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2025.01.29
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『雛形若菜』の甘い罠



女郎からの入銀が期待できない中、鱗形屋に相談に向かうも「『一目千本』の出版前に一言欲しかった」と言われてしまいます。

★引き上げる袖で怨むようにみつめる鱗形屋を演ずる片岡愛之助の目の演技は歌舞伎の舞台を見ているよう(^^)
片岡愛之助さんから「見上げたもんだよ屋根屋の褌」のトラさんでなじみのシャレが出るとは。
「田へした(大した)もんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。」


その後、平賀源内とのやりとりからヒントを得、呉服屋から広告タイアップを獲得することをひらめいた蔦重でしたが、なかなか色よい返事をもらうことができません。

店先で「原因は知名度の低さにあるのでは」と駿河屋市右衛門から指摘された蔦重。

落ち込んでいるところに、錦絵で有名な版元・西村屋与八(演:西村まさ彦さん)がやってきます。

たまたま耳にしたという呉服屋タイアップの件に、一枚噛ませてほしいと話す西村屋。

完成した錦絵を売り捌く手伝いをすると蔦重へ持ち掛けます。



「ぜひお願いしやす!」とこたえて西村屋との打ち合わせに向かった蔦重でしたが、なぜかその様子を駿河屋はいぶかしげに眺めます。『べらぼう』蔦重をだまして祝杯をあげた鱗形屋と西村屋。しかしその企みに気づいていた人物が…視聴者「いつものように怒鳴らず」「北条の三つ鱗が鱗形 ...
ここで副音声では「渋い顔で見ている市右衛門」という解説が流れ、首を振りながら市右衛門は店内に戻っていくのでした。

★なるほど「渋い顔で見ている市右衛門」という解説は伏線だったんだ。
それにしても 西村屋与八を西村まさ彦さんが演ずるとは、好好爺にしかみえない。・・・世の中はこのようなもの(^^) ⇒だまされる!

その後、西村屋の参加によって呉服屋から入銀が集まったことで、無事に完成した錦絵。

蔦重が、自らの版元「耕書堂」の印が捺印された美しい錦絵を、呉服屋や女郎屋の主人に披露していると、そこに西村屋と鱗形屋、そして地本問屋・鶴屋喜右衛門がやってきます。

すると なぜか平謝りを始めた西村屋

続けて鶴屋たちは、市中で販売するには地本問屋の株仲間である必要があり、条件を満たさない「耕書堂」の印の入った錦絵は未来永劫、売ることが出来ないと説明する。

その説明に静まり返る一堂でしたが、「蔦重さえ手を引けば丸く収まる」と女郎屋・大文字屋が提案。

西村屋に版元を統一するという案を出すと、同席者はみなそれに賛同します。



その後、場面が変わると 鱗形屋と西村屋が祝杯をあげるシーン へ。

お互いの演技のうまさを褒め合う二人でしたが、西村屋から「今後蔦重をどうするのか」と問われると、 「蔦重ごと吉原を丸抱えしたいのさ」 と、己の野望をむき出しにしながら鱗形屋が答える。
蔦屋重三郎の書店「耕書堂」の店先(葛飾北斎 画) | 日本美術, キャンバスプリント, アートのアイデア
💛どうする?蔦重 本編の場合は 「耕書堂」の印の入った錦絵が広まる史実がわかっているものの、どう打開するか、楽しみ。ビジネス書みたい。




『べらぼう』蔦重の師でありライバルだった鱗形屋孫兵衛とはどんな人?
江戸の版元は享保年間(1761~1736)に、取り扱う出版物の内容によって、「書物問屋(しょもつどいや)」と、「地本問屋(じほんどいや)」に二分されたという(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。
 書物問屋は、「物之本(もののほん)」と呼ばれる歴史書、儒学書、医学書、仏教経典など、堅い内容の出版物を主に扱った。
 江戸の書物問屋の多くは、上方の資本によって設立された店舗、あるいは、上方の本屋が出店したものだった。書物問屋は「下り本(上方で出版された本)」を販売するだけではなく、専門書、および学術書などを出版する版元でもあったという(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。

 対して地本問屋は、草双紙(絵入りの娯楽本)、浄瑠璃本、錦絵(浮世絵)など、江戸で出版された(地本)、書物問屋に比べて娯楽性の強い出版物を扱う。

 地本問屋にも、版元としての一面もあった。

鱗形屋孫兵衛は明暦年間(1655~1658年)、あるいは万治年間(1658~1661)頃から、江戸で出版をはじめたとされる老舗の地本問屋の三代目で、鶴鱗堂、もしくは鶴林堂と号した(初代は加兵衛、二代目は三左衛門)。

 草双紙や芝居本、評判記など、数多くの出版している大版元であり、ドラマにも登場した『吉原細見』の出版は、享保中期(1725年頃)以後、盛んになり、複数の版元が手がけていたが、鱗形屋孫兵衛の単独事業となっていた。

 安永3年(1774)、蔦屋重三郎は『吉原細見』の改め役を依頼されている。

 翌年、鱗形屋孫兵衛は、江戸文学史に名を残す画期的な作品を世に送り出し、大成功を収める。それは、初の黄表紙文学といわれる『金々先生栄花夢』である。

『金々先生栄花夢』の簡単な内容は以下の通りである。

 立身出世を夢見て江戸へ向かう金村屋金兵衛(かなむらやきんぴようえ)という若者が、目黒不動の門前の茶屋で注文した粟餅を待っている間に、うたた寝し、夢を見る。

 富商の養子に迎えられ、吉原などの遊里で豪遊するも、勘当されてしまうというところで、夢から覚め、人生を悟って、元いた村に帰ったという。

『金々先生栄花夢』が大ヒットした安永4年(1775)鱗形屋孫兵衛の手代・徳兵衛が重板(じゅうはん/同じものを無断で出版すること)によるトラブルを起こし、重い処罰を受けたのだ。

 最高責任者である鱗形屋孫兵衛も二十貫文の罰金を科せられ、社会的信用を失った。

 経営にも悪影響を与え、この年の秋に予定していた「吉原細見」の刊行もできなくなる。

 その隙を突くように、蔦屋重三郎は蔦重版の「吉原細見」である『籬(まがき)の花』の出版に踏み切った。

 サイズを大きくし、レイアウトを変更した、見やすくわかりやすい蔦重版の「吉原細見」は好評を博した。

鱗形屋も、翌安永5年(1776)には「吉原細見」の刊行を再開したが、天明3年(1783)には、蔦重版の独占状態となっている。





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最終更新日  2025.01.29 01:18:07


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