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2024.03.31
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カテゴリ: 報徳
報徳「夜話」 日めくり 

31日 




二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する)  

【131】 

高野丹吾帰国せんとす、

翁曰く、

伊勢の国鳥羽の湊(みなと)より、相模国浦賀の湊までの間に、大風雨の時、船の掛(かか)るべき湊は、只伊豆国の下田湊のみ、故に燈明台あり、大風雨の時は、この燈台の明りを目的(めあて)として、往来の船は下田湊に入るなり、

此の脇に妻良子浦(めらこうら)と云ふ処あり、

岸巌(がんがん)高く大岩多く、船路なき処なり、

此の辺(へん)に悪民有つて風雨の夜、此の処の岸上(がんじやう)に焚きて、下田の燈台と、見違ふ様にしければ、難風を凌(シノ)がんと、燈台(トウダイ)を見当に走(ハシ)り来る船、燈台の火と見紛(みまが)ひ入り来る勢ひに、大岩に当り破船すること数度なり、

この破船の積荷物品を奪ひ、取り隠し置て分配せし事、度々有りし由、終には発覚し皆刑せられたりと聞けり、己が聊かの欲心の為に、船を破り人命を損じ、物品を流失せしむ、

悪き仕業ならずや、我が仕法にも又是に似たる事あり、

烏山の燈台は菅谷氏なり、

細川家の燈台は中村氏なるに、二氏の精神半途に変じ、前の居処と違へるが為に、二藩の仕法目的(もくてき)を失ひ今困難に陥れり、

仮初(かりそめ)にも、人の師表たらん者、恐れざるべけんや、慎まざるべけんや、貴藩の如きは、草野氏池田氏の如き、大燈明上にあれば、安心なりといへども、卿も又成田坪田二村の為には大燈明なり、

万一心を動かし、居処を移すが如き事あらば、二村の仕法の破れん事、船の岩に当れるが如し、

されば二村の盛衰・安危、卿が一身にあり、能々感銘せらるべし、

二村の為卿が為、此の上もなき大事なり、

卿能く此の決心を定め、不動仏の、猛火背を焼くといへども、動かざる如くならば、二村の成業に於ては嚢中(のうちゆう)の物を探(さぐ)るよりも安し、

卿(きみ)が心さへ動かざれば、村民は卿を目的となし、船頭の船路を見て、おも柁(かぢ)取柁と呼ぶが如く、驕奢に流れぬ様(やう)おも柁と呼んで直し、遊惰に流れぬ様取り柁と呼んで漕ぐのみ、然る時は興国・安民の宝船、

卿が所有の成田丸坪田丸は、成就の岸に、安着せん事疑ひなし、

此の時君公の御悦びは如何計(いかばか)りぞや、

草野池田の二氏の満足も如何計ならんや、

勤めよや勤めよや。  

【131】高野丹吾氏が帰国(相馬藩)しようとしていた。尊徳先生はおっしゃった。「伊勢の国の鳥羽の港から、相模国の浦賀の湊までの間に、大風雨の時、船がとまるべき港は、たった伊豆国の下田港だけである。だから灯台がある。大風雨の時は、この燈台の明りをめあてに、往来の船は下田港に入るのだ。この脇に妻良子浦(めらこうら)というところがある。岸壁が高く大岩が多く、船路がないところである。この辺に悪民がいて風雨の夜に、この処の岸の上に火をたいて、下田の灯台と、見違うようにするものだから、難風をさけようと、燈台をめあてに走り来る船は、灯台の火と見まちがって入り来る勢いに、大岩に当って破船することが多かった。この破船の積荷物品を奪い取って隠しておいて分配した事が、たびたびあった。ついには発覚して、皆処刑されたと聞く。自分のわずかの欲心のために、船を壊し人命を損ない、物品を流失させた。憎むべき仕業ではないか。
 私の仕法にもまたこれに似た事があった。烏山の灯台は菅谷氏であった。細川家の灯台は中村氏であった。しかし、二氏の精神は中途で変わり、前にいたところと違ったために、二藩の仕法は目標を失い、今困難に陥っている。かりそめにも、人の師表となろうとする者は、恐れなければならない。



報徳秘稿 【112】伊豆の国にメラコフラ(妻良・子浦)という所あり。この所湊にて船路の目印として、夜々山にて篝(かがり)を焚く也。昔、悪き者ありて、この篝火を所をかえて焚ければ、米積し船は心も付かず、その火を目当に帆を上げて勢を猛く走り来れば、常の船路にあらぬ故、忽ち岩磯に当りて船破れ、又その漂流せし米を取りて己らが得とせし事あり。後には皆あらわれ科(とが)に逢ぬ。此の仕法もその如く、小田原にては、鵜沢氏、細川にては中村氏など、一同の目当となる者、居処をかえ、或は身勝手を欲し、或は独楽を欲し、前の居所と違う時は、領中の仕法は船の岩に当るが如く、忽ちに破るべし。故に人の師表たらん者の、豈慮ざるべけんや。村は名主、家は主人の居所大切也。又、一村にても一家にても、十ヶ年平均を定則となし、目当となし、船頭の地人を見てヲモカジトリカジを呼ぶが如く、定則を目当として驕奢に流れぬ様、オモカジトリカジを呼ぶならば、仕法の行われぬ事あるべからず。

(訳)
報徳秘稿 【112】伊豆の国にメラコフラ(妻良子浦)という所がある。この所は港で船路の目印として、毎夜、山で篝火(かがび)をたく。昔、悪い者があって、この篝火を所をかえてたいたならば、米を積んだ船は気が付かないで、その火を目当に帆を上げて勢い猛く走って来ると、常の船路でないために、たちまち磯の岩に当って船は壊れ、またその漂流してきた米を取って自分たちの得物とした事があった。後で全てあらわになって刑罰に処された。
 この仕法もそれと同じで、小田原では鵜沢氏、細川にては中村氏など、一同の目当となる者が、居どころをかえて、あるいは身勝手を欲し、あるいはは独り楽をしようとし、前の居どころと違う時は、領中の仕法は、船が岩に当るように、たちまち壊れるであろう。だから人の師や代表となる者は、どうして考慮しないわけにいこうか。村は名主、家は主人の居どころが大切である。また、一村でも一家でも、十年間の平均を定則とし、目当とし、船頭が大地の人を見ておもかじ、とりかじを呼ぶのと同様に、定則を目当として驕奢に流れないゆに、
おもかじ、とりかじ を呼ぶならば、仕法の行われない事はないであろう。





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最終更新日  2024.03.31 00:00:21


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