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2024.11.26
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カテゴリ: 報徳記を読む
「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて

1人、地図、テキストの画像のようです


二宮翁夜話
【24】尊徳先生がおっしゃった。
「大道はたとえば水のようだ。
善く世の中をたっぷりと潤して、とどこおらない。
このような尊い大道も、書に書いて本とする時は、世の中を潤す事もなく、世の中の用に立たない。
たとえば水が凍ったようなものだ。
もとは水には違いがないのだが、凍っては少しも潤さない、水の用をなさない。


この氷となった経書を、世の中の用に立つようにするには、胸(ハート)の中の温気(うんき)で、よくとかして、元の水として用いなければ、世の中を潤せない。
実に役にたたないものだ。
氷をとかすべき温気が胸の中になくて、氷のままで用いて、水の用をなすと思うのは愚の骨頂だ。
世の中に神儒仏の学者が有って、世の中の用に立たないのはこのためだ。
よく思うがよい。

私の教えでは実行を尊ぶ。
経文といい、経書という。
その経というのは機織(はた)り機のタテ糸の事だ。
そうであればタテ糸ばかりで用をなさない、
横に日々実行を織りこんで、初めて用をなすのだ。
横に実行を織らないで、ただタテ糸ばかりでは、役にたたないことは、論を待たないことは明らかだ。


【74】経書(四書五経)は道を載せるものだ。
道を書物として筆記するのは水を氷とするようなものだ。
朱子がそれに注釈をつける、これは氷柱(つらら)が垂れるようなもので、ますます堅くこおって解けにくい。
まして細注のようなものはおう吐で聖経を汚すのに似ている。
かたくなな冷たい心で聖経を解するのは難しい。

どうして注釈を用いる必要があろうか。
人の道としてふだん用いる行いの道だからだ。

💛本年3月出版した「現代語 安居院義道」に引き続き
「子どもからお年寄りまで」「絵と地図を見て楽しめる」をコンセプトに

「報徳を広める」ためにほかならない。

「報徳の教えでは実行を尊ぶ」

地図、テキストの画像のようです





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最終更新日  2024.11.26 22:46:04


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