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2025.04.25
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記巻之5   【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ その2

報徳記&二宮翁夜話198

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「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。
安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。
現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。
神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。

報徳記
巻之五【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ

その歳の12月先生はすぐに小田原に赴いて
「君命を受けて飢えた民を救済するために来た」と言われた。
命令の趣旨を伝達して、こう言われた。
今年は大飢饉の年にあたっている。
殿は病床におわして、領民が飢えて罪も無く死亡に至っていることを歎かれ、私に救済を十分に行うよう命じられた。
私は野州三村の民を救済し、かの地の用財を持ち来ってはいるが、どうして小田原領救済の一端を補うに足ろう。
殿は江戸において手元金千両を私に賜わり、米粟(べいぞく)は小田原において蔵を開いて、救済の用にあてるよう命じられた。
速かに米倉を開いて飢えた民にこれ貸して、その飢渇を救おう


「今領中の飢えた民は幾万あるかわからない。
蔵の米でどうしてあまねく貸し与えるに足りよう。
それに殿がこの事を二宮に命じられたといっても、未だそれがしらに米倉を開いて飢えた民を救済せよとの命令はない。
君命がないうちに米倉を私(わたくし)には開きがたい。
後になって命令を待たないで、二宮の一言で主君の蔵を開いたという咎めがあれば、どうしてその罪を免れることができようか、この旨を江戸に伺って、命令があってから開いたほうがよい。
どうして二宮の一言で開いてよかろうか 」
と衆議は一向に決しなかった。
先生は顔色を正して声を張り上げて言われた。
今幾万もの飢えた民の露命が今夕にも迫っている。
その困苦や悲歎は、いかばかりであろう。
殿自ら病苦を忘れ、日夜飢えた民の痛苦をのみ憂え、臣に命ずるの間も救助が遅れる
事を歎かれていた。
しかるに各位の職は領民を安んずることが任務ではないか。
上は殿の心を安んじ、下は万民の苦しみを除き、国家をして永く憂いなからしめる職ではないか。
今、殿は大いに憂労したまうのもかえりみないで、いたずらに常論を口に出すばかり、日を費し、民が飢え死にするのをを待つならば、どうして国家のために心力)を尽くす忠義があるとなしえようか。
私は君命を受けてこの地に至らなくても、各々速かに救済の道を行い、一民も飢渇の憂いなからしめ、その後に殿に言上し、危急といいながら主命を待たなかった咎めがあるならば、その罪に服しましょうとこのようにすることが、君に代って国を守り、まつりごとをとるものの任務ではないのか。
ましてや私が君命を伝達して米倉を開くことを要求しているにもかかわらず、なおこれを疑って江戸に伺おうとする。
往復に数日でなければ再度の君命は当地には達しない。
民の死亡に及ぶのを、朝や夕なに待つことはできない。
おのおの、君命を得て蔵を開く時になれば、飢民の過半が既に死亡に至ることは必然である。
救済の道がこのようであって、はたしてそれが至当であるとするのか。
ああ、惑っているというべきである。
しかしながら各々の心はここにはない。
論議しても何の役にもたたない。
明日から各々食を断って役所に来て、この評議が決するまでは決して食事をしてはならない。
飽食し安居して飢えて苦しんでいる民を救ふことを坐って論ずるならば、その民の困苦を知ることはできない。
いつになっても評決することができようか。
今飢えた民の事を論議するに、自ら食を絶ってこれを論議すればその可否を論じないで自らわかるであろう。
私もまた断食してこの席に臨もう。
各々必ずこのようにせよ
」 
とその声は雷のように、一坐の者は大いに驚いて、また当然の道理を感
じて、即刻米蔵を開こうと言った。


報徳記
巻之五【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ

時(とき)に歳(とし)の十二月先生忽然(こつぜん)として小田原に至り
君命を受け飢民(きみん)を撫育(ぶいく)せんが爲(ため)に來(きた)れり と。
命令の趣旨を達して、曰く
今年(ことし)大凶(だいきよう)に當(あた)れり。
君病床に在(おは)して大いに、國民(こくみん)の飢渇に及び罪無くして死亡に至らんことを歎き、我をして救荒(きうくわう)の道を存分に行ふべし と命じ玉へり。
我野州三邑(いふ)の民を撫育し、彼(か)の地の用財を持ち來(きた)れりといへども、何ぞ其の一端を補ふに足らん。
君(きみ)江都(かうと)に於(おい)て手元金千兩(りやう)を某(それがし)に賜ひ、米粟(べいぞく)は小田原に於て藏(くら)を開き、救荒(きうくわう)の用に當(あ)てん と命じ玉ふ。
速かに倉廩(さうりん)を開き飢民に之を賑貸(しんたい)して、其の飢渇を救はん 
と云ふ、
大夫以下一度は喜び一度は其の處置(しょち)如何(いかに)と疑惑し、互に議して曰く、
今領中の飢民幾萬(まん)かある。
廩粟(りんぞく)何を以て周(あまね)く賑貸(しんたい)するに足らん。
且(かつ)君(きみ)此の事を二宮に命じ玉ふといへども、未だ某等(それがしら)に倉廩(さうりん)を開き飢民を撫せよとの命令なし。
君命至らずして倉廩(さうりん)を私(わたくし)には開き難し。
後日令(れい)を待たず二宮の一言(げん)を以て君の藏(くら)を開きたるの咎(とが)めあれば、何を以て其の罪を免れんや、此の旨を以て江都(かうと)に伺ひ、命令あらば開くべし。
何ぞ二宮の一言を以てせんやと衆議更に決せず。
先生顔色(がんしよく)を正し聲(こゑ)を励して曰く、
今幾萬(まん)の飢民露命旦夕(たんせき)に迫れり、其の困苦悲歎幾許(いくばく)なるや。
君(きみ)自ら病苦を忘れ、日夜飢民の痛苦をのみ憂ひ、臣に命ずるの間(あひだ)も救助の後(おく)れん事を歎き玉ふ。
然るに各位の職(しょく)國民(くくみん)を安んずるを以て任とし、上(かみ)君(きみ)の心を安んじ下(しも)萬民(ばんみん)の疾苦(しつく)を除き、國家(こくか)をして永(なが)く憂ひなからしむるの職にあらずや。
今君大いに憂勞(いうらう)をも省(かへり)みず。
徒(いたづら)に常論を發(はつ)し日を費(つひや)し民の餓ヒヨウ(がへう)を待たば、何を以て國家(こくか)の爲(ため)に心力(しんりよく)を盡(つく)すの忠義となすを得んや。
我君命を受け此の地に至らずといへども、各々速かに救荒(きうくわう)の道を行ひ一民も飢渇の憂なからしめ、然(しかる)後君に言上し、危急といへども主命を待たざるの咎めあらば、其の罪に服せんこと是元より君に代りて國(くに)を守り政(まつりごと)を執(と)るものゝ任にあらずや。
況んや我君命を傅(つた)へて廩粟(りんぞく)を發(ひら)かんことを請ふ。
猶(なほ)之を疑ひ江都(かうと)に伺はんとす。
往還(わうくわん)數日(すうじつ)にあらざれば再度の君命當地(たうち)に達せず。
民の死亡に及ばんこと朝夕(てうせき)を待つべからず。
各(おのおの)君命を得て廩(りん)を開く時に至らば、飢民既に過半死亡せん事必然たり。
救荒(きうくわう)の道是(こ)の如くにして其の至當(したう)を得たりとせんか、
嗚呼(あゝ)惑ひたりと云ふべし。
然れども各々の心斯(こゝ)にあらず。
言論(げんろん)何の益かあらん。
明日より各々斷食(だんじき)して役所に至り、此の評議決せん迄(まで)は必ず食すべからず。
飽食(ほうしよく)安居(あんきよ)して飢渇の民を救ふことを坐上に論ぜば其の民の困苦を知らず。
何(いづれ)れの時か評決することを得んや。
今飢民の事を議するに、自ら食を斷(だん)じて之を議せば其の可否論ぜずして自ら辨(べん)ぜん。
某(それがし)も亦斷食(だんじき)して此の席に臨まん。
各々必ず此(こ)の如くせよ

と其の聲(こゑ)雷(らい)の如く、一坐大いに驚き且(かつ)當然(たうぜん)の理を感じ、即刻倉廩(さうりん)を發(はつ)せんと云ふ。





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最終更新日  2025.04.25 00:00:26


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