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日曜日に経堂の「生活クラブ」で映画「夏休みの宿題は終わらない」の上映会があり、車検で車を用賀に持ち込んだあと、歩いて経堂まで戻った。そのせいか、今週は風邪。寝込んでしまった。上映会に出かけたのは、知人が脱原発運動をやっていて、その関係なのだが、困惑させられたのは、原発推進もそうなのだが、脱原発を唱える人たちも全く同じく日本人そのものだと、改めて実感させられたこと。これでは、原発推進(継続)、脱原発、いづれを選んでも、大変なことになる。片方に原発村が、他方には反原発村があり原発安全神話に対しては、脱原発安全神話がある。どちらも安全ということはない。映画上映のあと、製作者の倉岡さんの挨拶があり、そのあと、原子力資料情報室の伴さんの講演があった。講演の中で、伴さんは、「政府が(原発について)良いことばかり言うので、我々は悪いことを中心に取り上げている」ということをおっしゃっていて、そのことからは、脱原発にも問題はあるのだという認識はおありと信じたいのだが...愕然としたのは、「原発が全部止まれば、電気代は一家庭あたり1000円あがるという人も居ますけれど、そんなことはありませんよ」との発言。それは違う。脱原発を言うならば、せめて「一家庭あたり1000円上がったとしても、脱原発のためには当面耐えなければならない」であって、本来は、「脱原発を達成していくためには、我々の生活を変えて行かねばならない」のはずと思う。原発推進に際して、僕らは、核燃料廃棄物処理その他の諸問題をどうにかなるだろうと見切り発車し、そのことを、脱原発を主張する人々は厳しく指摘してきた。そして、その問題は、いまだに解決したとは言えない。しかし、一方で、脱原発を言う人たちが、どこまで、脱原発に伴う諸問題を真剣に捉え、考えているか、は、今ひとつ判然としなかったが、「一家庭あたり1000円上がるなどいうことはありませんよ」には愕然とさせられた。確かに、今年は、そうかもしれない。だが、脱原発することは、原発の無い状態が、今年だけでなく、これからずっと続くということである。脱原発に伴う代替エネルギーをいづれに求めるか?代替エネルギーは長期かつ安定的に調達可能であるか?脱原発とは、「代替エネルギーが長期かつ安定的に調達できなくとも、脱原発を不退転に実施する」という意味だと理解してきた。それが、「1000円もあがりませんよ」では困る。昨2011年日本の貿易収支は31年ぶりに2兆5千億円の赤字となったことが発表された。輸出不振と、代替エネルギー調達コストの増加がおもな原因という。貿易収支が赤字でも、基礎収支が黒字ならば、国内から資金が流出はしていないが、昨年はどうも基礎収支も赤字に転じたのではないか。輸出不振は一過性のものだろうか。エネルギーコストは、今後明らかに上昇傾向であろう。当面にはイラン問題があるが、それが一過性だっとして、国内需要の増加により中長期的にインドネシアが石油輸出を停止するなど、資源確保は難しさを増す。太陽光、風力発電に期待するところ大であるが、それらは未知数である。誰かが、やるだろうと思っているのだろうが、それは、なんとかなると思って、真珠湾攻撃を敢行した太平洋戦争と一緒ではなかろうか。不確実なものに期待するのであるから、いざとなったときのことを想定しておくのは、必須である。原発に、賛成、反対ということとは無関係に、そういうことをとことん突き詰めずに気分で物事を進める危ない風潮が我々の中にあることを、我々は肝に銘じておかねばならない。これが、我々が昭和の戦争、平成の原発事故という惨禍に至った根底にあることを忘れてはならない。原発にいったん事故あらば、いかなる事態に立ち至るか、それを、昨年3月のとき、責任ある立場にあった人たちがどれほど、自覚していたか。そのことに鑑みて、脱原発が次の災厄につながらないためには、我々が脱原発に伴って何が起こるかをどれだけ覚悟できるかにかかっている。脱原発=安全ではない脱原発しても、我々は使用済み(使用前、使用中も)核燃料をいかに貯蔵するか、からは逃れ得ない。そのコストはどれほどにのぼるのか。どれほどの時間がかかるのか。人材は確保できるのか。安全は確保できるのか。誰がコストを負担するのか。代替エネルギーはいづれに求めるのか安定確保できない場合は、どうなるのか。原発推進(継続)に求められると同様に、脱原発にも説明責任が伴う。原発やむなしと思う自分の気持ちとは別に、脱原発、原発推進、いづれも苦渋の道であり、正解は無い。いづれか選んだ道を正解にしていくのは、我々の覚悟と不断の努力である。想像力なくして覚悟もない。我々は真剣に、それぞれの道の先になにがあるか、調べ、想像し、考えねばならぬ。1941年12月8日の戦果に熱狂した私たち。その同じ私たちが1945年8月15日を境に、かつての自分たち自身の身代わりに軍を罵倒した。今日原発を蛇蝎のごとく嫌悪し脱原発に奔走する人々が、エネルギー危機に直面し、脱原発を罵倒するようになってはいけない。脱原発か否か結論は、あまり先伸ばしできまい早く旗幟鮮明にせねば、どっちつかずで、成り行きで、選択の余地のないところに追い込まれる。これが一番危険なのだ。そういう思いで、東京原発都民投票に署名した。大阪は既に住民投票実施に必要な投票数を達成したが、東京は昨日現在で21万の必要数に対し、あと5万必要。「どうにかなる」が一番危険だ。やるなら真剣に。
January 31, 2012
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経堂駅前の三菱銀行が移転した。玉電山下から経堂へ至る「ゆりの木通り」が拡幅され、一棟だけ残された三菱銀行の建物(梶山ビル)が、都市計画道路のための立ち退きとなる。小田急と世田谷区の間にどのような将来構想があるのか知らぬが、経堂駅周辺にも下北沢のような大変化が将来的に生ずる可能性を感じている。以前のJoyful経堂と異なり、コルティ経堂が地下を掘らず、かつ、経堂駅とつながらないのは不思議と皆が思う。それは、小田急線高架南側に豪徳寺から経堂、さらに千歳船橋に至る、空間(道路乃至広場)を設けることが求められているのであろう。コルティ経堂は、シンボリックに見える一方、奇妙に安普請。暫定建物で最終形ではあるまい。西通り方面の再開発まで踏まえた長期展望と思う。どのような未来像なのか。
January 27, 2012
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東京都の石原慎太郎知事、国民新党の亀井代表、たちあがれ日本の平沼代表が会談。3月末までの新党結成を目指す方針で一致したと読売が報じている。関係者が明らかにした。3氏は既に党綱領づくりも進めている。民主党、公明党などとの選挙協力を検討することも確認したという。バブル崩壊後、一時を除き20年にわたる閉塞状態。構造改革、政権交代。都度、私たちは期待したが、ポピュリズムの嵐の前に目先を変えただけの小手先、場当たり、ばらまきの連続に失望し、裏切られたと嘆くも、未曾有の大震災、原発災害に為すすべなく立ちつくしている。国民新党、新党日本、みんなの党、たちあがれ日本、新党大地、新党改革、減税日本、新党きづな、新党大地・真民主と、ここ数年雨後の筍のごとく乱立する新党。その多くは志を示すこと少なく、しょせん既存政党に立場なき連中の野合、烏合の衆。実は、問題の本質は、日本の閉塞状態にではなく、危機を共有せず、問題を先送り、知恵を絞り、自ら対処することをしてこなかった我々自身にあると遅ればせながら気づく。そういう中での新党。石原、亀井、平沼新党は、今までの諸新党と違ういくつかの特徴がある。これまでの新党が、烏合の衆ないし一人の力量ある政治家に依存する弱者集合体に過ぎぬに対し、石原、亀井、平沼と、諸新党党首そのもの、或いは、諸新党党首をしのぐ力量と実績ある政治家が揃う。石原、亀井、平沼は、経歴、実績に加え、選挙に強い。ポピュリズムの体現者であるがゆえ、ポピュリズムに媚びることを要さない。平沼は25日の記者会見で、新党構想について「自民党、民主党の一部にも働きかけ、70~80人を糾合することが目標だ」と語った。刺激的である。これまでの新党が、せいぜいが10名の言わば脱藩にすぎないのに対し、平沼は他党の中に手を入れて、政界再編の意思を明確にしたのだ。70~80名というのも示唆的と思う。小泉チルドレン、小沢チルドレンという言葉が端的に示す通り、衆院で300名内外の数をそろえれば、小選挙区制の下では、どうしても選挙を意識し、ポピュリズムに流れやすい。選挙を気にせず、世論におもねることをせず、かつ、政局を左右するできる数が70-80という数字。石原、亀井、平沼とくれば、軸足は「保守」にあるだろう。ところが、現代日本での「保守」の定義は漠然としていて、真に保守を標榜するには、彼ら自身が保守を再定義せねばなるまい。皮肉にいえば、現代日本における「保守」とは、「革新でないもの」が最も適切な「定義」であったのだが、世界的な共産主義の退潮、日本共産党の不振、日本社会党の自壊、正体不明の民主党の台頭と、革新の定義が不明確化するとともに、保守も不明確になり果てたのだ。彼らは言葉に長けた人々である。石原、亀井、平沼今日の政治家に、彼らに優る弁論を期待できる者がどれほどあろう。彼らより若き世代に、人のなきこと、言葉の無きことを憂う。彼らが、たとえば、震災復興米国との距離感(石原は現実を踏まえると観るが、親米ではない。)憲法改正(当然9条を含む。自主防衛、核武装、米軍駐留漸次解消まで言う可能性)領土問題といったところにどれだけ旗幟鮮明に踏み込んでくるか。それが、老人たちのたわごとに終わるか。日本を良き方向へ導くものか、或いは、破滅へと運ぶものか。今日は正念場なのだ。文中敬称略
January 27, 2012
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夜半から雪と天気予報。帰宅を急ぐなか、電車が止まっている。線路に人が居る?と放送。朝のあわただしさに傘がない。しゃあねぇなぁ。20時半頃、駅から帰ってくるときは、まだ雨。「結構暖かいじゃない。雪になるのかな」「傘にあたる雨の音が硬い。下はまだそれほどじゃないが、上空に寒気があるんだ。これから雨がみぞれになり、それが雪になる。それとともに、寒さが上から降りてくる」22時過ぎ、風呂の窓を開けると一転して雪景色視界は200mもあるまい。未明までと予報では言っていたが、果たしてやむか?雨に転じず降り続ければ明朝の雪は深い。早目の出勤だな。***翌朝アイスバーンになる前にと、少し早目に起き上がり、外を見る。「いかんなぁ」雪は上がっていて、しかも隣家の屋根にも、端のほうに少し雪がある程度。しかし、早い電車に向かう足音はジャリジャリ。雪は早目に上がったが、前夜のうちから踏み固められた雪はアイスバーン化している。家の前の雪かきは、労力の無駄。前の道は南斜面だから、この程度の積雪ならお昼には溶けて、今般からの歩行に支障ない。問題は、東西方向及び北斜面の道路商店街では、ご商売もあり、朝の出勤時に歩行に影響することは、あまり無い。しかし、毎年のように愚痴るが、住宅街では除雪されている道のほうが少ない。わが家の前の通りは、例外的に、僕ともうおひとり除雪を欠かさない方がおられ、坂でも歩行に支障ないが、それ以外の場所ではご一軒だけ除雪しても、ほかが続かず、4-6m道路では日もあたらない。駅近くには集合住宅も多く、そういうところで雪かきする人は極めてまれであろうから、結果、数日は、不自由な状態が続く。くれぐれも足許には、お気をつけください
January 23, 2012
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「そんなに寒くはないけど、雨降ってるね」「あらそう」「明日は雪かもね」「金曜だからね」「雪道の週末?」「雪かきしてくれる息子はもういない」「月イチ帰ってくるでしょ」「寂しくなったねぇ」「そのうち帰ってくるよ」「そうだな」「実家が一番って言ってるじゃない」「そうだね。あいつ、22年間ここしか住んだことないもんな」「がんばって明日雪かきするの!」「なんだよ、結局俺の作業じゃん」「しゃあないよ」
January 19, 2012
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17日、「共喰い(ともぐい)」で第146回芥川賞を受賞した田中慎弥さん選考委員を務める石原都知事が、「物書きとしての緊張感を覚えさせてくれる作品はない」「ばかみたいな作品ばっかりだよ。自分の人生を反映したリアリティーがないね」などと述べに対し、授賞記者会見で、「4回も落っことされたあとですから、ここらで断ってやるのが礼儀といえば礼儀ですが、わたしは礼儀を知らないので。もし『断った』って聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら、都政が混乱しますので、石原閣下と都民のために、もらっといてやると」とコメント。その前にも、何度もアカデミー賞にノミネートされながらなかなか受賞できなかったシャーリー・マクレーンになぞらえて「シャーリー・マクレーンが『私がもらって当然だと思う』と言ったそうですが、だいたいそんな感じ」、「1回目で受賞するのが一番いいんで、5回目っていうのは、間抜けです」、「今なんか『おじいちゃん新党』を作ろうとしてるんでしょ? だから、その新党結成にいそしんでいただければと思います。(会見は)とっとと終わりましょう!」とも言って、不機嫌ないし傲岸不遜なイメージを「演出」これに対し、石原氏は、「田中君の方(の作品)は『まだマシ』だったと思う」「読み物としては読めたけど、ある水準には達してないね、全然。(審査では)○、△、×で採点するけど、僕は△しかつけなかった」「石原閣下と都民のために、もらっといてやる」発言には、「いいじゃん、皮肉っぽくて」と返し、 選考委員を「刺激にならない」と、降板する意向。一応、番外、場外乱闘に話題が向いている。しかし、挑戦的な「もの云い」に比して、会見に緊張感は見えず、「もうやめましょうよ」という田中さんも、質問には答え続ける。***「どのレベルと解釈するかによって、理解が別れるね」「一番最低線が、見た通りでしかないって奴ね。作品そのものには関心の無い人が多いだろうから、無礼、不作法な新人が、都知事で選考委員の石原慎太郎ってキャラクターに噛みついて、それをマスコミが面白がって見てる」「僕らを含めて、一般の多くはそう見るかもなぁ」「石原さんと田中さんの話しは、喧嘩に見えて噛み合ってるよね」「そこはおさえておくところ。二人ともそれなりの書き手で素人じゃない」「『貰っといてやる』は、案外本音かもよ」「39歳、実績も十分な書き手だもんね」「石原さんも、田中さんほどの書き手を、今さらなぜ候補にしなきゃならんのかって思いはあるよな」「たかが『文芸春秋社新人賞』で、一年間に最大4人授賞するようなものを、文壇新人賞扱いするからおかしなことになる」「ほんとの新人賞なら、一年に一人。一回候補になった人は二度と候補になれないぐらいの難しさはあってもいい。石原さんより前でも、爺さんが苦虫かみつぶして、受賞作ナシとか言ってたもんね」「欲しいのはパブリシティ。それを田中さんも、文芸春秋社も、記者も全員分かって、話題づくりのために流し、石原さんのは最後っ屁ってより、サービスだな。話題になれば、雑誌も本も売れる」「しょせん目的が商売そのものだから。プロ野球の新人王と一緒にしては、プロ野球に申し訳ない」「だけど、それにしても、あの授賞会見のマスコミからの質問はレベル低い」「話題づくりのヤラセだとしたら、役を果たしてない」「もし、ほんとに、あれしか質問できないとしたら、マスコミの文芸欄担当者の資格はない」「いやしくもプロなら、あれじゃあギャラ貰えないよ」「最近の文芸春秋はひどいもんんだ。田中角栄の手紙だとぉ。半世紀も前の話しじゃないか。このご時世に呆けてんじゃないよ」「同じ企画の繰り返しで、しかも、いつまでたっても昭和、昭和、昭和」「しょうがないよ。読者が高齢化してるのに、つくってるのは若い連中でしょ。芥川賞だけじゃなくて、文芸春秋そのものも役割終わってる」「日本の文芸は終わったな。JohnとかRobertoに言わせると、まだまだ英米には読める本が多いみたいだよ」「日本は均質化しちゃってて、石原さんぐらいの年の人に刺激にならないって言わせるレベル」「ほんとは、石原さん 自分で書けばいいんだよな」「気の毒だよな。ほんとは、選考委員より政治家の方を引退したかったんじゃないかな」「田中さんのはどっちにしろ作品読まなきゃ分かんないよな」「ウチは文芸春秋毎月買ってるから部数に関係ないけど、そう思う人が多ければ多いほど部数は伸びる」
January 18, 2012
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日曜日、下北沢へ行く。電車では味気ないので、歩くことにした。ふだん通らないところを行こうということで、経堂駅の南へ入る。歩いていて、おやっと思った。この道は分水嶺である。今はふさがっているが、福昌寺の本堂の向きを考えると、本堂は豪徳寺の方向を向いていて、その方向をなぞるのが、この道である。豪徳寺は、昔、世田谷城で、福昌寺の開基松原さんは、おそらく吉良さんのご関係であろうから、さもありなん。いったん本町通りへ出るが、昼メシがわりの肉まんを食べ歩きするのに、人通りの多い道はよくないと、裏道へ。ところが、連れが手袋を落としたというので、歩いた道を戻ると、片方ずつちゃんと?落ちていた。気を取り直して、常徳院にお参りして裏にでる。なんで、お墓の真ん中を道が走っているんだといいながら、北へ。「踏切があるのは、玉電(世田谷線)ができる前からこの道はあったということだ」よくもまあこんな道を。「去年、杓子稲荷から逆をたどったら、この道だった」「この道、まっすぐだけど、真ん中が下がってる。あの窪地は、場所からみて、世田谷城の堀だな」「そうだ。今日は代田八幡で世田谷区師弟無形民俗文化財(民俗芸能)の三土代會もちつきが代田八幡である。行ってみよう。つきたてのお餅がたべられるよ。きむらたかしさんにも会えるかも」ほんとにおみかけできた。しかも、ちゃんとyoutubeに画像も上げていらっしゃった。予定をだいぶん過ぎてしまい、下北沢へ急ぐ。帰りは電車になった。
January 17, 2012
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僕は、これでも土地勘には自信があって、地理を知らない初めてのところでも、それほど迷ったことがない。ところが、不思議なもので、もっとどうしようもない経堂2丁目とか、赤堤5丁目で迷うことはないのに、苦手なのが、南荻窪1・2丁目、梅ヶ丘1丁目から代田三丁目にかけて、永福3丁目、福岡の薬院浄水通りなど。(上祖師谷とかで迷うのは、車で路地に嵌まり込むのであって、歩きとか自転車で迷うことはない)そもそも、地図も見ないで行こうとするのがいかんのだが、実は地図を持っても迷う。これらの土地には共通項があって、1.碁盤の目状の道路2.起伏がないそして、3.駅からのアプローチと街区内の道路が向いている方向が理不尽に異なる。つまり、地形に特段の変化がないにもかかわらず方向感覚に変化が生じるとき、迷うことが分かる。これらの土地に住む知人を訪ねるたとき、よく起こることは、行きは駅まで迎えに来てもらい、帰りは、「分かりますから」と言って、言われた通り角を曲がったはずなのに、何かおかしいと右往左往し、結果、方向を失い、迷う。そんな記憶のある中、知人から、「通常、住宅街の道路が整備される際、鉄道路線に対して平行と直角の道路に整理されることが多い。ところが、梅ヶ丘駅の南部に関しては、街路が斜めなんだ。むしろ、梅ヶ丘駅から宮前橋交差点に向かう道路に平行に配置されているみたいだ。梅ヶ丘の駅ができる前に斜めの街路が形成されていて、梅ヶ丘の駅前も、駅を前提にした配置ではないように見える」というような興味深い指摘があった。***ご指摘の通り、小田急の開通が1927年、梅ヶ丘駅の開業は1934年であるから、電車が通ってから7年後に出来た駅。駅の出来る前の最寄駅は世田谷中原(現世田谷代田)。以前お仕えした社長、会長ご経験者が、大正の末生まれ、現在の代田四丁目育ちで、何かの折に「不動産屋ってぇのは、駅から遠い売りにくい区画から売っていくのが鉄則」と教えていただいたことがある。そちらも最寄り駅は世田谷中原であったから、まさに、梅ヶ丘も同じような考え方で分譲されたと思う。つまり、この分譲地は、世田谷中原(世田谷代田駅)を向いた計画になっている。同時に、梅ヶ丘南口の住宅地は、北沢川の谷を挟んで形成されている、東西南北より土地のアンジュレーションの方向を優先した区画の配置。北沢川の流れが梅ヶ丘の区画配置を決定した?もうひとつ。梅ヶ丘は、小田急と東京山手急行の連絡駅として計画されたという。梅ヶ丘駅は、最初、一面二線の島式ホームだった。今より電車の編成は短い。ホームの西端(豪徳寺駅側)は、現在の補助154号線のガード部分までで、ホーム東端、今の構内横断通路のあたりに改札が設けられたはず。なぜなら、東京山手急行との連絡のため、ホーム西側は連絡通路を設けなければならない。東京山手急行完成時には、小田急線との交点に、下北沢なり、自由が丘のような改札口が設けられる予定とすれば、今一方通行となっている道路がこの分譲地の中央道路となる。この中央道路は、斉田記念館への道でもある。今我々が感じる不思議な感覚は、その時点で解消されたであろう。世田谷代田へ行こうとするとき、多分往時の北沢川渡河は宮前橋であったのだろうけれど、梅ヶ丘通りの歩きにくさを考えると、区画を計画する段階で、東京山手急行との結節が念頭にあって、梅ヶ丘通りを歩き易くしておくという発想にならなかったのかも。
January 4, 2012
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謹んで新春のご挨拶を申し上げます。旧年は、あまりにもいろいろなことがあり、人智の及ばぬことの多きことに、改めて自戒せねばと想うところです。その矢先、元旦午後イチには、鳥島近くを震源とするマグニチュード7.0という地震があり、東京も震度4を記録し、これは、あらためて自然からの注意喚起でしょうか。2階のベランダに出ていた僕は、家に入るべきか、そのまま外に逃げられる体制をとるか躊躇、風呂に入っていた帰省中の息子は思わず風呂から飛び出す始末。困ったもんだ。想えば、去年3月9日にマグニチュード7.2の地震がありました。巨大地震の前兆でなければといいのですが。
January 2, 2012
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