゃない?早く医者行きなさいって言ってるでしょ」「君が、夏冬を入れ替えるハウスダストにやられるんだ。医者行って治るもんじゃない」「屁理屈言うんじゃないの。行って治らないなら私も文句言わないわ。行かないで、ごろごろしてるからうるさく言うんじゃない」「もう遅いさ。こうなったら、医者行こうが行くまいが、関係ない」「行ってみなきゃ分かんないじゃない」「自分のことは自分が一番良く分かっている」「ふん。何も分かってないで、毎年同じこと繰り返す。馬鹿じゃない?」「僕の気分損ねて何の利益があるんだい?」「だいたい貴方は、喉が弱いんだから」「鼻もね」「そう。粘膜弱いんだから。いい加減に自覚しなさい」「してるよ」「だったら、行動にあらわしなさい」***鼻水が固まってきた。咳はだいぶん良い。寝汗も午後はだいたい引いた。暖かくして、あと一晩寝れば、回復か?***今日は朝7時前と、お昼前の二回、体感できる地震があった。ここのところでは珍しい。そこで、3月11日の東日本大震災を予言したDutchsinseのホームページに行ってみた。地震については、10月2日が最新更新で、9月下旬の二週間、マグニチュード6.0以上の地震が、世界中で一回しか起こっておらず、全体としては、世界の地震はここ2週間は沈静化の傾向にあると思われる。但し、それが、眞の鎮静化であるか、或いは、次の巨大地震へ向けてのエネルギー蓄積であるかは、分からないとしている。とりあえず、彼は、今のところは、巨大地震を予測していない。
October 10, 2011
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10月の三連休は、絶好の行楽日和と報道実際、日中は暑くなく、寒くなく、お出かけするには最適。ところが、夜遅くに連日雨があり、おっと地震だ金曜はカミサン土曜は僕昨日は娘とそれぞれ雨に濡れて帰ってきたそのせいではないが、風邪をひいてしまった***曲折あって、墓は小平にある。墓参りは、だいたい車で行く。親はともかく、家族にはいたって評判がわるい。家からだと、甲州街道を行って東府中から北へあがる東八道路を多摩霊園の裏を通っていく或いは五日市街道を行く青梅街道を行くといった選択肢がある。どれが早いということもなく、行きは一時間、帰りは少し混んで一時間半といったところ。朝の8時前には家を出たいと思うのだが、誰かの段取り(だいたいはオヤジだった)が悪く、9時前が相場。せっかくの休みをつぶす半日仕事と評判が悪い。帰りに行楽地でもあれば、話しは別だが、あいにく深大寺、植物園ぐらいしか思いいたらず、しかも両方とも、好きな場所とは言い難い。いろいろ言いながら、家に帰って昼飯。そんなことを何年も続けている。帰り道は、東八道路が多いが、混み合うため、途中から南へ下り、甲州街道。さらに、調布あたりから南の品川道、瀧坂道(都道118号線)と、すいた道を探し求める。品川道は、つつじ丘の南でとぎれ、実篤公園から、若葉小裏手の急斜面を登り、至誠会第二病院裏を通って瀧坂道へという段取り。この瀧坂道というのが難物で、カーナビの無い時代、この道が混んでいて、抜け道を探しに、南北に外れたら最後、とんでもないことになった。だいたい、仙川を渡る橋が限られていて、その道が混むのに、そこを避けようというのだから始末が悪い。ようやく、祖師谷公園の南を通って、そこを右へ、坂を登って...という抜け道を発見したのだが、その道は地図で追うことができない。そんなことをやって、祖師谷でしばらく迷ったことも何回かある。***それでも、祖師谷に迷うのは、面白い。(徒歩のときに限る)意識してはたどりつかない、つりがね池そのそばにある、これも意識してはたどりつかないドイツハム、ソーセージのスモークハウスTera祖師谷公園(殺人事件以来、東岸には足が途絶えた)二か所の神明さん榎交差点の栄寿司日の丸自動車の車庫が瀧坂道沿いにあり、そこの運転手さんたちは、世田谷区を苦にしなかった。僕らの世界は、榎の交差点のとこで瀧坂道と交叉する、六郷田無道を超えることはなかった。松沢村と千歳村は微妙に違いがあった。六郷田無道より向こうはDeep千歳で、僕には今でもエキゾティックに感じるときがある。
October 10, 2011
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Apple社創業者の一、前CEOのSteve Jobs氏が5日亡くなった。つい先日、CEO引退を発表したばかり。アップルコンピューター、i-Pod、i-Phone...個人としては、正直どれもあまり好きになれない。ユーザーインタフェースに優れることは分かるが、デザインは野暮ったく、革新的な技術があるわけではない。しかし、松下の電球、ソニーのトランジスタラジオ、ウォークマン、ヴィクターのVideo...在来技術を集積して、新たな魅力ある商品をつくりだすことは、彼らより、むしろ日本が得意とした分野である。30年ほど前、米国にいたころ、Appleという名前は新興企業として注目され始めたころだった。Atariというゲームメーカーがあって、そんなもんだと思っていた。帰国してしばらく。マッキントッシュなるPCが発売され、アップルだという。スペルは少し違う。マッキントッシュといえば、当時はスピーカー、もしくはPaul Newmanアップルコンピューターのマッキントッシュは、カナダの農夫ジョン・マッキントッシュが発見したリンゴの品種にちなむ。もともとスコットランドの人名だそうだが、この名前には、どことなく、独特の分野を切り開くイメージがありそうだ。話しをもとに戻す。Steve Jobsは、56歳。あまりにも早いと皆はいう。しかし、いったん身を引いた彼が再び復帰したとき、多くの人は、口に出すと出さずと、彼の復帰が彼の命を奪っていくことを感じとっていたと思う。一昨日、ある方とご一緒していて、Jobsの話しになり、「あれだけの財産があれば、もっと豊かな老後を過ごすことも可能であっただろうに」という声に、「人間は、老いて死ぬために生きてるわけじゃない。死の直前まで情熱を注ぐ何ものかを追い求めたJobsを、僕はうらやましく思う」毅然としたその言葉に同感。
October 8, 2011
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下高井戸の長谷川商店で、さんま10匹を仕入れ、家に戻ったのは6時過ぎ。テレビをつけ、ヤクルトー広島戦にチャンネルを合わせる。「広島のユニホームは楽天みたいだ」と久しぶりの野球。最初は、楽天ーオリックスあたりに見えて、別チャンネルにしようとしたが、ヤクルトなら、ま、いいだろう。別に真剣に見るわけじゃない。小一時間もあれば、と、風呂を追い炊きにセットし、着替えて作業を始める。わかめを水に浸し、皿を二枚冷凍庫へ。それからさんまにとりかかり、頭と内臓を落とし、しっぽを取り除いたものを、よく血を洗い落す。水を切ったものを、皿に盛り、今度は骨を除きにかかる。中骨を手開きにはずし、さらに縁側の小骨をはずし、背びれのあるところまでを切り落とす。実は、一番手のかかるのは、この工程。はりきってはじめたのは良いが、さんま10匹、なかなかの量。「5匹にしときゃよかった」じっとり汗ばむ。「おやおや」急に鼻がむずむずし鼻水が出始める。俺、秋の花粉症は無いんだがなぁ。細かい作業に顔が充血したせいだ。せっかくのさんまを汚してはならじと、しっかり鼻をかみ、小さめなタオルを鼻から口にあて、それを長めのてぬぐいで覆い、耳の後ろで結わえて対策。取りかかった工程を終えたところで、もう一度、しっかり対策をやり直す。冷凍庫に入れた皿を取り出し、水で戻ったわかめを切って載せる。その上へ、切り落とした背びれのある部分のさんまを10匹、皮を剥いて載せて行く。ここからは早い。そこまでやった皿にガラスの蓋をかぶせ、冷蔵庫にしまう。今度は、さんまの胴体を四つに輪切りにし、サラダ油を1cmほど敷いたキャセロールに置いていく。並べ終わったところで、上からサラダオイルをまんべんなくかける。ふだんはせいぜい4-5匹しかやらないのだが、10匹となると少し長めにゆっくりと火を入れる。「そのカッコなーに?」カミサンが帰ってきた。「花粉症かなぁ、風邪かなぁ...風呂炊けてるぞ」茗荷、生姜、にんにくと刻み、冷蔵庫にしまった刺身の上にまぶし、再び冷蔵庫に戻す。テレビの野球は、0-0のまま。赤川というヤクルト3年目今年売り出しの若手投手がしり上がりに調子を上げ、緊迫したなかなかの好試合。もう7時をだいぶ回っている。「ヤクルトって今何位?」風呂から上がったカミサンが呆けたことを聞く。朝、リゾットにしておいたご飯を、土鍋のまま冷蔵庫から取り出し、電子レンジへ。「朝のテレビでやってただろ。一昨日まで首位だったのが、昨日中日に抜かれたんだ」「だって、そんなに離れてなかったんでしょ?」「毎朝ニュース見ながらメシ食ってて、覚えとらんのか?最大10ゲーム離れてたんだぞ」「えーっ。知らなかった」「だから、君はテレビ見なくていいんだ」「野球のニュースは注意して聞いてないもん」カミサンに下に皿をあててリゾットを鍋ごと渡し、晩飯の用意。火が通ったさんまのサラダオイルを切り、上からしょうゆをたらし、さらにオリーブオイルをまんべんなくかけて...ここでけちっちゃいけないし、かけ過ぎてもいけない...あとは好みで香辛料。ふたたび軽めに火を入れ、出来あがり。切った油は、カミサンが1階に下りて、庭に撒く。「せっかくだから写真撮りなさいよ」過日、会社の人のホームパーティに持参した、さんま、オイルサーディンが大好評で、製法を教えろと言われたカミサンは、PCで僕がしゃべるレシピをメモ。「口伝」「そんな大それたもんじゃない」たまねぎを細切りして、冷凍庫から取り出した皿に載せ、寄生虫が居ないことを確認しながら、サケの刺身を薄切りして、上に載せていく。出来あがったところで、晩飯。7回裏、紙一重のきわどいタイミングでホームに滑り込み、ヤクルト先制。カミサンが花粉症の薬を冷凍庫から出してくれる。「斎藤さん、明日行ったほうが良いんじゃない?」「10時には青山に着いてたいんだ」「風邪ぐすりにする?」「おいおいいつから葛根湯はトローチになったんだ?」「それ葛根湯じゃないよ。コルゲントローチだ」いよいよ鼻水がひどく、食事が終わったところで、風呂に入り、鼻を良く洗って、寝ることにする。野球は9回裏、ランナーが出たところで、ピッチャーが赤川からイムチャンヨンに変わり、緊迫したゲームが続いている。ゲームセットをかろうじて記憶して....目が覚めた。まだ多少鼻水は続くが、だいぶん良い。北海道沖にいるさんまの群れが南下し始めたという。福島原発の放射能汚染が懸念されるエリア。水揚げ面でも、東北地方太平洋側の漁港には例年ほどの受けいれ能力はない。シーズンが深まるにつれて、値段が上がる?矛盾思い切りさんまが食べれるのは、もう少しだけ?
October 8, 2011
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経堂は、ラーメン屋の多い街らしい。トッピングラーメンとか出て行ったお店もある反面、アイヴァンラーメンみたいに、新しく来るところも多い。今回は、経堂駅からはちょっと遠目のところのこと。桜上水のけんちゃんラーメンが、メイドラーメンになったのに驚いた。二週間ほど前の土曜日、息子と一緒に桜上水北口を歩いていたら、メイド姿のお嬢さんが2人パンフレットを配っているので、思わず手にしたら「やめなさいよ。どうせいくわけないんだから」比較的良く行く中華屋さんは、すずらん通り沿いにある「華味屋」お値段もなかなかで、いつもお客さまがいっぱい。千歳船橋の「香苑」から分かれて弟さんがやっていると聞いた。「香苑」は餃子がウリとのこと。「奥さんが熱心なんだよね」「きれいな人だ」「熱心だからね」「娘さんとそっくりなんだ」そういえば、こっちも息子と一緒に行った(8月)。「経堂と船橋の間にある北満飯店おいしいらしいよ」「うーん。どうかなぁ。そういう感じはなかったけど、変わったのかな?」お店の名前からして、北満からお引き揚げの方が始められたお店だと思う。あのあたり、満州から引き揚げの方も多くお住まいだった。北満飯店の名前以外に面影はない。「あそこってほくまんじゃなくて、ぺーまんなんだよ」「中華司っていうのが美味しいらしい」「それどこ?」「船橋6丁目。経堂からみると、希望が丘団地の手前右上(北)」「ファミマの角、右曲がって坂の途中ぐらいじゃないかな」「今度行ってみようか?」「天祖神社のお祭りじゃない?」「経堂のお神輿は先週(2日)だったよ」「あぁ、経堂のお神輿は、宮坂(世田谷八幡)と経堂(天祖神社)が一年交代でやるんだ。だから、お神輿とお祭りは一緒じゃないと思うよ」「桜上水の勝利八幡のお祭りも週末じゃないかな?」「さぁ。どうだっけ?」
October 7, 2011
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「俺、死んだら葬式要らないから」「そうねぇ。でも、かえって面倒くさいよ」「どうしてさ」「人から電話かかってきてさ、あ、死にましたって、いちいち言わなきゃならない」「だって死亡のハガキぐらいは出すじゃん」「だからさぁ ハガキが着いたら、お悔やみの電話とか、って、いちばん放っておいてほしいときに、おおぜいかけてくるでしょ。そのたびに、イヤな思いして、きまりきった相手の言うこと聞いて、きまりきった挨拶しなきゃいけないんだよぉ。葬式やりゃあ、一回で済んで、だいぶん少なくなるでしょぉ」「じゃぁ骨は散骨で良いから」「個人としては私もそれでいいけれど、困ることも多いわ」「どうしてよ?」「子供たちが、墓参り行きたいって、あなたのってだけじゃないわ。ご先祖さまからずっとあるのに、あなただけ、そこにいないのよ!」「子供たちが墓参り?頼んでも行くわけがない」「若いうちはね。あなただって、そう言いながら、毎年子供たち連れて行くじゃない。あなたが決めることではないわ。子供たちだって、気がついたらご先祖さま無縁仏になってましたぁじゃ調子悪いじゃない」「未来は時代が違うさ」「そんなことあなたが決めることではないわ。それに、散骨やるにしたって、勝手にそこらに撒くってわけにはいかないのよ。却ってお金も時間もかかるわよ」「金がないからってわけじゃない」***「やっぱデスノートは書いといたほうがいいかな?」「デスノートじゃありません。エンディングノート」「家で家族に見守られながらって、死に方できない時代でしょ」「うん」「そうすると、病院とか施設で死んで、そこの霊安室に行くわけだ」「そうなの?」「霊安室ってひとつの施設に、そんなにいっぱいあるわけじゃない。人が死ぬ時は、気候の変わり目みたいなときが多いから、そういうときはえてして重なるでしょ。そうすると、霊安室は何時までで、ご遺体はお引き取りくださいって言われちゃう」「......」「病院は、家まで搬送してくれない。お棺だってきめなきゃいけない」「どうするの?」「葬儀社頼むのよねぇ。それが一番簡単なの。ぜーんぶ教えてくれるし、手配してくれるから」「一番大変なときにいろんなこと決めなきゃならない」「葬式の日程組むにしても、お寺のお坊さんの予定と、斎場の予定と焼き場の予定が合わなきゃいけないの。忙しいときは焼き場の予定がとれないから、それまでご遺体を冷凍庫にいれときゃなきゃいけないってのもあるのよ。それだってタダじゃあない」「葬儀社っていい加減に決めると、大変なの。業者の質が悪いと、来ていただく人も気分悪くする」「セレモアつくば♪、会員なっといたほうがいいのかなぁ」葬儀社顧問の知人に聞いてみる。「どこの葬儀社に頼むかは決めといたほうがいい」「会社で会員なってるとこあるじゃない。割引にもなるし」「職域会員でも割引はある。三割引ぐらいかな。個人で会員になると、そのときはお金かかるけど、モノによっては半額割引かな?」「東京で互助会の会員なっとくと、関西でもだいじょぶなんですか?」「会社によるけれど、関西に拠点のないところだと、提携先があると思います。その場合、会員割引は少し少なくなるでしょう」「宗教はなんでもだいじょうぶですか?」「無宗派でもなんでもだいじょうぶです」「いろんな宗教でやってもらいたいって言ったら?」「葬儀社はなんでも承りますが、およしになったほうがいいでしょう」「どうして?」「お金の問題もありますが、仏教、キリスト教、神道?...一つ一つやってたら、時間が長くなって、来ていただく方にご迷惑です」そりゃそうだ「密葬でもいいの?」「密葬というのは正確には、密葬があって、あとで本葬がある場合の表現で、おっしゃっているのは近親者だけで葬儀を行う家族葬ですね。もちろん取り扱い可能です」数でかせぐそれぞれに大事なお客さま「散骨もだいじょうぶ?」「承ります」「鳥葬は?」「鳥葬はちょっと取り扱わないでしょうねぇ」「日本だと、カラスかな?」「カラスはイヤだからチベットでやってもらうの」「チベットまで誰が運んでくれるの?」「.....」「昔勤めてた会社で、海外で亡くなった方を、飛行機で日本にお運びしたことがある。昔だったら、それこそ外人墓地。日本航空は、ご家族を、席が空いていればファーストクラスにお乗せしてくれると言ってたけど、制度じゃなくて慣習だったでしょうね。今はどうなのかな?来るのがあるから、日本からお出しするのもあるよね。やってできないことはないかもしれないけど、鳥葬はねぇ。中国政府がなんと言うのか?チベットまでどうやって運ぶか?」「海外で亡くなったチベットの方が鳥葬やってくれって言ったら、チベット運ぶんじゃない?」「そういう方もいらっしゃるのかな...」
October 6, 2011
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スペインへ行っていた娘が戻ってきた。出かける前は夏で、帰ってきたら秋「いちばん良かったところは?」「イビザの中心街の夜景。世界遺産に登録されてるんだ。ヨーロッパ文化とビザンチン文化が共存する不思議な場所」「文明の衝突には困ったことも多いけど、ハイブリッドは新しいものを生み出す」「何か困ったことは?」「バッゲージロス。ヒースローでトランジットした全員がやられた」「結局届いたんでしょ。補償金貰った?」「ううん。ホテルまで届けてくれたけど」「だけど、困ったでしょ」「そうね。日本から出かけるときから、飛行機の中、着いて一日目の観光まで同じもん着てなきゃならなかったからね」「うわぁすごいねぇ今朝は」「どうしたの?」「大山が見える」「そんな空気が澄んでるの?」「雲はあるけど、空気は澄んでるんだろうな。富士山は見えない」「南極でオゾン層がまた広範囲で破壊されたらしいね」「ペンギンさんはだいじょぶかな?」「ペンギンさんはいっぱい羽根生えてるから大丈夫だよ。危ないのは、人間とか芋虫とか、むき出しの生物。特にハゲが危ない」「南極に芋虫が居るの?」「....」「お魚も危ないんじゃない?」「紫外線は水で吸収されるから大丈夫」「放射能と紫外線はどっちが危ないの?」「うーん。今の日本のレベルなら紫外線だな。但し、紫外線は内部被曝しない」***カミサンは、会社の「ご自宅訪問シリーズ」で埼玉県は川口の安行まで。「植木の町だよ」「あらそう」「ご自宅訪問ってなんだよ?」「あんたのせいだよ」建替えになる家があって、そこで、会社の人間を何回か呼んで宴会をやった。それが定例化して、月一回誰かの家をみんなで訪ねて、宴会をやっている。以前とはライフスタイルが変わってきた証左かもしれない。さあ、一週間仕事だ父の朝食
October 3, 2011
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日仏会館顧問で東大名誉教授の小林善彦先生が、お話しの中で、日本人の行動様式(むろん、一部であって、全体ではない)を、「魚の群れ」と表現されるのを伺ったことがある。捕食魚の来襲など異変に際し、特別のリーダーが居るわけでもないのに、一斉に一糸乱れず集団で回避行動をとる。先生のご興味はこの集団行動のメカニズムであるが、最近、僕は、この集団行動は、我々日本人の熱しやすく冷めやすい行動様式と関係していると思い始めた。きっかけは、脱原発の動きであるが、本稿はその是非を論ずるものではない。***海の魚がどのように捕食者の接近を感知し、それを集団に伝達するかは定かでない。あれだけすばやく、複雑かつ連続した動きは、ホルモンのような物質を関与させたものとは思えず、音(音波)さらには光に関係したもののように思う。群れのいづれかに回避行動に伴う烈しい鰭などの動きがあり、それが発する音、超音波が群れ全体に伝達されると一斉に動きが始まり、動きの方向は音、または光に依存する...僕は、我々日本人の、あのような行動様式は、日本列島の自然条件が醸成したと考える。日本の自然は世界で一番、複雑だと思う。必ずしも過酷ということではないけれど、とにかく変化が多い。そのような変化をしっかり捉えて行動すること、行動する者に成功が訪れる。自然は、地域の全住民に共通する現象であり、変化に対する行動の成功体験により積み上げられた行動方法が多くの人に共有されることにより、ある自然現象に対し、誰言うとなく多くの人間が同じように動くことになっていく。それだけならば、世界中どこでも同一ではないか?いや、日本の気候は、変化が頻繁かつ多様であるところに特徴がある。しかして、それはほぼ毎年、同じように発生し、最後に収まるところも同じ。気候の頻繁かつ多様な変化は、事にあたって日本人があたって行動することにつながる。日々の細かい変化について、我々は敏感である。成功者の模倣、成功体験の大系化(ハウツー)の集積にもすぐれる。よって、学問の習得も、知識の習得に多くを費やし、パターン化した行動に強い国民性が出来あがっていった。一方、変化は頻繁かつ多様であっても、変化(異変)の期間は短く、だいたいは多少の時間を経て同じようなところに収斂していく。一方、そのような短期的変化に比し、長期的、或いは構造的変化は、さほど頻発するものではなく、また、変化が長期にわたって徐々に発生するが故、短期的変化に比べ感じとるところが少ない。或いは、短期的変化が頻発する後ろに隠れて見えにくい。じっくり考えるより、過去を踏襲して行動するほうが、(少なくとも短期的には)利益を得るところが大きい。変化に即応して行動するには、変化への即応可能な(熱しやすい)資質が重要で、しょせん変化の期間は短いゆえに、それが長続きする必要はない。従って、熱しやすく、冷めやすい国民性が醸成された。それに比べ、世界の他所の気候には、日本より変化の頻度が少なく、長期、構造的変化が、目の前の変化の多さ、多様さに隠れることが少ない場所があり、そこは、長期的的変化への対応が醸成され易い環境ということができよう。***さまざまな情報に即応して動く不安定な株式市場考えることより、知識の習得に流れる学習、教育ハウツーものしか売れない書籍変化より過去の踏襲にこだわる「形」志向の文化パラダイムの変化を踏まえぬ政策レベルの変更に終始する政治箸の上げ下ろしにうるさく、環境変化に対応できない行政重箱の隅をつつくのみに終始、木を見て森を見ない私たち皆と違う行動、違う部分に敏感、かつそれらを嫌う傾向さまざまな日本人の行動様式を、一面、良く説明する考えと思うが如何? 行動様式そのものは、決して悪いことばかりではない。ただ、回りの環境が変わったことへのアジャストは我々は不得意なのだ。江戸を終えるには、明治維新が必要だったし、明治を終えるには、敗戦が必要だった明治維新から1945年まで77年、1945年から2011年まで66年戦前より戦後のほうがパラダイム変化は大きい。そろそろ、パラダイムに合わせた修正が必要な時期だろう。
October 2, 2011
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9月19日「さようなら原発5万人集会」が開催され、主催者側が6万人、警視庁側は27千人と参加者数発表に乖離があった。関連して、5万人集会について、東京新聞以外の主要紙の扱いかた、がいづれも横並びの数行だけでほとんど無視。大きく報道したのは東京新聞だけ、あたかも大本営発表の如し、と指摘する方があった。***もはや新聞無用 と、だいぶん前から自らは新聞を読まず、子供たちが就職してからは、日経も読むことをやめた(但し、父が読むことになっているので、朝日と日経は家としては購読している)僕としては、実際の新聞を見ていないので、ご指摘の適否を言うことはできないが...こういう記事を書く人は、社会部の東京ローカル担当だから、全国紙だと一面と社会面の扱いは大きくないかもしれない。コンテンツが欲しいだけで、自分の足で取材して、自分の頭で考えて記事を書くことをしない記者が、三連休で取材をサボり、主催者発表と、警察発表だけを鵜呑みに記事を書いて、お茶を濁した?冗談はともかく、ご指摘は正鵠を射たものと承る。5万人集会が9月19日開催と知人から聞いたときの僕の偽らざる本音は、「あぁなんで半年も経って。しかもこの時代に署名運動とは!タイミングを逸したな」当事者でない、ドイツ、イタリアですら、はやばやと脱原発を国民投票で決めたのに、日本は半年たって、まだ「脱」運動の一本化すらできていない。、ネットがチュニジア、エジプト、リビアの政変をもたらす今日、時代錯誤も甚だしいと自嘲。そんなことでは、「脱原発」はできますまい。僕らの世代でも署名運動が何かを実現するのに有効とは思わない。むしろ胡散臭さが先に立つ。「住民請求」、「リコール」が署名の形をとるから故に、こういうものも署名運動となるのだと思うが、手続きの面倒くささと、コスト、時間を思えば、そもそもそっちも変えるべきなのだ。ネットで手続きなど、国民総背番号使えばいろいろできる。***経団連は、反脱原発であります。宣伝費に依存するマスコミは、スポンサーのご意向には逆らえない。鳩山、菅両政権で、著しく財界のご機嫌を損ねた民主党にとって、財界との関係修復は、政権交代の必須要件だったと思う。「5万人集会」からすぐ、野田政権は原発容認に舵を切った。規模と内容を注視していたはず。戦前以来、私たちは熱し易く冷めやすい。5万人集会への参加者は、集会の規模と熱気に、カタルシスを感じた。だが、カタルシスは、脱原発に必要な次のエネルギーを削ぐ部分があることを忘れてはならない。これから、財界は、マスコミを動員して本格的な脱脱原発キャンペーンが本格化していくだろう。反、脱原発を言ってきた識者、研究者の登場機会は今後減少し、各個撃破で分断されていくことにある。事故原因究明のための委員会が国会に設置され、これから委員の人選、そして委員会の華々しいやりとりがテレビ中継を含めてマスコミに踊る一方、委員会は責任追及の場と化し、脱原発はどこかに忘れ去られることあきらか。5万人集会にいかほど若い人たちが自主参加しただろうか?呼びかけ人メンバーを聞いても大部分は前世紀の遺物的人物。脱原発は、それだけ見ても容易ではない。この時代に署名運動とは...物量作戦で来る敵に、精神力、竹やりで戦おうとした戦前を思い出す。脱原発は、このまま行き場を失うのだろうか?
October 2, 2011
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経済産業省は9月30日付で、原子力安全・保安院の広報担当を務めた西山英彦氏を、勤務時間内に女性職員と不適切な行為をしていたとして、停職1か月の懲戒処分にした。女性職員も同日付で訓告処分。枝野経産相は記者会見で「原子力災害の被害を受けた福島県民をはじめ皆さまに改めておわび申し上げる」と陳謝した。***「おわび申しあげるって、なんか関係あんのかい?」「原子力安全保安院の広報担当が、勤務時間内に不倫したってだけでしょ。スケープゴートだよ」「だったら、不倫してる奴らはみんな停職処分にすべきだろう?国会議員で、浮気してた奴なんかいっぱいいるじゃないか」「うちの社内でも300人ぐらいは停職になりそうね。結局、原子力安全保安院っていう職場と、勤務時間中っていうのがよくなかったのねぇ」「処分になったってことは、問題をおおごとにした奴がいる」「女のほうじゃないかって言ってるの」「どうして?」「西山君、保安院行って忙しくなっちゃったじゃない。あれだけ露出しちゃあいろいろできないわよね。だから女となんかあんまりつき合ってる場合じゃなくなっちゃって、女の方が怒っちゃった」「あるかもね」「西山君て、こないだクビになった古賀さんと同期なんだって。資源エネルギー庁の長官なった高原君も同期。そろそろ誰が次官になるかって出世競争の最後じゃない。足の引っ張り合いってのもあるんじゃないかなぁ?」「つまんないことで」「あなたはそうおっしゃるけど、官庁でも民間でも、出世競争は大変なのよ。それに、民間でもそうだけど、官庁って、変な奴でも生き残るからね。官舎なんか、変な奴がいっぱい居て住むの嫌だって人もいる」「だったら住まなきゃいいじゃないか」「そういうわけにもいかないの」***「北海道ねぇ。堪能したけど、どっか寂れてたわね」「どこ行ったんだっけ?札幌、富良野、ニセコ...」「最初の三日は、札幌に三泊して(現地某社社長に単身赴任している先輩宅に、同僚と二人押しかけて泊まり込んで、しかも車まで借り出して遊んだという。なんちゅうこっちゃ)、一日目は、市内ぶらぶらしてたの。ヴィッセって、昔、拓銀の本店のあったとこにできた、とっても広いところなんだけど、そこで焼肉ごちそうになった」「北海道は、もうそれほど消費ヴォリューム無いんだが、それでも、中心部の土地が余ってるから、どんどん商業施設だけが増える。完全にオーバーマーケットなんだなぁ」「その日はそのまま帰ったんだけど、斎藤さん(お世話になったお宅)は、20年前に札幌居たときに通ってたススキノの店は全部無くなってるって言ってた。厳しいところなのね」「二日目は高速乗って、小樽から積丹半島を回って泊原発まで行ったの」「泊原発ってそんなとこにあるんだ。見てきたの?」「うん。一応ね。そこから帰りは南側、定山渓回って帰った」「そうか定山渓は札幌から近いからね」「三日目は、いっぱい走ったわ。富良野から十勝へ」「えっ十勝まで行ったの?」「十勝って言っても十勝岳だから富良野だよ。十勝岳から美瑛通って、旭川に上がった」「動物園行ったの?」「ううん。あそこは前に行ったことあるから行かない。旭川は道央自動車道乗るために行ったみたいなものね。帰りは最後の札幌に入るところで、市内で事故があったらしく渋滞してて、参った」「翌日朝は、斎藤さんが早朝から仙台のセレモニーへ行く用事があったんで、出かけちゃった。掃除して、鍵とお礼の寸志置いてレンタカーでニセコへ向かった」「ニセコへは、支笏湖とか洞爺湖回ってったの?」「ううん。定山渓回りだね。留寿都まで行ったけど」「どこ泊った?」「ニセコは雪秩父温泉の国民休暇村」「雪秩父?」「また変なこと考えてんでしょ」「いや、若秩父」「あんたねぇ。そんなの死語以前に死語だよ。誰もしらない。だいいち雪秩父の秩父は、秩父宮の秩父なんだ」「へぇー...なんだい、この"うんこ"って?」「どこまでひどい奴なの。らんこしです。うんこじゃありません」ごめんなさい「翌日は、ひたすら下るだけだから簡単。八雲行って、江差のほう回ろうか、大沼にしようかって迷ったんだけど、結局大沼へ。いいとこだったけど、誰も居ないの」「....」「函館は、湯の川温泉に泊った。空港も近いし、市電も走ってるからいいかって思ったけど、市内に出るのに、いつも市電乗らなきゃいけないし、面倒だったわね」「そんな何回も市電乗ったの?」「3往復かな?」「そんなに!」「夜出かけて、朝市行って、戻って、また市内へ出かけて、最後に荷物取りに行って...」「湯の川温泉って何もないの?」「そういうわけでもないのだけれど、なんとなく市内。でも市内は寂れてたね」「桜上水よりひどいだろ」「だけど、どこかすごく共通するものがあるわね。住んでる人は少子高齢化で、お店の方は後継者難」「お疲れさま」
October 1, 2011
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