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2026.05.30
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カテゴリ: 内村鑑三
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内村鑑三Q&A 山本泰次郎

「内村鑑三Q&A 山本泰次郎」 その6 クラーク先生

Q クラークの札幌伝道といえば、日本の伝道史上に特筆大書されている偉大な伝道ですが、彼は宣教師ではなかったと聞きますが。

A ウィリアム・エス・クラークは陸軍大佐で南北戦争生き残りの勇士でしたが、彼はアマスト大学を出てから農学博士となり、当時はマセチューセッツ州立農科大学校長の職にあり、科学者としても一人材として学界の尊敬をあつめていました。しかし宗教のことについては一平信徒に過ぎず、もちろん宣教師とか伝道師とかいう職業的宗教家ではありませんでした。

クラーク写真.JPG

<クラーク精神( Clarkii Spirit )> いかにしてピューリタニズムは札幌に伝わりしか

黒田長官から、新たに北海道に創立する学校に特に熟達した教師をと人選を託された在米国特命全権公使吉田清成は面識のあったマサチューセッツ州立農科大学校長クラークに『先生ご自身おいでくださるご意志はありませんか』と相談した。

『面白い、行ってやろう』。

クラークは農科大学校長在職のまま一年の賜暇(1876年5月20日から1年)を得て、招聘に応じた。

その際知人に『日本で新たな学校を設立するには2年は必要でしょう』と言われ、『自分は1年でなし遂げる』と自信を示した。

明治9年6月29日クラークはホイラー、ペンハロー2教授を伴って横浜に到着する。

一方開拓使は優秀な生徒を「教師到着の節直ちに試業」し募集した。

開拓使設置の札幌学校の生徒で進学できる生徒は20名に満たず、文部省管轄下の東京英語学校と開成学校にも開拓使の生徒募集公告が張り出された。

その第一の条件は英語での読み書きの能力で、在学期間は4年、卒業後北海道で5年実務従事の義務があり、全て貸費生という条件だった。

生徒は7月5日クラークら3人のアメリカ人教師から口頭試問を受け11名合格した。

黒田長官とクラークらは7月25日玄武丸で北海道に出発した。

生徒は三等室に押しこめられ、風波による船酔いなど憤懣押え難く、土佐ボーイの黒岩・田内らが一等室の頭上の甲板を踏み鳴らし放歌高吟した。

黒田長官は烈火の如く怒り、「函館に着いたら全員追い返せ」と航海中謹慎を命じた。

側近になだめられ放校処分は免じたが、乱暴な生徒への道徳教育を痛感してクラークに問うた。

『今回あなたをアメリカからお迎えしたのは、単に学問を教えて頂くためではありません。生徒を薫陶して北海道の拓殖に役立つ有為な人間に育て上げ、日本のために役に立つ者にしたい、それが私の念願です』

クラークは承知したが、徳育のために聖書を使用することの是非について議論となり、決着がつかなかった。

クラークは7月始め横浜で英文聖書30冊の寄贈を受けていた。

この事情について内村鑑三がアマースト留学中クラークに聞くとこう答えたという。

「農学校を建てる事、農学教育を授ける事は決まっていた。

長官は私に『先生に特別に頼みたい事はこの学校の徳育教育です。先生はどういう方針で教育されますか』と問うた。

『私にはただ一つの道があります。私はキリスト教を教えます』

黒田長官『キリスト教はわが国で永い間禁教です。わが国にはわが国の宗教がある。キリスト教はご免こうむりたい』

『私の道徳はキリスト教です。それで悪ければ道徳教育は行いません』

その問答が繰り返えされた。

開校式前夜、長官がクラークを呼んで

『先生あなた変えないか』

『変えません、私の道徳はキリスト教です』

『ではよろしい。教えなさい。然しごく内証で教えてください』

(「如何にして基督教は始めて札幌に伝わりしや」)

明治9年8月14日開校式があった。

黒田長官は、

「わが国の農業は多くは老農老圃の実験により慣習にたよるため、進歩がない。

そこで今、農学校を設け、教師を海外から求め、育英啓蒙し、農学を一新しようと思う。

この目的を達せば北海道だけでなく、全国に普及しよう。

これが本官が本校に望む所である」と式辞を述べた。

クラークも「青年紳士諸君、君らの母国において、勤労とまたそれより生ずる栄誉の最高地を得んがために努力せよ。

常に健康に留意し、食欲を慎しみ、性欲を制する力を養い、従順と勤勉の習慣を養い、学術を研究せよ」と述べた。

大島正健は明治9年11月26日の手紙で

「クラーク氏は博学秀才で生徒に示すに種々の金言を以てし、深くキリスト教を信じ、当地は固く禁教となっていたが、先生の高説に黒田公も一啄も入れられず。

今日に至っては置いて問われなくなった」と報じた。

クラークはまず禁酒禁煙の誓約に教授生徒に署名させた。

後日視察に来た長官は生徒の態度に満足し、徳育をクラークに一任した。

そこでクラークは用意の聖書を生徒に渡し、自室で生徒のために日曜学校を開いて、聖書を教えた。






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最終更新日  2026.05.30 14:00:05


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