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戦前からの音楽評論家に属啓成(さっかけいせい)という人がいた苗字が守介尉目(かみすけじょうさかん)の目からの派生であろうということ太平洋戦争開戦直前に留学先の欧州から帰国し、まさに1941年12月8日から始まる会期で、帰国展覧会を日本橋三越で開いた。戦前からモーツァルト、ベートーベン等の作曲家を国内に紹介し、あるとき、今は病床にある大先輩から、その著書を探すべくご指示をいただいたことがある。***「少々お助けいただきたいことがあります」「お役にたてますか?」「戦後まもなくだと思います。属という字を書いてさっかと読む音楽評論家がありまして、この方のことが分かればありがたいのです。モーツアルトの評論をなさって、本当は難しくて私たち中学生どもなどには分からぬようなことでも、分かりやすく説明してあって、戦後もだいぶん長く活躍なさった方だと思うのです」「属さんですか、珍しいお名前ですね。どこかでお聞きしたような気がいたします」「その人のお書きになったベートーベンの解説を読んでベートーベンが好きになりました。あの本どこかにあると思います。もう一度読みたいと思ってもすぐには出てこない」学生時代にお読みになったベートーベンを紹介した著書に感銘を受けた先輩どの本だったか調べられればとご下問があり、簡単に調べてご報告した。成城教会のメンバーと知り、ご自宅もそのあたりともご案内。あいにく、古本屋では、戦後刊行のものしか入手できなかったが、それでも、ご満悦だった。そんな折、平成16年発行の世田谷区から刊行されている「世田谷区文化財調査報告14」に、属啓成邸調査報告というのがあることを知り、早速に入手。調査報告をご覧になった先輩、さっそく住所のあたりまで散策に。「既に報告にある邸宅は解体されてしまったようだが、建築的にはかなり面白いことをやっていらっしゃる。ご本人もそうだが、どなたか建築関係の協力者がいらっしゃったのではないでしょうか?そこいらへんの記録があると面白いのだが...」瀬田四丁目広場の旧小坂順三邸に展示されている近代住宅の台所床板が属邸のものと思われ、その見学をご一緒にと、お話していたのだが、脳梗塞で二度倒れられ、いまだに実現できていない。***テレビ(NHKですら、民放にいたってはついていただけでコンセントを抜き鋏でコードを切ったことがある)は好きでないが、昨日1月30日は、プレミアム10「手塚治虫 漫画 音楽 そして人生」を楽しみに見た。手塚治さんは、1928年生まれ。もう一、二年上の人かと思っていたのが、先輩と同じ生まれ。番組が、手塚の音楽へのこだわりを紹介する中、未完に終わった「ルードヴィッヒ(注:ベートーベン)」のひとコマが出て「これは、先輩から伺った属啓成そのものではないか!」先輩と手塚さんは、大阪と東京の違いはあっても、間違いなく、同じ時代を共有していると思った。同じ昭和3年生まれ。宝塚と戸塚 それぞれ大都会のざわめきを遠く眺め、しばらく歩けば自然がそこにある場所。お母さん子で、お父上とは距離があり、幼少の時期に病気で学年が遅れたところも一緒。既にその時期に、手塚さんは宝塚劇場、先輩は松竹大船撮影所で、きらびやかな世界、デカダントな文化の先端に接している。手塚さんの家系はお医者さん、先輩は旗本絵心ある科学少年たちは、医師、設計者たることを目指し、北野中学(旧大阪府立一中)、横浜第一中学を経て、手塚さんは大阪帝大の医学専門部、先輩は、海軍兵学校、第二高等学校から東大工学部建築学科へ。長らくのウィーン留学から戻った属(さっか)は、1941年12月8日から東京日本橋三越で帰国展覧会を開いた。「本当は難しくて私たち中学生どもなどには分からぬようなことでも、分かりやすく説明してあって」と先輩は、属の著書の思い出を語る。属により初めて紹介された音楽家も多い。戦争が始まる中、多感な時期の中学生たちにとって、属は、まさに戦前最後のヨーロッパ文化を体現する憧れだったに違いない。先輩は、竹を削ってレコード針の代用としていたという。「やわらかい音で、僕は好きでしたけれど、いちいちレコードを聴くごとにけずらなければならないのには閉口しました」そうやってお聞きになっていたのは78mmレコード盤「交響曲第五番(運命)は、レコード盤四枚でした」私たちの思い込みとは異なり、戦争中もクラシックの音楽会は定期的に開催されていた。「年間の通し切符で買いましたから、空襲が激しくなってからも、やっていたんじゃありませんか」1945年3月10日、その日は日比谷公会堂でベルリオーズ幻想交響曲の本邦初演が予定されていた。「未明の空襲で、東京の空は真っ赤でした。兵学校入学前 娑婆で最後の聞き収めと、新橋まで一応電車で行きましたけれど、もちろん演奏会は中止でした」ステージ上の演奏者たちもゲートル履き帰りは、空襲警報が出ると駅まで灯火管制で真っ暗な中を帰るという時代だったそうだ。しかし、人々は戦争中でも演奏会を開き、空襲下でもそこへ出かけた。文化とはそういうものだ。***思い起こせば、手塚さんの「ルードヴィッヒ」は、視覚イメージにより、いかに音楽を表現するか、少年たちに、音楽を言葉を通じわかりやすく説明した属の仕事を、もう一度手塚さんは、ご自分の方法で再現されていることになる。私たちにとって、幸せなことの一つは、手塚さんの仕事を同時進行で体験していったこと。「われわれの世代にとって基礎教養」と山下達郎さんは、手塚さんの作品を評する。同じように、先輩、手塚さんの世代にとって、属啓成は基礎教養の一つだったのだ。手塚のルードヴィッヒそれは時代を超えて、属啓成のベートーベンを再現する試みであったに違いない。中学生のときの新鮮な驚きと、まだ見ぬ世界への好奇心。そのことが、手塚さんを、先輩を、将来の仕事へと導いていった。
January 31, 2009
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「生きる力をはぐくむことを目指し、基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得。これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむ。言語活動を充実するとともに家庭との連携を図りながら学習習慣が確立するよう配慮しなければならない」2008年12月22日、文部科学省は、高校の新しい学習指導要領案を公表した。卒業に必要な単位数74を維持した上で「ゆとり」重視で減少傾向にあった学習内容を理数系は平成元年レベルにまで戻し、英語は教員が英語で指導するなど、言語活動を充実させる。学校の実情に応じて義務教育レベルの反復学習を認め、高校生全員が履修する科目を主要教科で設定するなど、学力の底上げも図る。(産経新聞オンライン版12月22日付記事を要約)その中で、外国語(英語)については、次のようなことになっている。(同じく産経新聞)■外国語(英語)現行の選択必修から「コミュニケーション英語I」の共通必修に変更。科目構成を変更。指導する語数を充実し、コミュニケーション英語I・II・IIIを履修する場合、高校で1800語、中高で3000語を指導(現行は高校で1300語、中高で2200語)。英語に触れる機会を充実、授業を実際のコミュニケーションの場面とするため授業は英語で行うことを基本とすることを明記。【コミュニケーション英語基礎】生徒の実態に応じ中学における指導内容等を整理し定着を図る。【コミュニケーション英語I・II・III】「聞く」「読む」「話す」「書く」の4技能の総合的かつ統合的な育成を図る科目として創設。例えば聞いたことや読んだことを踏まえた上で話したり書いたりする活動を適切に取り入れる。II、IIIにおいて指導する新語の数をそれぞれ700語とし充実(現行は英語II、リーディングでそれぞれ500語、400語の新語を指導)。【英語表現I・II】「話す」「書く」技能を中心に論理的に表現する能力の向上を図る科目として創設。例えば「発表(プレゼンテーション)」「討論(ディベート)」等の言語活動に係る能力を育成。【英語会話】身近な話題について会話する能力を養う科目として従来のオーラル・コミュニケーションを改編。***新学習指導要領は平成25(2013)年度から実施し、数学と理科は1年前倒しする。発表翌日より一般から意見を募集し、修正を加えた上で、2009年3月までに告示する。道徳教育など、外国語教育以外にも議論は続出するだろうが、英語の授業が英語で行われる(複雑な文法などについては、日本語の使用も可能)ことになるのは、まず間違いない。***日本における英語教育の必要性最大の英語使用国家「米国」の政治、経済、社会の在り方そういったことへの疑問、議論はある。しかし、現代日本を考えるとき、海外との交流抜きにこの国の現在、将来は成り立たない。その中で、英語という言語は、コミュニケーションにおいて圧倒的に使用される頻度が高く、将来、この国の海外との交流に携わる人材を広く育成していくために、英語は最も有用であり、高校教育において高度の英語学習を普及していくことは、私たちの未来を支えていくよすがの一つとすらいえる。英語は、英米は無論のこと。仏独中など、独自の言語による文化圏を持つ国々相手の交流においても有用である。これらの国々においても、英語教育は、日本と同等あるいはそれ以上の発展を遂げている。また、そのような各国に共通した英語教育の普及により、多国籍の人間が同時に交流するにおいても、一般に、英語が最も汎用性が高い。中国においても、かつて私の部下たちには、香港、上海からの出身者が居たが、彼らの母国語である広東語、上海語は、同じ中国語といっても相当に異なり、彼らは、一般に英語(もしくは一部では日本語も)によりコミュニケーションをとっていたことからも、英語の普遍性、有用性がうかがえるほどである。さらに、英語学習の方法は、他言語の学習についても相当程度応用でき、各個人における語学学習のプラットフォーム形成にも役立つ。一方、従来の高校英語(外国語)教育では、大学などの上位教育機関進学のための入学試験対応に重点が置かれ、他言語民族、国家との交流という、本来の目的が見失われ、あるいは、なおざりにされてきたことも顕著な傾向があった。或いは、日本の外国語教育は、おそらく明治のその黎明期において、海外事情の習得に主眼がおかれていたことにも起因して、言葉を、自らの社会、文化、或いは、思考、行動を、海外へ開示していく術とは、今日においても、それほど意識しているとは言い難い。***今、大学の教育学部など、教員養成機関では、新学習指導要領へ対応するべく、カリキュラムの再編が行われつつあるだろう。それらの人材を受け入れる、各自治体教育委員会も、採用方針の見直しをしていくことになる。2013年に新学習指導要領下で学ぶことになる未来の生徒たちは、今は小学生であるから、高校の英語教育がどう変わろうが、それは今から心配することでもなかろう。一番当惑しているのは、現在の高校英語教員(あるいは教員志望者)無論、英語教師たる者、教える言葉が日本語だろうが、英語だろうが、自分は十分に対応できる という先生方も多くいらっしゃるはず。しかし、テレビとか新聞では、我が国高校英語教育が迎える最大級の環境変化への困惑ばかりが報道されている。とはいえ、2013年には、高校の英語は、英語で教えなければならない。高校での新学習指導要領施行に向けて、先生方の悩みをどう解決していくか、新しい環境での英語教育を、どのように組み立て、普及させていくか僕たちは、海外留学生機関誘致企画と連携させて、プロジェクトを至急に立ち上げることにした。
January 30, 2009
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お昼前、神田は知人の事務所にお伺い。先週月曜日に「もしできれば」と申し上げてお訪ねできず、申し訳なく、再度の挑戦。午後一時ぐらいとお話ししていたのが、朝イチの用事が早めに収まり、ご飯前に。途中、三崎町裏手で冷やかしに眺めようとした皮屋のおやじにひっかかり、楽しみながらも、次々買わされてしまいたいしたお金じゃないけど散財。儲けたような、損したような。うまいよな、駆け引きが。あれは商売人。あのやりとりのお代と思えば、お土産までついて安いもの。事務所の住所も何も知らず、目印の建物だけ教えてもらっていたのが、日大法学部十号館というのを五号館と間違え、道に迷う。しょうがないので電話したら、結構すぐそこだった。お話しのあと、天ぷら定食をごちそうに。ボリュームがあり、美味しく、無理のない値段。神田あたりはいいとこでした。***一緒に仕事しているアイルランド人John Mooreから電話。「How are you doing?」先日の出張を、インフルエンザでどたキャンされ、こちらは少々お冠。「So so.」とそっけなく答える。「Going well?」「So so. How about you? How's your flu?」「Going」「What?」「But しょうがない。I needed to go to meet someone this morning.」「染しちゃうじゃない!」「ショーガナイ」「We say in Japan, you can go over when you have delivered the flu somebody else.」「Sounds good to me」そうだよなそういうやつだ***小学校の同級生、了ちゃんからのお託もあり、いったん帰宅のあと、着替えて経堂駅方面へ。駅前ジョイフルの建物は、今、仮囲い。外見には、何もやってないように見えるけれども、たぶん今は内装撤去の最中昔と違い、マニフェストちゃんと出せって言われる。マニフェストは、不法投棄などを防ぐ産業廃棄物処理制度で義務付けられた、産業廃棄物伝票のこと。1998年から、それまでのように、何もかも一切合財とりまぜて壊し、どこかで捨ててくる というのはできないことになっていた。処理業者は、再利用できるものは再利用、廃棄するものもちゃんと、最終処分まで確認する義務がある。もっとも、2007年までは、確認するだけで、報告は、適用されてこなかった。それが、最終処分まで確認し、報告することになり、建物解体費は、飛躍的に高騰。それまで、解体費など大した費用計上してこなかったものが、感覚的には倍以上。規模、構造にもよるけれど、解体撤去処分で、コンクリート造の建物だと、面積坪当たり10万円と言われても、不思議ではない。建物の解体、撤去、処分など建設費のウチ、捨てるのはタダと思っている経営者が多い中、ご説明に窮した方も多いに違いない。そういうことなので、内装は内装。外側は外側としての処分が必要になる。ジョイフルの場合、折衝がどうだったかは分からぬが、一般に内装撤去はテナント負担。入居テナントからすれば、自分たちが退去したのは、大家さんの都合だろう?となりやすい。大家の業者の見積もりに、「高い!」とうなってはみたものの、自分で撤去するわけにはいかない。そこらの折衝も、外見が変わらない原因だったかも。もうしばらくで解体が始まる。一方、昨年廃業した北口、すずらん通り沿いの塩原湯は、ついに解体されてしまった。こないだまで、そこにあった建物が今はもうなくなり、最後まで残っていた煙突が仮囲いされて上から壊されていっている。かつてを知る私たちは、「通りを歩いていて、前では立ち止まれない」気がつくと、駅から塩原湯をやり過ごし2-30m?先へ行った反対側に、ハリガネ舎なるレトロっぽい文房具屋さんがオープン。しばらく前までは、リサイクルショップでしたっけ?もの珍しさに、御盛況の様子。お隣の喫茶店とお仲間とかチェーン店でない、新しいお店ができるのはうれしい。下北沢がそうだけど、経堂もいろいろなものがある街になっていくといいなと思う。昔、三河屋酒屋だった角を曲り帰えり道。あれって、農大通りにある三河屋総本店の出店だったのかな?いつもは降りているシャッターが上がっていて、「野口屋とうふ店」で旗竿あげたリヤカー引いて歩いてる若い人たちが5-6人談笑している。ちょうど一日の仕事が終わりのひといきこの一角は、井上耳鼻咽喉科だった。マスクしていても顔が寒い。そのあとは一心不乱に帰り、覚えてない。***柑橘類とお酒を手土産に、インフルエンザ回復期と思しき友人をお見舞。おっとマスクしてないじゃない。こちらはマスクで重装備。「人に染せば治る」ここにも、こういうのが居る!***「牛込柳町っていい街だったの」「へぇ。そうなんだ」「あそこの一角だけ、ある時代がすっぽりタイムスリップしてきたみたいで」「ふーん」「それが、この何年かで全然変わってしまった。道路は拡張になるわ、新しいビルが建つわ。雰囲気がなくなってしまった」「そうだね。街歩いてても、まだ 空地とか空ビルに、モリモトとかアーバンコーポレーションとか看板が残ってる。知ってる人も居たし、取引したこともある。今回の不動産バブルは、街をダメにしただけで、あとに何かを残すということをしなかった。そういうのが嫌で僕は会社辞めたけど、そういう風潮に掉さしたことは否定できないね」それでも悪いことばかりじゃない。まだ、もとの値段というわけにはいかないが、物価も去年とは違い、沈静化してきた。バンバンエネルギーを使って、余計なものを生産する動きに歯止めがかかり、モノを捨てずに修理して使う生活様式が見直されてきた部分もある。「次の時代」は座して我慢するだけでは決してやってこない。自分で苦労して、工夫して、働いてはじめて ようやく 世の中が動き始めるのだ。
January 29, 2009
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損害保険大手の「三井住友海上グループホールディングス」と「あいおい損害保険」、「ニッセイ同和損害保険」の3社は、経営基盤の強化や効率化に向けて来年4月をめどに経営統合することを、23日、正式に発表する方針。統合後は、売り上げにあたる保険料収入で国内トップに躍り出ることになる。と報道された。まずいかもと思ったのは、あいおい損保の「経堂東保園」研修所、保養所、社宅などの施設で、「経堂」とあるが、住所は桜上水一丁目。おそらくは、第二次大戦前からの歴史があり、元来はどなたかのお屋敷ではなかろうか?社会保険研修所もそうだが、このあたり、必ずしも、もはや緑の多いとか言ってられる状況にない。三井住友は合併会社ニッセイ同和は、ニッセイの損害保険が同和火災との合併あいおいも、合併会社あいおいは、神奈川の二宮に湘南東保園なる、大きな研修、保養施設を持っている。こんな合併をやられたら、東保園は閉鎖、売却!桜上水一丁目 経堂まで10分 赤堤通り沿い格好のマンション用地だもうそろそろ、そういうのはいらないんじゃない?世田谷区さん道路はいらないから、売りに出たなら、東保園を買っとくれお願い!
January 23, 2009
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父が平和祈念事業特別基金宛てに郵便を出そうとしているのを、不思議な政治団体に寄付でもするのかと見とがめホームページにアクセス。別に怪しいところではなく、平和祈念事業特別基金では、今般、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律(平成18年12月22日法律第119号)が公布(一部施行)されたこと等を踏まえ、いわゆる恩給欠格者、戦後強制抑留者及び引揚者の方々(それぞれの「本人」に限ります。)に対して、あらためて慰藉の念を表すため特別記念事業として、特別慰労品を贈呈します。とある。父はもと軍人でラバウルで終戦を迎え、昭和21年になって帰国したことは承知しており、なるほど、それは引揚者に該当したのか?と、尋ねたところ、「いや。俺は恩給欠格者だ」と言われ驚いた。「じゃあ捕虜になったのか?」と尋ねたところ「そうではない。勤務年数が足りないので、恩給の支給対象にならないからだ」との答え。「逆に捕虜になっていれば、それは勤務年数に加算され、恩給が貰えたはず」なるほど、恩給欠格者の定義は、旧軍人軍属として外地等に勤務した経験を有し、かつ、恩給に関する法令の規定により算出した旧軍人軍属の在職年が加算年を含めて3年以上の方又は在職年が加算年を含めて3年未満の者のうち実在職年が1年以上の方であり、父は、在職年が加算年を含めて3年未満の者のうち実在職年が1年以上の方ということだと判明。昔から、「士官学校の一期上は恩給がつくのに、俺の代から恩給がつかない」と不満を言っていた。士官学校卒業後、ただちに任官。昭和18年にラバウルに送られ、現地に到着した直後に、現地は孤立。米軍の飛び石作戦で、ラバウルは、いわば置き去りとなり、そのまま終戦。「同期でも戦死した奴は多い」し、一期上の方々となれば、ガダルカナルへ送られた方もいらっしゃったはず。今日、我が家族のあるは、運命紙一重の差。恩給がつかずとも、その後の一生をほぼ全うしてきたことからみれば、贅沢は言うまい。特別慰労品とは何かとみれば、旅行券等引換券(5万円相当)、置時計、万年筆、文箱又は楯父のことはともかく、法の定めるところにより、恩給の基準に達せず、ご苦労なさった方々もあるだろう。戦争というものは、いまだに、こういうものを引きずっているわけだ。
January 22, 2009
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「8時だ!」「えっ 君が帰ってくるのが遅すぎるから」「なんで君が起きないのが俺のせいなんだよ?薫は?出かけたの?」いつも寝坊しても起こしてくれる娘が、この日に限って目覚ましのかけ忘れ「午前休だぁ」と起きてくるしかし起きたとたんに人のせいにするってひどくないか?
January 21, 2009
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正月に使った屠蘇散の残りを日本酒に入れたところ、家人にたいそうに受けた。「お祝いだから、食前酒にしているが、これはデザート系だから、本来は〆のいっぱい」と言いつつ、とうにお屠蘇気分も抜け切った街に屠蘇散探しに出かけるはめに。近くの酒屋では、「うーん年末はみりんの付録についてたんだけどね。全部売れちゃった」***どうなるかと思った、カノッサ幼稚園は、結局建物を壊した新築。Natural Lawsonの跡地もテナントが入り、何で今更の都市計画道路の延長はとりあえず回避された模様。ただし、その先、桜上水町内野島さんの畑中央には不思議なコンクリートブロックで仕切りが作られ、今後どうなるのか予断は許さない恵泉女学園裏からいよいよ、経堂五丁目まで、都市計画道路はあと一軒を残すのみ。所有者さんは、「通過道路は作らせない」と宣言されているけれど、個人的にはカノッサ前までは貫通させるべき。都市計画道路の建設が遅れているため、迂回に使われている狭い道路に面する方々は、半世紀にわたり、大変な危険とご迷惑にさらされている。どうせ、カノッサから先は21世紀中に出来るかどうか。あるいは、道路を作る必要がなくなるのが先のような気もする。西通り「鳥平」「天洋」を眺め、鯛焼き屋130円は高いと言いつつ、閉鎖された経堂Joyfulを回り込み、信号まで行かず、途中からすずらん通りに抜ける。「おいおい、こんな駅に近いところで、ここやってないのかい?」「そうみたい。これ、この板を虫が食ってるってこと?」「ここだと甘ぼうは右だっけ?左だよな」「甘ぼう」で、割れせんべい二袋と鯛焼き一つおばさんも心得たもんで、歩きながら食べるための小さな袋のほうを用意してくれる。「五家棒って熊谷のほうのお菓子じゃなかった。昔はだんごの隣でむき出しで売ってたのが、ビニールパックになってる」「私も父がよく買ってきたので食べたことあるわ」駅前の信号まで戻り、世田谷線の山下へ抜ける道側から移転後のOXに向かう。「こっちから行くとバリアフリーじゃねえんだよな」そういえば、小学校同級生の眞里ちゃんは、豪徳寺寄りにOXが移転したとき、「今までは、駅から降りて寄って帰れたのが、わざわざあちらまで行く気にはならない」って言ってた。「赤堤寄りになって、またいちだんと高くなってない?」「松原のオオゼキより悪いくせして2割高いって感じかな?」「なーにこれドンペリロゼ?いまどきこんなダサいのこの値段で売れるの?」「だから言ったじゃない。経堂は物価が高いって。パワーラークスまで足伸ばせば半額以下じゃないか?値段高いのがお値打ちだって思う人がまだいるのさ」「チョコレート売り場充実してない?」「バレンタインデーだからじゃない?」「この養命酒、箱の色が違う」「プレミアムバージョンだな。中身一緒のくせして箱だけでこんな違うの?」結局OXには屠蘇散は無し。裏の駐輪場から、前田眼科の通りを抜け本町通りへ。新妻皮膚科の前を通りながら、「ここは、名前忘れたけど耳鼻咽喉科のお医者さんだった。僕はアデノイドを取るかって言われたけど、神さまが与えてくれたものを取ることは、何かあとで悪いことが起こる気がするって、取らないで、毎年具合が悪くなるたびに、あのとき取っておけばどうだっただろうって思う」そちらのお医者さまには、同じ学年のお嬢さまがいらっしゃったと記憶にある。小学校一年生の頃のことで、あまり覚えていないが、新妻さんの建物と同じ建物がもう一軒、今の歯医者さんのところに建っていた記憶がある。そちらは、当時も歯医者さんだったかなぁ?「たぶんねぇ。経堂駅が出来たときに、宮の坂と経堂の間で、かならず繁盛しますからって、小田急がお医者さん誘致したんだよ。だから、このあたりにお医者さんが多いんだ」経堂セントラルの地下を抜け、農大通りへ。「農大通りを歩きながら、なんだっけ?」「樹木の話をでしょ」「まったくそんなことやったら、この通りだから迷惑だし、危ないだろ?」「城山通りのむこうっかわだよ」パチンコ屋前の流紋岩「これ昔、このパチンコ屋前にカラー噴水があったときにもあったような気がする」「Kardiここに移転したんだ」「前はここなんだったかしら?」「覚えてないなぁ」依藤さんの古本屋さんは、もうちょっと手前だったような気がする。ようやく目当ての三河屋本店「屠蘇さんねぇ」と言って奥へ行ったオヤジさん「年末にはあったんだけど、全部なくなっちゃった。薬局行ってみたらどうだい」それでは、と城山通りまで行って左へ曲がり薬局へ。「えぇありましけど、年内で売れてしまいました」「このイタリアン、休みの日はアラカルトですって。こんど行ってみたら?」「来るのはいいけど、帰るのがなぁ」「漢方薬屋行ってみようか?」「え?どこ?」「下高井戸」「えぇー?」「宮の坂から玉電乗ればすぐさ」下高井戸光慈堂薬局で「あの、お正月に使う屠蘇散ってありますか?」「今はありませんけども、おつくりすることは出来ます」「???」「七種類の薬草をあわせておつくりします」「おいくらぐらいですか?」「一包で6-700円でしょうか」「それを、お酒に入れるんですか?」「えぇ」「お酒は何がいいんですか?」「日本酒でもホワイトリカーでもよろしいですけれど、日本酒だとまろやかになり、よろしいのではないですか?」考えてみれば当たり前だよな「屠蘇散って漢方薬なんですか?」「もともとは、胃腸系の風邪薬ですね」「じゃあ、今何包かお願いできますか?」「いえ、今日は時間がありませんから。午前中でしたら、比較的時間がありますから、おつくりできると思います」
January 17, 2009
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自分より5歳ほど若い人お二人と話をしていたところ、雑談が偶然教育問題に入り込んだ。ちょうど、このところ教育関連の仕事も手がけ始めたところで、彼らのような企業の第一線バリバリの連中が、どのような考えをもっているかを実際に知るのもいいな、と思い、議論に及んだのだが....良く考えてみれば、自分 彼ら、どちらも「戦後教育」の体験しかなく(多少海外赴任中に外国教育の一端を齧ってみたことはある)、はしなくも「こりゃいかんわ」と改めて認識する羽目に。「戦後教育がいきなり現れた訳ではなく、教える側、教わる側は両方とも、そのすぐ前まで戦前教育システムでやってきた連中。米国が主導した教育制度、カリキュラム内容は、たまたまそのきっかけとなっただけで、すでに教育制度は戦前の段階から破綻していたのではあるまいか」と、仮説を立ててみたが、戦後教育から憲法、防衛まで、米国の押し付け米国一国支配が終了するこの時期こそ、日本が国内のみならず国際的ヘゲモニーを握るチャンスとする彼らに、取り付くしまもない。旧制高校出身の先輩から「六三制の問題は、人間の成長過程で、考える力を養成する大事な時期に、じっくり考えること、人と社会といかに交わるかの代わりに、テストでいかに良い成績をとるかを教えるように教育を変質させたこと」というご指摘が、まさに、現出していることをまざまざと感じさせられた。彼らは、憲法から教育まで米国から押し付けられ、日本本来の文化が、そこで変質させられたという、米国責任と受け止め一方自分は、そういう主張が全面的に誤りだとは思わぬが、変質してしまうものをそのまま放置し続けているのも自分たち、と、これは自己責任と捕らえているわけだ。本質の問題は、この議論、どこでやっているかは別にして、そうは言いつつ、じゃあ、誰がどうやって、どう改善するのかということに、今までつながっていかなかったこと。誰の責任か、それはそれで、いかに変えていくかを考えるときの現状把握として必要なのだろうが、問題は解決していかねばならない。未来に向かって問題解決を考えることでなく、過去の責任だけが議論される、まさに、「戦後教育の問題」で、物事が前に進まない。***とはいえ、手がけ始めた、海外機関との提携による新しい学校の誘致に、この問題、実は避けて通れない。近々、某県に話をもっていく中に、「(英語)教員の訓練プログラム」を盛り込むことになり、提携候補先から提示された計画案には、「海外知識習得のみに特化した現状の英語授業を、相手を理解しつつ、日本の生活、文化をいかに相手に伝えていくかに変質させていくプログラム」とある。相手はこちらの問題点にまさに切り込んできたわけだ。文部省と日教組が滑った転んだやりあって半世紀「素人、部外者は口を出すな」とばかり、誰も手を出さぬ泥沼の中、膨大なお金と、子供たちの時間を無駄に費やすことが続くのを、政治も誰も止めることが出来ない。焦燥感を通り越し、諦観が支配する事態を打開するには「ガイアツ」しかないのか。ある先輩に、支援を求めたところ、こういうご指摘もいただいた。「いい企画だが、僕は支援しないよ。教育は文化であり、国の将来の根底だ。それを海外にゆだねるなど、独立国のやることではない」パートナーのアイルランド人John Mooreはこう言う「アイルランドも同じ考え。しかし、イギリス人は違う。イギリスというPlay Groundに、いいシステムが導入されるならば、誰がやっても構わないと考えるしかし、彼らは同時に、誰であろうとも、私たちのPlay GroundでPlayする限りは、私たちが決めたPlay Groundのルールは守ってもらう とだけ条件をつける」それだけのルールと、ルールに対する信頼を日本は持つに至っていない。北京オリンピックの柔道金メダリスト石井慧氏は、「大学は腐ったミカン」と発言したそうだ。人々は、それを放言癖で知られる彼の暴言、あるいは、国士舘大学、柔道界への決別の辞と受け取っているだろう。しかし、既にあの若さにして、世界の頂点に立った彼が批判しているのは、畢竟、既得権益に浸り、旧システムの維持に連綿、汲々としている日本の教育制度そのもの。それが、たまたま大学、柔道界といったところに現れているに過ぎないのだ。
January 16, 2009
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かつて、小田急線の各駅ホームには、白地に黒で書かれた極めてシンプルな沿線案内の看板が、それぞれに立っていた。たとえば、経堂駅ならば、東京農業大学 南0.7キロメートル(実際のキロメートルは米へんに千と書く合成漢字)鴎友学園 南東0.6キロメートル千歳郵便局 西北0.8キロメートルといったような次第。高等学校以上の学校、大きな公園、公共施設などが記載対象だった。駅の改装に伴い、その姿を消してしまったが、あの沿線案内は、小田急線のほか、京王線、井の頭線でも見た記憶がある。今から思えば、まったく共通の書式で書かれていたのが不思議なところで、かつて各社が東急電鉄のもとに統合されていた時代の遺物だったのかもしれない。その中で、代田のどちらかにあった「清水バラ園」というのが数十年気にかかっていた。世田谷代田、新代田、下北沢の各駅の沿線案内に記載があったので、だいたいあのあたりと思う。当時付き合っていた女性と、散歩がてら行ってみたことがあるのだが、悲しいかな、夕暮れ時でちょうど門が閉まる時間で、入れてもらえず、あきらめて、そのまま機会を得ず数十年今は、もう存在していない...このまま、どこだったのか分からずじまいだろうと思っていたら、それは代田5-11付近だったと、最近ご教示いただいた。なるほど、ここかと思ったが、東西南北の記憶では、正面に西日が見えたので、東側に入口があったはず。いつか、現地に赴き、記憶をたぐってみることにする。
January 16, 2009
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世の中、先行きの景気動向不安から、人々の消費性向は著しく低下しているやに報道されている。それでもバーゲンは格別?既に、娘は正月2日。ネズミ騒ぎの我が家をしり目に、朝からバーゲンにお出かけだったが、こちらはたまたま、成人の日3連休の一日、家人に伴われて新宿まででかけることに。実は、お正月バーゲンなるもの、出かけた記憶は皆無。だいたいデパートでのお買い物など、一部食品売場を除き、高い金を払うだけ、と、敬遠してきた。今回も、別にデパートで買い物する積もりはさらさらなく、年末大掃除のとき、換気扇カバーの取り付けが甘く、それが落下して破壊された、陶器製キャセロール鍋のガラス蓋を東急ハンズあたりで探すのが目的だった。(四角の透明なガラス製で、上に摘みのついたガラス蓋)寒い風の中を歩くのは厭という割には、小田急サザンテラス側から跨線橋を渡る 明らかに寒いルートを選ぶ家人に文句を言いながら、東急ハンズ、そして高島屋へ。なんと、バーゲン時期と思い当ったのは、高島屋の人出を見たとき。いろいろ見て回るも、キャセロール鍋はあれども、ほとんどが琺瑯びきで、陶器、しかも四角いものなど売っていない。大きさだけ調べて、出かけてきたところへ、「メーカーがわかればお調べはできます」と言われ、四半世紀の間の生活変遷を改めて知る。コンロにもかけられ、取っ手を外せば電子レンジにそのまま入る四角のキャセロールは、当時、結構高かったものを、思いきって買ったお気に入り。連れ合いは、「混雑は厭。もう諦めよう」という私を引きずって、三越(伊勢丹と一緒になったからなのか?新宿アルコットというらしい)までまわって、代用品に四角いガラス皿を購入して、気持ちを落ち着けた。その間、息子にお気に入りのバッグを奪われたとかで、仕事用のバッグを買うと言い出し、そこいらの店を手当たり次第物色。「大きすぎる←(君にはちょうどいい)」「肩掛けにならない←(そろそろ年だから、せめてバッグでも手に下げて腕力を鍛えないと五十肩になるぞ)」「いいんだけど、つまらない←(だから何とでも合わせられる 来年も使える)」「底が拡がらないね。これじゃ使えないけど、いいねぇ←(使えないもの買うなよ)」「ななめがけできない←(絶対に必要ない)」「横の材質がざぶとんみたい←(もういい加減に決めろ)」「これかわいい←(娘が持って、ようやく似合うかどうか だいいち安っぽい それに小さすぎる)」「これ安いじゃない!←(その作りで、君が入れてる荷物の重さに耐えられる?ふたしまんなくていいの?それに小さすぎる)」***「でもね ほら みんな見てごらん小ぶりのバッグ持つのはいいけど、そういう人は、必ずもうひとつバッグ持ってるじゃないそれとお買いものの紙袋で3つ4つと増えてく」「だって、あなたみたいに、そんな旅行カバンみたいなもの持って歩くの邪魔じゃない」「でも、これは、要するにお買い物用ガーメントバッグ。僕と君のコートと、マフラー、手袋、そして君のお買いものが入ってるんだよ。だから、君だけは、その小さなバッグだけで快適なお買いものができてるんだぜ」「何がガーメントバッグよ。そんなものほかの誰も持ってないじゃない。ほら、商品にぶつけて落とさないっ!」***「それにしてもなぁ いろんなとこで、いろんなもの作って売ってるんだ。昔なら、”この形のものならどこの”って決まってたみんなが、同じようなものを、お互い作り合ってるから、競争になってしまって、もうからない」「競争するから値段が安くっていいんじゃないの?」「それぞれに、自分のスタイル、主張、機能があって、競争するなら意味があるけど、今はなぁ。表の柄とブランドマークを外せば、どこのがどこのだか分らんじゃないか。そういうのは、競争とは言わない」「この花柄のVuitton!」「そう。Vuittonってのは、丈夫で何回も修理が効いて、時代に左右されないデザインが支持されてここまで来たのに....嘆かわしいほら、もともとのVuittonは、底のところにあて皮がしてあるでしょ。だから、直しが効くんだ。こっちのは、同じ形だけど、皮がないじゃない。値段は2/3」「へぇー」「Coachは?」「アメリカブランドにしちゃいいセンスしてる」「このDior可愛い」「カネボウがやってた時代のDiorは論外だけど、俺たちにとってDiorってのは、本来はフランスの実におしゃれな部分を代表してたはずが、こういうデザイン消耗戦みたいなとこで勝負するデザインばかり出してるのを見るのは悲しいだいいち ブランドの名前つけてモノ売ってるの見るの気持ち悪いと思わないのかな?Christian Diorなんて名前がカバンの表じゅうについてるのは、要するに、麻生太郎ってまわりじゅうに書いてあるのとなんら変わらないんだぜ君の名前がまわりじゅうについてるカバン持ってみんなが歩いてたら気持ち悪いってのが、常識人の感覚だろ?」***それでも、それほど時間はかからずに、品物選びは終わったのですが...予定になかったバッグを買うことになったわけです。「バーゲンで無駄遣いしない秘訣は?」「いちばんは行かないことどうしても行くときは、荷物を持たず軽装で 車で行かない 鏡を見る」「買うもの決めて 使う金額決めてっていう人居るよね」「あれはダメ そういう人ほど、買うもの決めて、使う金額決めて そして、バーゲンに何度も足を運ぶ。バーゲン心理は、普段のスーパーマーケットでのお買い物とは違う。不満を残すことが、一番の無駄使いにつながる。でも、何よりも行かないことが一番。ほんとにいい商品は、バーゲンでは買えない」
January 13, 2009
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昭和2年10月21日の東京日日新聞10月15日の小田急複線開通の広告だ複線開通日より公告掲載日のほうがあと というのが現代と異なるところ急行停車駅は経堂! 登戸 新原町田 相模厚木 伊勢原 大秦野 新松田代々木上原も下北沢も、新百合丘も相模大野(このふたつはまだ駅も存在しなかった)も急行が止まらない時代に、経堂には急行電車が停車していた。それが....***「えっ?経堂は急行止まるんじゃなかったの?」「うん でもその急行は止まらないの」「だって、ほら、路線図に止まるって○してあるじゃない」「良くご覧なさい あれ○じゃないの△なの」「そんなの分かるわけない だいいち△なんて適用にないじゃない」「経堂のところに書いてあるでしょ」「あっ きったねぇ」「準急のとこにもちっちゃな△あるのわかる?」「えーっ ほんとだぁ」***「なんでこの電車 梅ヶ丘でこんな停まってるの?寒いじゃないかぁ」「知らない」「ドアしまったけど なんで発車しないの?」「分からない」「特急が通過するなんて、書いてないぞ」「通過電車は時刻表に書かないの」「えぇ またドア開いたよ そしたら しばらく閉めときゃ寒くなかったのに」「閉めっぱなしじゃ乗る人が気の毒でしょ」「あぁ ようやく発車したよォ」
January 8, 2009
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ホテルオークラで待ち合わせ、テラスレストランで打ち合わせがてら遅い昼食をごちそうになる。10年ばかり前、EU代表部のHenkeさんとおっしゃったか、顧問格の方に呼ばれると、いつもこちらでお昼をごちそうになったことを思い出した。左手の中庭で、自分より少々年上と思しきおばさんが携帯電話をかけている。注意して見たわけでもないのに、自然に目に入ってきた存在感に「違和感あるなぁ」と思いつつ席へ通される。別にその方が悪いということではない。自分の感じたのは、一般にその年代の女性が携帯電話をお使いになるときのしぐさとは異なる、使い馴れたおおらかさのようなものだった。もはや前世紀の遺物と化しつつある自分としては、未だ、このホテルではレストランで携帯電話を使うことにどことなくひけめを感じる。もっとも、そういいながら、同じ自分が、新幹線、いや、普通の電車の中でも、気にせず大声で携帯で話しをすることもあるのだから、勝手なものだ。打ち合わせ中ふと目を移すと、斜め前の窓際の席に、見覚えのある女性が一人でおかけになっていらっしゃる。他人の空似ということもあるし、目線をそちらに集めるのも失礼。きわどいところにさしかかっていたこともあって、相手に意識を集中し、議論を進めていく。しばらくしたあと、今度は左手前方に人の気配を感じ、思わずそちらに目を転じると、件の女性のご亭主として知られる某代議士。窓際の席に歩いていかれ、お昼をご一緒になさる。なるほど、先ほどの携帯電話の主もかの女性と思い至り、なるほど、そういう方々は、何らかの存在感をおもちだと、改めて納得。お昼を済ませ、紅茶をいただいたところで、もう一度目をテラス側に転じたが、すでにお二人のお姿はなかった。***夕刻、今度は、飯倉片町で打ち合わせ。お土産にと麻布十番はとば口の浪花家総本店で鯛焼を購入、バッグに入れる。提携候補先の商社とつばぜり合い。最終段階の打ち合わせ。日本企業は知的所有権に対する評価が低く、ノウハウをただ取りする、とは、パートナーのJohnに昨年来厳しく指摘されているところ。今日は出資金額と出資比率の話が出るはずと言われて出て行ったのが、案の定。担当の女性は好意的だが、同席の本部長と経理担当、子会社担当の交渉はきつい。時間が遅かったこともあって、打ち上げの食事の申し出も双方からないままに散会。車で移動の相手方をしり目に、麻布十番から電車で帰宅。家に帰って、珍しく全員そろった家族に、出さずじまいで冷えきった鯛焼をふるまう。「皮は堅いがあんこがおいしい」と皆の評価。まあいいか。
January 8, 2009
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年明けE-mailのやりとりに、知人の辞任、退職の挨拶が数件愕然とすると同時に、やはりそうかと厳しさを知る身につまされたのは、かつて一緒に仕事をし、いろいろと世話にもなった後輩からいただいた辞任の連絡。彼は、ここしばらく、管理担当役員の役目がら、役員及び役員経験者を中心に、諸先輩方に引退をお願いする役割を引き受けることが多かった。ところが、このご時勢、他に汚れ仕事を引き受ける人がなかったのだろう、一般社員リストラの推進役も合わせて引き受け、社内から怨嗟の的に。彼は心根の優しい人で、度重なる不本意な離職勧告の都度心を痛め、体調を崩したと人伝に聞いた。早速、本人に電話したところ「人減らしの話もここまで来ると、そろそろ働きの悪い私が辞める時機とも思いまして」そうなんだ。この人はそういう人なのだ。他人に厳しい彼は、自分にも厳しい。それが前面に出るので、彼の優しさを知る者は少ない。しかし、そのような彼だからこそ、自分がみて、世間の風に晒すに忍びない人たちに、離職を迫るの潔しとせず、自ら骸骨を乞うたのだろう。もとより、彼が手を下さずとも、誰か他の人が彼に代り、結果に違いがあるものでもない。それでも、一人の人間が、社内中の怨嗟を一手に引き受けるのは限界がある。結婚の世話にも関与した後輩まだ子どもたちも上が中学数年を過ごすたくわえはあると思うし、再就職に十分の能力、気力、体力、人脈もある。しかして、自ら、荒海に身を投じるとは。***本格的な嵐は、まだまだこれから急ブレーキを踏んだ景気の回復は、今年後半とかいう生易しいものではあるまい。現代社会で、多くの人々は、自分の手に持つ腕でなく給与所得者という特定の働き方に依存して生きてきた。気まぐれな自然の中で、生物が環境変化を生き抜いてきた秘訣の大きなひとつは、多様性にある。多様性に乏しい多くの都市生活者が、その生き方を変える決断をするまで、この不況は続くかもしれぬ。テレビを見ていて気になったのは、日米欧それぞれが、中国、印度を、不況脱出後の有望市場と改めて捕らえなおしているところ。80年前にも、日米欧の諸政府が民間経済への関与を強め、アジアでの権益確保にしのぎを削り、不況からの脱出を試みた。これからの社会においても、このまま進めば限られたパイの争奪をめぐり、各国利益の対立は明らか。よもや武力抗争に発展するとは思わぬものの、意識を変えねば、将来が危うい。それに、中国、印度に言わせれば、何も日米欧に市場を渡さずとも、自国産業で市場をまかなうのが先決となるはず。当面のスローガン程度に思わぬと、間違うことになる。***風がないから助かるけれど、寒いっすねぇ今夜あたりいっぱいいかが?
January 6, 2009
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穏やかだったはずが、細かい(?)トラブルが多発。対応に追われ、この正月にこそと思っていたことは、何も手つかず仕舞。二日朝居間のテーブルにおいてある果物のりんごとバナナに齧ったような跡を発見。ネズミの存在を疑うことに。築36年ともなる我が家だが、ネズミが出た記憶はなく、どうしたわけかといぶかしがることしばし。折からインターネットが年明けからつながらなくなり、特段急ぐこともなしと、放っておいたのを、もう一度ケーブルを点検すると、おそらくネズミとは関係なかろうが、断線しているのを発見。さらに、二階のトイレの一方が詰まり気味で流れが悪い。トイレは、一年ほど前に、排水土管が動脈硬化を起こし(つまり内壁に油その他がこびりついた)て詰まったことがあり、これはどこかほかの場所で!と危惧したが、ラバーカップを使ったところ、たちどころに流れが回復。ことなきを得る。インターネットはケーブルを買いに出かけ、ついでにねずみ取り(鳥もちタイプ)を購入。ネズミの顔を見るのはいやだと殺鼠剤も考えたが、家具の裏で死なれ、あとで厭な思いをするよりは、と、ゴキブリホイホイの大型版を買うことにした。ネズミと遭遇するのを怖れながらの配線に思ったより手間取り、「せめて年末前に断線していれば大掃除のときに配線できたものを」とぶつぶつ。この寒空、ありかはアソコと、年末には何もなかった冷蔵庫裏に狙いを定めて、ネズミ捕りを配置。朝起きてみれば、体長10cmばかり(尻尾は除く)の中型が一匹見事に捕獲されていた。***元旦は、正月恒例の諸行事のあと毎年通り神社へ初詣。息子は、友人と未明に済ませたとのことで、夫婦と娘の三人連れ。参拝のあと、これまた恒例の年頭おみくじ。「いや、結構よく当たるんだ」と例年通りのせりふを言いながら引く。すると娘も「よく当たる」と言う。昨年に引き続き、今年も運勢は「末吉」「用心して時の来るのを待て 初めは心配事多いけれど後になれば何事も望み通り叶う様になり幸福引きつゞいて来ます。信心怠りなく心を正しくしなさい」いいじゃない。恋愛「浮気心は捨てよ」に引っ掛かりを感じるが、浮気でなければ良いと勝手に解釈する。正月休みの諸トラブルも心配事多きのうちと考え、今年もじっくり行こうと心に決める。
January 5, 2009
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新年明けましておめでとうございます私ども皆にとりまして今年が平安な一年でありますよう。未曾有の大恐慌への奈落に立つ今、一番大切なことは、私たちひとりひとりが、自立する個人として、いかに生きるかであると、私は考えています。無論、私たち、ひとりひとりは、力も名も無き人間に過ぎません皆で連帯することが必要なこともあるでしょう緊急に助けが必要な方も多くいらっしゃるでしょうしかし、全員が他者に助けを求めているだけの社会は成立し得ないわけで、自分は自立して生きるさらには余力のある人には、他者への支援への参加をお願いすることで今年は過ごしていきたいと思っています。
January 1, 2009
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