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公立前期入試まで、2週間と少し。この時期になると、授業後に自然と受験生と面談をすることが多い。進路面談とも違う、この時期の面談。彼らは不安な気持ちをポツリポツリとぶつけてくる。何か悩みがあるわけでもない。壁にぶつかっているわけでもない。ただ、なんとなく「不安」なのだ。僕と向かい合って話をしていると突然理由もなく泣き出す子も多い。男子も女子も。極限まで頑張っていると、些細なことでその緊張状態が切れる。だからこその涙なのだろう。僕はその涙がどうしようもなく美しく見える。頑張って頑張って頑張っているからこそ流せる涙というものがあるのだ。まだ大丈夫。これからが「本当に伸びまくる時期」だよ。大丈夫。生まれてから今日まで、こんなに「自分の人生の選択」と向き合うときなんてなかったんだよね?怖いんだよね?不安なんだよね?もうわけが分からないんだよね?それが受験というものだ。みんなが必ず通る道。お父さんもお母さんもお兄ちゃんやお姉ちゃんも。誰もが通った道だ。あと少し。本当にあと少し。だからもうちょっとだけ頑張ろう。僕に出来ることは全てやる。
2011.01.31
塾は子供の勉強について責任を負う。では、その責任の及ぶ範囲はどこまでだろうか。たとえば塾生が家で勉強しない。これは誰の責任か。塾か親かもちろん、「親」である。塾から宿題が出たとする。その宿題を子供が家でやらないとする。それは誰の責任か。「絶対にやっていかないと怒られる」という状況を作りきれない塾かそれとも親か。言うまでもなく「親」である。子供が家で勉強しないのは誰が何といおうと家にいる「親」が悪いのである。塾は子供が塾で勉強している時間のみ、子供の勉強に責任を持つのだ。これは当然なのだ。だって、僕らは子供が家にいるとき、彼らをコントロールできないのだから。でも、せっかく塾に入れたのに・・・・。って思うでしょ?僕らだって、子供の成績が伸びないのを親の責任にしようとは思わない。だから「毎日塾に来なければならない」という状況をシステムとして作っているわけだ。「親であるあなたが家で勉強させないからでしょ?」という言い訳をしたくないから。「はい、全て僕らのコントロール下で勉強させています」と言い切りたいのだ。だから、それでも学力が上がらないという理由で退塾されても「はい、了解しました」としか言わないのだ。
2011.01.31
今日も中1でしょぼいテスト結果だった2人を怒った。他の子は、悪くても3問間違い。しかも、同じ漢字を間違えてそのくらいの不正解数。それなのに、怒られた生徒は16問ミス17問ミス明らかに空欄があった。僕が怒った内容は「本気だったのかどうか」である。結局、2人とも「本気」ではなかったのだ。僕の「本気やってこれかよ!」という問いに対し、普通なら「黙秘」するだろう。説教をされる中学生の十八番である。とりあえず「黙る」ねしかし、僕に怒られる生徒は絶対に黙らない。黙ることを許さないからだ。僕が聞いたことに対し黙っていると「俺が質問をしたのに黙っているのはどういうことだ。しかとか?お前、しかとするんだな?」と、怒りの矛先が二つになるのだ。目を見ないことも同じ。「俺が話をしているのに、なぜ聞いているお前が目を見ないんだ?」と怒られる。だから、僕に怒られる生徒はまるで軍隊のような感じになる。「本気でやってきたのか?」「いえ、本気ではありませんでした!」「なぜ本気でやらない?」「やるのが面倒くさかったからです。」そんな答えにくい内容を即答である。面倒くさい、という答えが出たら、後は二者択一である。「だったら退塾しろよ」か「辞めないなら次頑張れよ。」である。今日の2人は次、頑張るそうだ。それでいい。
2011.01.31
松江塾の生徒で「黒ツン」と聞いて気合の入らない子はいない。塾での問題演習には「塾だからこそ」の価値がある。本気で取り組む環境これが塾での問題演習の価値だ。その「本気」を極限まで高めるのが「黒ツン」である。
2011.01.31
個人的な意見である。僕は塾の宿題にはそれほど意味がない、と思う。塾が宿題を出すのは「塾に通うことで家でも勉強するようになった」という子供の姿を親に見せるためなのではないか。とも思っている。もちろん、宿題に対して「塾にいるときと同じように」取り組む子だって少なくはない。しかし「単なる作業」になっている子のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。塾に入ったのに、家で全く勉強しないのでは「塾に入れた意味があるのかしら」そう思われてしまう。だから、意味がないと分かっていても出さざるをえない。これが多くの塾の内情ではないか。だから僕らは宿題をほとんど出さない。その作業に意味がある!と思う場合のみ「作業」という名目で宿題を出す。しかし、考えさせるような宿題は出さない。「考えたけど分かりませんんでした」こう言われたら、お終いだからである。
2011.01.31
補習って、普通の授業以上に頑張らないといけないね。だって、松江塾の場合、補習に来る子は通常授業で分からず、テスト勉強もせず、テストで点が悪い子達が来るのだから、その内容に対する苦手意識もあるし、そもそも勉強自体に対する苦手意識もあるってことだよね。そういう子たちが来るのが補習だから、こっちの意識も相当高めていかないと。
2011.01.31
あなたの子供が小学生なら「勉強を出来るようにする」のはそれほど難しいことではない。ただ、その前に築いていなければならない親子関係がある。1.「はい」と返事が出来ること2.目を見て親の話を聞けること3.「分からない」は言わないこと4.不平不満を言わないこと5.言われたらすぐにやることこれが出来るようになっておくことが不可欠である。さらにこれらのことを守らなかったときに親が本気で怒り、子供が大泣きするような関係。これが構築されていれば、小学生の学力は絶対に上がる。やるべきことは「子供が宿題をやる姿を見ること」と「国算理社の問題集をそれぞれ2ページずつやること」これだけである。後者については、他の習い事などを考慮し「国算の日」と「理社の日」を交互にしてもいい。ちなみに、我が家もこれを徹底し、すでに「習慣」となっているのだが、宿題をやるのに20分。勉強については30分。で終わる。宿題は学校から帰ってきたらすぐに見るので、時間帯としては夕方。勉強は夕食後なので8時前後になる。宿題で最も力を注いで「見て」もらいたいのは音読であり、その次が「文字の丁寧さ」「筆圧」である。勉強については、子供のレベルに関わらず、学校準拠レベルから始めたほうがいい。準拠レベルであれば、子供はサクサク進めるだろう。1冊の準拠テキストを終えるのに2ヶ月くらいはかかるはずだから、その期間で「習慣」を身につけさせることができるはずだ。準拠レベルで問題なければ、その予定があっても無くても、私立中受験用の問題集にステップアップすると面白い。「分からない」と禁止されている子供は何が何でも考えようとする。そのころまでには、「学校の勉強は完璧だね!」「お前は頭いいな!」とプライドポイントを構築する言葉をかけまくり、勉強に対する自信をつけさせるのが大事だ。これらのことについて、ご褒美などは自由に設定してもいいと思う。大切なのは「それをやること」なのだから。ちなみに我が家では「ご褒美の嵐」である。ご褒美漬け、と言ってもいいだろう。だからと言って、弊害と呼べるようなものは何もない。僕ら夫婦が徹底しているのは最初に書いた条件と、「毎日必ずやること」なのだから。ここまで書いたことは我が家の子供たちについての僕の経験をもとに書いている。だから、小3の男子と小1の女子についてのデータだと思って欲しい。これが小4、小5、小6になったらどうなのかは我が子らがその年齢にならないと分からない。私立中受験をする場合や、塾に通う場合などこの条件に+アルファが加わることは想像できるが、それについてはその時期になったら書けるのではないかと思う。
2011.01.31
この時期、入退塾が多くなるが、松江塾の退塾者は「それでもうちの子はやらない、上がらない」という子がほとんどだ。つまり、「子供が変わるまでの我慢」を出来ない保護者が諦め見限りをしてしまうケース。たとえば今年の中3生。偏差値30台から50台半ばまで上がった子がいる。その子が50を超えたのは中3の夏明け、である。もしそれ以前の段階で親が諦め、子供を学力に関して見限ってしまったらおそらく30台のままか、良くても40台半ばくらいで止まっていただろう。でも、保護者の方は松江塾を信じ、通わせつづけてくれた。その結果偏差値50台半ば。川越でも「良い学校」と評判の高校への進学を勝ち取ったのだ。あの時点での退塾か継続かまさに「人生の岐路」であったと思う。ただ、これは結果論である。「もっと上がる塾」を模索することも一つの決断であろう。対して入塾については2パターンに分かれる。一つは「今の塾よりも、もっと上がる塾を」と転塾されるパターン。そしてもう一つが「今の塾は学級崩壊を起こしている」と転塾されるパターン。後者については、ここ数年聞かれるようになった。「学級崩壊」と聞くと、どうしても学校をイメージする。学校はいろんな子が通う。勉強に対する意識や能力はもちろん、育ってきた家庭環境、親の意識などそこはまさに「社会の縮図」である。だからちょっと力のない先生であれば「崩壊」してしまうことも容易に想像がつく。しかし、「塾」というのはある程度通う子たちが限られる。親の意識家庭環境学力レベルなど、学校ほどに「雑多」ではないはずなのだ。それなのに、「学級崩壊」という言葉をこれほど多く耳にするようになるなんて・・。そして今年顕著なのが「一番上のクラスなのに・・・」という言葉。下位層なら無理やり理解することもできなくはないが、トップクラスにおいて学級崩壊。これが「謎」である。もともと能力も意識も高い子たちが集まったクラスを学級崩壊される塾って・・・。他の塾からの転塾というのは僕ら塾経営者からすれば正直うれしいことである。しかし、今年に限っては「心配」のほうが大きい。僕の愛する地元川越この地域の学力を向上させるべく頑張るのが地域密着塾の役割なのに。僕らだけが頑張っても地元川越の中学生の学力は底上げされない。川越に本拠地があろうがなかろうが利益目的だろうがなんだろうが塾が学級崩壊状態で良いわけがない。もっと頑張らないと。まず、松江塾が学級崩壊の対極を突き進む。それを見て、学級崩壊状態の塾からの転塾が増える。そうすれば、それらの塾も気づいてくれるはず。そうやってこの川越をもっともっと良くしていかないと。
2011.01.31
僕は塾の急激な拡大を考えていない。っていうか、「拡大」ということを目標とはしていない。現在四校舎目を作っているが、正直、四校舎が半径50メートル以内にある塾ってそんなにないんじゃないかな。自分で言うのもなんだが、今の三校舎体制や、今後の四校舎体制は「非効率的」すぎる。これは全て「結果として」の増殖なのだ。まず、生徒の学力の向上には何が必要か。そりゃ、勉強時間だろう。勉強量だろう。でも、中学生は家で勉強しない子のほうが圧倒的に多い。じゃあどうするか。「塾で勉強する」しかないだろう。「塾で勉強したい子はどうぞ!」これで中学生が塾に来て勉強するだろうか。するわけが無い。だから、絶対に来るシステムを作るしかない。その結果、1学年20人、3学年60人が座れる環境が必要になる。もうこの時点で普通の塾とは違う。20人、3学年の塾であれば、まあ20席だよね。「自習可能ですよ」っていう無意味なスペースがあっても5席分くらい?でも、それじゃ生徒の成績は上がらない。多くの塾の先生がそれで悩んでいる。宿題を出してもやってこない。自習を呼びかけてもこない。テスト前は自習スペースが足りない。どーしよう・・・そんな感じが普通だと思う。でも松江塾は違う。20人、3学年ならば60席分を絶対に確保する。今は30人以上3学年だから、100席は軽く必要だ。来年度は110席程度になるだろう。さらに高校生の座席も必要だ。高校生は3年間完全無料だ。これも絶対に変えない。憧れの高校に通う先輩たちが目の前で自分と同じように期末の勉強している。これがいかに中学生たちのモチベーションを上げるか。その効果は計り知れない。むしろこっちがお金を払って塾で勉強してもらいたいくらいだ。だから高校生の分も座席を確保する。高校に進学した生徒が全員来るわけじゃないが、それでも20人3学年くらいは必要だ。だから、単純に考えても来年度は170席は必要。分かるかな?一番多い学年でも、1学年37人。これは現時点での人数ね。まあ来年度になっても40人程度だろう。普通の塾なら40席プラス無意味な自習スペース10席分くらい?50席もあれば十分だ。これって、松江塾なら「A館」だけで十分なんだよね。週2回ずつの授業で3学年。夕方に小学生。これでいけるはず。でも、それじゃ、生徒の成績は上がらない。だーかーらーA館50席B館46席C館24席D館50席ってことになるわけよ。どうよこの「非効率」な感じ。経営コンサルタントなんか呼んだ日にゃ「あなた、アホですか?」って笑われるだろうね。でも気にしなーい。だって、これが一番みんなが頑張るんだから。これが一番成績が上がるんだから。だったらやるでしょ。それをやらないんだったら、松江塾がある意味がないでしょ。他の塾で十分でしょ。他の塾じゃ成績が上がらないからだから松江塾がやるしかないわけでしょ。やっちゃうよ?この「無謀路線」で。ジワジワジワジワ行くよ。繰り返すけど校舎を増やして生徒を増やすことが目的じゃない。通ってきてくれる生徒全員の座席を常に絶対に確保するために苦しみながら悩みながら不動産屋と戦いながら校舎を増やしているんだ。でも、それを「やるべき」なら「やる」ことしか考えない。他がやってることなら僕らはやらない。他がやってないから僕らがやる。「塾なんて、どこも同じ」絶対にそんなことは言わせない。
2011.01.30
毎年、生徒を通じて言っていること。「公立だろうと、私立だろうと、合格のお礼など持ってこないように」今年も念を押しておきたい。合格は塾の力でない。本人の力である。塾にお礼など持ってこないで、子供に旨いものでもタラフク食べさせてあげて欲しい。そして何よりも、高校合格は「単なる通過儀礼」であることをしっかりと認識してもらい。例えるなら、目的地に向かい一般道から高速道路に入ったようなもの。ただそれだけ。「お礼」など発生する理由が無い。しかも、これまで毎月「月謝」というものをいただいてきたわけだから、そこにさらに「お礼」をいただく理由も無い。メールでの合格報告と「高校3年間もよろしく!」でいいのだ。本番はこれからの3年間なのだから。
2011.01.30
今年の私立結果が全て判明した。栄東 1名淑徳与野 1名西武文理 4名川越東 2名城西川越 2名星野 2名山村学園 7名狭山ヶ丘 1名埼玉栄 1名武蔵越生 2名山村国際 1名秀明英光 2名栄東、西武文理、川越東、城西川越、星野、山村、狭山ヶ丘このあたりは松江っ子が毎年必ず受験する併願校である。淑徳与野、秀明英光、埼玉栄は久しぶりの受験であった。山村には奨学生合格が、武蔵越生には特待生合格がでた。合格率は今年も当然100%である。昨日はテスト後に私立の合格報告と公立に向けての決意発表をしてもらった。一人ひとり前に出て。みんなの静かな言葉の中にも熱い思いは十分感じられた。ここまでほぼ毎日、ずっと一緒に頑張ってきたメンバーだからこそ、拍手にも暖かさがあった。公立前期まで、土曜日はあと「2回」しか来ない。そんなところに「直前」を感じるよね。
2011.01.30
中1のMクラスも現在進行形を終えた。これで中1全クラスで中1の英文法を終えた。残すはProgram10の本文のみ!これで進みの速い初雁中にも追い抜かれることはないだろう!良かった。2学期は抜かれたからなー。ふ~・・・♪
2011.01.29
昨日の授業後、ある中2の生徒が質問に来た。最近入ったばかりの生徒なのだが、「三単現のS」と「名詞の複数形のS」が別物だということを初めて知り、「ええええ!そうだったんですか!?」と驚きまくり。さらにBe動詞と一般動詞の疑問文否定文のルールも分かっていなかったので、さくっと指導。その後、練習問題のプリントを渡すと「ああ、そうだったのか!超~簡単ですね!うれし~!!!」と言いながら、モリモリ解いていた。本人は「何で中1から松江塾に入ってなかったんだろー」と後悔しまくりだったが、大丈夫だ。今からでも遅くない。ガンガン行こうぜ!
2011.01.29
松江塾では、中2はもう受験生扱いだ。今日は中3の私立結果をもとに、受験の話をした。そこで見せたデータが「今の3年生の2年第2回の北辰偏差値」と「3年9月以降のベスト偏差値」である。ちょっと書いてみる。69→70.759.1→7062→66.758.5→66.968→7264→67.867.6→70.658→67.855.4→63.257→64.651.8→55.749.7→59.742.8→56.242→51.543.5→47.157.8→63.646.7→53.738.6→55.943.1→46.7(残り2名は未集計)それぞれがいくつアップして、平均でいくつアップしたのかは出していないが、松江っ子受験生の凄まじいまでの頑張りが数字に現われていることは疑う余地がない。その後、中2には彼ら自身の2年2回の偏差値を示し、「君達だって、同じ環境にこれから突っ込んでいくんだ。だから、同じくらい上がるんだぞ!上げたいと本気で思った奴から上がっていく。それを肝に銘じておいてね」そう伝えた。先輩達のリアルな数字は次の受験生に、確実に勇気とやる気を与えるんだね。
2011.01.28
これは親にだけ許された特権である。特に小学生時代において。親の意識次第で、小学生の日常は大きく変わる。本好きの子供になってもらいたいならどの部屋にも本棚を置き、テレビを消してゲームに関するルールを徹底させる。「整理整頓」と言って、不要な玩具を処分する。そして、子供の目の前で親自身が本を読む。それだけでいい。最初は漫画でいい。いや、漫画がいい。なるべく面白く、単純で笑えるような。子供はそれを繰り返し繰り返し読む。表紙カバーなど外れ、どんどんぼろぼろになる。「どうして何回読んでも大笑いするんだろう」そんな疑問を持つくらい、子供は何度も読む。そんな状態になったら、どんどん漫画を与える。焦ってはいけない。単純なギャグ漫画から、徐々にストーリー性の高いものへとステップアップさせる。そのうちに、「中毒」ともいえるようなくらいハマる漫画に出会う。その全てを覚えてしまうような。そこまできたら大成功だ。将来必要な「暗記力」の養成にもなる。まあ、こういったことは「本」だけに限らず、親のコントロール下に置きやすい。こうやってコントロールされた状況で数年過ごした子供はそれを「自分の習慣」と認識する。分かるかな?最初は親の意思と親の行動が全て。しかし、数年続けることでそれは子供の習慣となり、その結果好き得意趣味といった、子供にとっての「能動」へと変化していく。親にだけ認められた特権。使わない手はない。
2011.01.28
子供たちにとって、勉強は「やらなければならないこと」と認知されている。受験生であれば、「やったほうがいい」「やるべき」「やりたい!」というものであるはずだ。しかし、多くの子供たちが「できない!」と苦しんでいる。人は易きに流れるもの。やりたいけど出来ない。そんな葛藤と毎日戦っているのだ。じゃあ、出来ない彼らは駄目なのか。違う。出来ないなんてことは最初から承知である。大事なことは「やりたい!」「やるべきだ!」「やったほうがいい!」と思い続けることである。思ったことをすぐにいつでも100%出来る人はいない。でも思い続けていればいつか必ず行動に移せるはずだ。僕は医者になろうとは思っていない。だからこの先も医者になることは無い。可能性も限りなく0%に近いだろう。でも、松江塾を川越で最強の学力向上爆裂の塾にしようと思っている。だから松江塾は間違いなく川越で最強の学力向上爆裂の塾になる。限りなく100%に近い確率で。理由は簡単だ。毎日そのことばかり考えているからだ。だから看板に「学力向上爆裂松江塾」と書いてあるのだ。もちろん、だからといって毎日ガンガン爆裂状態かというとそれは違う。のほほんとした和やかな授業をしてしまうときだってある。でも、「想うこと」は絶対に確実に24時間営業である。生徒たちにも伝えたい。まずは「想うこと」が大事なのだ。想いがあれば、その想いは自らの四肢に伝わる。四肢に伝われば行動も出来る。さらに想い続ければその行動が続く。たとえ行動が途切れたとしてもまた次に行動する可能性を残せる。想いなきところに行動はない。さあみんな今日もまず「想う」ことから始めよう。惰性で勉強を始めてはいけない!
2011.01.28
塾業界って、大きくニュースにならないだけで学校以上に「モンスターペアレンツ」について悩んでいると思う。お金も払うし、結果が数字で出るし。だから要求がエスカレートしやすい環境にあるよね。モンスターペアレンツか・・・。いろいろニュースで「まじかよ!」と思うようなことを言ってくる彼らの様子を知るが、なぜか松江塾にはその類に保護者がいない。生徒の数から考えて、300人以上の保護者の方がいるのだが、「0人」なのである。どーしてなのか考えた。そして自分なりに納得できた。答えは僕が「モンスター塾長」だからである。あくまでも推測だが、保護者の方は「あの塾長は変わってる」とか「真島先生だから仕方ないんじゃない?」とか、非常に「温かい目」(呆れた目)で見てもらえているんじゃないかな(笑)。自分でも、「突っ走りすぎている」のはよく分かる。でもでもね、僕が子供に通わせたい習い事はそこの先生が親以上に本人以上に突っ走っていることこれが条件だと思うんだよね。「やりすぎ」のぎりぎり一歩手前、みたいなね。そんなモンスターが巣くう塾だから、モンスターペアレンツが寄ってこない(笑)。以前、「子供に意思はない。子供の一挙手一投足は私が決めている」と言い切って体験に来た保護者がいたが、その日限りで電話の一本もなく去っていった。モンスターはモンスターの臭いがわかるのか?って感じ。まあ、冗談が長くなったが。結局、モンスターだろうがなんだろうが親は親。世界でわが子が一番かわいいのである。頭の中は子供のことでいっぱいなのである。それが親という生き物なのだ。自分が一生懸命になっているときに、同じ場にいながらちんたらしている存在にイラつくのは当然である。かわいいわが子を育てているという環境を共有しながら自分よりも情熱の低い存在がいたら、それは「カチン」とくるのが当然なのである。それが今、学校や塾に起きている問題の全てである。親以上に熱く子供の成長を考えている先生本気でその子の成長を考えている先生そんな先生に対するクレームはクレームにはならない。それは「意見」となる。そういう先生は意見を受け止め、「討論」になる。討論は喧嘩ではない。より良い結果を生み出すための「模索」である。今、多くの先生は情熱がない。情熱がなければ「討論」にはならない。だからクレームが意見に昇華せず、「困ったクレーム」になってしまう。先生と親も人。意見が違うことは当たり前である。先生と言うものは自分の信念を持って教育に取り組んでいる存在である。自分の信念にしたがい、堂々と討論すればいい。全ては「その子の真の成長のために」松江塾にモンスターペアレンツがいないのも当然である。
2011.01.28
今年の中3は、これまでで最も退塾した生徒の多い学年である。誰も辞めていなければ、30人は超えていただろう。それが結局「21人」に。スタート時の偏差値は8人が50以下。30台の生徒も3人いた。ところが、ところが、である。彼らはこれまでのどの学年よりも「自学の時間」が長かった。夏休みの初日から今日まで、塾が開かなかったのは「元日」のみ、である。それ以外は誰かしら塾に来て朝から晩まで勉強していた。こんな学年は初めてである。そんな21人が凄まじい私立合格実績を出している。今日、あらためてみんなが勝ち取った合格を書き出してみた。もう埼玉県内屈指の進学校、総なめである。さらに奨学生はいるわ、特待生はいるわ。もうひっちゃかめっちゃか、である。私立が終わって浮かれている生徒は誰もいない。っていうか、単願組の子達も、一緒になって燃えている。まだまだ第一志望の公立に手が届きそうで届かない子達もいる。「落ちるかもしれない」そんな言葉が脳裏をよぎったのは、一度や二度じゃないはずだ。それでも、彼らは進んでいる。「自分の力」で。1月が終わろうとしている今、「本当に時間が無い」誰もがそう真剣に感じ始めている。ここにきて、ようやく「現実の重さ」に気づいた子達もいるはずだ。大丈夫。あれだけの合格を勝ち取ってきた君たちだ。ここまで一緒にやってきたんだ。だから、最後までみんなで頑張ろう。一人ひとりが自分の力を信じよう。きっと半年後、高校の中間テストに向けてみんなで一緒に爆裂をしているはずさ。今までもこれからもみんな一緒。明日もあさってもみんなで一緒に頑張ろう。明日から松リング復活、である。
2011.01.27
家で子供がたらたらしている。時間は午後8時か9時くらいだろうか。「このドラマは絶対に見なくちゃいけないの!」なんて、わけのわからない理由を押し通して夕食後にだらだら・・・。ついつい親も一緒にみちゃったりして。「勉強しなくていいの?」「これ見たらやるし」そんな会話。気がつけば10時。「お風呂入ってからやろうかな」で、11時。「眠くなっちゃったし・・・」で就寝。結局勉強しないまま終わる。それの繰り返し。塾には行ってるけど、それも週に2日、3日。なんだか塾には「ただ行ってるだけ」な気がしてならない。「意味あるのかな・・・」そんな疑問が頭をよぎる。ちょうどその時間帯、松江っ子は塾に来ている。夕食を食べたらダッシュで塾に向かう。制服のまま、なんて子も多い。そしてバリバリ頑張る。今日は中3全員がB館で頑張り、中2全員がA館とC館でペナテストと戦い、中1の理社補習の子達がA館で大ちゃんが配布した問題演習に頑張っている。小6の居残り君もいたか。明日も同じ。ちなみに、昨日も同じ。松江っ子は「いっつも頑張る」というのが当たり前になっているのだ。あなたの子供があなたの目の前でタラタラしている。あなたの気も知らないで。そんなとき松江っ子は塾でバリバリ頑張っている。だって、それが松江塾の「当たり前」なのだから♪おっと、さきほど中3の「特待合格」の連絡が来た。なんとも親孝行な奴だー!
2011.01.27
公立前期に向けて、中3は今日から作文練習に入る。埼玉公立の作文は、「ワンパターン」の一言に尽きる。テーマの与えられ方は「図」であったり「文章」であったりするが、書き方は全て同じでよい。つまり作文練習は「型」の習得に他ならない。それで100点満中「16点」が決まる。問題は「時間」である。きっちり10分以内に書き上げること。型が決まれば、10分以内か十分可能だ。さらに練習を積むことで、7分程度まで短縮できる。「作文苦手~」なんてアホなことを言う子はこの時期松江塾にはいない。「作文は美味しい得点源」だということを忘れてはならない。ちなみに、今日から徹底的にやりこむ「型」は出題の仕方が多少変わっても使えるものである。そのあたりもきっちり伝えていこう。本番でこれまでと大きく違う出題がなされても動揺しないようにね。
2011.01.27
その大人がいると、子供たちが緊張するような存在。今、そんな大人たちが減ったように思う。「友達親子」「友達先生」そんな感じばかり。成長して大人になり、社会に出たとき初めて「友達」ではない大人と接する。「対人関係に悩む」なんていうのはそうやって小さい頃から自分にとって緊張を感じない相手とだけ関係をもってきたからだと思う。昔は「親」が緊張の対象だった。つい最近までは「先生」も緊張の対象だった。ところが今は・・・。僕は生徒達にとって「緊張する大人」であり続けなければならない。今日も、頑張らない子には「嫌なオーラ」全開で行く。
2011.01.27
今日は中2のペナテスト日。英語の内容はProgram9の虫食いだ。これで教科書本文の全ての虫食いを終えることになる。3学期の期末は文法が「比較」、本文が「Program8と9」早くも英語は完成の域だ。いいぞ!
2011.01.27
B館からA館に行く途中、信号待ちをしていると後ろにいた20代の男2人の会話が聞こえてきた。「あの娘とどうだったの?」「あー、駄目だったー」「マジ?」「おー、俺に足りなかったのはカッコいい車だったと思うんだよねー」「それはあるかもね。」こんな感じの会話。内容も酷いが、話し方が女っぽい。どーなのよ、男達。僕自身、スーパーウルトラ肉食系男子なので、メディアで言われているような「草食系男子」の増殖にあまり「ぴん」と来ていなかった。しかし、先ほどの会話を聞くとあながち嘘でもないように思う。しっかりしようぜ、男達。
2011.01.27
外は寒いが、今、A館の中は暖かい。小6の女子たちが「好きな人話」で大盛り上がりなのである。春を思いこがれる時期ではなく、もう「春真っ只中」の時期なのか・・・。しかし毎回思うのだが、休み時間と授業中のギャップが大きいよな。松江っ子は。
2011.01.27
来年度用の塾パンフを作り直さないといけない。中学部の「補習」に関して、以前配ったものとは大きく変更するからである。以前は補習が「週2日」だった。しかし、それを「週3日」に変更する。英語と数学の重要性を考え、英数の日理社の日だったものを英語の日数学の日理社の日とすることにした。そして補習で来た生徒たちに対し、テスト内容に関する授業を「もう一度」行うことにする。今はペナテストの結果によりABCという3段階に分けているランクをABという2ランクにする。Aの子はペナテストの当日、テスト後に再テストを受けて終了。Bの子が後日塾に来て、約1時間の再授業、40分の問題演習30分の再テストを行う。今年度は、どんなにテストの出来が悪くても中1、中2は最大でも5日通塾だったが、来年度からは「週6日通塾」となる。こうすれば、通常授業を休んだ子やペナテストを休んだ子も休んだ分を取り戻しやすくなる。家では勉強しない。塾なら勉強する。だったら毎日塾に来なければならないシステムにするまでである。
2011.01.27
学力の高い子は、人の話をよく聞く。「あ、聞いてるな」というのが目で見て分かる。学力の低い子は、人の話を聞かない。「あ、聞いていないな」というのが目で見て分かる。お分かりだろうか。「目で見て」分かるのである。つまり、人の話を聞く「型」が出来ていない。なぜだろうか。学校で人の話の聞き方を習うのか。違う。本屋に行くと、「人の話の聞き方の型」というマニュアル本が売っているのだろうか。それも違う。人は「話の聞き方の型」を他者の真似をすることで自然と身につけるのである。真似などしなくても、自然と身につく?確かにそうかもしれない。しかし、それは「聴覚」という耳の機能を使えるようになる、というレベル。脳みそが音を認識するレベルの話ね。それは誰だってできるさ。僕が言いたいのは「勉強が出来る子達の聞き方の型」である。なぜ彼らは人の話を「音」だけでなく、その「内容」を「理解」するレベルまで聞き取れるのか。なぜ、そういう型が身についているのか。誰の真似をしたのか。当然、「親」である。幼少期、子供は一生懸命に両親に向かって話をする。そのとき、子供の話を子供の目を見て、頷きながら聞いただろうか。いちいち子供の言ったことを復唱し、納得し、そして返事をしてあげただろうか。子供は自分の話を聞いてくれる両親の姿を見て、「人の話の聞き方」を身につけるのだ。親が自分のほうを見もしない。返事も適当。そんな環境で育ったら、その子は「そういう聞き方」を身につける。どうだろうか。あなたの子供が「先生の話を聞かない」ということが原因で成績が低いとする。原因は何か。「先生の話を聞かない子供」か?違う。「子供の話をそうやって聞いてきてしまったあなた」に原因があるのである。子供はただ、あなたの真似をしているだけ。分かるだろうか。
2011.01.27
今年も私立の結果が出揃う時期になった。合格(補欠合格を含む)は現時点で川越東(複数名)城西川越(複数名)栄東星野(複数名)淑徳与野山村学園(複数名)狭山ヶ丘埼玉栄秀明栄光このあたりである。3年のスタート時には、ここ数年で一番平均偏差値が低かった今年の中3だが、そこはやはり松江っ子、である。230時間の夏期講習9月から毎日5時から通塾により、例年と同レベルの合格校を並べてきた。残す合格発表もあとわずか、である。もう頭は完全に「公立前期」だ。単願合格組は、高校生生活最初の中間テストだ!頑張ろう!
2011.01.27
中1の歴史は安土桃山時代に入った。もちろん、織田信長豊臣秀吉のところである。でも、歴史好きとしてこの単元をたった1コマの授業で通り過ぎることはで、できない・・・。これだけエピソード満載の時代である。歴史好きになるかどうかを大きく左右してしまう単元だよね?だから信長だけで終わってしまった。でも本当は3時間くらいぶっ通しでやったほうが「えええ!?あの人がここでまた出てくるわけ?」みたいなことが起きて面白いんだよねー。ぬぬーぬぬぬぬー
2011.01.26
小学生の体験が連日続いている。やはり、来年度からの教科書改訂が大きいのかな。中学受験を想定しない松江塾の場合、学校の教科書改訂は塾のカリキュラム自体を大きく変える。どうせ変わるんだったら、「大きく変える」ことが大事だね。だから来年度から小5と小6は「6教科指導」にする。国語算数理科社会数学英語ね。理社英数に関しては、もう完全に「中学の内容」で進める。理社に関しては「知識の多い者勝ち」だから、徹底的にやる。英語に関しても、小学校のような中途半端なコミュニケーション授業ではない。「がっちがちの英文法」で行く。前から「中途半端なコミュニケーション授業」が大嫌いなんだよね。「アイムファインサンキュー!」って言えるのに、「fine」だけ黒板に書いて「なんて読む?」って聞くと読めなかったり。そんなバカな!って思う?いやいや、これが現実。英語が得意になるか苦手になるかの分かれ道は「コミュニケーション」の部分ではない。「文字」だよ「文字」僕はそう思っている。だから、「ある部分」を徹底的にやる。目一杯時間をかける。だから、中学でも英語の成績は大丈夫。なんだよね。数学も同様。算数と数学を同時並行でやっていくメリットはものすごく大きい。中学で数学を始めると言っても土台は小学校の算数。数学を解いていく中で、算数の知識は不可欠。土台とその上を同時に勉強するわけだから、中学に行って初めて「穴」が見つかる、なんていうことがない。開始時間を10分早めたり、休み時間を5分にしたりと、夕方の小学部の時間もかなりハードになるが、それでも「中学に行ってから」で手遅れになるよりは早め早めで行きたいよね。
2011.01.26
今日、B館に向かう途中に雨が降り始めた。B館に入ってすぐに後ろからMMKが入ってきた。「雪が降ってきました!ほれほれ」と、頭についた雪を見せてくれた。おー雪も降ったのかー。
2011.01.26
生徒達が大人になり、また親となったとき 自分のそれまでの人生の軌跡を語るときがくるだろう。 真剣に語るにせよ、笑い話として語るにせよ 松江塾のことが必ず話題になるような そんな塾であり続けたい。 生徒達の人生の記憶に がっちりと刻み込まれる塾に。 だからこそ、中途半端は許されない。 責任は大きいのである。
2011.01.26
今日は息子と娘の学校公開日だった。先ほど奥様と一緒に行き、娘の体育の授業息子の国語の授業を見学してきた。娘は身体を動かすことが大好きなので水を得た魚のように二重跳びをやりまくっていた。その後はドッチボールを。相変わらずひらりひらりと避けてばかり。でも、いい笑顔で頑張っていたね。息子は自分で物語を想像して作文を書く授業。妄想野郎なので、超大好きな分野なんだろうね。わき目もふらずに書いていた。あとで読むのが楽しみだ。見たのはその1時間だけ。さて、これからジムに行ってこよう。ちょっと手首が痛いのでセーブしようかな。
2011.01.26
今日の授業後、中2の居残り補習や宿題直しを見ていると、入り口のほうから生徒たちの声が。「なにあのヤンキーたち」「怖くて出れないんだけど・・・」ほほう。そりゃ困ったちゃんたちだ。ということで外に出てみると明らかに「それ」と分かる子達が7,8人。「こんばんはー」と声をかけると、明るい声で「こんばんはー」と返事をする。おお、良い子たちではないか!「誰か待ってるわけ?」彼らの目から僕が目を離さずに質問すると「いや、別に・・・」と言う。おやおや、おかしいではないか。「どこ中学?」と聞くと「いや、中学じゃねーし」おお?どういうことだ?「高校生か。どこから来た?」と聞くと、「川島からー」と答える。このくそ寒い中、川島から自転車で来たのか。こんなに大勢で。「どーしてここにいる?」相変わらず彼らの目から目を離さずに聞くと「川島から来てるやつ、いるかなーと思って・・・」と答える。そうか暇だってことだな。僕が明るく離しながらも目が笑っていないことに気づいた数人が「もう行こうぜ」なんて言い出す。「でも、あいつらこっち見てるし」とリーダー格と思しき少年が中2のほうを見ている。おいおい高校生が中2にすごむなよ。こっちも立場があるからクソイラついてるのを我慢してるのに・・・。なんて思っていたら、「ゲーセン行こうぜ」そんな言葉を発しながら去る彼ら。なんだろう。胸が切なくなった。人恋しくなったのだろうか。毎日がつまらないのだろうか。あんなに大勢でつるんでいるの、何か満たされていないような顔。んー彼らと同じ年齢の高校生たちが勉強に部活に頑張っているとき。彼らは・・・。いろいろ考えさせられ、なぜか切なくなった。
2011.01.25
中2は、中1の一番最初の内容から総復習をしている。今日はその4回目の授業だ。今日のメインは代名詞疑問詞である。代名詞は前回にも復習したので、まずまずの出来だが、今Mクラスの子達がやっている「疑問詞」は差が開く内容だろうな。「下線部をたずねる疑問文を書きなさい」という問題に対し、ボロボロな子は本当に出来ないからね。まあ、そうやって「出来ないところ」を見つけるのが復習の始まりだからしっかりと受け止めよう。
2011.01.25
塾講師はエンターテイナー。生徒は観客。限られた時間で、どれだけの感動を与えられるかが勝負でる。経験が浅いうちは、とにかくたくさんしゃべってしまう。情報を伝えることが仕事なのだから、よりたくさんのより詳しい情報を、と考えるのだ。それは当然の流れである。でも生徒は僕らはしゃべっているときよりも黙っているときのほうがこちらを注目する。「講師=しゃべる人」という彼らの中での当たり前を僕らは黙ることで崩すのだ。その「違和感」に生徒は反応する。僕はまだ講師として成長途上だ。もっともっと上手い講師になる。そのために「間」のコントロールを修行中・・・。
2011.01.25
昨日の下校途中に吐いた娘。その後どうなったか、と言うと・・・。今日も元気に登校した。発熱もなく、吐いた後はすっきりした様子で読書ばかり。いつも以上に元気そうなので、布団から出してやると、遊びに来ていた息子の友達とハイテンションで遊びまくり。???もちろん、奥様が目を離さずに様子をみていたが、まったく問題ない。そこで奥様考えた。「はっ!まさか!!」そう思って献立表を見るとなにやら娘の好きそうなものばかり。実は我が娘。自分が食べられる許容範囲というものをよく分かっていない。アホナノか?とたまに思うが、過去にも一度、食べすぎで吐いてしまったことがあったのだ。たぶんそれだろう、ということね。まあなんとも我が娘らしいのだが・・・・。先ほど帰宅し、手を洗う前に本に飛びつき、奥様に怒られる始末。まったく普段どおりである。まったく、人騒がせな娘だ。
2011.01.25
子供を育てるとき、親は「これだけは絶対に出来るようになってもらいたい」「この部分は秀でていて欲しい」と思う部分があると思う。勉強であったり、芸術であったり、スポーツであったり。そういう考えを持つことは非常に重要だと思う。でも、親がそう思えば思うほど、実は上手くいかないことも多いはず。たとえば我が家の場合、子供に対して願う部分は「勉強」である。生まれた瞬間から、いや、生まれる前からその願いは変わっていない。結果として小3の息子と小1の娘は勉強が出来るか出来ないか、と問われれば出来るほうに入っていると言えるだろう。勉強に対する価値観の植え付けは、物心つく前からやってきた。しかし、我が家の生活風景を24時間見てもらえれば分かると思うが、子供に勉強させる空気というものは極めて少ない。子供の勉強に関して子供を怒ったり、指示したり、そのことが原因で夫婦喧嘩が起きたりすることは皆無である。でも、実際に勉強はかなりしている。なぜか。それは「勉強を毎日して、結果を出すことは当たり前であり、親が熱を上げてギャーギャー言うことは他にある」ということを日常化させているからである。分かりやすく言えば、小6の英語の授業である。一番最初に「アルファベット」を学ぶ。もうこれは「完璧」に覚えなくてはならない。「ちょっと言えない部分がある」とか「小文字が苦手」そんなレベルであっては困るわけだ。そこで僕は「アルファベットを覚えること」を完璧にさせるために、「超~きれいに書かないと不合格」ということを徹底する。「順番を覚えろ」と「何度も言って覚えなさい」とは言わずに、「来週は小文字のテストね。0.1ミリでも線をはみ出たり、ちょっとでも曲がったら不合格ね」そう伝える。するとどうだろう。生徒たちはアルファベットの小文字26文字を30分かけて書く。汗で手をびしょびしょにしながら書く。テスト用紙が濡れてヨレヨレになる。何度も消すことで紙が破れる。そんな感じでみんなテストに挑む。結果はどうか。もちろん、みんなきれいに書き上げる。僕の目的は「アルファベットの書道」ではない。「アルファベットを全部覚え、正確に書けること」である。でも、それは当たり前にしてしまって、目的化させない。目的を「一歩先」とか「他のこと」にすり替えてしまう。そうすると、子供は当初の目的なんて軽く超えてしまう。「当たり前」として、ね。やるべきことを子供の前に「目的」として置いてしまうと子供はそれを「壁」と認識する。そうすると、身構えてしまって超えられない子というのが必ず出てしまう。でも、目的を一歩先や他の事に置いてやれば、子供はそれより手前の部分を壁とは認識せず、思いのほか「するっ」と超えてしまうものなのだ。育児における「勉強」というのも同じ。勉強における具体的な目的があるなら、「その先」を提示してあげる。その先への取り組みが楽しいものであれば、子供はすんなりと当初の目的を乗り越えるのだ。また我が家における勉強のように、「その先」に目的を置くのではなく、目的そのものをすげ替えてしまうのもいい。息子の場合、親が「ぎゃーぎゃー」言うのはサッカーに関してのみ、である。「勉強は頑張るとか頑張らないとか以前の問題である。食事と同じ。出来る、出来ないという次元にはない。好き嫌いはあるかもしれないが、食べなければ死んでしまう。だから自分で食べろ」そういう理屈である。そして本人が好きでやっているサッカーに対し、徹底的にごちゃごちゃ言う。「頑張る」力も、サッカーを通して叩き込む。本人が好きでやっているのだから、親からギャーギャー言われても苦にならない。「負けて悔しくないのかよ!」「いつだって全力だろ!」「泣くときは下を向くな!」「常に次を考えろよ!」これを勉強を通して言っていたら、きっと子供は勉強を嫌いになる。でも親からは「目的」として認識させられ、将来へのプレッシャーをも与えられる。最悪、である。別にサッカーが上手くなろうと下手だろうと、僕は正直どうだっていい。ただ、サッカーを通して夢中になること負けて悔しいと思うこと負けたくないと思うことみんなと協力すること周りを見ること次を考えることそんなことを叩き込みたいのだ。全ては「勉強」のために。親が考える目的はあくまで親の目的、である。それを子供の目的にさせ、そこだけを押し付けると子供は崩れる。「その先」か「ほかのこと」これが鍵だと思う。
2011.01.25
補習に来ている生徒たち。やたらと「不平不満」を口にする。勉強に関することはもちろんだが、毎日の生活のことなども。「不平を口にする」ということが、その子の全てを「ネガティブ」にさせているように感じる。気持ちがネガティブになるのはもちろんだが、そこから、身の回りに起きる現象さえもマイナスのほうにもっていってるようにも思える。自ら進んで全てをマイナスに。悪循環を自ら起こしている感じなんだよね。この子たちの「不平不満」を何とかしたいな。どうすれば不平不満を言わなくなるのか。彼らの不平不満には「一つの特徴」がある。たとえば、僕がこうやって書いているのもある意味「不平不満」である。しかし、それは今目の前にある問題点に対し「不満」を持つことで、それを「改善」していく方法を模索するきっかけとしているのでる。それに対し、彼の「不平不満」はその後の自分の行動に対する責任を放棄するための言葉に聞こえる。「これ、習ってないし」そう言えば、考えなくてよい。解かなくてよい。「この部屋、暑くね?」と言い放てば、自分のその上着を脱ぐという労力を使わなくてよい。何だろうね。「責任転嫁」のお子ちゃまにしか見えないんだよね。不平不満発言は徹底して糾弾し、その不平不満に絶対に耳を貸さないこと。周りの大人がそう徹底すれば、彼らは不平不満発言に対する価値を失う。だれかがその不平不満を受け入れてあげてきたから彼らにとって、不平不満発言は「武器」になってるのだ。「この部屋、暑いよ」その発言に対し、「じゃあ、エアコンの温度下げるね。」そう言って行動を起こしてはいないだろうか。「この部屋、暑いよ」その発言に対し、「お前アホなのか?ダウン着てて暑いって・・・。脱げよ。」そう言ってやればいい。不満のある状況に対し、誰が「行動」するのか。それが大事。行動すべきは「不平不満を持った者」であるべきだ。他者がその不平不満を解消してやる必要は無い。僕は両親から、「自分でやれよ。人に頼むと自分の望んだようにはならないから」とよく言われた。不満を解消してもらおうと誰かに頼み、それが望みどおりに解消されないとイライラする。その状況を打破するには結局自分が動かないと駄目なんだよね。不平不満を言われたら「だから?」それでいい。「これ、習ってないから出来ません」と言われたら「だから?」と答える。それだけでいい。でも解かなきゃいけないなら自分でテキストを読むでしょ。教科書を開いて探すでしょ。それでいいんだと思う。
2011.01.25
今日は診察日。 体調もいいので、これから少しずつ薬を減らしていきたいね。
2011.01.25
中1のペナテスト。僕が先週怒ったのは「Mクラスの社会」について、だ。そのためか、今日の「Mクラスの社会」は抜群の出来であった。おお!みんな頑張ってるな!と思っていたら、思わぬ落とし穴が。「Mクラスの理科」がボロボロ・・・。しかも驚いたことに「Sクラス」にも空欄だらけの生徒が2名。今日はSクラスの2名を呼び出し、怒った。彼らは本来真面目で頑張り屋だ。定期テストの結果を見ても、それは十分承知している。勉強しなかった理由は「モンハン」・・・。今までそんなに怒られたことがないんだろう。顔が青ざめていた。次は絶対に大丈夫だろう。さて、困ったのは「Mクラスの理科」だ。真島先生が怒るのは文系科目だけだと思ったか?甘い甘い。頑張る子は全部頑張る。頑張る子は頑張った経験が多いから頑張れるようになったんだよ。だから無理やりにでも頑張らせる。今はまだそういう時期だ。それが何ヶ月か何年か続けば、自分の力で頑張れるようになる♪僕に何を言われてもどんなに怒られても歯を食いしばって頑張れ!みんな、そうやって頑張ってるんだから。
2011.01.24
今日の中1、どうやら全員頑張ってきたようだ。必死で問題に取り組む姿だけを見ることができている。それが正しい「通塾の姿勢」である。しかし、今日のみんなの姿勢は先週僕が激怒りをしたからである。もし激怒りをしていなければ、今日もちんたら空欄の答案用紙を出す子がいたはずである。じゃあ、毎回怒ればいいのか。違うよね。怒ることだけでみんなのやる気は持続しない。怒る↓みんな頑張って結果を出す。↓その結果を怒った本人(僕)が認めてあげる。↓安心するし、自信を持つ。達成感も得る。↓次も頑張ろうって思う。こんな流れがあるね。怒ることよりも、その次、つまり今日が大事。みんなが成長してくれることを願う。
2011.01.24
先週の中1のペナテストの時、社会のテストで空欄があった子4人を怒った。かなり怒った。今日は中1のペナテスト日。どうだろう、あの4人。そして、空欄があったことで激怒りされた4人の姿を見ていた他の中1生。きちっと勉強してくるだろうか。
2011.01.24
小6の授業では、最初に代名詞の口頭テストを行った。全員立たせて、1人ずつ答える。僕が日本語の意味を言い、ストップウォッチを押す。5秒後にアラームが鳴るようにセットして。僕「私達を」生徒「us !」5秒以内に正解を言えれば座っていい。たったそれだけの「ゲーム」である。でも、小学生はこういうプレッシャーに慣れていないらしい。自分の順番を待っている子達の顔からはどんどん血の気が引いていく。みんな笑顔で「緊張する~!!」とは言っているが、目が笑っていない(笑)。1人、また1人とテストは進む。答えられる子もいれば、慌ててしまって答えられない子もいる。僕の授業では、こういうゲーム性をもったことが頻繁に行われる。面白いもので、中3になっても緊張はするようだ。罰ゲームの「やんちゃ度」も上がるから、かな。授業中は、いろんな空気を楽しめたらいいよね。「だらっ」とした授業は最悪だよね。厳しい緊張感緩い時間笑える時間勝負をかけた緊張感みんなからの視線いろんなものがあるよね。こういうものを上手に利用すること。最近になって、ようやくできるようになったかな。まだまだ講師として、発展途上だな。
2011.01.24
小6Sクラスの代名詞テスト。16人が挑んで12人が合格。不合格だった4人は1問ミスであった。ヒントとなる言葉が何一つない表埋めテスト。つまり、「完全丸暗記」のテストである。前回、宿題として表を10回書くことを課しておいたが、それだけでこの結果が出るとは思えない。みんなしっかりと自分で勉強を積み重ねた、ということだね。素晴らしい。こういう姿勢が数年後に確実な実力を身につけさせるんだよね。本当に素晴らしい。
2011.01.24
ポスティング業者から連絡あり。28日から配布開始だ。今回の部数は12000部。配布期間は10日間だ。募集のメインは「新中1」。現在、予約も含めて27名だからA館で授業をするのならば「残り5席」。D館で授業をするのならば「残り13席」である。広告の内容は、今までいないくらい「松江塾の厳しさ」「ハードさ」を前面に出したものになっているから、もしかしたら例年よりも問い合わせは少ないかもしれないね。でも、中途半端な覚悟で入ってきて結局辞めてしまうのであれば、最初から入らないのがお互いのためだし、頑張る子達の空気を壊さないためにもそれでいいと思う。さて、楽しみがまた一つ増えた♪
2011.01.24
先ほど家の電話が鳴った。奥様が出ると、なにやら「事件」の雰囲気が。どうやら奥様のママ友達からで、娘が下校途中に吐いたそうなのだ。慌てて奥様が迎えに行き、娘と一緒に帰宅。ぐったりしている娘。給食が終わったあたりから、気持ち悪かったそうだ。ま、まさか嘔吐下痢か?ノロか?ロタか?熱はなく、吐いてからは少しずつ回復。今は一応布団で横になっているが、ご機嫌で読書に耽っている。どう判断すればいいか。奥様は家中を「除菌掃除」しはじめ、僕らもマスクで完全防御。ちょっと様子見かな。息子が復活したと思ったら今度は娘。おいおい・・・。
2011.01.24
今日の小6Sクラスは人称代名詞の変化表テストである。文字がひとつも書いていない表に日本語から英語から全てを埋めるテストである。先日、中2から入塾した生徒が「表は覚えたけど、日本語の意味は覚えなかった」と言って、中1の復習問題がぼろぼろだったことがある。まず最初に「はのをにのもの」を覚えないと、使えない知識になるよね。そのあたりの「機械的な暗記」は小学生の得意分野だね。結果が楽しみだ♪
2011.01.24
去年からの柔軟体操継続で、 多少食べ過ぎても、腹に肉がつかなくなった。 キッチリ体重は増えるのに、腹に変化はない。 その分、どこについてるのかは分からないが。
2011.01.24
子供が何か頼んできたときに「自分でやりなさい」と言うことは、「放置」「放任」「放棄」ではない。きちんとした親子関係が他のところで作られているのならば、「自分でやりなさい」と突き放すことは「あなたが自分の力でやりぬくところをしっかりと見守ってあげる」ということに他ならないのだ。日常的な場面を想像してもらいたい。ペットボトルの蓋が開けられないと頼みに来た子供。靴の紐が上手く結べないと言いにきた子供。「自分でやりなさい」と言った後、あなたはどうするだろうか。当然のように、子供が試行錯誤しながら取り組む姿を見るでしょう?子供には、その「見守る」という姿が安心なのだ。それで十分なのだ。そこで手を貸すことは、「過剰」である。ちなみに、僕は料理をしない。出来なくはないが、しない。たとえば日曜日。僕が冷蔵庫を開けて食材を用意し、適当に料理を始めようとする。道具の場所が分からなかったり、その食材を使っていいかと聞いたりすると、奥様がすぐに続きをやってくれる。つまり「手を貸して」くれるわけだ。そうすると、僕の中で「ご飯を作ろうかな」という気持ちが一瞬にして消える。「うわーい、やったー!奥様が作ってくれる!ゆっくりできる。コーヒーでも飲もうかな」なんて考えてしまう。きっとこの環境がある限り、僕のご飯を作る能力はまったく伸びないだろう。結局、こういうことなのである。出来ないだろうだから手を貸す。やってあげる。この姿勢では、相手は絶対に伸びない。じゃあ、伸ばすにはどうすればいいか。僕のご飯を作る能力を引き上げようとするならば、奥様は「最低限の指示」と「アドバイス」だけでいいのである。道具の場所だって、「そのあたりにあるはずだから、探してみて」でいいわけだし、食材だって「キャベツは今夜使うから、それ以外なら何でもいいよ」くらいでいいのである。あとは、適度な声かけと見守る、というスタンス。「大丈夫~?出来るの~?」「でも、何ができるのか、おいしいのか、ちょっと楽しみだな」なんて。そうすれば、僕は自分で試行錯誤するだろう。そのご飯を家族が「おいしいね!」と食べてくれれば自信にもつながるし、また次も作ろうかな、という気持ちにもなる。そう。僕の 「ご飯を作る経験」も「ご飯を作る自信」も「能力」もほんのちょっぴり伸びるのである。子供に対してもこれはまったく同じである。子供に対し「自分でやりなさい」と言うこと。子供はその一言で、壁と自分で直面しなければならない。心が折れることもあるだろう。泣くことだってあるだろう。でも、「勝手に自分でやりなさい。私は知らないから」と言ってどこかに親が行ってしまうのではなく、「あなたなら自分で出来る。見守っててあげるから、やってみなさい」と言ってしっかり見てあげる。そうすれば子供は自分で頑張れる。失敗しても、次も頑張れる。上手く出来たら、心のそこから喜び、ほめてあげる。そのこと自体が出来たことをほめるのと同時に、「自分でやりぬく」ということが出来たことをほめる。これが大事。僕のこれまでの自分の経験から、子育てにおいて大事なのは「2歳~6歳」だと思う。この時期に「自分でやる」ということを子供の中で「大きく」してあげないと。今は「自分でやる」という状況が壁になるということをまったく理解できない子、もいるからね。「ええ!?何で手を貸してくれないの?理解できない」こんな子ね。まあ伸びないこと間違いなし、だよね。
2011.01.24
メールに返信がないので、きちんと送れているか不安。だからここにも書いておこう。一昨日、○つけ講師アルバイト希望のメールをくれた方へ。松江塾では卒塾生が講師アルバイトをやってくれています。高校生たちも「大学生になったら松江でバイトする!」と宣言してくれている子も少なくありません。したがって、ここ数年は外部からのアルバイト募集をしていない状況です。せっかくのお問い合わせですが、申し訳ありません。松江塾 真島
2011.01.24
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