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ここからは、『風のハルカ』を本格的に考察。このドラマは、わたしにとっては、あまりにも分かりにくい。とても分かりにくい意図をもってるか、あるいは何ひとつ意図なんてないのか。そのどっちか。わたしは、ひとつの結論に達した。まず、このドラマは、はじめから絶対に「ハッピーストーリー」でなきゃいけなかった。そういう命題をはじめから課せられてたと思う。なぜなら、これはNHK朝ドラという「国民的な番組」だったから。そして同時に、大森美香ちゃんにとって、これは『不機嫌なジーン』のあとの作品だったから。だから、絶対にハッピーストーリーでなければならなかった。それゆえに。このドラマは、物語の内容それ自体が、「ハッピーストーリーとは何か。」という問いへのアンサーになってる。◇この物語、表向きはハッピーな展開だけに終始しましたが、じっさいには、いろいろと悲劇的な部分をはらんでました。でも、そういう悲劇的な要素をとことん遠ざけることで、この『風のハルカ』というハッピーな物語は成立しています。この物語のヒロインは、悲劇的な要素が物語に入ってくることを絶対に許そうとしません。たとえば、奈々枝の兄の死。この少年との出会いが、ヒロインにとっての「初恋」だったのかどうかは分かりません。それは、まだ「恋」と意識することさえできないほど、純心なころの出会いだったったのかもしれません。でも、ヒロインが彼との出会いの中で、「好きって、ドキドキすることや」と確認しあったことは、後のラブストーリーにとっても、重要な意味をもつべきです。大人になった彼女の恋心が、少女のままの純粋な気持ちのままなのか。それとも、もう少女のような気持ちのままじゃないのか。そのことを確認する意味でも、少女時代の、奈々枝の兄との出来事は重要だったはず。にもかかわらず、彼女は、大人になってどんな恋をしても、いちども奈々枝の兄のことを思い出しません。絶対に、奈々枝の兄のことを思い出さない。奈々枝と再会しても、彼のことを物語の中心に呼び戻すことはありません。このドラマのヒロインは、悲劇的なものを絶対に物語のなかに取り込もうとしないのです。どうしても、そういうキャラに見えてしまう。◇奈々枝の兄だけでなく、奈々枝自身も、悲劇的な要素を抱えている人物でした。しかも、奈々枝にとっての悲劇は、まだ過去のものではありませんでした。奈々枝の背景には、いまも悲劇的な要素が潜んでた。したがって、ヒロインと奈々枝との再会は、奈々枝の抱えている、そうした「悲劇的な要素」が、ドラマの中心に持ち込まれてしまう危険性をはらんでいました。でも、ヒロインは、見事に、それをねじふせた。奈々枝と再会しても、それでヒロインの人生観が変わったりすることはありませんでした。むしろ変化させられたのは、奈々枝の人生観のほうだった。願いを裏切られても「龍のウロコ」を信じ続けたハルカに対して、そんなことを信じようもないほど、辛く悲劇的な人生を歩んだ奈々枝。でも、二人の出会いによって、心の動揺を強いられたのは奈々枝だけ。ハルカのポジティブな人生観は、まったく動じることもなかった。このドラマのヒロインは、ものすごく頑丈だった。ハルカと奈々枝の再会のエピソードには、ドラマの中でも、それなりの時間が割かれていたけど、奈々枝がハルカのポジティブな人生観に懐柔させられていくこの部分は、シナリオ的にみても、あまり説得力があったとは思えません。奈々枝というのは、ハルカのそれまでの人生を、まったく反対側から照らすことのできる唯一のキャラクター。そう言ってもいい存在です。そういう少女との再会であるにもかかわらず、ハルカの側には、心の動揺があまりにも無さすぎたし、ちょっと、頑丈すぎた。その点は、脚本的に見て弱い部分だと思います。いずれにしても、このドラマのヒロインが、奈々枝の悲劇的な影をはねのけることは、最初の設定の段階から、すでに決まってたんだといえる。このドラマは、ハッピーな物語だから。◇そして、妹のアスカ。彼女も、ドラマに悲劇的な要素をもちこむ危険性をかかえるキャラクターでした。彼女は、その胸にかかえた、故郷と家族への憎しみの思いを、「小説」というかたちにして、世に解き放つ。ですが、それがドラマの中心で爆発することはありません。アスカが家族の前でそれを爆発させようとしたとき、ハルカは、それを押し倒して、怒鳴りつけて、封じる。もちろん、それは家族として、そして姉としての、強い愛情ゆえです。彼女はそうやって、妹と、家族を守ろうとした。この場面は、とても感動的だったし、シナリオ的に見ても、申し分のない説得力があったと思う。※全般的に、アスカを中心にして家族の別れや絆を描いたエピソードは、 感動的で説得力のある場面になってることが多かった。 やっぱり、いちばん歳の下の子供って、そうういうもんなのかな‥。でも、そうやって、アスカのもっていた悲劇性もやはり、ドラマの主題から遠ざけられてしまったことには違いありません。アスカの小説の中身は、けっきょく、ドラマの中で明かされることはなく、それは、ヒロインのポジティブなキャラクターの力によって、ドラマの軸に入り込むことを封じられたと思う。のちに、この小説は「映画化」されることになるけど、この「見たいような、見たくないような」映画は、結局、ドラマのなかで上映されることもありませんでした。ヒロインをはじめとする登場人物はこの映画を見ようとしないし、そもそも、映画が完成する前に、ドラマのほうが終わってしまいます。ここでも、アスカがもっている影の要素は、ヒロインの(あるいはドラマの)明るさによって、封じ込められる。◇もうひとり、ヒロインの人生に悲劇的な要素をもちこんだ、最大のキャラクターが存在します。それは、予想外なことに、なんと幼なじみの正巳でした。じっさい彼は、ヒロインの人生を、不幸のどん底まで落とし入れてしまいました。ハッピーな物語であることを命題にするはずのドラマで、彼は、犯してはならないタブーを犯してしまったと言えます。したがって、その瞬間から、正巳のキャラクターは、視聴者からも、ヒロインからも、許されることのないものになってしまいました。たとえ幼なじみでも、たとえドラマの冒頭から登場するキャラでも、たとえ転校生だった少女時代のヒロインにとって、唯一、無邪気な味方でいてくれた少年だったとしても、ヒロイン自身を不幸にするなんてことは、絶対にやってはいけない。だから、彼は絶対に許されることはありません。視聴者からも。ヒロインからも。そのときから、彼はドラマの中心から遠ざかってしまった。◇このドラマは、「ハッピー・ストーリー」がどうやって成立するか、ということについての、ある種の自己言及的な物語になっています。悲劇的な要素はそこらじゅうに存在するし、場合によっては、ものすごく身近なところにもありうることだけど、ハッピーな物語を作るためには、それを遠ざけなきゃいけない。そういう命題を、このドラマは最初から背負っていました。みずから悲劇に立ち向かっていった、前作の『不機嫌なジーン』の物語とは、まったく反対に。このドラマの、一見、無内容にも見えるハッピーなスートリーは、「ハッピーな物語はどうやって作られるか」ということについての、この脚本家なりの考え方を示してるんだ、と思えてしまいます。もちろん。「このドラマのヒロインには、悲劇を幸福に変える力があったんだ」と解釈することも、不可能なことではありません。そういう見方もできる。というより、その見方のほうが正しいんだと思う。離婚によってバラバラになった家族を、ヒロインがもういちど「幸福な家族」として再生させた、そういう解釈をするほうが、むしろ正論なんだと思います。あるいは、奈々枝のような不幸な少女を、ヒロインが湯布院に連れ戻して、その人生を幸福なほうに導いた、そう考えるほうが、まともな解釈なんだろうと思う。どちらかの解釈のしかたを選ぶかによって、“ケータロー”という存在の意味づけかたも、変わってきます。彼は、物語の外からやってきた孤高のカメラマン。そんな寂しい人物を、ヒロインこそが「家族」の中に招き入れて、彼の人生を幸福なほうに導いたんだとも言える。逆に、“悲劇を遠ざけるヒロイン”が、ただ正巳を遠ざけて、ケータローのほうを選んだだけにも見えてしまう。どちらの見方もできてしまうってところが、猿丸啓太郎という人物の、最後まで“謎めいたキャラ”である理由なのかもしれません。
2006.04.02
心を鬼にして、最後のレビュー。◇とってつけたような、最後の結婚式シーン。というより、意図的に「とってつけた」ことを暗示するみたいに、何の演出的創意も、目立ったセリフも無いまま、お約束の手続きだけで構成した、あっさりしたウェディングシーン。強いて言えば、身内のいないケータローの側に、だれひとり出席者がいないってこと。それ以外は、本当に、「とってつけただけ」と言っていい、おヤクソクな結婚式。とりあえず結婚式だけはやってくれ、という番組上の都合に屈した?◇猿丸ハルカ。時代劇コミックに出てくる忍者の名前か、はたまた狂言回しのちびっ子スターみたいな、結婚するヒロインに似つかわしいとは考えにくい、なんとも、気の毒な名前。嫁入りするヒロインの、その「幸福」という幻想にあてつけた、ささやかな皮肉??◇湯布院の、妻方の実家に住むことを決めた二人。もともとケータローには、家族も無く、家も無く、行動を共にする同僚も、結婚式に出てくる知り合いもいない。結婚しても、ケータローのこれまでの素性は、けっきょく分からないまま。背景のない人物との、勇敢ともいえる結婚生活。ハルカ: 信じられん、ふつうは塩やん。啓太郎: なんでやねん、牛乳やん!!それにケータローは、もともと「食べること」に対する関心が低くて、設定としては“味オンチ”ってことになってたはずなので、この「トマト&ミルク」が美味しいという主張も、説得力は乏しい?◇今日は、「最終回・大阪編」。なので、たこばあばの人々は出てくるけど、最後にもかかわらず、正巳も、奈々枝も、悟史も、登場ないままのドラマ終了。過去の伏線の回収らしきエピソードも、これといった情動をあおる仕掛けも無いまま、重要キャラをも置き去りにして終わっていく最終回‥。なんだか、わたし自身が置き去りにされるような、とてつもない寂しさ。そうですね・・。いま、一通りのストーリーを終えた気がします。レストランの夢も、家族で食卓を囲む夢も叶った。娘たちも幸せに暮らしている・・。なんだか、すこし、寂しくて。同感です。陽介さん。この最終回に感動があるとすれば、ただ「終わること」の寂しさだけ。村崎さんのことなど気にも留めずに、まるで全部のストーリーが終わったみたいに言っちゃた陽介さんへ、宗吉さんが語った、次のセリフ。ちょっと、質問していいですかね。この「料理の道」ってのに、“終わり” ありますか?もし無いとしたらね・・、「人生」と似とると思うんです。宗吉さんのこのセリフだけが、わたしにとって唯一の救いです。つまり、これはまだ、「最終回じゃない」ってこと!ワシね、まだまだこれからだと思っちょる。陽介さんのレストランもこれから、第二楽章がはじまりますね。本来、このセリフ、直接は村崎さん登場のために語られるセリフなんだけど、なんだか、それ以上の意味合いがあるように思わせてしまう。宗吉さんによる、最終回のメッセージみたいです。セリフの中身は前向きなものなのに、それを語る宗吉さんの、静かで、どことなく寂しげな微笑み。それが、わたしには、物語の外側にうったえてくる何かを感じさせてくれた。◇場面は変わって、仁子が研究を続けているロンドン。‥じゃなくて、木綿子が青木さんと暮らすロンドン。木綿子と、アスカとの電話。「今ごろ売れている」という、デビュー当時の問題作。そして、「見たいような見たくないような」映画。そんな、けっしてハッピーなだけではない世界が、このドラマのどこかに存在することを、さりげなく知らせつつも、いい感じのハッピーエンドになりそうよ。・・うーん。意味深なほど力強く、アスカから伝えられるメッセージ。『ジーン』のときの美香ちゃんのトラウマは、ここまで引きずってるの?脚本家が、まるで自分に言い聞かせてるようなセリフですね。・・・でも、このドラマ、NHKの公共放送的な要請の中で、「国民的連ドラ」を書くということの意味が、わたしには、良くも悪くも端々から伝わってくるようではありました。◇それでは最後に、番組のヒロインから一言。こんにちは!湯布院へようこそ!!はい。NHKのおつとめ、ご苦労様でした。☆ ☆ ☆さ。来週からのNHKは、満をじして、浅野妙子&宮崎あおいちゃんのコンビ!好みの問題はともかく、これが文句の言いようの無い作品になるのは、ほぼ確実。ある意味、いまや橋田壽賀子なみの“王道路線”と言えるかも。浅野妙子は浅野妙子で、ああいう構築的な脚本だし、宮崎あおいちゃんは宮崎あおいちゃんで、もう、古典的とさえいえるような演技力(→良い意味で)ですから、ここ数年の、お軽い現代劇を吹き飛ばすような、ガッシリした内容になる予感は、たぶん、外れることがないでしょう。☆そして、何より何より!この『ハルカ』終了のタイミングを見はからってか、NHKは、4月3日から、BS放送にて『ニコニコ日記』を再放送!!! (あたしゃ、どこの回し者?)って、わたしはBSを視聴できる環境にないんですけど・・。くやしいから、放送時間にあわせて自分のDVDを見ることにしよう、と考えてるわたしは、相当、どうにかしてるのかもしれませんが。(--;いったい何回見れば気が済むのか。。。あのドラマの魅力を語るのは難しい。大森美香ちゃんの脚本ではあるけど、彼女のオリジナル作品じゃないし、脚本だけじゃ、あのドラマの魅力は説明つかない。原作コミックと、美香ちゃんの脚本と、当時の「よるドラ」スタッフの才能の輝きと、そして永井杏ちゃんという天才少女とが、奇跡のようにめぐりあって出来た、宝石のようなドラマ。そういう作品の魅力を、言葉で説明したり、理解したりするのは、ちょっと無理。なので、BSが見れる環境にある人は、絶対見てください。BSを見る環境にない人は、DVDを買ってください。(命令)☆ ☆ ☆ 【お知らせ】現在、音楽惑星さんにお邪魔して、「斉藤由貴」問題について考えています。
2006.03.31
湯布院の面々が集ったレストラン。最後にケータローが登場。またまた海外からふらっと戻ってきたのか、それとも、この日が来るまで青鱗湖のあたりで何ヶ月も潜んでたのか、そんな言い訳すら、もはや不要。最終回だから来たのです。そして、全員が、おヤクソクの告白シーンを期待する、彼への熱いまなざし。そんな自分の役回りを悟ったケータロー。大見得をきって、詩人のような告白。主演の2人が演じる、そのNHK朝ドラのお約束シーンを、黙って優しく見守るキャスト一同。ここまで開き直った演出なら、逆に文句もいえません。宴会やっちょる言うんで来たけんど・・と言って入ってきたのは、観光組合の人たちと、農家のおじさん。もうここまできたら、「最終回や言うから来たんやけど・・」と言って、四方山支店長の一行が入ってきたって、驚きはしないんだけど。明日のウェディングシーンがあるので、全員集合はそこまで持ち越し。◇明日はいよいよヒロインの嫁入り。(小倉千加子の思うつぼ?)どうせなら、「子供のファンタジー」にすぎなかった龍のウロコを、結婚式の前に、みんなで青鱗湖まで返しに行って、そして、結婚式後の教会では、完成した映画の上映会もやってもらって、あの「父親が廃屋に火を放つ」という、小説の“キラキラしたエンディング”ってのを見てみたいけど、15分のうちの7分ぐらいを“回想シーン”に費やすとすると、そこまでやる時間的余裕は、もうないかも。◇明日は予定調和か、はたまた、大どんでん返しが来るのか。ほんのり期待。
2006.03.31
わたしは半年前から、かなりの気合を入れて、このドラマをずっとフォローしつづけてきました。でも、ラストが近づくにつれて、正直、わたしの不安は増すばかりだった。本当にこのドラマをフォローしてきてよかったの?最終的に、わたしはこのドラマを支持できるの??もしかしたら、このドラマをフォローしてきたのは、わたしにとって、大きな間違いだったんじゃないの??先週ぐらいのわたしは、正直そんなことばかり考えてた・・でも、どうやら、もう、そういう心配はしなくてよさそう。最終週になって、ようやく、このドラマの着地点が見えてきた気がする。◇青鱗湖で、天に昇る龍に出会った5人の夢。願いを裏切られても、夢見ることをやめられなかったハルカ。願いを裏切られ、湯布院と、家族とを憎みつづけてきたアスカ。願いどころか、兄を亡くし、家族を失くし、過酷な少女時代を生きてきた奈々枝。龍のウロコなんかより、ガイセイバーのほうがよっぽど大事だった金持ちの坊っちゃん、正巳。子供じみた夢より、着々と地道な現実を歩んできた悟史。5人の少年少女の、それぞれの夢が、どんなふうに挫け、そして、どんな形でかなえられるのか。それを描くことが、このドラマの一番のテーマなんだと、ずっと思ってきた。・・けれど。待てども待てども、「龍のウロコ」は出てこない。奈々枝の兄がなぜ死んだのかも、さっぱりわからない。小説の中のアスカの心の叫びが何だったのかも、まったく見えてこない。“レストランの夢”はどうやら叶えられたけど、あとは登場した男女をアミダくじのように結びつけてエンディング・・なんてことで、このドラマが終わってしまうんだとしたら、わたしには、いったいこのドラマが何を言いたかったのか、まったくもって理解できないで終わるってことになる。それに、猿丸さんとハルカが結ばれることでドラマが幕を閉じるのなら、それは、子供時代のあのエピソードとは何の関係もないエンディングになってしまう。本当にこのドラマが、ただ「娘を嫁入りさせるまでの物語」に終わるんだとしたら、まさに、小倉千加子が批判した、そのまんまの結果だと言っても過言じゃありません。わたし自身、本当にそんなことなら、最後の最後になって、このドラマをこっぴどくコキ下ろすことになるかもしれない。正直、先週ぐらいには、わたしは、そこまで考えてました。でも、どうやら、このドラマは、わたしが予測していたのとはまったく違うところに、その着地点を用意してるんじゃないかという気がする。そういう方向性が、今日の放送で、なんとなく見えてきた。◇青鱗湖の、5人の子供たちが、それぞれに描いていた夢。でも、重要なのは、その個人個人の夢が、叶うってことでもなければ、挫折するってことでもない。それぞれの夢は、その時々で、かなったり、くじけたりするかもしれないけど、大事なことは、それらを乗り越えて、それぞれが、それぞれの「個人」の立場から、「社会」へ開いていくこと。そこに、このドラマの着地点があるような気がする。これからのこの町を、守っていくんも、変えていくんも、わたしたちや。結局、いちばん重要なことは、レストランを成功させるかどうか、もういちど家族を取り戻せるかどうか、だれかと幸せな結婚ができるかどうか、そういうようなことじゃない、と思う。個人的な夢を実現できるかどうかが重要なんじゃなく、大事なのは、その夢と、その挫折を乗り越えたところから、彼女たちのまなざしを、社会に向けて開かせていくこと。それが、このドラマの着地点であり、同時に、彼女たちの新たなスタートラインになるんだろうという気がします。そして、そういうラストなら、たとえ登場人物がだれと結ばれ、どんな立場におさまったとしても、わたしとしては、納得のいく結末を迎えられる気がする。・・もともと、このドラマは、「トトロ的な世界」を描くと同時に、そのファンタジーを壊すところから始まりました。そういう意味で、このドラマの物語は、『となりのトトロ』に描かれていたような、子供の夢=自我の夢への、現実世界からのアンサーみたいな感じがあった。でも、最後の本当の答えは、そういう子供(=自我)の夢が、現実に叶うのか、それとも壊れるのかじゃなく、最終的に、それを乗り越えた彼女たちが、そういう「自我」の世界から「社会」に開かれていくことの大事さにあったんだ。そういう気がしてきた。それこそが、「トトロの世界」を乗り越えることなんだって気がする。こういうエンディングは、事前には、まったく予想してなかったけど、今になって思えば、こうやって登場人物の未来を「社会」のほうへ開いていく結末は、ちょうど『不機嫌なジーン』と同じ構造になってるのかもしれません。◇『ニコニコ日記』も『不機嫌なジーン』も、ともに九州を舞台にした話だった。もともと、大森美香ちゃん自身、中途半端な気持ちで九州の物語は作れないんでしょう。この『風のハルカ』も、ただたんに「湯布院の観光PRドラマ」に終わらせるだけじゃ、彼女自身の気持ちはおさまらなかったと思う。これ、昨日、もういちど読んでみたら、この主人公も、けっして故郷を「良し」と思ってない。だから、この町を嫌いなオレは、この映画に向いてるのかもしれんな・・これは、たぶん美香ちゃん自身の気持ちでもあるんだと思う・・。「書くべきことは書かなきゃならない」ってのが、最後に、こういう形で現れてくるんだなと思います。それに、これは湯布院だけの問題じゃなく、たぶん、日本中のあらゆる場所で、“故郷を愛するがゆえに憎む”というようなことがあるんだろうと思うし、むしろ、キレイごとで終わらせないドラマの内容のほうが、地元の人たちにとっても、有難いことじゃないのかなって気がする。なんだか、わたしは『不機嫌なジーン』のことが鮮明によみがえってしまいました。そういえば、YUIちゃんも福岡の出身だったっけ。◇「農業と、旅館と、観光」みたいな提案が、現実的にどれほど有効なものなのかは、わたしには分からないけど、とりあえず、彼女たちを、「個人」の願いから、そういう「社会」的な課題に向かわせて、そこでもういちど彼女たちを、同じ夢を共有させるような場所に立たせれば、それで、このドラマの役割を果たせるんじゃないかなと、そんな気がします。
2006.03.29
なんどもあきらめようッち思ったのに。なんでやろ・・、夢みることをやめられん。やめたいのに。やめられん。おもむろに出てくる、このドラマのテーマ。〈夢〉と〈現実〉。ドラマも終盤にきて、おもなトピックは〈だれとだれが結ばれるか〉ってところに、偏ってきてるようにも見えるけど、やっぱり、このドラマのテーマは、ここにある(はず)。それぞれの人物が15年前の昔に描いてた夢。それが、どんなふうに壊れ、どんなふうに挫け、そして、どんなかたちでかなうのか。そこに何かの形があたえられれば、このドラマは、とりあえず幕を降ろせる思う。
2006.03.20
でも、分かったんよ。好きだけじゃダメやって。一緒になるなら、結婚するなら、相手をちゃんと信じることできんと、ダメなんよ。わたしはもう、正巳を信じられん。信じたいけど、信じられん。だから、好きでももうダメなんやと思う。これって、ジーンが南原教授と別れた理由と同じじゃないでしょうか。ハルカと正巳の今後の成り行きは、『不機嫌なジーン』に対するアンサーの意味にもなりそうです。たとえ好きでも別れなければならない。しかも、外からの障害のためじゃなく、当事者の内面的な理由によって。美香ちゃんは、あくまでこのテーマを追求しているようです。今回もまた、二人を別れさせるつもりなんでしょうか?アスカの小説みたいに。。(T_T)
2006.02.28
旅館も継いで、同時にハルカの幸福も請け負って生きていく・・そういう重圧に耐えられずに、結納の儀式をすっぽかして逃げてしまうほど、正巳は「アホ」で「弱虫」で「つむじがへん」だった。だから、ハルカは正巳を断ち切った。ハルカが正巳を「嫌い」になったのは、彼が、どうしようもなく、アホで、弱虫で、つむじがへんだったから。もし、正巳がこんなふうに、アホでもなくて、弱虫でもなくて、つむじがへんでもなかったなら、きっとハルカは、こんなふうに正巳を嫌いにならなくて済んだろうと思う。でも、嫌いにならないかわりに、もともと、そんな正巳なら、好きにもなってなかったんだろう。つまり、ハルカは、正巳がアホで、弱虫で、つむじがへんだから嫌いになったんだけど、そもそも、ハルカが正巳を好きになったのも、正巳が、アホで、弱虫で、つむじがへんだったからこそ。好きになった理由と、嫌いになった理由は、じつは同じ。◇たとえ、ちゃんと旅館を継げなくても、愛する女性の幸福をきちんと請け負えなくても、それでも「好き」という気持ちに忠実になって結ばれるなら、それは、とてもドラマティックなことだ。でも、逆に、本心には「好き」という気持ちがあるのに、旅館を継ぐことを恐れて逃げてしまうような男はNG、相手の幸福を請け負う覚悟もないような男はNG、という理由で別れざるを得ないんだとしたら、それは、ものすごくリアルな話になってしまう。このドラマが、「ドラマティックな物語」になるのか、「リアルな話」になるのか、まだわかりません。美香ちゃんのことだから、最後に、ものすごくシビアで、かなりリアルな結末というのも、ありえないことじゃない。一応。参考までに。男と女の「数」だけは合うんですけど・・1.青木課長 2.陽介 3.正巳4.啓太郎5.由起夫6.佐藤さん1.木綿子2.村崎さん 3.亜矢4.奈々枝5.ハルカ6.深田先輩だから、「ハルカが余る」ってのは、たぶん無いだろうと思ってはいるんですが・・。(~~;
2006.02.25
このドラマは、正巳をどうするつもりなんでしょう・・?幼少時代から、ハルカにたいして重要な役割を担ってきたこのキャラを、まさか、このまま葬り去ってしまうワケもない。このままドラマの中で「暗い影」にしておくってわけにもいかない。どうにかして、物語の中に戻さなきゃならないことに変わりない。でも、そうかといって、今後、どうやってドラマの舞台に復帰させるつもりなのか。んー。わたしが脚本書くわけじゃないけど、心配。何気に、わたしはひとりで正巳に同情してますけど、正巳の行動に対する視聴者のいろんな反応を映すように、ドラマの中も、それぞれに立場が分かれています。◎ 正巳に否定的な人: 陽介さん、木綿子さん、ちいさん、奈々枝・・◎ 正巳に同情的な人: ハルカ、百江、悟史・・そして、 すっかり黙ってる宗吉さん。おそらく、今回の件でいちばんダメージが大きいのは、ハルカ以上に、たぶん宗吉さん。「息子の成長を見るのはこんなにも楽しい」みたいなこと言ってたけど、こんなどんでん返しがあったんですね。ある意味、これは娘を嫁がせる父親以上に厳しい仕打ちといえる。今まで自由奔放にやらかしてきた人だけど、この歳にして、きっとこれが、宗吉さんの人生最大の試練なんじゃないでしょうか・・。「宗吉さんが甘やかした結果だ」とちいさんが言ったのは、たしかに正しいことなんだけど、もともと、親一人子一人なんですからね・・いくら厳しくしてみたところで、けっきょく甘いのは当然だと思う・・。(~~;)ここにきて“母の愛”を強く見せてくれている百江さん!きっと彼女が、この父子の危機を救ってくれるものと祈ってます!これは「倉田家」にあたえられた試練なんですから!これを乗り越えれば、きっと倉田家に新しい道が開けてくるのかもしれないし!!正巳を連れ戻すために、意外にいろんな人が役割を果たすのかもしれませんね。でも、最終的に、彼の「復活」の鍵をにぎるのは、やっぱり、たった一人の父親である人以外にいないわけだし、心を鬼にして、七転八倒してでも、いつかは宗吉さんと正巳が、父と息子の物語をやってのけなきゃならないのかな・・。そうはいっても、正巳にとって旅館を継ぐ道がほんとに正しいのかどうか。それとも、別の自分の道を見つけて帰ってくることになるのか。そのへんは、まだまだわたしにはわかりません。(T_T)だって、やっぱり二代目は大変だし。不自由だしね。(泣)
2006.02.21
ひさしぶりに『ハルカ』ネタで。これまでの、よくもわるくも大森ドラマらしい、例によって、たわいのない小さな物語の中にも、取り上げたい小ネタはいろいろあったんですが、とりあえず、それらは全部すっ飛ばして。今日、いきなり大きな物語になりました。正巳が逃走。夢崩壊。なんで、いきなりこんな展開になるんだろ。もともと「崩壊」からスタートした家族が、これまで分離状態にありながらも、少しずつ、少しずつ、互いの絆を回復して、果たせなかった夢を取り戻そうとしてきて、やっと、すこしずつ「家族の幸せ」の輪郭が見え始めたところで、きっと、このまま最後まで、ささやかなエピソードが続いて、最後に、ちょっとしたささやかな幸せの演出で終わるんだろう、と思ってたけど。また、どん底。またしても不幸を招く、青鱗湖の出来事。「幸せな家族」って夢は、二世代にわたってまた崩壊。やっぱり、家族の現実から逃避してしまう男。幼少時代の悪夢が、再びぶり返す。ある意味、ふりだし。これも大森美香ちゃんかな・・。当たり障りのない日常の物語の中に、いきなりシビアなどん底をもってくるんだから。ここまで延々と繰り返されてきた、たわいない日常のエピソードの連続は、そこに“裂け目”を入れるための息の長い伏線なのかとさえ思える。正巳が可哀想に思えた。・・もともと、女って、自分の「幸せ」を必死で信じようとする生き物だけど、考えてみれば、男の側にとってみれば、その信じられたものを背負わなきゃならない立場なわけで。ハルカが「幸せ」を信じきれば信じきるほど、正巳はそのぶんだけ背負うものが大きくなって、ハルカには、彼の苦悩がどんどん見えにくくなって、そのことで、じつは二人の亀裂がどんどん大きくなってく。ハルカは、正巳が逃走するまで、決してそれに気づけないんだと思う。のみならず正巳は旅館の二代目。何も無いところからスタートした一代目の父親とはちがって、二代目の正巳は、すでに背負うものが大きすぎる。一代目の父親にも、彼の苦悩は分からない。けっきょく、ハルカも、正巳の家族たちも、正巳がひとりで背負ってる苦しみには、彼が逃走するまで気づけなくて、じつは彼はずっと一人ぼっちだった。正巳が逃げたことで、全員が、あらためてその現実を突きつけられて、みんなが一緒に描いていた共通の夢も、一瞬にして打ち砕かれてしまって、すっかり、みんなも、画面も、暗くなってましたね・・(~~;;ドラマ中、もっとも能天気だった正巳が、いちばん陰のあるキャラクターに一転。そして、これまで挫けることを知らなかったハルカは、ここに来てはじめて挫折。じつはこれ、また残酷な話なんじゃないの・・?
2006.02.18
ハルカ第7週終わり。片思いの相手が同じ屋根の下で寝泊りしてるっ?!‥という異常事態も、ようやく終了。(~~;;でも、2人でタコ焼きをやく別れのシーンは、ちょっとウルッときてしまいました。ちょっとは好きかもっチ思ったこともあったけど、今はもうアホらしくてアホらしくて・・、正巳なんか相手にしてられん。このときは、由布岳いわく、「ハルカさん、嘘がすこし上手になりました」ってことだったはずなのに、実際は、ぜんぜん嘘になってなかったみたいです‥。正巳は、ハルカの気持ちを、ぜんぶ見透かしてました。好きにはなれん?と言ってしまうハルカ。こんな可愛い告白のしかたもあるんですね。「好き」とは一言もいってないのに、でも、泣きじゃくって、どんどん素直な気持ちがあふれ出てくる言葉。焼けたらかえれ。 ・・・ 泣くなっちゃ ・・・ 泣くっちゃ。・・ ごめんな ・・・ 嫌い。 ・・・ 俺は好きやぞ! 5番目やろ。 ・・・ 2から5や。 ・・・ 最悪や・・。・・なんど見ても可愛い告白シーンだなー、と思う。ある意味、このシーンで、正巳は、ハルカの気持ちをしっかり確認した、ってことかも。来週の予告では、「親しげなハルカと猿丸の様子に、正巳は我知らず嫉妬を覚える」とあります。考えてみれば、ハルカが正巳のことを好きになっってしまったのも、その狭間に「亜矢」という存在があったから、とも言える。ハルカと、正巳と、亜矢と、猿丸。こうやって、恋の輪舞がクルクル回るのかもしれません。◇湯布院に帰ってきてしまったアスカ。彼女は、お母さんやハルカのいる大阪じゃなくて、お父さんのいる湯布院に帰ってきました。でも、大森美香ちゃんは、ほんの一日だけ時間をずらすことで、アスカが泣きながらお父さんにすがりつくシーンを、意図的に避けたようです。そんでもって、傷ついたアスカを待ってたのは、またしてもハマグリ先生! (むむー。)結局、アスカは、湯布院の呑気な人々との触れ合いで気持ちをほぐしたあとで、ほんのりと、少しだけ、お父さんと和解したようです。で、期せずして電話ごしにつどった4人の家族。(というか、両親が別れている「家族ならぬ家族」だけど・・)たった10秒ほどの時間でしたけど、そうやって家族4人が揃ったのって、もしかして10年ぶり??来週、こんどはアスカが大阪へ来るみたい。この、4人の「家族ならぬ家族」は、こうやって、お互いのところを行ったり来たり、クルクル回るんですね。あっちが「恋の輪舞」なら、こっちは「家族の輪舞」ってとこです。アスカいわく、不思議なことで、恋愛中よりも恋愛が終わってしまったあとのほうが、恋愛小説をスラスラ書ける気がするんやけど、これはなにか、人生の皮肉でしょうか??ってことは、「家族の物語」も、家族が崩壊した後のほうが、すんなりつむげるってことかな。◇アスカに印税が入って、ハルカは「出稼ぎ」の意味をなくしてしまいました。。夢は何ひとつかなわないし、目的も、ことごとく消えてしまう。残るのは、日々の出来事と、毎日の何げない日常。龍のウロコもそうだったけど、きっと、このドラマのなかでは、夢も目的も、「たんなる日常」を浮かび上がらせるための、逆の意味の装置なんでしょうね。だから、目的や夢は、何も叶わない。あ。だけど、あの美人サギ師の置いていった「よく出来た企画書」は、いずれは何かの形になるんでしょうか?
2005.11.20
第4週終わり。◇どんなに忙しくても、ゴハンは一緒に食べたほうがいい。家族にとっては、そういうの、案外大事なことやで。こう話す青木課長は、意外に、湯布院のお父さんの感性に近いのかも。で、木綿子も、ハルカも、がんばって食事の支度して待ってたのに、どっちともすれ違いで、結局、2人がはじめて一緒にゴハンを食べることができたのは、職場の外のベンチで、「コンビニのおにぎり」だったんですね。たった30分の、母娘の食事。でも、このときのハルカはちょっと嬉しそうだった。田舎から都会にやってきたばかりのハルカにとって、都会の真ん中で働くカッコいい女の人が、気づいたら、自分にとっていちばん近い存在の人だったってことが、誇らしいというか、頼もしいというか、そんな嬉しさだったのかも。たぶん、それまでのハルカは、木綿子が「母親らしい母親」であってくれるのを期待してたんだろうし、正直、このわたしも、いつか木綿子がそうなってくれるんじゃないかと期待してたんですけど、考えてみれば、「母親らしい母親」とか、そういう固定観念にしばられる必要はないかもしれない・・。いろんな「母親像」があっていいのかもしれない。会えてうれしい!仲良くしようね。これって、「母親」というより「友達」のような感じだと思う。たとえば、ニコにとっての美冬というのも、「母親らしい母親」なんかじゃなくて、なんというか、「遠いところにいる憧れの存在」みたいな、そんな母親像でありえたのかもしれない、と、今になって思う。そういう母親像だって、あってもいいのかもしれません。ハルカは「母親らしい母親」を求めていて、アスカは「父親らしい父親」を求めていて、お父さんは「家族らしい食卓」を夢みてるのかもしれませんけど、そんな「家族らしい家族」とか、「母親らしい母親」とか「父親らしい父親」とか、そんなの、ただの幻想、ただの固定観念かもしれない。木綿子や、美冬のような母親がいてもいいかもしれないし、陽介みたいな父親でもいいのかもしれない。家族の食事が外で食べるコンビニのおにぎりだっていいのかもしれない。そういう、とらわれない家族の姿を、大森美香ちゃんは描きたいのかなあと思う。◇東京のアスカ。「何でもいいから早く書け」と言わんばかりの編集者。この様子だと、やっぱりアスカのほうが、ハルカよりも先に挫折して湯布院に帰ってきてしまいそうな雰囲気。もし、そうだとすると、アスカのために出稼ぎに行ったハルカが大阪にいる意味もなくなってしまう。たぶん、アスカの夢=ハルカの夢は、どちらも、思い描いたようには叶わないんじゃないでしょうか。だって、このドラマのテーマ自体、「どこかに小さな幸せが見つけられればいい」ってことみたいだし、アスカが小説家として成功する、なんていう展開は、たぶんないと思う。何ひとつ夢が叶わなくて、何もかもうまくいかなくても、それぞれが、その中で小さな幸せを見つけられればいいじゃないですか、・・みたいなことになるんだろうと予測します。でも、とりあえず、湯布院のお父さんだけは、着々と新しいメニューを開発しつつあるみたいだし、レストランの復活ぐらいは、夢がかなうのかもしれません。とはいっても、そこに「家族の食卓」が実現するかどうかは、やっぱり微妙。お母さんが大阪の恋人と別れて湯布院に戻るってのは、やっぱりないだろうなあ、と思うから。ま、わたしとしては、そういう、まとまりのない家族で終わってもいいです。この際、大森美香ちゃんには、今までにないような、新しい「朝ドラ」のスタイルをつくってほしい。「家族らしい家族」とかじゃなくて、ぜんぜん「家族らしからぬ家族」のありかたみたいのを、思いっきり、NHKで朝っぱらから国民に見せてやってください。◇今までにない朝ドラのスタイルといえば、この朝ドラのヒロインって、もしかしたらハルカとアスカの2人じゃない?だいいち、朝ドラのヒロインが1人でなきゃいけない理由もないんだし。っていうか、そろそろ男の子が主人公の朝ドラが出てきたっていいくらいなんだから。そういうわけで、このドラマのヒロインは、ハルカとアスカの2人だと思うことに決めました。で、その、ハルカとアスカの電話のシーンですけど、びっくりするぐらいのカットの割り方!怒涛のような勢いでしたね。あれよあれよという間に、すごく引きこまれました。電話のシーンで、あんなにカットを切り替えるのって見たことないです。現実の世界では、電話する2人を同時に見るなんてことありえないわけだけど、でも、まるで電話してる2人をほんとに見てるかのようにリアルでした。会話の内容も、あっちに飛んだりこっちに戻ったりするんだけど、逆に、そういうところがリアルで、不自然じゃなくて、さすがはセリフの名手と思わせる脚本だったし、演出も上手だった。その、怒涛のような電話の会話の中にも、聞き逃せないセリフが。「結婚とかしそう?」「いや、そういうんやなさそう。なんか、安全な同居人っていうか」「とかいって、そのうち弟とか妹とかできたりして!!」「うわっ、きついなぁ。あんたの小説みたい。」木綿子と青木課長、ほんとに結婚はないんでしょうか?そういわれれば、なさそうですけど、かといって、陽介との復縁もなさそう・・。そして、アスカの小説には、血の繋がらない兄弟の話とかも出てくるんですか?売れないぐらい内容が暗くて、眠くなるほど難しいらしいけど。(~~;;◇お父さんも、いい人さがせばいいのに・・。(アスカ)恋かあ・・。恋したいな・・。(ハルカ)という話の流れから・・どうしてお父さんと百江さんのツーショットになるんですか?!それがわたしには解せない・・。いくらなんでも、この二人の恋愛はないと思うんだけどなあ・・。無いでしょう。だって、母親の恋人の存在を電話ごしに気づいてたアスカでさえ、父親と百江さんのことなんて、気にもしてなかったし、やっぱり、ないでしょ。この二人は。・・それはそうと、このシーンのときの、カゴいっぱいのきりぼんちゃん人形。耳が可愛い。(*~~*)◇せっかく野菜を送り続けても、木綿子に食べてもらえない陽介。木綿子は木綿子で、せっかくパンプスを買ってきても、ハルカに受け取ってもらえない。みんな、ちょっとずつ擦れ違うんですね。ハルカは、おしゃれなパンプスなんかより、動きやすい運動靴のほうが好き??だったのかもしれないし、湯布院出身の木綿子にとっては、湯布院の野菜なんて、珍しくもなんともなかったんでしょうね。むしろ、湯布院の野菜を喜んで食べてたのは青木課長だったってことで。ってことは、陽介は、青木課長のために野菜を送り続けてたんですね。(~~;;なんて不憫な・・◇たこ焼き器は、湯布院の実家に、もともとあったんですか?なんとも不思議な家です。で、まさか父親に「ひとりでたこ焼き食べてね」って意味で“たこ焼きの素”を送ったわけじゃないんだろうから、やっぱり、あれは、「エプロンつけて、たこ焼き器もって、みんなのところに行って食べてね」って意味なんでしょう。そこまで考えて、父を思いやってプレゼントしてるハルカって、頭がいいのか、そうとう発想が個性的なのか、・・よく分かりません。◇支店長、3番にカメラマンの猿丸さんよりお電話です!ハルカが旅行会社に入社できたのは、青木課長のコネというより、もっと上のほうのコネのようなんだけど、ここの支店長って、木綿子のことも、ハルカのことも、青木課長のことも、さらには、「たこばあば」から「猿丸」とかいうカメラマンのことまで、何もかもを知ってるキーパーソンみたいですね。なんか、支店長ってちょっと怪しい。たしかに、そういう意味では怪しい。あの子は、ああ見えて、お母さん似なのかわからんなぁ・・ふーむ・・。 これも意味深なセリフ。
2005.10.29
湯布院にいたときの伸び伸びした表情とはちがって、大阪に来たハルカの顔は、終始、こわばってますね。でも、みんないい人そうだし、お母さんのマンションも生活環境としては申し分ないし、大阪の街のシーンで流れる音楽も、こころなしか「吉本新喜劇」的なホンワカパッパな雰囲気だし、なんだか、あんまり心配なさそうです。この際、ケータイも、スーツも、お母さんに買ってもらっちゃってください。どっちかというと、大阪のハルカより、東京のアスカのほうが心配です・・。◇かつては大変な優等生だったというお母さん。この人は、ほんとに湯布院の町には似合わない人です。都会にいるときのほうが、カッコいいし、様になってる。彼女は、やっぱり「田舎のお母さん」というよりは、都会の教育ママとか、学校の先生みたいなタイプの人です。そこが、ハルカとあわないところなんだろうけど。逆に、東京生まれのお父さんは、田舎の暮らしのほうが良く似合うタイプの人だし、今さらながら、この2人、よく結婚しましたね。(~~;;◇同じ職場にお母さんの愛人がいるってことで、ハルカはショックを受けている様子。朝、お母さんの話をろくに聞かずに、プイッとマンションを出てきてしまったからですが、もし、事前にその話を聞いてたら、かえって出社する気がなくなっていたかもしれません。こういうコミュニケーションの擦れ違いが、これからも、色んな出来事につながっていきそうな予感。そういえば、お母さんは、前の日の夜にも何か言いかけてましたね。あなたの会社ね、私の上司の・・どういう話だったのか分からないけど、お母さんの上司とハルカの通う旅行会社が関係あるってことは、お母さんと、別所哲也も、仕事上の関係で知り合ったのかな。◇お母さんの話によれば、子供のころ、ハルカはガイセイバーが大好きだったけど、アスカのほうは、そういうものには興味を示さなかったんですね。逆に、アスカはピアノが得意だったけど、ハルカのほうは、まったくそういうものに興味なかったんだと思う。この、2人の基本的な性格とか嗜好のちがいってのは、現在でも、ほとんど変わってないんでしょうね。(~~;;◇えっ!今回の週間ブックレビューでアスカの小説が取り上げられるんですかっ?!・・って、現実の週間ブックレビュー見ても、やってるわけありませんが。(~~;この番組内容は、DVD化したときに特典映像で入れておいてください。今日は、酒まんじゅう。
2005.10.24
はっ!そういえば、ここで叫んだお願い、今まで一個もかなってなかった・・。・・はい、いまごろ気がつきました。(~~;;ハルカにとって、湖で見た「龍」の思い出は、“両親の離婚”とか、“少年の死”とか、そういう悲しくて、忌まわしい出来事とは、あまり結びついてないようです。あの時、初恋の男の子は死んでしまったけれど、幼いハルカにとっては、まだ「初恋」というほど自覚的なものじゃなかったのかもしれないし、むしろ、あのときの少年の死という出来事は、奈々枝の一家の失踪という、少女の感受性では消化しきれない嵐みたいな出来事として、目の前を通り過ぎてしまっただけだったのかもしれません。むしろ、あのとき龍にたくした夢は、ハルカにとって、そのあとでレストランを立ち上げた頃の記憶に繋がってるのかもしれないし、そして、そこに抱いていた夢は、いま現在も、レストランの再開にむけて進行中なのかもしれないですね。どんだけ泣いたあとでも、もっかい目開けて、“おはよう”っちゅう力も持っちょる。ひとつの夢を失っても、また別の夢をつないでいく。ファンタジーがひとつ壊れても、それでファンタジーを失ったりしない。「都合がいい」って言ったらそれまでだけど、現実には、人間って、そうじゃないとやっていけませんし。ひとつやふたつ、夢を失くしたって、どってことありません。(爆)◇ところで、昨日、小学校のハマグリ先生が、アスカの書いた小説のラストのことを、「キラキラしてファンタジックな最後」と言ってましたが、先週の15日の放送では、お父さんが、その最後の部分の原稿を、深刻な顔で読んでいました。そして、ハルカに「読まないほうがいい。」と言ってた。アスカの小説のラストって、読む人によって受け止め方が違うような内容なんでしょうか?じつは、この15日の放送の時に、原稿の最後の2枚が、画面にも映っています。そして、断片的にですが、その文章も読むことができます。それによると、小説の最後の部分は、主人公の父親が、泣きながら廃屋に火を放って、炎に包まれる。といった内容になってるんです。そこだけ読むと、とても「キラキラしてファンタジックな」ラストには思えないんですが、どうなんでしょうか??このあたりは、今の段階では謎のままです。◇大阪に行くトラックから降りて、そこから見下ろした湯布院の景色は、ほんとに「綿あめ」みたいでしたね。盆地のなかで、雲がクルクルと渦巻くんですね。母親の「木綿子」って名前と、ハルカの「風をあつめる綿あめ」みたいな性格って、どこかつながるのかな・・。ん。待てよ。盆地のなかで、雲がうず巻いて、盆地のなかが霧で満たされていく。霧の湯布院。盆地の霧。盆霧。・・霧盆。・・・きりぼん??あ、これだったりして。
2005.10.22
お父さんの前で、ハルカは自分の気持ちを話しました。ああいうとき、ハルカは、素直でいい子だなーと思う。母親が送ってきた10年分のバースデーカードを見て、大阪へ行く決心をしたのかな?と思ったんだけど、考えてみりゃ、そんなに簡単に母親へのわだかまりは、消えないですよね。わたしは、忙しいからって、外を見ることとか、お母さんと向き合うこととか、愛の告白するとか、そういうことから全部逃げてきた・・でも、このままの自分でいるのは嫌。だから、この町を出てみたい。これが、今のハルカのほんとうに正直な気持ちなんだと思う。同時に、お母さんにも、「すこし会ってみたい」って気持ちは生まれてきたみたいです。 ☆ ☆ ☆観念的で救いのない話やったのに、最後の最後はキラキラ。ファンタジックな感じがしたけん。むむー。小学校のハマグリ君から聞き逃せない情報が!じつは、アスカも、まだ心のどこかでファンタジーを信じてるんですね・・。アスカの小説の世界をいちばんよく理解してくれていたのは、おじさんでもなければ、イトコでもなければ、文学賞の審査委員の人たちでもなく、アスカにとっては一番どーでもいい、小学校のハマグリ先生だったんですね・・。(~~;世の中、そんなもんです。意外な人にこそ、感謝しなきゃなりません。そして、龍のウロコがアスカの手に渡りました。あのウロコが、幸運をもたらすものなのかどうかは微妙なんですけど、(~~;これからのアスカのためにも、あれは「ファンタジーを信じ続けるためのアイテム」と解釈することにします。ところで、アスカの書いた小説の内容が、すこしずつ明かされてるけど、この「インサイド小説」って、大森美香ちゃんの手によって、ほんとに実在してるんでしょうか?だとしたら、スゴイ。わたしたちの前に、いつかその全貌が明らかになるんなら、ほんとにスゴイです。「インサイド小説」」なんて、前代未聞かも・・ ☆ ☆ ☆ハルカが、母親からの10年分のバースデーカードを目にして、いっとき、10年前の「子供」に戻ってしまったように、今日は、アスカも、ハルカの前で「妹」に戻ってしまいました・・東京へ行く前日、アスカは重圧に耐え切れずに泣き出してしまった。オバケ屋敷を怖がってた頃のような、泣き虫のアスカに戻ってた。わたしは、>田舎志向で、夢見がちなハルカと、>都会志向で、現実主義的なアスカ。なんて思ってたんだけど、実はそうでもなかった。じつは、ハルカのほうが現実への適応能力が高くて、アスカのほうは、ずっとずっとナイーブなんですね。こんな「裏側」をサラリと見せて、それまでの図式をコロッと逆転させてしまうところが、大森美香ちゃんのセンスの、卓越してるところです。 ☆ ☆ ☆公式ページの予告に、「アスカはハルカと和解して東京へと旅立った」なんて書いてあったので、いったいどんな和解シーンがあるのかと思ったけど、「和解」というようなものじゃありませんでした。そもそも、この2人はべつに和解なんてする必要もなかったんだから。むしろ、アスカが本当に和解しなきゃらないのは、ハルカとじゃなく、父親と、のはずです。結局、お父さんは、最後までアスカに何も言えなかった。アスカも、お父さんから目を背けたまま、東京へ行ってしまった。ハルカが大阪で母親と和解しなきゃならないように、アスカも、いつか父親と和解しなきゃならない・・。それが、これからの物語だとおもいます。ドラマの舞台は「大阪」に移るってことですけど、ハルカの大阪も、アスカの東京も、両方とも描いてほしい。【今日の小ネタ】冒頭で、「あー、今日もいい景色!」って言ったときの由布岳の景色は、ほんのり霧がかってて、ほんとに綺麗でした。 神々しいくらい!やっぱり、きりぼんちゃんは「霧」ぼんちゃんなんでしょうか・・エンディングの「はと麦饅頭」もかなり魅力的でした・・。
2005.10.21
昨日と今日の放送で、木綿子と、ちいと、百江さんと、3人の母親のことが描かれました。おせっかいぐらいで、ちょうどいい。これで開き直った母親の自信が、ハルカの心をゆり動かしたみたいです。◇今日の内容は、見た目は地味でしたけど、脚本と演出は、なにげに絶妙な気がしました。どんなふうに大阪行きを決断させるのかなと思ってたけど、木綿子が、切られた電話をすぐさまかけ返して、娘に考える時間も与えないうちに、「だから大阪に来なさい!」とたたみかける、あのときの自信に満ちた母親の機転みたいなのが、すごくうまく出てて、ハルカのほうは、話し終わって、ただポカンとしてるんだけど、そのときの表情が、電話をかける前とはあきらかに変化してるのが分かりました。なんていうか、ふっきれたような表情になった。そして、その直後に、その場の勢いで、「あたしは都会に出稼ぎに行くんです!」なんて、断言かつ宣言してしまって、それで、自分でもワケわからなくなって、お風呂にはいったり、おばあちゃんと話したりしてるうちに、どんどん心が動いている様子がわかった・・。身勝手なほどの母親の“おせっかい”が、ハルカの心を一瞬にして「子供」にしてしまったんですね。夕暮れどきに、バースデーカードを読みながら、ハルカは10年前の「子供」になってしまったんだと思う。◇お母さんの物語。昨日と今日の放送で、3人の母親のそれぞれの気持ちが、すこしわかった気もするけど、でも、「母親」については、これからももっと深く描いてほしいです。まだまだ足りないと思う。◇ちなみに、今日の放送で、渡辺いっけいと佳乃ちゃんが、倉田旅館の中で話をしてましたけど、たとえば、あのうしろで、ガイセイバーとゾルディオス女王がふつうに宿泊に来てたりしたとしても、わたし的には何の問題もありません。たぶん、倉田旅館って、なんでもありだと思うので。
2005.10.20
ハルカには、家を守りたい気持ちと、、アスカを大学に行かせたい気持ちと、二つの思いがあって、その両立しがたい二つの気持ちに、同時に必死の情熱を傾けようとしてるように見える。ハルカが、アスカのために進学費用を作ろうとしてるのは、たんに意地をはってるだけじゃなくて、やっぱり、アスカへの気持ちがあるんだと思います。今日のドラマの中の、わたしの一番のお気に入りは、新聞に載った妹の写真うつりを見て言った、ハルカの、このセリフです。や~、いまいちやんね・・。この顔、なんか頬っぺが目立ちすぎ。ほんとはもっと美人やのに・・。なんか、ハルカの、妹に対する思いが出てる気がする。前に、アスカが文学賞を受賞したときのお祝いの席で、ハルカは、アスカの言葉に怒って、彼女を突き飛ばした。あのとき、わたしは一瞬、ハルカはアスカを平手でぶつかと思ったんだけど、そうじゃなくて、思いきり突き飛ばしました。ああやって、平手でぶつんじゃなくて、妹のことを体ごと突き飛ばす感じが、なんだか“姉妹”っぽくて、わたしは好きでした。なんか、ああやって突き飛ばすのって、実はほとんど「抱き締める感覚」と同じみたいな気がするから。アスカが成長するにつれて、ハルカとアスカの関係は昔とはだいぶ違ってしまったけど、わたしは、いまのハルカがアスカに対して抱いてる想いのあり方が、すごく好きです。ハルカは、アスカが美人で、頭が良くて、自分を主張するようになるのが、すごく嬉しいんだと思う。
2005.10.19
ちょっと重たすぎたいままでの内容から、今日はまた、思いっきりはじけた展開に。この路線、いいです。ハズレに決まってる宝くじでムダに盛り上がる面々とか、佳乃ちゃん登場シーンの切れ味するどい姐御っぷりとか、こういうの、このまんまシリーズ化してほしい。(~~;倉田旅館のオヤジも、とっぴな発想で、派手にかきまわしてくれそうです。彼の意味不明なアイディアがあれば、等身大のガイセイバーが暴れまわる日も遠くありません。升毅と宮崎美子のおじおば夫婦も、あれでいて、ハルカのことを心配してくれてる様子。それにしても、升毅と木綿子のデコボコ兄妹ぶりは、すごすぎます。まったく血が繋がってるとは思えないくらいのギャップの大きさ。ハルカとアスカは、あそこまではひどくないと思う。◇子供時代の映像って、じつはまだまだ撮ってあるのかもしれませんね。今までの10年間にあったこと、すこしずつ、ハルカに思い出してほしいです。ハルカだけじゃなく、アスカにも、お父さんとお母さんにも。その中で、未公開映像もいっぱい見れそうだし、いろんな秘密が明かされていくのかもしれません。レストランの経営のことも。そこでのハルカとアスカの成長の物語も。大阪で木綿子が10年間に秘めてきた思いとかも。(↑これは、わたしにとって美冬の物語でもある)それから、佳乃ちゃんの、倉田旅館10年間の「若女将奮闘記」も見てみたいです。そういえば、佳乃ちゃんと、渡辺いっけいの、あの2人の変な“目配せ”はなんなんでしょう?前に佳乃ちゃんが、オンボロ中古車の車検証を届けにきたときも、ちょっと佳乃ちゃんは彼の前でキョドってる風だったし、まさか恋愛感情があるとは思えないけど・・?!旅館が忙しいはずなのに、町はずれのオバケ屋敷までわざわざ出向いてくるのも不思議。都会人どうし、二人は密かに支えあってきたんでしょうか?トランペットが2人を結び付けたとか・・?◇キリボンちゃん。きりぼんちゃん。桐ぼんちゃんなのか、霧ぼんちゃんなのか、切盆ちゃんなのか、いまだに分かりませんけど、「霧の湯布院」という名のご当地ソングがあるのを発見してしまって、はげしくイヤな予感がしています。(笑)倉田旅館が、変なディナーショーとかやらなきゃいいけど・・。そうだとしても、何でウサギなのかは、まったく不明。
2005.10.18
「ハルカ」と「トトロ」について、これまでの日記にもいろいろ書いてきましたが、もっと本格的に考えなくちゃいけないような気がしてきた。「風のハルカ」第一週の内容は、「となりのトトロ」を逆説的に引用してる。先々週ぐらいに、わたしは、そう考えてたんだけど、でも、トトロの引用は第一週だけにとどまらないかもしれません。もしかしたら、ドラマの全編にわたって、「となりのトトロ」は重層的に引用されて、それが、ドラマの構造にさまざまな影響をあたえていくのかもしれません。しかも、それにともなって、元の「トトロの世界」それじたいがバラバラに分解されていくかもしれない。◇ ◇ ◇とりあえず、いままで書いてきたこともふくめて、「ハルカ」と「トトロ」の関係を整理しておきます。1. なぜ「ハルカ」は「トトロ」を引用したか。たぶん、NHKの朝ドラの場合、舞台になる土地(今回は大分県の湯布院。)を発想の原点にして、物語を構想しなきゃならないっていう条件があるんだろうと思います。大分・湯布院という土地から、いろんなアイディアが生まれてるんだと思うけど、その中のひとつに、「由布岳の形がトトロに似てるから、由布岳をトトロに見立てる」みたいな発想があったんじゃないでしょうか。それに、大分県は、もともと『となりのトトロ』にゆかりがあるみたいです。・・そのあたりから、日本人なら誰でも知ってる『となりのトトロ』の世界を引用しつつ、大分県に「トトロの物語」みたいなのをつくる構想が出てきたんだと思う。2. 「ハルカ」はどんなふうに「トトロ」を引用しているか。とくに第一週では、「トトロ」の引用っぷりは徹底してます。言うまでもなく、、ハルカ&アスカは、『となりのトトロ』のサツキ&メイです。2人の年頃も同じだし、子役の顔立ちも似てる。髪形は完全に同じ。(10年後の今でも同じまま。)それぞれの性格もそっくりだし、何より姉妹の関係がそのまんまです。そして(意図的かどうかはわからないけど)、妹のアスカ役を演じてる、桝岡明ちゃんと黒川芽以ちゃんが、考えてみりゃ、2人とも「メイちゃん」だった・・というほどの徹底ぶりです。それから、「お父さんと引っ越してきたところがオバケ屋敷」という設定も、このドラマが「トトロの物語」であることを明示している部分です。さらに、脚本の大森美香ちゃんが、公式HPの中で、このドラマのタイトルにある「風」という言葉について語っていて、それによると、「春風のような爽やかさ」みたいなのが、このドラマの基本的なイメージのようなんですが、じつは、宮崎駿もトトロの世界を描くときに、「5月」という季節をイメージしていたようなので、その部分も、両方で共通するところなのかもしれません。そして、何より、満月の夜に湖から龍が昇っていくというエピソードが、「子供だけが見ることのできるファンタジー」として描かれるところも、ハルカの第一週はトトロの世界の再現だったんだ、と感じさせます。トトロの世界もまた、子供だけにしか見えない世界だったから。◇ ◇ ◇でも、第二週になると、こうした「トトロ的な世界」は、すべて壊れてしまう。満月の龍にたくした少女たちの願いは、無情な現実によって、何もかも打ち砕かれてしまいます。両親は離婚して、病の床にあった少年は死んでしまい、友達の一家は夜逃げして、父親のレストランも失敗に終わってしまう。このドラマにおける『トトロ』の引用が、かなり「逆説的なもの」だというのは、そういうことです。◇ ◇ ◇でも、それだけじゃないかもしれない。もしかしたら、トトロの引用は、第一週にはとどまらないかもしれません。「ハルカ」と「トトロ」で、もうひとつ似てるところがあります。大森美香ちゃんが、このドラマを構想し始めたとき、だだっ広い一本道をお父さんと小さな女の子が手をつないで歩いているというイメージがあったそうなんですが、たぶん、最初、主人公の少女は、姉妹じゃなくて、一人だけだったんだと思う。たぶん、大森美香ちゃんは、「トトロ」の世界に近づけるために、主人公の少女を、ひとりじゃなく「姉妹」にしたんじゃないかと思うんだけど、じつは、宮崎駿自身も「トトロ」を作るとき、最初は、一人の少女の物語を構想していたのに、脚本の辻褄あわせのために、後から「姉妹」という設定に変えたんだそうです。でも、大森美香ちゃんの場合、この姉妹を、たんにサツキとメイの実写版のように描くのではなくて、2人をあえて分裂させることで、それぞれを別のベクトルに向かわせて、そこから、、新たなドラマのダイナミズムを生み出そうとしています。「トトロ」ではほとんど一心同体だったはずの姉妹が、「ハルカ」では互いに分裂して、それぞれにちがう方向へ進み出してしまう。それが、新たな物語を生んでいく。わたしたちが見ているのは、サツキとメイの「その後の物語」なのかもしれません。その意味でも、このドラマは、外見的には「トトロ的」でありながらも、じつは、内容的にかなり「反=トトロ的」な要素を孕ませています。トトロをまねながら、じつはトトロを解体しようとしてるかもしれない。もちろん、このドラマが、「トトロ的なファンタジー」へのアンチテーゼになっているのかどうかは、ドラマを最後まで見てみないとわかりません。今日の放送で、アスカはこう言いました。お姉ちゃんも早く「自由」になったほうがいい。いつまでも「この家の犠牲者」でいることはない。お姉ちゃん、一生ここに縛られてれば?あたしは、春になったらここを出る。アスカが何から自由になろうとしてるのか。それは、この家(=お父さんが連れてきたオバケ屋敷)からです。そして、その家は、「トトロ的な世界」の象徴です。言いかえれば、アスカは、「トトロ的な世界」の幻想から抜け出そうとしてるのかもしれない。トトロ的なファンタジーは、第二週で壊されてしまったんだけど、じつは、姉のハルカのほうはまだ、それを信じてるのかもしれない。でも、妹のアスカは、その子供みたいな幻想を捨て去ろうとしてる。こういうハルカとアスカのちがいは、そのまま、お父さんとお母さんのちがいにも重なってます。幻想を信じる父親。現実だけを信じる母親。アスカから見れば、「トトロ的なファンタジー/子供じみた幻想」をいちばん信じているのは、ほかでもない、父親だってことになる。自分たちは、父親の子供じみたファンタジーの犠牲になってきた。アスカは、そういうふうに思ってる。じっさい、だれよりも「トトロの世界」に住もうとしていたのは、じつは彼女たちの父親だったのかもしれません。トウモロコシがどうとか言ってる場合じゃないんだよ・・これは、先週の最後の放送で、お父さんが言った何気ないセリフですが、この“トウモロコシ”というのも、じつは「トトロの世界」を象徴したアイテムです。『となりのトトロ』の中に出てくる“トウモロコシ”は、子供だけが見たファンタジーの片鱗を、大人に伝える役割を果たしてます。ハルカの父親は、まだこの“トウモロコシ”を信じようとしてるかもしれません。◇ ◇ ◇こんなふうに考えていくと、今後も、「トトロ」」の世界というのは、いろんなかたちで、このドラマの背景でありつづける可能性があります。(「となりのトトロ」については、こちらのサイトを参照しました。)
2005.10.17
このドラマは、「父と娘の物語」という面ももってるし、「母と娘の物語」という面ももってる。そして、わたしは、どっちにしても、ここで『ニコニコ日記』と同じテーマが変奏されているように思います。でも、このドラマには、それ以外に、もうひとつ大事な部分がある。それは、このドラマが、「姉と妹の物語」になってるってことです。これは、『ニコニコ日記』にもなかったことだし、いままでの美香ちゃんのドラマの中でも、はじめての試みになるんじゃないかと思います。今、わたしは、このことにとても興味をもってます。ニコニコ日記は、たった一人の少女の物語だったけど、風のハルカは、それとはちがって「姉妹の物語」です。そこが、2つのドラマで大きくちがうところです。ハルカとアスカは、性格もタイプもまるっきりちがう。父親に似て、田舎志向の強いハルカと、母親に似て、都会志向の強いアスカ。すべての事において、2人のベクトルは正反対になっていく。でも、第一週の子供時代のときに強く印象づけられたけど、この姉妹のあいだにある感情とか絆って、すごく深い。この姉妹の関係が、これからどう描かれるのか、わたしはとても楽しみにしてます。一筋縄じゃいかないくらい、2人で、それぞれの気持ちを、激しくぶつけあってほしい。それで、お互いのことを、また見つけ直してほしいです。ドロドロになったってかまわないから、姉妹の深い想いが、もう一度つながれるようなストーリーが見たいです。◇ ◇ ◇今日になって気がついたんですけど、番組エンディングとか公式HPとか、いろんなとこにウサギの「キリボンちゃん」がいるんですね。(~~;なんで「ウサギ」なんでしょう?しかも、なんで「キリボンちゃん」なんですか??あ、それと、昨日のまぐろのかぶと焼きもHPで見れるんですね。たしかに怖すぎです。(~~;グロいっていうか、黒い・・。海をバックに花まで添えて、マグロの頭を崖っぷちに飾る必要があったんでしょうか・・・
2005.10.15
やっぱりハルカは、龍のウロコをまだ持ってるんですね。これからも、このアイテムが大事なキーになると思う。ただ、ハルカが、このウロコに対してどんな思いを抱いているかは、けっこう複雑なはず。もしかしたら、ハルカはまだ夢を捨ててないのかもしれないし、あるいは、龍のウロコに、懐かしい記憶のかけらを見てるだけかもしれないけど、でも、そこには、もう何もかも信じることが出来なくなってしまうくらい、忌まわしくて、悲しい記憶だってあったんだから。これからも、龍のウロコのエピソードは、その部分をちゃんと踏まえて描かなきゃいけないと思う。◇それから、木綿子のことですけど、手紙の返事も書かず、由布院にもぜんぜん姿を現さないってことですが、電話はちゃんとかけてくるんですね・・・ここが、いまのところ、ちょっと意味わからんとこです。◇ ◇ ◇で、わたし、やっぱり黒川芽以ちゃんに胸キュンです。(~~*!!!いちばん最初に、オバケ屋敷の家から、ボテボテ歩いてくるところなんか、可愛くて、何回も見かえしちゃいました。・・どうして、彼女の愛称は“モキュ”なんですか??だれか知ってる人いたら教えてください。(T_T)【小ネタその1】このドラマ、たぶん、見た人が由布院に行きたくなるように作られてると思うけど、まさかウサギの「キリボンちゃん」とかいうのを、第2の「ゴーヤーマン」にでもするつもりなんでしょうか・・(~~;あるいは第2のガイセイバーとか・・。【小ネタその2】姉と妹の主従関係が、子供時代とはすっかり逆転してますけど、最後にアスカが文学賞受賞の電話を受けてるシーンでも、受話器を囲むハルカとアスカの位置が、子供時代とまるっきり逆になってました。(~~;;
2005.10.14
こりゃまた果敢なことをやりましたね。。両親は離婚して、初恋の男の子は死んじゃって、友達の一家は失踪して、お父さんのレストランも失敗して、お母さんも帰ってこない。何ひとつカタルシスがないまま、ひっそりと「子供時代」が終わって、いきなり10年後になってしまうんですね。。あいかわらず、大森美香ちゃんは、怖いもの知らずというほかないです。でも、わたし的には、今日の内容が、いままでの中でいちばん印象深かった。◇第一週は、となりのトトロの再現だったけど、それは、かなり内容的な部分に踏み込んだうえでの、逆説的な引用でした。本来、トトロ的な世界で描かれるはずの、「子供のファンタジー」は、ボロボロに打ち砕かれてしまいました・・。でも、わたしは、このドラマの「ファンタジー」が完全に死んだわけじゃないと思う。たしかに、両親は離婚してしまったし、初恋の男の子は死んでしまったし、レストランもつぶれてしまいました。でも、きっと大人の世界にも、「子供のファンタジー」とは別の、なにがしかの夢とかファンタジーとかがあるんだと思う。それがどんなものかはわからないけど、それは、このドラマの脚本家が、半年かけて、彼女なりに提示してくれると信じてます。だって、曲がりなりにも、ハルカたちは龍が満月に昇るのを見たんだし、「龍のウロコ」ってアイテムも、まだ残ってるはずです。きっとまた、それがドラマの中で生きてくると信じたい・・。(ちい) どんだけ泣いたあとでも、 もっかい目開けて、“おはよう”っちゅう力も持っちょる。(ハルカ) 意味分からん・・このシーン、ハルカの“即答”がちょっと笑えるけど、同時に、ここでわたしは、なんだかじーんとしてしまいました。きっとハルカはこれから、少しずつこの「意味」を分かっていくんじゃないでしょうか。◇ところで、母親の木綿子のことですけど、「手紙の返事を書かなかった」ってことですが、なにか彼女なりの理由があってのことなんだろうとは思うけど、そういうとこが、こりゃやっぱり美冬だ。と思ってしまう。
2005.10.13
アスカちゃんが、電車の中からお姉ちゃんを呼ぶシーンは、番組予告やら何やらでなんども見てたから、もうドラマの途中ぐらいから、「あのシーンがくる・・」と分かってはいたんだけど、「来るぞ、来るぞ」と思いながら、来る前からすでに泣いているわたし・・。エ~ン。(T_T)あのアスカ役の女の子。ただの天然とも思えない、あの演技力は何なんでしょうか。。◇木曜日から「大人のハルカ」が始まるってことなんですが、そう考えると、子供時代の最後の部分になる、この第二週の前半の3回(月・火・水)が、ドラマの中でもかなり重要な意味をもつことになるんじゃないかな。通常、朝の連ドラの場合は、第一週の内容がドラマ全体のテーマを暗示する場合が多いので、(たとえば『ちゅらさん』がそうだったから。)わたしは、一週目をかなり気合いれて見てました。でも、このドラマの場合、もしかすると一週目の内容は、ドラマの設定を説明するだけにとどめたのかもしれません。雰囲気的にも、「トトロ的な世界」に徹することで、できるだけ物語を明るく明るく描こうとしてたように思います。でも、第二週の前半で、大森美香ちゃんは、それを一気に落っことしてみせる。・・トトロ的なファンタジーはボロボロに壊れて、物語は、悲しみの底に沈んでしまう。予告を読むかぎり、たぶん、そういうふうになるはずです。一週目からそれを出してしまうのは、あまりに酷だという判断だったのかもしれません。それで、悲しい話は二週目にもってきて、そして、その週の後半には、また前向きに「大人時代の物語」がスタートできるように。そんなふうな作りになってるのかもしれません。なので、明日の放送は「子供時代の最後」になると思うので、そのへんをすこし覚悟して観るつもりでいます。
2005.10.11
8日の日記に、どうやってキャスティングしたのかが不思議なぐらい、子役のふたりは『トトロ』の姉妹に似てるし、村川絵梨と黒川芽以は、その子役のふたりに似てる・・。ってなことを書いたんだけど、さらなる事実が判明。アスカの子供時代を演じたのが桝岡明ちゃんで、今週からアスカを演じるのが黒川芽以ちゃんで、つまり、2人とも『トトロ』に出てくる妹の「メイちゃん」と同じ名前。え~っっ!!これって、たんなる偶然なんですか??ますますナゾは深まるばかり。◇さて、わたしはこのドラマを見ながら、ついつい『ニコニコ日記』のことを思い出してしまうんですが、わたしは、今まで、『ニコニコ日記』のことを、あれは“お父さん探し”の物語だったんだ、と考えてました。でも、このドラマを見ていて、ほんとうは、『ニコニコ日記』って、“母と娘”の物語、つまり“お母さん探し”の物語だったのかも、と思うようになった。これから『風のハルカ』のなかで語られていくことになる、“ハルカと木綿子の関係”というのは、ちょうど、『ニコニコ日記』でいうと、“ニコと美冬の関係”にあたるから・・。もしかしたら、あのときのスタッフは、『ニコニコ日記』でやり残したことを、『風のハルカ』の中でやろうとしてるんじゃないかって気がする。◇で、さらになんだけど、今後の『風のハルカ』に登場する、(松岡充くん演じる)「猿丸啓太郎」というフォトジャーナリスト。ちょうど『ニコニコ日記』にも、「森村勇樹」ってフリージャーナリストが登場してたし、あるいは、(成宮くん演じる)風船アートの青年なんかも登場してた。あのへんの人物って、『ニコニコ日記』の中ではけっこう謎の残る役だったんだけど、今回の「猿丸啓太郎」にも同じニオイを感じる。「スナフキン風のジャーナリスト」ってことなので、『ニコニコ日記』に出てきた2人の人物を混ぜ合わせたような存在かも。
2005.10.10
てなわけで、ハルカ一週目おわり。由布岳がトトロなんじゃないの?って説を確認すべく、ネットで由布岳の写真なんか見てまわったんですけど、こちらのサイトでオープニングの映像にもそっくりな写真↓を見つけました。(直リンごめんなさい)http://www.yado.co.jp/yama/o_yufudake/yufudake33.jpgね!ねっ!もう、まんま、トトロじゃないっっ??ってことで、「由布岳=トトロ説」は確定とさせていただきます。◇っていうか、そもそも第一週の内容じたい、完全に「トトロ」の物語そのものだったわけです。これはあきらかに意図的な引用だと思いますが、いったい、これって何を意味してるんでしょうか。。姉妹の設定も、トトロに出てくる姉妹とおんなじ。子役のふたりも、トトロに出てくる姉妹に顔立ちがよく似てたし、髪型まで、トトロの姉妹とおなじになってた。自立心が強くて、自分でものごとを判断する姉と、お姉ちゃんの真似をするだけの妹。でもって、ふたりを見守る由布岳(=トトロ)。お父さんが連れてきたオバケ屋敷。これは、完璧なぐらいに「トトロの世界」になってる。◇ ◇ただし、このドラマの姉妹というのは、『トトロ』のなかに出てくる幸せな姉妹とは違う。そこが、たぶんこのドラマのテーマなんでしょう。いつもお父さんとお母さんに見守ってもらえる、トトロの姉妹のような幸せな子供じゃない、ってこと。◇来週の予告を読むと、10年後、妹のアスカは、姉をしのぐほどの、すごく自立心の強い少女になっているみたいです。子供だったアスカは、もう子供じゃなくなってしまう。もともと、「トトロの世界」というのものは、<子供だけに見ることができる世界>でした。(満月の湖から昇る龍も同じ。)でも、いずれ、みんな子供じゃなくなってしまう。そのことが、来週以降のドラマの中で描かれていくんだと思う。◇たぶん、最初のアイディアは、<由布岳がトトロに似ている>みたいな単純なとこから始まったのかもしれないけど、こうやって、第一週目を、徹底して「トトロの世界」として描いたことが、今後、このドラマの中で、かなり逆説的な意味をもたされていくんだろうと思います。(それを見て、宮崎駿がどう思うのかはともかく。。)◇ま、宮崎駿の話は措いといて、わたしにとって、物語の内容よりもっと「謎」なことがあるんですけど、いったい、このドラマのキャスティングって、どうやって決めたんでしょうか??普通なら、主役の女優をまず決めてから、その女優に似た子役を探すもんだと思うんだけど、このドラマを見るかぎり、まず最初に「トトロ」の姉妹に似た子役を決めて、そのあとで、その子役に似た女優を探したんじゃないかって気がする。そのぐらい、子役の2人は、トトロの姉妹に似てたし、これから出てくる女優は、その子役の2人に似てると思います。☆ ☆ ☆ ・・さて。話は変わるんですけど、来週から「アスカ」役で登場するのが、“黒川芽以”って子らしいんですが、この人、ひさびさに、わたし好みなアイドルの予感。。ネットでこの子の写真をアサってたら、うまく言えないんだけど、ちょっと胸キュンにさせるところあります。プルプルなのに、それでいて、どっか媚びない感じ。といっても、まだ動いてる映像を見たことないんですが。歌も歌ってるらしいし、矢野顕子の「ひとつだけ」なんか歌ってるらしい。自分で作詞なんかもするんだそうです。むむー。この子のことをよく知ってる男性諸氏のかたがた、いろんな情報キボンコです。(*~~*)
2005.10.08
ほんとに由布岳の形は、トトロそっくりですね。ちょうど耳と目の部分が白かったりして、可愛い山!あの姉妹2人も、たまらなく可愛いです。少年に一目惚れをする瞬間のハルカちゃんの表情とか、電話してるアスカちゃんの、あの歯並びの感じとか・・。ああ、大森ドラマだなあって。今日は、とくにそう感じさせる内容だった。一目惚れの瞬間に流れたメロディも、聞きのがせません。でも、「子供時代」の回は、今週と来週ぐらいで終わってしまうんですよね。それがちょっと寂しいかな。
2005.10.06
てっきり、ハルカたちはお父さんを失うのかと思いました。ニコと同じように、また、お父さんを失った少女の話がはじまると思ってた。でも、来週の予告を読むと、逆だったみたいです。彼女たちは母親から離れてしまうんですね。大森美香ちゃんは、ハルカに、お母さんではなく、お父さんを選ばせたんですね。もしかしたら、彼女は、『ニコニコ日記』とは反対のことをやろうとしてるのかも。あ、でも、実の母親と離れざるをえないという意味では、やっぱりニコと共通する部分もあるのかな。いずれにせよ、存在しないお父さんと、存在するお父さん。どちらも、ドラマになりうるほど少女にとっては難しい。
2005.10.05
今日ふたつめの日記。やっぱり、あれはガイセイバーだったんでしょうね・・まっ、小ネタ中の小ネタですね。(~~;それはともかく、内容的にも、このドラマ、やっぱり『ニコニコ日記』を思わせるところはあります。『ニコニコ日記』って、あれは、とことん父親が不在の物語でした。ケイちゃんも父親がいなくて、ニコりんにも父親がいなくて、もしかしたら、美冬にも父親がいなかったのかもしれない。今回も、いるんだかいないんだか分からないような父親。葛藤をかかえる母親と、もの分かりのよすぎる娘。女だけで受け継がれていく家族。たぶん、母親(真矢みき)にも、父親がいない。なんだか、テーマは似てる気がします。でも、渡辺いっけいが存在してるだけでも、『ニコニコ日記』に対する何がしかの答えがあるのかなァ。それはそうと、あの、お化け屋敷のうえの風見鶏みたいのって、『ミニモニ・ブレーメン』のと同じに見えるんだけど?!
2005.10.04
片岡敬司のプロデュース、大森美香ちゃん脚本、そのうえ、本多俊之の音楽って。そりゃ、わたしたちとしては、『ニコニコ日記』を思い出さないわけにはいきません‥(T_T)しかも、キャストのなかには、木村佳乃ちゃんの名前もあるし。そのうち、杏ちゃんまで出てきそうです‥(~~;;じっさい、「ガイセイバーが出る」なんて、まことしやかな噂まで飛び交う始末。そういや、舞台はまたも九州・大分は湯布院だったっけ・・ちょっと隣の福岡に行ったら、博多で、杏ちゃんがお婆ちゃんと一緒に歩いてたりして(~~;ついでに長崎に行ったら、有明の堤防のまえで南原教授がたたずんでたりして・・。(~~;;いくらなんでもやりすぎですっっ!!(と勝手に決めてみる。)10月からは、毎晩、帰ってからビデオ見るのが楽しみ!!最近は「よるドラ」見てないけど、そのかわり、“よるに朝ドラ”みたいな毎日になりそう。もう、半年間ずっと『ニコニコ日記』が見れるような気分なんですけど。期待しすぎなのかッ?!(,゚Д゚)わたしは期待しすぎなのかッッ?!(,,゚Д゚)ちなみにその次の朝ドラは、浅野妙子×宮崎あおいちゃんの“チョマ神”コンビなんだって。なんていうか・・・意外にNHKも抜け目ないネ。◇“大森美香つながり”ですけど、最近、あらためてまた『ジーン』のDVDを見て、またしてもラストシーンに思いをめぐらしてしまいました。素晴らしすぎる・・脚本だけで言ったら、やっぱり大森美香ちゃんの最高作だったのかもしれない。そのぐらい、終盤の展開は素晴らしくて、ほんとうに美しすぎるドラマだったと思いました。たしかに向田邦子賞はとりましたけど、もっと、一般にも再評価されてほしいな、と思いました。『ジーン』のことは、またあらためて考えたいです。◇ところで、『anego』のDVDは一体どうなってるんですかっっ?!いつも公式HP見てるのに、まったく発売の告知が出てこないんですけど??(『anego』の話は、明日以降書きますっっ)
2005.09.21
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