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2024.03.31
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カテゴリ: 健康・元気
黒住宗忠は、安永9年(1780)11月26日、冬至の日に岡山県岡山市の上中野村に生れた。
父は、今村宮の神主で宗繁(むねしげ)、母は つた という。
宗忠は三男であった。

宗忠は幼い頃から親孝行だったと伝えられる。
ごく幼い頃から、父母の言いつけをよく守る子であった。
7歳くらいの時、雨上がりに戸外へ遊びに出ようとした時、父は下駄をはいていくと言い、後から来合わせた母は、それを知らずに、下駄では危ないから草履で遊ぶようにと言った。宗忠は、両親の言いつけを守ろうとして迷った宗忠は、咄嗟に片足に下駄、片足に草履をはいて出て行った。
しかし、とうとう転んで泣いてしまったという。

ある時、よその年寄り達が宗忠の両親が近頃めっきり年老いたようだと話し合っているのを小耳にはさんで、産土(うぶすな)の今村宮に日参して両親の長寿を熱心に祈ったという。
少年の日、習字の塾に通うにも、両親を心配させないよう帰りの時間に気を配った。

25歳の時、次兄がなくなり、黒住家の嗣子となった。
宗忠は いく と結婚し、28歳の時長女こま(後「とら」と改名)をもうけた。

 文化9年8月宗忠の父母はそろって、「痢疾(りしつ)」で床に伏して、わずか七日の間に相次いでなくなった。父は72歳、母は69歳であった。
 宗忠は人一倍親孝行だっただけに、その悲しみは深く、文化10年から病の床について、翌年文化11年には容態は更に悪くなり、医者から見離されるほどの重態となった。病名はロウガイでいまでいう肺炎であろうか。
 文化11年の1月19日、3年越しの病に医者も匙を投げ、親しい友人が心配の余り占いした結果も悪く、宗忠は死を覚悟して死を待った。
 その時である。
「自分は父母の死を悲しんで陰気になったために大病になったのだから、
心さえ陽気になれば病気は治るはずだ。
 」と気づいた。
 そのことに気づき、天恩の有難さに心を向けると不思議なように、その時を境にして病気が軽くなった。
 3月19日、床に伏していた宗忠はお日様を拝みたいと思った。妻は衰弱した夫を気遣って止めたが、宗忠の意志は固く、入浴して身を清めて縁側からお日様を拝んだ。その時から長患いが全快したのであった。
 その年、文化11年11月11日、冬至の朝、いつものように日拝して一心不乱に祈っていると、太陽の陽気が体全身に満ち渡った。
身に迫ってくる一団の温かい玉のようなものをしっかりと胸の中に納めて、まるごとのみこんだ。
するとなんともたとえようがないほど、爽やかなよい気持となった。
宗忠はこの時、天地生々の霊気を自得したのであった。
(「黒住宗忠」原敬吾著)





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最終更新日  2024.03.31 17:46:45


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