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貧困率には絶対貧困率と相対貧困率があります。 絶対貧困率は発展途上国の生活費費が1日1ドル以下の人たちの割合です。 相対的貧困率は先進国の国内での貧困を示すものです。 貧困率の計算方法はいろいろありますが、OECDでは、等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率を相対的貧困率と定義して、国際比較を発表しています。 日本について2000年の厚生労働省の国民生活基礎調査のデータ計算すると、等価可処分所得の中央値は約274万円で、この半分の額である約137万円に満たない人の割合が貧困率となります。 OECDの社会指標に関する報告書によれば、2000年のデータで、OECD25カ国の貧困率の平均値は10.2%となっており、日本の貧困率は15.3%で、メキシコ20.3%、アメリカ17%、トルコ15.9%、アイルランド15.4%に次いで5位となっていました。 2003年では、日本の貧困率は14.9%で、メキシコ18.4%、トルコ17.5%、米国17.1%に次いで加盟30か国中4番目に高かったです。 2006年では日本の貧困率は15.7%でしたが、1990年代なかばは13.7%でした。 貧困率は確実に年々上昇しているようです。
2009.10.27
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翌年度予算の大枠を示す概算要求基準に沿って、例年各省庁が8月31日までに財務省に概算要求書を提出することが政令で定められています。 9月以降、財務省は経費などの査定を開始し、政府は12月下旬に翌年度予算の政府案を閣議決定し、年明け1月の国会に提出する慣例となっています。 今年は政権交代があった関係で、麻生政権下で進めてきた2010年度予算の概算要求を全面的に見直すこととしました。 各省庁が10月15日に概算要求を再提出する2010年度予算の一般会計の総額が90兆円台半ばまで膨らむ見通しとなりました。 概算要求段階では過去最大規模となり、鳩山首相は各省庁に対して従来の政策については2009年度当初予算を下回る水準に抑えるよう求めていますが、見直し作業は難航しています。 子ども手当など新規事業の実施で要求額は当初予算より7兆円近く増加する可能性もあり、首相は歳入不足を補うための赤字国債増発について、本来、発行すべきでないが、やむを得ないことも出てくるのかどうか、税収の落ち込み具合を勘案しながら考える必要がある」と述べ、税収によっては避けられないとの認識を示しました。 問題は景気が回復して経済成長が望めるかですが、公共事業の削減などのマイナス要因が、子供手当てなどのプラス要因でどのくらい補填し凌駕できるかが問題です。 どういう結果になるかは1年もすれば明らかになるでしょう。 やっぱり民主党ではダメだったかとなるか、 結構良いではないかとなるか。
2009.10.19
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岩船寺は山号、高雄山(こうゆうざん)、本尊は阿弥陀如来、開基は行基と伝えられ、アジサイの名所として知られアジサイ寺とも呼ばれます。 ”京の古寺から 岩船寺”(1998年5月 淡交社刊 植村幸雄/永野一晃著)を読みました。 京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院である岩船寺(がんせんじ)の四季を、写真と文章で紹介しています。 植村幸雄さんは、1939年京都府加茂町岩船寺に生まれ、1957年得度、1961年種智院大学仏教学部密教学科卒業、1967年総本山西大寺にて灌頂、1981年20年間の商事会社勤務を経て1982年岩船寺副住職、1986年住職になりました。 永野一晃さんは、日本写真家協会会員、1945年京都市に生まれ、1966年ヤラカス館本店に入社、ファッション、料理などの広告写真撮影に従事、1971年フリーランスとなり大阪にスタジオIKKOを設立しました。 岩船寺は729年に聖武天皇の発願により行基が建立したと伝わり、その後、平安時代初期の806年に空海の甥・智泉が入り、伝法灌頂の道場として報恩院を建立しました。 813年に嵯峨天皇が皇子誕生を祈念して後の仁明天皇を授かったので、嵯峨天皇の皇后が伽藍を整え、岩船寺と称するようになったといいます。 1221年の承久の変の兵火により建物のほとんどを焼失しましたが、室町時代に三重塔などが再建されました。 江戸時代には興福寺の末寺でした。 三重塔、十三重石塔、五輪塔、石室、木造阿弥陀如来坐像は重要文化財で、木造四天王立像は 京都府指定文化財です。 岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多いです。 当尾には中世には、都会の喧騒を離れて修行に専念する僧が多数居住し、多くの寺院が建てられたと言われ、今に残る石仏・石塔群はその名残りであるといわれています。
2009.10.13
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春闘ではベア・ゼロ回答が相次ぎ、賃下げも辞さない動きが広がるなか、賃金デフレ喧伝されていますが、実はすでに前から賃金デフレは始まっていたそうです。 それは主に、賃金の安い非正規社員への雇用構成のシフト、ボーナスなど特別給与の圧縮、という形で人件費コストの圧縮が図られてきたことによるようです。 そして、正社員の基本給部分まで賃金削減のメスが入りつつあります。 ”賃金デフレ”(2003年11月 筑摩書房刊 山田 久著)を読みました。 ここ数年来、賃金は伸びないばかりか、実質上の賃下げも行われている実情を検証し、賃金デフレの実相を明らかにしています。 2003年の著書ですが、いまでも新鮮な気がします。 山田 久さんは1963年大阪府生まれ、1987年京都大学経済学部卒業後、住友銀行入行、同行経済調査部、日本経済研究センター出向を経て、1993年から日本総合研究所へ出向、日本総合研究所調査部主任研究員、2003年より調査部経済研究センター所長。 1997年半ば以降にみられる名目賃金の右肩下がりのトレンドの底流には、アジア諸国の日本経済へのキャッチ・アップの進展に伴うわが国製造基盤の縮小があります。 生産性伸び率の鈍化を通じて賃金下落圧力となり、安価で良質なアジア製品の流入が国内財価格を押し下げ賃金デフレの圧力となっています。 また、サービス部門では、製造部門の成長力低下がサービス価格下押しし、交易条件悪化がサービス部門の利潤縮小につながっています。 このような賃金デフレは、既に雇われている人の雇用を守る効果がありますが、若手失業の深刻化という問題を生み出しています。 また、年功賃金にかわって最近日本企業が導入を始めている成果主義は、人材育成やチームワークにとってマイナスとの調査結果もあります。 新興工業国の台頭に伴う成長力低下、デフレ圧力に対する先進各国の対応には、3つのパターンが見られるそうです。 1つはドイツ型で、賃金・物価といった価格体系を維持する一方、失業・空洞化という数量で調整する価格維持・数量調整型の対応方式、 2つは日本型で、雇用・生産量という数量を維持する一方、賃金・物価といった価格面で調整する価格調整・数量維持型の対応方式、 3つはアメリカ型で、産業構造のダイナミックな転換を特徴とした価格・数量転換型ともいうべき方式です。 日本の対応の特徴は他に比類のない名目賃金のフレキシビリティーにあり、アジア諸国のキャッチ・アップの進展に伴う製造基盤の縮小傾向がみられるなかで賃金下落圧力が強い状況下、バブル崩壊後の膨大な産業調整圧力を緩和・吸収するに十分なだけ名目賃金が柔軟であったため、賃金デフレが現実化していると説明されるようです。 しかし、失業率の上昇テンポを緩和するものの、事業再構築よりもコスト削減を優先する企業行動を招きやすく、今後も長期間にわたって経済活動の停滞と失業率の上昇傾向が続く恐れがあります。 賃金デフレからの脱却には産業構造の転換を通じた生産性向上が不可欠で、製造部門がサービス部門を引っ張るという従来のパターンを脱却し、製造部門とサービス部門を両輪にした新たな成長パターンを築き上げることが必要です。序章 賃金デフレの時代第1章 賃金デフレの実態第2章 なぜ賃金は下がり、今後いつまで下がるのか第3章 賃金デフレは職場や個人生活をどう変えるか第4章 「成果主義」は救世主になるか第5章 「働き方の多様化」は何をもたらすか第6章 賃金デフレを超えて
2009.10.06
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