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「鳩山さんって得よねぇ」「どうして?」「みんなにかわいがってもらえるじゃない」「?」「まず女の人たち。小沢さん、中曽根さん、渡辺恒三さんとかっておじいさんたち」「女の人ってぇのはわかんねぇな」「可愛いじゃない。母性本能くすぐるタイプなの。小泉さんもそうだけど。細川さんに近いかな?でも細川さんと違って、あんなスノッブじゃない」「ふーん」「背も高いし」「あっ高いの?あれで」「あなたより少し低いかな?175よりはあるわ」「へーっ高いんだ」「スマートでしょ」「そこは俺と違う」「お金もちで、奥さまはタカラジェンヌ。長身、細身、東大、スタンフォード出の学者さん。福島瑞穂さんなんて、イチコロだったんだろうなぁ」「そう思うの?」「そうよ。福島さんなんか田舎の人だもん。あんな先輩居たら、イッチコロ コロコロよーっ。総理大臣だけど政治家臭くないし、おとなしいし、丁寧。あの両手でお辞儀してからインタビューなんて、抱きしめちゃいたいぐらい」「どうせ俺は違いますよ」「あなたの胴体には半分ぐらいしか手回らないものね」「うるせー」「小沢さんも鳩山さんとこ可愛くて可愛くてしょうがないんでしょうねぇ」「なんでさ?」「知らないの?あの二人先輩後輩だって」「うん?自民党の?」「そんなんじゃないわ」「だって小沢さん慶應じゃん」「小石川高校の先輩後輩なの」「へーっ?」「あなただって、あの、M不動産のS川さん。めっちゃ可愛がってんじゃない」「ありゃ高校の後輩じゃないよ 同じ系列だけど」「あの可愛がりようは尋常じゃない。いつかも会社来てくれたって、ものすごい喜んでた」「そうかなぁ?」「そうよ。会社来ただけであんな喜んだ話し聞いたことないわ。だいいち会社の話しなんかしてくれないじゃない。高校の後輩って、大学のより全然濃いぃの。それに、二人とも旧制でしょ」「旧制って、五中の時代じゃないだろ」「あのね。私たちの旧制は学校群前ってことなの」「聞いたことねぇよ」「中曽根さんもそうよねぇ」「大学はそうだけど」「中曽根さんとは先輩後輩ってんじゃないわね。でも同じようなもの。ソフトクリームみたいなんて、可愛くていいわ」「ばっかじゃねぇか。いい歳こいた爺さんが、中年男評してソフトクリームなんて」「中曽根さんは、日本民主党で鳩山一郎と一緒だったの。それで一緒に自由民主党へ行ったのよ」「そうだっけ?」「そう。鳩山クンは親分のお孫さんなの。可愛いはずでしょ」「そうなのかなぁ?」「小沢さんもそうなのよ。小沢さんのお父さまの親分も鳩山一郎なの」「だって政党が違うじゃない」「小沢さんのお父さんは日本自由党でしょ。鳩山さんが党首だったけど、追放になったんで、吉田さんが首相になったの。だから、小沢さんにとって、鳩山さんは、オヤジの親分のお孫さんで、自分の高校の後輩なの。お互い子供の頃から面識あるかもよ」:::::::::::::::「君は、鳩山さんてかわいいと思うかい」「えーっ?なんかそういう感じじゃないわ」「じゃあ歴代総理大臣で誰が一番可愛い?」「だってじいさんばっかじゃない」「俺も爺さんか?」「序の口」「ふん!でも、総理大臣で誰が一番可愛い?」「そうねぇ.....」「大平さん」「知らない」「そうかぁ じゃあ安部さん」「居たわね、安部さんて。印象薄いなぁ」「じゃあ麻生さん」「あ、いいわね。麻生さん。話が面白そうだし、おごってくれそうだし」「森さんは?」「お酒飲んでるだけならいいわ」「小泉さんは?」「DVだから や」「じゃ小沢さんは」「いやらしそうね。ケチなんじゃない?」「岡田さんは?」「いいけど、つまらなそう」「前原さん」「疲れちゃう」
January 29, 2010
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早朝の出張途中、某都市でバスに乗ろうとした所定の時間をだいぶん過ぎて まだバスが到着しない一週間前ほどにインターネットで時刻を調べ、旅程を建てたのが、おかしい。停留所の時刻表を見ると、なんとその時間 便がないしかし、その時刻表には、2週間先からの改正と書かれてある時刻表にある番号に電話し、運行状況を問い合わせたところ驚いたことに、先週月曜から減便があり、さらに、二週間後さらに減便されるとのこと。さいわい約束の時間には間に合うが、あいにく昼飯の時間がない。これからの出張では、注意せねば失礼をしてしまうことにもなりかねない社内、関係先にも徹底しておこう。高速道路の週末1000円の影響とのことだが、後日、運輸官僚OBの先輩に聞いたところ事態は容易ならぬ状況で、現場は頭をかかえているとのこと。高速1000円で、自家用車の利用が増え、バス会社の路線採算そのものが悪化したことに加え、航空機、鉄道、フェリーの利用が減り、運休、減便が相次ぎ、それらに接続するバス路線の採算が悪化し、接続バス便が廃止されつつある→便の廃止、運休に伴い、バス機材、人員の運用に変化が生じ、接続交通機関の減便、休止に直接関係ない路線にも減便が発生する(A→B→C→Aと運行していたものが、B→Cの運行をやめるとA→B、C→Aも運行休止となる)日航のリストラで減便がさらに発生することが確実であるため、事態はさらに悪化する。かのOB氏に、どうしてそういうことがマスコミで報道されないのか?と聞けばマスコミそのものが地方支局を廃止、縮小する中で、取材そのものが出来ない状況という「僕らは高速道路、新幹線の建設は、地方振興に必ずしもつながらないって言いつづけてきたけど、そういう連中は、国土交通省になったときに皆干された。僕はこれで二つ目の天下りだけど、次は面倒見ないって言われてる。それはいいけれど、これで地方分権なんてやったら、めちゃめちゃになるのが目に見えてるのが心配。知事さん、市長さんたちに、高速道路は要らないって人は多いけど、本音は、他人のとこは要らないって言ってるだけ。自分とこのが建設されないとなれば、あいつら、とたんに大騒ぎするんだ。全国どこでも、全部同じ」じゃあどうすれば?「東京の消費税を20%にして、それ以外の政令指定都市所在府県は10%。北海道とその他の県はゼロとする。これら財源を、面積割を半分、人口割を半分に、各県に配分。市町村議会は廃止。都道府県議会、衆参両院の定員は一律半減。被選挙権は40歳以上とする。再試験をとおった公立学校教職員以外の、公務員、外郭団体職員の給与総額は、10年間で半額にする。年金は全部統合して、財源は税金からの積立金に一本化。70歳以上に一律支給。例外は一切認めない。これを向う20年間続ける」めちゃめちゃですよー それじゃあ!「明治維新、終戦、もっとすごい変化だった。10年でそうする!文句言うなと決めて、あとはみんなで頑張るしかないよ。このまま行くと、20年後はもっとひどいことになる。俺は覚悟してるから良いけど」
January 28, 2010
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知人のKさんから、金曜にお電話をいただいたのだが、手がふさがっていて出られない。夕刻にでもと、そのまま失念。翌日午前にお電話いただいたが、今度もまた打ち合わせ中。ようやく連絡したところ「先日、転んでしまいまして、入院までは行きませんでしたが、肋骨を折ってしまい、外に出るのも億劫で。ご相談したいことがあり、お電話しました」とのこと。若いようでも昭和5年のお生まれ。昨年年初に、奥さまを亡くされ、アパートの一人暮らし。娘さんがお二人おられるが、お一人は折り合い悪くあられ音信不通。もうおひと方は、米国暮らしが既に長い。もともと新聞社にお勤めだった方だが、器用な方で退職後は、もの書きのほか、庭の手入れ、アパートの管理など、我々知り合いの中では生活力旺盛にお過ごしと見る人が多い。帰宅後、夕食を多め早めの時間(5時ぐらい)に調理し、一部をお持ちする。ところが、お声をかけても、出て来られず、不在のご様子。ならば、と、お部屋のドアノブに袋をかけて、家に戻った。しばらくしてお電話があり、「庭で洗濯物を干しておりまして」と丁寧にお詫びとお礼を言われた。「これから一杯いかがですか」と言われたものの、家族揃っての夕食はキャンセルし難い。「明日午後ならば」と申し上げ電話を切る。「どうしたの?」という家人に事情を話すと「ご高齢の方とお友達になるのは、とことんお付き合いする覚悟がいるの」改めて、今からでも、若い人たちと広くお付き合いしていくことの必要を思う。行きつけの飲み屋では、古いお客さまたちは次第に高齢化。将来の独居老人(既にそうであるかもしれない)候補者も多い。ママさんに「これからは、お客さんひとりひとり看取っていくことに」と申し上げたところ「私の面倒は誰が見る」とお怒りに。「それは、今から若い男を作って」「バカ!」夕食後、打ち合わせの議事をまとめるが、カミさん、娘がいろいろ話すので、記憶がまとまらず、途中で断念。寝室で寝ころびながら、携帯電話にメモを打ち込んでPCに送信しておくうちに就寝。翌日は日曜だが、カミさんはお稽古事の発表会、娘は例によってお出かけと朝から慌ただしい。こちらも9時の約束が、気がつけば8時28分。ばたばたと出かける。国連大学前のファーマーズマーケットで、一週間分の野菜を買い求めて帰宅。夕方、午前中に出かける前のカミさん作ったが鳥の丸焼きの出汁を中心に使って、株の葉(白株の葉は炒め物に、赤株の葉はおひたし)、大根(煮物、干し海老かけ)、ほうれんそう(おひたし)、人参と牛蒡と鶏肉の炊き合わせ、がんもどき、目玉焼きと作り、Kさん宅へお見舞いがてらおすそ分け。「一杯お飲みになります?」と誘われるのはご辞退し、様子だけと伺うと「今まで私はこういうことはなかったんですが、今度ばかりは参りました」聞けば、アメリカの娘さんが、腸に雑菌が入り病気療養となられた由。「こんな状態で仕事もままならず、ついに生活保護を申請しました。しかし、区役所の高齢者窓口で仕事の斡旋を相談したところ、2600人お待ちの方があり、80近い私では、ちょっと難しいと言ってるなという感じがありありで、困りましたなぁ。これから、どうしようかと、考えあぐね、お電話申し上げてしまいまして、逆にご迷惑をおかけしてすみません」どうも、あまり召し上がらずにお酒が中心の食生活のご様子。ご近所のおばさんからも「だいじょぶ?お酒ばかり飲んでないで、ちゃんと食べなさいよ」とお叱りがあった由。さーて、こちらも、どう申し上げたが宜しいか分からない。「今すぐと言っても妙案は、そう簡単にはないでしょう。すぐ出てくる考えは、おそらくうまくいくものでもありますまい。まずは、ちゃんとしたものを召し上がらねば、良い考えも出てきません」言い置いて帰宅。さーて、どうしたものか?
January 24, 2010
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文化探索者を自称されるきむらけんさんが、黙々と書き続けれれている東京荏原都市物語資料館では、ときに下北沢、代田にキリスト教会の多いことに注目、時代と地域から、事情の背景を考えれれておられる。経堂にも、下北沢ほどではないが、日本基督教団経堂緑岡教会同じく、経堂北教会経堂バプテスト教会経堂めぐみ教会経堂キリスト集会(経堂聖書会館)そのほか内村鑑三に連なる無教会の経堂聖書会と、いくつかの教会がある。また、赤堤の東京新教会カトリック赤堤教会船橋の恵泉女学園桜上水のカノッサ修道女会も広く、経堂ご縁のキリスト教ご関係ということが出来よう。興味深いのは、教会は、下北沢、代田に多くあるほか、経堂に上記があられるものの、梅ヶ丘、豪徳寺、千歳船橋、祖師谷大蔵、成城学園と、意外に教会は少ないこと。戦前からと思いきや、成城教会も喜多見教会から分かれ、戦後の設立なのである。下北沢という急行停車駅に小田急沿線のキリスト者皆さんは、おいでになったものなのか?下北沢もそうであるが、経堂の教会も歴史で言えば、関東大震災、太平洋戦争それぞれのあとに、これらの地に来られたものが多く、都心にあられた人たちが、災禍を避け来られたに由来する。また、小田急創設者利光鶴松翁に、キリスト教への志向があられたかもしれない。長女伊東静江は、聖心学園の出身で、昭和の初期に喜多見教会を設立。静江ご兄弟にも上智、立教と、キリスト教系の学園ご出身を見る。また、経堂緑岡教会は、恵泉学園と赤堤教会は、カノッサ修道女会それぞれとのご縁ありしと思う。いつか時間があれば、もう少し詳しく調べてることにし、とりあえずメモ。
January 21, 2010
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年末から、時間をみて、インターネットで公開されている日韓歴史共同研究報告を読んでいる。読んでいるといっても、日本語版で1300ページ強。知らなかったこと、分からないことだらけ、興味は横道に逸れ、忘れてしまいそうなことはメモをとり、勢いのまま調べるものは調べるという読み方なので、まだ全体の10分の1ぐらいしか読めていない。一衣帯水と言いながら、朝鮮半島と日本は近くて遠い。今年2010年は、日韓併合100年。拉致事件、六カ国協議、核開発疑惑、ミサイル、竹島問題、関連する歴史教科書問題、外国人参政権など朝鮮半島に関わる多くの案件が横たわる中、今年は朝鮮半島のことを勉強していこうと思っている。いかに日韓併合が朝鮮半島の今日に悪影響を与えていようと、それは、我々世代の行為ではなく、一方で、北朝鮮、韓国それぞれの対応、言い分には、こちらから見るといかがなものかと思わざるを得ないものが多いことは事実。それに対する反発、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に遡る朝鮮半島蔑視観、戦後の第三国人専横に対する戦前戦中派世代の反感、そういったものがないまぜになり、こちら日本も、正当かつ穏当な対応をこころがけるも、時として過剰な反応に火がつきやすい。共同研究と謳うものの、彼我の認識差は大きい。用語ひとつとっても、戦前の日本を日帝と呼ばれるは、大日本帝国の略称とは思うが、個人的にはJAPと呼ばれるよりさらに愉快でない。中国を支那と読んではばからない方々は、すなわちこの逆と認識されるべし。文禄・慶長の役とは、こちらの年号であるから、お相手には分かりにくく、壬辰倭乱と言われるは、(事実そうなのではあるが)何かこちら側が乱を興したようで居心地が悪い。朝鮮出兵では逆にお相手の居心地が悪いようであり、ましてや朝鮮征伐は、穏当を欠くとして日韓併合時以後日本自ら遠慮した表現。結局、「壬辰戦争」「朝鮮侵略」なのだが、社会的定着はどうだろう?しかし、日本側として大事なことの一つは、特に韓国側において失礼のように思われる向きもあろうが、韓国における日本研究は、日本における韓国(或いは朝鮮半島全体とするべきか)研究に比し、ほぼ半世紀にわたるハンディキャップがあるという認識である。つまり、日韓併合から朝鮮戦争終了までの間、韓国において対日関係の研究は事実上空白であり、その責は、日本にほぼ全原因がある。さらには、朝鮮戦争後においても、保守反動、乃至、軍事政権が1993年まで継続した社会環境下では、戦後日本が享受し得た学問の自由は、少なくとも対日関係研究については、相当の不自由が伴うものであった。せっかくの共同研究の気運、機会を、私たち日本人は大切にしていかねばならず、これら認識を欠く性急な対応はもって禁ずべし。お恥ずかしいことで、「このようなことも知らなかったのか」と笑われるであろう。少し読み進む中でも、いろいろと知識の修正を迫られた。例えば神功皇后の三韓征伐(征伐とは穏当でないが、他に表現がない)とは歴史的事実であると思っていた。しかし、既に、戦前津田左右吉において、三韓征伐が記紀以外に実証の根拠なしと指摘されていて、戦後はそれが通説である。一方、白村江の戦いは、それが他国(中国、韓国)の文献においても確認されている。白村江の戦い、任那日本府、広開土王の碑(これらについても自分として認識の違いがあった)といった知識から、自分と同じく、神功皇后三韓征伐が事実と思っている方は多いのではあるまいか。上述の、壬辰戦争(文禄・慶長の役)については、この戦役が朝鮮を支援した明に、その滅亡につながるほどの損耗を強いたことはかろうじて知るところであったが、自分としてはそこまで。深く考えることなく、それ以前の戦国時代と、直後の関ヶ原の戦い、さらに大阪の陣へと続く一連の内戦のつけたりで、彼我それぞれの損害とその後についての認識はほぼ皆無。秀吉の死をきっかけに日本が一方的に兵を引いて戦争が終わったとだけ理解していた。おそらく多くの方もそうであろう。しかし、この両戦役において、日本は、それぞれ十数万の兵力を朝鮮半島に出兵。多くの犠牲を出していた。関ヶ原の戦いにおける東軍、西軍それぞれの動員が十万、八万であることを見れば、都合7年にわたり、十数万の兵力を他国に振り向けるとは、大変なことだ。日本側の犠牲者は4割、一方、朝鮮からは数万人(10万人との記載もある)が日本に送られ、労働力として使役されるほか、一部はフィリピンへ売られる者もあったという。誇張があるようにも思うが、初期の朝鮮通信使が回答兼刷還使として日本から連れ帰った人数が6,100乃至7,500人とされるころから、相当数の人々が朝鮮半島から日本へ連れされれた事実が確認できる。朝鮮半島の国土は荒れ、戦乱と疫病の流行、そして拉致により、生産人口の激減生産力は激減。回復には膨大な時間を要した。なにせ、二度の戦役において、日明両軍により、ほぼ全国土が蹂躙されたのである。こう述べてくると、何やら事態は、第二次世界大戦とかなり共通したところがあるやに見えてくる。日本国内では、人気の高い豊臣秀吉であるが、韓国においては大悪人。海外に日本の武名をとどろかせたなど、広言するはご法度である。自虐史観ではない。朝鮮半島においては、日清戦争以前、既に秀吉以来の嫌日感情が存在し、それが日韓併合により増幅された。朝鮮半島における反日感情は、前世期だけのものではなく、1500年代から伝わる筋金入りなのだ。これらの経過を知らずして、今日の朝鮮半島における反日感情を語ることはできない。反日に反韓(反朝鮮)で応えることは、一時のカタルシスをもたらす。しかして、それは何も解決していない。拉致事件、六カ国協議、核開発疑惑、ミサイル、竹島問題、関連する歴史教科書問題こちらも言うべきことはきちんと遠慮せず言おう過去の経緯を踏まえ、軽侮の意識なく、粘り強く、敬意をもって。:::::::::::::::竹島問題は、日本として主張する義務がある。それについては、稿を改めることとするが、竹島を放棄、放置することは、北方四島を放棄することと同義でもある。講和条約で、日本が放棄した地域に、北方四島、並びに、竹島は含まれていない。竹島の領有が日韓いづれに帰属するかは、相当の検討が行われ、竹島領有を主張する韓国に対し、米国は、竹島が韓国の支配下であったことはないとし、竹島は放棄の対象とはされなかった。韓国、ロシアはサンフランシスコ講和条約の当事国ではないが、日本は条約の順守義務がある。韓国が講話条約の当事国でない事情は、竹島領有が容れられなかったことにあるのではなく、日本と韓国は、第二次世界大戦において戦争当事国ではなく、講和条約当事国となる(連合国側)立場にないとされたことによる。このことは、韓国が、「日韓併合そのものが強制によるもので、法律的には成立していない」と主張する背景の一つと考えられる。(韓国の立場は、そもそも併合が成立していないのであるから、放棄もあり得ず、元来が韓国領であった竹島は、当然に韓国領であるとの主張であろう)それぞれの国には、それぞれの事情がある。日本にも、韓国にも、そして北朝鮮にも。日本は今、未曾有と言われる景気低迷のさなかにある。景気がどこで回復に転ずるのかも良く見えない。いや、従前の意味での景気回復は、あり得ない可能性すら感じられる。これだけの借金と増え続ける老齢人口を若い人たちが、嫌にならず、支え続けることが出来るのか?いや、そのように考えるのではあるまい。若い人たちには、彼らなりの知恵があり、生きていかねばならない。この不景気は、彼らではなく、私たちに、今までの生き方を変えよと言っているのだ。期せずして日本が与えた二度にわたる苦難を、隣国は生き抜き、その都度新しい国を作ってきた。私たちの中にも、彼らの血が多く流れる。歴史共同研究は、私たちにかの国の力強さを教えてくれる。私たちは、再び彼らに学び、私たちの築きあげてきたライフスタイルに活かし、新しく国を作っていくのである。
January 17, 2010
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徳富蘆花の「みみずのたはごと」は、蘆花が粕谷に暮らした明治42年から大正年間にかけての随筆集である。「不如帰」で知られた明治のベストセラー作家であった蘆花は、露西亜はモスクワ郊外の広大な屋敷に訪ねたトルストイにより田園生活への啓示を受け、粕谷に家を求めた。「みみずのたはごと」は当時、他に例を見ない田園紀行の随筆集であり、その中に紫雲英(れんげそう)と題した美しい一文がある。明治44年5月8日の風景である。:::::::::::::::午後の散歩に一家打連(うちつ)れて八幡山(はちまんやま)、北沢間(きたざわかん)の田圃(たんぼ)に往った。紫雲英(れんげそう)の花盛りである。 此処は西欝々(うつうつ)とした杉山(すぎやま)と、東若々(わかわか)とした雑木山(ぞうきやま)の緑(みどり)に囲(かこ)まれた田圃で、遙(はるか)北手(きたて)に甲州街道が見えるが、豆人(とうじん)寸馬(すんば)遠く人生行路(じんせいこうろ)の図(ず)を見る様で、却(かえっ)てあたりの静(しず)けさを添(そ)える。主人と妻と女児(むすめ)と、田の畔(くろ)の鬼芝(おにしば)に腰を下ろして、持参(じさん)の林檎(りんご)を噛(かじ)った。背後(うしろ)には生温(なまぬる)い田川(たがわ)の水がちょろ/\流れて居る。前は畝(うね)から畝へ花毛氈(はなもうせん)を敷いた紫雲英の上に、春もやゝ暮近(くれちか)い五月の午後の日がゆたかに匂(にお)うて居る。ソヨ/\と西から風が来る。見るかぎり桃色(ももいろ)の漣(さざなみ)が立つ。白い蝶が二つもつれ合うてヒラ/\と舞うて居る。跟(つ)いて来た大きな犬のデカと小さなピンが、蛙(かえる)を追ったり、何かフッ/\嗅(か)いだりして、面白そうに花の海を踏(ふ)み分けて、淡紅(とき)の中に凹(なかくぼ)い緑の線(すじ)をつける。熟々(つくづく)と見て居ると、紅(くれない)の歓楽(かんらく)の世に独(ひとり)聖者(せいじゃ)の寂(さび)しげな白い紫雲英が、彼所(かしこ)に一本、此処(ここ)に一株(かぶ)、眼に立って見える。主人はやおら立って、野に置くべきを我庭に移(うつ)さんと白きを掘る。白い胸掛(むねかけ)をした鶴子は、寧(むしろ)其美しきを撰(えら)んで摘(つ)み且摘み、小さな手に持ち切れぬ程になったのを母の手に預(あず)けて、また盛に摘んで居る。 主人は田川の生温(なまぬる)い水で泥手(どろて)を洗って、鬼芝の畔に腰かけつゝ、紫雲英を摘む女児を眺めて居る。ぽか/\した暮春(ぼしゅん)の日光(ひざし)と、目に映(うつ)る紫雲英の温(あたた)かい色は、何時しか彼をうっとりと三十余年の昔に連れ帰るのであった。(中略)「阿父(おとうさん)、ほら此様(こんな)に摘んでよ」 吾に復(か)えった彼の眼の前に、両手(りょうて)につまんで立った鶴子の白(しろ)胸掛(むねかけ)から、花の臙脂(えんじ)がこぼれそうになって居る。:::::::::::::::鶴子というは、蘆花夫妻が兄の蘇峰の末娘を養女としたもので、後に蘇峰のもとに帰され、その後蘇峰の主催した民友社の代表を勤める矢野国太郎へ嫁した矢野鶴子さんのこと。2007年に101歳で亡くなっていらっしゃる。さて、この紫雲英(れんげそう)の花盛りに蘆花一家が遊んだ八幡山、北沢間の田圃(たんぼ)であるが、おおよその場所が特定できそう。完成間もない、東京都臨床医学研究所のあたりと思う。八幡山ー北沢間ならば、すなわち、八幡山と上北沢の中間 旧松沢病院正門あたりととらえがちだが、この時期、京王線は未開通。八幡山と北沢は、村の名。両村を分けるは、今の赤堤通り。田圃は、八幡山にはなく、北沢用水の上北沢村側。田川とは、おそらく北沢用水、或いは、そこからの分岐である。蘆花邸から臨床医学研究所までは、存外に近い。小学校の折、私たちが、学校から蘆花公園まで歩いた道そのものを逆にたどる。粕谷八幡北側の道へ出て、坂を下れば、そこは、蘆花が自宅を訪ねた人々を見送った「別れの杉」蘆花の頃あった杉の木は、その後斃れ、今はない。まだこのあたり、往時の風情が残り、奥へ入ればうっそうとした竹やぶも何か所か。環八(かんぱち)蘆花公園前の横断歩道を渡る。当然明治の時代環八はないから、このあたりは野道である。ちょうどこのあたり、経堂の中央を流れる烏山用水の上流が流れてあり、粕谷と八幡山の村を分けていた。今でも、粕谷と八幡山の町名はここで分かれる。島田さんの竹やぶの前を通って、明治大学グラウンド北側を行けば、何百mかで松沢病院に突き当たる。このあたりの赤堤通りは、大化の改新前からあったと言われる古道(古府中道)をなぞっている。蘆花もこの道をどこかで渡ったのであろう。松沢病院がこの地に移転してきたのは大正になってから。従って、松沢病院もまだない。そこから北沢用水まではすぐそこである。レンゲの咲き乱れる田圃。レンゲが咲き終われば水を入れ田植えの季節となる。蘆花一家の遊んだ田圃は、松沢病院から都営上北沢第二団地にかけてであると推測できるのだ。田圃のほとんどない世田谷区にあって、江戸から明治にかけて、上北沢村は米どころだった。松沢病院から、都営上北沢第二団地、同じく第一団地、日大グラウンド、日大桜丘高校、UR経堂赤堤通り団地まで、延々、北沢用水に沿って田圃が続いていた。大正に入り、松沢病院、三井下高井戸牧場(現日大グラウンド)と、次々と田圃が売られていく。蘆花の描いたは、世田谷の都市化が始まる前、最後の姿とも言える。都立臨床医学研究所前で、北沢用水(北沢川)を渡る。急こう配を避けるためだろう、道は大きくカーブしている。しかし、道のありようを眺めていて、ああ、ここは道路の付け替えが行われるのだなと合点。既に直線状に空地が出来ている。確かこのあたりに病院の裏木戸があり、僕らはそこから病院の中へ入り遊んだ。直線状となる空地の中、松沢病院敷地に桜の木が二本。これらの木も、道路のために倒される運命か?木はまた植えれば何年かあとには成長し、立派な桜となる。しかし、蘆花も遊んだであろう、北沢用水のカーブに合わせた道の風情は戻ることがない。地図「八幡山」の幡の字の右側あたりが蘆花の遊んだ田圃と推測
January 10, 2010
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今年の正月2日大学ラグビーは当て外れ。順当勝ちと思った慶應は、後半半ばまで東海大に圧倒され、ついに追いつけず。準決勝手前で帝京が早稲田を破り、勢いそのままに鎧袖一触明治を撃破。かくて10日は、早慶明いづれも登場せぬ決勝戦とあいなることに。ラグビーフットボール協会としては、新興の決勝進出は喜ばしいことではあるものの、観客動員からすれば、いささか痛し痒しというところだろう。ラグビー全体としてみても、2019年開催のワールドカップ誘致が成り、ラグビー人口の底辺拡大のためにも、従来の伝統校頼みから脱却していくことが求められる時代に入っている。朝のおせちが終わり、箱根駅伝もそれほどということで出かけることに。「箱根駅伝は、今年も東洋大かなぁ」「ダニエル頑張ったけど、日大は難しいだろうねぇ」「駅伝自体がアナクロ。連帯責任みたいなとこか、どこか戦前の日本を思わせる」「新しい学校が出てくるのはいいことだよ」経堂赤堤通り団地裏の左内弁財天へ。祠の台座が移動されて、もう2年になる。「だいたい祠というのは形で、本来崇敬の対象は、祠のあられた場所のはずでしょ。そこがあんなふうで、祠の台座だけ立派っておかしい」「聖なる場所に道を通そうってんだから、いい度胸してるよ。それも必要かどうかわからない道路でね」「ここらにあっち側に抜ける道路があったはずなんだが...ほら、やっぱり。だけど、ここに橋はなかったような気がするけど」「昔は、橋(江下山橋)が、こっち側じゃなかったの?」「そうかもしれない。このすずらん通りから来る道は、昭和になってからの道だけど、北沢川渡る橋はどっかにあったはずだもんな。だから、この道があるのかもしれない」経堂に歩く。「オストリアエッコやってる」「下高井戸よりやってる店少ないみたい」「こっち側はね。農大通り行けば、空いてる店多いんじゃない?」例によって、駅北口の信号は、まるで守る意識がない。赤信号なのに、車を制止して渡りきる。「危ないじゃない!」「半世紀以上信号無しで渡れたものを、こんなもんつけやがって。警察と信号機会社の陰謀を俺はつぶしてやるんだ」「ばかばかしいから、今年はもうそういうことは言わないのね」「だって、悔しいじゃないか」「理解不能」農大通り入り口のたこ焼き屋にご老人がお二人。「一人暮らしのご老人たちは、開いてるお店に来るよりほかに食べ物がないんだ」「コンビニだって、なんだってあるでしょう?偶々ですよ」「でも、なんでご老人だけなんだ?」「知りません。少子高齢化でしょう?私たちだって立派な老人よ」「まさか」農大通りを左に折れ、住宅街へ。「牧野さんて、三菱総研の牧野さん。お父上が小田急の重役だったんで経堂に住まわれたのだろう」「へぇ?」宮坂一丁目へ「経堂の住宅地は、奥のほうが先に開発されたみたいだ」「どうして?」「奥というよりは、玉電の宮の坂の駅が、昔その先にあったんだ。小田急は玉電のあとに出来た」世田谷八幡には参詣の人たちの列。2日も人が並び、屋台が出ている。やきそば、たこ焼き、甘酒座って食せるように、テーブル席も4卓ばかり。「帰って、甘酒作ろう」「酒粕もらったもんね」さらに豪徳寺へ足をのばす。こちらにも、甘酒、甘味、猫の置物。「甘味の亀屋さんは経堂の亀屋さんかな?」「そうです。経堂です」寅年ということで「猫もなか」をワンセット義父への土産に買う。帰宅後、煮物を調整し、甘酒を作っていると、出かけていた娘が帰宅し、家族揃って義父との夕食へ。我が家が到着すると、間もなく義弟一家も到着。9名で夕食。5時前に始めた席は、7時前にはお開き。再会を約し帰宅。疲れてごろごろしているうちに寝てしまい、10時半過ぎに目覚めると皆さん寝るところ。ETVの日本と朝鮮半島に挑戦するが、再び最後まで行きつかず就寝。
January 3, 2010
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あけましておめでとうございます本年もよろしくお願い申し上げます特段、変わり映えのしない正月。一人暮らしを始めた娘が帰ってきている一方、息子殿は、家の手伝いもほどほどに、大みそかは、早朝から出たり入ったりお忙しく、夕食後横浜方面へ初もうで、初日の出とかで、朝のお帰り。午前中、父を含めて全員でお屠蘇、お餅、お節といただいたあと、八幡さまへお参り。途中、近くで一人住まいの先輩Kさんにお節のおすそわけをお持ちしたところ、大変喜ばれ、神社の参道に並ぶ家族のところまでお越しいだき、いたって恐縮。クリスマスに米国から里帰りされていたお嬢様と「それぞれ尊重すべきプライバシーもある」とご友人宅へ移動。早い話が親子喧嘩。お節無しのお正月でさびしい思いであられた由。今年は、お参りを待つ人の列が、例年より多少長めの印象。良く当たるおみくじ。ここ数年、小吉、末吉と続いていた小さな幸せが、今年は中吉。娘が大吉、家内が末吉と出たので、今年もそこそこというところであろう。ありがたいことと思う。「コンビニぐらいしかやってないだろう」と話していたのが、今年は意外に多くの店が元旦から営業している。「正月営業するのは正しいんだよ。特にこういう時期だからね」「夜はタイカレー」と娘が言いだし、空いている店で一応ナンを探すが、当然売ってない。重いもの(ビール12缶)を買って、お散歩はそこまで、家へ歩いて戻る。意外に疲れているのだが、結構な時間。家族で年賀状を拝見しながら、レタス、トマト、スモークサーモンとたまねぎ、ポテトフライ、れんこんチップと用意し、軽い昼食。昨夜録画していた歌番組を見る家族に、こちらはレンタルDVDでハリーポッター自信がないので、タイカレーは家内に任せて、珍しく料理から解放される。エスニックの得意でない息子殿は、不機嫌だが「それしかなきゃ食べるよ」と娘のご託宣如く、不機嫌に食べたあと自室にお引き揚げ。家内と娘はレンタルDVD「少年メリケンサック」ご鑑賞にうつる。この前が「20世紀少年」とかいうのだったのが、「面白くない」と言いながら「そこそこ」はまって見ているのが面白い。こちらもときどき眺めながら、日韓歴史共同研究委員会の第一回報告書を読み進む。年末の打ち合わせで、韓国にメディアリテラシーが確立しているとの指摘に接し、かつ、今年が日韓併合100周年となることを知り、読んでみようと思ったもの。日中共同研究も、戦後は当分お預けとはなるが、間もなく発表となる。分かっているようでも、東アジアと日本の関係は、知らぬこと、分からぬことも多い。彼我の彼の視点については、特に近代において十分な資料も存在せぬのが実情。我が視点のみならず、彼の視点を踏まえなければ、東アジアの将来構想は成立しない。ど言いつつ、疲れて部屋に引き揚げ、ETV「日本と朝鮮半島」を見るうちに寝てしまったようだ。
January 2, 2010
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