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二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する)
【122】 翁
曰
く、 山畑
に 粟
、 稗
実法
る 時
は 猪鹿
小鳥
までも 出
で 来
たりて、 是
を 取
り 食
らふ、 礼
もなく 法
もなく、 仁義
もなし、 己々
が 腹
を 養
ふのみ、 粟
を 育
てんと 肥
をする 猪鹿
もなく、 稗
を 実法
らせんと 草
を 取
る 鳥
もなし、 人
にして 礼法
なき、 何
ぞ 是
と 異
ならむ、 予
が 戯
れに 詠
める 歌
に「 秋
来
れば 山田
の 稲
を 猪
と 猿
、 人
と 夜昼
争
ひにけり」 夫
れ 検見
に 来
る 地方官
は、 米
を 取
らんが 為
なり、 検見
を 受
くる 田主
も、 作徳
を 取
らん 為
なり、 作主
は 元
よりなり、されども、 皆
仁
あり 義
あり、 法
あり 礼
あるが 故
に、 心中
には 争
へども、 乱
に 及
ばぬなり、 若
し 此
の三 人
の 内
、一 人
仁義
礼法
を 忘
れて、 私欲
を 押
し 張
らば 忽
ち 乱
るべし、 世界
は 礼法
こそ 尊
けれ。
【122】尊徳先生がおっしゃった。
「山畑に粟や稗が実る時には、猪や鹿、小鳥までも出て来て、これを取って食う。
礼もなく法もなく、仁義もない。自分の腹を養うだけである。
粟を育てようと肥しをやる猪や鹿もいない。稗を実らせようと草を取る鳥もない。
人であって礼法がないものは、これと異なるところがない。
私がたわむれに詠んだ歌に、
『秋来れば山田の稲を猪(しし)と猿、人と夜昼争いにけり』
とある。秋の収穫を調べに来る役人は、年貢米を取るためである。
調べを受ける地主も、耕作の利益を取るためである。小作はもとよりのことである。
けれども、皆仁があり義があり、法があり礼があるために、心中では争っていても、乱には及ばないのだ。
もしこの三人のうち一人が、仁義礼法を忘れて、私欲を押し張ったならばたちまち乱れるであろう。
世界は礼法こそ尊いものなのである。
■ 報徳秘稿
【54】恐れても恐るべきは、受財の楽しみ。勤めても勤むべきは、苦しみの施財也。受財の楽しみは畜生の道也。苦しみの施財は人道の元也。夫れ、禽獣は奪を知りて譲をしらず。故に、開闢以来今に至て安堵の地なし。人道は大神宮以来、今日を明日に譲り、今年を来年に譲り、天の恵みを受けて地に施し、親の恵みを受けて子に施し、譲り譲りて人道立ち、世界相続をなす。元仁義と云い、礼譲と云う。皆己が手の向えたる時の名也。己が手前へ向かう時は、仁も仁にあらず。礼も礼にあらず。勤むべし。恐るべし。
【訳】
恐れても恐るべきは、受財の楽しみである。
勤めても勤めるべきは、苦しみの施財である。
受財の楽しみは畜生の道である。苦しみの施財は人道の元である。
それ、鳥獣は奪うことを知って譲ることをしらない。だから、世界が開けて以来、現在まで安心安全に暮らす地がない。
人道は大神宮以来、今日を明日に譲り、今年を来年に譲り、天の恵みを受けて地に施し、親の恵みを受けて子に施し、譲り譲って人道立ち、世界相続を行う。
元仁義といい、礼譲という。皆自分の手を向うにむけた時の名である。
自分の手が手前へ向かう時には、仁も仁ではない。礼も礼ではない。
勤めなければならない。恐れなければならない。
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