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2025.12.02
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

普勧坐禅儀抄話その21

  所謂坐禅は習禅には非ず、唯是れ安楽の法門なり
 みんなの坐禅と沢木の坐禅とどちらが良いか、というと、それは沢木さんの坐禅は上等で、なかなかあんなふうにはゆかないと、買いかぶる。それは大きな間違いである。石川五右衛門が盗みをすると、わたしが盗みをするのとどちらが上等かというのと同じである。わたしが石川五右衛門のように千鳥の香炉を取ったら、わたしも石川五右衛門と同じになる。坐禅もそれと同じである。わたしの坐禅がお釈迦様の坐禅であり、達磨さんの坐禅であり、道元禅師の坐禅であり、みんなの坐禅である。何もよけいやったからというて積み上げてゆけるようなものではない。わたしの知っている人に、おれは若い時にはよく坐禅をしたという人がある。「いまはどうですか」というと「いまは一服しているがね」という。それでは「わたしは、六十年正直者できたが、いまは一服している」というのと同じである。人の金時計を盗んだら一遍に泥棒になる。その反対にいままで泥棒であっても、それを一遍にやめたら正直者になる。もちろんこれは宗教的な見方で社会的な見方ではない。宗教では一遍にくるっと変わることができる。そこが「坐禅は習禅には非ず、唯是れ安楽の法門なり」で、安楽の法門とはゆきつくところまでいっておる。中途半端ではないということで、喜びあり、楽しみあり、落着あって坐禅が坐禅となりきることである。坐禅は法門であって、物と比較する形ではないのである。(『禅談』p.334-336)





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最終更新日  2025.12.02 06:00:07


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