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2024.12.27
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カテゴリ: 報徳

「安居院庄七 50歳からの大冒険」クラウドファンディング
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地図、テキストの画像のようです
「報徳記」巻の七において相馬仕法を開始するに当り
相馬藩は最初に「山中郷草野村」を開業の候補としました。
尊徳先生は「そもそも仕法の道は善を賞し不能を教えることを主とします。
一村を風化するのも同様です。」と述べました。
「領内に人気風俗が共に善美で、郡中の模範とするべき村を選んで、第一に開業して大きな恩恵を施す時には、四方の村は皆心が強く動かされ、発奮して自ら怠惰を改め、汚俗を洗い流して法令を守り、農業に励み奮い立つことは、たとえば一束のたきぎに、わずか一本のたきぎを打ち込むときに一束のたきぎのすべてがしまって堅固であるようなものです。これがここに一をあげると全部があがるという道理です」


 ついで相馬藩は領内の中央にある小高郷(おだかごう)の大井村・塚原両村に開業することを先生に求めました。大井村は貧村で村民は怠惰でした。塚原村は海水が田に入って復興は難しい。先生は開業することを承諾されたが、仕法を開始されませんでした。相馬藩家老はしばしば開業を求めましたが、尊徳先生は、公務でいとまがないと開業されなかったのです。

『富田高慶日記』によると尊徳先生は
「大井村の姿は、たとえば屋根屋が来るということを知って何の用意もしないで坐して待っているようなものだ。屋根屋がどうして行こうか。村を起すそうだと見物している村へどうして求めて、こちらから仕法を下そうか。」と言われています。

報徳記  巻之七 【3】相馬領成田坪田両邑に良法を開業す
成田・坪田両村の代官助役高野丹吾はさきに成田・坪田両村を再復する事を命じられたが、旧来の貧村が自力で及ぶ所ではなかった。二宮先生の教えを聞いて非常に感動して、良法を起こそうと計って、両村に尊徳先生の安民の方法を示した。
「この道でなければ、旧復のときは来ない」と力を尽して弁舌し説明した。
ついに両村の名主や村民ともに喜んでこれを歎願しようとした。しかし請願の誠意が立たなくては、むやみに得られないであろうと、高野が持っていたモミ50俵を出し、貧村を再復するもとでとした。両村の有志の者や他村の名主にいたるまでこれを聞いて、各々その分に応じて米や金を出して誠意をあらわした。ここに両村の戸数、人口、田畑の数や廃地の反歩(たんぶ)、民家の貧富を調べて、仕法を歎願する書と共に池田家老に提出しました。二宮先生はおっしゃった。
「今、両村が誠意をあらわし、領中に先立って仕法を歎願することは大変賞賛するべきことだ。私の道を施すことは難村を先にすることはないけれども、この誠意を取り上げない時は、善を勧める道に欠けているようにも思える。やむを得ない。その願いに応じ開業しよう。」

仕法発業の地には、領内の中心地でかつ村民自身の意欲が勝れた地を選ぶ という仕法発業の方針にかなっていることが本地図で理解できます。矢倉沢往還と小田原への道が交わる竹松村と曽比村という中心地をえらび、竹松村の名主・幸内、曽比村の名主・剣持広吉という、報徳に熱心な名主の要望にこたえて小田原仕法を開始された。





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最終更新日  2024.12.27 12:00:17


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