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2025.11.20
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

修証一如  その9

 大智禅師の『十二時法話』に
「仏祖の正伝はただ坐禅にて候。坐禅と申すは、手を組み足をも組み、身をもゆがめず、正しく持せたまひて、心に何事もおもふことなく、たとひ仏法なりとも、心をかけずして御座候べし。其を仏にもこへたると申し候なり。況や生死の流転をや。此身一たび諸仏の願海に捨て候て後には、ただ諸仏の御振舞の如くに行ぜさせたまひ候ひて、二たび私に我が身をかへりみることあるべからず」という一文がある。
 仏法の中へボソッとはmりこんでしまって、自分ーわが身というものを顧みない。この『十二時法話』は大智禅師が菊池武時に授けられた法語である。ここのところだけは容易に体得できぬものと見えて、いつの時代でもここのところにゆき、悩みができるのである。
 『伝光録』に第五十二祖、すなわち永平寺の二代様懐奘禅師が道元禅師に参禅された因縁を、肉なお温かき三代様の太祖大師がしたためてござらっしゃる一段がある。それによると二代様は比叡山の円能法印の許で十八歳の時に得度された。それから一心に勉強されて、ある時お母さんのところに帰ってみると、お母さんは「お前を坊さんにしたのは、名利の学業を積んで、名高い坊さんになってもらいたいためではない。黒衣の非人となって、一生涯背には笠を負う雲水になってもらいたいのだ」という。これを聞いて二代様は、叡山に戻らず、母の仰せにしたがって、念仏の奥義を究め、それから多武峯の仏地上人に参禅して禅の奥義を得られた。
 そのころ道元禅師がシナの大宋国から正法を伝えて帰られて建仁寺におられ、これを弘めようとしておられることを聞かれた。しかし二代様のお考えでは、わしはすでに天台の三止三観に通じている、浄土一門の奥義にも通じている。その上多武峯に参じて見性成仏のむねも明らめた。シナへゆかれたといっても大したことはあるまい、まあ試してやれ、というくらいの考えで道元禅師にお眼にかかって、両三日の間話してみると、自分の境涯と同じことである。やはりシナへゆかれた方だけあって、わしぐらいのところには行ってござらっしゃると思った。しかし日数をへるにしたがって、次第に道元禅師の見解とは違うものがでてきた。ついにお弟子になって、その後は禅師の侍者として、一日も師の傍らを離れず、影の形にそうごとくお世話申し上げたのである。(『禅談』p.239-240)
 その二代様は道元禅師より御歳が上でしたが、禅師が五十四歳でなくなられてからは、二十五年の間道元禅師の宗風を弘め、いよいよ最後の八十一歳になって、これだけは説いておかなければ、後世必ず間違いを起こすという思召しで説かれたのが『光明三昧』という書である。しかしこれも一言でいえば「本を得て末を愁ふること莫れ」の道理につきるのである。
 これによってみると、ただ仏道修行ということを、間違いなく修行せよ、気狂いじみたことを悟りと思うて、間違ってはならぬぞ。「漢土、隋唐宋より今に至るまで稲麻竹葦(とうまちくい)の如し、あはれまざらんや」と間違った悟りをしている者がどれだけあったか知れないと、懇切丁寧に説かれてある。





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最終更新日  2025.11.20 08:00:14
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