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2024.11.27
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カテゴリ: 報徳記を読む
「安居院庄七 50歳からの大冒険」出版に向けて

1人、地図、テキストの画像のようです


『二宮翁夜話』

「百里の道も一歩よりはじまる。千石の米も一粒からである。積小為大(せきしょういだい)をわすれて、一攫千金を夢みる一発主義くらい、危険なものはない。」

二宮翁夜話巻の1
【30】翁曰く、
世の中、大も小も限りなし、
浦賀港(うらがみなと)にては米を数ふるに、大船にて一艘(そう)二艘(そう)と云ひ、
蔵前にては三蔵四蔵と云ふなり、

然れども、其の米大粒なるにあらず、通常の米なり、
其の粒を数ふれば一升の粒六七万有るべし、
されば一握りの米も、其の数は無量と云ふて可なり、
まして其の米穀の功徳に於(おい)てをや、
春種を下(くだ)してより、稲生じ風雨寒暑を凌(しの)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(つ)き上げ白米となすまで、此の丹精容易ならず実に粒々辛苦なり、
其の粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(つ)ぐ、
其の功徳、又無量ならずや、
能く思ふべし、故に人は小々の行ひを積むを尊(たふと)むなり、
予が日課繩索(なはない)の方法の如きは、人々疑はずして勤るに進む、
是れ小を積みて大を為せばなり、
一房(ふさ)の繩にても、一銭の金にても、乞食に施すの類(るひ)にあらず、

大なる事は人の耳を驚かすのみにして、人々及ばずとして、退けば詮(せん)無き物なり、
縦令(たとひ)退かざるも、成功は遂げ難き物なり、
今爰(ここ)に数万金の富者ありといへども、必ず其の祖其の先一鍬の功よりして、小を積んで富を致せしに相違なし、
大船の帆柱、永代の橋杭(はしくひ)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌(しの)ぎ、日々夜々に精気を運んで長育(ちやういく)せし物なり、
而して昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへども、又大木となる疑ひなし、


「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」

【30】尊徳先生はおっしゃった。
世の中は、大も小も限りがない。
浦賀港では米を数えるのに、大船で一艘(そう)二艘と言い、蔵前では三蔵四蔵と言う。
実に俵米で数えるのは数に入らないようである。しかし、その米が大粒であるわけではない、通常の米だ。
その粒を数えれば一升の粒は6,7万あるであろう。そうであれば一握りの米も、その数は無量といってもよい。ましてその米穀の功徳においてはなおさらだ。
春に種を下してから、稲が生じ風雨や寒暑をしのいで、花が咲き実って、またこきおろし、つき上げて白米とするまで、この丹精は容易なものではない、実に粒々辛苦だ。
その粒々辛苦の米粒を日々無量に食べて命を継いでいる。
その功徳は、また無量ではないか、
よく思うがよい、だから人は小さい行いを積むことを尊ぶのだ。
私が教える日課繩ないの方法は、人々が疑わないで勤めるように勧めている、
これが小を積んで大をなす方法だ、一房の繩でも、一銭の金でも、乞食に施すの類ではない、
実に平等利益の正業であって、国家興復の手本だ。
大きい事業は人の耳を驚かすだけであって、人々がとても及ばないと、退くならば仕方が無い。
たとえ退かなくても、成功は遂げがたい。
今ここに数万金の富者があるといっても、必ずその祖先が一鍬の功から、小を積んで富をいたしたに違いない、大船の帆柱、永代の橋杭などのような大木であっても一粒の木の実から生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難をしのいで、日々夜々に精気を運んで生育したものだ。
昔の木の実だけが生育するだけでない、今の木の実でも、また大木となることは疑いない、
昔の木の実が今の大木となり、今の木の実が後世の大木なる事を、よくよくわきまえへて、 大を羨(うら)やまず小を恥かしがらず、速かであろう事を欲しないで、日夜怠らず勤めることを肝要とする
「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」

地図、テキストのイラストのようです
💛Sさんから手紙をいただいた。「安居院庄七先生小伝」をお送りしたお礼である。その一節に
「この世界レベルでの分断の時代に尊徳思想は打開の切り札になる力を秘めているのかなと思いつつ、一方で尊徳は藩の力、庄七は地主の力を借りて改革に取り組んだのに、現代のフラットな身分関係の中で、どのような展開があるのかなという点に興味をひかれました。」とあった。

森信三先生は尊徳先生のことについてこうおっしゃられた。「日本民族中、ある意味では最大の偉人ともいうべき二宮尊徳の思想と精神が、21世紀を迎えるにあたり、われら日本民族の指導原理として、再び脚光を浴びるのもそう遠くはないか、と思われるのである。」
森先生は、全世界がこれに目覚めるのはおそらくは21世紀の後半であろうと予言された。





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最終更新日  2024.11.27 16:13:19


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