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普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。No302無邪気さとは、パートナーやあらゆる人を愛せる「大きさ」であり、創造性という贈り物を世界に与えられる「広さ」なのです。あなたの無邪気さはパートナーを祝福し、愛され、大切にされていると感じさせます。そして、人生は素晴らしい宝物だという気持ちをもたらします。 無邪気さは、私たちの選択の一つです。 今日はどんな時にも、可能な限り、あなたがけがれのない無邪気さの中にいることを選択しましょう。嫌な感情は、あなたが手放せるように上がってきてくれたのだと感じ、心の中から湧いてくることや、外側からやってくるように見えることを歓迎しましょう。 罪のない無邪気さという真実が、すべての嫌な感情をあなたの中からどんどん出させていくのを加速させてくれます。 無邪気さとは「罪悪感のないありかた」であり、それは私たちの内面からうまれ出るものです。そして、私たちの本来の仕事ではなく「神の仕事」をかわりにしようとすることによって生まれます。 昔、こんな文章を読んだら「新興宗教?」と思ったに違いありません。すべての嫌な勘定を私の中からどんどん出させていく?!なんて魅力的な言葉でしょうね~(笑) 曽野綾子さんの著書に「神様、それをお望みですか」というタイトルのものがあります。曽野さんのかかわっているNGOの活動について書かれた本ですが、内容もさることながら、このタイトルが大好きです。 聖母マリアが、処女受胎を告げられた時、当時大スキャンダルだったに違いないにもかかわらず、神様のお望みなら、と素直に運命を受け入れた、その美しい無邪気さへの感動が、タイトルの背景にあると思います。 何かを選択するとき「神様、それをお望みですか」という問いは、「お望みならば、選択の結果の苦しみもすべて負います」という、素晴らしい決意に満ちた、清らかな問いだと思います。 けがれとがらくたに満ちた心で生きているkoalaですが、けがれも、がらくたも、「私が手放せるように上がってきてくれた」と、そう「無邪気に」考えるといいのですね。 「神の仕事をかわりにする」というのは、「神様がお望みの仕事」をすること。神様、私をどうぞ使ってください、という無邪気な気持ちを、どうぞ私がもてますように。 本日のキーワードは「無邪気さを選択する」ですね
June 26, 2006
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https://ss1.xrea.com/craseed.s196.xrea.com/syomei/26日朝9時締め切りのネット署名にご協力お願いします。 一部の疾患を除いて、障害者のリハビリテーションが、発症後180日を上限として、打ち切られてしまうことになりました。リハビリテーションで効果があるとわかっている場合もです。 重大な障害を負った人間にとって、リハビリテーションでの機能回復は、人間の尊厳にかかわる問題です。リハビリテーションの中止により、生活能力の低下や、要介護度の重度化、寝たきりの増加は必至です。 保険診療下で認められるリハビリテーション医療の最大180日までという期限を撤廃し、個々の患者の必要性に応じて、リハビリテーション医療を提供できるようにすることを請願する署名運動があり、24日が締め切りでしたが、ネット署名に限り26日の朝9時までの期限になっています。 賛同くださる方のご協力をお願いします。
June 25, 2006
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普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。No40 世の中の最大の問題のひとつは、自分は愛されていないのではないかと感じていることです。私たちは自分自身を愛していないとき、「私は愛される価値がありません」というメッセージをみんなに送っているのです。すると周りの人は、うんざりしてしまいます。 あなたが自分自身の存在を認めない限り、ほかの誰かがあなたを認めることはありません。 今日は自分自身に対して、何か愛の行動をしましょう。 まず自分のことをじっくり眺めてみてください。あなたが信頼できるのは、自分のどんな所ですか。尊重できるのはどこでしょう。 自分にどれほど価値があるのかを認めてください。自分には何の価値もないという「無力感」が出てきたら、それが消えてなくなるまで、感じつくしてみましょう。 そのさらに奥深くには、もっと嫌でたまらない感情が見つかるかもしれません。どんな感情も、それが消え去るまで進んで感じていくことが、最も簡単な癒しの方法です。 このプロセスを通じて、あなたはさらなる「開き」を見出すことでしょう。それによって、他者の愛を受け取り、自分自身への愛を感じることができるのです。 「私は愛される価値がありません。」ちょっとこの言葉にどっきりですよ。こういう自虐のない人って、いるでしょうか?「自分には何の価値もないという無力感。」こういう魔の声を感じつくしてみましょう?! 自慢じゃないけれど、そういうのはいっぱい抱えています。そうじゃない証明に「べき」を連発してたのでしょう。 昨日開いたページの内容にリンクしてますね。無力感を感じつくすなどという恐ろしいことができるの?そう思いますけれど、そこで昨日のページの言葉が生きてきます。この無力感もまた、真実ではないのです。私の本質は、もっとずっと完全なものなので、それさえ信じていれば、無力感など怖くないのです。 連想するのは「あなたがたは世の光である」という聖書の言葉です。自分の本質が世の光なら、怖いもんなしですよね。
June 24, 2006
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昨日は楽しい横浜でしたが、今日は義姉がお泊りの日です。昔は甥や姪だけお泊りでしたが、あの子達も成長し、今度は逆に、義姉だけお泊りの年代になりました。時の経つのは早いものですね。 実は昨日は朝6時半に家を出るという、早い時間のお出かけで、なにぶん家事が溜まっておりまして・・・(爆)今朝は、昨日の分までお洗濯し、掃除して、それから仕事に行ったので、ちょっとへたり気味。お風呂場のカビキラーはサボりました。お泊りの客のある時は、普通するんだけどね。 ところが・・!私がやらないものだから、シュウトメちゃんが、義姉が到着した後で、カビキラーの使い方も知らないので、キッチンハイターを撒いて、お風呂場のお掃除を始めていたんです。気がついたときには、終わっていました。夕方ですが、お風呂場の窓は開け放すしかありません。お風呂場の窓には網戸がなくて、蚊は入り放題ですが。 娘に快適さをあげたいシュウトメちゃんの母心を、軽く見てるから、こういうことになりました。 仕方ないので、義姉には、「わたしがだらしないので、いつもおばあちゃんにお世話になっています」と言いました。わ~ん。恥ずかしいよぉ。(私の中の見栄が泣く) でも、いいんです。私はきっと、こういう見栄から脱却しなくちゃいけないのです。よく思われたいというスケベ心からではなくて、自分の中の一番いい部分を相手に与えること。そうすると、相手からも、一番いい部分が引き出せる。愛読中のスペザーノ氏の理論からいくとそうなります。 自分が、カビキラーをさぼったりしない主婦だと、義姉にアピールすることは、大事なことじゃない。サボっていいということにはなりませんが、大事なのは、義姉を尊重する気持ちを持つことよね。シュウトメちゃんは、お風呂場の床面にキッチンハイターを撒いたようで、残念ながら、あんまり効果はなかったです。床のタイルはとても古いので、毎日普通にお風呂の洗剤で磨いている以上には、いくら漂白剤を使っても、きれいにはならないのです。でも、シュウトメちゃんはカビの心配をしたのかもしれませんね。横浜に行く前日、シュウトメちゃんが大量の空き瓶を出して、(リポビタンDを毎日飲んでいて、普段は部屋に空き瓶を溜めてる)私はそれを「また私が出かけるとなると、こういうことする~」そんな解釈をしていたのですが・・・。あれは今回は違ったのに気がつきました。シュウトメちゃんは、部屋をきれいにしている母親でありたかったから、娘が泊まる前に、大掃除しただけ。そうだったんだ・・。 たまにしかない、一緒に過ごす時間を、では、私のマゴコロをもっていい時間になるように、お手伝いさせていただきましょう~。
June 24, 2006
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普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これは普通の日記です。朝の9時26分、新幹線は新横浜に着きました。降りた私を迎えてくれたのは、ネット友達うかっちょさんの笑顔♪ ネイビーブルーのトップに白いスカートのうかっちょさんは、「生まれも育ちも横浜」モードの素敵な人でした。なにしろ上品で、知的で、しゃきしゃきしてらっしゃる。 新横浜から電車で職場に向われるうかっちょさんと、横浜駅までご一緒し、おしゃべりに花を咲かせ、石川町駅までの行き方も教えていただいて、鳩サブレまでいただいて、サヨナラした私。うかっちょさん~。お会いできて嬉しかったです~! それからの私たちは、いろいろな所に行くはずでしたが、買い物の楽しさにはまりまして、ほとんどの時間を元町で過ごしました。 キタムラのバッグを買った人、ミハマの靴を買った人、ローラ・アシュレイの服を買った人などなど・・。さて、koalaの買ったのは上にある3つのうちどれでしょう? 中華街で美味しいコースを頂いた後、よしもとの水族館をのぞいて、出口付近にあった変身処。まさか、自分たちがチャイナドレスで記念撮影するなんて、全然思っていなかったのに・・・。「本日レンタル料半額」の文字に、40代のお得好き心が燃えたのか、気がついたら、チャイナドレスでポーズをとっておりました。いや~、面白かったです。 こういう買い物三昧の旅行って、夫とじゃできないわよね・・・。そういいつつ、帰途につきました。 今回はちょっと奮発して、新幹線もグリーン車にしました。流石に広くて、気持ちよかったですが、周りはほとんどみんな、サラリーマンも皆さんでした。平日だものね。子供たちも夫も、学校や会社に行ったのに、母だけ楽しんで、買い物もしちゃいました。 問題の答えは、ローラ・アシュレイの服でした。帰宅して夫に「旅行にぴったりの服を買っちゃった。さあ、これを着た妻と遠くに出かけたくなったでしょ?」そう言ってみましたが、素敵な答えは返って来ませんでしたね~(残念)
June 23, 2006
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普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。No325 誰でも、よい自己概念が欲しいものです。自分のことをよい人間だと思えれば、自然に気分よくなれるだろうと思うからです。 しかし、自己概念というのは、もともとは自分は否定的で悪い人間なのではないかという疑いから生まれたものです。自己概念は何層にもなっていて、よい自分という概念もありますが、それは単に悪い自分を打ち消すための補償なのです。 この層をつきぬけた潜在意識、またはさらに深い無意識の層には、ネガティブな自己概念の「はきだめ」があります。自分についての本当の考えを知ってしまったら、たぶんあなたは耐えられないでしょう。 ただし、よい知らせがあります。そういうネガティブな自己概念もまた真実ではないのです。 自分自身についての思考は真実ではありません。自己概念とはすべて、あなたが「証明しようとしていること」なのです。それは本当はあなたが「信じていないこと」です。信じていれば、証明する必要はありません。思考は抵抗とコントロールの一種です。 それに対して、あなたの本質とはもっとずっと完全なものです。自己概念をつきぬけてしまうと、新しい深さに達します。そこにはあなた自身についてのポジティブな観念があります。 今日はポジティブなものも、ネガティブなものも含め、すべてに自己概念をつきぬけてしまいましょう。 あなたの本質である完全性に到達しましょう。そこに到達した時には喜びがあふれ、自分がとても心地よく感じられます。自分がどれだけ愛され、愛しているか幹事、あなたの自然な創造性がわきあがってくることでしょう。 すべての自己概念を手放しましょう。自己概念があなたから「あなた」をうばうのです。 すごい言葉のオンパレードです。誰でもよい自己概念がほしい。私なんか、きっとこの願望が大きそう。ネガティブな自己概念のはきだめ。ここを読んだ時、これは絶対にある、と感じました。それにしても「はきだめ」という単語もすごいと思いましたが、なんとこの自己概念(のはきだめ)も真実ではないと言う。 自分に対する悪い評価を私は証明したがってる? 悪い自己概念を、打ち消すために、いや、私にはこんないいところがある、とよい自己概念を持てるような言動に励む一方で、実はやはり私は、こんなダメな人間・・という証明にも励んでしまう。 それは抵抗やコントロールであって、本質ではない。本質はずっと完全なのだと言うのですね。ポジティブなものも、ネガティブなものも、自己概念は思考にすぎない。すべての自己概念を手放しましょう、とおっしゃる。 こんな考え方に接したのは初めてですが、そうか、手放しちゃったほうがいいんだ・・。手放す時の呪文(?)は、『私たちの本質は完全!』なんてどう?
June 23, 2006
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普通の日記とスペザーノの日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。No271過去の傷跡を勲章のように大切にするのは、まだ学びきっていない暗いレッスンがあるということです。それは自分の人生がどれほど大変だったか、だからこそ自分はどんなに素晴らしい人間なのかを証明するために見せているのです。 人間関係で大切なのは、過去においても、現在でも、『傷跡』ではありません。真実を探すために、役割と義務という犠牲や耽溺を超えて自分を広げ続け、相手につながることなのです。人との関係において本当に自分自身を与えていくと、自分を犠牲にせず人とかかわる方法が学んでいけます。 あなたの主な人間関係を見てみましょう。 その関係が始まる以前、あなたはどんな人でしたか。あなたの人生にはどんなものが欠けていましたか。あなたが望まないのに存在したものは何でしたか。 どれほどたくさんの感情が、隠れていた奥のほうから表面に上がってきて、癒されたでしょう。あなた自身の心の中の葛藤に対処する勇気が持てるようになったことを認めてください。 それまでは役割や、人からよく見られたいために隠してきた、自分自身に対する気持ちにも向き合って対処してきたのです。 こうしたことすべてを見て、承認しましょう。すると自分自身にもパートナーにも、更にこの関係にも、感謝の気持ちがわいてくることでしょう。 犠牲も傷跡も、間違ったこだわりから生まれるのでしょう。この本には繰り返し『自分自身を与える』という言葉が出てきます。 人間の本質には、陳腐な例えだけれどダイヤモンドがあって、いろんなガラクタに囲まれてはいるけれど、本当はいつもそれが光っている、というのが私のイメージです。 ガラクタを片付けて、ダイヤモンドを尊重すること。『本当に自分自身をあたえること』のイメージはそんな感じです。お互いのダイヤモンドが呼応することが、『自分を広げ続け、相手につながること』ではないかと思います。 ガラクタの部分ではなく、ダイヤモンドの部分でつながりたい。ダイヤモンドの部分でつながる時、本当の幸せを感じるのでは。その時、そこには、役割も義務もなく、幸せなつながりがある。今日のページを読んで、そんなイメージを持ちました。
June 22, 2006
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すごい勢いで飼い犬が吼えたので、庭に出てみると、ご近所のわんこが、綱をちぎってご訪問してました。このわんこは、友好的なおちびちゃんなので、綱をつかまえました。 そこに銀行の人がやってきたので、娘が飼い主さんの所へ行き、留守だったので、なんとか綱を縛ってきたそうですが、その後このわんこは再脱走。シュウトメちゃんに飛びついて、大騒ぎでした。 夜の10時過ぎ、また我が家の飼い犬、大騒ぎ。もしかして、また?と思ったら、今度はニンゲンでした。(爆) ご近所の呆けちゃったおばあちゃんが、お嫁さんがお風呂に入っている間に脱走。家に誰もいない、ご飯を食べさせてくれない、とこの人にとっては、koala家に緊急避難? 『もう寝る時間だから、家に帰ろうね~』とやんわり説得している所に、お嫁さん登場。このお嫁さんは、いつも大変そう。 なんだか脱走の日でしたねぇ。
June 22, 2006
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今日は、週1回の運動の日。昔は、週1回なんかじゃなくて、プールへ行ったり、ジムに行ったりして、鍛えていたこともありました。 でも、もうそういうのは私をそそらない~。まだ1キロ泳げるわ、と最後に思ったの、いつだっけ?きっと今泳いだりしたら、25メートルでも心臓バクバクに違いない・・・。無理して頑張ること全般が、もう私に向かない(!!) 週1回の運動の中身は、エアロビ&ダンベルの教室です。この教室は平均年齢が高いので(爆)、無理なく続く、いい教室です♪ エアロビを始めた頃は、20代(後半だけど)だったのですよ。子供の手が離れて、ちょっと楽しみたい仲間で作ったサークルです。レオタード着て、レッグウォーマーつけて。レオタードの下は、Tバッグがお約束。思い出すと笑えてきちゃいます。今のメンバーで、レオタード着てる人なんてひとりもいません~。 メンバーも、先生も何度か変わっていきましたが、今の先生は、10年以上ずっと続いています。じゃあ、koalaのエアロビ歴、長いじゃない?!と思いました?実は私は、ブランクが長かったので、たいしたことないのです。 ただ、続けていれば、それなりの現状維持はできるみたい。もう今の年では、目標が現状維持みたいなモンです。
June 20, 2006
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koalaは普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。No147両親が対立関係にあると、あなたの中でも『内なる男性』と『内なる女性』が戦争状態になっていることがしばしばです。 『内なる男性』の特質は与える力と新しく始める力であり、『内なる女性』の特質は受け取る力とはぐくむ力です。この両方の価値を学ぶにつれて、あなたの中で自然と両者のバランスがとれてくるのです。 あなたの内側に『男性』と『女性』がいるところを想像してみましょう。 どちらの方が助けを必要としていますか。『内なる男性』が助けを必要としているなら、『内なる女性』が天の恩恵を受け取り、彼を力づけてあげましょう。もし『内なる女性』のほうが助けを必要としているなら、『内なる男性』が彼女のところに行き、支え、守り、愛して気づかってあげましょう。 う~ん。私の中に男性と女性がいることを想像する?どちらが助けを必要としているか?そんなこと考えたこと、一度もありませんでした。どっちでしょう・・・? 私自身は、非常に女っぽいのではと思っていますが(?)与える力と受けとる力、と言われると、もしかして与えたい方かな・・だとしたら男性が強い?とちょっと迷ってしまいます。皆さんは即答できるのかな・・・? とにかく、バランスが大事、なのですね。与える力と受け取る力、新しく始める力と、はぐくむ力。『受け取る力』って、何だか新鮮な言葉じゃないですか? 受け取ることよりも、与えることのほうが大事。そういうのは、「思い込みの癖」なのかもしれません。 与えられたものに気づき、感謝し、それを伝える。自分の中の優しい思いを、そんな風に上手に受け取ってもらえたら、もっと与えたくなって、どんどん優しくなるのでは? 自分の中のいいものを、与える力と、相手の中のいいものを、受け取る力。こういう思いやりのピンポンの逆バージョンが、いわゆる「売り言葉に買い言葉」かもしれません。あ。これって、波長の法則?! 親としては子供に与えなきゃ。妻としては夫に、嫁としてはシュウトメちゃんに・・・。そんな思い込みはぽ~んと捨て去って、にこにこして受け取ってみましょう。 では、私の中の『内なる男性』さま。私の中の『内なる女性』のところに行って、『支え、守り、愛して気づかって』くださいね♪・・・・『内なる』男性以外に、そんなナイトは私にいないじゃないの(寂)
June 20, 2006
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koalaは普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これは普通の日記です。青字は本からの引用部分です。感情はあなたの内面からあがってきたものです。内面にないことを、だれもあなたに感じさせたりすることは出来ません。 『誰かのせいで』怒っているとか傷ついているというのは、その人があなたの中に入って怒りや傷の発射ボタンを押した、と言っていることになります。それは真実ではありません。あなたが何を感じるのか、その選択権はあなたにあります。 自分の内面に痛みがあると、自然にその痛みを誘発する引き金になるような事態が起こるのです。 自分の感情を他の人の責任にしようとすると、自分自身を卑下し、可哀相な被害者にしてしまいます。 『自分の感情の責任は自分にある』と、すれば、自分でそれを変えることが出来るのです。 自分の感情に責任を持ちましょう。 あなたの否定的な感情は、あなたが学ぶべきレッスンを示しています。あなたは自分で自分の感情を変えることができるのです。 とてもスピリチュアルな言葉です。以前の私なら、この言葉は意味不明だったでしょう。 もし『ある人』が言ったりしたりすることで、怒ったり、悲しんだりしたとしたら、私は可哀想な被害者、ということではなくて、私の中に、怒りや悲しみがあり、その中に学びのレッスンがある、『ある人』の言動は、自分の中にあるものを見せてくれた、今日開いたのは、そういう意味のページだったと思うのです。 自分が今、どんな顔をしているか、鏡を見ないとわかりません。この世に起こることは偶然ではなく、あるときは鏡だったりするのですね。 でも、今日このページを開いた私には、怒りや悲しみを感じることが起こるのかしらね??そうとは限らないけど・・・いい日でありますようにと一言祈っちゃった朝、でありました。
June 19, 2006
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koalaは普通の日記とスピザーノ日記をアップしています。これは普通の日記です。昨日は父の日でしたね。私は花屋さんで、胡蝶蘭の鉢植えを『父の日用に』とラッピングしてもらいました。 欄の花は、霧吹きで水ごけを湿らせる程度の水やりだから、しっかりラッピングしても、困ることはありません。今の暑い時期、アレンジは早く枯れやすいけれど、根っこがついている分、欄の鉢植えは長もちします。 父が亡くなって、もうすぐ2年です。 ふと気がつきました。私は実家の父にお花を買ったけれど、嫁ぐ前に仏様になっていた舅に買っていないことに。 実家の父は、私が結婚してからも21年、生きていてくれたので、長い間、私は父の日のプレゼントを毎年贈ることが出来ました。舅は写真でしか知らないので、『父の日』と思ったことがなかったです。 嫁いだ頃は毎月の舅の月命日に、お供え物を買って、安寿様にお参りしていただいていましたが、安寿様が、そういうお参りが出来なくなって以来、月命日も忘れてしまうようになるていたらく。 父の日に、亡くなった舅に何か贈ろうという発想も、私にはなかったのですね。自分の父には去年もしていたのに。 でもこれは、自分の父が亡くなって、今まで毎年、プレゼントは何にしようと迷ってきた思いが、行き場所がなくなって、とても淋しかったので、仏壇にお花を、と思うようになったのですね。だから、会ったことのない舅には、父の日でも気がつきませんでした。 来年の父の日には、舅にもお花を買いましょう。舅はどんなお花が好きだったのかな?
June 19, 2006
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koalaは普通の日記とスペザーノ日記をアップしています。これはスペザーノ日記です。青字は本からの引用部分です。 手でふれることはつながりを確かなものにし、癒しをもたらします。 今日はパートナーや子供たち、両親や友人たちにあなたのほうからふれてみましょう。 握手したり、抱きしめたり、ただ肩の上に手を置いてあげるだけでもいいのです。今日は、手のぬくもりがもたらす、確かな感覚を与えてみましょう。 今日は父の日だと思いながら、開いたページがこれ。私の父は亡くなって、もうふれることが出来ないのに? でも、これを読んで思い出しました。亡くなる前、ホスピスのベッドで寝たきりの父の頭を手で何度もなでたことを。そんなしぐさ、元気な時には想像もしませんでした。 しかし、これはいかにもアメリカ人。日本人って、大きくなったらそんなにふれあわないよね?血中外人濃度の高い(?)まおさんなどは例外として?! 父の日だから、お花を父に買って、実家に行こうと思っています。晩御飯は、息子のバイト先に行っちゃおうと思っていたら、なんとご近所のおばあさんが亡くなり、今夜はお通夜に行かねば。 実家の母の肩たたきでもしてきましょうか。子供たちは、私がいきなり握手~♪と言えば、ん?と思いながらでも握手するタイプだからそうしようか?でも、頭撫でてみるのも面白そう。嫌がるかな?
June 18, 2006
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koalaは普通の日記とスペザーノ日記の2種類をアップしています。これは普通の日記です。ネットでいろんなHPを周るのがタノシミなのですが、コンビニ弁当の怖い話を読みました。 福岡県のある養豚業者が、えさ代を浮かそうと、某コンビニの売れ残り弁当を毎日与えた所、豚の妊娠期間である114日目のお産で、死産が相次ぎ、やっと生まれた子豚も、奇形や虚弱体質ですぐに死に、透明なはずの羊水が、コーヒー色に濁っていたとか。原因は多分、大量の防腐剤であろうということでした。コンビニ名は公表されていません。 これもコンビニ弁当の話ですが、あるお弁当作りの工場では、アルバイトが一週間くらいでやめていってしまうそうです。ブログを書いた人は、元アルバイトさんに聞いたそうで、その人は、マスクをしていても防腐剤の匂いで頭痛がひどくなり、朝起き上がるのも辛くなってやめたそうです。 豚の話は、新聞に載ったようなので、事実でしょう。アルバイトさんの話も、事実かどうか確かめようはありませんが、全くのデマだとも思えません。 これから本格的に暑くなる季節、防腐剤は増える一方でしょう。子供にこの話をして、なるべくそういうものは食べないように、自衛しなさいと言いました。 大手の企業が絡むと、こういう大事な話も、大騒ぎにならないのですよね。石垣島のホテル問題でダイワハウスが騒がれないのと同じ。 コンビニ弁当は少なくとも自分で避けられますね。娘はともかく、息子は外食産業に結構お世話になっていまして、体の中に毒素が溜まってるかも・・・。 http://asyura2.com/0505/health10/msg/421.htmlhttp://asyura2.com/0505/health10/msg/529.html
June 18, 2006
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本の引用は青字です。今日直感で開いたページは51日目のレッスンでした。もし、あなたが自分自身を愛し、充分に認めているのなら、人があなたを愛せるようにいつも扉を開いておくことでしょう。人が与えてくれないことに不平を言いたくなったら、まず自分自身に与えてください。そうすればあなたは、どれほど多くの人が与える力を持ち、与えたいという心をもっているのかよくわかるはずです。 今日はあなたがうけとっていないと不平を言っているものを、よく見つめてみましょう。 今日はそれを自分自身に与える日です。1時間に1度、あなたが欲しかったものを自分に与えてください。 昨日見た映画、小説も買って読んじゃった『嫌われ松子の一生』、この言葉がぴったりじゃないですか!(以下、ネタバレ注意) 松子は愛されたがっていた。でも自分を愛してあげてた?理解されたがってた。でも、自分を理解してあげてた?家族に心を開いて、本心を打ち明けたことがあった? ああ、でも彼女はいつも、自分に「おかえり」と言ってあげてた。自分の人生は終わった、と言いながら、死に向かわず、生に向ってる自分を知っていた。 どんなことがあってもあなたについていく、恋人にそう言う彼女はいつも本気で、でも、その言葉を本当は言われたくて仕方なかった。 このページを今朝開いたのは、松子さんのことが頭にあったから?それとも松子さんも投影だったりするんでしょうかね?? 一つ、このページを読んで気がついたこと。小説にも映画にも、新約聖書が出てきます。『神は愛である』という言葉に、松子の元恋人が強く惹かれるのです。 どんなことがあっても、見捨てないよ、いつまでもいつまでも愛しているよ、そういってくれる恋人は、実は神様なのじゃないですか?! 愛してる、の愛の意味が違うけれど、ひとりぼっちだと感じる人間も、実は一人じゃなくて、ちゃんと神様が愛してくださってる。人は誰も、愛さえれる値打ちがあるから。あなた方は世の光である、っていう聖句もあるじゃないですか。みんな神様に愛されている世の光なのだから、その値打ちをまず自分が認めて、愛してあげなくちゃダメなんだと感じました。 松子さんに惹かれてしまった私は、何を人に期待してるのでしょうね。もしかして、愛とか理解とか、松子さんと一緒なのかもしれない。 今日は1時間に1度、自分に会いと理解を与える日。
June 16, 2006
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No68 しがみつくことは、自分に何も受け取らせないようにすることです。手放した時には、その関係を新しいレベルで受け取るか、そうでなければあなたにとってより真実の関係を受け取ります。いずれの場合もあなたは、今よりはるかに幸せになることでしょう。 今日は古いものを手放し、次にやってくるものを歓迎する日です。 宇宙は真空を嫌いますから、空っぽの空間があれば即座に埋めようとして、何か新しいものをよこしてくれます。ですから両手をからっぽにして、そのまま座っている勇気を持ちましょう。 これを読んで、ぱっと思いついたのは、募金用紙(笑)チャイルド・スポンサー・シップというのをやっていまして、koala家の募金は、インドのクマール君のサポートに使われます。結構前に振込用紙が来てたのに、まだ送ってあげてなかった。これって財布の中のお金にしがみついてたことになるのかな? 他に思いつくのは、家の中のガラクタ(爆)昔着てた(今着ない)服とか、昔履いてた靴、その他昔使ってたものたちもろもろ。そんなガラクタでも捨ててないのは『しがみついてる』こと? 家の中も、心の中も、ガラクタでいっぱいなのかもしれません。 今日は古いものを手放し、次にやってくるものを歓迎する日です。 いい言葉ですよね。
June 15, 2006
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ネタバレ度高いです。というより思いっきりネタバレ。これから映画を見る方はスルーしてください。 個人的な感想なので、ずいぶん偏っているかもしれませんし、せっかくこの映画を見るなら、先入観がないほうが面白いと思います。 映画が面白かったので、帰りに原作を買いました。読み始めたら一気に読んでしまいました。家事?最低限です。(爆)映画よりも原作の方が長いので、その分ストーリーにふくらみがあって、映画を見てストーリーを知ってる方でも楽しめます。 本当は金曜日が仕事休みなのですが、今週は、同僚の都合により、金曜出勤・木曜代休です。おひとり様で、映画を見てきました。このタイトル、すごいなと思っていたんです。(笑) 映画を見ていて、最初は主人公、好きになれなかったんですね。あまりにも自尊心がないように思えました。それが見ているうちにだんだん、変わってきました。結局、切なくて泣けちゃったですよ~。 自尊心が欠けてるのは間違いないのですが、それに加えて、松子さんは、実に長女的性格なのです。それも、お兄さんがいない、第一子の長女。真面目で、甘え下手で、面倒見がよくて、向上心がある。 先生時代は、生徒達の憧れの素敵な先生。トルコ嬢になっても、プロの研究を重ねて店のトップになるし、刑務所で美容師の資格を取るのにも、トップクラスの腕になる。出来るか出来ないかは別として、長女のみなさん、こういう性格思い当たりませんか? 松子さんの心の中に、いつもあったのは、父親に愛されたかったけど愛されなかった、という思い。父親の望む大学に行き、父親の望む職業に就いたのに、とんでもない事が重なって、教師を首になる。この時、多分、松子さんは、自分が困ると言うよりも、父親に見放されてしまうショックの方が大きかったでしょう。 期待を踏みにじった自分を、父親が理解したり、慰めてくれたり、ましてや愛してくれるはずないと思い込んで、自分から、理解してちょうだい、と父親に甘えられなかった彼女。 仕事で才覚を現しても、それは目的にはならないのですね。彼女の目的は、男の人に愛されること。自分を支え、居場所をくれる家族はいないと思っていたから、それを自分で作りたかったのでしょうね。 なのに、自分を決して幸せにしてくれそうもない相手ばかり選ぶのです。まるで自分が幸せになれないことを証明したがってるみたいに、殴ったり蹴ったりする男や、自分を利用する男ばかり選んでる。尽くして捨てられて、いつも『何でなの?!』と叫ぶ。 あるいは、彼女を愛した文学青年くずれや元教え子のやくざは、ダメな自分を全て受け入れようとする彼女に、感謝しつつも怖くなって、逃げ出してしまう。 自分をもっと大事にして、とスクリーンの中の彼女に言いたくなりました。彼女の必死さが、いつも空回りしています。宝物に出来る愛情が欲しいのに、いつも目の前に転がっているだけの、なんでこんなのを選ぶ?という相手に尽くす彼女の原動力は、愛というよりは、一人でいることの恐怖に見えました。 松子さんの望みは、ずっと一緒だよ、離さないよ、そう言ってくれる男の人に、自分を理解してもらうこと。そのエネルギーの半分を、この男の人はどういう人なんだろうと、相手を理解する方向に使っていれば、賢い人なのだもの、あれほど男運が悪くなかったでしょうに。男に頼るより、まず自分に頼ってみる余裕だって出たかもしれないのに。 そう、最初は全然気にいらなかった松子さんに、今はすっかり感情移入して、同情しているのでした。(爆) この話、聖書の『神は愛である』という言葉も出てくるのですが、そんな事まで語ってると、日記が終わりません。(笑)私の日記って、いつも長すぎるのよねぇ。(ごめんね)
June 15, 2006
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青字は本からの引用です子供の頃に心に深い傷あとを残すような、つらい出来事を経験することがあります。そのとき、自分の『何か』が原因で、こんな不幸な結果になったのだと思い込み、その部分を自分から切り捨てて、抑圧してしまいます。 いったん抑圧してしまうと、そのことは忘れてしまい、自分が忘れたことも覚えていません。ところがこうして抑圧されたことは、周囲の人を通してあらわれてきます。つまり私たちは、自分の中の『失われた自己』を身近な人に投影するのです。 そこで子供たちが行動で見せてくれるものは、あなたの『失われた自己』を受け入れるチャンスなのです。 今日は、あなたの『失われた自己』とふたたびつながる日です。 あなたが子供に関して問題だと思っているところをひとつ選んでください。それでは時間をさかのぼってください。この性質をあなたが遠くに押しやった時点へと戻ります。何歳の時ですか?そこには誰がいましたか? その小さな子供に手を差し伸べてあげましょう。その子はなぜあなたに押しのけられ、忘れ去られてしまったのか、いまだに理解できずにいます。その子をひざの上にのせて、抱きしめてあげてください。いつくしみ、愛を与えてあげましょう。やがてそのお子があなたの中に溶けて、消えていくのを感じます。 切り離した自分と再び統合が起きたときに、ネガティブなものはすべて消えていきます。 昨日、この日記に子供のことを書いたばかりです。子供の中の欠点は自分のせいで、そのことに罪悪感があるって。今日開いたページがこれとは。全く昨日のレッスンと続きという感じ。でも昨日のページは228日目のレッスンで、今日は前のほうを開いたから、39日目のレッスンだったのですよ。 これは一時期話題になった、インナーチャイルドというものでしょうか。否定され、押しのけられ、忘れ去られた昔の自分。自分についてこれ以上ここで書くのも恥ずかしいので、連想した別のことをひとつ書きます。 私が去年、あんなにはまった『オペラ座の怪人』私はあの怪人の中にいた『押しのけられた小さな子供』をとっても抱きしめてあげたかったのだと思います。でも、もしかしてそれも投影なのでしょうか。私が抱きしめてあげたかったのは、『失われた自己』だった? 私にはそんな『失われた自己』なんていないわ、と思う方も、ちょっと試しにやってみませんか。忘れ去られて泣いている自分の中の迷子を、ひざの上にのせて、抱きしめる想像をするだけです。もう大丈夫、いい子だね、って。初めてやりましたが、なかなか気持ちいいものですよ。
June 14, 2006
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昨日、1番のジャングルを制覇し、今日は2番目のジャングルをやっつけました。 普通草取りというと、10センチほどの草を、がりがりっと土ごと削って、たまに根っこも引き抜いて・・・そういう作業を指すものです。koala家だって、普通の場所はそうなのですが、この2大ジャングルはまた別世界。 1メートルを越す草が生い茂っていて、放置すれば、蚊の大発生が懸念されるのですね。(爆)おまけに隣の土地と接していて、本当に隣家には大迷惑。 ごめんなさい。それなのについ放置しています。2つのジャングルは、それぞれ別の隣家の土地と接しているので、2つの隣家に迷惑をかけています。 普段の生活では、足を向けない場所なので、あのヘンがジャングル化してるかも・・と頭の中にうっすらとイメージすることはあっても、何しろ見に行かないと見えないので、今回も、実際に見てびっくり。ひえ~。 でも、制覇いたしました。なんとか隣家に顔むけできます・・・。これからはここまでになる前に・・・と今まで何度思ったかしらん。(←無責任女)
June 13, 2006
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ネットで購入した本『傷つくならばそれは「愛」ではない』は、とても不思議な本でした。心の中で、いま気になっている『人間関係』をひとつ思い浮かべた状態で、この本のページをさっと直感で開くと、そこにヒントが書いてあります・・というのですが、これがウソみたいですが、本当にそうなのですよ。著者はチャック・スペザーノ博士。初めて聞いた名前です。今日開いたページはNo228 テーマは「くつろぎとは、何も抑えないこと 」すべてを賭けて100%与えている時は、自分自身からも人生からも受けとり、あらゆることがやすやすと楽に運びます。何らかの形で自分を抑えていると、物事はすべて困難になります。困難になるのは罪悪感があるからです。『自分が辛い目にあえば、罪悪感をつぐなうことができる』という観念があるのです。 そして『役割』や『ルール』『義務』によって罪悪感を償おうとします。でも、それも防衛の一つなので、何も受けとることはできません。 今日は機械的に習慣で行動せず、どんな場面でも自分自身を与えましょう。くつろぎの中に自分を解き放ちましょう。 (全文ではなく、抜粋です。)私がページを開く前に思ったのは、山川亜希子さんの講演で聞いた『~べきを捨てましょう』という言葉でした。そのままでいいんです、と言われたのですが、理解できた気がしても、そうなれないでいる自分がいます。そう思いながら開いたページがこれ。 罪悪感。これは自覚しています。子供の中の欠点は、自分のせいだという気持ちが強いです。私の「~べき」は、罪悪感を償うための防衛だったのでしょうか? 私の父は、賢く自慢できる子供を育てようとし、それに反発した母は、素直で可愛い子に育てようとしました。私はどちらの期待にも添いませんでした。罪悪感の根源は、私の場合ここにあるような気がします。 よくよく考えてみると、両親だって、罪悪感の持ち主だったのでは。そういうものって、自覚しないと子供に持ち越されますよね。私も同じ事をしたのかもしれません。子供に持ち越したんです。自覚のないままに。 「~べきを捨てる」というのは、罪悪感を捨てることなのですね。自分自身を与える。う~ん、なんだかマザーテレザみたいじゃない?(笑) 過ぎたことから何かを学んだら、罪悪感とか恨みとか、そういうネガティブな感情を捨て去ったほうがいい。難しかったら、今日の言葉をつぶやくことにします。 どんな場面でも自分自身を与えましょう。くつろぎの中に自分を解き放ちましょう。・・うん、なかなかいいかも。
June 13, 2006
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草の山。上の青々とした草が今日の収穫。今日はお天気がいい。こういう日に主婦が励むのは、お洗濯と草取り。 草取り!koala家にはいくつか「自然に返りつつある」場所があります。草達にとっての自然って、ジャングルのことよね。(涙)今の時期、ジャングルでは蚊が群れるので、梅雨の晴れ間には、ジャングル一掃に励まないと大変なことに・・・。 人目につかない場所ほど、ジャングル化は加速します。大体、家の住人すら、めったに足を踏み入れない所。koala家には特にジャングル化した所が箇所あるので、今日は覚悟を決めて、仕事後のタタカイを挑みました。 タタカイには勝ち負けはつきものですが、koalaの体力で、ジャングルに勝つ気などありません。一応、引き分けということで手を打ちました。(爆) 今夜はシュウトメちゃんとデートです。夜7時半から、亡くなった叔父の七日念仏に出かけます。ジャングルとの引き分けの後も、koalaは忙しい~。 今までなら、愚痴の一つも出るところです。でも、今回は、亡くなった叔父の事を思いました。現在koalaに寿命があって、まだこの世でつながっている人たちと、同じ時を過ごせるという幸せに感謝します。 優しかった叔父が成仏できますように。 ここはジャングルの一つだったところ。 決して手のかかる植物を植えてはいけない場所。 なにしろ、そういうのは絶対ここに植えると枯らしてしまうのです。 昨日堀り出したチューリップの球根も、お日様で乾燥させました。 本当は、梅雨入りしてから掘るものじゃないですが。 梅雨前にやらないと、病気にやられやすいんですよね。消毒もしてないし。
June 12, 2006
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美容院に行きました。近所のジャスコの中の、安くて早いお店です。(分相応?爆)ここのスタッフもお店の雰囲気も、ゴージャスさはないけど好きなんです。 普段はここ、電話で予約できますが、日・祝のみ来店予約。朝10時くらいに行くと、11時45分の予約が取れました。最近髪が痛んできたので、パーマはかけずにトリートメントしてもらいます。髪も老化して、細く、弱くなるみたいです。(涙)カット&トリートメントを3回続けて受けたので、髪はかなり修復してきました。次回はパーマかけようかな? 予約だけして帰るのもつまらないので、Tシャツを物色しました。ちょっと気にいったTシャツが、SサイズとLサイズしかない・・・。私はチビなので、Sでも本当はいいはず。ここのお店、試着室に顔を被う物が用意されてないので、本当はTシャツは試着不可なのかもしれませんが、自分の着ていたTシャツで顔を覆いながら試着。アラ、ぴったりじゃない。前から見ると。 でも私は自覚しています。問題は後ろ姿!案の定・・・お背中のお肉さまがくっきりと。断っておきますが、ストレッチのTシャツではありません。 あきらめて、別のTシャツを選んでいたら、試着したのと同じデザインのMがぽつんと1枚だけかかってました。不思議ですよね~。ものすごく気にいってたわけでもないのに、ゲットした~!という気持ちで即購入。初めからMサイズがあったら、もしかして買ってなかったりして。 年をとると、体の中央部に集中的にお肉がついたり、髪にコシがなくなって、パーマに弱くなったり、白髪が出たり、顔にもシミやらシワやら、いらないものが湧き出てきたり、ありとあらゆる方面から「トシだぞ!」って教えられます。 そんなにしつこく教えてくれなくてもわかってるもん!そういいたくなるほどですが、そうかな?とふと自問。しつこく教えてもらわないと、わからないかもしれません。 人生の半分は終わったぞ~。ちゃんとやることやってるか~。って、思い出すきっかけが自分の老いなら、このお背中のお肉さまも、そんなに憎くないじゃないですか。 父が亡くなった72歳から、私の45歳を引くと27歳。長いんだか短いんだかわかりませんが、こうしてトシヨリになっていくんだなぁと思った日曜日でありました。 しかし、美容院に行った日の感想だと想うと淋しいかしらん??
June 11, 2006
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今日は胃腸科を受診しました。何ともないとは思うのだけれど、検診で要精検になってしまったので。 23歳で結婚してから、ほとんど毎年、検診を受けています。40歳まで、引っかかったことなどありませんでした。たまに血圧が低すぎることがありましたが、私は「起立性低血圧症」なので、寝転んでれば血圧は上がってきます。 ところが、40歳を過ぎたら、これが引っかかるんですよ(涙)血液検査は優秀なのですが、40歳になったとたんに4つも!胃検診、大腸検診、子宮検診、乳がん検診。 一体どうなっちゃったの?という引っかかり方でしょう?どきどきして精密検査を受けましたが、全部異常なしで、ほっとしたものです。 その後も、胃検診と乳がん検診は1度ずつ引っかかり、今回、大腸検診でまた1回引っかかったというわけ。今日診察を受け、7月7日に検査の予約をしました。7月6日までの予約はみんな埋まってるそうです。 診察が終わったので、家に帰り、家事をしましたが、ふと親孝行する気になり、実家に行きました。昼頃に着き、ランチをおごるつもりがおごられて、その後、知立市の菖蒲園を見に行きました。母の所を尋ねても、普段はなかなか一緒に散歩などしないのです。 菖蒲を見た後は、デラックストイレを見せに(爆)刈谷ハイウェイオアシスに行きました。そこで歩きながら、祖母の話になったので、帰り道に祖母のお墓参りに寄りました。祖母の思い出話に花を咲かせました。 片道40分くらいで行けるのに、こういう時間をあまり持っていません。母自身も遠慮して、あなたは忙しいんだからと私を甘やかすし。でも、こういう時間は無限じゃないものね。大事にしたいなと思いました 。
June 9, 2006
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金曜日の夜見たのに、今ごろ日記。(爆)当日の朝、出勤直前の私に『今夜のチケット取っておいて』と言った夫。動くの遅すぎ!一番前の席しか空いていませんでした。字幕スーパーがあんなに大きかったなんて知りませんでした。 この映画は、小説を読んでないと、筋を追うだけになるかも。原作があれほどヒットしたのは、天才ダ・ヴィンチのミステリアスな魅力によると思うのですが、映画では、そんなのを描く時間はあまり取れていません。原作が長いので、仕方ないと思います。 ただ、私は満足しましたよ~。ガンダルフ(指輪物語の魔法使い)に久々に会えたし、ルーブル美術館の中を、大画面で見られました!なにしろ、一番前の席でしたからね・・超大画面です。(首痛。涙) 欲を言えば、シラスの死ぬ場面は原作どおりにしていただきたかった。アリンガローサ司教との会話も、一人で死んでいくところも、最後に平安を感じて死んでいく所も、私の好きな場面だったのです。ちょっとここに書いちゃおう。(見てない人、ごめん。) アリンガローサ司教というのは、オブス・ディという団体の代表者です。この団体の教えは非常に厳格で、痛みを伴う修行も含みます。シラスと言うのは、彼の弟子で色素欠乏症の男です。聖杯伝説の件で、導師と名乗る男に騙されます。シラスは誤って、敬愛する司教を撃ってしまいます。シラス自身も、その時警官に撃たれているのですが、司教を抱えて必死で病院まで歩くのです。 『生涯をかけても、私たちを欺いたものを探し出し、この手で殺してやります。』(シラス)『シラス・・私から学ぶことが何もなかったとしても、これだけは覚えておきなさい。赦しの心は、神がお恵みくださった最高のものだ』(司教) 血まみれの司教を病院に手渡したシラスは、人気のない公園の奥に、シラスは歩いていくのですね。そして必死に祈るのです。自分のためじゃありませんよ。 最後の時間が来て、アリンガローサ司教の声が聞えるのです。『主はやさしく慈悲深い。』もちろん幻聴ですが、シラスはその声に包まれて亡くなるのです。映画では警官に撃たれてほぼ即死。確かにこの映画は、あくまでミステリーだけどこれはないよ・・。 この映画、キリスト教会から猛反撃を受けているようです。クリスチャンにとっては、言語道断の不敬にあたるのでしょう。ただ、クリスチャンでない私にはその辺がよくわからないので、出来れば、クリスチャンの方に説明して欲しい・・と思うのですが、いざっていうと聞く人がいないですよね。 実は、この人なら寛容そうだからなどと思って、あるブログのクリスチャンの管理人さんに質問カキコをしたのですが、まだお返事はありません。ものすごく失礼だったのかもしれません。説明すると長すぎていやだっただけだといいんだけど・・・。 私はダ・ヴィンチ・コードはミステリーだと思っていますし、あの映画を見て、イエス様って結婚してたんだ、などと、素直に観客が信じるとも思えないのですが。 イエス様は、神の子であるにもかかわらず、人間を救うために、処女受胎とはいえ、マリア様のおなかからお生まれになった。人間に身をやつされたイエス様が、人間として妻帯し、子供を持つ、そんなにとんでもないことには、非クリスチャンとしては思えないのです。それでイエス様の教えの価値が下がるとも思えない。人間の形でイエス様が生まれ育つことを神様が望まれたのなら、人間として生きる部分が気高さが損なうことはないし、唯一絶対神が揺らぐとも思えない。これは唯一絶対神なんて信じてないからそう思うのかな?? どんどん脱線したので、最後まで読まれた方は少ないと思います。映画情報を得ようと思って読んでくださった方、申し訳ありませんでした~。
June 7, 2006
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昨日は夕方実家に行き、亡父の月命日のお参りをしました。本当の月命日は6日ですが、毎月5日のお経です。先月、先々月と2ヶ月連続で行けなかったので、本当はシュウトメちゃんの病院お迎えに引っかかったのですが、タクシーで帰るように、シュウトメちゃんにお願いしました。 今日はその代わりというわけでもありませんが、シュウトメちゃんに『農協に行きたい』と頼まれたので、仕事後に、仲良く農協にお出かけしました。シュウトメちゃんが一人でキャッシュカードを使えたので、うんと褒めてあげました(笑)前回は不安だというので付き添って教えたのです。今回は自分ひとりで出来そうだから、買い物してていいと言いました。 シュウトメちゃんを家に送って、少し家事をしてから、う~ん、自分にご褒美しちゃっていいのよね、とばかりに近くの温泉に行き、温泉&マッサージを堪能しました。 マッサージ、私は本当はとても体が凝ってるので、しばしば受けたいなぁとは思うのだけれど、根がケチなものだから、家のマッサージ椅子でいいかな・・とか頼んでも、一番安い、短い時間のでいいかな・・とか、ついそんな風に思って、余りマッサージを受けません。 私にしてはちょっと思い切って、1時間後に予約しました。それでもケチだから40分のコースを選びました。うう・・ちょっとこんなこと書くの、恥ずかしいぞ。 1時間温泉につかった後、頭から指先、足先までマッサージ。ハイウェイオアシスの中のマッサージルームは、韓国の方たちが、丁寧にマッサージしてくれます。気持ちよかった・・・。全身凝ってるのを自覚しちゃった・・・。今度はもっと長い時間のを思い切って頼んでみようか。 最初にどこが疲れているか聞かれます。私は首と肩と答えましたが・・・・。後から入ってきた男性(なにしろうつ伏せなので、相手が見えません)は『どこがお疲れですか?』と聞くマッサージスタッフに、『心です』と答えてるじゃありませんか。 思わず店内に笑い声が広がりました。ごもっとも、ですよねぇ。ハイウエィオアシスにはエステもあるので、アロママッサージという手もあります。また1週間後くらいに、ちょっとここで癒されようかな。
June 6, 2006
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すぴこんというのは未知の世界だったので、昨日の日記では足りなくて(爆)補足です。おとといダヴィンチコードを見たので、それについても書きたいのですが、なかなか順番がまわって来ません(笑) 山川さんの昨日の講演で、『周りを変えようというのはエゴです』これは一瞬うなずきかけますが、『周り』の解釈によってはどうでしょう?そしてやはりこの『周り』の解釈はどこまでも広かったのでした。 個人の問題に限らず、社会問題も含めての『周り』であり、それらを『変えよう』とするのは『エゴ』だというこの解釈は、すぐには心にも頭にも沁み込まず、1日たってもそれなりの消化具合ですが、これはあっさり山川さんは言われましたが、あまりに深い発言だと思います。 昨日の日記で自分のことを「~べき」が服を着ているような人間、そう表現しましたが、よくよく考えてみると、私の「~べき」は現在、近い未来に限らず、過去にまで、しっかり根をおろしていました。 私は自分が嫌いなのか?それはどこが嫌いなのか?自問してみると、これが「こうあるべきだったのに」という自分への責めだったのですね。その時こういう選択が出来たのに、別の愚かな選択をした自分、これからも、そういう馬鹿な選択をするだろう自分の愚かさ、これが徹底して『だいっきらい』だったのに気がつきました。 周りを変えよう、というのは、同じ根っこの発想かもしれません。『こうあるべき』なのに、そうでないから変えないと!という発想。自分の中に、そういうこだわりがあるから、そういう発想になる。 私の過去の愚かな選択の数々にしたって、小さな例を挙げますと・・。例えばね、うちの子供たちは箸が上手に使えません。小さい頃、私が熱心に教えてると、シュウトメちゃんが止めました。外孫もヘンな箸の使い方をしているのですが、支障ないと言うのです。子供たちは箸の練習が面倒なものだから、シュウトメちゃんの側についてブーイングです。 私は子供たちを、一生きれいな箸の使い方を出来る子にするより、シュウトメちゃんとのいざこざを避けるのを選んだのです。なんてバカな母親だったのでしょうね。(箸より重大な愚かな選択だっていっぱいしてますよ。ただ、箸くらいならここに書きやすいだけ) オーラ判定の人にも、タロット占いの人にも、実は同じことを言われました。『あなたは完璧を求めているけれど、完璧なんていらないんですよ。』『自分がやってみたいと思うことを始めてみてください。しなくちゃいけないことじゃなくて、こんなことしたら楽しそう、ということを。』『あなたはこれからうんと変わる、そういう時期なんですよ。』 『~べき』を手放せたら、私は自分をもっと愛せるのでしょう。そして気がついちゃったんですけど、私の『~べき』は多分父親の教育の呪縛です。 私が日記に何度となく『裁くな』という聖句を書いてきたのも、『こうするべきなのに出来ない自分』をずっと裁き続けてきたから、そして自分を裁く人間は、他人だって心の奥で裁いているに決まってるから、自分のキーワードとして、『裁くな』が気になり続けたのでしょう。 完璧なんてないし、必要でもない。完璧に遠い自分、そのままで私は、ちゃんと義務を果たしてると認めてあげたい。 愚かな選択をして、しまった!と思うのも学び。そういえば山川さんの講演のタイトルは「ありがとう」でした。大事なことに気がつくために「しまった!」と苦い思いをするのは、苦い思いをしないとなかなか学べないからでしょうね。 周囲の人の愚かな選択にしても、同じことなのでしょう。自分がかつて(もしかしたら今生でないかも?)、同じ過ちをしたかも知れないと考えれば、そこに生まれるのは批判じゃありませんね。 『受容』というのは、実に奥が深いものです。
June 5, 2006
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ネットサーフィンで知ったのだけれど、翻訳家の山川亜希子さんが明日の「名古屋すぴこん」で講演されるのです。 ブライアン・ワイス博士や、シャーリーマクレーンの一連の本を、ご夫婦で訳していらっしゃる翻訳家が山川さんです。ご主人は確か、大蔵省をやめて翻訳家に転身された方。この講演会は面白そう・・・。 ただ、「すぴこん」のイベントページを見ると、ちょっとう~ん・・。別次元の世界かなぁという感じです。たくさんの参加ショップのうち、どれが本物でどれが違うのかなんて、koalaにわかる由もありません。(結構怖がりなのですよ)別に講演会だけ聞いて帰ってもいいわけですけどね~。 リンクにある『かえるのへや』のkaeruさんは、以前「すぴこん」で、パワーストーンのブレスレットを作ってもらい、それがとてもよかった、と書かれていたので、まあ、そんなにたじろぐことはないだろうと思います。(びびっていながらも、既に行く気になっている~) さて、明日私は、すぴこんの会場に立っているのでありましょうか。自分でもちょっと謎だったりします・・。
June 3, 2006
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初夏のアレンジです昨日は叔父のお通夜、今日はお葬式でした。身近な人を亡くしたのは初めてではないのに、こんなに心が乱れるのは、父のことを思い出すためかもしれません。亡くなった事自体に、というよりは、命のはかなさに心が乱れます。 『人間の限界として、寿命と言うものがありますが・・』お葬式の法話の中で、何気なくお坊様が口にされた言葉が、しみじみと身に沁みるのです。そうか。死が訪れるのは、人間の限界だったか。 66歳で亡くなった叔父の寿命は、現代ニッポンの平均寿命を思えば、早いのでしょうが、私はある意味、うらやましかったです。 長男長女の2人の子供は、それぞれ平和そうな家庭を持ち、可愛い子供が長男家には3人、長女家には2人います。もちろん、どんなに平和そうな人にだって、いろいろ問題だと感じることは起こるに違いないのですが、もうしっかり自立していて、自分で嵐を切り抜けられるでしょう。 66歳、これから夫婦でのんびり遊べる年なのに・・・そういう声が多かったのもわかります。叔父は働き盛りを本当によく働いた人だったので、これからのんびり奥さんとの時間を過ごせるのに、そういうことが大きいのでしょうけれど・・・。 私は、老親を看取り、子供を自立させて、亡くなったという点が、とてもとてもうらやましいのです。私もそうなりたいと思います。死ぬ時に、自分がいないととても困りそうな人がいないということは、なんて大きな救いでしょうか。夫は悲しむでしょうが、大丈夫だと思います。 これって、もしかして、うぬぼれかもしれませんね。本当は、2人のkoalaの子供も、私の実母も、シュウトメちゃんも、私がいなくなればなったで、それほど困らないかもしれません。そういう想像は、ちょっと楽しいですね。 その想像が現実になるように、頑張りたいと思いました。棺の中の叔父に、今までありがとう、と挨拶しました。叔父とそんなにたくさん接してきたわけではないのですが、いつも気持ちのいい笑顔と言葉かけをしてくださる叔父だったのですよ。 私はそういう人にはまだまだ遠いけれど、死ぬまでには、もうちょっと成長して、koalaさんって、ちょっと気持ちのいい人だったよねって、お葬式で思ってもらえる人になりたいなぁ。 私がいなくなることで、そんなに困る人もいなくって、『楽しかった~。ありがとう。あの世で先に待ってるね!』って、霊になって思えるような死の時を持ちたいなぁ。 そんなことを改めて考えさせるきっかけまでくださった、亡き叔父さん。心から成仏を祈ってるからね! 成仏を祈ると言えば、あるサイトで、この間の大地震で亡くなった方たちについて、成仏をお祈りしましょう、と書いていらしたブログがありました。私は昔から、信仰もないのに祈るのは好きでした。ここまで読んでくださった方、ほんの気まぐれでかまいませんから、ちょっとジャワ島の被災で亡くなった方たちが、ちゃんと成仏できますように、とkoalaと共にお祈りしてくださいませ。
June 1, 2006
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