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僕にとって塾は、情熱を打ち込む対象だ。家庭人として自分の100を家庭に注いでいるし、仕事人として自分の100を塾に注いでいる。だが、ふと思う。生徒にとって、塾って何%なんだろう・・・単純に時間で考えれば一週間168時間中、塾はたったの6時間だ。割合で表せば、3.5%だ一日7時間の睡眠だとしても一週間で起きてる時間は119時間塾に来ている割合は、5%にすぎない。5%・・・50分間のドラマだったら2分30秒お風呂に20分入っているとしたら1分3分間のカップラーメンを待っている間の9秒なんて短いんだ・・・僕の仕事は、たったそれだけの時間に生徒の意識を少しでも多く集めさせることだ。まさか、起きている時間の5%だけの時間で成績を上げられるなんて考える人はいないだろう。5%に過ぎない時間に、その子の意識の10%を向けさせる。5%に過ぎない時間に、その子の意識の30%を向けさせる。その意識が多ければ多いほど学力は伸びるのだろう。「あ、今日の授業の復習をしよ~」「あ、明日は塾のテストだ!勉強しなきゃ~」そんなことを常に思ってもらえるように、頑張ろう。家に帰った瞬間に塾を忘れてしまうことのないように・・・でも、当時の自分を考えると家に帰ると忘れるんだよな~5%だもんな~・・・
2006.01.31
明日から2月だ・・・ということは、新年度の開講まであと1ヶ月だ。僕の脳みそを100とする50は高校受験に向けている30は中1・2の期末に向けている15は小学生に向けているさて、残りは「5」だ残りの「5」で来年度の日程を考えなければならない。考えなえればならない項目を列挙してみる小学生のペナ部用の教材高校部の個別システム月謝の振込み制度教室レイアウトの変更計算・漢字道場の進級システムチラシとりあえず考えつくだけでこのくらいこれを「5」で考えるのだ・・・・・・・・・・できるか?・・・・・・できるのか?あと1ヶ月でも、考えるしかないよね。一つ一つが独立しているのではなく、複雑に絡み合っているものもあるから、同時に進行していかなければならない。よし!ここで臨時脳みその登場だ!!その名は「あきらん」!!任せられるものは、全て任せましょう!!頑張れ!あきらん!!ということで、これから中2の授業だ。今日はSクラス・Aクラスともにかなりヘビーなテストが連発だ。だが、塾内でもっともメンタル面で成長著しい中2だ。合格者続出だろう・・・楽しみだ~
2006.01.31
小中一貫教育が目標だ、と書いたが、一度書いてしまうと考えが止まらない。例えば、中2に中1の問題を解かせるとする。その子は中1のときに方程式の文章問題でつまずいた子だ。でも1年経って、その問題をやると解けるのだ。この1年間で方程式の文章題を解きまくったからではない。それ以外の問題で、「計算力」「思考力」「考え抜く粘り」を身につけたからだ。塾では高校部で数Bの授業をやっている。僕は当時、数Bは全く理解できなかった。でも、今授業を聞いていると分かるのだ。いや、考えれば分かるのだ。高校時代から一度も数Bなんて勉強していない。でも、授業を聞いていると理解できるのだ。小学生でも同じことが起きるのではないか・・・小4から、学校の1.2倍くらいのペースで授業を進める。すると、小6の夏前くらいには小学校の内容を終えることになる。このときにすでに小学校の内容を完璧にマスターした子は、中学の内容に入る。マスターできない内容があった子は、それからの数ヶ月でその部分をやり直す。そのときに、先ほどの状態が起きるのではないか。あの時は分からなかった5年の内容が分かる・・・みたいな感じで。その流れを中学まで一気に継続させれば、中3になる前には中学の内容を終える。中3では、1年間入試対策を徹底的にやるクラスと夏くらいまでに今までのフォローを完璧にやるクラスとに分けて授業が可能になる。このやり方は、小4のスタート時に定員いっぱいにならないと後で無理が生じてしまう。現小3生はまだ9名・・・小中一貫に特化した塾にしないと無理かな・・・でも、他にはない塾の形がそこにある・・・しばらくは頭から離れないだろうな
2006.01.31
ブログのアクセスが、1000を超える日が増えてきた。毎日1000人もの人が僕の書いた文章を読んでくれていることに正直驚いている。いろいろな塾の方も読んでくれているが、一番読んでくれているのが「塾ママさん」達だろう。おそらく、1000アクセスのうち、300くらいを占めているはずだ。ブログへの書き込みはまずないが、塾へのメールで、感想を送ってくれる人もいる。面白かったブログには「面白い!」へぼへぼなブログには「今日のはあまり・・・」しっかりと読んでくれているのが本当にうれしい。大体ブログを書くタイミングは、家で家事がひと段落ついたときに一回仕事に行く準備をしながら思いついたことを一回塾についてから一回(このブログがこれ)授業の合間の休み時間に一回授業後にゆっくりと一回こんな感じだ。あくまで目標なので、全てが理想どおりにはいかないが・・・実はブログを書き始めたときに、ある塾ママさんから「続けることが大切です」というアドバイスをいただいた。その言葉で、僕は絶対に続けることを決心した。僕は常に何かをごにょごにょと考えながら生きている。でも、考えるだけだと進歩が無い。後でブログに書こうかな~と思いながらだと、より考えが鮮明になってくることに気がついた。何を書こうかなと考えるのではなく今考えていることを書こう!こんなスタンスだ。時間があるときに読み返すと、僕の人物像にあるキーワードが浮かんでくるそれは「多重人格」・・・きびしいの?やさしいの?即断即決なの?優柔不断なの?お笑いなの?頑固おやじなの?何はともあれ、目標は1日10000アクセス!!あ~・・・目標を掲げてしまった。だから達成します。ブログはブログ塾は塾常に上を向いていこう!
2006.01.31
中・高一貫教育が注目されている。僕はその流れに賛成だ。高校受験を指導していて思うが、高校受験という壁を越えると、多くの子がその反動でだらけてしまうからだ。みんな高校受験のために、最高の精神状態で勉強にむかう。一番脳みその吸収のいい時期だ。学力が伸びて当たり前なのだ。そして、高校に合格する。ほとんどの子が、そこで達成感を味わう。良くも悪くも「安心してしまうのだ。」脳みそは何でも吸収できる状態でありながら、そこに何の知識も与えない時間ができてしまうのだ。すると、脳みそは、「あ、こんなに吸収しやすい状態をキープしても、何も入ってこないじゃないか!」となってしまう。そしてしばらく「シャットアウト」状態になってしまうのだ。それだ中3の3月から高1の5月くらいまで。その3ヶ月間で、脳みそは勉強を受け入れない状態に戻ってしまう。さあ、大変だ。高1の5・6・7月は、どの教科も基礎の総ざらいをしている時期だ。そんな時期に、脳みそは「ぽや~ん」としているのだ。気がついた時にはもう遅い。中学の時に、ある程度基礎を完璧にしていた子は、それからでも復活はできるが、そうでない子達は、もうどうにもならない!なんてことになるのだ。中高一貫高の場合は、その時期がない。高校受験をする子達に比べると、中3の後半での伸びは負けるかもしれない。だが、その間も着実に脳みそは進化し続けているのだ。だから、照準を完璧に大学受験に合わせられるのだ。高校受験をメインにしている塾を経営している僕がこんなことを言うと矛盾を感じる方もいるかもしれない。だが、それは違う。僕の理想は「小4~中3」までの一貫教育を塾を通してやることだ。小学生で私立中学を受験する子は増えてきている。だが、まだ大半は公立中学へ進学していく。だから、中高一貫校のように、6年後に照準を合わせて、着実にステップアップしていくことが可能なのだ。今すぐにはできないかもしれない。だが、近いうちに塾全体をそういう流れに持っていくつもりだ。高校合格後は、今でも塾が完全にフォローしている。松江塾で受験と言う壁を乗り切った子達だ。少しくらいちんたらしても、すぐにやる気は取り戻させる。みんな分かってくれる。塾にしかできない「小中一貫」ちょっと考えてみる価値はありそうだ。
2006.01.31
僕は18歳のときからこの業界にいる。塾の先生というのは、自分の経験を伝えることも大きな仕事だ。だから、卒業したばかりの高校での勉強の話や、3年前に卒業した中学での勉強の話をよくした。ほとんど毎年のように同じような話をする。だから、今でも中学・高校での自分を鮮明に記憶している。自分が高2の期末テストの前にどんな勉強を何日前からしていたか、中学のときのテスト結果でまわりの友だちがどんな反応をしたか・・・などなどその中でも一番生徒達に伝え、一番鮮明に覚えているのが、「どれだけの努力をしたか」だろう。具体的に、どんな参考書を使い、それをマスターするのにどれくらいの日数がかかり、またどこで挫折をしたかなど・・・でも、この仕事をしている人以外は、そんなに細かいことまで覚えていることは無いだろう。わが子を見ていて、「当時の自分のほうがよくやっていた・・・」と思ったことはないだろうか。でも、それは多くの場合、「3割り増し」の記憶だと思う。中学高校大学・短期大学・専門学校そして仕事出産育児きっと今までの人生の中で努力を必要とした場面はたくさんあったはずだ。また、努力をしたからこそ手に入れることができたものもたくさんあるはずだ。そんな「努力」体験は中学で「2」高校で「3」大学で「4」仕事で「5」出産で「8」育児で「9」合計で「31」にもなっているのだ。だから、お父さん、お母さん・・あなた方は「31」の努力をできる人間になっているのだ。「31」の努力を努力とみなすのだ。そういうレベルに達した人間から見ると、わが子が高校受験を前にして「2」しか努力をしていなければ、「まだまだ足りない」大學受験を前に「3」しか努力をしていなければ「こんなに努力をしないで、大丈夫なのかしら・・・」と思うのだ。思ってしまうのだ。それは当たり前だろう。仮に当時の記憶とたどったとしても、自分の努力を「2」だったとは思い出さないはずだ。「3」とか「4」だったと思い出すはずだ。でも、きっと「2」だったはずだ。僕が見ている限り、高校受験で最高に努力をしている生徒でも大學受験生の努力のレベルに比べれば、「まだまだ」だ。大學受験でどんなに努力をしている生徒でも、司法試験や会計士試験に向けて努力をしている人に比べれば「まだまだ」なのだ。絶対に努力のレベルはステップアップしていくのだ。だから、「お父さんが高校受験をしたときは、もっと努力をしていた」なんて言わないであげてほしい。そんなことを言われても、絶対にやる気は出ない。その子はその子なりの「努力の階段」を上っているのだ。いまの努力がその子の今の時点でのMAXなのだ。それは分かってあげてくださいな。
2006.01.30
今日から小6生は新クラスでの授業だ。一足早く、中学の授業をスタートさせた。内容だけ中学にしても緊張感が生まれないので、ペナ部に仮入部してもらった。次回からペナテストだ。仮入部なので、不合格でも翌日に来る必要は無いが、授業スピードなど、全て中学と同じ感じでやった。まずSクラスでの英語の授業が終わった瞬間・・・「あ~、う~・・・疲れた~!!」だそうだ。中学の授業は、小学校とはスピードと量が違う。それに慣れてもらわなければ、理解、吸収、暗記どころではない。最初は辛いだろう。だがこの1年間、常に中学を想定した授業をちょこちょこと入れてきた。それほどの違和感は感じなかっただろう。なにより感じたのは、上位者でありたい!という彼らの意思だ。「頑張れば上位者だよ!」とか「努力だよ!」なんていう抽象的な指示しか与えられなければ、彼らのモチベーションは長くは続かない。目標はなるべく「近く」「具体的」であるほどいいだろう。だから「次回のペナテストに合格しろ!それが目標だ!」そのためには授業を超真剣に!復習は毎日!テスト前は真剣に確認!その積み重ねだ。教室にはペナテスト相関表がでかでかと貼ってある。ペナテストで受かれば受かるほど、期末の点は高いのだ。それは目で見える。自分が何をやればいいのか。はっきりしているほうがいいだろう。みんな、何をやったらいいか分からないから机に向かえないのだ。何をやればいいかは分かっている。さあ、中学の扉を開け!!
2006.01.30
先日、夫婦喧嘩をして思った。子供が健全に育つには、良好な夫婦関係が大前提であると。家族はボスを中心として、その配偶者と子供たちとで構成されている。その中で、ボスとその配偶者の関係がぎすぎすしているということは、その集団全てがぎすぎすしていることに他ならない。夫婦喧嘩一つで、僕のテンションが下がりまくった。当然に、両親が喧嘩をしている時の子どものテンションだって下がるだろう。自分自身の子供時代を思い起こしてみても、親の喧嘩は嫌なものだ。勉強どころの騒ぎでない。考えてみれば、一人の男が一人の女を愛し、その女もその男の愛を受け入れる。よく言う「ラブラブ」だ。そのラブラブな関係があって、初めてそこに子供が誕生する。つまり、子供にとっては、男女の「ラブラブ」関係がその存在の証なのだ。家庭内に両親の「ラブラブ」関係があるということは、自分のルーツがそこにあるということを常に意識できるわけだ。それは子供にとって、とてもいいことだし、安心できることだと思う。家庭内に「ラブラブ」がないということは、子供は自分の存在の証を実感できないということになるのではないか・・・特別に子供に向けて愛を発信する必要などないのだろう。夫婦が「ラブラブ」なことが、それ自体が子供に向けた最大の愛情表現なのだ、と思う。こう書いたが、塾にはさまざまな理由から、お一人で子育てをされているママも少なくない。そういうママ達は、本当に頑張っていると思う。「覚悟」が違う。そういう方たちの家庭には、子供の健全な成長を妨げるような、冒頭に書いた「ぎすぎす」がない。確かに「ラブラブ」はないかもしれないが、「ぎすぎす」もない。例外なく、いい家庭を築いておられる。僕にそれができるかと問われれば、う~ん・・・まだできないかな・・・今は夫婦仲を「らぶらぶ」にキープするのが精一杯だ。あ、でも奥様のことは大好きだ。かわいいのだ・・・・か、書いてしまった・・・・
2006.01.30
今日はいつもの月曜日と少し違うかもしれない。まずは計算道場に体験者が一人来る。小3生だ。書き直しの連続でまだチラシを入れていないので、確実に口コミでの申し込みだろう。計算道場は、ただひたすらに計算問題を解くだけの講座だ。しかも、たいていの子が復習をやる。だから気持ちよく参加できる講座だ。「簡単」だからだ。みんなニコニコしている。新しく一人が入塾すると、決まって友達も入塾する。値段が1ヶ月2,000円ということも関係しているだろうが、友達の輪はどんどん広がっていくのだ。曜日も選択できる。だから、仲良しの友達と同じ曜日で一緒に勉強できるのだ。しかも楽しく。簡単だから、単純に速さだけを競えたりもする。そんな計算道場に体験者だ。あきらんがその子を指導している間に、僕はお母さんと面談かな。それから、先日やった小6のクラス分けテストによるクラス分けがある。2・3名がクラスを変わることになる。クラスが変わるということは、上がるか下がるかだ。上がった子はいい。だが、下がったの子のフォローには万全を期したい。「ブルー」な感じで塾に来る可能性があるからだ。今年の小6は第一小だけで16名いる。そのほかは中央小だ。第一小の16名は、テスト結果のメールを受けた次の日には、学校でお互いの順位を探りあう。だから、誰がクラス変更になるかは大体分かっているのだ。さて、今回クラスが下がった子達の様子はどうか・・・クラス替えはいい刺激になるし、頑張るきっかけにもなるだろう。落ち込んでいたら、その子の心に炎をともしてあげなければ・・・さ、何はともあれ月曜日。やるぞ~!!!
2006.01.30
ご存知のように、松江塾にはペナ部というのがある。入部に必要な条件は、塾生であること。毎回の参加条件は、前日のペナテストで不合格になること。以上の条件を満たせば、楽しい部活動に参加できる。部活動といっても、ランニングはない。準備体操もない。ひたすら脳みそと手を鍛えるのみだ。ちゃんと顧問もいる。→最近は生徒に「うっしー」と呼ばれている。さて、当たり前だが、誰だってペナ部には来たくはない。中には事前の勉強を何もせずにテストに臨み、当然のように不合格になり、その上、自分の勉強不足を棚に上げて「え~!明日来たくな~い!」なんていう子もいる。だったら・・・しっかりと勉強してくればいいのに・・・そういう子は、早く気がついてくれるのを待つしかない。だが中には、授業・復習・テスト勉強の3点セットをしっかりとやってきたのにも関わらず、うっかり不合格になる子もいる。そういう子の怒りはすさまじい。怒りの矛先は「自分自身」なのだ。声をかけようものなら、八つ当たりを食らうので、しばらく眺める。すると、「ぶ~ぶ~」言う。当たり前だが。「うぜ~っ!」「まじむかつくよ~っ!」だが、そういう子達の口からは、「明日来たくない」という言葉は出てこない。たとえ天気予報で雨だろうとなんだろうと、「明日は絶対に受かってやるから・・・」そう言うのだ。これがどれだけ奇跡的な進歩かは、その子を昔から知っている僕だけがわかる。もしかしたら・・・ふ双子!?と思いたくなるような劇的な変化なのだ。最近は寝ても覚めてもペナ部ペナ部ペナ部・・・でも、それほどの変化を塾にもたらしているのだ。システムに溺れる気はない。あくまで「人」で勝負をしているつもりだ。でも、テストに落ちたことで「怒る」彼らを誰が半年前に想像できただろうか・・・怒りのパワーは、勉強には大事だ。もっと怒れ!!自分に何が足りなかったのか・・・自分をよく見つめてみよう!
2006.01.29
思春期において、またその前後の時期において、友人関係はとてつもなく大事だ。この時期にいかなる友人を得られるかで、その人の一生が左右されることもあるだろう。早い時期に一生涯の友を得られた人は、ある意味幸運だと思う。逆に、自分にデメリットばかりをもたらしてしまう友人を得たとしたら、不幸なことだ。それぐらい、この時期の友人から受ける影響は大きいのだ。親や学校・塾の先生が周りで何を言おうが、喚こうが、友人の一言に勝るものはない。そんな心理状態にもなるのだ。さて、塾生で言葉遣いが乱れてきた子がいる。いわゆる「暴言」だ。心の底から言っているわけではない。ただ、そういう言葉を発すること自体を楽しんでいるのだ。僕の塾では、先生と生徒の垣根が存在しない。生徒のしつけや生活習慣などは、全て親まかせだ。したがって、その手の「暴言」にはかなり手を焼く。最初は、その子の暴言が塾のせいではないかと真剣に考えた。だが、その子の暴言は、どうやら学校の友人の影響だったのだ。お母さんも最近心配し始めている。さてさて困った。自分も経験があるが、その手の「暴言」に対してやたらと興味を持つ年頃というのは誰にでもある。これは、人間が言葉を媒介として意思疎通をはかる生物である以上は避けられないことだ。そんな言葉を使う自分を、「大人」であるかのように感じたものだ。そういう子供のエネルギーはすさまじい。塾と家庭で押さえつけても、学校で爆発する。塾と家庭と学校で押さえつけても、友達との遊びのなかで爆発する。どうせ爆発するのなら・・・そんなことを考えてしまう。でも、興味関心の矛先が勉強以外に向いてしまっているのは確かだ。塾としてできることは、強制的に勉強へ意識を向けさせること。これに尽きるかな。そうすれば、そんな友達と遊んでいる暇もなくなるだろう・・・そう願いたい。
2006.01.29
プロフィールの写真にちょこっと手をくわえたら、「ホ○みたい・・・」と指摘された。ちが~~う!!何せ、一番遊んでいた時期が「プリクラ全盛期」である。ついつい自分の写真はいじくりたくなるのである。まあ、「花」はどうかと思うが、一応、「鼻がでかい」と「花がでかい」を掛けたのだ。気づくわけがないか・・・もう一度言う。ホ○ではない。
2006.01.29
先ほど、中3生の保護者の方から「チョコ」をいただいた。おいしい・・・おいしすぎる・・・手が止まらない。このまま全て食べたら、僕の鼻から鮮血が噴出すか、あきらんがぷくぷく太るかのどちらかである。あ、またあきらんが一つ食べた・・・負けずに僕も食べる。ぷくぷくどころか、ぶくんぶくんに太ったあきらんも生徒の人気がアップしそうなので、もっと勧めてみることにしよう。ほれほれ、斉藤君・・・食べなされ・・どんどんどんどん食べなされ・・・ほ~ら・・・これなんか最高においしそうだよ~・・・・
2006.01.28
勉強のできる子は、やっていて勉強のできない子がやっていないことは?それは、授業をよく聞きよく考え、復習を何度もやり、テスト前にがっちりと勉強することこれである。わが子の成績がいまいち良くない・・・原因は、このどれかができていないからだ。要素は4つだ。話は簡単。4つとも完璧なら100点3つなら75点2つなら50点1つなら25点一つもできていないなら0点だ。わが子のテストの点をもう一度見てもらいたい。これは本当の話だ。絶対に本当だ。文字を大にして言いたい。本当だよ!?どうも、テスト前の勉強だけを見がちだが、それは所詮25%だということを知るべきだ。残り75%は日々の学習によって決まるのだ。さて、この4項目勉強のできる子は、中学入学時にはほぼ習慣化している。小学生のときに、当たり前のようにできているのだ。こう書くと、小学生の保護者のほとんどが、「あら、うちの子がテスト勉強している姿を見たことないわ・・・」「復習なんて・・・やってるのかしら・・・」そう思うはずだ。それは当たり前だ。今の小学校の勉強は、異常に簡単すぎるのだ。だから、「復習をしなくちゃ!!」とか「テスト勉強をしないとやばい!」なんていう心理状態にはならないのが普通だ。だから、親がよほど強制的にやらせない限り、4つを習慣化するようなチャンスは無いのだ。それでもいい成績の子と、そうでない子がいるのは話をよく聞いているか、よく考えているか、これのレベルの違いなのだ。さて、今僕は小学生の授業改革を考えている。公立中学に進学をするが、中学でトップに君臨するような生徒達に育て上げたいのだ。4つを習慣化させれば、子供たちは何を苦とも思わずに、好成績を取るのだ。これも何度も言うが、勉強で苦労をしているのは、中間層に位置している子供たちだ。上位層と下位層は、まったく苦労をしていないのだ。成績を上げるための4つが習慣化していないために、意識的にやらなければならないからだ。これはきつい。かわいいわが子に、そんな辛い思いをさせたくないならば、小学生のうちに、4つを習慣化させるべきだ。だから、決めた。来年度から小学部通常授業にペナ部システム導入!!すでに導入済みの中学部で、実証されている!生徒は、授業をよく聞いている。眼球から汗を滴らせながら聞いている!よく考えている。「は?どうしてそうなるんですか?もう一回説明お願い!」なんていう言葉が本当に飛び交っている。今分かっておかなければ、テストに合格できないのは当たり前だからだ。よく復習をしている。ペナ部導入前に学習したテキストの部分と導入後に学習した部分とでは、テキストの黒ずみ方が違う。テスト前の緊張感が明らかに違う。テスト直前の休み時間は、「無音」になっている。「小学生から、そこまでやらなくても・・・」お母さん!!それは逆ですって!!きっと、そこまでやらせるのは「かわいそう・・・」って思うのですね?小学生の頃にきちんとした学習習慣を身につけなかった子が、中学生になって、どれほど苦労しているか・・・以前、小学部でのペナ導入についてアンケートをとったとき、賛否は半々だった。ただ、上の子が中学生だという保護者はほとんど「賛成」だったという事実。小学生が重要だということを、上の子を見ていてわかるのですね。。。近々、その詳細をメールで送ります。完璧なフォローシステムがペナ部生徒のやる気を喚起するのがペナ部授業への集中を呼び覚ますのがペナ部小学生の今から頑張ろう。中学でのトップ層君臨を・・・・・・・・・・!!!!
2006.01.28
一つ前のブログを見てもらえば分かると思うが、今日はいまいちテンションが低い。いや、絶不調だ。精神も肉体も、その他もろもろが底辺をさまよっている。残っているパワー全てを使い果たして授業をやった感じだ。この時点で今日の授業は終わりだ。後はペナ部の部活顧問になる。顧問としてやることは、○付けと無音状態のキープ。だから、なんとか頑張れそうだ。と・・・うだうだ書いたが、このテンションの低さの原因は、ゴメンナサイ。犬も食わない話で・・・はい、お察しのとおり・・・夫婦喧嘩でございます。完璧なプライベートなので、詳細は書かないが、生徒の気持ちが分かるな~。塾に来る前に親と喧嘩してきた生徒の気持ちが・・・テンション低いもんな~やはり人は「家族」に属しているんだな。どんなに反抗しようが、文句を言おうが、「家族」の一員なんだ。だからもめるとテンションが下がるわけだ。は~・・・帰ってから炎のバトルが・・・待っているのか~・・・
2006.01.28
頑張っている生徒を見ると、心の底から元気になるどんなに疲れていようとも、自分の帰宅が翌日になろうとも、気がつけば15時間くらい食事を取っていなくても、絶対に「この子を伸ばしてあげなきゃ!!」という気持ちになる。でもでもでも・・・そうじゃない生徒を見ると、まじでへこむ・・・この直前期になっても遅刻をしてくるこれからが本番なのに、友だちの家でゲームをしている自習を始めたと思ったら、5分でふらふらと席を立つ追い込まれているはずなのに、へらへらと私語を交わすそういう子を見ると、自分の肉体が蝕まれるような気がしてくる。なんて言ったらいいのだろう・・・本当に何とも言えない気持ちになるのだ全てはそういう子にやる気を出させることができない僕のせいなのだけれど・・・全ては僕が悪いのだけれどごめんね僕がやる気を出させてあげられなくて・・・本当にごめん
2006.01.28
僕は塾の先生だ。名刺の肩書きは「塾長・学習アドバイザー」である。自分をその二つで表すのは、最近どうかと考え始めている。みかみ先生のブログでも書かれているが、自分の立ち居地をはっきりさせておこうと思う。僕は「生徒のお父さん」だ!僕は生徒を「子供」だと思っている。塾の中では「お父さん」になるのだ。わが子には、勉強のできる人間になってもらいたい!わが子には、努力を惜しむこと無い人間になってもらいたい!わが子には、目の前の困難に立ち向かう人間になってもらいたい!だから、厳しくなる。できるようになりたいと思わないわが子、努力を怠るわが子、困難から逃げるわが子を見たい「お父さん」はこの世にいないだろう。だから、そんなわが子を見たら容赦ない厳しさを与える。「厳しさ」は、「わが子への愛情」を持った人間のみが与えられるパワーだ。僕は「応援団長」だ。入試を受けるのは僕ではない。期末テストを受けるのは僕ではない。誰もいない勉強部屋で、怠けそうになる自分と戦いながら勉強するのは僕ではない。寒い日、雨の日、風の日、暑い日、一生懸命自転車をこいで塾に来るのは僕ではない。毎日親のお小言を聞きながら、依存心と自立心の狭間に立たされるのも僕ではない。僕は、全て「間接的」なのだ。代わってあげたいと思うこともあるが、それはできないのだ。だから、僕にできることは全力で「応援すること」だ。僕は「成績上昇請負人」だ。これは塾人としては当たり前だ。成績を上げるには、道が何本もある。生徒の自覚を呼び覚まして勉強をさせる人大量の宿題をやらせることで勉強をさせる人圧倒的な反復練習によって成績を上げる人いろんな人がいる。僕も、塾人としてありとあらゆる方法を模索しているのだ。正解は一つではない。塾の経営を続ける限り、僕の飽くなき追求は続くだろう。今のペナ部だって、過程に過ぎないと思う。まだあるはずだ。もっとぐんぐん成績を伸ばす方法があるはずだ。ぼくの遺言書には、「究極絶対の成績上昇法」なるのもが書かれているはずである。僕は「カウンセラー」である。前にも書いたと思うが、塾の保護者の方からは、成績の相談と同じくらい子育ての相談を受ける。生徒達は思春期と反抗期のど真ん中だ。お母さん達はわが子の反抗のターゲットにされていることが多い。わが子を一番愛しているのに、一番うざがられてしまっているのだ。これは、つらい・・・どんなにつらいことかわかる?しかも、そんな状況に追い討ちをかけるのが、「誰にも相談できない」という環境だ。だから、僕が聞く。でも相手は子育ての先輩だ。僕などが適切なアドバイスをできようはずもない。でも、「聞く」のだ。いろいろな保護者と話をしたが、多くの人が、「聞いてさえもらえない」のだ。「聞いてもらえる」だけでも、少しは心の支えになるだろう。そう信じて、今日もメールをパチパチと打っている。携帯の画面に現れる僕の文字で、少しでも気持ちが楽になればいい、そう願っているのだ。そして、忘れてはならない。僕は「お笑い芸人」だ。これが僕のベースだ。基本は、「人を笑わせること」が大好きなのだ。僕は30を過ぎたおっさんだ。相手は全員10代だ。そのギャップは毎年広がっていく。だから、常に最先端の笑いを追い求めることを忘れてはならない。僕が一番大事にしているのは、「空気」だ。若い子に囲まれて、「空気」が読めない大人ほどウザイものはない。これはこれだけは、お笑い番組を見てもだめだ。日々、笑いのにおいを嗅ぐこと。これがミソかな。「笑わせながら成績を上げる応援集団を率いているお父さんカウンセラー」これが、僕だ。こう書くと気持ち悪いな・・・
2006.01.27
9時現在、塾にある32席全てが埋まっている!!あふれた一人があきらんの机で勉強している!!やはり机セットを増やそうかな・・・さ、授業だ。今日から中2は地理だ~!!!
2006.01.27
昨日の小6生のクラス分けテストの結果(200点満点)第1位 187点第2位 180点第3位 177点第4位 176点第5位 172点第6位 171点第7位 164点第8位 163点第9位 160点 →ここまでがSクラス第10位 157点第11位 156点第12位 155点第13位 148点第14位 147点第15位 129点第16位 121点第17位 85点 第18位 欠席者 →ここまでがAクラス何度も書いたが、去年までは小6生は数人だった。今年から小学生の募集に力を入れた。その結果がこの人数である。例年、中1から入塾してくる生徒達の基礎学力に不満があった。それは他塾からの転塾者でも同様である。要は、公立中学へ進学する生徒の学力を上げられていないのである。今年から小学生がたっぷりいる。私立中学を受験する予定の生徒はいない。全員が公立中学進学予定だ。だから、公立中学で超上位に全員が入れるように、びしびしやってきたのだ。それがこの結果だ。まだ入塾してから数ヶ月しか経っていない子たちがAクラスに多いのは仕方が無いが、これから伸びまくると予想される子たちばかりだ。注目したいのは、その得点力である。国語の問題は、読解問題は全て中1のハイレベル問題である。算数も、学校の教科書レベルなんてはるかに超えた問題が多数入っていた。でも、この結果である。みんな入塾した当時は、近所の少年少女丸出しだった。鼻がたれていないのが不思議なくらいだった。それがどうだ。2週間前にクラス分けテストの日時を発表してから、コツコツと勉強を積み重ねたのがよく分かる。まだ彼らはペナ部に入部していないのにも関わらず、だ・・・小学校のレベルをはるかに超えた問題で、この結果を出せる現小6生。半年後には、初めての定期テストに挑む。目指すは、全員400点以上。Sクラス生は全員が450点以上。学校のトップ10を松江塾生で占めること。彼らならやるだろう。定員まであと2名!!どんな子が入ってくるのやら・・・
2006.01.27
人生の勝ち組か、負け組かなどという言葉がある。中3生の数人が進学先を決め、まさに次のステップに向かおうとしている時期である。世の中では、いい高校、いい大学、いい会社、いい資格・・・これを勝ち組と考えている風潮があるが、大間違いである。世間には、無数のピラミッドがある。学校という名のピラミッド会社という名のピラミッド業界という名のピラミッドとにかく、ありとあらゆるピラミッドが存在している。例えば、世間的には一流と言われてる大学も、それで一つのピラミッドを構成している。そのピラミッドの中で底辺に位置している人は、自分を負け組だと認識するだろう。それに対し、世間の評価は高くない大学でも、その中でトップ層に位置している生徒は、その中で自分を勝ち組だと認識する。社会に出てもそうだ。一部上場企業に入社しても、その中で出世していかなければ負け組だと実感するだろうし、要は、自分が属しているピラミッドの中で勝つことが大事なのだ。中3生達は受験を終えて、高校に進学していく。偏差値の高い、有名進学校への入学は、一見すると勝ち組の仲間入りに見える。だが、その中で下位層にいると、本人は自分を負け組としか感じられないのだ。毎日の学校生活で屈辱感を味合い続けることになるのだ。そんな彼が、将来への夢をどう持てようか。偏差値の高くない高校への入学は、負け組への第一歩であるかのように言われることもある。だが、その中で上位層にいる子は、実に生き生きと優越感に包まれながら高校生活を送る。毎日先生に「お前はよくできる!」などと言われながら・・・彼の将来への希望は膨らむ一方だろう。結局、そのピラミッドの相対的な位置関係は関係なく、その中で勝つか負けるかが大事なのだと思う。社会に出ると、収入の多い、少ないが勝ち負けの基準になることが多い。だが、高校しか出ていなくても、僕の3倍も収入がある友人など「うじゃうじゃ」いる。早稲田を出たって、僕の半分しか収入のない友人だっている。勝ち負けの基準は、どのピラミッドに入るかではない。入ったピラミッドの中で、どこまで這い上がれるかである。僕は一部上場企業に入社していった友人達と競うことはない。競いたくても、ピラミッドが違うから競えないのだ。社会的なステイタス?向こうは一流企業の社員だが、所詮組織の歯車のひとつ。僕は小さい塾だが、全権を持った経営者だ。だれがその優劣を決められるだろうか。人は必ず何かの枠組みの中で生きている。その枠の外は、自分とは関係のない世界なのだ。まずは自分が属しているピラミッドを認識しよう。学校?塾?そのなかで一歩一歩上に上がろう。
2006.01.27
中2にO君という子がいる。彼は前回の期末で、いきなり450点を超えた。今まで400点を超えた事がなかったのにも関わらずだ。それからというもの、ペナテストもほとんど一発で合格だ。先日、一発で合格できなかった時は、「久しぶりのペナ部じゃん」と声をかけたほどだ。おそらく、今度の期末でも相当高得点を出すに違いない。そんなO君だが、一緒に通塾している仲間から見ると、こう見えるらしい。「Oってさ、小学校の時はあんまり頭良くなかったよね・・・」そんなことをぶつぶつ言いながら、せっせとペナ部に通ってくる。学力が上がるタイミングは、人それぞれだ。自分と同じ学校・塾・部活。でも、友達が急に成績を伸ばす。そして、それは一発屋に終わらないようだ・・・そのとき、友達はいろいろ考えるのだろう。「すごいよね」で終わらせるか、「自分とあいつは何が違うのか・・・」とまで考えるのか、そんなことで、自分のこれからも変わってくる。何点取る奴だって、同じ中学2年生。たいして違いがあるわけでもない。あいつができるなら、俺もできるだろう。そんな風に考えることができれば、のびるチャンスだ。羨むことなら誰にだってできる。自分もその高みを目指す権利があることに気がつけ。チャンスは今すぐにある。今がチャンスだ。逃すな。そのチャンス。次は君の番だから・・・
2006.01.27
来年度の高校部は「個別指導」にすることに決めた。というのも、松江塾は中学生メインで始まった塾だ。そして、小学生の人数が去年爆発的に増えた。むちゃくちゃな計算をするが、前年度の25倍の生徒数だ!!(笑)・・・そりゃ、一昨年が少なすぎたからね・・・だから、高校部の場所がない!!!あるけどせまい!!前からきちんとした環境を整えてあげたかった。だから作ることにした。そして、スペース的なことを考えて、「個別」スタイルがベストだろう!ということになったのだ。7時から10時までの50分3コマ。1時間につき、3人の定員。月の最初に希望の時間と先生の枠に自分の名前を書いて、予約をするというシステムだ。月ごとのコマ数に応じて料金を設定して、その枠内であれば、どの枠に入れてもOK。その月に持ちコマ数を使い切らなければ、2ヶ月までは繰越ができる。教材は塾指定の教材を進めていく。学校の予習として利用しても、復習として利用してもいい。テスト前は、5時から11までに延長。コマ数も増える。大筋はこんな感じかな。料金設定は、近辺の個別指導塾より格安に設定する。さて、高校部担当の石田君(あきろん)とも打ち合わせは終了した。いい感じだ。おっと、チラシを修正しなくては!!
2006.01.26
ここ2ヶ月の間に、「できる子シリーズ」を書いてきた。先日10回に達したので、このあたりでまとめてみることにする。読みながら、自分の身近にいたり、自分の知っている「できる子」の姿と重なるだろうか・・・もちろん、これが全てではない。あくまで僕が日々、塾で生徒を見ていて思うことだ。1.10分前に入室している。 その12.忘れ物をしない その23.姿勢がいい その34.字が丁寧で速い その45.言葉への反応が速い その56.ずるをしない その67.大きな声で発言する その78.いつも「やばい!」 その89.落ち着いている その910.質問をしない その1010個の項目の中で、当てはまるものが多ければ多いほど、成績もいいと思う。逆に少なければ少ないほど、成績は低いはずだ。子供の成績をどうにかしたいとき、「勉強しなさい」とか「なんで成績がこんなに悪いの!?」と言っても始まらない。そして、成績が一定基準以下の子の場合、具体的に勉強の内容がどうのこうの・・・という以前に、上に書いたようなことができていないことが多いと思う。とりあえず、「10分前に塾に着くように、今家を出なさい!」から始めてみてはどうだろうか。
2006.01.26
今日は小6生のクラス分けテストの日だ。中学生は期末テストの結果をそのままクラス分けの基準にするが、小学生は6年生のみ学力でクラス分けをしている。相対的にみて、学力上位クラスをSクラス、学力下位クラスをAクラスとしている。5時からテスト開始だ。テストが始まる前から、その差は歴然としていた。現Sクラスのメンバーのみが続々と塾に来るのだ。そして、そのまま教室へ入る。ほとんど声が聞こえない。たま~に、漢字の細かいところなどを質問に来る生徒が数名。教室をそ~っとのぞいて見る。すると、教科書やテキストをじっと見つめている生徒や、複雑な計算問題をもう一度解いている生徒ばかりだ。さて、そんな生徒達を見て、感心していると、Aクラスの面々が塾に来る。さすがに学校で遊んでから来ている様子はないが、表情の緊張感に違いが見られる。「先生~、国語がやばいよ・・・」「試験範囲が発表されてから、2週間もあったでしょ。勉強はしたの?」「え~・・・やってない・・・」僕にとっては、どちらのクラスにいたってかわいい生徒達だ。全員の成績を上げたいという気持ちに何の差異もない。ただ、テストや勉強に対する意識に「差」があることは歴然としている。今、全員が国語の問題を解いている。みんな頑張っているのだ。でも、「テストだけ頑張っても」駄目なのだ。結果は、テストを受ける前に決まっているのだ。Aクラスの子たちに、それを分かってもらいたい。
2006.01.26
中学の時、定期テストの勉強をしている時に思った。「この努力を中学受験のときにしておけば・・・」高校受験直前に思った。「この努力を定期テストのときにしておけば・・・」大学受験のときに思った。「この努力を高校受験のときにしておけば・・・」公認会計士の勉強をしているときに思った。「この努力を大学受験のときにしておけば・・・」今仕事をしていて思う。「いままで自分で努力をしていたつもりになっていたのは、努力ではないな・・・」きっと3年後の自分にとって、今2006年の自分は努力不足なのだろう。今ままでの流れからして間違いない。きっと今どんなに努力をしても、今日から2倍の努力をしても、未来の自分に言わせれば、まだまだなのだろう。日々成長している証だと思う。どんどん「努力できる量」が増えている証拠だ。この先、「あの頃は頑張っていたな・・・」なんて思うことがないように、日々努力をし続けていかなければならんね。自分の過去を羨む人生は、絶対に嫌だから・・・
2006.01.26
私立高校の受験がほぼ終わった。残すは国立と公立のみいずれも5教科受験だ。この1ヶ月は私立に向けて3教科に重点を置いていたが、ここからは理社も加わる。ただ、今までに3教科の時間を減らして、そこに理社を加えるのではない。今までどおりの3教科学習にそのまま理社を加えるのである。つまり、1.7倍の学習時間を確保する必要があるのだ。大丈夫。時間は作るものだ。まだまだ無駄な時間はあるはずだ。いや、絶対にある。その時間を積み重ねて、2時間くらいは作り出せるんだ。時間管理をしてくれるマネージャーでもいない限り、誰だって無駄な時間を過ごしている。僕だってそうだ。朝はごろごろするし、ちょっと一杯余計にコーヒーを飲んだりする。時間がない!忙しい!そう思っているのは自分だけだ。まだまだ時間は作れるよね。その時間で理社をやろう。この1ヶ月で冬期講習にやったことの大半があいまいな知識になっているはずだ。それを徹底的にやり直そう。高校受験の理社は知識問題だ。確実な知識は、君を裏切らない。正確に覚えてさえいれば、絶対的な味方なのだ。さあ、一つでも多くの味方を仲間にして、1ヶ月先の本番に備えよう。
2006.01.26
今日もペナ部は大盛況だ。・・・本当は大盛況だと困るのだが・・・何度も書いた。そして、これからも何度も書くだろう。本当によく勉強するようになった。もし、このやり方をやらなかったら・・・ペナ部に来るということは、授業の内容を完璧にマスターしてないということだ。ペナ部がなかったら、そのままの状態で進んでいくことになっていたのだ。でも、今は違う。彼らは、必死で取り戻しているのだ。ペナ部は、文字通りの「ペナルティー」ではない。つまり、単なる反復練習ではない。脳みそをフル回転させる「勉強」なのだ。すでに40万円をかけて、来年度のシステムも構築した。完全オリジナルペナ部だ。はっきり言って、最強だ。日本広しと言えども、この方法をとっている塾は絶対にない。半年前は、期末テストの2週間前になって、「先生~、やばいよ~。ぜんぜんわかんないんだけど・・・」なんて言っていた生徒が、期末2ヶ月前から、「今回は自信あるよ!絶対に一発で受かる!!っていうか、受からないとドラマ見れないし!!」と気合い満点で勉強に取り組んでいるのである。いいぞ!!期末まであと1ヶ月だ。何なら、全員400点超えるか!!
2006.01.25
僕は「ギャップ」が大好きである。特に、「見た目」と「中身」のギャップがめろめろに大好きだ。昔からそうだ。「ギャップ」の魅力に取り付かれたのは、小学生のときの「剣道」がきっかけだったろう。僕は父の影響で、道場に通っていた。当時の僕は、誰が見ても「病弱」そのものだった。身長は低く、体重なんて目も当てられなかっただろう。ちなみに小学校卒業時の身長は138センチだった。かろうじて一番前は免れていた程度だった。だが、剣道は強かった。父が道場の先生もやっていたので、強くならざるを得なかった。稽古の時も、完全に他の子と扱いが違った。「ぽこん!」ではなく「ずがんっ!」だったのだ。「ぱしん!」でなはく、「ぶぁっしーーーんっ!」だったのだ。そのためか、同学年の子に負けることはなかった。過激に小さいが、過激に強かった。同じ道場に通っている子は僕の強さを分かっていたが、大会のときに初めて僕を見るほかの道場の子は知るはずもなく・・・「なんだ、このちびは・・・」くらいにしか思われていなかった。で、大会が始まる。当然負けるはずもなく・・・会場に動揺が走る。「おいおい・・・なんだあのちび!」気持ちよかったな~。試合が終わって、面を取り、僕に負けた大きい選手達の間を歩く。もちろん手には賞品の竹刀を手にしながら・・・面をつけていてもチビだったのが、面を取って素顔を見たら「病弱」である。彼らがひそひそとこっちを見ながら話しているのが分かる。そのときからだろうか。「ギャップ」の魅力にどっぷりとはまった。中学でも高校でもそれは変わらなかった。勉強は頑張っていたが、そうとわかるような外見だけは絶対にしなかった。実家が美容院だったので、スーパーハードムースとドライヤーを駆使し、友だちが真似をしたくても絶対に出来ない髪形で通った。今考えると、勉強のストレスをそこで発散していたのかもしれない。塾の近所に県下2位の公立高校がある。そこの生徒が塾の高校部にいるが、面白い話を聞いた。そこの高校は成績によって、全員がランク分けされている。Aランカー、Bランカー、Cランカー、Dランカー の4ランクだ。彼はCランカーなのだが、Aランカーの子たちは、間違いなく見た目が派手だという。普通に見たら、絶対に勉強ができるようには見えない、らしいのだ。Bランカーが一番それらしく見えるらしい・・・「ギャップ」・・・いい言葉だ。大事なのは「中身」だ。塾経営者として、どれだけ生徒の成績を上げられるか。どれだけ合格させられるか。そこが大事なのだ。こればっかりは異論もあろうが、自分の中で健全なバランスを保つためには、「ギャップ」が必要なのだ。これからも、「そうは見えない」を追求しよう!
2006.01.25
最近、よく「目力(めぢから)」という言葉を使う。文字通り、目に力があることをさしているのだが、子供たちの「目力」はすさまじい。特に、小学生の「目力」はすごいものがある。今日は漢字道場と計算道場の日だ。目の前の漢字や計算に己の集中力全てをぶつけているのがよく分かる。この「目力」、小学生と高校生には強い子が圧倒的に多い。小学生は、集中を妨げるような雑念が少ない。高校生は、何のために塾に来ているかを自覚している。さて、中学生が曲者だ。思春期真っ只中。脳みその構成物質が雑念なのではないか、と疑いたくなるような子もいる。ということは・・・その雑念たっぷりの時期をいかに短くするかが、キーポイントかな。なるべく雑念を持たせないまま、勉強に対する自覚を持たせていくこと。う~ん、塾にそれができるか否か・・・
2006.01.25
僕は次々に新しいことを考えつく。そして、考えて実行可能ならばすぐにやってみる。で、駄目だと分かったら、すぐにやめる。成功か失敗かは、生徒の成績が上がったかどうか。勉強や授業への意欲が上がったかどうか。最近の失敗作は「宿題確認メール」これはまだ塾で宿題を出していた頃、宿題をやってこない生徒を撲滅させるために考えたのだ。授業日の前日に、親の携帯に「明日までの宿題は、P45の2からP46の4までです。しっかりとやらせて、確認してください。」という内容のメールを送るものだった。当初の意図としては、「どこをやればいいか、分からなかった」という言い訳をさせないためと、宿題に関して保護者の目があれば、確実にやってくるだろうというものだった。やり始めた頃は、結構順調にいった。宿題忘れが激減したのだ。だが、時がたつにつれて、どうせ親の携帯にメールがとどくのだから、という安心感からか、授業中に宿題の箇所を言っても、聞かない子が出現したこと。特にご両親が働いている場合、確実に子供へ宿題の連絡が行き届くことも保証されない。その場合、子供が忘れた理由を「親から聞いてない」というように言うようになったこと。などのマイナス面が目立ち始めた。「こりゃいかん・・・」で、すぐにやめた。今はペナ部システムのために、宿題は完全に出していない。宿題は、「わからなかった」と言われてしまえばそれまでだから・・・「宿題」は、あって当たり前のようなものに思われていたが、なくてもいいのかな、他にも方法はいくらでもある。さてさて、相変わらず新しいアイデアは湯水のごとくあふれてくる。次は何をしようかしらん。
2006.01.25
人の粗(あら)はすぐに見つけることができる。わが子ならばなおさらだろう。でもね、絶対に指摘しては駄目だと思う。直そうなんて思うから、ついつい粗探しばかりしてしまう。それが結局その子のいい所までつぶしてしまうのだ。しかも器を小さくする。たとえば、その子の内面を10とする。いいところが8 悪いところが2いいところの8は、「+8」悪いところの2は、「-2」だ。その子をいい子にしよう、なんてご大層なことを考えると、「-2」が気になる。ついつい「10」にしたくなる。だから、顔を合わせるたびに、「-2」ばかりを指摘する。するとどうだろう。いつもいつもマイナス面ばかり気にしていると、誰だって、そのマイナスを消したくなる。マイナスを指摘した側とすれば、それは目論見が成功したかのようにみえる。でも、マイナスを指摘された人間は、「-2」を消すために、自分の「+8」を利用するのだ。つまり、「-2+8」をしてしまうのだ。結果は「6」だ。何が起きたか。マイナス面ばかりを指摘したために、その子は自分のいい面の2を消してしまったのだ。成長過程で身に付いてしまった内面のマイナス面は、簡単に消すことはできない。それを消すためには、プラス面を削って補わなければならないのだ。どうだろう。結局その子は、「10」あった内面が、「6」になってしまったではないか。それを良しとするか否か。悪いところばかりをしてきされ、毎日ブルーになり、でもそんな状況はいやだから、一生懸命マイナスを消そうとする。でもその作業は、確実にその子のプラス面を削る。だれだって、マイナス面はある。ない人間なんて気持ち悪いだろう。マイナスを消すために、粗探しばかりしていると、結果的にその子のプラス面をけずってしまうのだ。とくにわが子には、「完璧ないい子」を望んでしまうのだろう。でも、無理。なまける時がある?だらしない?そんなことは誰にだってあることだ。いい面を見よう。「8」は「8」のままにするために。すると、その子はぐんぐん伸びるはずだ。あ、でもこれはあくまで「内面」に関してだから・・・日々の生活習慣などでのミスは、どんどんしかっていきましょう!決して子供の人格を否定するような粗探しはしないように・・・塾で子供と接する時に、そんなことを考えてます。。。
2006.01.25
いや~、なんとか復活しました。腹痛でのたうちまわるのは慣れっこだけど、今日のはヘビーだった・・・僕は難病患者なので、腹痛とは切っても切れない仲良しこよしの関係だ。最近は一日の薬の量が12錠に減ったけどね。まあ、一生直らないのならば、いい関係を築いていこうじゃないか~!!一つくらい病気を抱えていたほうが、無理もしないし、というかできないし、常に健康に気を使うから、結果的にはいいのかな、と思う。さて、復活したことだし、がっつり寝て、明日に備えようかな。本当は今日どうしても書きたかったことがあったんだけどな~。塾に関係ない内容のブログが二つも続いてしまった。ごめんなさい・・・
2006.01.24
全然関係ないけど、お腹が痛い~。もうメールは打ったから、今日は早く帰ろうかな・・・あきらん・・・あとは頼んだ~おかしいな・・薬を飲み忘れたわけじゃないのに・・・ということで、回復したらブログ書きます。今日はあと一回更新できるので・・・
2006.01.24
来年度の計画を考え出したら、止まらなくなった。高校部と小学部で大きなカリキュラム変更をしそうな予感・・・すでに定員に達した学年もあるし、これから新規申し込みの時期を迎えることを考えると、せまい!!!移転半年で狭いとは・・・ということで、僕とあきらんのスペースは、生徒が使う机といすに侵略されそうなのだ・・・・・・まあ、ノートパソコンが置ければどこでも仕事はできるし、実際授業前なんかはばたばたしていてほとんど座っていることなんて無いし・・・僕らのスペースをつぶせば、机セットを6セットは増やせるしな・・・移動式のホワイトボードだって、壁掛け式にすれば、その分スペースが出来るし・・・駐輪スペースは、あきらんの車を別の駐車場にとめればいいしな~は~これじゃ、移転前に頭を悩ませていたのと同じ状況ではないかっ!!
2006.01.24
どうしようか、小学部・・・・・きたーっ!!!ひらめいてしまった!慌てていろんな塾の広告やらHPを見まくった。だが、どこもやってない~!!!まだ、だれも気がついていない!!これはすごいかもしれないな・・ふっふっふっ・・・ちょっと考えてみる価値はありそうだ。いける!と思ったら、早速来年度のカリキュラムを変更だ!でも、まだ内緒です・・・
2006.01.24
先ほど、中3生のお母さんから高校合格の知らせをいただいた。中3の前半に随分と悩みを抱え込んで大変な時期を送っていた生徒だっただけに、うれしい。県内有数の進学校への合格だ。お母さんもさぞかしうれしく、テンションも上がっているのだろうな、と思ったら・・・さすがだ・・・もうその先を考えておられた。「合格したのは置いといて・・・」みたいな感覚なのだ。そのお母さんが一番気にされていたのは、高校入学までの期間の重要性だ。私立単願での合格だったが、入学手続きをしたうえで、公立トップ校を受験させたほうが、今まで築き上げた学力を落とさないのではないか・・・という相談だったのだ。ルール上、現実的かどうかということは別として、その心気がすばらしい。前にも書いたが、高校合格後が一番危険なのだ。恐ろしいほどのスピードで学力が低下していく。そうなると、晴れ晴れしい気持ちで入学式を迎えた次の週には、現実を思い知らされてしまうのだ。「やばい・・・授業が分からない・・・」これでは、楽しい高校生活をおくれるはずもない。僕の塾では、高校合格後の2月から、進学先が決定した生徒対象の「高校講座」を設けている。内容は、中学の復習と高校の予習だ。その旨をお知らせしたら、安心されたようだった。よかった、と思うと同時に、感心させられた。すばらしい。
2006.01.24
僕は奥さんが出産したときに、自分の非力さを思い知った。目の前で苦しんでいる奥さんに何もして上げられなかった。手を握ること腰をさすること看護婦さんを呼びに行くこと男はなんてちっぽけな存在なんだ・・・本気でそう思った。出産後、奥さんは子供を「かわいい」とは思わなかったそうだ。「この子を死なせてはいけないんだ」そう思ったそうだ。自分の子宮の中で、胎盤を通じて育った子生まれてからも自分の母乳だけで生きていく子自分の命をけずって育てているような気がしたそうだ。母親はすごいと思う。まさに子供は「自分の命」そのものだと感じるのだろう。僕たちが預かっている子供一人一人が、「母親の命そのもの」なのだ。松江塾を通じて、僕は約100人のお母さん達と接している。そのお母さん達が、「うちの子の勉強をみてやってください」と言って、松江塾を信頼して来てくれる。その思いの重さ・・・自分の命をけずって育てた子・・・そんなことを考えると、寝ちゃいられない。そのお母さん達の想いに応えたい。分娩台でわが子を取り上げてくれたあの産婦人科医の先生のように、絶対の安心感を与えたい。「頑張りましたね。ほら、こんなに元気な赤ちゃんですよ・・・」きっと産婦人科医の先生は、生まれたての赤ちゃんを両腕で抱えてそう言っただろう。「頑張りましたね。ほら、こんなに成績が上がりましたよ・・・」出産とはレベルが違うが、あの産婦人科医の先生のような「絶対の安心感」を与えたい!!そんなことを考えていたら、眠れなくなった・・・・・明日は子供のボディプレスで起されるのかな・・・
2006.01.23
人は絶対に・・・絶対に易きに流れる。これは遺伝子にインプットされていると思う。本能だ。生まれた瞬間から川を流れるイメージだ。黙っていると、あっという間に海に出てしまう。ご褒美は常に上流にある。だからみんな頑張るんだ。同じ場所に留まるのだって、逆らって泳がなければならない。まして、もっと上流のご褒美を手にしようと思ったら、流れるスピードよりも速く泳がなければならない。泳ぎを止めた瞬簡に流される。僕だってみんなと一緒に泳いでるんだ。決して川岸からメガホンで「がんばれ~!」って叫んでるわけじゃない。一緒に泳いでるんだ。必死になって流れに逆らいながら、「がんばれっ!ごぼっ、ごぶっ!」っておぼれそうになりながらも、必死に泳ぎながら言ってるんだ。塾として常に前進していかないと、あっという間に「求められる価値のない塾」になってしまうから。いろいろな塾長先生のブログを読むと、生徒への激励の言葉が、実は自分への言葉であることに気がつく。あんなにも頑張っている先生達だって、自分自身を叱咤激励しなければ駄目なんだ。だから、生徒のみんな!!易きに流れてしまう君達を、「怠けている」とか「駄目な奴だ」なんて言わないぞ。それは当たり前の姿だ。でもでもね、目の前には乗り越えなければならない壁がある。それは動かしようもないんだ。松江塾にいる以上は、その壁を避けて通ることは絶対に許さない。だから、僕は君達の本能を捻じ曲げてでも頑張らせるんだ。川の流れを止める力は僕にはない。止めようとも思わない。だから僕は君達を背中を押すんだ。だから僕は君達を引っ張るんだ。わかるよね?頑張ってその壁を越えてみろ!超えることの出来た壁は、もう「壁」ではない。ほれほれ、後ろを見てご覧。さっきまであんなに目の前にそびえ立っていた壁が、あんなに低いところにあるじゃん。辛かった?そんなことはどうでもいいよね。だって、また前に壁があるんだから。前を見て行きましょ。横には絶対に僕たちがいるから。よく見てごらん。僕だってたまにおぼれそうになっているから・・・一緒!一緒!
2006.01.23
塾に子どもを入れたら、それで安心してしまう保護者って結構いると思う。そりゃ、塾の先生は「勉強を教えること」のプロだしね。わが子の成績管理や弱点補強、意欲的に勉強させること・・・全てをやってくれるような錯覚をしてしまうのだろう。僕の塾でも、生徒の「勉強」に関しては保護者の手を借りるつもりはない。「成績を伸ばすこと」が松江塾に対して求められていることなのだから、そのためならば、何だってやるし、その点で保護者の手を借りることは塾運営の方法としては間違っていると思う。中学受験塾に多いが、結局家で親と一緒に塾の宿題を解かなければならないなんていうのは、「サービス業」としては、あるべき姿ではない。塾を信頼してくれているのだから、しっかりとしたものを売るべきだ。でも僕は敢えて親を「巻き込む」。親の力を「頼る」親にやってもらわなければ「困る」親だけにしか「できない」それは、「生活管理」と「しつけ」だ。これらに関しては、塾でどうにかできる問題ではない。なのに、これらがしっかりとできていないと、勉強に支障が出てしまう。反抗期にも突入する多感な時期だ。子どもの扱いにも手を焼かれているだろう。親の言うことを聞かなくもなっているだろう。でも、でもでも、子どもの生活を管理し、社会に出ても困らないようしつけることができるのは、世界に「親」だけなのだ。夜更かしのせいで、眠い目をこすりながら授業を受けても駄目なのだ。塾の入り口に散乱した靴を授業前に先生達が並べても駄目なのだ。「こんにちは」「こんばんは」の挨拶をしないまま教室に入って来ても駄目なのだ。一日の大半をゲーム時間にあてて、現実世界との乖離(かいり)が起きてても駄目なのだ。これは「親」だけが「どうにかできる」問題なのだ。勉強は塾に任せてください。家庭では絶対にできない「鬼の指導」をします。成績は絶対に上がります。だから、それ以外はお願いします~
2006.01.23
小学生の授業システムを大きく変えようと考えている。というのも、それが一番生徒の学力を上げることになるからだ。松江塾はもともと中学生対象の塾だった。しかも、学校の定期テストの得点アップと公立高校(5教科)進学を目的とした塾だった。しかし、日々中学生に勉強を教えていると、「小学生時代に積み上げたもの」の影響がとても大きいことに気付いたのだ。基礎計算力漢字力音読力文章理解力思考力暗記力そういう具体的に学力に直結するものから、人の話をよく聞くこと目を見て聞くこと背筋を伸ばすこと字を丁寧に書くこと粘り強く取り組むことしっかりと話をすることという学力の基礎(土台)の積み上げが、ほとんど小学生の頃に完成しているのだ。中学生になってからその「土台」を作ることは難しい。できるのかも知れないが、そんな時間はない。次から次へと新しい内容を学んでいかなければならないからだ。授業を面白おかしくやり、時には厳しくやり、宿題を大量に出し、ペナ部で鍛えまくれば、確かに短期的に成績が上がる。でも、小学生の頃に基礎の積み重ねをしているのとそうでないのとでは、築き上げたものの「もち」が違うのだ。」しっかりとした基礎を小学生時代にしてきた子は、中学で築き上げたものがいつまでも崩れない。でも、基礎の積み重ねが無い子は、すぐに忘れる。すぐに分からなくなる。そんな状況を見ていると、やはり「小学生が大事だ」と思うのだ。小学生は、学ぶ内容が少ない。だから学校の内容だけをやるのならば、今の授業時間の半分でも大丈夫だろう。もちろんペナ部を導入した場合においてだが・・・さて、どうするか。中学受験をしなくても、学校の勉強を「完璧に」と願う保護者は多いだろう。しかも、しっかりとした学習習慣や学習姿勢を築き上げる必要性を強く感じている保護者も多いはずだ。中学受験をしない小学生対象の塾は、総じて「甘く」なる傾向がある。でも、全員が中学生になるのだから、早い時期から「びしっと」やる必要があるだろう・・・音読力のない中学生基礎計算のできない中学生思考力の低い中学生暗記力の低い中学生読解力の無い中学生できれば見たくないからね
2006.01.23
大手塾の広告を楽しんだ。最近は毎日のように入ってくるので、結構楽しませてもらっている。大手塾に共通しているのは、「バラエティーに富んでいる」ということだ。自分の塾で、全ての需要に応えようとしているのだ。小学校低学年クラスキッズ英語学校授業への準拠中学受験定期テスト対策会場模試対策難関校向け講座とにかく、ありとあらゆる講座がそろっているのだ。それはそれでいいことだと思う。どの講座も手を抜かず、優秀で魅力的な人材をそろえてやってもらいたいと思う。でも、ふと思う。成績を伸ばすことって、もっとシンプルなんじゃないのかな・・・いろんな講座をとって、自分の目標に近づこうとする心理はわかる。でも、うちの塾の子たちは、一貫して「学校準拠」のみだ。それでも県の上位者がごろごろいる。彼らに共通しているのは、「ただ、圧倒的に勉強しているだけ」ということだ。やれば伸びるやらなければ伸びない。いたってシンプルだ。どんな講座を選択しようとも、またしなくてもやれば伸びるのだ。そこには、絶対的な比例関係が存在する。その傾きを決めるのは、選択した講座の種類や数ではない。「気持ち」だ。「気持ち」が強ければ、傾きは急になるし弱ければ、緩やかになるだろう。やればいいのだ。ただやるだけなのだ。効率的な勉強?そんなものは、圧倒的な量をこなしている人間だけが語れるものだ。量をこなさずに、「効率」などというのは許されない。そんなのは、ただ楽をしたいだけでしょ。とにかくやるのだ。一分でも長く机にかじりつくのだ。一問でも多く問題を解くのだ。それしか、方法はないよ。頑張ってね。
2006.01.23
生徒を見ていると、「テレビの見過ぎだな・・・」と思うことが多い。テレビの視聴、特に幼児期における長時間の視聴は悪影響を及ぼす、なんていう記事がよく新聞に書かれるが、自分の子供がまさに「幼児期」なので、関心をもって読むことが多い。で、考えるのが、「テレビの視聴時間と成績」それぞれの生徒がどれくらいの時間テレビを見ているのかは分からない。が、明らかに長時間見ている気がする。ドラマ一本1時間、お笑い番組1本1時間・・・生徒の会話から、少なくとも昨日は2時間テレビを見ていたことが分かる・・・そんなことが多々あるのだ。2時間テレビを見ているということは、その間は確実に勉強はしていないわけだ。2時間はまずいでしょ。でも、子供は自分でテレビを見る時間を管理できない。 はい、ここでまたまた僕の子供時代の話を。僕は小・中学校時代は、一日のテレビ視聴時間を30分と決められていた。これは、「絶対」だった。だから、何の番組を見るかを決める必要があった。つまらない番組にその貴重な時間を使っては、もったいないからだ。1時間番組がどうしても見たい場合は、姉と合わせて1時間番組を見ていた。(1日30分のはずなのに、あわせると1時間みても良かったのは、今考えるとおかしな話だが・・・)しかも、夜8時には絶対に自分の部屋に行き、そこで宿題やら勉強をしなければならなかった。だから、今の中学生のように、「ドラマ」は見れなかった。テレビは見なければ見ないほど「見たい」とは思わなくなる。それは今、自分の子供を見ていても同じだ。テレビよりも、本のほうが情報量が多く、また自分の知りたい情報を確実に得られることに気づくのだ。先ほども書いたが、中学生にテレビの時間管理はできない。しっかりと家庭で決めない限り、際限なくだらだらと見てしまうだろう。家庭内でのルール作りが必要だ。
2006.01.22
僕が通っていた明治大学は、当時ラグビーと野球が強かった。だから、六大学野球やラグビー対抗戦の明早戦は結構見に行った。でも、僕がどうしても見入ってしまうのは、試合ではなく応援団だった。初めて見た時の衝撃は大きかった。まるで漫画なのだ。「そんな学ラン売ってるの?」「グラサンほそ~っ!!「大学生なのに、そのヒゲの生やし方・・・」みたいな団員達が、声にならない声で必死に応援しているのである。しかも、学生達の応援の先導をするときが、めちゃめちゃ面白い!動きだって、人間の動きを超えていた。背中のそり具合なんて、背骨の強度と地球の重力を忘れたかのようだ。まさに「エンターティナー」そのものだと思った。でも、それは僕ら学生の目に見えるときの話だ。試合が終了し、ぞろぞろと球場をあとにしようとしていたとき、ふとトイレに行きたくなり、友達を待たせておいて、トイレに行ったのだ。トイレに入り、ようを足していると、外から怒鳴り声が聞こえてきた。何を言っているのか、もう判別不可能なくらいの怒鳴り声だ。僕はトイレの外に出て、ちらっと声のするほうを見た。すると、先ほどの団員達だ。両足を開き、手を後に組み、あごを引きながら整列している。僕は自分の目を疑った。団長と思われる人物が、一人一人を殴っていたのだ。団長がつぶれた声で怒鳴っている。「お前らの応援が足りなかったから負けたんだ!!」「ういっ!!」「魂が選手に届かなかったんだ!!」「ういっ!!」そんなことを言いながら、一人一人殴っていたのだ。まるでドラマの撮影かと思うくらいの光景だ。はっきりいって、応援団の応援が試合の勝敗を決めるとは思わない。でも彼らの目には、そんな思いなんてこれっぽっちもないかのようだった。本気なのだ・・・その時は「すげ~」としか思わなかった。だが、今・・・僕はプロの応援団長になっている。心の底から生徒を応援する立場にいる。あの時見た応援団員のように、一点の曇りもない目で子ども達を応援していきたい。
2006.01.22
シリーズ10回目「できる子は質問をしない!」これは意外な落とし穴か・・・「分からないのなら、先生に聞きなさい」これは、誰しも言ったり言われたりしたことがある言葉だね。でも、これからはわが子に言わないことをお勧めする。なぜなら、「できる子」は質問をしてこないからだ。「そりゃそうよ。分かるんだから質問をする必要がないんじゃないっ!」って思ったでしょ?違うんだな。「できる子」でも質問をしてくる時がある。でもその場合は、100%!!「解説」が書かれていない問題が分からない時だけである。「できる子」だって、分からない問題は腐るほどある。でも、彼らはそんな問題にぶつかっても、質問をしようとはしない。僕は自習中の生徒をじっと観察している時が多い。「できる子」を見ていると、こうだ。問題を解いている。手が止まる。頭をくしゃくしゃとかく。 (どうやら分からない問題にぶつかったようだな・・・)新しい計算用紙を用意する。 (初めから解きなおしてみるんだな・・・・)でも、また手が止まる。1回点を仰ぐ。解答を見る。意外に答えがシンプルな数字になることに、ニヤニヤする。 (分かるな~、その気持ち。超長い計算に限って、答えが「1」なんてこと、結構あるもんな~)解説を読み始める。新しい計算用紙に解説と同じことをやり始める。目が解説と計算用紙を行ったりきたりだ。自分の計算の答えが解答の答えと同じになることを確認する。解説を閉じる。 (どうやら納得したみたいだな。次の問題に進め~!!!」また新しい計算用紙を用意する。今分からなかった問題をもう一度解き始める。 (ほ~。もう一度自分だけの力でやってみないと気がすまないんだな)今度は手が止まらない。数分後、答えが先ほどの解答と同じになる。足を組みなおして、数回うなづく。満足そうだ。とても満足そうだ。お分かりだろうか。「できる子」は終止こんな様子なのだ。できない子達が、手が止まった瞬間にテキストを持ってくるのとは違うのだ。先生に聞いた瞬間に、それは「先生の脳みそ」を使って解いた問題になってしまうのだ。決して「自分の脳みそ」で解いたのではないのだ。だから、絶対に次も解けないのだ。その問題を解く方法は、「まとめ」に書いてある。「例題」に書いてある。「解説」に書いてあるのだ。それを読んで、自分の頭で考えること。これが勉強だ。それでも分からなければ聞けばいい。僕はすぐに質問に来る子に必ずこう聞く「答え見た?解説読んだ?例題解いた?」すると、決まって「見たけど分からなかった」と言う。そりゃそうだ。見ただけで分かる奴はいない。一文字一文字、じっくりと考えるのだ。それでも分からなければ、その前に戻るのだ。焦らなくてもいいんだ。とにかく、質問は最後の最後の最後の手段だ。腹が減った・・・もうだめだ・・・死にそうだ・・・手は尽くしたが、もうどこにも食べ物がない・・ああ・・し、しぬ・・・そして、最後の一呼吸を・・・というときになって初めて「ひとかけらのパン」を口にするのだ。その「ひとかけらのパン」が質問だ。正直言って、非常に腹が立つ質問もある。「先生~。solveってどういう意味ですか~?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺は辞書か~~~っ!!!!人の「脳みそ」を使っても、どうしようもないからね。お願いだから、自分の脳みそを使おうね。あ、お母さん達でこれを読んでいる人がいたら、家でも同じですからね。「お母さん、今日って何日?」「お母さん、今何時?」「自分でカレンダー見ろ~っ!!」一喝してあげてください。なんなら、カカト落としを一発・・・普段から自分の脳みそを使わないと、錆びますよ・・・
2006.01.22
シリーズ9回目「できる子は落ち着いている!」できる子は落ち着いている。動作話し方視線その全てが落ち着いている。いつも、というわけではない。落ち着いているべきときに落ち着いているのだ。中学生だから、テンションが上がるときもある。でもそういうときも決して「メーターが振り切ってしまう」ことがない。クラスに何人かいるでしょ。楽しいことをやっている空気の中で、より注目を浴びるためなのか、とんでもないことをやりだす子が。歯止めが効かない子が。できる子は、そういうことがない。ぼ~っとして、一見落ち着いているように見えるのではない。脳は超高速で動いているのだろう。でも、落ち着いているのだ。じっと座っている。しっかりと考えながら話をする。一点を集中して見ることができる。やはり、「大人レベル」に比例するのかな。
2006.01.21
私立直前だ。過去問の質問もかなり切羽詰ってきた。僕は一応文系だ。英語と社会(特に歴史)と国語では、何を聞かれても・・・秒殺・・・だ。か、かっこいい・・・ふっ・・・・高校入試問題レベルの数学も楽勝だ。楽勝だ!のはずだ・・・だが・・・うぎゃーーー!!!と、たまに頭をかきむしりたくなる問題にぶち当たるときがある。開成とか・・・お茶女とか・・・筑付とか・・・「先生~。数学なんですけど、聞いてもいいですか~?あきらん今他の子の数学みてるんで・・」「おっ!全然問題ないよ。秒殺♪秒殺♪」「秒殺♪秒・・・・・・・・・・・・・・・・」「・・・・・」「う~ん・・・」そうなのだ。秒殺できない問題があるのだ~!!侮れない!中学数学!!ひねれば過激に解きにくい問題もできるんだな~。恥を覚悟で言ってしまうが、今日の問題なんて、解き方が分かるまで20分考えてしまった。立式しても、あまりに長い数式に解く気をなくした・・・あ、あきらん~!!あとは頼んだ~!!!!!!と言って、快適な英語と国語の質問に逃げていく・・・・「先生~。この短歌の掛詞が分からない~」秒殺!!「先生~。この英文のきれいな訳し方が分からない~」秒殺!!悲しいかな・・・文系人間・・・
2006.01.21
昨日の合格者第一号に続き、明日からどんどん入試&合格発表がある。私立を併願して公立に挑む子たちは、あくまで今は通過点だ。でも、ここで合格を決めた国立・私立単願者は、受験が終了したことになる。じゃあ、これからどうする?さすがに松江塾生は、合格したからといってだらけることはない。高校合格は、100メートル走の予選を突破したに過ぎない。高校合格は、サッカーのワールドカップ出場権を手にしたに過ぎない。高校合格は、デートに着ていく洋服を決めたに過ぎない。高校合格は、食卓に料理を並べたに過ぎない。そうだ。世間一般でもよく言われているよね。「ゴールじゃなくて、スタートだよ」って。だから僕も言おう。「高校合格は、準備が終わったにすぎないんだよ。」これから戦いが始まるんだ。敵のボスキャラは3年後にいる。今日、まさに3年後の今日。センター試験100%の確立でそのボスキャラに出会う。そのボスにたどり着くまでには、さまざまな敵が待ち受けている。それら全てを倒していかないと、ボスにはたどり着けないのだ。最初の敵でやられる人がとても多い。高校で学ぶことが、本当の「勉強」だ。みんな、その多さと細かさにやられる。中学では、いい加減にやっていてもある程度の点は取れる。でも、高校ではそれが通用しない。全てにおいて100%の理解が求められる。80%しか理解しなかった知識は、無いも同然だ。中学とは別世界だと思っていたほうがいい。松江塾の高校生は、中学部の子たちととても仲がいい。授業後によく雑談をしている。すると、高校生が中学生の受験テキストをパラ見する。「うわっ!こんなに簡単だったっけ?」「こんな勉強でよかったんだったら、もっとやっとけば良かったよ」こんなのはよく聞く台詞だ。高校での勉強レベルが大体わかっただろうか。そんなレベルの世界に突入するときに、中学の勉強を忘れてしまっている状況が許されるだろうか・・・まだ理解していない内容があるなんていう状況が許されるだろうか・・・そんなレベルで突入したら、最初の雑魚キャラにやられておしまいだ。経験した人も多いだろうが、高校の勉強は、一度遅れると復活することがとても難しい。特に「理系科目」において顕著だと思う。僕も数Bでやられた。おっと、その前の化学でやられたか・・・だから、これから高校入学までが大事だ。これから入試を迎える人よりも、実は大変だと思う。だって、もう「本番」なんだから・・・はるかかなた向こうには、「センター試験」が待っているんだから。塾では、2月から「高校準備講座」に切り替わる。受験が終わったのだから、遊びたい?そりゃ、どんどん遊びなさい。でも、やるときはやりなさい。いい?本番は高校だよ。
2006.01.21
まだ新年度生募集のチラシを入れてないのだが、問い合わせが増えてきた。毎年のことだが、他塾が広告を出すと、なぜか問い合わせがある。「まさか、大手塾の広告に松江塾の電話番号が書いてあるのか・・・?」そんなイメージだ。大手塾の広告はフルカラーで目立つ。だから嫌でも目にとまる。すると、「そろそろわが子を塾へ入れようかな」と考えるわけだ。一応、その大手塾の広告に目を通す。あまり、ピンと来ない。「本当かしら・・・」「一部の子だけなんじゃないの?」「うちの子には合わないかもしれないわ・・・」「駅前は不安だし・・・」で、そのときに「松江塾」のことを思い浮かべてくれるのだろう。「そういえば、松江塾っていう怪しい塾があったわね・・・」「いや、違うわ。怪しすぎる塾があったはずよ」「ちょっと前を通ってみようかしら。あそこの塾は全てガラス張りで中がよく見えるから」で、実際に塾の前に来られる保護者も多いのだろう。で、ちょっと中をのぞいてみる。ホワイトボードの前では、ど~見てもテンションが振り切った先生がカタカタと怪しい動きで授業らしきものをしている。ホワイトボードには、確かに二次関数のグラフが書いてある。横にはびっしりと数式がある。で、生徒はどうだ。数秒か、数十秒に一回はニヤニヤしている。時には身体を後ろに反らせて大笑いをしている子もいる。先生と思しきその人物は、時折その頭のとんがりをなぜなぜしている。そんなに髪を立ち上げて、お前は何を目指しているんだ・・・スーパーサイヤ人か?「おかしいわ・・・二次関数の授業で、何でそんなに笑えるのかしら・・・」「そうだわ、今は授業を中断して雑談をしている最中なのよ。きっと!」もうちょっと見てみることにする。おかしい・・・雑談という雰囲気ではないおそらく先生だろうと思われるスーパーサイヤ人は、先ほどの二次関数のグラフに赤で一次関数の直線を書き入れたではないかっ!!「やっぱり授業をしているんだわ・・・」でも生徒はニヤニヤしている。生徒達はニヤニヤしながら、ノートに書かれた放物線のとなりに、すさまじい速さで計算をしている「何なのかしら、この塾・・・」で、横に7メートル移動してみる。するともう一つの教室が見える。同じくホワイトボードの前では、明らかに「向こうの世界から来た」と思われる人物が、英文を書きなぐっている。「こっちは英語ね。あの文章からすると、関係代名詞ね。中学英語の山場だわ。私も苦労した記憶があるわ・・・。今度はみんな真剣に受けているはずよ。そうだわ。ニヤニヤしながら関係代名詞をマスターできるわけがないもの・・・」その淡い期待は、すぐに裏切られる。なんと、な、なんと・・・爆笑だ・・・・すでに数人の生徒は明らかに「笑い死に」しているようだ。まさに「ノックアウト」だ。「うそよ・・・」「うそに決まってるわ・・・」「これが関係代名詞の授業なの?」さらにその先生と思いたくない人物が生徒に向かって語りかけている口元を見てみる。口の動きから言葉を推測する。『わ・か・っ・た ?』生徒がうなずく『か・ん・ぺ・き?』生徒がさらに大きくうなずく。「何なの?この塾・・・はっ!そうだったわ。ここは塾よね!?間違ってないわよね・・・!松江塾なのよね!・・・看板があるもの。そう、そうよね。合ってるわ。」松江塾の授業の片鱗をちらっと見て、「塾」への思い込みをずたずたに切り裂かれたお母さんは家路に着く。しばらくはあの光景が頭から離れない。気になる。「あれは塾だったのかしら・・・夢を見たのかしら・・・」いてもたっても、いられない。で、気がつくと受話器を持って、プッシュボタンを押している。「はい!松江塾です~!!」それが全ての始まりだ。さ、今日も一人、7時から体験学習の扉を開く。「あやしい塾へようこそ・・・・・!!」
2006.01.20
今日は、計算道場に通っている小3の生徒がいつもより少し早く来たので、ローマ字を教えた。僕は、小学校でローマ字を教えることに少々疑問がある。今のカリキュラムでは、小4の国語で勉強することになるが、「ta ti tu te to」を「たちつてと」と教えるのだ。これはどうかと思う。「ta ti tu te to」は、明らかに「た てぃ とぅ て と」だよね。中学では「ta chi tsu te to 」と教えるのだから、なんで小学校から、そう教えないのか・・・これが、どーしてもわからん。小学校で真面目に勉強してきた子がかわいそうだ。だって、昨日まで「ち」だと思ってきた「ti」は、今日からもう「ち」じゃないのだ。突然「chi」が「ち」ですよ。と言われるんだよ?昨日まで「お母さん」だと思ってた「女の人」が、今日から「お母さん」じゃないのだ。突然「見たこともない女の人」が「お母さんですよ」。と言われるのと同じだ。こりゃー大変なことだ。それを教えるこっちの身にもなってもらいたい。ということで、今日の小3の生徒には、中学で教えるローマ字を先に教えてあげた。説明したら、「tu は とぅ だと思う・・・」だそうだ。それでいいと思う。どうでしょ?
2006.01.20
塾の生徒を見ていると、「習い事」をしている子が結構いる。特に小学生に多いが、その種類は実に多岐に及ぶピアノバイオリン習字そろばん英会話パソコン野球サッカー剣道柔道スイミング多い子だと2、3個の習い事を掛け持ちしていて、塾を含めると週7日全部が習い事でうまる、なんて子もいる。親が行かせる場合、子供が自分から行きたいと言い出す場合、始めるきっかけはさまざまだろうだが、その習い事を嫌がっている子たちが多いことも事実だ。その理由もいろいろだ。「めんどくさい」「先生がこわい」「つまらない」「遊べなくなる」だからなのか、中学生になると塾以外の習い事をしている生徒の割合が激減する。う~ん・・・どうなんだろう・・・「習い事」もちろん、好きでその習い事をしている生徒だっている。そういう子は、学年があがって塾と習い事の曜日が重なると、本気で塾をやめようかなんて迷ったりしている。さてさて、このことに関しては、自分の意見というものが定まっていない。自分の子供もこれからそういう年齢になっていくので、ちょっと時間をかけて考えてみよう。何か意見・アドバイスがあったら書いてやってくださいな。
2006.01.20
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