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野菜と果物ががんを防ぐ?日本人の死因の第1位、がん。そんな「がん」の原因となりうる発がん物質のはたらきを弱める効果が「野菜」2023年、日本人の死因の第1位はがんでした。「食生活を見直す」については、「減塩する」「野菜と果物をとる」「熱い飲み物や食べ物は冷ましてから」の3項目が推奨されています。がんの原因となりうる物質を発がん物質といいます。野菜や果物に含まれるカロテン、葉酸などのビタミンやその他の機能性成分には、発がん物質のはたらきを弱める酵素の活性を高めたり、がんの一因とされる活性酸素を消去したりする作用があると考えられています。実際、野菜・果物を摂取すると、いくつかのがんの発症リスクが低くなることが報告されています。そのひとつが胃がんです。胃がんは日本人に多いがんのひとつです。これは、ピロリ菌による感染が多いことと、食塩摂取量が多いことが関係しています。かつては日本人に最も多いがんでしたが、診断方法と治療方法の向上で2022年は罹患率・死亡率ともに男女合わせて3位です。野菜・果物の摂取により、胃がんの発症リスクが下がる可能性があります。国内で行われた4つの前向きコホート研究データを統合して胃がんと野菜・果物の摂取について調べた研究では、野菜を摂取すると胃がんの発症リスクが低下することがわかりました。特に男性では、下部胃がんの発症リスクが低下しています。食道がんも同様です。野菜・果物摂取と食道がんとの関係について調べた国内の研究では、野菜・果物の合計摂取量が1日あたり100g増加すると、食道がんの発症リスクが約10%低下することが明らかになっています。国立がん研究センターのまとめでは、野菜・果物を摂取することは胃がんの発症リスクを抑制する「可能性がある」、そして食道がんについては「ほぼ確実」にリスクを低下させるとしています。日本人でがんの死亡率が最も高いのは、肺がんです(2022年)。肺がんの最大の危険因子は喫煙です。喫煙率は男女とも減少傾向にありますが、いまだに男性は24・8%と4人に1人は喫煙しています(令和4年)。女性の喫煙率はあまり高くありませんが、非喫煙者でも肺がんになる可能性はあります。野菜・果物の摂取と肺がんとの関係では、特に果物について、国立がん研究センターのリスク評価で肺がんの予防効果が「可能性あり」という結果になっています。野菜では、特にアブラナ科の野菜が肺がんのリスクを下げる可能性があると報告されています。アブラナ科の野菜の摂取と肺がんについて調べた国内の研究では、一度も喫煙したことのない男性は、アブラナ科野菜の摂取が多いと肺がんリスクが51%も低くなることがわかりました。過去に喫煙していた人も、肺がんリスクが41%低くなっていました。アブラナ科の野菜には、ブロッコリーやキャベツ、からし菜などがあります。これらの野菜には辛味成分であるイソチオシアネートという物質が多く含まれており、このイソチオシアネートは発がん物質の排出を高める作用が報告されています。アブラナ科の野菜を多く摂取している人ほど、動脈硬化や血管疾患が少ないという報告もあります。女性も喫煙習慣がある男性も、アブラナ科の野菜を意識して食べることには健康上のメリットが大きいといえるでしょう。ただし、野菜や果物を食べれば、がんの発症リスクが確実に下がるというわけではありません。野菜・果物の摂取量とがんの関係については、今後のさらなる研究が待たれます。とはいえ、少なくとも現時点の研究結果から、胃がん、食道がん、肺がんの予防に効果が期待できそうだということは間違いありません。💛富山県の友人から電話がかかってきて「肺がんで入試している」という。「医者は打つ手がないという」言葉をなくすも、以前一緒に仏教大学のスクーリングしていた頃のことを話す。いずれは私も である。せめては友人の回復を祈るとともに、アブラナ科の野菜をせっせと食べよう!
2024.11.30
ボーイズ・ビー・アンビシャス 内村鑑三(「内村鑑三信仰著作全集20」p.132) Boys be ambitious 1927年9月27日午後2時半 北海道大学中央講堂にて ただ今、総長佐藤〔昌介〕先生からごていねいなご紹介の辞をいただきましたが、先生のお言葉の中にたいせつな言葉が抜けている。それは、私は農学士内村鑑三であるとのことであって、私がここに立つのは、なつかしい母校に帰って諸先生ならびに多くの後輩諸君と顔を合わせるのであって、特別にありがたく思う次第である。 私はこの題を掲げましたが、私は、ウィリアム・エス・クラーク先生が五十年前この校を去るに臨んで、島松の原頭に馬上一鞭あてて、あとに従う学生一同に向かって叫ばれた「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という簡単な言葉を、いかなる意義によって残されたかを考えてみたい。(略)「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の精神は、当時のニューイングランドの文献を調べて見れば、すでに各州に発表されてあったことは疑いのない事実であって、クラーク先生がこの言葉を発せられるに至った経路を考えるに、先生の生国すなわちニューイングランドにはこの精神が充ち満ちていて、その精神的環境の中から、ブライアント、トロー、エマソンのごとき偉人を生み、また先生を生んだのである。 そのニューイングランドのピューリタンの意気が、先生を通してこの言葉となったのであって、この簡単な言葉の背後に全ニューイングランドあるを考える時に、これ実に意味深い言葉となるのである。札幌の今日あるを得たのは、クラーク先生を通してニューイングランドの気風が大いに貢献したところあるを思うときに、札幌はいっそう貴いものになる。 まず「ボーイ」とは何をさすのであるか、この言葉の意味を研究してみたい。普通ボーイと言えば、二十五歳以下の青少年をさすのであるが、ここに言う「ボーイ」は決してこれに限らないと思う。「ボーイ」とは実に「アンビションを有する人」の謂(いい)で、前途の希望に邁進している者は、年は六十を越えてもなお「ボーイ」である。二十歳前後の人々のみを目ざして、先生が「ボーイ」と言われたのではないと思う。私自身はまだアンビションを持っているから、自分が「ボーイ」であることを確信している。人が「ボーイ」であることを確信している。人が「ボーイ」であるか、「マン」であるか、「オールドマン」であるかは、その人の心持によってきまるものである。 次にアンビシャスまたはアンビションについて考えてみたい。日本語に訳せば、まあ「野心」であろう。「野心」と言うて、太閤秀吉やナポレオンのような軍略的また政治的な野心を考えさせられるから、「大望」と言うたほうが良いと思うが、わかりやすく申せば、将来自分が成し遂げてやろうとする仕事をしっかりきめる精神を言うのである。 それについて今思い出すのは、エマソンの言葉に'Hitch your wheels to the star' (なんじの車を星につなげ)というのがあるが、これは「望みを高くいだけ」ということで、クラーク先生が「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と平易に言うたことを詩的に言い表したのであって、全く同精神に出ている。高いアンビシャスを持つのは、低いアンビシャスを持つよりはるかに善きことである。ある人の言うたごとくに、「失敗は罪ではない。目的の低いのが罪である。」高い目的を持つことが、人生を最も有意義に用うるゆえんである。(略)難しいかもしれない。生涯をささげて成功しないかも知れない。しかしながら「失敗は罪ではない」。あとから来る人々の成功の道案内たることができれば、それは実に尊いことである。「なんじの車を星につなげ」である。 今年、日本を訪れた北極探検の成功者、ノルウェー人アムンゼンはまことに幸運児で、彼は南極探検に成功しており、彼に次いで英人のスコットも南極を究めたが、彼らに先立って南極探検を企てたシャクルトンはまことに気の毒な人であった。南緯八十八度二十三分という南極近くまで接近しながら、いかにしてもその先にはいることができず、二度試みて二度とも失敗したのである。ついに目的に成功しないで死ぬるに際し、家族に遺言して、自分の骨は今後南極探検を企てる人々の通路に当たる個所に葬ってくれと言うた。その遺志によって、彼の遺骸はサウス・ジョージア島に葬られた。実に彼はみずからは成功しなかったけれども後進の道しるべとなることに甘んじたのである。事実、彼の探検の経験は、後の成功者の貴重な参考となったのであった。この精神でアンビションを持つことである。(略)それなら、あなたはどうであるかと、諸君は言われるかも知れない。われわれは自分の車をそれぞれ種々な星につないで、どうにかこうにか、ある所まで、若い時にいだいたアンビションを成し遂げて来ていることを、諸君にお話することができる。 まず第一に佐藤総長である。今日この札幌において、広大な大学の組織が完備に近づいて来たのは、ひとえに総長閣下の努力のたまものである。ドクトル佐藤は今日なお「アンビシャス・ボーイ」であって、彼の車をつないだ星にますます近づかんとしておられる。 宮部先生は私とは同窓同室の最も親しい友人であって、かつて一度もけんかしたことのない君子であるが、世界植物学者と伍(ご)して遜色のないりっぱな方であることは、諸君すでに熟知のことである。Dr. Miyabe hitched his wheel to the botanical star である。 南先生はわが国農学界の権威者にしてその恩人なることは何びとも異論ないところであって、尊敬すべき多くの弟子を国の内外に持っておられる。 新渡戸稲造君は学校時代から何かなすだろうと期待されたものであるが、ジュネーブで理事長〔正しくは事務局次長〕の仕事を勤められ、各国人の中に伍(ご)しながら令名を博せられた。ドクトル新渡戸もまた彼の車を善い星につないだのである。 南日本において教育に従事し、りっぱな仕事をやった、私の尊敬する友人岩崎行親君のごとき、みなみな最も良き星に彼の車をつないだのである。 さて不肖私が私の生涯の車をつないだ星は実は二つあった。その一つは魚類額であって、私は学校では水産に趣味を持ち、卒業論文には "Fishery as Science" を書いたのである。魚類学に次いで私は漁労学を学んだ。これを今日まで持続しておったならば、あるいは当大学の水産学の講座を受け持つようになっておったかも知れない。ところが幸か不幸か、私はもう一つ他の星に私の車をつないでおったのであって、その星とは、「キリスト教を純日本人のものとなし、これをもって日本を救い、かつ世界における日本国の使命を果たさしめん」とするアンビションであった。そしてこの方がとうとう本物になってしまった。今日になって見ると、私もまた自分の若い時にいだいた理想をどうにかこうにか実現することができたと諸君に申し上げることができるのである。私の書いた『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』という英文の小さな書物は、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマーク等の国語に訳され、今でも盛んに読まれているという次第である。(略) 諸君よ、諸君もまた今の時代に諸君の車を星につなぐべきである。今この講堂の前に胸像となっておられるクラーク先生が、仮りに私の姿として、この壇上に諸君に向かって立っているとして、私は先生に代わって、もう一度、諸君に向かって叫ぶ・・・・・・ボーイズ・ビー・アンビシャス!(1928年1月『聖書之研究』)
2024.11.30

[内閣名] 第55代石橋(昭和31.12.23〜32.2.25)[国会回次] 第26回(常会)[演説者] 石橋湛山内閣総理大臣(代理岸信介)[演説種別] 施政方針演説第二十六回国会に臨み、石橋内閣の施政の方針を申し述べることといたします。 二大政党による国会の運営が、真に国民の期待に沿い、国民の信を一そう高めるためにとるべき方途は一、二にとどまりませんが、その中でも、特に、自由民主党及び日本社会党の両党が、外交を初め、国政の大本について、常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合せるべきことについては相互に協力を惜しまず、世界の進運に伍していくようにしなければならないと思うのであります。国会に国民が寄せる信頼は、民主主義の基であります。これにいささかなりともゆるぎがあってはなりません。そのためには、個人としてはもとより、公党の立場においても、清廉はつらつの気風をふるい起こし、常に国家の永遠の運命に思いをいたし、地方的利害や国民の一部の思惑に偏することなく、国民全体の福祉をのみ念じて国政の方向を定め、論議を尽していくように努めたいのであります。(略)当面の重要施策について決意を述べたのでありますが、この機会に、私は、国民各位、とりわけ、わが国の将来をになう青年諸君が、自主独立の精神に燃え、世界平和の旗手として新日本を建設せんとする決意を深められるよう、切望いたしたいのであります。自主の思想は、模倣と雷同によってはつちかわれず、実にみずからの探求においてのみ得られるものであります。このため、私は、今後、いろいろの機関を通じ、青年諸君はもとより、広く各層の国民各位と接触し、国民の声を聞き、同時に、私どもの考えているところも率直に申し上げ、国民とともにある明るい政治を築くようにしたいと念願しておる次第であります。
2024.11.30

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の2【4】(前略)およそ事は成り行くであろう先を、前に定めることにある。人は生れるれば必ず死ぬべきものである。死ぬべきものという事を前に決定(けっじょう)すれば、生きているだけ日々利益である。これが私の道の悟りである。生れ出ては、死のある事を忘れてはならない、夜が明けたら暮れるということを忘れてはならない「浜松の中村譲庵はいつも「我が事を先に先にとすれば悪、人の事を先に先にとするは善になる。」と、教えられた。新田地を大場治平と共同して経営したとき、時々波浪のために堤防が荒らされ、そのたびに費用と手数がかかってやりきれない。子息の棒屋中村藤吉氏がこれを放棄したほうがよいと、父に迫ったとき、父譲庵は大変怒って 「己れはソロバンを以てせぬ。教えによって開発する」と叱ったという。」 当時の遠州の報徳人は、このような利他の心意気を持っていて、「推し譲る」行いを「平然」と「実行」していたのである。」☆「尊徳の裾野」に美津という二宮先生の家で働いていた剣持広吉の娘が病気で亡くなるとき、二宮先生が「ひとたび夜の明け候えばひとたび日の暮るることと申すことを、もっぱら承知いたしおり候」いう道理を諭されたのを聞いていたので、安心して死んだという話が載っている。これも尊徳先生の常の仰せとして「およそ事は成り行くであろう先を、前に定めることにある。 人は生れるれば必ず死ぬべきものである。 死ぬべきものという事を前に決定すれば、生きているだけ日々利益である。 これが私の道の悟りである。 生れ出ては、死のある事を忘れてはならない、 夜が明けたら暮れるということを忘れてはならない」ということを深く脳裏に刻んでいたからだろう。「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」p.104の「現代に生きる報徳」に浜松酒造の中村保雄氏は「決断するとき、間違わずに済む何かが報徳思想にはある」とある。「何か」とは中村譲庵の常の仰せ「我が事を先に先にとすれば悪、人の事を先に先にとするは善になる。」「私はソロバン(損か得かの利害勘定)で行動しない。報徳の教えによって開発する」であろうか。💛『報徳』12月号の裏表紙に『安居院庄七 50歳からの大冒険』のクラウドファンディングが紹介された。「報徳の教えによってクラウドファンディングする」(^^)
2024.11.30

市内で活躍されている市民活動を広く一般の市民の方に周知・アピールするため、2024年12月14日(土)から12月27日(金)の約2週間、市民活動パネル展示を藤沢市役所本庁舎1階にて実施いたします。12月13日(金)にパネル設営を、12月27日(金)に撤収をいたします。 市民活動パネル展示 【パネル設置】 2024年12月13日(金) 15:30~17:00 藤沢市役所本庁舎1階 【パネル撤収】 2024年12月27日(金) 14:00~15:00 藤沢市役所本庁舎1階本会のクラウドファンディングのちらしをA2に拡大し、立体装飾をして、展示します。
2024.11.30

ポテトチップスを食べ続け、7歳で失明…人間の味覚を子供の頃から鈍らせる食品の正体小学生の頃からフライドポテトやポテトチップスばかり食べていた英国の少年が、「17歳で失明した」という症例を英ブリストル医科大学の研究チームが発表した。彼が疲労感を訴えて初めて医師の診療を受けたのは14歳のとき。診察の結果、ビタミン不足と貧血の症状があることがわかり、医師はビタミンB12を投与して、偏った食生活を改善するようにアドバイスした。しかしその後も、フライドポテトやポテトチップス、ハム、ソーセージなどの超加工食品(ultra-processed foods)以外は受け付けない体質になっていた少年の食生活は改善されることはなかった。1年後には聴覚障害や視覚障害の兆候が表れ始める。その後も視覚障害は悪化を続け、17歳でついに失明してしまった。この症例について調べたブリストル医科大学とブリストル眼科病院の研究チームは、偏った食生活による極端な「ミネラル不足」が失明の原因になったと指摘している。この症例報告に対して一部批判はあるものの、英インペリアル・カレッジ・ロンドンのギャリー・フロスト教授は「幅広い多様な食事を摂ることの大切さが改めて示された」と指摘している。ここで疑問が湧き起こる。なぜ、少年はそこまでしてフライドポテトやポテトチップスだけを食べ続けたのか。なぜ、彼の親はそれを止めることができなかったのか。大手の食品会社には顧客の心理や人体などを研究する極めて優秀な社員たちがいる。彼らのマーケティングの王道は「同じ人に何度も食べてもらう」ことだ。言葉を選ばずに言うと、「顧客をいかに中毒にするか」に力を注いでいるのだ。スーパーでリンゴを4個買ってきて、そのうちのひとつのリンゴの皮をむき、食べやすい大きさに等分して、皿にのせて食べ始めたとする。完食したあと、あなたはどんな気持ちになるだろうか?よほどの大食漢でもない限り、「食べ始めたら止まらなくって、残りの3個も食べてしまった」ということはないはずだ。1個食べて満足するか、他のものが食べたくなるだろう。これはバナナでも、イチゴでも、野菜サラダでも同じだ。ところが、ポテトチップスは食べ始めると「止まらなくなる」。袋を開け、はじめは数枚だけ食べるつもりが、しだいに袋に入れる手が止まらなくなる。袋の中のチップスはみるみる減っていき、最後に残った小さなカスのような破片まで丁寧にたいらげてしまう。天然のものを食べたときには起こらないこの現象が、ジャンクフードを食べたときにだけ起こるのはなぜか。人間が味覚を感じるのは「味蕾(みらい)」だ。舌の表面にあるブツブツとしたもので、赤ちゃんの口の中には約1万個あり、それが加齢とともに減少していく。成人で約7000個、高齢者では約3000個に減ると言われている。リンゴやバナナなど天然のものを食べたときには、ひと口ごとに味蕾で感じる喜びが薄れ、だんだんと違う種類の味を欲しがるようになる。この機能があるからこそ人は、様々なものをバランスよく食べるようになっている。ところが、人間に本来備わっている味蕾の感覚を著しく麻痺させてしまう食べ物がある。それこそが「超加工食品」だ。米国糖尿病学会によると「糖分、塩分、脂肪を多く含む加工済みの食品。硬化油、添加糖、香味料、乳化剤、保存料などの添加物を付与して、工業的工程によって作られる、常温でも保存することができ、日持ちする食品」のこと。これによって天然のものを食べたときとは真逆のことが起こる。「これをずっと食べ続けたい」という感覚に陥るのだ。超加工食品による味覚の変化こそが食べすぎにつながり、肥満を引き起こし、食べ物に多様性を求める味蕾本来の性質を破壊してしまう。一度このサイクルに陥ると、天然の食物の味を感じにくくなり、濃い味のジャンクフードでないと「食べた気」がしなくなるのだ。パッケージ食品メーカーはこれを熟知している。そのため、同じ製品を売るなら、新規顧客より既存顧客に売るほうが簡単になる。「お菓子好き」が何歳になっても変わらないのは、メーカーの緻密なマーケティングと、それによって味蕾を麻痺させられてしまった結果なのだ。これは飲料も同じ。ある飲料メーカーの最大の敵は「健康ブーム」だ。どこからどう見ても「体に良さそうではない。でも、甘くておいしい!」という飲料商品にとって、健康ブームは頭痛の種になる。健康志向を謳った他の商品を販売して売上を確保する戦略をとるものの、甘くておいしい主力商品の売上が下がることは避けたい。あるパッケージ食品会社に勤めるアメリカ人の知人がこう言っていた。「どれだけのシュガーが使われているか知っているから、飲む気にならないわ」
2024.11.30

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の1 【37】浦賀(神奈川県浦賀)の人で飯高六蔵は多弁の癖があった。国に帰ろうとして、暇ごいにきた。尊徳先生は飯高を諭して言われた。「あなたは国に帰ったら、必ず人に説く事を止めなさい。人に説く事を止めて、自分の心で、自分の心に意見するがよい。自分の心で自分の心に意見するのは、詩経に「柯(か)を取(と)つて、柯(か)を伐(き)るよりも近(ちか)し」(斧の柄にする枝を伐り取るのに、その長さは手元の斧の柄を標準にする)というそれより容易だ。もともと自分の心であるからだ。意見する心は、あなたの道心だ。意見される心は、あなたの人心だ。寝てもさめても坐っても歩いても、自分の心は離れることがないから、行住坐臥油断なく意見するがよい。もし酒を好むならば、多く飲む事を止めるよう意見するがよい。すぐに止めればよし、止めない時は何度も意見しなさい。そのほか贅沢の心が起る時にも、怠け心が起る時も皆同じだ。万事このようにみずから戒めれば、これは無上の工夫だ。この工夫を少しずつ積んで、自分の身が修まり、家がととのったならば、これは自分の心が自分の心の意見を聞いたということだ。この時になれば、あなたが説くことを聞く者もあろう。自分の身を修めて人に及ぶのが道理だからだ。自分の心で自分の心を戒しめ、自分の心が聞かないうちは決して人に説いてはならない。またあなたが家に帰ったら、商業に従事するのであろう。土地柄といい、先祖代々の家業であり結構なことだ。しかし、あなたは売買しても、決して金を儲けようなどと思ってはならない。ただ商道の本意を勤めるがよい。商人たる者が、商道の本意を忘れる時は、目先の利益を得ても、結局は滅亡を招くだろう。よく商道の本意を守って努力すれば、財宝は求めなくて集まり、富貴・繁昌は量りしれない。必ず忘れてはならない。□二宮先生語録【45】人を戒めようと思ったら、まずみずから戒めることが肝心である。まず自分の道心で自分の人心を戒めてみて、人心が言うことをきいたならば、他人を戒める資格がある。いったい道心と人心とは、狭い胸の中に雑居して、しばらくも離れないものだ。しばらくも離れずにいる道心が戒めて、それでも人心が言うことをきかないのなら、たとい他人を戒めても、だれが聞き入れるものか。それからまた、人心と酒色との結びつきは、わが身を滅ぼすもとになるのだが、しきりにそれにふけりおぼれても、道心でこれを戒めようともしない。戒めないばかりか、逆にその人心にへつらって淫蕩がやまない。惑いもはなはだしいものだ。人はよくその惑いをわきまえて、おのおのみずから道心によって人心を戒めるがよい。十人みずから戒めれば十人がそれで修まり、百人がみずから戒めれば百人がそれで修まり、千人万人がみずから戒めれば、千人万人の修養ができる。これこそ天下の幸福である。💛余語翆厳老師「一瞬一瞬が正念場過去未来は全て頭で作る幻影」正月から毎日数回20〜30分を坐禅している。11月30日(土)②+②(②は数息観200回)瞑想を生活習慣とすることは、現代人にとって益々大切になるように思われる森信三先生が『修身教授録』において「気品を高める上で『慎独』独りを慎むことが大切」と説かれている。坐禅は「独りを慎む」そのものであり、坐禅を続けていると「坐禅中には快感・鎮痛作用を持つ脳内麻薬β・エンドルフィンが分泌され、精神的ストレスが解消される」ことを実体験できる。『報徳』12月号の裏表紙に「安居院庄七 50歳からの大冒険」のクラウドファンディングが掲載されました。
2024.11.30
国民民主・玉木代表「原発推進」要望11月27日夕方、国民民主党の玉木雄一郎代表は、官邸で石破茂首相を訪ね、エネルギー政策に関する提言書を渡した。玉木氏は、政府が策定する次期エネルギー基本計画に、原発の新増設など“国民民主党の主張”を盛り込むように求めたという。 政治担当記者はこう解説する。「首相が官邸で、野党党首から個別政策の要望書を受けるのは異例のことです。玉木氏は、見える形で政策実現を要望することで、できるだけ目立ちたいという狙いもあったのかもしれません。 国民民主党は衆院選では『103万円の壁』の引上げなど“手取りを増やす”経済政策を連呼したことが非常に目立っていたため、原発政策のことを知らない国民も多かったのではないでしょうか。 しかし、9月20日に同党が発表した『重点政策』には、しっかりと『原子力発電所の建て替え・新増設により、輸入に頼らない安価で安定的なエネルギーを確保』と記されていました。2022年の参院選でも、原発の再稼働のみならず、建て替えを公約にしていましたから、原発容認どころか推進派といった態度です。自民党も衆院選の公約で『原子力など脱炭素効果の高い電源を最大限活用する』としていますから、石破首相が反対する理由はないのです」 ただ、国民の関心は“手取りを増やす”から拡大した「非課税となる控除額の引き上げ」に、強く集まっている状況だ。 そして、その議論がやっと動き出した矢先での、玉木氏の素早い“原発要望”とあって、X上では不信感をいだくような投稿が多く見られた。《国民民主党に投票したみなさんは原発新増設を望んで投票しましたか? 多くのひとは「手取りを増やす」と玉木がいうので投票したのではないですか?》《玉木さん国民の手取りを上げるまでは何しても許される雰囲気あるけど、やっぱり、私的には原発は勘弁》《国民民主が今回支持されたのは減税と手取りを増やすことなんだからそれを必死でやれよ》原発に関して取材を続けているジャーナリストの青木美希氏は、選挙期間中に知人が玉木氏に尋ねた内容だとして、11月27日にXでこうポストした。《玉木さんに街頭演説の合間に『原発のことを言わないんですか』と聞いたんです。そしたら『票にならないから』と言っていました》💛『票にならないから』→『原発のことを言わない』民意は『減税と手取りを増やすことなんだからそれを必死でやれよ』かな?
2024.11.30
ウォーキングは血圧に良い効果があるか?英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のJoanna Blodgett氏は、「良いニュースは、身体能力にかかわりなく、短時間で血圧に良い影響がもたらされることだ。われわれの研究は、階段を上ることやちょっとした用事に自転車を使うことなど、日常生活に組み込むことができる、運動に近いあらゆる身体活動の効果を検討した点がユニークだ」と述べている。この研究結果は、「Circulation」に11月6日掲載された。研究グループは、収縮期血圧2mmHg、拡張期血圧1mmHgの低下など、血圧がわずかに低下するだけで、心血管疾患の発症リスクが10%低下する可能性があると指摘。日課に、運動に近い身体活動を1日10~20分程度取り入れることで、それが実現できる可能性があると述べている。 また研究グループは、サイクリング、階段の昇降、短時間のランニングなど、心拍数を上げる身体活動は全て、高血圧を緩和する効果があると説明する。Blodgett氏は、「われわれの研究結果は、ほとんどの人にとって、血圧を下げるには、ウォーキングなどのそれほど負担のかからない身体活動よりも、心拍数を上げるような身体活動が鍵となることを示唆している」と述べている。患者が検証した「血糖値をコントロールする食事と運動」の仕方 食事と運動で、どの程度食後血糖値に差が出るかを検証した患者さんがいました。前年の健診でヘモグロビンA1cの数値が正常だったのですが、翌年いきなり12%に上がり、食後血糖値はピークで250 mg/dLを超えました。そこで、朝食後にウォーキング、昼食後は昼寝、夕食後は運動で体を動かすなど、生活改善に努めながら血糖値を測定しました。 結果は、朝食後にウォーキングした後は、血糖値が上昇しても短時間で低下しましたが、昼食後に昼寝をすると血糖値が上昇した後しばらく下がらず、しかも、下がるまでに時間がかかりました。そこで食事の後に運動するようにしたところ1週間後には血糖値の数値がかなり改善され、1年後にはなんとヘモグロビンA1cが5.6%まで下がりました。その間にダイエットも継続したので、体重は85kgから75 kgまで落ちました。食後の運動が糖尿病の改善に効果的であることを証明する事例でした。 一方、「どのような食べ方をすれば血糖値のコントロールができるか」を検証した患者さんがいました。食事の際に、「野菜から先に食べる」「30回噛んで食べる」「運動はしない」という3つの条件で4日間、同じ内容の食事を食べて血糖値を測定したところ、食後血糖がほとんど上昇しないことが確認できました。
2024.11.30
「人生二度なし」抜粋(「修身教授録」森信三) 古来多くの人が、たえず生きかわり死にかわりするけれど、しかも深く人生の意義と価値とを実現する人の意外に少ないゆえんかと思うのです。 そもそも人生の意義については、いろいろ考え方がありましょうが、われわれ日本人としては、自分が天から受けた力をこの肉体的生命の許される限り、十分に実現して人々のために尽くし、さらにこの肉体の朽ち果てた後にも、なおその精神がこの国土に残って、後にくる人々の心に、同様な自覚の火を点ずることにあるかと思うのです。かくしてわれわれが人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るのでは、まだ十分とは言えないです。というのも、この肉体の朽ちると共に、同時にその人の存在の意味も消え去るというのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は十分には生きていなかったという、何よりの証拠と言ってよいでしょう。尊徳翁はその「夜話」の中で面白いことを言っています。それは「生きているうちに神でない人が、死んだからといって、神に祀られる道理はない。それはちょうど、生きているうちに鰹でなかったものが、死んだからといって、急に鰹節にならぬのと同じだ」という意味のことを言っていますが、さすがに大哲人の言葉だけあると思います。ですから、生前真にその精神の生きていた人は、たとえその肉体は亡びても、ちょうど鐘の余韻が残るように、その精神は必ずや死後にも残ることでしょう。こう考えてきますと、諸君らは生れて20年、今こそここに志を立てるべき時です。・・・このような志が真に確立しない限り、諸君らは真に深く自分の生命を愛惜するとは言えないでしょう。何となれば、真の精神は不滅であり、いかに凡人でもその生涯を深い真実に生きたならば、必ずやその死後、何らかの意味でその余韻を残しているからです。・・・人間が死後にも生きる精神とは、結局はその人の生前における真実心そのものだということです。すなわち、その人の生前における真実の深さに比例して、その人の精神は死後にも残るわけです。かくして人生の真のスタートは、何よりもまずこの『人生二度なし』という真理を、その人がいかに深く痛感するかということから、始まると言ってよいでしょう。」と言われて、先生は黒板を正しく縦に消されて、一礼して静かに退室された。「修身教授録」第8講 気品(同著330~334ページ)抜粋「さて今日は、『気品』という問題についてお話したいと思うのですが、そもそも気品というものは、ある意味からは、人間の値打のすべてを言い表すと言ってもいいでしょう。・・・実際気品というものは、その人から発する、いわば内面的な香りとでも言うべきもので、ここぞと、形の上にいって捉えることのできないものです。・・・ さて気品というものは、かようにその人の最も深いところから発するものであるだけに、これを得るには一体どうしたらよいかということが、いわゆる知識の修得などのように、簡単にはまいりません。おそらく気品というものほど、われわれ人間にとって得がたいものは、外にないかも知れません。というのも気品というものは、これをその根本から申せば、単に一代の修養だけでは、十分には得られないとも言えるからです。すなわちそこには、遺伝とかあるいは生まれつきとか、とにかくそこには、ある先天的なるものが働いているわけであって、それに対しては、後天的な人間一代の努力や修養だけでは、どこかに及びがたいところがあるといえましょう。・・・ しかしながら、仮に遺伝と言ってみた所で、ではその遺伝は一体どうして生じたかと、さらにさかのぼって考えてみれば、やはりそれは、祖先代々の修養の集積と言う外ないでしょう。してみれば、真の気品というものは、人間一代の修養のみでは、その完成に達し得ないほどに根深いものおであると同時に、他面また気品を身につけるには、依然として修養によって心を清める以外に、その途のないことが明らかなわけです。・・・ では、いかなる修養が、人間の気品を高める上に役立つかと申しますと、・・・とくに根本的なものは何かというと、私の考えでは、内心のけがれを除くということかと思われます。すなわち『慎独』、つまり独りを慎むということでないかと思うのです。・・・気品を高める工夫は人格の最奥所、すなわち何人も容易に窺い得ない心の奥底の曇りを拭って、その乱れを防ぐということではないかと思うのです。・・・他人と相対する場合、わが内心の曇りをはらって、常にそのこころの清らかさを保つということも、もとより大切ですが、しかし気品を高める上から申せば、独りを慎むということの方が、ある意味ではより大切と言えましょう。」
2024.11.29

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の3【13】某村に貧人の若者あり、困窮甚しといへども、心掛け宜し、曰く、我が貧窮は宿世(すくせ)の因なるべし、是れ余儀なき事なり、何卒(なにとぞ)して、田禄を復古し、老父母を安んぜんと云ひて、昼夜農事を勉強せり、或る人両親の意なりとて、嫁を迎へん事を勧む、某曰く、予至愚且(かつ)無能無芸、金を得るの方を知らず、只農業を勉強するのみ、仍て考ふるに、只妻を持つ事を遅くするの外、他に良策無しと決定せりと云ひて、固辞す。翁是を聞きて曰く、善哉(よいかな)其の志や、事を為さんと欲する者は勿論、一芸に志す者といへども、是を良策とすべし、如何となれば人の生涯は限りあり、年月は延す可らず、然らば妻を持つを遅くするの外、益を得るの策はあらざるべし、誠に善き志なり、神君の遺訓にも、己が好む処を避けて、嫌ふ処を専ら勤むべし、とあり、我が道は尤も此の如き者を賞すべし、等閑(なほざり)に置く可からず、世話掛たる者心得あるべし、夫れ世の中好む事を先にすれば、嫌ふ処忽に来る、嫌ふ処を先にすれば、好む処求ずして来る、盗(ぬすみ)をなせば追手が来り、物を買へば代銀(だいぎん)を取りに来る、金を借用すれば返済の期が来り、返さゞれば差紙が来る、是れ眼前の事なり。【13】ある村に貧しい若者がいた。困窮がひどいといっても、心掛けはよかった。彼が言うに「私の貧窮は前世の宿因でしょう。やむをえません。なんとかして、先祖伝来の田畑をを昔のように復し、老いた父母を安心させたいものです」と言って、昼夜農事を勉め励んでいた。ある人がご両親がお望みだと言って、嫁を迎える事を勧めた。若者は言った。「私は愚かでかつ無能・無芸であり、金を得る方法を知りません。ただ農業を勉め励むだけで、そこで考えるに、ただ妻を持つ事を遅くするほか、他に良策はないと心に決めています」と言って、固辞した。尊徳先生はこれを聞いておっしゃった。「その志は善いことだ。事を為そうと欲する者はもちろん、一芸に志す者でも、これを良策とするべきだ。なぜなら人の生涯は限りがある。年月は延すことはできない。そうであれば妻を持つのを遅くするほかには、益を得る方策はないだろう。誠に善い志だ。神君の遺訓でも、自分が好む処を避けて、嫌うところを専ら勤めるべきである、とある。私の道はもっともこのような者を賞するべきである。なおざりにしてはならない。報徳をこころがける者は心得えなければならない。世の中は好む事を先にするならば、嫌うところがたちまちに来る、嫌うところを先にするならば、好むところは求めなくても来る、盗みをすれば追手が来る、物を買えば代金を取りに来る、金を借用すれば返済の期限が来て、返さなければ差し押さえ状が来る、これは眼前の事だ。💛「報徳」12月号が届いた。裏表紙に「「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中」の記事が載る。報徳を勤めていると 報徳の仲間が助けてくれる という感を強くする。残念なことにまだまだ支援は少なく、目標は達成しがたいが、報徳の志を持つ仲間に心底から感謝する。小冊子「安居院庄七先生小伝」と「大冒険」は確実に報徳の種まきをした、次の世代への贈り物として(^^)
2024.11.29
鎌倉時代の木棺墓出土=宋時代の青磁、周辺に有力者か―京都 京都府教育委員会は29日、弥生時代から中世の集落跡が確認されている女布遺跡(舞鶴市)で、鎌倉時代の木棺墓1基が出土したと発表した。底面から約5センチの部分がほぼ完全な状態で残り、これほど保存状態が良い例は全国でも珍しいという。棺の中から中国・宋時代の青磁のおわん1点も見つかり、府教委は「日本海での交易に通じた有力者が埋葬された可能性がある」としている。 府教委によると、出土した木棺墓の底板は長辺が160センチ、短辺が60センチ。棺の中から見つかったおわんは、宋時代に中国・浙江省にあった龍泉窯で作られ、口縁部が欠け、ひびが入っていた。 龍泉窯製の青磁のおわんは平安京や太宰府など政治的に重要な拠点で出土が多いといい、府教委は女布遺跡周辺にも貴重なおわんを入手できる有力者がいたことが明らかになったとしている。
2024.11.29

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話【43】尊徳先生はおっしゃった。「村里の復興は正直な人を挙げることにある。土地の開拓はよく肥えた土地を挙げることにある。ところが、善人はおうおう退いて引きこもる癖があるものだ。勤めて引き出さなければ出ない。よく肥えた土地は必ず低いくぼんだ所にあって掘り出さなければあらわれないここに気づかないで、開拓した土地をならしてしまえば、よく肥えた土地は皆土中にうずまってあらわれない。村里の損失は、これ以上のことはない。村里を復興するのもまた同じ理だ。善人を挙げて隠れないように勤めるがよい。また土地の改良をのぞむならば、よく肥えた土地を掘り出して田畑に入れるがよい。村里の復興は、善人を挙げ、精を出す人を賞誉することにある。これを賞誉するには、投票で耕作に精を出して品行がよく心がけがよい者を選んで、無利息金を貸し付けるとよい。無利息金貸付旋回法は、たとえば米をウスでつくようなものだ。杵(きね)は、ただウスのまんなかをつくだけであるが、ウスの中の米は同一に白米になるのと同じ道理だ。無利息貸付金の返済さえとどこおらなければ、社中一同が知らず知らず自然と富裕になっていこう。だが、返済がとどこおるときは、たとえばウスの米がかき混ざらないようなものだ。これがこの仕法の大きな患いである。ウスの米がかき混ざらない時は、むらつきとなって、米が折れ砕くるものである。この仕法で返済がとどこおる時は、仕法が萎えしおれてふるわなくなるものだ。貸付を取り扱う時、よくよく注意して説諭しなさい。」◆報徳秘録【41】村里を風化して善行に帰せんとせば、村民をして善者を入札せしめ、是を称するにあり。然れども、始めは凡庸の常、依怙(えこ)を用ひ、己の意に合せる者を挙げて、善者なりと云ふ。己の合せざる者は入札せず、故に人情の帰する所の終始を知らざれば益なしとして、是を患ふ。嗟(ああ)然らず。是れ始め民心定らず。善悪未だ明かならざるが為なり。此の如くして息(やす)まざれば、遂に依怙変じて実義に至るなり。何なれば、始め依怙を以て挙げる者、称を得て更に恩を感じず、無利金返す道だも立たず。是れに於いて、再び入札するに、己の目の善にあらずして、悪に組するの心顕るる。故に、一度(たび)は上の咎めを恐れ、一は衆人の吾れを悪(にく)み、組すると云はんを憚る。是の時に当り、静かに衆に云ふべし。村人彼れを善なりと云ひ、挙げたり。故に之を称す。然るに彼返金も立たず、家をも治めず、善者は是の如き者か、恐らくは衆人の目当て差(たが)へたるに非ずやと。民是に於いて、非を侮(くゆ)るの心起り、年を追て善者を挙るに至る。譬へば米をつくが如し。庸夫嘗(かつ)て疑わず、臼の中央をつひて息(やす)まず怠らず、数万の杵を臼の中央に落して、更に他の念無し。始めは更に精白に至るの姿なし。遂に白精に至る時は、何億万の米粒尽く同白に至る。入札して已まざるも、入札して已まざるも、其れ猶此の如し。嗚乎(ああ)、聖人の道なり。天下を治る、一人毎に改心せしむるに非ず。唯(ただ)其の要をつくのみ。凡夫の米をつくや、大道有り。つく者知らずと雖も其の行い差はず。若し其の速やかに白ならざるを憂ひて、粒々に就て白に至るを求めば、何れの時か億万の米粒白に至らんや。大道を行ふ者道を知り、是を行つて、息まず患はざるにあるのみ。☆二宮先生の仕法で注目されるのが、投票で仕事に精出し善良なものを選び出して表彰するというやり方だった。投票によって一番札の多かった順から表彰することが一番公平なやりかたであることを知っておられ、実践された。報徳外記にはこうある。「廃国、衰村を復興するには、『直きを挙げてまがれるをおく』(論語)にある。『直きを挙げる』には投票をもちいる。すなわち自分の判断を用いないで人の意見をとるのである」
2024.11.29
「長生きできるか」を左右する腸内代謝物ポリアミン脳腸相関の最新研究を解説した『「腸と脳」の科学』から腸内環境が乱れると不眠、うつ、発達障害、認知症、糖尿病、肥満、高血圧、免疫疾患や感染症の重症化……と、全身のあらゆる不調に関わることがわかってきているこうした研究から、認知症の発症と相関関係のある腸内代謝物の一つとしてポリアミンが同定されました。ポリアミンは、プトレッシン、スペルミジン、スペルミンの総称で、すべての生き物の細胞で合成され、細胞の増殖や分化など、細胞のさまざまな生命活動に関わっています。ポリアミンは細胞を正常に保ち、生命活動を維持するのに必要不可欠な物質です。残念ながら、ポリアミンを産生する能力は、加齢とともに低下していきます。ちなみにポリアミンは、さまざまな食品にも含まれていて、小麦胚芽や納豆、大豆、熟成チーズやキノコ、エンドウ豆、ブロッコリーなどにも含まれています。細胞を構成しているタンパク質は、時間とともに自然に壊れてしまうのではなく、一定時間後に細胞によって能動的に分解されます。つまり私たちは、タンパク質の合成と分解のバランスによって生きています。このタンパク質の分解には、寿命の短いタンパク質の分解を司るオートファジーと呼ばれるしくみと、寿命の長いタンパク質(ほとんどの細胞を構成するために必要なタンパク質)の分解を司るプロテアソーム系と呼ばれるしくみがあります。オートファジーは、細胞内に異常なタンパク質が蓄積するのを防いだり、過剰に合成したタンパク質を除去したり、栄養環境が悪化した場合、自分自身のタンパク質を分解してエネルギーを産生したりすることに役立っています(※参考文献4-8,4-9)。なお、オートファジーのしくみを解明した大隅良典博士は、2016年ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。このオートファジーの機能の調節に、ポリアミンが重要な役割をしています。具体的には、細胞内で増加したポリアミンが、オートファジーを促して細胞内に蓄積した老廃物を取り除くように作用し、細胞内の環境をよい状態に保つことがわかったのです。ヒトのさまざまな臓器や組織にもポリアミンは含まれていますが、そのポリアミン濃度(とくにスペルミジン)は、加齢とともに減少します。30~50歳代の血中スペルミジン濃度の平均値は、60~80歳代の平均値と比較して約3倍高くなっています。一方で、90~100歳超の平均値は、30~50歳代の平均濃度と同程度であることが報告されています。どうしてかというと、90~100歳超でスペルミジンの合成量が増加するというわけではなく、血中のスペルミジンを高濃度に維持できた人だけが長く生きることができるということを示唆しています。ポリアミンを培養液や餌などに添加して酵母やショウジョウバエ、線虫に与えたところ、寿命が延びたまた心疾患モデルマウスにポリアミンの一つ(スペルミジン)を経口投与したところ、心機能が改善されました小規模な臨床試験ですが、体格指数(BMI)が高め(つまり肥満気味)のヒトに、腸内のポリアミン濃度を高めることができる、ある種のビフィズス菌とアミノ酸の一つであるL−アルギニンの混合物を摂取してもらうと、動脈硬化に対して予防効果があることも報告されましたポリアミンが認知機能にも作用するか、研究が進められました。ヒトと同様に、マウスも高齢になると認知機能が低下します。そこで高齢マウスにポリアミンの一つであるスペルミジンを経口投与し、認知機能への影響が解析されました。解析の結果、経口投与したスペルミジンが、マウスの脳に直接到達していることがわかりました。スペルミジンを経口投与し続けた高齢マウスに認知機能テストを行い、認知機能にどのような効果が見られるのか確かめました。その結果、空間学習能力や記憶力に改善が見られたこれは、脳の海馬と呼ばれる記憶学習を司る部位のニューロンが、ポリアミン(スペルミジン)の摂取により活性化されやすくなっており、その結果、弱い刺激でも効率的に記憶学習が起こるように変化していたポリアミンの一つであるスペルミジンを摂取することで、認知機能の低下を抑制できる可能性があることが示唆された「アルツハイマー病発症」の原因が「腸」にもあるアルツハイマー型認知症をはじめとする認知症では、脳のニューロンにタウと呼ばれるタンパク質またはアミロイドβと呼ばれるタンパク質が異常に蓄積しています。細胞内には、微小管と呼ばれるタンパク質があり、細胞分裂や細胞内のさまざまな物質を輸送する際のレールの役目を担っています。この微小管にタウタンパク質が結合することで、微小管の構造を安定化しています。しかし、ひとたびタウタンパク質に異常が起こると、タウタンパク質同士が互いに凝集して線維状の構造をとるようになり、細胞内で蓄積し、除去が難しくなります。一方、アミロイドβは、脳内にあるアミロイドβ前駆体タンパク質が酵素によって切断されることで産生されます。タウタンパク質と同様に、互いに凝集して線維状の構造をとるようになると、細胞外で蓄積し、除去することが難しくなります。これまでの研究から、タウタンパク質やアミロイドβの異常な蓄積がニューロンの細胞死を引き起こし、認知症の原因となる可能性が報告されています。しかし、なぜ異常な蓄積が起こるのか、その詳細な機構については明らかになっていません。蓄積させない方法や、蓄積後に効率よくニューロンから除去するしくみが解明できれば、認知症の治療や予防につながると考えられています。じつはタウタンパク質やアミロイドβ以外にも、認知症に関係するタンパク質がいくつか知られています。それは、血中で水に溶けないコレステロールなどの脂質を運搬する役目を担っているリポタンパク質です。また、このリポタンパク質に結合して脂質の可溶性を補助しているのが、アポリポタンパク質です。アポリポタンパク質にはさまざまな種類がありますが、その中でもアポリポタンパク質E(アポE)には3種類の遺伝子型があり(それぞれE2、E3、E4遺伝子と呼びます)、ヒトはそのうちのどれか一つを保有しています。その中でもE4遺伝子を保有していることがアルツハイマー型認知症を発症する危険因子として知られています。ヒトで見られるアルツハイマー型認知症の症状をマウスで引き起こすためには、アルツハイマー型認知症の発症に関連するヒトの遺伝子をマウスの遺伝子と入れ替える必要があります。具体的には、ニューロンにタウタンパク質が異常に蓄積するヒト由来の遺伝子変異(タウ遺伝子変異体)とヒト由来のアポE4遺伝子の2つを、マウスがもともと保有しているタウ遺伝子とアポE4遺伝子と入れ替えたマウス(TE4マウス)が作出されました。このTE4マウスは、加齢によってタウタンパク質がニューロンに異常に蓄積し、アルツハイマー型認知症を自然に発症します。これまでの研究から、認知症の発症により腸内マイクロバイオータの組成が大きく変化することが明らかになっていました。そこでこのTE4マウスの腸内マイクロバイオータの組成を変化させた際、ニューロンにタウタンパク質の蓄積が起こるのかどうかについて解析が行われました。驚いたことに、TE4マウスを無菌状態、つまり腸内マイクロバイオータが存在しない条件で飼育したところ(無菌TE4マウス)、ニューロンへのタウタンパク質の蓄積が抑えられ、アルツハイマー型認知症の発症が通常よりも遅くなりました。一方で、無菌TE4マウスに正常マウスの腸内マイクロバイオータを移植すると、ニューロンにタウタンパク質が蓄積するようになり、アルツハイマー型認知症の発症が通常よりも早まったのです。腸内マイクロバイオータが腸内に存在することでアルツハイマー型認知症を発症するまでの時間が短くなったということは、腸内マイクロバイオータによって産生される何らかの腸内代謝物とアポE4が相互作用することで、ニューロンへのタウタンパク質の蓄積が促され、アルツハイマー型認知症を引き起こしていることを示します。逆にいえば、アポE4遺伝子をたとえ保有していたとしても、ニューロンへのタウタンパク質の蓄積を引き起こす腸内マイクロバイオータや腸内代謝物を同定さえできれば、アルツハイマー型認知症の発症を抑えることが可能になるかもしれないということです。私たちの周囲にはさまざまな微生物が存在しています。そのため、完全に無菌の状態で生活することは困難ですし、生まれたときから腸内には母親由来の腸内マイクロバイオータが存在しています。そこで、通常の環境で飼育したTE4マウスに、認知症を発症することのない成長期の短期間だけ抗菌剤を投与し、腸内マイクロバイオータを一時的に除去しました。その結果、無菌TE4マウスとは異なり、アルツハイマー型認知症の発症を遅らせる効果は見られませんでした。しかし、成長期に抗菌剤を投与したオスマウスにだけニューロンへのタウタンパク質の蓄積が若干抑えられていたのです。この結果は、いったい何を示すのでしょうか?まず、オスの無菌TE4マウスと、成長期に抗菌剤を投与したオスマウスの腸内代謝物の組成が比較されました。その結果、成長期に抗菌剤を投与したオスマウスでは、腸内代謝物に短鎖脂肪酸(酢酸、プロピオン酸、酪酸)が統計的に有意に多いことがわかりました。そこで、腸内マイクロバイオータの中でも短鎖脂肪酸を合成する腸内細菌を除去したところ、アルツハイマー型認知症の発症が抑えられたのです。一方で、TE4マウスの餌に短鎖脂肪酸を添加して与えるとニューロンにタウタンパク質が異常に蓄積しました。つまり、腸内マイクロバイオータが産生する短鎖脂肪酸がニューロンへのタウタンパク質の蓄積を引き起こしたのです(※参考文献4-19)。しかしながら、この研究成果が、そのままヒトにも当てはまるのかについては、現時点では不明です。この章で取り上げたさまざまな研究成果から、腸内マイクロバイオータや腸内代謝物と記憶や認知機能との間には相関関係がありそうだといえます。ただし、注意しなければならないのは、これらの物質の生体への作用は極めて複雑で、「特定の細菌や腸内代謝物が腸内に存在すると、記憶力の低下や認知症の発症を防げる(あるいは病気にかかる)」といった単純なものではなさそうだということです。今後の研究の進展が待たれます。注意しなければならないのは、スペルミジンがどのようにして認知機能を改善するのか、また1日の食事でどれくらいの量のスペルミジンをどれくらいの期間にわたって摂取すればよいのか(毎日摂取するのがよいのか、週に1度の摂取でよいのかなど)、といった因果関係については明らかになっていません。今後の研究に期待したい💛つまりは、「小麦胚芽や納豆、大豆、熟成チーズやキノコ、エンドウ豆、ブロッコリーなど」を摂取すると、「アルツハイマー型認知症予防」や「長命」に資する可能性があるということかなあ?納豆、大豆、熟成チーズ、ブロッコリーは毎日摂取してるぞ(^^)
2024.11.29

11月29日(金)森町のMさんから「報徳」12月号の裏表紙の裏面に載せていただいた『大冒険』の写真が送られてきました。大日本報徳社の御厚意に感謝です。「報徳」を広める活動を行っていると「報徳の仲間」に助けられることを実感します。「現代語訳 安居院義道」でも、浜松の報徳者が酒屋で「元値売り」を始めたところ、報徳連中が資金を貸してくれて、成功した話が載っています。(p.95「報徳社中が・・・販売を加勢したところ、仕入方の値段が格安になり」)残念なことにクラウドファンディングの支援者数は伸びませんが、今回のプロジェクトで松田のKさんご夫妻の力添えもあって秦野・松田地区に安居院先生と井上静男先生の功績を知らせる何がしかの役割を果たせたものと思います。
2024.11.29

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)「二宮翁夜話」巻の1【8】尊徳先生はおっしゃった。世の中に誠の大道はただ一筋だ。神といい、儒といい、仏という。皆同じく大道に入るべき入口の名だ。あるいは天台といい、真言といい、法華といい、禅というのも、同じく入口の小道の名だ。何の教え、何の宗旨といようなものは、たとえばここに清水(せいすい)があり、この水で藍をといて染めるのを、紺屋といい、この水で紫をといて染めるのを、 紫屋というようなものだ。その元は一つの清水だ。紫屋で私の紫の妙なる事は、天下の反物を染めるもので、紫ほど尊いものはないとほこり、紺屋ではわが藍の徳たる、広大無辺である、だから一度この瓶に入れば、物として紺でないものはないというようなものだ。このために染められた紺屋宗の人は、自分の宗の藍よりほかに、有り難い物はないと思い、紫宗の者は、自分宗の紫ほど尊い物はないというのと同じだ。これは皆いわゆる三界城内を、躊躇して出る事ができない者だ。紫も藍も、大地に打ちこぼす時は、また元のように紫も藍もみな脱して、本然の清水に帰る。そのように神儒仏を初め、心学・性学など枚挙にいとまがないが、みな大道の入口の名だ。この入口がいくつあっても至るところは、必ず一の誠の道だ。これを別々に道があると思うのは迷いだ。別々であると教えるは邪説だ。たとえば富士山に登るようなものだ。先達によって吉田口から登るものがあり、須走口より登るものがあり、須山口より登るものがあるとっても、その登るところの絶頂に至れば一つである、このようでなければ真の大道とはいえない。しかし誠の道に導くといって、誠の道に至らないで、無益の枝道に引き入れる、これ邪教という。誠の道に入ろうとして、邪説にだまされて枝道に入って、また自ら迷って邪路に陥いるもの世の中に少くない。慎まなければならない。
2024.11.29
京都御所で秋の特別公開、35年ぶり室内空間を再現京都御所(京都市上京区)で27日、秋の特別公開「宮廷文化の紹介」が始まった。最も格式の高い正殿「紫宸殿(ししんでん)」では正面を通る特別な参観ルートが設けられ、高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)を見学できる。また清涼殿では平安時代から宮中行事として行われてきた「更衣(ころもがえ)」の様子を人形を用いて再現している。12月1日まで。
2024.11.29
マイナ保険証“1415人の医師・歯科医師”が国を訴えた「行政訴訟」に東京地裁が“棄却判決”本件訴訟で争われたのは、医療機関等に「オンライン資格確認」を義務づける法的根拠規定とされているのが、国会が制定する「法律」ではなく、閣議決定に基づいて定められた下位規範の「療養担当規則」(厚生労働省令)であることの是非である。原告の主張は、この点が、「国会は(中略)唯一の立法機関である」と定める憲法41条と、「療養の給付」の内容を具体的に定める健康保険法70条1項に違反するというものだった。須田医師:「近年、政府は国会を無視し、多くの事項を閣議決定で決め、既成事実にする政治を行ってきた。(そのことに異議を唱えたい。)私たちが決して、マイナ保険証そのものを否定しているわけではないことを理解していただきたい」二関弁護士:「本件訴訟で主張しているのは『法律の委任がないのに規則で義務付けることはおかしい』という憲法・法律上の問題であり、それは、現実にシステムを導入している医療機関が何%かということとは区別して考えるべきだ。その理屈を、最後まできちんと議論したいというのが我々の立場だ」また、須田医師も次のような指摘を行った。須田医師:「オンライン資格確認の義務化に伴って廃業した医療機関の数を確認中だ。私たちの肌感覚として、かなりの人が明らかに現実に苦しめられている。特に、過疎地の医療機関ほど苦しく、過疎地に住む人々の医療が切り捨てられるおそれもある。私たちは、少しでも、1人でも廃業する人を減らすべきだと考えている。オンライン資格確認のシステムを導入していない医療機関の割合が少なくなれば問題がないということではない」マイナ保険証システム義務化は適法 医師の違法確認を棄却 東京地裁 マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」を読み取るオンラインシステムの導入を医療機関に義務付けた厚生労働省の省令を巡り、医師1415人が義務化に従う必要がないことの確認を求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、医師側の請求を棄却した。岡田幸人裁判長は、義務化を適法だと判断した。 医療機関は従来、健康保険証かマイナ保険証のいずれかで保険資格を確認してきたが、国は「デジタル化でよりよい医療を提供する」として厚生労働省令を改正。2023年4月からマイナ保険証で患者の保険資格を確認できるようにする体制整備を医療機関側に義務付けた。 訴訟では、この改正省令が、保険診療のルールを定めた健康保険法の趣旨を超えた違法なものかが焦点となった。判決はまず、健康保険法が医療機関の守るべき内容を厚労省令に委ねているとした。 さらに、オンラインシステムの導入で、患者が受け取っている薬の情報を医療機関と共有することができるようになり、より適切な医療の提供が期待できると指摘。一部のシステムで不具合が起きたことは認めつつ、国民の生活の安定と福祉の向上という健康保険法の目的に、システムの義務化が整合しないとは言えないとした。 義務化による体制整備で医療機関に経済的負担が生じるとしても、事業継続が困難になるとは直ちに言えず、改正省令は健康保険法の趣旨を超えていないと判断した。 佐藤一樹・原告団事務局長は判決後の記者会見で「義務化による現場の負担を訴えたが、判決では無視され、残念だ」と話した。医師側は控訴する方針。 政府はマイナ保険証の推進に伴い、12月2日に現行保険証の新規発行を終了する💛11月27日市役所のマイナンバーサポートオフィスでマイナンバーに健康保険証を連動させてきた。個人的にはさほどメリットは感じないが、日本国の「国民の生活の安定と福祉の向上」のために(^^)
2024.11.29
国民民主、衆院で初の法案単独提出 「103万円の壁」引き上げ明記国民民主党は28日「年収103万円の壁」の見直しに向け、政府が講じる措置などを定めた法案を衆院に単独で提出した。所得税がかかる課税水準を178万円に引き上げると明記した。 衆院選で議席が28に増え、法案提出に必要な21議席を超えたことから、衆院では初の単独提出となった。玉木雄一郎代表は記者団に「21議席以上を与えていただいたからこそ出せる法案。経済政策を具体的に法案の形で示せたのは非常に画期的だ。感慨深いものがある」と述べた。「これから厳しい交渉に臨む。法案が交渉を後押しする一助になればと思う」財源明確化、国民民主に求める 年収の壁で「論点」提示 自公両党11/28(木) 自公両党は、目的や財源といった「論点」を提示。財源確保に関しては「歳出削減」「経済効果による増収」「家計の負担増とならない増税」の三つの考え方を挙げ、党としての方針明確化を求めた。 国民民主は、所得税の非課税枠を178万円まで引き上げるよう主張。政府はこの場合、国と地方を合わせて約7兆~8兆円の税収減になると見込み、自治体からは財政運営への悪影響を懸念する声が出ている。 国民民主は、年収の壁の引き上げ財源の一部に税収の上振れ分を活用する考えを示している。これに関し、協議に同席した自民税調の後藤茂之小委員長は記者団の取材に「経済効果による税収は恒久財源ではない」と指摘した。 自公両党は論点で、地方税の個人住民税の扱いも取り上げた。非課税枠の引き上げは、国税の所得税だけでなく個人住民税も対象とするのか、地方の自主財源の恒久的減収を伴う見直しに対して地方団体の理解をどう得るのかといった点を挙げた。このほか、アルバイトをする学生らが年収103万円を超えると、その親が「特定扶養控除」を受けられない問題に対応するための年収要件の引き上げについても、財源などを論点として示した。💛消費税と地方消費税の割合を変更して、国税から地方に消費税を譲って対応すべきでは?財務省と総務省の利害を分断するべき。消費税率および地方消費税率については次のとおりです。標準税率(注1) 軽減税率(注2)消費税率 7.8% 6.24%地方消費税率 2.2%(消費税額の22/78) 1.76%(消費税額の22/78)合計 10% 8%
2024.11.29
平野レミ「最愛の人の不在は、息子にも嫁にも穴埋めできない」レミ:昔の料理本って、レシピが1から20くらいまであって長いの。読んでられないから文章の短い料理から作ってました。だから私のレシピはもっと短くしようと思ったんです。私は無精で気短だから、パパッとできないとイヤなの。レミ:私が長年仕事ができているのは、私の料理に賛同してくれる人たちがいるからだと思います。テレビでは「はい、完成で~す!」なんて豪快にやっちゃうけど、食べたら意外とおいしいって、みんな言ってくれるのよね。レミ:私はもともと気短だから時短料理をつくってたのよ。時代に先駆けて、すごく早かったわね(笑)。料理の名前も長いのはイヤだから短くして。私は私のやり方でしかできないから、他の人のことはお構いなしでした。作り方がどうであれ、楽しくておいしければそれでいいじゃないですか。たとえば魚はふつうはお皿に寝っ転がってるけど、立たせて盛りつけちゃうの。鯛のお尻から菜箸を刺して、まわりにツマを置いてね。そうするとテーブルに凹凸ができてすごくいいのよ。ブラジルのシュラスコみたいに、みんなでちぎりながら食べたら楽しいじゃない。レミ:人生やってて、ウフフって笑える楽しいことが大好きね。まじめもいいけど、その中にちょっと面白いって気持ちが入ってるとすごくいいと思うんです。レミ:料理の先生たちだってその人のベロで作ってるんだから、私だったらこうやるっていうのを自分のベロで見つけるのがいいんです。料理するときに塩や胡椒や唐辛子の量のメモをとっておいたりしてね。成功したときは楽しいですよ。 私、料理の仕事が来たとき、嬉しくて眠れなかったもん。一日中台所に立って、和田さんも息子も寝ちゃってるけど、なんでこんなに楽しんだろうって思いながら夜中にひとりでガンガン料理してましたね。作るのも食べるのも好きだし、みんなが喜んだ顔を見るのも楽しいんです。夫の和田誠さんが亡くなられてから、もう5年でしょうか。レミ:10月7日が命日だから、6年目に入っちゃった。早いね。レミ:和田さんは静かな人だけど、私は声が大きくてベラベラ喋る。だけど合っちゃうのよね。初めてご飯を食べに行ったとき、和田さんはどっしりしてて、地面に足がついてる感じがして今までの男の人とは違ったんです。私が喋ったことを受け止めてくれてね。一緒にいてすごく楽しかった。いい人だったんですよ、和田さんって!レミ:和田さんがいるだけで安心するの。夜まで家で仕事をしていても、和田さんがガチャガチャって鍵をあけて玄関から入ってくると嬉しくてしょうがない。レミ:ほんとに好きでしょうがないときがあるのよね。「和田さんのことが好き。どうしよう。なんでこんなに好きなんだろう、好き好き、好きだよ!」って言うと、「よかったね」って言ってくれるんです。でもね、死んじゃうのよ。死んじゃったんですよ。レミ:ずっと一緒だった和田さんがいなくなっちゃったんだから。私はひとりぼっちになっちゃって、息子がいても、嫁がいても、誰にも穴埋めはできない。この寂しさ、悲しさ、心細さみたいなのは。ただ、ありがたいことにいっぱい仕事が来るんです。和田さんがいなくなっちゃった寂しさを紛らわそうと思って、与えられた仕事を無我夢中でやっているうちに、ここまで来ちゃったんです。もう丸5年よ。レミ:だから、お料理が好きでよかったと思ったね。楽しいんだもん。料理がなかったら私、何してたんだろうな。みんなも自分の好きなものを見つけたほうがいいかもね。レミ:この世に何十万、何千万っていう夫婦がいて、その片割れがかならず先に死んで、ひとり生き残る。残された人はものすごく苦しくて、寂しくて、悲しい思いをするんですよね。それが私にもきちゃった。でも私が残ってよかったと思います。和田さんが残っちゃったらご飯も作れないし、寂しかったと思うから。——和田さんのご著書のなかで大切な一冊を教えていただけませんか?レミ:文章を担当した本だけでも、二百何十冊あるんですって。私が今読んでるのは『わたくし大画報』(ポプラ社)。家庭画報じゃなくて、『わたくし大画報』。和田さんはめったに自分のことを書かない人なんだけど、この本には和田さんのことも、家のこともいっぱい書いてあって、1ページ目から私の話が出てくるんですよ。カバーの(買い物袋などを持った男性の)シルエットが和田さんにそっくりでしょ? 近所のスーパーでよく買い物してくれてたんですよ。
2024.11.28

引退まで「1250本のラケットを一本も折らなかった」ラファエル・ナダル38歳の四大大会22勝より大切なこととは…「小さな村の良き人間として」「あなた自身は人々からどんなふうに記憶されたいですか」ナダル「タイトルの数や記録よりも、良き人間として覚えておいてほしいかな。マヨルカの小さな村の少年は、叔父がテニスコーチという幸運に恵まれ、どんなときでも力になってくれるすばらしい家族がいて、夢を持って一生懸命がんばってきた。そんな一人の少年が、夢見ていたよりもはるかに遠いところまでたどり着き、今この場所にいる。そう記憶してくれればうれしい」
2024.11.28

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の1【11】 儒学者があって尊徳先生に言った。「孟子はやさしいが、中庸(*)は難かしい」と。尊徳先生はこうおっしゃった。「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、孟子は難しく、中庸は易しい。なぜかといえば、孟子の時代には、道は行れず、異端の説が盛んであった。だからその弁明をするため、道を開いたのだ。したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。君らが孟子を易しいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。君らが学問をするの心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、道を実践するために修行しているのではない。ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。聖人の道というものが、どうしてそのようなものであろうか。聖人の道は仁を勤めることにある。五倫五常を行うにある。どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。人を言いまかすことをもって勤めとしようか。孟子はすなわちこれである。このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。容易に実行しがたい。だから孟子は難しいというのだ。中庸は通常平易の道であって、一歩より二歩、三歩と行くように、近きより遠きに及んで、低いとことから高いところに登り、小より大に至る道であって、誠に行いやすい。たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。愚夫愚婦にもできない事はない。この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。いたって行いやすい道である。だから中庸というのだ。私が人に教えるに、私の道は分限を守るをもって本となし、分内を譲るをもって仁となす と教えている。なんと中庸であって行いやすい道ではないか。 *「中庸」は儒教において、「四書」の一つ。『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆され、儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。しかし孔子は「民に少なくなって久しい」とこの「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ないといった。天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹。恐懼乎其所不聞。莫見乎隱。莫顯乎微。故君子愼其獨也。喜怒哀樂之未發謂之中。發而皆中節謂之和。中也者天下之大本也。和也者天下之達道也。致中和天地位焉萬物育焉。天命これを性と謂ひ、性に率(したが)ふこれを道と謂ひ、道を修むるをこれを教と謂ふ。道なるものは須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。是の故に君子は其の睹(み)えざる所に戒慎し、其の聞こえざる所に恐懼す。仲尼曰。君子中庸。小人反中庸。君子之中庸也。君子而時中。小人之反中庸也。小人而無忌憚也。仲尼(ちゅうじ:孔子)曰く、君子は中庸す。小人は中庸に反す。君子の中庸は、君子にして時に中す。小人の中庸は、小人にして忌憚(きたん)無きなり。子曰。中庸其至矣乎。民鮮能久矣。子曰く、中庸は其れ至れるかな。民能(よ)くする鮮(すくな)きこと久し。
2024.11.28

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の5【6】翁曰く、囲穀(かこいまい)数十年を経て少しも損ぜぬ物は、稗(ひえ)に勝(まさ)れるはなし、申合せて成る丈(だけ)多く積み置くべし、稗を食料に用ふるに、凶歳の時は糠(ぬか)を去る事勿れ、から稗一斗に小麦四五升を入れて、水車の石臼にて挽(ひ)き、絹篩(きぬぶる)ひに掛けて、団子に制して食すべし、俗に餅草(もちくさ)と云ふ蓬(よもぎ)の若葉を入るれば、味好(よ)し、稗を凶歳の食料にするには、此の法第一の徳用なり、稗飯にするは損なり、されど上等の人の食料には、稗を二昼夜間、水に漬(つ)けて、取り上げて蒸籠(せいろう)にて蒸して、而して能く干し、臼にて搗(つ)き、糠(ぬか)を去りて、米を少(すこし)く交ぜて、飯に炊(かし)ぐなり、大いに殖(ふえ)る物なれば、水を余分に入れて、炊(かし)ぐべし、上等の食に用ふるには此の法に如(し)くはなし、されば富有者自分の為にも、多く囲ひ置て宜敷(よろし)き物なり、勉めて積み囲ふべし。【6】尊徳先生はおっしゃった。穀物を貯蔵して数十年を経て少しも損じない物は、稗(ひえ)にまさるものはない。申し合せてなるだけ多く貯蔵するがよい。稗を食料に用いるに、凶歳の時は糠(ぬか)を去ってはならない。から稗一斗に小麦4,5升を入れて、水車の石臼でひいて、絹篩(きぬふるい)にかけて、団子にして食べるとよい。俗に餅草という蓬(よもぎ)の若葉を入れると、味もよい。稗を凶歳の食料にするには、この方法が第一だ。稗飯にするのは損だ。しかし上等の人の食料には、稗を2昼夜の間、水につけて、取り上げ蒸籠(せいろ)で蒸して、よく干し、臼で搗いてヌカを去って、米を少し交ぜて、飯に炊く。大いに増えるものであるから、水を余分に入れて、炊くがよい。上等の食として用いるこの方法が一番よい。そうであるから富裕の者も自分のためにも、多く貯蔵しておいてよい。つとめて貯蔵するがよい。💛11月27日(水)大日本報徳社に「若き鷲山恭平先生の像」を載せた新バージョンのちらしをレターパックで送り、メールで、常会等で配付をお願いした。〇〇さんから返信があった。「写真と違い、描いたものは温かみがあり、良いですね。よく似てます。12月の常会は8日になります。配布させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。」
2024.11.28

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話残篇【29】尊徳先生がおっしゃった。「方位をもって禍福を論じ、月日をもって吉凶を説くことが昔から行われている。世の中の人はこれを信じているが、この道理はあるはずがない。禍福や吉凶は方位や日月などの関するところではない。これを信ずるのは迷いである。仏教では『本来東西無し』とさえ言う。禍福や吉凶は、自分の心と行いが招くから来るものであり、また過去の因縁によって来ることもある。ある禅僧が強盗にあった時の歌に、前の世の借りを返すか今貸すか、いずれ報いは有るとしぞしれと詠んだとおりであろう。必ず迷ってはいけない。盗賊は鬼門(東北の方向)から入ってくるのではない。悪い日にだけ来るわけでもない。戸締りを忘れれば盗賊は入って来ると思え。火の用心を怠れば火災が起こるであろう。試しに戸を明けておいて見るがよい。犬が入ってきて食べ物を求める。これは目の前の事実である。古語にいう。『積善の家に余慶あり積不善の家に余殃(よおう)あり』と。これは古今を通して動かない真理だ。決して疑ってはならない。これを疑うのを迷いという。米を蒔いて米が実り、麦を蒔いて麦が実るのは、眼前の事実であって、年々歳々違わない。天理であるためだ。世に不成就日という、しかし、この日に行うことは随分成就している。吉日だからといって行った事が必ずしも成就するわけではない。吉日を選んで行った婚姻も離縁になる事がある。日を選ばないで結婚したのにともに末永く添い遂げるものもある。こうした禍福吉凶に関する事は決して信じてはならない。信ずべきは『積善の家余慶あり』の金言だ。しかし、余慶も余殃(よおう)もすぐに回り来るものではない。百日で実るソバがある。秋に蒔いて次の年の夏に実る麦がある、ことわざに桃栗8年というようなものだ。因果にも応報にも遅い速いという事があることを忘れてはならない。💛○○さんに井上静男先生の「安居院庄七先生小伝」をお送りしたら、お礼の手紙があった。「この世界レベルでの分断の時代に尊徳思想は打開の切り札になる力を秘めているのかなと思いつつ、一方で尊徳は藩の力、庄七は地主の力を借りて改革に取り組んだのに、現代のフラットな身分関係の中で、どのような展開があるのかなという点に興味をひかえました。」12月15日(日)に袋井市で「第11回報徳講座」を開催する。実に11年間続いている。「継続は文化である」ということを言われた方がいるが、報徳の伝統のある遠州ならではこそ、年に一度の「報徳講座」に聴衆が集まってくださるという想いを深くする、今回も本会伝統の対話篇を行う。鈴木藤三郎曽孫のTさんと本会のMさんに対話篇を手伝ってもら、岡田良一郎と鷲山恭平の対話を演じてもらう。Mさんによく三遠農学社社長 松島授三郎が若い頃、早死にすると予言され、荒木由蔵に相談したところ「心配しなさんな。報徳をやれば長生きできる」と言われ、予言された年に水害であやうく命を失うところを救われ、報徳のお蔭であると一層報徳の普及に励んだという話をする。「現代にどのような展開があるのか」は分らないが、報徳のお蔭でこうして11年にもわたる「報徳講座」が継続して講演できることに感謝である。💛M様 ありがとうございます12月15日の「第11回報徳講座」の助力、よろしくお願いします。「CFの反応があまりないのがきになります」とのご指摘大きく自己負担せざるを得ない状況です。おそらくはクラウドファンディングによる出版はこれが最後となるでしょう。「勤労」「分度」「推譲」という報徳の無限循環のサイクルは「報徳の精神」そのもののようです。「勤労」しているからこそ、「推譲」が可能になります。「報徳」とは天地の恵みや先人の推譲に感謝して、その御礼として「勤労」から生み出したものを世の中や次の世代へと押し譲ることにほかなりません。「報徳の精神とは、私たちは先人のおかげで今ここに幸せにしていられる。そうであれば、私たちもまた後の世代に何かよいものを残さなければならないということです。これらの資料集を通じて後の世代に伝えたいのです」
2024.11.28
奈良・飛鳥宮跡で最大の建物跡が出土 天武天皇に関わる私的な施設か11/27(水)飛鳥時代の歴代天皇の宮殿が重なる奈良県明日香村の飛鳥宮跡(国史跡)で、宮内最大の大型建物跡が確認された。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が27日発表した。天武天皇(在位673~686年)が即位した飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の時期の建物とみられ、規模や建築構造の特徴から、天皇や皇后の私的な施設だった可能性が指摘されている。見つかったのは、1辺1・5~1・7メートル、深さ1・5~2メートルの掘っ立て柱の抜き取り穴14個。隣接地で同規模の柱穴12個が見つかった2009年度の調査結果とあわせ、東西約35・4メートル、南北約15メートルの四方にひさしを持つ大型建物跡と確定した。 宮跡の中枢部「内郭(ないかく)」にある天皇の住居とされる正殿(東西約24メートル、南北約12メートル)や、天皇が政務や儀式を執り行う大極殿(だいごくでん)との説が強い「エビノコ大殿」(東西約29・2メートル、南北約15・3メートル)よりも大きいが、現地は内郭の外側(北西約40メートル)にあたり、国内初の本格的な宮廷庭園跡「飛鳥京跡苑池(えんち)」(国史跡、名勝)と隣接する。 構造に特徴があり、母屋の東西の柱と柱の間隔は約3メートルだが、両端だけ約4・2メートルとやや広い。平城宮内裏や、天武天皇の孫にあたる長屋王の邸宅などでしか確認されていないという。専門家からは、皇后の住まいや、天皇の特別な行事に使われた施設などとの見方も出る。飛鳥時代の歴史に詳しい猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「規模と格式から言えば、天皇の住まいでもおかしくない。飛鳥宮の構造に見直しを迫り、のちの藤原宮、平城宮、平安宮につながる長い歴史の中で考えるべき重要な発見だ」と話す。天武、持統両天皇の住まいか 飛鳥宮「塀の外」で最大建物跡確認奈良県明日香村の飛鳥宮跡北側の7世紀後半の遺構が、東西35・4メートル、南北15メートルと宮最大の建物跡であることが確認された。27日発表した県立橿原考古学研究所(橿考研)は「天武、持統両天皇の住まい『内裏(だいり)』と考えられる」とするが、宮殿中枢「内郭」外側に位置しており、なぜ塀の外に重要建物があるのか謎は深まっている。 遺構は2009年度に見つかり、22年度にも関連遺構を発見。今回の発掘で建物南東角部分の柱穴計14カ所が見つかり、推定だった建物規模が確定した。柱列は二重にあることから寺院建築などにみられる四面庇(ひさし)付き建物とみられる。東西の端だけ柱間が中間部より広いという平城宮内裏と同じ特徴もあり、南向きに建てられている構造や規模を考えても、内裏の可能性が高いという。 飛鳥宮の内郭外には南東側にも「エビノコ郭」と呼ばれる区画がある。中央の建物跡は東西29・2メートル、南北15・3メートルと今回の建物に次ぐ規模で、国家儀礼の場「大極殿」とみられている。飛鳥宮内郭には天皇の御殿「内安殿(うちのあんどの)」、臣下が控える「外安殿(とのあんどの)」、酒宴の場「大安殿(おおあんどの)」とみられる建物跡があるが、いずれも今回の大型建物より規模は小さい。 藤原宮以降は内裏や大極殿は内郭内の中央部に配置された。また宮のモデルとなった古代中国の都城は異民族の侵入に備え、高い城壁で中枢部を守る厳重な構造だった。鶴見泰寿・名古屋大教授(考古学)は「藤原京遷都を控えた仮の内裏だったため、内郭の外の空いた場所に建てたと考えられる。今後の調査による解明が期待される」と話している。
2024.11.27

来年後期のNHK朝ドラ「ばけばけ」 ヒロイン夫は「SHOGUN 将軍」出演の英国人俳優 バンドのボーカルも11/27(水) 俳優のトミー・バストウが、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」で、女優の高石あかり演じるヒロインの夫役として出演することが27日、大阪市内の同局で行われた会見で発表された。「怪談」などで知られる、明治の文豪、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)をモデルにしたヘブンを演じる。 バストウは英国出身で、2005年に俳優デビュー。昨年、エミー賞で作品賞などを受賞したテレビシリーズ「SHOGUN 将軍」では、日本語が堪能なポルトガル人司祭を演じた。ミュージシャンとしても活動し、ロックバンド「FranKo」のボーカルを務めている。◎ドラマ「SHOGUN 将軍」のマルティン・アルヴィト司祭役で知られるバストウは、候補者1767人の中からオーディションを勝ち抜いてヘブン役を射止めた。彼は「モデルになったハーンさんを調べていくうちに、これは大きなチャレンジだと感じました」と演じるにあたっての思いを振り返り、「彼と私は似ているところも、全然違うところもある。私の経験を使いながら、ハーンさんのエッセンスを嘘偽りなく伝えていきたい」と続ける。似ている要素を聞かれると「日本が大好きで冒険も好き! 繊細なところもあります」とにこやかに答えた。バストウは10月から日本に滞在し、日本語の勉強中。これまでも10年ほど学んでおり日本語は堪能であるが、日常生活で話すチャンスがなかなかないため、製作陣に「現場での会話は、基本的には日本語を使いたい」と頼んでいるそう。日本で楽しみにしていることを聞かれたバストウは「朝ドラのスケジュールはすごく大変だと聞きました」と笑いつつも、「日本の文化をもっと深く知りたい。おいしいごはんも楽しみたいです」と目を輝かせ、「何よりもラーメンが大好き」だと明かした。最後にバストウは「精一杯がんばります!」と挨拶する。高石は「この物語のモデルになった2人の空気感が私は大好きなんです。それは2人だけの愛があるからだと思っています。視聴者の皆さんにしっかりとお届けできるよう、トミーさんとコミュニケーションをたくさん取って、楽しい撮影期間になればいいなと思っています」とバストウとの共演に期待した。Tommy Bastow On His Shogun Culture Shock & Practice For Priesthood今回朝ドラのオーディションを受けた理由を聞かれると、流暢な日本語で「長い間日本で働きたいと思いました」と日本活動に意欲を示し「オーディションについて恩があります。『SHOGUN 将軍』での共演者・穂志もえかさんがこのオーディションについて教えてくれました。もえかさんがこのオーディションを教えてくれなかったら絶対知らなかった。出ませんでした。すごく恩があります」と同作に藤役として出演していた女優・穂志もえかへの感謝を語った。今回「ばけばけ」のヘブン役には、国内246人、海外から1521人(アメリカ1352人、イギリス 149人、オーストラリア・ニュージーランド20人)の1767人の応募の中からオーディションで選出された。外国人の夫・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と共に、「怪談」を愛し、急速に西洋化が進む明治の日本の中で埋もれてきた名も無き人々の心の物語に光をあて、代弁者として語り紡いだ夫婦の物語。実在の人物である小泉セツ(1868-1932)をモデルとし、大胆に再構成、登場人物名や団体名などは一部改称して、没落士族の娘・松野トキをヒロインにフィクションとして描く。「日本の第一印象は、できるだけ早く書き残しておきなさい」。来日後まもなくお会いすることのできたある親切な英国人の教授は、私にこう助言してくれた。「第一印象というのは、しだいに消えてゆくものです。そしていったん薄れてしまうと、もう戻ってきません。この国で、どんな不思議な感動をこれから受けようとも、初めての印象ほど、心が動かされることはないでしょう」ー本文「東洋の第一日目」(『新編 日本の面影』所収)よりー
2024.11.27
山下智久、国際エミー賞で快挙!主演海外ドラマ「神の雫」が連続ドラマ部門受賞「夢が一つ叶いました」11/26(火)山下智久が主演を務めたHuluオリジナル「神の雫/Drops of God」が、国際テレビ芸術科学アカデミーが主催する第52回国際エミー賞で、連続ドラマ部門を受賞。Hulu Japan の作品および海外ドラマ初主演を務めた山下は、国際エミー賞初ノミネートにして初受賞という快挙を達成した。受賞を受け、山下、著者の亜樹直がコメントを発表した。山下「このような素晴らしい賞を頂けてとても光栄で嬉しく思っております。夢が一つ叶いました。応援してくださっている全ての方のおかげです」「勇気と根気の必要な挑戦でした」「文化、言葉の異なるクルーと共に努力し、一丸となり作品に注力して良かったと心から思えます」「言語や文化の壁を超えて、心を一つに支え合う事ができるという事を学ばせて頂きました。これからも挑戦を続けていきたい思いです。家族、友人、携わってくださった全てのスタッフ、ファミリーに心より感謝いたします」著者の亜樹「私たちのワイン愛から生まれた漫画『神の雫』が、ドラマとして生まれ変わり、世界中に愛され、受賞しました。これほど嬉しい事はありません。関係者の皆様、そして視聴してくださった全ての人に感謝致します」
2024.11.27

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の2【10】尊徳先生がある村を巡回される時、怠け者で掃除をもしない者があった。先生はおっしゃった。「汚穢(おわい)を窮めること、このようなら、お前の家はながく貧乏神のすみかとなるだろう。貧乏を免れようと欲するなら、まず庭の草を取って、家を掃除せよ。不潔このようである時には、また疫病神も宿るであろう。よく心がけて、貧乏神や、疫病神に入られないように掃除せよ。家に汚物があれば、蠅が集ってくるように、庭に草があれば、蛇や毒虫がいい所があったと住むようになる。肉が腐れれば蛆(うじ)が生じ、水が腐れればボウフラが生ずる。そうであれば、心身がけがれて罪とがが生じ、家がけがれて病いが生ずる。恐るべきことだ」とさとされた。また一戸、家は小で内外清潔の家があった。尊徳先生はおっしゃった。「この家の者は遊惰、無頼、博徒のたぐいであろう。家のなかを見るに、俵もなく、よい農具もない。農家の罪人であろう」と。村の役人は先生の明察に驚いた。★森信三先生は、「われわれ人間が、この二度とない人生を真実に生きようとしたら、「師」を持たなければならない。真に生きた真理は、これを生み出した人自身によって語られ、さらにはその人が実践されるのを目の当りに見るのでなければ、真実の趣は分り難い。」と言われている。
2024.11.27

「「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて」『二宮翁夜話』「百里の道も一歩よりはじまる。千石の米も一粒からである。積小為大(せきしょういだい)をわすれて、一攫千金を夢みる一発主義くらい、危険なものはない。」二宮翁夜話巻の1【30】翁曰く、世の中、大も小も限りなし、浦賀港(うらがみなと)にては米を数ふるに、大船にて一艘(そう)二艘(そう)と云ひ、蔵前にては三蔵四蔵と云ふなり、実に俵米は数を為さざるが如し、然れども、其の米大粒なるにあらず、通常の米なり、其の粒を数ふれば一升の粒六七万有るべし、されば一握りの米も、其の数は無量と云ふて可なり、まして其の米穀の功徳に於(おい)てをや、春種を下(くだ)してより、稲生じ風雨寒暑を凌(しの)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(つ)き上げ白米となすまで、此の丹精容易ならず実に粒々辛苦なり、其の粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(つ)ぐ、其の功徳、又無量ならずや、能く思ふべし、故に人は小々の行ひを積むを尊(たふと)むなり、予が日課繩索(なはない)の方法の如きは、人々疑はずして勤るに進む、是れ小を積みて大を為せばなり、一房(ふさ)の繩にても、一銭の金にても、乞食に施すの類(るひ)にあらず、実に平等利益の正業(せいげふ)にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳を驚かすのみにして、人々及ばずとして、退けば詮(せん)無き物なり、縦令(たとひ)退かざるも、成功は遂げ難き物なり、今爰(ここ)に数万金の富者ありといへども、必ず其の祖其の先一鍬の功よりして、小を積んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代の橋杭(はしくひ)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌(しの)ぎ、日々夜々に精気を運んで長育(ちやういく)せし物なり、而して昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへども、又大木となる疑ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々弁(わきま)へて、大を羨(うらや)まず小を恥ぢず、速かならん事を欲せず、日夜怠らず勤むるを肝要とす、「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」【30】尊徳先生はおっしゃった。世の中は、大も小も限りがない。浦賀港では米を数えるのに、大船で一艘(そう)二艘と言い、蔵前では三蔵四蔵と言う。実に俵米で数えるのは数に入らないようである。しかし、その米が大粒であるわけではない、通常の米だ。その粒を数えれば一升の粒は6,7万あるであろう。そうであれば一握りの米も、その数は無量といってもよい。ましてその米穀の功徳においてはなおさらだ。春に種を下してから、稲が生じ風雨や寒暑をしのいで、花が咲き実って、またこきおろし、つき上げて白米とするまで、この丹精は容易なものではない、実に粒々辛苦だ。その粒々辛苦の米粒を日々無量に食べて命を継いでいる。その功徳は、また無量ではないか、よく思うがよい、だから人は小さい行いを積むことを尊ぶのだ。私が教える日課繩ないの方法は、人々が疑わないで勤めるように勧めている、これが小を積んで大をなす方法だ、一房の繩でも、一銭の金でも、乞食に施すの類ではない、実に平等利益の正業であって、国家興復の手本だ。大きい事業は人の耳を驚かすだけであって、人々がとても及ばないと、退くならば仕方が無い。たとえ退かなくても、成功は遂げがたい。今ここに数万金の富者があるといっても、必ずその祖先が一鍬の功から、小を積んで富をいたしたに違いない、大船の帆柱、永代の橋杭などのような大木であっても一粒の木の実から生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難をしのいで、日々夜々に精気を運んで生育したものだ。昔の木の実だけが生育するだけでない、今の木の実でも、また大木となることは疑いない、昔の木の実が今の大木となり、今の木の実が後世の大木なる事を、よくよくわきまえへて、大を羨(うら)やまず小を恥かしがらず、速かであろう事を欲しないで、日夜怠らず勤めることを肝要とする、「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」💛Sさんから手紙をいただいた。「安居院庄七先生小伝」をお送りしたお礼である。その一節に「この世界レベルでの分断の時代に尊徳思想は打開の切り札になる力を秘めているのかなと思いつつ、一方で尊徳は藩の力、庄七は地主の力を借りて改革に取り組んだのに、現代のフラットな身分関係の中で、どのような展開があるのかなという点に興味をひかれました。」とあった。森信三先生は尊徳先生のことについてこうおっしゃられた。「日本民族中、ある意味では最大の偉人ともいうべき二宮尊徳の思想と精神が、21世紀を迎えるにあたり、われら日本民族の指導原理として、再び脚光を浴びるのもそう遠くはないか、と思われるのである。」森先生は、全世界がこれに目覚めるのはおそらくは21世紀の後半であろうと予言された。
2024.11.27
職場で〇〇さんが お米がおいしくてつい食べ過ぎてしまう と言うので「私はご飯は夕食に食べるだけで 朝はじゃがいもを食べています」じゃがいもも炭水化物じゃないの?テレビで じゃがいも や ヨーグルト を先に食べると 食後血糖値の急激な上昇を抑えるとあったので、試しているところですが、体調的にはいいようです。じゃがいもは糖尿病やガンの予防によい「ジャガイモは、2型糖尿病のリスクを減らす効果があるとは言えませんが、健康的な方法で調理すれば、悪い食物ではありません」「糖尿病や肥満を予防・改善するためには、ジャガイモを他の野菜を分けて考えるべきですが、白米やパン、パスタなどの精製された穀物をジャガイモに置き換えれば、ジャガイモは良質な炭水化物の供給源になり、食物繊維やその他の栄養素も豊富に含まれているので、食事の質を向上できます」ジャガイモには血糖値の上昇を抑える食物繊維が含まれており、白米やパンなどに比べると血糖値の上昇が穏やかになると言われています。さらにジャガイモの可食部には、抗酸化作用のあるビタミンCや糖質や脂質の代謝を促すビタミンB2、塩分の排出を助け高血圧予防になるカリウムなど健康に不可欠な栄養素が豊富に含まれている◎ヨーグルトを最初に食べると血糖値の上昇が抑えられる。秘密は、ヨーグルトに含まれるタンパク質にあります。ヨーグルトには、血糖値を下げるホルモン、インスリンの分泌を促す栄養のタンパク質が含まれています。ヨーグルトを食べると、インスリンの分泌量を増やす腸管ホルモン、GLP-1がどんどん放出されます。インスリン分泌量が少ない方、働きが悪い方も、ヨーグルトを食べるとGLP-1の分泌量が増え、インスリンがしっかり作用するようになり、血糖値のトラブルが起きにくくなります。
2024.11.26

「「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて」二宮翁夜話 巻の4【32】尊徳先生がおっしゃった。およそ事業を成功しようと欲するならば、始めにその終りを詳細にさせておくべきだ。 たとえば木を切るようなときは、まだ切らない前に、木の倒れるところを、詳細に定めなければ、倒れる時にあたって、どうにも仕方が無くなるものだ。だから私は印旛沼を事前調査した時も、事業完成後の見込み調査も、一度に実施しようといって、どのような異変が起こっても、失敗がない方法を工夫した。相馬侯が、相馬藩を復興する方法を依頼してきた時も、着手から以前の180年間の収納を調べて、分度の基礎を立てた。これが荒地を開拓し、成功するための用心だ。私の方法は分度を定めることをもって本とする、この分度を確立し、これを厳格に守るならば、荒地がどれほどあっても借財がどれほどあっても、何を恐れ何を憂えることがあろう、私の富国安民の方法は、分度を定めるということ一つであるからだ。この皇国は、皇国だけに限り、この外へ広くする事は決してならない。そうであれば、10石は10石、100石は100石のその分を守る外に道はない。100石を200石に増し、1000石を2000石に増す事は、一家ならば相談はできようが、一村一同にする事は、決してできない。これは簡単なようで大変難しい事だ。だから分度を守ることを私の道の第一とする、よくこの理を明かにして、分度を守るならば、誠に安穏であって、杉の実を取って、苗を仕立て、山に植えて、その成木を待って楽む事ができる。分度を守らなければ先祖から譲られた大木の林を、一時に切り払っても、間に合わぬようになりゆく事は、眼前だ。分度を越える過ちは恐るべきだ。財産がある者は、一年の衣食はこれで足るというところを定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲って、世のために年を積んでいけば、その功徳は無量であろう。釈尊は世を救うために、国家をも妻子をも捨てられた。世を救う志があるならば、どうして自分の分度外を、譲る事を行わないでいられようか。二宮金次郎の手紙「私が願い出た藩の枡の改正について感謝の米を差し出したいという農民の様子を聞きました。改正の新枡ではかったお年寄りが『このようなありがたいご時世もあるのか』といったと聞きました。新枡については、領分はもちろん一同感謝していると聞きました。かつまた旦那さまのご評判は小田原全体にたいへんよろしゅうございます。まず始めにあたって終わりを明らかにすることが大切とぞんじます。」
2024.11.26

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)報徳訓父母の根元は天地の令命にあり。身体の根元は父母の生育にあり。子孫の相続は夫婦の丹精にあり。父母の富貴は祖先の勤功にあり。吾身の富貴は父母の積善にあり。子孫の富貴は自己の勤労にあり。身命の長養は衣食住の三つにあり。衣食住の三つは田畑山林にあり。田畑山林は人民の勤耕にあり。今年の衣食は昨年の産業にあり。来年の衣食は今年の艱難にあり。年年歳歳報徳を忘るべからず。 「報徳訓を現代に生かす佐呂間漁業協同組合」佐呂間漁協の貯金残高を組合員数で割ると約1億円。その仕組みは非常にユニークである。水揚高の70%は月取貯金として無条件で天引されて、翌年の生活費に回される。そのほか納税準備金、漁協への手数料、年金など水揚高の9割が天引きされる。自由に使えるお金は1割以下。生活費は前年度積立の月取貯金でまかなう。前年度の稼ぎで今年度生活する。月取貯金も全て生活費に回されるわけでなく、残った金は貯金され、平均1億円の貯金を持つことができた。組合員は毎年1月その年の営漁計画書を出す。計画書を漁協の担当者と組合員で計画が妥当か話し合う。漁協は貯蓄額の80%まで貸し出す。借りた金だから毎月返済する。金銭の緊張感が維持できる。昔の漁師は1回の漁で何百万も稼ぐと、その金を腹巻きに入れ、キャバレーに繰り出したりもした。もともとこの仕組みがあったわけではない。佐呂間漁協がホタテの養殖を始めたのが昭和40年で、組合員の生活を安定させたいと始めた。当時の漁協には新事業を立ち上げる資金がなく、上部団体に借入れを申し込み断られた。販売取扱高も貯蓄残高も少なかった。町が債務保証し必要な資金が確保できた。「佐呂間漁協の仕組みは、初代、二代目の組合長がつくりだした。その精神は二宮尊徳の報徳訓にあった。特に最後の三行今年の衣食は昨年の産業にあり来年の衣食は今年の艱難にあり。年々歳々報徳を忘るべからず。が、佐呂間漁協の基本精神になった。」 報徳訓をこのように仕組みとして実践している例はほかに聴かない。鈴木藤三郎は、尊徳先生の「荒地の力を持って荒地を興す」を製糖業など近代産業に適用して成功させた。尊徳先生の言葉を自分のものとできるならば、生涯使っても使い尽くせない無尽蔵の宝庫となる。その人一代だけではなく、それを実践し続ければ、子孫や共同体まで豊かにうるおしてくれる。鈴木藤三郎はこう断言する。「報徳の道を修養し、この道の精神を以て各種の事業に応用すものあらば、事として成らざるなく、業として成功せざるなし」(「報徳実業論」『報徳産業革命の人』p.167)
2024.11.26

「「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて」二宮翁夜話【24】尊徳先生がおっしゃった。「大道はたとえば水のようだ。善く世の中をたっぷりと潤して、とどこおらない。このような尊い大道も、書に書いて本とする時は、世の中を潤す事もなく、世の中の用に立たない。たとえば水が凍ったようなものだ。もとは水には違いがないのだが、凍っては少しも潤さない、水の用をなさない。本の注釈という物はまた氷にツララが下ったようなもので、氷が解けてまたツララと成ったのと同じだ。世の中を潤さず、水の用をなさないのは、やはり同じだ。この氷となった経書を、世の中の用に立つようにするには、胸(ハート)の中の温気(うんき)で、よくとかして、元の水として用いなければ、世の中を潤せない。実に役にたたないものだ。氷をとかすべき温気が胸の中になくて、氷のままで用いて、水の用をなすと思うのは愚の骨頂だ。世の中に神儒仏の学者が有って、世の中の用に立たないのはこのためだ。よく思うがよい。私の教えでは実行を尊ぶ。経文といい、経書という。その経というのは機織(はた)り機のタテ糸の事だ。そうであればタテ糸ばかりで用をなさない、横に日々実行を織りこんで、初めて用をなすのだ。横に実行を織らないで、ただタテ糸ばかりでは、役にたたないことは、論を待たないことは明らかだ。二宮先生語録巻の一【74】経書(四書五経)は道を載せるものだ。道を書物として筆記するのは水を氷とするようなものだ。朱子がそれに注釈をつける、これは氷柱(つらら)が垂れるようなもので、ますます堅くこおって解けにくい。まして細注のようなものはおう吐で聖経を汚すのに似ている。かたくなな冷たい心で聖経を解するのは難しい。もし非常に明らかで温かい心でとかすならば、氷が解けるように経書がわかる。どうして注釈を用いる必要があろうか。人の道としてふだん用いる行いの道だからだ。💛本年3月出版した「現代語 安居院義道」に引き続き「子どもからお年寄りまで」「絵と地図を見て楽しめる」をコンセプトに『安居院庄七 50歳からの大冒険』出版のクラウドファンディングを立ち上げたのもまた、「報徳を広める」ためにほかならない。「報徳の教えでは実行を尊ぶ」
2024.11.26
オメガ3・6脂肪酸の摂取はがん予防に有効か多価不飽和脂肪酸(PUFA)のオメガ3脂肪酸とオメガ6脂肪酸の血中濃度は、がんの発症リスクと関連していることが、新たな研究で示唆された。 オメガ3脂肪酸の血中濃度が高いことは、結腸がん、胃がん、肺がん、肝胆道がんの4種類のがんリスクの低下と関連し、オメガ6脂肪酸の血中濃度が高いことは、結腸がん、脳、メラノーマ、膀胱がんなど13種類のがんリスクの低下と関連することが明らかになったという。 米ジョージア大学公衆衛生学部のYuchen Zhang氏らによるこの研究の詳細は、「International Journal of Cancer」に10月17日掲載された。Zhang氏は、「これらの結果は、平均的な人が食事からこれらのPUFAの摂取量を増やすことに重点を置くべきことを示唆している」と述べている。この研究でZhang氏らは、UKバイオバンク研究の参加者25万3138人のデータを用いて、オメガ3脂肪酸およびオメガ6脂肪酸の血漿濃度とあらゆるがん(以下、全がん)、および部位特異的がんとの関連を検討した。 ベースライン調査時(2007〜2010年)に得られた血漿サンプルを用いて、核磁気共鳴法(NMR)によりこれらのPUFAの絶対濃度と総脂肪酸に占める割合(以下、オメガ3脂肪酸の割合をオメガ3%、オメガ6脂肪酸の割合をオメガ6%とする)を評価した。 対象としたがんは、頭頸部がん、食道がん、胃がん、結腸がん、直腸がん、肝胆道がん、膵臓がん、肺がん、メラノーマ、軟部組織がん、乳がん、子宮がん、卵巣がん、前立腺がん、腎臓がん、膀胱がん、脳腫瘍、甲状腺がん、リンパ系および造血組織がんの19種類だった。平均12.9年の追跡期間中に、2万9838人ががんの診断を受けていた。喫煙状況、BMI、飲酒状況、身体活動量などのがんのリスク因子も考慮して解析した結果、オメガ3脂肪酸およびオメガ6脂肪酸の血漿濃度が上昇すると全がんリスクが低下するという逆相関の関係が認められた。 全がんリスクは、オメガ3%が1標準偏差(SD)上昇するごとに1%、オメガ6%が1SD上昇するごとに2%低下していた。がん種別に検討すると、オメガ6%は13種類のがん(食道がん、結腸がん、直腸がん、肝胆道がん、膵臓がん、肺がん、メラノーマ、軟部組織がん、卵巣がん、腎臓がん、膀胱がん、脳腫瘍、甲状腺がん)と負の相関を示した。 一方、オメガ3%は4種類のがん(胃がん、結腸がん、肝胆道がん、肺がん)と負の相関を示す一方で、前立腺がんとは正の相関を示すことが明らかになった。オメガ3脂肪酸やオメガ6脂肪酸は、脂肪分の多い魚やナッツ類、植物由来の食用油に含まれているが、十分な量を摂取するために魚油サプリメントに頼る人も多い。しかし研究グループは、これらのPUFAの効用が全ての人にとって同じように有益になるとは限らないとしている。 実際に、本研究では、オメガ3脂肪酸の摂取量が多いと前立腺がんのリスクがわずかに高まる可能性のあることが示された。 論文の上席著者であるジョージア大学Franklin College of Arts and SciencesのKaixiong Ye氏は、このことを踏まえ、「女性なら、オメガ3脂肪酸の摂取量を増やすという決断も容易だろう」と同大学のニュースリリースの中で話している。*オメガ3脂肪酸とは、多価不飽和脂肪酸に分類される脂肪酸です。そしてこの多価不飽和脂肪酸には、オメガ6脂肪酸とオメガ3脂肪酸に分けることができます。注意点として、オメガ3脂肪酸は特定の種類の物質を指しているわけではなく、αリノレン酸、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)といった種類があります。えごま油や亜麻仁油などの植物油には、オメガ3脂肪酸の一種であるαリノレン酸といわれるものが多く含まれています。そして、魚にも当然オメガ3脂肪酸が含まれているんですが、αリノレン酸だけではなく、他のオメガ3脂肪酸のEPAやDHAが含まれています。とくに背の青い魚、さば、イワシ、さんまなどにEPAやDHAが豊富に含まれています。
2024.11.25
片岡千之助「大河ドラマは歌舞伎と同じく日本の文化。台本を読んでびっくりしたシーンは…部屋のセットは落ち着きます」11/25(月) 歌舞伎界の若手ホープ、片岡千之助さん(24)が、NHKの大河ドラマ『光の君へ』に初お目見えした。一条天皇と藤原定子の第一皇子・敦康親王(あつやすしんのう)役での出演が7月に発表され、画面への登場が待ちわびられていた。10月13日放送の第39回「とだえぬ絆」で、元服前の角髪(みずら)姿で登場。ドラマ後半のキーパーソンの一人である敦康親王をどんな思いで演じたのか。初の大河ドラマ出演でどのようなことを得たのか。◆3代続けて大河ドラマに出演<千之助さんは人間国宝・十五代目片岡仁左衛門さん(80)の孫で、歌舞伎俳優・片岡孝太郎(56)さんの長男。祖父、父ともに大河ドラマに出演しており。千之助さんで3代続けてとなる。大河ドラマに初出演する気持ちは?>大河ドラマは僕にとって憧れの世界でした。そして、歌舞伎と同じく「日本の文化」のようなものだと受け止めていました。歌舞伎界の先輩方が数多く出演しておられ、いつか僕も出演させていただきたいという気持ちは常にあり、そういう想いを抱きながら今に至ります。特に『光る君へ』はご縁を頂けるのであるのなら!と願っていたので、自分の中での願望と出演がぴったり合わさったような感覚を抱いています。僕は、歌舞伎では『源氏物語』に対する思いがすごく強くあり、いつか光源氏を演じる機会を頂けたらと願っています。『光る君へ』の制作発表があったのは、2022年5月。出演オファーが来た時はどのような内容になるか想像がつかなかったけれど、光源氏に通じる役が頂けたらいいなと考えていました。すると、義理の母との関係性などまさしく光源氏に通じる敦康親王役のお話を頂いたので、本当に驚きました。父や祖父に出演を報告したら、「とにかく大河ドラマに出られるのは光栄なことで貴重な経験なので頑張ってね」と言われました。3代出られたのはよかった。みんながみんなそれぞれに、「光る君」や「光源氏」のイメージがあるでしょう。僕は、大和和紀さんが『源氏物語』を漫画化した『あさきゆめみし』をちょうど読んでいました。『あさきゆめみし』と大石静さんの『光る君へ』の台本のいろいろなシーンがリンクしているところがあったので、光源氏とつながっているのでは、と思い、演じました。僕の出演前、彰子が幼い敦康親王にお菓子をあげる場面があるのですが、これまで笑わなかった彼女が笑顔を見せます。そのたったワンシーンで2人にしかないつながりが感じられました。敦康親王と彰子の関係は、小さい子供が年上のお姉さんを慕うというだけでなく、好意もあるなどいろいろなとらえ方があるでしょう。僕の中の一つの答えは、恋愛感情もあったかもしれないけれど、それ以上に、何よりも彰子から注がれた愛情をちゃんと感じて、それに何とか応えようとする気持ちが敦康親王にはすごくあるということです。せりふの端々から感じました。僕は、敦康親王が御簾を超えて彰子に近づく場面に思い入れがあります。台本を読んだ時には「超えた!」とびっくりしました。御簾を超える瞬間は、御覧になっていだけると分かると思いますが、「うわあ」という感じ。その場にいたまひろや藤原行成(渡辺大知さん)でさえ、「え?!」となるみたいなシーンです。そして「光る君のようなことはいたしませぬ。ただお顔が見たかったのです」という一言。本当に純粋なのです。飾ることなくずっと一心に生きてきて、誰より信頼している人、ある意味愛している人に御簾越しで会わなくてはならない現実をつきつけられたのがきつかったのだと思う。元服して離れなくてはならなくなったけれど、ひたすら大事な人の顔を見たい一心で御簾の中に入り「お顔を見たかっただけです」。彰子の顔を見てほっとする純粋な気持ち。僕は、その言葉通りに純粋にストレートにやりたいと考えていたので、自然に演技ができました。彰子の見上さんのお芝居も、目を見た時にやさしさが伝わってくる。それにお応えするだけでした。見上さんが演じられた彰子のやさしさすべてに受け止めて頂きました。
2024.11.25

「「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて」井上静男先生の「安居院庄七先生小伝」を幾か所にもお送りした。新城市のNさんから はがき を頂いた。先にお電話もいただいてもいた。「前略 ご無沙汰しています。 先日は貴重な冊子を寄贈していただき 誠に有難うございます。 報徳活動を活発にやっておられる様子何よりです。 小生は高齢にて静かに余生を暮しています。 報徳精神はいつまでも守ります。 向寒の折ご自愛のほどを 先づはお礼まで 草々」💛森信三先生は尊徳先生のことについてこうおっしゃられた。「日本民族中、ある意味では最大の偉人ともいうべき二宮尊徳の思想と精神が、21世紀を迎えるにあたり、われら日本民族の指導原理として、再び脚光を浴びるのもそう遠くはないか、と思われるのである。」 森先生は、全世界がこれに目覚めるのはおそらくは21世紀の後半であろうと予言された。
2024.11.25

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)「二宮翁夜話」巻の5【5】尊徳先生はまたおっしゃった。右の方法(*)はただ窮を救う良法であるだけでなく、職業を勧める良法だ。この法を施す時は、一時の窮を救うだけでなく、遊惰の者を、自然に勉強におもむかせ、思わず知らずに職業を習い覚えさせ、習いが性と成って弱い者も強者となり、愚者も職業に馴れて、幼い者も繩をなう事を覚え、草鞋(わらじ)を作る事を覚え、その外いろいろな稼ぎを覚えて、いたずらに食う者がなくなって、人々は手を遊ばせていることを恥じて、いたずらに食べるだけを恥じて、各々職業に精出すようになってゆく。恵んで費えないことが、窮を救うの良法である。しかし右の方法は、これに倍する良法というべきだ。飢饉や凶歳のときだけでなく、窮を救うことに志ある者は、深く注意しなければならない。世間で窮を救うことに志ある者は、みだりに金や穀物を与えるのは、はなはだよくない。なぜかといえば、人民を怠惰に導くためだ。これは恵んで費えるだけである。恵んで費えないように、注意して行い人民をして、憤発し勤め励むようにするを要するのである。*天保7年の飢饉のときに、烏山侯の依頼で、その領内に施した仕法の大略は、一村一村に諭して、極難の者のうち、労働につける者とつけない者と2つに分け、労働につけない、老人、幼子、病人など千有余人を烏山城下の天性寺という禅寺の講堂などや新しく小屋20棟を建設し、一人白米1合ずつ、前に言った方法で、同年12月1日から翌年5月5日まで救助した。病気の者には一人について白米3升、銭500文ずつを渡して、帰宅させ、また別に病室を設けて療養させた。労働につける者には、鍬を一枚ずつ渡し、荒地一反歩について、起返し料金3分2朱、仕付料2分2朱、合せて一円半、外に肥し代1分を渡し、一村で共同して精出させた。幹事になるべき者は、入札で高札の者を人選させ、その世話方を申し付け、荒田を起きかえして、植えつけさせた。起返した田は58町9反歩で、実に天から降るように、地から湧くように、数十日のうちに荒田が変じて水田となり、秋になってその実りはそのまま貧民食料の補いとなった。その外、藁で編んだ靴や草鞋(わらじ)、繩などを、製造した事も莫大で、飢民一人もなく、みな領主君公の仁政に感激して農事に努めた。大変喜ばしいことだった。(同【4】)💛「政府は、物価高が続く中で、住民税非課税世帯を対象に1世帯あたり3万円の給付金を支給する方針です。 この措置は、特に経済的に厳しい状況にある家庭の生活を支援することを目的としています。」「みだりに金や穀物を与えるのはよくない。なぜかといえば、人々を怠惰に導くためだ」 とならないように!職業を勧めて、働いて進んで税を負担しようという方法を考えたほうがよいように思う。
2024.11.25
「1日1杯のみそ汁」で肝臓から脂肪が消えていく…肝臓専門医が明かす、驚愕の科学的事実肝臓に起こる異常のうち、最も多くを占める「脂肪肝」は、その名の通り、肝臓に中性脂肪が溜まった状態です。脂肪肝になると、肝臓の機能は当然衰おとろえ、代謝が落ちて太りやすくなります。今や成人の3人に1人が脂肪肝ともいわれるため、早めの対策が肝心です。肝臓の脂肪を減らすためには、糖質と脂質を適正量に抑えながら、代謝のスイッチを入れるタンパク質をしっかりと摂取し、代謝を促すために必要なビタミンやミネラルを過不足なく摂る必要があります。さらに、肝臓と密接に関わっている腸内環境を整えるため、食物繊維も摂るよう心がけなくてはいけません。これらすべてを満たしてくれる魔法のような食べ物、それこそが「やせみそ汁」なのです。毎朝、具だくさんのみそ汁を最低1杯飲むだけで、肝機能は自然と回復し、代謝のよいやせる体が手に入ります。【ポイント1:具はたっぷり入れる】理由→脂肪を今より増やさないため肝臓太りの最大の原因は糖質の取り過ぎによるもの。みそ汁に肉や魚、野菜などの具材をたっぷり入れると、お腹が自然と満たされて主食の量が減り、糖質の取り過ぎを防いでくれます。さらに、食後血糖値の上昇がゆるやかになり、脂肪を溜め込む原因となるインスリンの分泌量も抑えられるので、太りにくくなります。ポイント2:タンパク質をプラス理由→代謝スイッチが入り脂肪が消える肝臓は、アルコールを分解して解毒する働きがあります。その働きを担う物質がタンパク質です。また、傷ついた肝臓を修復するときにもタンパク質は必要です。タンパク質は体に溜めておくことができないので、適量をできるだけ毎食摂る必要があります。そのときに特に意識してほしいのが、朝食で摂るタンパク質。1日のはじまりにタンパク質を摂ることで肝臓にある代謝のスイッチが入り、一日中、効率よく糖質や脂質をエネルギーへと変換してくれます。タンパク質は、肉、魚、卵、大豆、乳製品のどれか1つに偏らず、できるだけいろいろな組み合わせで摂るといいでしょう。朝であれば包丁を使わず調理できる豆腐や卵、魚介の缶詰などがおすすめ。ポイント3:食物繊維をプラス理由→腸が整うと、肝臓が元気になる肝臓と腸に密接な関わりがあることをご存じでしょうか?肝臓は、門脈という器官を通して腸とつながっています。そのため、腸内細菌の影響をダイレクトに受けることになります。腸内環境が乱れて増えた悪玉菌が毒素を作り出すと、毒素は血流にのって肝臓に到達し、肝臓の解毒作用によって無毒化されます。毒素が増えれば増えるほど、肝臓は「解毒」に力を注がなくてはならないため、その分「代謝」の働きは低下し、太りやすくなるというわけです。肝臓に「解毒」という余計な仕事をさせず、「代謝」に専念してもらうためには腸内環境を整えることが何より大切。そのために必要なのが食物繊維です。食物繊は善玉菌のエサとなり、悪玉菌を減らして善玉菌を増やしてくれます。また、便の量や硬さを調節して便通を促す働きもあります。さらに、食物繊維は腸での糖の吸収をゆるやかにし、血糖値の急上昇を抑えて脂肪肝を予防・改善する働きもあります。
2024.11.24
横浜が決勝進出 延長十回、奇策内野5人シフトで成功 1997年以来の優勝へ王手11/24(日) 「明治神宮野球大会・高校の部・準決勝、横浜3-1東洋大姫路」(23日、神宮球場) 高校の部・準決勝2試合、大学の部1試合が行われ、高校の部では横浜が延長十一回タイブレークの末に東洋大姫路を下した。延長十回に内野5人シフトを敷く奇策を講じサヨナラ負けの危機を回避。先発したエース・奥村頼人投手(2年)が計7回を無失点と好投し、松坂大輔を擁した1997年以来の優勝へ王手をかけた。初出場の広島商も敦賀気比との延長十一回タイブレークの激闘を制し決勝進出。大学の部では環太平洋大が早大にサヨナラ勝利した。 今大会最多1万5000人が詰めかけた神宮球場がざわめいた。1-1の延長十回裏タイブレーク。1死満塁とサヨナラの危機を招いた横浜が奇策を講じた。 左翼手・大石に交代が告げられると、代わった林田が二塁ベース後方に位置。内野全員は前進守備について「内野5人シフト」を敷いた。左翼は“ガラ空き”の状態。それでも横浜ナインに不安の色は一切なかった。 昨年も試合で類似のケースを経験していたという奥村は「驚きはなかったです」と泰然。相手エース・阪下を144キロ直球で空振り三振に仕留めた。次打者は通常の守備隊形に戻して二ゴロに仕留め、場内は大歓声。延長十一回に2点を勝ち越し、決勝進出を決めた。 村田監督は「1点取られたら終わり。(阪下が)引っ張れないというデータを取っていたので」と解説。阪下の打撃傾向と、終盤になっても奥村頼の球威が衰えていなかったことを踏まえた判断だったと明かし「1000回に1回というプレーですが、練習はしていました。ああいうシフトを当たり前に敷けたのが良かった」とうなずいた。 結果的に三振だったものの、阪下は「ライト方向にしかヒットが出ていなかったので、そうなるだろうなと。(左翼を)狙いすぎたら当てにいってしまうので、振っていった中で(左翼に)行ってくれないかなと思いました」と勝負手に惑わされたことを明かした。名門の意地を示した横浜が27年ぶりの頂点へまい進する。◎サヨナラ負けの窮地に立たされた延長タイブレークの十回1死満塁、横浜・村田監督はスクイズ防止などを目的に内野5人シフトを決断。大胆な作戦に1万5000人の観客はどよめいた。「割り切ることは勝負事には大事。負けたら自分の責任。データもしっかり取った」「一番欲しいのはリスクの少ない三振。絶対に打たれるわけにはいかない」左腕エースの奥村頼(2年)が阪下を空振り三振に抑えて2死満塁。その後、通常の内外野のシフトに戻し、二ゴロでピンチを脱した。奥村頼は「(シフトを敷いた場面で)三振を取りに行く中で低めで併殺打を打たせることを狙った。三振になってよかった」。延長十一回に2点を奪って、近畿王者との激闘を制した。
2024.11.24
「一握りのナッツ」を毎日食べている人は認知症のリスクが低いとの研究結果スペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ大学と、ポルトガルのポルト大学公衆衛生研究所の研究チームは、イギリスで行われている大規模調査であるUKバイオバンクの参加者の食生活と認知症の発生率を調査しました。分析対象となった参加者5万386人の平均年齢は56.5歳で、参加者の49.3%が女性でした。また、平均7.1年の追跡期間中における参加者らの全原因認知症、つまりアルツハイマー型認知症を含むあらゆるタイプの認知症の発生件数は1422件、割合にして2.8%でした。この研究の結果、ナッツを食べない人に比べてナッツを毎日「0~3つかみ(30g前後)」以上食べていると回答した人は、認知症になるリスクが12%低いことがわかりました。年齢や性別、BMI値、学歴、生活習慣などの要素を調整しても、この結果は顕著でした。また、参加者をグループ分けする層別解析による詳細な分析では、「1日当たり30gまでのナッツの摂取」と「無塩ナッツの摂取」という2つの要素が最大の予防効果と関連していることも判明しました。つまり、ナッツの認知症予防効果を最大化するには、味付けが控えめなナッツ類を手のひらに軽く収まる程度の適量食べるのがよさそうだということです。なお、ナッツの殻や皮がついているかどうかや、ローストされているかなどは結果に影響しませんでした。注意点は、この効果は肥満ではなく、睡眠時間が正常で、タバコは吸わず、アルコールを毎日飲んでいない人に見られたということです。1日に缶ビール半分ほどのアルコールしか摂取しなくても脳が萎縮してしまうといった研究結果があることを踏まえると、晩酌のおつまみにナッツを選んでも認知症の予防効果は限定的かもしれません。💛「タバコは吸わず、アルコールを毎日飲んでいない」人の条件にはあてはまるな(^^)
2024.11.24
年収壁見直し、企業の9割賛成 撤廃や社保改革要請も11/24(日) 年収が103万円を超えると所得税が発生する「年収の壁」について、企業の9割が見直しに賛成していることが、帝国データバンクの調査で24日、分かった。103万円の基準引き上げを支持したのは全体の68%で、パート従業員らの働き控えが減り、人手不足の解消につながると期待。一方で、年収による区別そのものを撤廃し、所得税を広く負担すべきだとの企業も22%に上った。 年収の壁の見直しは、2025年度税制改正の最大の焦点だ。自民、公明、国民民主3党は既に「103万円の壁」引き上げで合意。今週から本格化する税制改正議論で、引き上げ幅や財源などの具体策の本格検討に入る。企業の多くは見直しを歓迎する一方、社会保険料など、制度全体を見渡した改革を求める声も目立った。 現在の税制は、パート従業員らが所得税額を計算する際、年収から基礎控除48万円と給与所得控除55万円の計103万円を差し引ける仕組み。年収が103万円を上回ると、超過分に所得税が発生する。国民は控除合計額を103万円から178万円に引き上げるよう求めている。
2024.11.24

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の4【48】尊徳先生はおっしゃった。自然に行われる、これが天理だ。天理に随うといっても、また人為をもって行うのを人道という。人体は柔弱だ。雨や風、雪や霜、寒さ暑さ、昼や夜、循環して止まらない世界に生れ、羽毛もウロコで堅く身体を保護することもなく、飲食も一日でも欠くことができず、爪や牙の利もない。だから身体のために便利である道を立てなければ、身を安んずる事はできない。だから人道を尊んで、その本源が天に出るといい、天性といい、善とし美とし大とするのだ。人の道が廃(すた)れない事を願うからである。老子はその理を見て、道の道とすべきは常の道ではない、などといわれるのは無理もない。そうかといって、この身体を保つために、どうしよう。私たちが、米を食い、衣服を着て、家にいながら、この言を主張するのは、また老子のともがらのあやまりというべきであろう。ある人が言った。そうであれば仏が言われることもまた誤りでしょうか。私(尊徳)はこう答えた。仏は生といえば滅といい、有りと説けば無しと説いて、色則是空といい、空則是色と言った。老荘の意とは異なる。
2024.11.24
《結婚42周年》竹内まりや、夫・山下達郎とのあまりにも深い絆 「結婚は今世で12回目」夫婦の結びつきは“魂レベル”11/24(日) 今年、デビュー45周年を迎えた竹内。10月には10年ぶりとなるオリジナルアルバム『Precious Days』をリリースした。「オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。69才7か月での受賞は女性アーティストとして歴代最年長です。近年は代表曲『プラスティック・ラブ』を起爆剤として国内外でシティポップブームが起きるなど、幅広い層に愛されている」「まりやさんは以前、雑誌のインタビューで《達郎自身の音楽制作やライヴに使えるはずだった時間を私に分けてくれていることに、とても感謝しています》と語っており、自分よりも、夫の音楽活動を優先しているんです。また、《彼のことは本気で音楽界の人間国宝だと思っている》とも話している。夫のことをいかに尊敬しているかがうかがえます」《以前、人の前世がわかるとかいうアメリカ人の女性が私を見て、夫の達郎のことも何もまったく知らない人だったのですが、なんと「あなたはこれまでの過去世で、今のご主人と11回結婚していますね。今世で12回目です」って、どんだけ~?(笑)》「4年ぐらい前、達郎さんが知人に“卒婚ってどう思う”と漏らしていたんです。このときは“すわ離婚か”と関係者の間で衝撃が走りました。結局はただの興味本位の発言でしたが(笑い)。この話が出回った後もまりやさんは“けんかもできないほど相性がいいのよ”と、のろけていましたよ」(前出・夫妻の知人)
2024.11.24

【プレミア12】侍ジャパン・清宮が笑いあふれる円陣声出し 紅林との「コウタロウフュージョン」決める<ラグザス presents 第3回WBSCプレミア12:日本9-6台湾>◇23日◇東京ドーム侍ジャパンの清宮幸太郎内野手(25)が、フュージョン効果を実感した。紅林弘太郎内野手(22)との「Wこうたろう」コンビで試合前の円陣で声出しを務め、漫画「ドラゴンボール」でおなじみのフュージョンポーズを披露して周囲を和ませた。肝心の試合でも輝きを放ち、5回に右中間最深部へのフェンス直撃2点適時三塁打。3試合ぶりのスタメン起用に応えた。試合前のパフォーマンスが勝利に結びついたと振り返り「もうやるからにはマジでやろうっていう話をしてたんで、試合どころじゃなくそっちに集中してました。その(=フュージョン)おかげで今日は9点。上等じゃないですか」と陽気に答えた。*あの世の秩序が乱れたことにより、本来の肉体を取り戻したベジータ。一人果敢にジャネンバに立ち向かうが、ジャネンバに敵わない。歴然たる実力差を見せつけられたベジータは、死んだ今でもなお悟空に一歩及ばないことを悟り、落胆する。そこで、悟空から最後の手段として、融合技「フュージョン」を提案される。あの世とこの世の秩序を元通りにすべく、悟空とベジータは、強敵ジャネンバを前にフュージョンを試みる。
2024.11.24

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の5【19】翁曰く、何程(なにほど)富貴(ふうき)なりとも、家法をば節倹に立て、驕奢(けうしや)に馴(な)るゝ事を厳(げん)に禁ずべし、夫(そ)れ奢侈は不徳の源にして滅亡の基(もとひ)なり、如何(いかに)となれば、奢侈(しやし)を欲するよりして、利を貪るの念を増長し、慈善の心薄らぎ、自然欲深く成りて、吝嗇(りんしよく)に陥り、夫(それ)より知らず知らず、職業も不正になり行きて、災(わざわひ)を生ずる物なり、恐るべし。論語に、周公の才の美ありとも奢(おご)り且(か)つ吝(やぶさか)なれば、其の余は見るに足らず、とあり、家法は節倹に立て、我身(わがみ)能(よく)之を守り、驕奢(けうしや)に馴るる事なく、飯と汁(しる)木綿着物(もめんきもの)は身を助く、の真理を忘るる事勿れ。何事も習(なら)ひ性(せい)となり、馴れて常となりては、仕方無き物なり、遊楽に馴(なれ)れば面白き事もなくなり、甘(うま)き物に馴るれば甘(うま)き物もなくなるなり、是(これ)自(みずから)我が歓楽をも減ずるなり、日々(にちにち)勤労する者は、朔望(さくぼう)の休日も楽みなり、盆正月は大なる楽みなり、是れ平日、勤労に馴るゝが故なり、此の理を明弁(めいべん)して滅亡の基(もとひ)を断ち去るべし、且つ若き者は、酒を呑むも、烟草(たばこ)を吸ふも、月に四・五度に限りて、酒好きとなる事勿れ、烟草好きとなる事勿れ、馴れて好(す)きとなり、癖(くせ)となりては生涯の損大なり、慎(つつし)むべし。【19】尊徳先生はおっしゃった。どれほど富貴となろうとも、家法を節倹に立て、贅沢に馴れることを、厳しく禁じなければならない。贅沢は不徳の源であって、滅亡の原因だ。なぜかといえば、贅沢を欲することから、利を貪る気持ちが増長し、慈善の心が薄いで、自然欲深くなって、吝嗇(りんしょく)に陥り、それから知らず知らずに、職業も不正になっていき、災いを生ずる、恐るべきことだ。論語に、周公の才の美ありとも奢(おごり)かつ吝(やぶさか)なれば、その余は見るに足らず、とある。家法は節倹に立て、自分の身はよくこれを守り、贅沢に馴れる事なく、飯と汁木綿(もめん)着物は身を助ける、の真理を忘れてはならない。何事も習(ならい)性となって馴れて常となることは、仕方がない。遊楽に馴れれば面白い事もなくなり、うまい物になれればうまい物もなくなる。これは自ら自分の歓楽をも減ずるのだ。日々勤労する者は、月の1日、15日の休日も楽しみだ。盆・正月は大きな楽しみだ。これは平日、勤労に馴れているためだ。この理を明らかに弁えて、滅亡の原因を断ち去るべきだ。かつ若い者は、酒を飲むのも、煙草を吸うのも、月に四、五度に限って、酒好きとなってはならない、煙草好きとなってはならない。馴れて好きとなって、癖となっては生涯の損害が大きい。慎しむがよい。💛松島授三郎は、若い頃に易者に見てもらったところ、あなたは三十三歳の頃には大難があって命はないと言われた。そこで何とか長生きをする道はないかと考えた末、報徳の先生の荒木由蔵に話すと、「そんなことは心配しなさんな、報徳をやれば、きっと長生きができる」と言われて、早速寿三郎と言う名を負い、報徳の道の研究を励んだ。その後、明治二年、松島が三十三歳の時、居村の羽鳥村の地籍で、天竜川の堤防が切れて大洪水となり、松島の家も被害をこうむり、幸い屋上に上っていて辛うじて命だけが助かった。それが先年易者の予言した年だった。そこで松島は大いに感じ、これは全く報徳のお陰であったと喜び、益々報徳のために心身を傾けるようになり、その年の秋、隣村石原村に仕法を行い、五十戸の住民は救われた。それ以来、報村の道に精進すると共に、地方を教化し、明治十二年伊平村に農学誠報社を組織したのが、三遠農学社の前身なのである。
2024.11.24
侍ジャパン25歳を海外実況も絶賛「何という反応だ!」 大ピンチ凌いだ「エリート級守備」にWBSC脚光 動画侍ジャパン25歳を海外実況も絶賛「何という反応だ!」 大ピンチ凌いだ「エリート級守備」にWBSC注目11/23(土) 4-3と日本がリードした5回無死満塁の大ピンチ。この打席からマウンドに上がった清水達也投手(中日)は、痛烈なピッチャー返しを足元に受けるも見事に捕球。本塁へ送球してアウトを奪うと、古賀悠斗捕手(西武)がすぐさま一塁へスロー。ダブルプレーを完成させた。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)公式X「日本のエリート級の守備」と記して実際の映像を公開。海外実況は「ダブルプレーだー! シミズ! 何という反応だ! 1-2-3!」と絶賛【プレミア12】清水達也「完全にまぐれ。長年の勘で」無死満塁からミラクルキャッチ無失点火消し11/23(土) 「ノーアウト満塁でいくのは初めての経験ぐらいでした。いつも以上に変な緊張がありました」初球から2球連続でいきなり2ボール。「あ、死んだと思いました」5番・潘傑楷のピッチャー返しの打球を超反応で捕球。すぐに本塁へ送球して1―2―3の併殺で2死とし、続く打者を空振り三振に仕留めて無失点で絶体絶命の危機を脱した。「もうゲッツーとってノリノリで投げました」「奇跡使いました。運使っちゃいました。あとあとみてみたら、全然顔はボール見てないし、長年の勘で捕れました。完全にまぐれです」💛「長年の勘で捕れました。完全にまぐれです」「もうノリノリで投げました!」と言うところが いいね(^^)
2024.11.24
加齢が脳を「保守化」させる 中野信子氏できることなら、自分と異なるグループ(アウトグループ)の人の考え方も、ただ「アウトグループだから」という理由で排除したりせず、異なる考え方を尊重し、互いを認め合いたいものです。しかしこれは、脳科学的には難しい問題でもあります。実は、どのような相手に対しても共感的に振る舞い、人間として尊重し、認めていくという機能はとても高度なもので、前頭葉の眼窩前頭皮質という領域で行われています。ここは25~30歳くらいにならないと成熟せず、さらに、しっかり発達させるためには、相応の刺激(教育)も必要になります。また、重要な部分なのに、アルコール摂取や寝不足といった理由で簡単に機能が低下してしまいます。しかも、その機能が得られるまでには人生の3分の1近い長い時間がかかるのに対し、衰えてしまうのはとても速いのです。ニュースなどで見る、いわゆる「キレる老人」を典型的なパターンとして思い描いていただけるとわかりやすいかもしれません。老人が相手に有無を言わせず、自分の倫理だけを信じて、直情径行的に行動してしまうのは、前頭葉の背外側前頭前野が衰えているからかもしれません。一般に、加齢とともに思考が保守化すると言われますが、同じ理由で説明できます。実際は、脳が老化したから保守化したということが疑われるのです。ここで言う保守化は、政治思想的な保守という意味ではなく、自分が元々持っていた思想の傾向がより純化され、それ以外の意見は自動的に棄却される確証バイアスが働いて、さらに思考が硬直化していく、といったイメージです。老化とともに、自らの所属している集団の論理しか受け付けなくなってしまうのです。脳科学的に見ると、理性と直感が対立すると、ほとんどの場合、理性が負けるようになっています。これはリベラルが保守に勝つことが難しい理由でもあります。もっと身近な例で言うと、ダイエットがなかなか成功しないというのは、これと同じ構図によるものです。保守の人は安全志向で、自分が得てきたこれまでの成功体験を信頼し、そこから大きく外れることなく生きる方がより賢い(安全だ)と考えています。安全確実な方法をより価値が高いとし、優先する慎重派と言ってもいいでしょう。一方、リベラルの人たちは、すでに存在している確実なパラダイムに対して、常により新しい別の選択肢がないかを考え続け、ロジックを更新していこうとします。そして、そうした行為自体が人間としてあるべき正しい姿だと考える傾向が強いと言えます。極端な例かもしれませんが、1つの思考実験として以下のような状況を考えてみましょう。自分が尊敬する父親から、次のように教えられて育ってきたとします。父は自分に、「困っている人がいたら必ず助けてあげなさい」と常日頃から説き、そう振る舞ってきました。そして、自分もそれに納得しているとします。では、実際にお隣さんが「うちは生活が苦しいから、これから毎日食べ物をくれないか」とか、「お宅にはクルマが余分にあるのだから、うちにも使わせてもらえないか」「洗濯機が壊れたから、好きなときにあなたの家で洗濯させてほしい」などと、要求してきたとしたらどうでしょうか。父の教えに従うのであれば、隣人の要求に従うことが正しい振る舞いだということになります。しかし、本当にその教え通りに生活を続けていたら、最終的にはこの隣人にすべてのリソースを奪われ破産してしまうおそれがあります。場合によっては、生命の危険を感じることすら起こり得るかもしれません。これは、決して個人の意思の力といったような問題ではありません。実際は、人間が人間であり続けるため、脳は前頭前野に従い過ぎないように、つまり「賢くなり過ぎない」ように設計されていると考えざるを得ないような作りなのです。生きるためには食べなければいけないのに、その本能に逆らってひたすらダイエットを続ければ、そのうち健康を害し、餓死すらしかねません。元々、トップダウンのシステムが弱くなるのが健康な状態で、そのようにできているのです。その典型は女性と出産の関係かもしれません。女性が自分の生命維持を最優先するなら、子どもを産むという行為は、リスクが高過ぎると言えます。実際に、医療がこれほど発達していない時代には、お産で亡くなる女性も多かったのです。しかし、それでは種としての人間が絶えてしまいます。だからこそ、トップダウンではコントロールできないような、愛情や性欲、子どもへの愛着などが強くなるように仕組んであるわけです。
2024.11.23

中野信子氏 斎藤知事圧勝の要因を分析「SNSを使うことによって『俺たちの斎藤』になった」脳科学者の中野信子氏が23日、読売テレビ「あさパラS」に出演。斎藤元彦前知事が兵庫県知事選で圧勝したニュースにコメントした。斎藤氏の戦術について、中野氏は「テレビがオーソリティーになったんですよ。それによって庶民がSNSを使うことによって斎藤さんは『俺たちの斎藤』になったんです。『忠臣蔵』みたいな構造ができて、『あの人は俺たちと同じく損をしているから応援してやらなきゃ』という気持ちに火がついた。この構造を作ったら絶対に勝つ」と分析。MCのハイヒール・リンゴが「日本人は判官びいきと言われる」と相づちを打つと、中野氏は「これは遺伝子プールを見ても明らかで、日本人は世界で一番その感情が強いんです。小泉純一郎元首相がその構造を作って『既得権益層をぶっ壊す』みたいなことを言って勝ったんですけど、あれは本当にうまかった。あれと同じ構造ができたんです」と感嘆した。た改めて斎藤氏の勝因について脳科学的分析を聞かれると、モニターに「人間の脳には真偽を判断する領域は存在しない。容姿や振る舞いなど真偽とは関係ない基準で判断が下されることも…」と掲示。リンゴから「真偽を判断する領域は存在しないんですか?」と聞かれると、中野氏は「ないんですよ。どっちが本当と判断する領域はないんです。だから『羅生門』みたいな感じになっちゃう。それぞれの視点では全部正しい。だけども、現実には起こっていることが違ったりするので、問題になる」と説明した。その上で実際の判断基準は「自分にとっての利害と、美しいか美しくないか」だと指摘し、「子どもを集めてきて、きれいなお姉さんが言ってることと、そうでないお姉さんが言ってること『どっちが正しい?』って聞くと、美しいお姉さんを選んだりするんです」と明かしていた。💛世界中で起こっていることは、「人間の脳にはどっちが本当と判断する領域はない。だから『羅生門』みたいな感じになっちゃう。それぞれの視点では全部正しい」ということ?ロシア対ウクライナイスラエル対パレスチナ、イランそれぞれの視点では自分たちが正しい という判断しかでてこない。カント「永久平和のために」序文 - 永遠平和のために第1章 第1条項 - 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。第2条項 - 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない。第3条項 - 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。第4条項 - 国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。第5条項 - いかなる国家も、他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。第6条項 - いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者(percussores)や毒殺者(venefici)を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切り(perduellio) をそそのかしたりすることが、これに当たる。第2章 第1確定条項 - 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。第2確定条項 - 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。第3確定条項 - 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。💛ロシア、イスラエルともに第5条(他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない)第6条(他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない)に違反している。「人間の脳にはどっちが本当と判断する領域はない」→カントの「永久平和のために」を判断基準としたら?
2024.11.23

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング中(12月30日まで)二宮翁夜話巻の1【33】 下館侯の宝蔵火災ありて、重宝(ぢゆうはう)天国(あまくに)の剣(つるぎ)焼けたり、官吏城下の富商中村某(それがし)に謂ひて曰く、如其(かく)焼けたりといへども、当家第一の宝物なり、能く研ぎて白鞘(しらさや)にし、蔵に納め置かんと評議せり、如何(いかん)、中村某焼けたる剣を見て曰く、尤もの論なれど無益なり、例令(たとへ)此の剣(けん)焼けずとも、如此(かくのごとく)細し、何の用にか立たん、然る上に如此(このごとく)焼けたるを、今研ぎて何の用にかせん、此の侭にて仕舞置べしと云へり、翁(をう)声を励まして曰く、汝大家の子孫に産まれ、祖先の余光に因りて格式を賜り、人の上に立ちて人に敬せらるゝ、汝にして、右様の事を申すは、大(だい)なる過ちなり、汝が人に敬せらるゝは、太平の恩沢なり、今は太平なり、何ぞ剣の用に立つと立たざるとを論ずる時ならんや、夫れ汝自ら省り見よ、汝が身用に立つ者と思ふか、汝はこの天国の焼剣(やけみ)と同じく、実は用に立つ者にあらず、只先祖の積徳と、家柄と格式とに仍て、用立つ者の如くに見え、人にも敬せらるゝなり、焼身にても細身にても重宝と尊むは、太平の恩沢此剣の幸福なり、汝を中村氏と人々敬するは、是又太平の恩徳と先祖の余蔭なり、用立つ、用立たざるを論ぜば、汝が如きは捨てて可なり、仮令(たとひ)用立たずとも、当家御先祖の重宝(ぢゆうほう)、古代の遺物、是を大切にするは、太平の今日至当の理なり、我は此剣の為に云ふにあらず、汝がために云ふなり、能々(よくよく)沈思せよ、往時水府公、寺社の梵鐘(つりがね)を取り上げて、大砲に鋳替へ玉ひし事あり、予此の時にも、 御処置悪きにはあらねども、未だ太平なれば甚だ早し、太平には鐘や手水鉢を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし、事あらば速かに取つて大砲となす、誰か異議を云はん、社寺ともに悦んで捧ぐべし、斯(かく)して国は保つべきなり、若し敵を見て大砲を造る、所謂盗(ぬすびと)を捕へて縄を索(な)ふが如しと云はんか、然りといへども尋常の敵を防ぐべき備へは、今日足れり、其敵の容易ならざるを見て、我が領内の鐘を取つて大砲に鋳る、何ぞ遅からんや、此の時日もなき程ならば、大砲ありといへども、必ず防ぐ事あたはざるべし、と云し事ありき。何ぞ太平の時に、乱世の如き論を出ださんや、斯の如く用立たざる焼身をも宝とす、況んや用立べき剣に於てをや、然らば自然宜敷き剣も出来たらん、されば能く研ぎあげて白鞘(しらさや)にし、元の如く、腹紗(ふくさ)に包み二重の箱に納めて、重宝とすべし、是れ汝に帯刀を許し格式を与ふるに同じ、能々(よくよく)心得べしと、中村某叩頭(こうとう)して謝す、時に九月なり、翌朝中村氏発句(ほつく)を作りて或人に示す、其の句「じりじりと照りつけられて実法(みの)る秋」と、ある人是を翁に呈す、翁見て悦喜(えつき)限りなし、曰く、我昨夜中村を教戒す、定めて不快の念あらんか、怒気内心に満たんかと、ひそかに案じたり、然れども家柄と大家とに懼(おそ)れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事覚束(おぼつか)なしと思ひたれば、止むを得ず厳に教戒せるなり、然るに怒気を貯へず、 不快の念もなく、虚心平気に此の句を作る、其の器量按外にして、大度見えたり、此家の主人たるに恥ぢず、此家の維持疑ひなし、古語に、我を非として当る者は我が師也とあり、且大禹(タイウ)は善言を拝すともあり、汝等も肝銘(かんめい)せよ、夫れ富家の主人は、何を言ふても御尤御尤と錆付(さびつ)く者のみにて、礪(と)に出合つて研ぎ磨かるゝ事なき故、慢心生ずる也、譬(たとへ)ば、爰(ここ)に正宗の刀ありといへども、研ぐ事なく磨く事なく、錆付く物とのみ一処におかば、忽ち腐れて紙も切れざるに至るべし、其の如く、三味線引や太鼓持などゝのみ交り居て、夫も御尤、是も御尤と、こび諂(へつら)ふを悦んで明し暮し、争友(そういう)一人のなきは、豈あやふからざらんや。【33】下館侯の宝蔵が火災にあい、代々、家宝としてきた「天国(あまくに)の剣(つるぎ)」が焼けてしまった。下館城下で富豪の中村氏に下館藩の役人が尋ねた。「このように焼けてしまったが、この剣は当家第一の宝物だ。よく研いで白鞘(さや)にしまって、蔵に納めおこうと思うがどうだろう?」中村はその焼けた剣を見て言った。「ごもっともな話ですが、そんなことをしてもなんの益がございましょう。たとえこの剣が焼けないとしても、このように細うございます。何の用に立ちましょう。このように焼けてしまったのを、いまさら研(と)いで何の用にたちましょう。このまましまっておかれればよろしいでしょう」と言った。これを聞かれて尊徳先生は、大きな声で叱責された。「なんじは、大家の子孫に生まれ、祖先の余光によって、このように格式をたまわり、人の上に立って人に敬せられているではないか。なんじのような者が、そのような事を申すのは、大きな過ちだ。なんじが人に敬せられるのは、太平のお蔭ではないか。今は太平の世だ。どうして、剣が用に立つとか、立たないとか論ずる時であろうか。自分自身を省りみてみよ。なんじがなんの用にたっているか。この天国の焼けた剣と同じように、実は用に立つ者ではないのだ。ただ先祖が積んできた徳と、家柄と格式とによって、役に立つ者のように見え、人にも敬まわれているのだ。焼身であっても細身であっても重宝と尊ぶのが、太平のお蔭であり、この剣の幸福なのだ。なんじを中村氏と人々が敬するのは、これまた太平の恩徳と先祖のお蔭である。用に立つ、用に立たないを論ずるならば、なんじのような者は捨ておいてよい。たとえ用に立たなくとも、当家御先祖様の重宝としてこれを大切にするのが、太平の今日において至当の理だ。私はこの剣のために言うのではない。なんじのために言うのだ。よくよく深く考えよ。かって水戸の殿様が、寺社のつりがねを取りあげて、大砲に鋳造された事があった。わたしはこの時にも、 ご処置は悪くはないが、まだ太平の世であるからはなはだ早い。太平の世には鐘や手水鉢を鋳(い)て、社寺に納めて、太平を祈らせるがよい。事があった時にすぐにそれらを取り上げて大砲とすればよい。その時、誰か異議を言おうか、社寺もともに喜んで出すであろう。このようにして国は保つのだ。敵を見て大砲を造る、いわゆる盗人を捕へて縄をなうようだと言う人もあろうが、通常の敵を防ぐべき備えは、今日足っている。その敵が容易でないのを見て、自分の領内の鐘を取って大砲を鋳造する、どうして遅いことがあろうか。この時日もないほどであれば、大砲があっても、必ず防ぐ事はできないであろうと言った事があった。どうして太平の時に、乱世のような論を出す必要があろう。このように用に立たない焼身であっても宝とする。ましてや用に立つ剣ならなおさらである。そうであれば自然とよい剣もでてくるであろう。そうであればよく研ぎあげて白鞘におさめて、元のように、ふくさに包んで二重の箱に納めて、重宝とするがよい。これはなんじのような者に帯刀を許し、格式を与えるのと同じだ。よくよく心得えておくがよい。」中村氏は、頭を何度も畳にくっつけて先生に謝った。時に九月であった。翌朝、中村氏は句を作って、ある人に示した。その句に「じりじりと 照りつけられて みのる秋」と。ある人はこれを尊徳先生に見せた。尊徳先生はこれを見て大変に喜ばれ、こうおっしゃった。「私は昨夜中村氏を教戒した。定めて不快の念であろうか、怒気が内心に満ちていようかと、ひそかに案じていた。しかし家柄と大家とをおそれて、おもねる者ばかりだから、しらずしらず増長して、ついには家を保つ事もおぼつかなくなるだろうと思ったから、やむを得ず厳しく教戒した。それなのに怒気をたくわえることなく、不快の念もなく、虚心平気にこの句を作った、その器量は案外大きいように見える、この家の主人たるに恥じない、この家の維持は疑いない、古語に、我を非として当る者は我が師なり とある、かつ大禹(たいう:古代中国の聖王であった禹)は善言を拝す ともある。なんじら(門弟)も肝に銘ぜよ。富家の主人は、何を言っても、ごもっとも、ごもっともと錆つかせる者ばかりで、と石に出合って研ぎ磨かれる事がないから、慢心を生ずるのだ。たとえば、ここに正宗の刀があっても、研ぐ事がなく磨く事がなく、錆つく物とのみ一つところにに置けば、たちまち腐れて紙も切れないようになるであろう。そのように、三味線引きや太鼓持(たいこもち)などとだけ交っていて、それもごもっとも、これもごもっともなどと、こびへつらうのを喜んで明かし暮して、争友の一人もないのは、危ういというべきだ。
2024.11.23

タウンニュース足柄版に「CF」の記事が載った。Kさんの尽力の御蔭である、感謝します。尊徳先生は相馬仕法で最初、僻遠の地の山中郷草野村を仕法地候補として相馬藩から提示されたとき、仕法地に選ばれることは名誉なことで、藩の中心地でなければならないと拒絶された。相馬藩は次に藩の中心地に近い小高郷大井・塚原村を仕法開業の候補地とされ、先生は了承されたが、公務が忙しいと開業されなかった。尊徳先生は富田高慶にこう言われた。「大井村の姿は、たとえば屋根屋が来ると知って、何の用意もしないで坐って待っているようなものだ。屋根屋がどうしてこようか。村を起すそうだと見物している村へ、どうして求めてこちらから仕法を下すことがあろうか」成田・坪田村に開業を決したのは、代官助役高野丹吾の誠意と推譲であった。秦野市においても「安居院庄七の報徳活動を秦野に広めるそうだ」と坐って眺めている状態ではいつまで経っても、秦野や足柄上郡に安居院先生の功績は広まらない。今、まさに井上静男先生の小冊子「安居院庄七先生小伝」が、地元の人々の心を動かしつつある。地元の人が自発的に安居院先生の報徳を広めるプロジェクトに参加する事こそが、本プロジェクトの核心である。
2024.11.23
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