MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2024.09.29
XML
カテゴリ: 報徳
袋井市のTさんに 「安居院庄七 50歳からの大冒険」のチラシを数十枚、郵便料値上げ前に(^^) レターパックライトで送る。

1人、地図、テキストの画像のようです

T 様
 前略
 「安居院庄七 50歳からの大冒険」のチラシを作成しましたので、郵便料値上がりの前に(^^)送付します。
 10月中旬にはクラウドファンディングを開始しますが、Kさんから「パソコンを使えない人のために、連絡先にメルアド以外に住所、電話番号など入れた方がいい」と助言をいただき、作成してみました。

 戸石東京大学准教授の「安居院庄七の報徳運動と参詣講」より

「嘉永元年(1848年)、掛川藩の大庄屋岡田佐平治との出会い 
重要なのは、佐平治が掛川藩の大庄屋だったことである。江戸時代、大庄屋は、百姓身分であると同時に、数村から数十村を統括する自治的地域社会の長であり、領主権力と村々の橋渡し役となる役職であった。当然の帰結として、領主権力は農村行政のほとんどを大庄屋に依存していた。さらに佐平治は掛川藩から困窮村の復興を命じられ、職務に励んでいた。要するに、佐平治は地域社会の長でありながら、事実上藩の役人を兼ねるという立場にあった。その佐平治が庄七に興味を持ったということは、庄七がそれまでのように単なる有志による活動を越えて、佐平治を通じて掛川藩の農村振興政策の末端に、何らかの影響を及ぼし得る可能性が生じたことを意味する。
1848年に佐平治が庄七と勇次郎を倉真村の自宅に招いて尊徳仕法の教授を受けた結果、佐平治と庄七は大いに意気投合し、その年の12月には早くも佐平治が牛岡報徳社を結


 「現代語訳 安居院義道」もJAはだの のM組合長の尽力で秦野市の小中学校、公民館図書館に寄贈できました。
「安居院庄七 50歳からの大冒険」も安居院先生が遠州地域の有力者を通じて報徳思想と報徳社を広げた手法で出版支援を仰ぎたいと思います。
 クラウドファンディングのチラシは改めて作って講演会でも配布しますが、 遠州の教育・文化の中心となる方々(岡田佐平治のように)地域文化に影響力のある方にお配りいただければと有難い です。よろしくお願いします。

令和6年9月29日





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.09.29 13:12:32


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: