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真っ白な大きな画布に 先ず最初に僕が一本の樹木を描いた それは大好きなイチョウの古木 黄緑色に陽が射し込んで 金粉を散りばめているような 若葉が天使を呼び寄せているような そんな樹木を描いたんだ それが二本になり三本になり 何時の間にか ハイネの詩に出てくるような 写実的な西洋絵画のような 森を形づくっていた 或る日突然 一匹の白兎の絵が描き加えられていた きっと君が描いたんだね 僕は嬉しくなって 画布の左に白樺の樹を植えた すると君が青く澄み渡った 楕円形の湖を描き入れた 僕の手で右上方に太陽を輝かせると 湖畔には優しい小花をいっぱい 赤、黄、紫、黄色、ピンクの彩りを 君が描き入れた 僕はすかさず湖面に つの字の首をした白鳥を浮かばせた すると画布の左方から右へと 七色の虹の架け橋を君が描き足した こうして僕たちの風景画が 誕生した
2005.01.31
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来月の十日、おりくの所属する向陽俳句会では、他のサークルと一緒に作品の発表会があります。で、短冊と色紙に自句を認(したた)めなくてはなりません。・・・確かぁ~実家の何処かに未使用の短冊があったナと想い出し、本日、押入れの数箇所を探してみました。仏壇の傍には亡父の残した短冊もあって、季節の変わり目には入れ替えています。今の時節にぴったりの句がありました。 梅咲いて貴船は春におくれがち すばる 新春から大河ドラマ「義経」が始まりましたが、その隠遁場所にほど近い”貴船”は下賀茂、上賀茂神社より更に京の奥の北部の山地に在りますから、春を彩る花々も他所より遅れて咲きます。此処の梅は、きっとずっと遅れて咲いたのでしょうね。貴船という場所を正確に詠んでいるように思います。 たたみたる春雨傘の玉雫 すばる この句は三月中旬頃を詠んだものでしょうか。客を我が家に向かえた時、或いは自分が何処かへ出かけて傘を畳んだ時、V字型になった傘の生地を表面張力を保ちながら零れ伝う雫に目が凝集したもの。夏や秋や冬とは趣きの異なる、春の”まろやかさ”を玉雫という言葉で表現しています。 さて、あっちこっちの押入れを探索していると、デパートの包装紙に包まれた木製の短冊容れの中に、未使用の短冊がありました。もう一つ練習用の短冊(綴じたもの)数冊と未使用のものが見つかりました。これは近々自宅に持ち帰り、昨年向陽句会で発表した自句の中から、お気に入りを選んで書くことにします。
2005.01.30
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実家にて母と一緒に朝食を摂ろうとした刹那、おりくの携帯が鳴り響きました。自宅の家内から「植木屋さんが来ているのだけど、もう直ぐ終わりそう。其処の”ぶた饅”買って来て~」との至上命令に、慌てて近くのコンビニで”ぶた饅”七つ買い求め、自宅へまっしぐらに愛馬(電気自転車)を走らせました。去年は台風の當り年。そんな中、自宅の狭庭に枯れてしまった4メートルもの樹の撤去と、桜(さくらんぼ)や木犀の刈り込みを早くから植木屋さんに依頼していたものの、受付の老婆さんの取次ぎ忘れなのか一向に音沙汰無しでした。実家の刈り込みの時その旨確認したところ、伺っていませんでした。年明けにも伺いますという流れで本日に至ったのでした。さくらんぼの出来る桜の樹は、光りを求める余り、お隣りの庭(と言っても地のお百姓さんだから、地所が広いのです)に七割方はみ出して居て、錆び付いた鉄柵が斜めに歪み此の儘では基礎のブロック塀さへ壊し兼ねないという事情なので、泣く泣く根元から切断して貰わざるえを得なかったのでした。家内もおりくも、この樹には愛着がありました。棲みついて、かれこれ二十年、五月頃に可愛い、真っ赤な実をつけてくれました。家内は自然受粉に任せず、近所や大山崎山荘、その他観光地の桜の花粉を大切に持ち帰り受粉させていたのですから・・・。しかし事情が事情ですから、鬼子母神になった訳なのです。”藤右衛門さん、ごめんなさい”の心境なのです。 さて、桜を斬り、木犀などを刈り、錆びた黒鉄柵を取り除いたあとの見晴らしの良いこと・・・。東方向に走る東海道線も垣間見れるほど、すっきりしました。今回の続きは、植木鉢を幾つもぶら下げることの出来る網目の鉄柵を据え、現代風のパーゴラを附けることで工事は完了します。
2005.01.29
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こんなに麗らかな冬の日があったのですね。真っ暗な部屋の雨戸を開けた瞬間、勢いのある日光が常緑樹に降り注いでいるではありませんか。よ~し今日は布団干しをするぞと決心しました。湯を沸かし、一番湯で仏様にお茶を供え、菜の花を湯がいたものと、スクランブル・エッグ。苺を七粒。ペーパー方式のコーヒーを入れ、母と朝食。食事が済めば早速、芝生の庭に椅子を2脚据え敷布団を乗せ、物干し竿には上掛け布団や毛布などを干しました。ついでに住居の周りを散策。空には見事な飛行機雲。お隣さんの庭には蝋梅が盛りです。ぽかぽか陽気に釣られ、実家の道路際の溝を掃きました。先日から気になっていましたから、腰を曲げる辛い仕事ながら、綺麗な溝に心もすっきり。こんな冬の日ばかりなら、おりくもニコニコです。
2005.01.28
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枯れ色の雑木林 澱んだ空 鼻腔を攻める寒風おりくには冬は酷。それでも実家から図書館への道すがら、天神さまの池畔には蕾と幾つかの愛らしい花をつけた梅を見つけたよ。大山崎へ向う住宅街の一角で、大きな花弁をつけた黄色い薔薇の花も見つけたよ。薔薇の花びらは、あんなにも薄いのに、幾重にあつまって木枯しに堪えているよ。 来月の9日は「四温句会」の日だけれど、国宝の”待庵”(妙喜庵)を拝観できるので、大山崎ふるさと案内人講座の実地案内の行事に参加することにしよう。茶道の父、千利休が茶の道は斯くあるべしと形で表わした、小ぶりな茶室。本日の講座ではガイドとしての心得などを学びましたが、”歴史街道”にも参画している大山崎は、例えば大文字山よりも天王山の方が人気で勝っていたようです。制服のサイズなど、いよいよ卒業まであと1カ月半あまり。私たち同期生十数名が加わって、当地の観光が更に活発化すれば嬉しい限りです。
2005.01.27
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亡父は実にマメな男でした。いろんなお菓子のシリーズものの付録は、必ずと言って良いほど集めていたし、昔、トリス(現サントリー)の小冊子「洋酒天国」は、ほぼ全巻残していると思われます。そして今おりくが手にしているモノは、掌に乗るほどの大きさの日本専売公社(現日本たばこ産業)から出版された50頁に満たない小冊子で、「たばこマナー読本」、「たばこ小百科事典」、「たばこのしおり」、「たばこのT・P・O」、「紫煙逸話集」、「TABACCO79」、「(たばこ小史)たばこ製造専売」、「たばこ立ちばなし」、「続・たばこ立ちばなし」、「続々・たばこ立ちばなし」などがそれです。 その中の一部から紹介しますと、樋口一葉はヘビースモーカーであった事が書かれています。小説を書く時は必ずタバコを手元に置き、朱らおのキセルで一服吸いつけてはペンを走らせ、行き詰ると亦一服。その証拠に一葉の作品には、たばこの場面がよく出て来るのです。高級官吏に見染められて貧家から嫁に来たものの、周囲の冷たい眼に身の置き所のない若妻の嘆きを描いた「十三夜」には、<煙にまぎらすたばこ二、三服から咳こんこんとして、涙をじゅばんの袖に隠しぬ」という女将の表現。「にごりえ」にはお力という女性に触れて、<胸くつろげてたばこすぱすぱ、立ちひざの無作法さもとがめる人のなきこそよけれ>と綴っています。登場人物の性格をたばこを吸うしぐさひとつで、見事に描写されているのも、彼女が愛煙家だったからこそと言えるでしょう。余談ながらたばこポスター百年史によれば、昭和30年代:有馬稲子、33年:司葉子、34年:池内淳子、39年:佐久間良子、40年代には浅丘ルリ子、池内淳子、浜美枝、大空真弓、江波杏子など懐かしい女優さんがずらり。
2005.01.26
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めでたい一月の句会、二つを一挙公開しましょう。先ずは1月21日(金)の鱗華会の例会から。 こんにゃくもひとひねりして寝正月 興胤 神木の闇を炎(ひ)が抜け吉書揚 政利 初髪の香りも高くご一献 克己 積雪の里はモノログ遠汽笛 数子 亡母(はは)の座にわたしが座る初春の膳 昭子 晩学や五万米(ごまめ)を噛めばほろ苦く 興作 人日や元の昏さの違ひ棚 正 初鴉白白明けのネオン街 数子 柚風呂の柚子と遊びて夫を恋ふ 薫子 一笛の蒼穹を割く初神楽 曼莉 残す財無くて徳利の燗の守り 政利 初鶏の音痴で明けしおらが里 興胤 初髪の亡母(はは)の写真も七十年 道代 初詣みくじを引かず鳩に豆 薫子 初日記わが人生の横糸に 星子 女子駅伝背後に迫る靴の音 星子 一方、向日市の句会は9号線を右折した山里にある”筍亭”にて和やかに開催されました。今回は主宰もご出席、しかも披講も務めて戴き、座が締りました。句会では披講の良否で盛り上がりも、句のニュアンスも変ります。 初伊勢や波の飛沫に身を浄め 明美 初詣千木の社に世を憂ふ 美代子 初日記無病息災したためて れい子 古き友年賀状よりさき来る 洋花 英虞湾をあかねに染めし初景色 静 初春や神の大樹を抱擁す 容子 我が城は昼の炬燵でありにけり 信 集う子の笑顔肴に年の酒 孝一 年酒は浮き立つ胸に引火して けい子 初景色青いフィルムねじれをり 貴代美 冬かもめ海光纏う真珠棚 容子 墓守の少し着飾る初景色 富恵 手みやげの丁稚羊羹山ねむる 豊子 小天地笑うてござる雪達磨 けい子 うす暗き仏間に灯淑気満つ 明 八方の尾根陽に光る霧氷林 としお 一本の竹のさゆらぎ初句会 貴代美 雪しきり眠れない夜のビバルディ 貴代美 残雪の庚申堂より手が招く 貴代美 冬至柚貰ってほっこり風呂支度 順子 提灯の老舗を過(よ)ぎる小正月 星子 歌かるた天津乙女に重なる手 星子 なみなみと屠蘇を注がせて家長たり 星子 喜寿の眸にウインク贈り小正月 星子 堀炬燵起てばついでの用浴びる 星子 一献頂いたおりくは、めでたい赤ら顔でした。
2005.01.25
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寒がりのおりくには、背を丸め、空中に白息を吐きながら観る二月の”梅”よりも、温かくなり、光の照度も増す四月の”桜”の方が親しいのですが、古来、花と言えば”梅”を指していたのですから、もう一度、考えてみたいなと思いました。先ず枝ぶりから比較すると、幹の光沢、風情から圧倒的に梅に軍配が上がります。桜の中には香りを放つ種も一部ありますが、梅の芳香は遠くからでも匂って来ます。花芯はどうでしょう。これは好みの問題ですが、やや粗い感じの梅よりも桜の蕊の方が、なよなよとして居て優れているように思います。しかし桜と言えば、この人を抜きにして語れない佐野藤右衛門さんに言わせれば、我々が好む”染井吉野”よりも山桜こそ本物の桜と言うことから、素朴さが決め手になります。松竹梅という言葉があるように、古来、貴族は梅を愛でていましたが、御所の紫しん殿の前に桜が植えられて以来、桜に人気が集まりました。かの歌姫、鶯も梅の枝に停まります。ですから、ここんところは梅に花を持たせて、そろそろ耳にする寒梅を探しに歩き廻りませんか?
2005.01.24
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”おりくはぎっくり腰の保持者である”なんて偉そうに言えることではないのですが、25年ほど前、千本という支店でレイアウトの変更をしていた時に腰痛の原因を作ってしまったのでした。その翌日の土曜日は理髪店で整髪して貰い、その夕方から急に冷え込みました。一夜明けて日曜日、寝床から起き上がろうとしても腰の踏ん張りが出来ません。仕方がないので終日寝て居ました。月曜の出勤時にも腰痛は治らず、結局二日間休みました。一回目の腰痛はぎっくり風ではなかったのですが、それ以降は、所謂、ぎっくり腰の発作で寝込むというパターンが幾度か発生するようになりました。そんな時、整形外科で牽引して貰うと早めに治るのですが、仕事を休むことや大事なイベント時に発症しても困ります。そこで覚えた運動は次の方法でした。 日本手拭またはタオル一枚。これさえあれば道具は他に要りません。椅子に腰掛けて背筋を伸ばし、先ず足を揃えて膝の凹んだ辺りにタオルを充てて、下から身体を反るようにタオルを引っ張ります。この時息を大きく吸います。次は膝よりも少し上にタオルを当て、息を吐き出しながらタオルを下へと引っ張ります。この運動を7回、毎日のように続けて居れば、ぎっくり腰の恐怖から逃れられます。 次に四十肩、五十肩は一度罹るとなかなか治りにくいものですが、痛いからと言って腕をかばってばかり居ては埒(らち)がいきません。自販機で150円で売っているお茶などのペットボトルに水を入れて、痛い腕を少しずつ、鍛錬して行きます。左右に振ってみたり、上下に上げ下げしたり、或いは捩じったり。毎日何度となくこの運動を繰り返していると、知らぬ間に腕の痛みが薄らぎ、腕がかなり上まで上がったり、捩じったりできるようになります。以上、お金の掛からない健康法でした。
2005.01.23
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先日NHKの番組に和久井映見さんがゲスト出演されて居て、昨日から始まった連続ドラマ「華岡青洲の妻」の苦労話などを語って居られました。紀州弁の言い回しでは、彼女は脚本の台詞欄に高低を表わす記号を附して覚えられたようです。おりくのこの日記においても最近、方言について簡単に触れましたが、京都の雅び言葉、それにも似た紀州弁の”やわらかな口調”の”○○しやして”などは残して置きたい言葉ですね。東北弁の純朴な方言も然りです。 今回、この「華岡青洲の妻」を観て感じたことですが、カメラの目線が映画風の工夫のあること、役者さんが粒ぞろいであること、しっかりした作家の有吉佐和子さんの作品であることが相まって、きりりっと締まったドラマになっていることです。映画評論家の淀川長治さんが、映画作品の紹介において強調なさっていたことは”カメラワーク”であり、かの黒澤監督が世界的な評価を受けたのも、カメラ目線と暗にほのめかして居られたように思います。ドラマの役を演じる役者さんの力量が、或る程度、調和を保っていることも、ドラマの正否を分ける重要性を持っていると、おりくは思っています。個人攻撃するのでは無いのですが、朝ドラマ”わかば”での東ちづるさんの演技は、不自然だと思います。周りの役者さんの自然さに溶け込んでいないように思います。東さんは表情を作り過ぎで、普段、人はあのように目をぱっちりと開けているのでしょうか。流し目のような目を使うのでしょうか。演技は深みが必要です。そういう意味で彼女(そうそうほかに光クンのガールフレンド役の人も)一人浮き出てしまっているように思っています。瀬戸内寂聴さんは生きている時大いに持て囃された人が死後全く評価を受けない場合よりも、死後初めて評価を受け、永代的に愛される作家の方が幸せであると、つまり作品そのものの精度だと述べて居られます。流行というものはメディアの世界で採り上げられると、恐ろしい勢いで充満・浸透してしまいますが、取り上げたメディアのプロデューサーの目が節穴だった場合には、砂上の楼閣、蜃気楼のような存在になってしまいます。余談ながら、このネットのサイトでも、あまりに多くの支持者を得てしまうと、自分のサイトのお守りができなくなってしまいます。常に地味に控え目に歩みたいと思っています。
2005.01.22
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昨日病院からの戻り道で再び向日市図書館に寄って借りた書物は1)「荷風全集第四巻」永井荷風著(岩波新書)・・・荷風氏の流麗な文章から学びたいものがあって2)「ほっこりぽくぽく上方さんぽ」田辺聖子著(文芸春秋)・・・今度は逆に哀しいことでも明るく伝える独特の聖子さんの軽快な文章研究と、大阪浪花の観光を3)「わたしの樋口一葉」瀬戸内寂聴著(小学館)・・・余りにも短い一生を閉じた一葉を寂聴さんの案内で4)「風のように・嘘さまざま」渡辺淳一(講談社)・・・渡辺氏からいろいろ学びましたが、更にそのエッセイを5)「金瓶梅」皆川博子・著、岡田嘉夫・画(講談社)・・・岡田氏の例の画に釣られて 図書館で借りたものは、それだけではありません。今回は落語から離れて演歌のテープを三巻借り出しました。これにはちゃんとした理由もあります。カラオケ同好会で年2、3回歌っているのは何度か日記に書きましたのでご存知でしょうが、おりくが歌う曲というのは万年同じような曲ばかりで、最近、俳句の仲間とも歌う機会も増えて来ましたので、一張羅の服ならぬ歌ばかりでは済ませなくなって来たのです。俳句の主宰は遥かに年長であらせるのに、新曲を歌いますとおっしゃって、昨年紅白歌合戦の美川憲一の「納沙布みさき」を披露なさったのには、おりくも愕然としたのでした。おりくがカラオケの新曲を覚えたのは、もう十数年も往古(むかし)のことで、それ以来、一曲たりとも覚えていません。一回り以上年配の主宰の前向きなお姿勢を見習って、おりくも今年から主宰を追いかけて、新曲にチャレンジすることに致します。
2005.01.21
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本日は自転車で先ず図書館へ立ち寄り、二人で借りた書物を返却し、すぐ近所にある市役所で家内の実印の登録申請(既に実印登録済みの保証人同行なら、その場で有効とか)をしました。市役所の道を山と平行して北上すれば義母がお世話になった病院に到着します。今回は義父の入院申請の為寄りました。中年の看護婦さんとの面談、担当医となる医師との面談(随分詳しく高齢者の利用方法を指導して下さいました。)後、入院の予約をしました。ほぼひと月ほどかかりそうです。 自転車でこの病院まで来た道中の景色は義母が元気に入院した頃とは違って、比叡の奥に聳える山々には白い雪が積もっていました。清潔感は抜群でも温か味に欠ける寒々とした景色。正月から3月上旬にかけての田や畑には白菜や大根が稔る程度で、休耕期の野良の色合いも寂しいものです。魔女の節くれだった指のような枯れ枝にはカラスが置物のように動きを止めています。真冬に通勤していた時、列車の線路際には草木も見えず、その殺風景さに嫌気がして居たものですが、それでも着々と春への準備が進んでいるのでした。梅花祭の記事や菜の花の写真が新聞紙上に載せられる頃になるとおりくの大好きな緑の季節が靴音高く近づいて来るのです。早朝の太陽の輝きも日増しに逞しく豊かになって行きます。奈良のお水取りの儀式が終わる頃には冬コートから薄物のコートに変り、街中には白い色、ピンク色が行き交うようになります。黒土には二日三日で緑鮮やかな草が見る見る溢れ、鳥の囀りも勢いを増して来ます。緑がいっぱいになる頃、桜の季節、葉さくらの季節へと目まぐるしい変化の日々に突入します。もう、そこいらは若葉色、黄緑色で満ち溢れ、光・光・光の五月へと移ろい行くのです。
2005.01.20
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週間天気予報では本日は雨天だったので、夫婦共ゆっくり身体を休める日にしようと思っていたのですが、早朝から好天気、新聞で確かめてみても終日曇天のようでしたので、母代行の墓参り(お寺さんへの挨拶)に行くことにしました。 1)母の近眼鏡の修繕、2)靴底の修繕、3)家内の新規通帳作成、4)お寺さんへのお土産、5)墓参り、6)食事(家内の誕生日招待割引券)、7)辻村寿三郎の人形展、8)母の眼鏡と9)靴修繕の受け取り・・・これが本日の予定でした。ところが最初の眼鏡屋さんが休日で先ずつまずきました。高島屋で靴3足の底革の張替えとお寺さんへのお土産はうまく行きました。お寺さんに着いてご挨拶を済ませ、亡父・祖父母の墓の草取りと礼拝、本家、二人の叔父の墓参りを終え、再び河原町四条まで戻り、昼食のため招待券の店に行きましたが此処も水曜日定休日でグスン。気を取り直して銀行へ。家内の新規口座開設は無事完了しました。いつも利用する「鷹匠」さんの姉妹店:「お鷹茶屋」さんの豆腐・おばんざいのバイキングを昼食のメニューに選びました。どの一品も合格点でした。〆て1500円(一人前)。その時出た黒米ごはんを4合分購入しました。一見白色の無洗米ですが炊き上がると赤紫色のもち米御飯に仕上がります。中国古代から皇帝に献上された薬膳料理に欠かせない上等米の健康食品です。今炊いています。出来上がり次第、実家の母に届けます。一日予定を繰り上げた為、二つの用事が出来ませんでしたが、人形展も観たし、お歳暮解体賞品も買えましたので、これで良しと致しましょう。
2005.01.19
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世の中に、いろんな優しい人を見て来ましたが、義父ほど温厚な人物は知りません。永年肝臓病に侵されていた義母への介護も・・・・・結局その無理が祟って、義父は此処数年ご自身も病院や健康施設のお世話になっているのです。で、今入院しているのは、全国的に有名な大阪は長居陸上競技場の真向いにある新築の病院です。義母の亡くなったことは秘密にしていますが、時折、義母のことを尋ねます。家内は動じることなく、「京都の病院、ほらっ、竹の綺麗な病院、行ったでしょ?」「ああ、あの食事の美味い病院?」といった会話で終ってしまいます。政府の指導で、救急病院は加療の必要の無い人には退院を勧めるし、通常は最長3カ月のようですから、この病院も2月いっぱいで退院し、別の病院を探さなければなりません。先週、ケースワーカーさんと面談し大阪で二箇所、そして義母が入院していた京都の病院にも打診して貰っています。至便性の問題、経済的負担の問題などから三つの病院に絞ったのですが、もし京都の病院へ移った場合、義母の安否を尋ねられた時には、大阪の健康施設にいると言うつもりです。兎に角、十歳離れた仲良し夫婦でしたので、義母がこの世に居ないと知った暁には、義父は後を追うように亡くなるだろうと思いますので、この際、嘘も方便なのです。新装の病院は当然綺麗で、気持ち良くって、自動販売機の並ぶ休憩室から西を望めば、眼下に長居公園の緑の森林が、遠く海を求めれば、大阪南港辺りまで一望できます。棟の反対側に移動すれば、生駒山系がくっきりと赤紫色に見えます。昨日は地下鉄の長居駅から当院まで歩いて義父を見舞い、帰りは更に北上して家内の実家まで歩きました。冬の寒さにも負けない身体の火照り。ああ、良い運動になりました。
2005.01.18
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いつもは第一月曜日にある竹クラブ句会は正月だから本日が初句会でした。主宰は生憎のお風邪でお休み、やや寂しい感じですが、とことん議論できる利点が無きにしも非ず。 幸せは言葉に非ず河豚の鍋 美絵 初鏡古希の面ざし母に似て 栄子 妻の手は我がポケットに除夜詣 明 元日や冥土の旅にはまだ早い としお 雪しまく胸に聞かせる大往生 美絵 成人式未来はまかせとVサイン あけみ 初湯して往にしき思ひまなうらに 栄子 駆けに駆けつかむ大吉初戎 としお 寒鮒に投網近づく一大事 信 初旅や発句のみこむ赤ワイン 静 息災を授かる冬至おかぼ(南京)かな 矢尾一 人の世の煩悩断たむと破魔矢受く 孝一 三日はや孫子帰りてがらんどう 孝一 初日記わが人生の横糸に 星子 独り居の母に届ける小豆粥 星子やはり辛口の主宰の批評の無い句会は寂しいもの。主宰の個性を引き出そうとなさる努力に、我らは精進しなければと思いました。本日も明さんお手製のシフォンケーキを美味しく戴きました。
2005.01.17
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今朝と言っても遅がけに雨戸を開ければ青空の好天気。一部の北国では豪雪で停電もあったようですが、都大路は絶好のマラソン日和。新聞紙上でいろんな予備知識を入れながら女子駅伝の号砲を待っていました。京都生まれのおりくは、どうしても京都を一番に応援してしまいます。震災の新潟や、その10年目の兵庫の活躍も、岡山や大阪、佐賀(少し住んだことがあるので)にも熱いエールを送ります。第一区は、高校女子駅伝で好タイムを出した岡山:新谷さんの動向、記録保持者である大阪:山中さんの脅威に注目しながらレース展開を見守っていました。スタート前にリラックスしていた京都:小崎さんがスパートをかけ、前評判通り京都が優位に立ちました。佐賀県の小川さんの力走ぶりも立派でした。第二区は山形の熊坂さんの頑張りに感動しました。三区の中学生では群馬の絹川さん、四区は兵庫の脇田さん、東京の平田さん、五区は愛知の笹田さん、六区は兵庫や埼玉、茨城、岡山の選手が活躍したのでしょう。七区は福岡の森川さん。中学生の八区は将来性のある選手が目白押しでしたね。最終九区は大阪:大越、兵庫:加納、岡山:坂本、熊本:風間さん辺りが順位を上げていました。優勝の京都は大会記録に迫りながら追い越せなかったのは残念でした。 この全国都道府県女子駅伝が日本の長距離界のエースを次々育ててきたことは周知の通りですが、二時間余りのリレーは何度拝見しても飽きることがありませんね。結果はどうであれ、この晴れ舞台の裏には、いろんなドラマがあったことでしょうね。選手の皆さん、関係各位の皆さん、素敵な元気をありがとう。
2005.01.16
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向日市図書館から先日借りていた「小粋な失恋」は、”想い出にかわるまで”、”ひらり”、”都合のいい女”、”毛利元就”などで著名な脚本家:内館牧子さんの絶妙なコメントの附された恋愛指南書である。未婚の女性には是非一読して戴きたい読み物である。楽天のこのサイトにわが思いを綴ることは、創作の一部と心得ているので、またその信条が強いので、おりくは日記の出所を明らかにすると共に、著者の文章を拝借することを潔く思わないので、本日も彼女が抜粋した古い都都逸の一部を紹介するに留めたい。 <あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す> <枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら> <思い切られぬ心が不思議 こんな不実にされながら> <惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいとの この苦労> <私しゃロウソク芯から燃える ぬしはランプで口ばかり> <惚れた証拠にゃお前の癖が みんな私の癖になる> <唄もうたわずお酌もせずに 花をあびてる石地蔵> <あなた恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす> <思いなおして来る気はないか 鳥も枯れ木に二度止まる> <おろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出る> と、まぁ全部で48もある中から適宜選んでみた。これらの作者の粋な表現の妙には感服するばかり。内館氏は、これらの一つ一つに女性ならではの解説や余談をエッセイ風に仕上げて居られる。松の内も過ぎた本日辺り、湯気香る風呂にでも浸かりながら味わって欲しいと思う。
2005.01.15
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実家近くの産業会館で集合して送迎バスにて”う越寿”にて先ずは新年会の食事。若い仲居さんが大変な気の遣いようでした。主宰は昨日がお誕生日、いろんなめでたさを集めて乾杯しました。再び会館までバスで戻り、初句会の始まりです。 新札の続き番号松の内 貴勢 初雀遊ぶ陸上競技場 貴勢 みんな逝きひとり飴舐む小正月 貞子 寒見舞若き嫁逝く二行あり 道代 たかむらを左右に分けて初日の出 千恵子 元日の山なみ襞を正しけり 扶美 平凡もちょっと退屈実千両 千恵子 師に隣る年あらためのかしこだて 政利 実千両陶狸のふぐり百匁 政利 寒施土の藪へ真直ぐに猫車轍 政利 水仙や遺影の視線に学びけり 素朋 千両や塀やや低め修復す 美里江 歌カルタ読み手は母の日本髪 幸子 千両や履物揃ふ躙り口 数子 今ぞ春昭和一桁実千両 星子 しずしずと京は受身のお正月 星子 初化粧をんなの綴る裏年表 星子 句会の後はカラオケ会でした。主宰は紅白で聴いた美川憲一の新曲を覚えられたそうです。おりくは、ここ数年新しいカラオケ用の曲などマスターしていませんが、一回り以上年上の主宰のチャレンジ精神には参りました。
2005.01.14
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中国という国ほど広くもないのに、日本には北は北海道から沖縄に至るまで、その土地色の強い方言がありますね。梶山秀之氏は少し色っぽい作品を残された作家ですが、ガールハントを題材とした小説には、東北の芸者さんの睦言を方言を駆使して効果的に仕上げて居られます。おりくが学生時代、男声合唱クラブとして当時米国の統制下にあった沖縄へ演奏旅行した折、事前に覚えた言葉は、「わんね~ うんじゅ いっぺい しちゅん」(わたしはあなたをすごく愛しています)。これなんざぁ~もう日本語の域をはみ出しているように思いました。杉本つとむ著「方言風土記」(雄山閣)を北から順に読んでいくと通常なら怒ってしまうような言葉が、実は褒め言葉だったりしていて興味が尽きません。父の転勤で佐賀県に2年居ましたが、関西に戻るとき中学1年の姉が親友と佐賀弁を使った劇をドーナツ版に録音しました。 あんたどこさ行きよばんた。玉屋さエレベーター見にいきよばんた。あらほんにや・・・・く~えすかぁ(=凄く怖いなど)。お陰で今でも佐賀弁は忘れんばってん。
2005.01.13
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昨日、義父を見舞う前に家内と二人で”がんこ平野郷屋敷”にて昼食して来ました。家内への誕生日プレゼント。関西の人にはご存知の”がんこ寿司”の会席料亭です。おりくが某銀行に入行した頃、大阪は十三という阪急電車の駅前に、とてつもなく安い寿司屋がありました。それが当時のがんこでした。所得倍増論などですっかり昇り調子になった日本経済の勢いもあって、いつしか安直な寿司屋さんが京都(二条)、大阪(平野)、兵庫(三田)の三箇所に料亭を営む大企業に成長なさったのです。大阪の平野地区は堺同様、環濠集落から豪商たちの支配する自治都市として栄えて来ました。がんこ平野郷屋敷は江戸初期の建築で、重厚な門構え、広々とした奥座敷、土蔵のある由緒ある屋敷で営業しています。お雛様の雪洞(ぼんぼり)の原寸大のものがあったり、調度品の”ほっかい”という容器、お駕籠まで保存されています。実は義母の忌明け(49日)の接待場所の候補として事前調査に来たのでした。がんこさんの会席料理は既に京都でも戴いていましたので、お庭の美観や値段とのつり合い、送迎バス有無などを検討しました。勿論、喪主は義弟ですので彼に全てを任せますが、情報提供の意味もあったのです。3500円も出せば見た目も美しく、味も良く、満腹感もありました。腰掛け可能で、奇麗な庭を見ながら故人を偲ぶに相応しい場所であると思いました。 処で今朝のNHK生活ホットモーニングでは、辰巳芳子という”スープと汁物”の料理人に登場願っていました。家内もおりくも初めてお聞きする方でしたが、北は北海道から南は鹿児島に至るまで、遠来の受講生が講座の順番待ちをしているという人徳のある方でした。野菜などの本来の旨味や滋養を、手間をかけることによって引き出すという料理の基本を、まるで人生への指針となるような重みのある言葉で説明なさっていました。最後に今年の抱負について話されましたが、「これまでは受講生(一部お弟子さん)とそのままお別れしてきましたが、今年は全国に散在する、これらの人々をある程度束ねて、料理法などを伝授して行きたい」とのことでした。「家庭料理のないところには”愛”も、”平和”も”文化”も育ちません。」「疲れて戻って来られた旦那様や子供達、家族を優しく包むもの、それが家庭料理」「何もかも受け入れる”おおらかさ”、それが料理の味」その他、珠玉の言葉が多々ありました。料理の力って偉大ですね。
2005.01.12
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ここ数日間の寒さには閉口しますね。正月、松の内が過ぎるとめでたさも何処へやら、枯れ木ばかりの殺風景な景色に、尚更、心も凍りがちです。ならば楽しいことを考えて時を過ごす方が得策を心得、日本人の心の花、”さくら”を想うことにしました。学習研究社の「日本の桜」(勝木俊雄監修・執筆)をパラパラ繰ると、その優しさに、つい顔が綻びそうな桜の枝花の大写しが満載されています。確か去年は二月に桜の話題を日記に書いたような記憶があるのですが、今年は更に早いのです。 さて秋から冬にかけて咲く桜には、冬桜、不断桜、子福桜、四季桜、十月桜など。早春には寒咲大島、雛菊桜、小彼岸、越しの彼岸桜、啓翁桜、寒桜、東海桜、大寒桜、修善寺寒桜、河津桜、明正桜、熊谷桜、オカメ、椿寒桜、クルサルなどが染井吉野よりも前に咲く桜とあります。最近クローン○○というのが流行りですが、接木という方法は実はクローン的な考え方で、桜は殆ど接木で増やします。あの染井吉野も一本の改良品種を接木で増やしたものなのだそうです。 義母が亡くなって早、二タ七日。昨年12月、義母と劇的な面会を果たした義父が、その後肺炎に罹り一時危なかったのですが、元日に見舞いに行った時よりも、昨日、本日とも車椅子から立ち上がったり、車椅子を自ら漕いだり、その様は恰も桜の古木のように、数たびの瀕死から幾度となく奇跡的な復活を遂げています。昨日の夕方は551の豚まんをペロリ、本日はおやつ大きなシュークリームを平らげていました。現在の病院から、また別の病院、或いは老人健康施設へと移動する申請などを相談して来ました。今猶、義父は義母の死を知りません。桜開花の陽気な春まで元気に暮らして欲しい我らの義父です。
2005.01.11
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小森のおばちゃまの訃報がありました。何でもヘップバーンとも親しかったし、男の憧れマリリン・モンローと入浴し背中の擦りあいをした仲だったそうな。淀川長治さんに勧められて映画評論家になったのだそうな。養女の方の表情を見て、嗚呼、素敵な親子関係、そして親密な介護があったので安らかに天国に逝かれたのだろうと推測します。先日、NHKで吉永小百合さんへのインタビューが放映されていました。おりくと左程年齢は変わらない筈なのに、彼女の瞳の美しさ、上品な物腰、話すテンポの落ち着きなどに、改めて感動しました。 今から数十年前のテレビタレントや歌手、そして俳優・女優さんの強行スケジュールは労働基準法にも引っかかりそうな過激さだったようでしたが、吉永さんも例外ではなかったようで、当時は2、3週間で1本の映画を完成していた為、自分の演技を振り返る余裕さえなくて、結婚を機に、やっと本来演じるべきものを掴みましたとおっしゃっていました。そして彼女が力説して居られたことは、創作、ものを創り出す喜びが何事にも換え難いということでした。役になりきるのではなくて、自分なりの役を演技として表現して行きたいとおっしゃっていたように思います。このネットでも、各人の個性があるから参考になる訳ですね。
2005.01.10
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最近ネットを利用した年賀状も増えてきているようですが、お年玉つき年賀はがきが売り出されたのは昭和24年12月1日からであったらしいです。年賀郵便については当局も昔からいろいろ気を配り、明治39年12月29日には、年賀特別郵便規則を定め特別集配に着手したり、昭和10年12月1日からは、年賀郵便特別切手の発行を開始しています。戦後も23年から年賀郵便の特別扱いを再開し、このお年玉はがきは、当時2億円の増収を狙ってのアイディアでしたが、これがまんまと当たり、現在に至っているということです。 郵政省では、その賞品を賞品とはいわず、「お年玉物品」と称し、第一回目のお年玉物品は、特等がミシン、一等賞が純毛服地、二等賞:学童用グローブ、三等:学童用こうもり傘、さらに四等:ハガキ入れ。最近はこの四等止まりですが、その頃はさらに五等:便箋と封筒組み合わせ、そして六等に切手シートという具合でサービス満点でした。さて今年の結果は週末に判るのかな。おりくから差し出したものは最初と最後までの番号を控えていますので、是非とも知人友人に当って欲しいと思っています。
2005.01.09
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新年来、色鮮やかなものを日記の題材にして来ましたが、源氏物語絵巻こそ、絢爛豪華な美術品でしょうね。12世紀から江戸時代に至るまで、いろんな画家が描いて来ています。おりくがこのような美術書を漁るのは、目を肥やしたいからです。観光地や寺社、資料館、美術館そして展示会に接する機会が多々あることも予想されますので、その目を養っておく必要があることと、単純に、このようなものが好きだから・・・。 この書に”顔の表現”という特集があって、国宝絵巻、土佐派 扇面、土佐光吉 屏風、土佐光吉 画帖、土佐光則 画帖、土佐光起 屏風・画帖、住吉如慶・貝慶 画帖・絵巻、狩野派 屏風、宗達派 屏風、又兵衛派 屏風など分類、拡大して載せてあり、その表情などに興味をそそられます。わが次姉の義母の居宅から小型ながら屏風絵が見つかり一度見せて貰いましたが、おりくの目から、それは江戸後期か明治初期の素人さんの手になるものと思っているのですが、定かではありません。将来、おりくとの関わりの中で、何方(どなた)かの蔵の中から、このような逸品が現れるかもわかりませんので、本物を観る目を養っておきたいのです。 いずれにせよ、身分の低い庶民の犠牲に支えられた平安時代の貴族の生活は、遊んでばかりの優雅な暮らしであった様がつぶさに伝わって来ますが、一見のんびりとした雅の世界の裏面には、叔父・従妹といった親戚での陰惨な政争が繰り広げられていたのですね。
2005.01.08
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楽天ネットの友、女将ご夫婦が松山の道後温泉で心の皺を延ばして来られ、また偶然にも漱石のドラマも放映された杯りだから、向日市の図書館(家内も一緒)からは掲題の、とてつも無く大きな本を借り出して来ました。 僧帰る竹の中こそ寒からめ 漱石 第1頁に採り上げられた句で白衣の僧二人が竹薮を抜け、再び藪に入りそうな図の山の天辺の空欄に書き込まれています。97.5×33.5cmという大きな書のようです。次句の 塩辛を壷に探るや春浅しこの紙本墨画の筆使いを見ると、なかなかの腕前であることが判ります。てん刻にも種類が多々あって興味深いのです。扇子にも見事な書が残されています。また漱石戯画として 盛りのいヽ 一膳めしやが 流行る 盛り沢山の 通俗雑誌ほど よく売れる さうである 内容はよくても 悪くても あっしゃこれで 文芸家です よろしく といかにも漱石らしい文句。茶碗に大盛りの御飯と箸の挿絵。この他、漱石の絵筆の使い方を観ていると、きちんと日本画の基本の積まれた腕前であることに気づきます。おりくの最高齢の文通仲間の桐壷丈は画家の令嬢だったことから、昨今の画家の筆使いに疑問を持っていらっしゃる。だから漱石の作品はきっと◎なのでしょうね。 おりくは「大山崎ふるさと案内人」の講座の中で、講義録の宿題は大山崎山荘の項でしたから、磯田多佳の日記なども勉強しましたが、京都に寄宿していた当時の句や一文も本書で見つけました。 春の川を隔てて男女哉 <四月某日京都の五条通をあてどもなくぶらつける時此扇を求めて帰京の節豊隆子に贈り記念とす 漱石 >と書いた扇子も同じ頃のものです。七言絶句などにも優れた作品を残した漱石は、教師時代(小泉八雲の後任が教師のスタート)に多くの傑出した後輩を育てていました。松根東洋城、寺田寅彦、鈴木三重吉、野上弥生子がそうであるし、久米正雄・芥川龍之介は漱石の最晩年の門下生でした。この本には東洋城、正雄(雅号:三汀)、龍之介の作品も掲載されています。また解説では、漱石に日本画の手ほどきをしたのは青楓氏で、この人脈から磯田多佳、加賀正太郎へと繋がったことも頷けました。なお、漱石の猫の画などは玄人はだしです。最後に漱石の傑作を。 叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
2005.01.07
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本日のテーマはAmiceさん(楽天以外での友人)に喜んで貰えそうな”妖精”を採り上げました。昨日、実家から自宅に戻るついでに長岡の図書館で、年越しの本を返却し、新たに借り出した5冊の中の一つが「ミッドサマー・イヴ 夏の夜の妖精たち」というメルメン一杯の本でした。以前にもこの日記で触れましたが、大抵の大人なら否定する”妖精”という生きもの。或る純朴そうな若い女優さんもテレビのトークで言ってらしたように、ひょっとしたら巡り会えるかも知れない”幻の天使”たちの世界。一昨年、京都の植物園の或る場所には秋の木漏れ日が洩れていて、おりく独りぼっちだったとしたら、出会えたのかもと思うピュアーな時間が流れていました。一番有名なものはピーターパンに登場するティンカールという小型グラマーの妖精なら、ほとんどの人がご存知でしょうね。一人前に嫉妬もする可愛い妖精。一番現れそうな場所は、深い森の中ではないでしょうか。桜の木、特に八重桜の樹には妖精が棲んでいるいるかも知れないなどとおりくは考えるときもあります。本日借りた書物には、数え切れないほどの妖精の絵が掲載されています。その特徴は背中に生える大きな翼、或いは羽。本物の蝶々は大写しで観れば恐ろしい顔をしていますが、心の奇麗な人が想像すると、美しい妖精になってしまうのですね。絵に描かれた妖精の殆どには、眩い光線が輪郭を囲んでいます。ルノアールの裸婦のような妖精も居れば、キティちゃんのような幼い妖精もいます。 妖精に憧れる大人を、大人気無いという大人は気の毒だなと思います。世間擦れしていなくても、おぼこかっても、他人に迷惑をかけることが無いのであれば、純粋なこころを大切に保ちながら歳をとりたいものです。一人で散歩している時、あなただってひょっとしたら妖精に出くわさないとも限りません。工業化されてしまった日本の何処かに、まだ妖精たちの住む場所が残っているのかも知れませんね。
2005.01.06
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山と渓谷社の「鳥のことわざ うそほんと」(国松俊英著)のページをパラパラ捲ってみると、80もの諺のあることに驚いてしまいます。「雀百まで踊り忘れず」、「鳩に豆鉄砲」、「梅に鶯」、「目白押し」、「烏合の衆」、「烏の行水」、「鳶に油揚げ」「掃き溜めに鶴」、「鶴の一声」、「おしどり夫婦」、「千鳥足」、「一富士、二鷹、三なすび」、「雉も鳴かずば撃たれまい」、「閑古鳥が鳴く」など。 ところで「鶴は千年、亀は万年」という言い伝えから、鶴は千年も生きるのかなと誰しも思いますよね。内田清之助の本「鳥」では、セグロカモメ:36年、ダイシャクシギ:31年、イヌワシ:25年、ガン:25年、カラス:14年、ハト:10年、スズメ:8年、そして鶴は30年~60年も生きるのだから、あながち諺は間違っているとは言えません。地球の環境は年々悪化を辿っていますが、私たち人間は身近に目にすることのできる「鳥」たちとも仲良く暮らして行きたいものですね。
2005.01.05
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京都書院アーツコレクション・・・3 に のし包みや ぽち袋(豊川コレクション)という文庫本サイズの本があります。熨斗袋というのは祝儀袋の右肩にある折り紙の部分です。古来、祝賀の供物・進物に欠かせぬものが、のし鮑、つまり鮑の身を薄く剥いで乾燥させ、数本を束ね、それを美しく折り畳んだ白紙に包んだ品物が時代とともに簡略化されたものです。鶴の図柄、菊、桜、紅葉など、とってもカラフルなものが印象的です。 一方ぽち袋は折り畳んだ心付けの紙幣や銀貨を入れて手渡す小型の祝儀袋のことで、上方言葉のぽち=小さいもの、可愛いものに由来し、そして中身の小額も暗に意味しています。主に花柳界や芸能界で用いられたので中身よりも、意匠の優劣を競うようになったと思われます。例えば、結び文(ふみ)のぽち袋は、実に艶っぽいです。金千両、大福帳に始まり、噺家の絵や歌麿の絵。「逢ひ多以、見たい」、鳥篭の小鳥に「飛んでゆき多い」、障子に映る鬘姿、二股大根に人参の絵、擂り鉢に擂粉木、蛤と松茸。水着、浴槽の女、黒猫の目、役者の似顔絵、歌舞伎の隈、助六、暫、文楽人形、花札、江戸火消しなど数えきれない程の種類があって、そのどれもが「粋」な図柄です。
2005.01.04
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お正月が近づいて来ると子供たちの円らな瞳が一段と輝きを増してきます。奇麗なべべ着て草履を履いて・・・。女の子たちは口紅をつけて貰えるのが、あんなにも嬉しいのだね。男児は女々しくしたくないから表(外)で凧を揚げたり、独楽回しに興じます。おりくが子供であった時代は、凧と言えば奴凧を指していました。歌舞伎十八番の「暫」の衣装のような”回”という字そっくりの袖を着けた奴さん。額は剃られて青々と・・・。駄菓子屋さんで買い求めた凧にも、運、不運があって、頭の中では颯爽と大空を飛翔する様を描くのですが現実は厳しくて、駆けても走っても凧はキリキリ舞うばかり。糸の結び位置を変えてみたり、新聞紙の足を長くつけてみたり・・・・。そうこうしている内に、やがて凧は素直になって大空高く舞い上がります。新春の風の勢いに、思わず糸をしっかり握り締め、魚釣りのような”曳き”の感触が堪りません。寒さに唇を紫色に染めながらも凧の勇姿に見とれて居ました。小さい頃には廻せなかった独楽も、年々上手になって片手乗せが出来るようになると、独楽を使った鬼ごっこにも参加できるようになります。独楽の綱渡り、空中に投げた独楽を紐で受け止める芸当もできるようになります。姉たちは色とりどりの羽根を使って、ひと目ふた目・・・と歌いながら羽根突きに興じます。その内必ず始まる羽根突き合戦。負けた子の顔面には墨の×印など・・・。桐の羽子板には無数の凹みがありました。六畳の間では双六や福笑い、そしてカルタとりなど。昔は素朴な遊びゆえ、飽きることも知らずに遊び呆けたものでした。
2005.01.03
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去年は退職、母のフォロー、そして趣味や自己啓発の第一歩の年でした。なかんずく俳句に力点を置いたのですが、俳句を通じて50名を越える友人ができました。その中の或るご夫人から、絵筆で書き込んだ年賀状を戴きました。その一枚目には、三條大橋と舞妓さんの絵が描かれていました。小さなおちょぼ口、細い下がり眉、閉じた目元が可愛い。また二枚目の右上方には薄青色の井桁の中に、赤、桃、黄、黒、茶、青、緑、そして銀色の飛翔の鳥の絵と夢という文字の印。左下方のピンクの井桁には、ひよこと母鶏の図柄。 初笑い夢も涙も皺の奥 みの一句と添え書きがありました。 今年は彼女から”器用さ”を貰っちゃおうかな?
2005.01.02
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新年を迎えた元旦には家のもの、外の景色に至るまでめでたく厳かな雰囲気が宿っているように思えます。俳句では”淑気”という季語で表現します。張り詰めたような潔さと言えば理解して貰えるのかな。新年の行事を一通り済ませば、長閑な屠蘇気分のまま年賀状を楽しんだりしたあとは、小倉百人一首の桐箱を開けて歌留多に目を移します。今年のおりくは祝い事抜きなので、角川文庫の”小倉百人一首(田辺聖子著、岡田嘉夫・絵)”を眺めています。 わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな高内侍(こうのないし)と呼ばれていた貴子(儀同三司母)の歌です。未だ将来性の見通しの無い頃の藤原道隆からのラブ・コールに応えた和歌で、当時の女性としては珍しい、万葉の時代を彷彿させる”率直な恋歌”です。 <お前のことは忘れない、とあなたはおっしゃったわね。ほんとかしら。そのお言葉、信じられるのかしら。行末のことはたのみがたいわ。 それよりいっそ、 今日のこの恋の絶頂で死んでしまいたいわ>(聖子氏解釈)あまたの政敵を倒し最高位に就いた父:兼家のお陰で道隆は関白を世襲しました。従って彼女も最高位の貴婦人になったのですが、その栄華も束の間、晩年は不幸であったと言われます。貴族の日常は現代の政界よりもどろどろした世界であったであろうことは源氏物語からも伺い知れます。それでも”こころの歌”として、千年もの時を経て愛し伝えられている”小倉百人一首”の香りを味わってみませんか?
2005.01.01
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