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〇童謡「かごめ かごめ」を検証すると、幾つもの不思議に出遭います。 先ず<かごめ>って何のこと?<夜明けの晩>っていう歌詞も矛盾しています。めでたい時に使う<鶴・亀>が滑って転ぶもの変。トド止めが<うしろの正面 だぁれ>の収め方。 わらべ唄の遊びは幾つかのジャンルに分けられますが、この唄は<箪笥長持ちどの子が欲しい?>同様、「子取り遊び」の一つ。千葉県野田市の古社である愛宕神社には、「籠の中の鳥」の彫刻があって、<籠の中の鳥は、いついつ出やる>という訳で、籠には破れ目まで拵えてあるようです。 野田は江戸初期から醤油の産地として知られ、江戸川伝いに堀川へ。その天井の低い水門を通る時には余り身をかがめる必要性があったので、屈む=かごめに転じたと推察されます。 鬼役の子供は霊媒師・呪術師のひとつで、屈みなさいと唱えつつ、霊力を高める為、ぐるりを廻ったとも考えられます。かがめではなく、囲むの命令形から転じたとも言われ、霊を外に逃がさない為に囲んだとも。後ろの正面、つまり真後ろで見えない人を霊力で当てる遊び、いや神事の例かも知れないのです。
2025.01.31
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〇能面と言えば、音羽信子、宇野重吉、佐藤慶、吉村実子主演の「鬼婆」の世界へ引き戻されてしまいます。人の背丈を超える無限の枯れ野原が映し出され、続いて敗走武士らを大きな穴に誘い込み、鎧・兜、武具を剥ぎ取り、良い値に換金して暮らす姑と嫁の日常を映す。と或る日、若い男が加わって姑嫁の関係が崩れ始める話。嫁を脅すために被った鬼面が外せなくなって・・・。わが家には中年男の能面がありますが、歌舞伎の「修善寺物語」同様、人の情(こころ)が乗り移ってしまいそうで、上等の面は美術館などで保管されるのが良いのかも。
2025.01.30
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〇インドの伝説によれば、世界で初めて作られた仏像はインド産の白檀製だと言われていて、以降それらは世界各地へ波及し、日本へはインド→チベット→中国→朝鮮半島を経由して辿りついた由。それは538年(or552年)。百済の聖明王は新羅・高句麗から侵略され窮地に陥っていて、日本の援軍を請い、経典と仏像を送ったとされています。 しかるに崇仏派の蘇我氏と、これに相反する排仏派の物部氏の争いに巻き込まれ、一旦蘇我稲目が預かっていたところ、疫病が蔓延するなど、日本古来の神の怒りだと、物部尾輿が難波の堀江に捨てました。この堀江から金の仏像を信濃へ持ち帰り安置したのが善光寺の縁起とされ、あの一光三尊阿弥陀如来像といいますが、真偽のほどは各位でご判じ下さい。
2025.01.29
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〇今から12年前に書いた日記の一部をそのまま掲載しますので、現在の事実とは異なっています。 <亡父が郷土玩具をかなり遺していますので、水無瀬の奥村さんの資料館を訪問していました。 *奥村さんは中学校で教鞭をとるかたわら、ひたすら伏見人形をメインとした郷土玩具の蒐集に明け暮れして居られたようで、その品数(数万点)は全国一でしょう。また地元島本地区や近隣の大山崎などに関する著作も精度の高い秀逸ものです。 奥様も先生だったようで、趣味の詩吟は師範格でいらっしゃいます。家の中が郷土玩具でいっぱいになる状態を忍の一字で堪え、ご主人を支えて来られた奥様の努力も報われ、平成14年と同16年度の二度に渡って叙勲を受けられ、ご夫婦で天皇に拝謁されておられます。奥様のご心中は、わが亡き母と同じ想いであったことでしょう。
2025.01.28
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〇父が遺してくれた蔵書の中でも、一番魅力を感じる書物は『日本名勝寫生紀行』(京都之巻)。 小林鍾吉、岡野栄、中澤弘光、跡見泰、山本森之助という明治中期に活躍した画家五人の紀行書。現在検索すると八千円から一万五千円ほどする垂涎の名著。流麗な文章もさることながら、本文の合間、合間に入れてある挿絵もシンプルにしてユーモラス、味わい深いものがあります。実に贅沢な仕上がりで、数人合作の画もあって、飽きることのない京都紀行文です。
2025.01.27
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〇百人一首の「坊主めくり」遊びで、お姫さまを捲ると嬉しく、坊主だとがっかりしていました。 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり 能因法師大山崎ボランティア・ガイドの会の日帰り研修旅行でも立寄った所。なぁんだこんな場所を愛でていたんだなと拍子ぬけした思いも。西暦988年出生、俗名橘永愷(ながやす)は文章生で26歳で出家、摂津に住む。法名融因、古曽部入道のちに能因と改め漂泊の行脚して歌作した人で『玄々集』『能因歌枕』などを遺した。 逸話の多い人物で、小食の話、井出の蛙・長柄橋の鉋屑の話、三島明神に雨ごいの献歌、白河関の歌、ふし柴の加賀の話、古曽部の家の話が遺されています。
2025.01.26
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〇京都新聞、頭をきたえる「Rodin」第6号の漢字クイズから、1)十+立+兄+舌+ネ= ?2)月+月+ヒ+日+方= ? 3)竹+木+ウ+合+女= ?4)言+糸+田+羊= ?5)(覚ー見)+虫= ?6)木+(竜ー立)+雨+主= ?7)京+明÷2+北= ?8)イ+式+口×3+共+言= ?9)止+ヒ+糸+(都ー者)+易+(草ー早)+イ+ヒ= ? (注・易ではない字) ヒント集<エネルギーを供給するとき、雨がお 似合い?晴れの席で、もっと細かいヒ ントを、試験シーズン、若い女性は気 にします、梅雨期の風物
2025.01.25
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〇江国滋著『にっちもさっちも』というエッセイの第4章<日本語ノート>には、手紙を書くことで敬語3原則を使い分けることになることを薦めておられます。また遣い方を誤っている若者に年長者がその場で注意しないことや電話・ケータイの普及で筆不精になったから、敬語の遣い方に疎くなっているのでしょう。 文字で綴る場合には話言葉と異なるので、ごく自然に丁寧な文章になります。それゆえ読者側にすれば、相手のことは実際よりも2倍も3倍も良い方へのイメージが広がり、素敵な人物像が出来上がってしまいます。 アンドレ・ジイドの『田園交響楽』の物語のように、失明時代には恋憧れていた人物が、視力を回復した折の、彼女のイメージと大いにかけ離れていたという不幸に遭遇するやも知れません。それは仕方の無いことですが、少なくとも、敬語をきちんと使い分けて居れば、読者には好印象を与えますので得しますよね。五木寛之著『青春の門』挿絵の風間完さんや東山魁夷さんの文章は論評風ではない、やさしい丁寧な文章だったように記憶しています。
2025.01.24
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〇伴大納言絵詞は信貴山絵巻「山崎の長者」の巻、同様、人々の生々しい表情や動きのあるポーズ、60人~100人もの集団をそれぞれ個性的に描いてある秀逸な筆遣いに驚かされます。 これは朱雀門の奥、応天門の大火事を採り上げた作品ですが、『宇治拾遺物語』、平康頼の『宝物集』にも採り上げられ、またわたし達に馴染み深い鴨長明(当時25歳)も『方丈記』に綴っています。この大火事は翌年七条に面してあった「次郎焼亡」に対して「太郎焼亡」と呼ばれ、応天門附近から神泉苑、五條通まで燃えつくした大火の下手人は一体誰なのかが論点。百人一首の ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れるでお馴染みの藤原実定(後徳大寺左大臣)や関白基房、内大臣平重盛といったお歴々の屋敷も焼け落ちました。事件は伴大納言がかねて不和であった左大臣源信らが放火したと清和天皇に讒言しましたが、 基房の諌めによって無罪とされ、逆に舎弟クラスらの噂から真相が明らかになり大納言らが島流しになった一連の物語を描いた絵巻です。 前年には六条上皇が崩御、平清盛が勢力を増し、鹿ケ谷の陰謀で藤原成親・成経・師光らを捕らえ、俊寛が島に流された年でもあります。絵巻では主人公の伴大納言の姿が一度も登場しないという謎を含んでいます。どんな時代になっても権力闘争は真実が見えにくいものですねぇ。
2025.01.23
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〇子供の頃、つんと澄ましたひばりさんよりも、愛想の良い江利チエミさんのファンでしたが、ひばりさんが亡くなる数年前から従来のひばり観を捨て、客観的に見る様になると、若干イメージも変ってきました。ここにある和田誠編『日本の名随筆』のひばりさんの芸談に触れると、彼女が逆境を乗り越え、一流の女優、一流歌手として看板を張って来られた生き様や仕事に関する身の処し方に、深いものを感じました。 ファンの為に時代の変化に機敏に合わせながらも、どっこいひばりイズムを必ず織り交ぜることを忘れない彼女でした。<・・・とくにこのごろの歌には、顔をそむけたくなるような歌詞のものがありますが、ああしたものはうたえません。わたしは日本人の血が流れている女ですから、日本人らしい、日本の歌を、その心を生かした歌をうたいつづけていくつもりです。> つんとしていたようでありながら、実際には敬虔な部分の多い大物歌手であったことが、これらのエッセイを通して理解できたのでした。
2025.01.22
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〇梅雨の走りになって、買い溜めする買物客も多いのか、向いの八百屋からは威勢のいい商い声が聞こえて来るが、骨董を並べる清六の店には、客らしい客も無かった。京町家造りは間口が狭い上に奥行が長いので、奥の土間は暗かった。おしめ等を洗っていた咲代は、ふと、その手を止めた。店先でことりと音がしたからである。「あんた?---お客はんらしいえ。」「うん」生返事だけで、出て行きそうにもない。夫の居るだろう見当に顔を向け、「あんた!お客はんと違うかて言うてますのに・・・?」 「うん、今行く」 言葉数は増えても調子は同じであった。ほんに仕様のない人という素振りで、前掛けで手を拭き拭き、咲代は店に出て行った。が、直ぐに戻って来た。「確か、ことっと音がしたのに、誰も居やはらへんわ。もう、今日で三辺目え。けど、あんなもん盗みに来る人もあれへんわ。」と言われて、「何言うねん!店に出したアるもんには、一つ拾万円からするもんかてあるのんや。商売もんに何ということ言うのや、ほんまに、えらい女房もろたもんや。」「へえ、えらい女房で悪おしたね。あたしが居いひんかったら、この子の世話、あんた、して呉れはりますのんか?」どうですと言わんばかりの目を夫に向けてから、咲代は背中の末子の寝顔を見ようと、体ごと首を捩じった。首に力が入るから、口がへの字になる。それが清六の癪に障った。「お前が居いひんかったら、この子も出来へんかった筈や。ほんまによう産む女や。」「あたしに産ました人は、あんたどすやろ?・・・ほれほれ、ひどいお父さんやなア、かわいそうに、かわいそうに。」そんな言葉を残して、咲代はまた洗濯にかかった。この末子で七人目であった。もうこれ以上はーーーという意味で、末子と名付けたのである。清六は、元来、のんき症で、父から土地等の不動産を譲り受けていることは、一層、彼を暢気にした。それに清六は古いものが好きで、惚れ込んで貰った咲代が、年々古女房になっていくのに、内心安らぎを感じているのであった。また、古道具屋という商売も、いわば彼の趣味道楽に近かった。毎朝古めかしい品物に、一つ一つ叩きをかけることが、彼の生き甲斐であった。ここ二、三日は知人から借りた戦記ものの古本を、奥の部屋で読み耽っていて、店番もルーズになっていた。しかし、今はとっさの直感から、彼は店先に飛び出た。棚の一番手前にあるべき布袋の置物が無くなっていた。今朝、いつになく荒っぽく叩きをかけて、その出っ腹から音がしたので、よく覚えている。清六は、やられたと思った。盗んだ者も憎かったが、気の緩んでいた自分に腹が立った。仏像だの、甲冑だの、鏡台だの、櫛だの、等身大の人形だの、骨董ものでゴタゴタした店先であるだけに、ぽっかり空いてしまった棚の隅の空間が、淋しかった。・・・・清六の肩が落ちた。咲代が後ろに来て、じっと見守っているのも知らなかった。盗まれた布袋の銅像は、値打ちものではなかった。たゞ、その腹の丸みが、他の布袋のものより秀でていた。黒艶のある豊かなその腹の丸みに、清六は一家の安泰を託していたことに、この時、初めて気付いたのであった。それから、そばに妻の居ることに気付いた。淋しげで虚ろな彼の目と、それを慰める咲代の目がしばし無言の語らいをした。 そこへ、老紳士が入って来た。咲代は奥へひっ込んだ。老紳士客は、やヽ大きな武者人形に目を付けたようであった。色褪せているにも拘わらず、その人形を見つけてくれた老紳士を、清六は有り難く感じて、揉み手をしながら、したり顔で上客に接した。 盗まれた布袋のあった場所は、やはりぽかんと空いた侭で淋しかった。<昭和44年6月20日作>
2025.01.21
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〇掲題の書は社)農山漁村文化協会から1996年に発刊され、副題には<足元の自然と仲よしになる22の方法とあります。序の部分には<目を閉じて、いつも通っているスーパーまでの道を思い浮かべて下さい。(略)大人になるにつれて失ったいちばん大きなものは時間ではないかと思います。足元のエノコロ草を手にとって、自分のほおをコチョコチョこそばってみたら、子どもの頃あんなにたくさん持っていた時間をすこし取り戻せたような気がします。><台所で遊ぶ>トトロの来る台所、お子様のための二十日大根七変化・・・<ベランダ・庭で遊ぶ>えらい菜、見つけた、ほったらかしのプランター・・・<散歩の愉しみ>十五分のタイムトリップ、カヤのコオロギ・・・<生き物と暮らす>土と遊ぶ人、ザリガニの怒り・・・など『不思議の国のアリス』に入り込んでしまいますよ♪
2025.01.20
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〇稲荷山の中腹に石峰寺という古刹がある。此処には五百もの羅漢が仏道の悟りを求め、今日も空を睨んで居られる。しかし、これは表向きの話でいわゆる丑三つの頃になると、ぼそぼそ、そこいらで談話が始まる。中には、向うの草むらから歩いて来られ、その座に加わる羅漢も居られる。折から山颪が来て、一斉に乾いた草木が泣き出す。虎落笛(もがりぶえ)と言う季語がそれである。寒さが厳しいから、星がよく光る。すばる星など鮮明に見える位である。「ほほう、御坊が仏門に入られたのは、十九で御座ったか。」「はい、忘れることができませぬ。」先に相槌を打ったのは、福禄寿のように頭の長い羅漢であった。垂れんばかりの鷲鼻である。これから正に告白しようとするのは、凡人っぽい、それでいて若さの匂う羅漢であった。羅漢は総じて眼玉が大きいが、この方のは、眼に顔があるといった見事な眼玉であった。「すると、女人から逃れて参られたかの?」鷲鼻の羅漢が覗くようにして尋ねられた。額の皺は六十の齢を見せつけるようであった。「はい、高貴な御方に恋慕した訳で・・・・・」恋慕と言う言葉が耳に入ったのか、八方の草陰から、ぞろぞろと来られるわ来られるわ。法話を拝聴する信心者のように、忽ち円座が出来てしまった。さすがに冷やかすような野暮なことはなさりはしない。只、にやけそうになる顔に神経を通わせ、静聴して居られる。若い羅漢は苦行を乗り越えただけあって、此処に至ってぐっと落ち着かれ、舌もよく回転し始めた。「いかに高貴な御方とは言え、女人は女人と高を括って居った其の上、己を褒めるのもおこがましいが、容姿にも自信が御座りました。・・・若かったのですな。平井保昌宜しく、紅梅一枝を肩に挿して、寝所に忍んだので御座ります。」「ふむ。」鷲鼻の羅漢は味わうように、頭を上下させて聴き入ってられる。山颪も止んだらしい。「偉い御方で御座りました。愚僧の参るのを知っておいでで、諭すように、こう申されたので御座ります。」夥しい視線が若い羅漢の口許に凝集して、辺りの空気は、一瞬、止まった。「あなた様のお志、有り難う御座りまするが、物盗りになるような子供は、産みとうは御座りませぬ。」「それだけじゃったか?」「はい、たったこの一言で御座りました。その方からこれ以上の言葉の出る隙の無いことは、血気盛んな愚僧にも感じ得たほど。・・・・考えあぐんだ末、仏門に入った訳で御座ります。」福禄寿の羅漢が、静かに問われた。「それで、答は出たかのう?」「はい、今なおこうして考えて居りまする。」円座の羅漢はそれぞれ尤もだと頷いて、それから首を傾げながら、八方草蕪に戻られた。鷲鼻の羅漢も腕組みして考え込まれた。當の羅漢は、また、きいっと星を睨み返して居られる。辺りは、やはり凍てるような寒さが根を下ろし、草木はますます干乾びて泣き止まない。(この短編は、私が社会人2年目、24歳の折に書いたそれはそれは古い作品です。)
2025.01.19
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〇物心が付いたのは桂に居た頃で、道路に寝転んでいた長革靴の酔っ払いのおっさん、近所のクリスマス・ツリー、貴志くん家の粉摺り器、自転車に乗せられ、怖がって力入れすぎて笑われたこと等のほか、凧揚げと独楽回しの思い出が、京を出て佐賀市内に移った時や大阪に戻った頃よりも鮮明に残っているのが不思議に思います。真ん中の輪が赤色、そして2番目が緑、外輪がピンク色した独楽や黒一色で目立たないけれど、貫禄があって負け知らずだった独楽等々。いつ回せるようになったのか定かではありませんが、固めに紐を巻き上げ、後は投げるタイミングと強さと曳きの強さ加減。廻り続ける独楽を掌に乗せ、電信柱から電信柱に移る鬼ごっこや曲芸まがいの片手乗せ、綱渡りなど、次第に巧くなって行きました。
2025.01.18
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〇父すばるがワープロで打った1枚の句集、題して「あいうえ”お正月”」。あ 姉いもと番号つづく賀状くるい 威勢よく負けてくれたる戎笹う 歌かるたいつも読み手の修道女え 戎笹提げて南座見上げゐるお 親と子のかしは手揃う初詣でか 書き初めや筆の穂のぼる墨の筋き 京極と背中合はせの初湯かなけ 献燈のわが名に会ひぬ初詣こ 紅梅町白梅町や羽根日和さ 参宮の父に陰膳小豆粥す 炭の香のけだかくもある二日かなた 大将と呼びかけられし初戎つ つくばひの柄杓あたらし初明りな 撫で牛のてらてら光る初詣で ね 寝足りたる二日の妻の顔と会ふは 初刷や余白ゆたかに選者吟ひ 緋の舞妓女将ら連れて初戎ふ 古女房きりりきらきらお元日よ 吉田山詩吟の徒あり筆初めわ 腕白にして猫舌やなづな粥
2025.01.17
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〇予想だにしなかった新コロナの襲来に往時はピークポイントが計り知れない日本全土。時事句は本来恒久的でないため、敬遠するところですが、全世界を巻き込んだこの疫病は、世界史、日本史に記録される一大事件ゆえ、それを推測させ得る作句は、それなりの評価をするに吝(やぶさ)かではありません。数年前の12月の句会で詠んだ拙作。 見しやそれともわかぬ間に過ぐマスク 星子 小倉百人一首にある紫式部の<めぐり逢て見しやそれとも分ぬまに 雲がくれにし夜半の月影>の本歌取りです。 目瞑れば姨捨山の大枯野 音信の絶えて久しき冬林檎 摩崖仏見上げし寺の敷もみぢ(奈良、笠置寺)風化してかなり見難くなっている巨大岩の仏画、散紅葉ではなく無尽蔵に散り敷き詰めた冬紅葉を詠みました。 有明の月美男なり十二月古歌では度々詠まれてきた有明の月は広辞苑では<月がまだありながら、夜が明けてくる頃、またその月>とあります。昨日、一昨日の朝月も然り。 菓祖神へ春待月の磴こだま吉田神社境内で有名なのは大元宮ですが、菓子の神様も祀られています。石段を踏む靴音を詠みました。
2025.01.16
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〇離れ小島に独り生活する人は別として、現代人は一日に幾たび時計を見るのでしょう。映画「時を追いかける少女」とは逆の、時に追いかけられる生活は多くの職業にあります。主婦業然り、真昼時の飲食業、無数の人を安全に送り迎えする鉄道関係の職業、締め切りの迫った作家など数え切れないことでょう。銀行はシャッターを下ろした三時過ぎ以降が、まるで砂時計の世界。数秒、数分単位で時に追いかけられる仕事場でした。小切手類の持出し準備、税金等の持出し準備、窓口(キャッシャー)や出納元締の現金ご名算など。 それらの指針となるのが時計。子供の頃に見た大きな柱時計。数日に一度はネジを廻さないと止まってしまいますが、映画のシーンでも大きくクローズ・アップされ、待つ人の心理を描き出していました。社会人になったお祝いに義兄から、過去に見たことのないような薄手の巻き腕時計を戴きました。羽のような軽さやワイシャツの袖口を傷めない利点や、四角い形をしたスマートさに愛着を感じる逸品ものでした。
2025.01.15
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〇皇居内で行われる由緒正しい「歌会始」。ひと昔「春」の折に一度だけも応募したことがありました。いろんな条件がありますが、誰にも漏らしていない未発表の作品に限ります。応募用紙は半紙に毛筆にて、〆切日までにお題の、例えば今年の「夢」を右端に書きます。 *そして自分の歌を書き入れます。住所、年齢、職業など規定の項目をその半紙に認めて、宮内庁に郵送します。 *当時の拙作は「嵐峡は蒼きふところ桜餅春滔々と水の流るる」だったでしょうか? * 畏れ多くもかしこくも、ご皇族、選者、入選者等の御作品には触れませんが、毎年、この雅やかな行事は、わが国の誇りとすべき文化の粋だと思っています。 *上皇陛下には、学生時代に将棋の名手であらせられたこと、そして麻雀にも興じて居られたことは、元毎日新聞論説委員:藤田信勝氏の随筆にあります。 * 民間から妃を選ばれ、その後お二人の着実なるご尽力で天皇家と国民との距離が身近になりました。
2025.01.14
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〇佐々木正孝著・篠崎晃一監修の「アレ何?大事典」(小学館、税抜き1300円)は雑学の書として面白い本です。わたし達が普段目にする物体・道具などの名称を探るという本です。1)道路工事の人のV字に光るチョッキの名は?2)同じく工事現場でチカチカしているロープ状のものの名は?3)葬式の会場までを案内する指のマークは?4)タクシーの背中・てっぺんにある目印は?5)線路に落ちたものを拾うマジックハンドの名は?6)自動改札機のハの字の扉の名は?7)コンビニのレジでバーコードを読む機械名は?8)つり銭を入れてくれる皿状のものは?9)コンサートで観客が振る蛍光色の棒は?10)抽選場でガラガラ廻す八角形のアレは?
2025.01.13
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〇某年、京都寺町通にあった三月書房で購入した良書を取り出しました。筒井紘一著『茶の湯百人一首』(淡交社)がそれで、千宗旦から村田珠光にいたる茶人の短歌。 山上宗仁・足利義政・千道安・一休宗純・沢庵宗彰・里村紹巴・織田信長、細川幽斎・古田織部・薮内竹翁・本居宣長・吉井勇・三条西実隆・九條武子・千利休・村田珠光らに丸印。 伊勢人の心さしとてすゝか山 ふりすてがたきこの茶筅哉 実隆三条西実隆は古今伝授を受けた一人で、昔もむかし、長岡天満宮の境内の碑が遺されていますが、我らガイドの会でも馴染みの深い人物。 摂津と山城の境界となる地にある関戸明神の境内に(本物はそれより15m先)、 ありがたき姿おがまん杜若 という芭蕉句碑があります。山崎宗鑑がまだ貧しい折に実隆の屋敷へ同道したとき、杜若を土産に渡したら 手にもてる姿を見ればがきつばたと実隆が一興で揶揄して詠んだ歌に芭蕉が、連歌を芸術の域に高め、発句から俳句が独立できできる礎を築いた恩人として詠んだもの。 なお、三条西実隆は飛鳥井家に和歌を学び、一条兼良に次ぐ中世和学の権威。永井路子著『歴史を騒がせた夫婦たち』三節目にかかぁ天下ながら、『源氏物語』を再興させた人物として取り上げられています。
2025.01.12
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〇父は殊の外竹久夢二というロマン画家、詩人を好んでいたようで、夢二にまつわる書物は数え切れないほど残しています。今ここに龍星閣の「風のやうに」という書がありますが、 *昭和37年の第2版もので、大阪桜橋の高尾書林という古本屋で購入しています。その本にハガキが二枚挟んであって、41.3.12の消印の新刊書案内で、 *昭和8年創業の同社が2年がかりで出版に漕ぎ付けた背景が切々と記述され、「歌の絵草紙」普通版では予約価3800円、限定百部のものは10000円。後者は朱染総皮表紙。天金。本金箔押装画。特織布函入。前者は本絹多色刷表紙。菊大型アート374頁。多色刷12図。写真版268図。英文解題。となっています。 * 翌年42.3.25付消印のハガキの文面には「歌の絵草紙」がびっくりするほどの注文で、発売日には影も形もなくなり、古本市場で高値になったとの苦情が後を絶たなかったと。 *<「思い出ぐさ」には夢二全盛時代の作品群、明治大正を目でみる情緒史とあって、夢二が明治末から大正にかけての10年間に「月刊夢二絵はがき」として描いた326図の収録もの。 *これら一つ一つには遠い日の思い出につながり、しかも風刺あり、諧謔あり、浪漫あり女人の美しさにただよう侘しさ、やるせなさは夢二ならではの「浮世絵」である。 *夢二の絵は、いつも身ぢかなものの楽しさや愛しさで人をつつむ。人生は、つきることのない哀詩であることを記録する。特に肉筆原画から製版した60図は、夢二の線描の繊細さ、鋭さ、奔放さなど夢二の息づかいまでも伝えて、圧巻である。> *この夢二評はこの本の解説を請けた長田幹雄氏の文章なのでしょうか。こちらの特装版は250部の限定。 夢二の描くような和製美人は影を潜めてしまったのでしょうか?遠くなってしまった昭和時代と共に消滅したのでしょうか?
2025.01.11
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〇句会と月刊俳誌編集と歴史観光ガイドの3本立てで日々時を費やしていた頃は、15句を揃える「募集大作」部門への挑戦は恰も寄付金納めに等しく、数年来、真剣味がありませんでした。コロナ禍で延期せざるを得なかった5年前にこの部門での募集大作賞に次ぐ、募集大作最優秀賞にに選んでいただき、驚きました。 「観音の耳輪」ものの芽や優しい嘘は母ゆづり出窓から手を差し出せば山笑ふ終の家の小高き丘の風光るダ・ヴィンチの画の七ふしぎ蜃気楼つうと来てつうと消えたる蛍かなガラシャにも法名ありぬ花十薬目に浮かぶお七狂乱凌霄花維新後の浮世絵眩し曼珠沙華秋天下窯出しの陶呱呱あぐる爽秋の大和路ひとり古寺巡礼いつしかに無二の友なり庭の月晩年は窯変といふ冬紅葉積む雪や孟宗竹の碧き肌分度器の空に架かるや冬の虹観音の大きな耳輪笹鳴きす
2025.01.10
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〇今は昔、和泉式部が下鴨神社に詣でた際、足を草鞋に摺られ痛かったので紙を巻いていたのを神主忠頼が ちはやぶるかみ(神、紙)をば 足にまく物かと囃したてれば、和泉式部がすかさず続け、 これをぞしものやしろとは言ふ *また頼経・公資の二人のやりとりに 桃園の桃のはなこそ咲きにけれ 梅津のうめは散りやしぬらむこのように滑稽問答に近いものだったようです。 * ところが後鳥羽天皇の頃から漢詩の聯句などの影響で、2句どまりにせず、数10句に亘って続けるようになり、その後50、100句という連歌の形になっていったようです。 *定家・家隆といった当時の歌壇の名匠たちも好んで連歌を楽しみました。これにいろんな規則、形式を決めた幾分真面目な連歌の時代(莵玖波集)を経て、山崎宗鑑らの、奔放にして自由闊達な作風が再び勃興し、「犬筑波集」となり、それから更に風雅な味わいを基礎とする蕉風時代へと移り、今ン日の俳句へと繋がりました。
2025.01.09
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〇随分前、TBSの番組で、安美佳さんが主として批評・指導される「パリ・コレ」への選抜風景を流す番組があって、毎回勉強させて頂いていました。京都では5月中旬だったか、「京都ファッション・カンタータ」というファッションショーがあり、抽選に当たって、数回観させて貰っていました。世の中、すべてと言って良いほど、激烈な競争があり、その最たるもののひとつにファッション・モデル界があります。アンミカさんの厳しい中にも親愛の情を滲ませた発言、要は個性をどのように強調するか、目立たないようで居て、実は飛びぬけて審査員の目と心を射抜く個性・世界観の設えの競い合い。
2025.01.08
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〇池内淳子さん主演の「女と味噌汁」は芸者上がりの女性が、茶の淹れ方、そして味噌汁などを通して粋な振る舞いを随所に披露したドラマでお茶の間の人気を博していました。このドラマの作家・平岩弓枝さんが「きょうと」という冊子に書いておられる記事があります。ドラマが始まると、地方への旅行地でお味噌を土産に頂池内淳子さん主演の「女と味噌汁」は芸者上がりの女性が、茶の淹れ方、そして味噌汁などを通して粋な振る舞いを随所に披露したドラマでお茶の間の人気を博していました。このドラマの作家・平岩弓枝さんが「きょうと」という冊子に書いておられる記事があります。ドラマが始まると、地方への旅行地でお味噌を土産に頂かれたそうで、某年の拙宅を例に取れば、大晦日の8時半、家内が白味噌を買い忘れているのに気づき、二人してスーパーmandaiにて買い求めセーフ。蓋し、亡母以来、極上級の白味噌ではない安価なものでしたので、雑煮の味噌味は今ひとつ。家内が近在の農家から購入した大振りの頭芋が近年にない美味だったので功を奏しました。
2025.01.07
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〇たちよらんかげもなつ野の草むらに 露をもとめて飛ぶこてふ哉 蓮月尼夏野という題に彼女が詠んだ一首で、影ひとつない燃える夏の野にうるおいの露を求めて飛び続ける蝶こそ蓮月尼の人生を重ねています。実父は伊賀上野の上代家老・藤堂良聖。生まれて10日も経たない内に太田垣光古の養女となり、7才ぐらいから丹波亀山城のご奉公に出、16才の頃、城崎庄屋の息子・望古と結婚。二人の子を産んだが亡くし、望古も亡くして天涯孤独。やがて太田垣の養子・古肥と再婚するも4年で死別し、剃髪、尼となりました。彼女は東山大仏殿の一隅で留守役を務め、杜鵑の声や五月の風のささやきと暮らす日々。少し外出して戻って来ると、寺の台所に見慣れない釜があり、その晩、夢枕に黒衣の僧が現れ、他力本願の極意を究める為、念仏しましょうと促された。夜通し僧と語って朝になると、僧と思ったのは前夜の茶釜でした。盗賊が入ってもびくともしない彼女は、晩年、若者の富岡鉄斎を寺童として暮し、飢饉の年には私財を投げうって寄進、鴨川の氾濫には丸太町橋も架けました。明治8年、享年85才の彼女の死には西加茂村の人が総出で弔ったと伝えられています。
2025.01.06
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〇随分前に 京町に小地蔵あまた松の内 星子と詠んだことがありますが、中京や下京の通りには掲句のような小さめの地蔵さんがよく祀ってあります。大山崎町のボランティア・ガイドをしていた折、宝積寺閻魔堂の五体の眷属が素晴らしく、閻魔さんの説明では、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天)、それを1週目は不動明王、2週目初江(釈迦)、宋帝(文殊)、五官(普賢)、そして7日×5週目=35日に閻魔王が地獄~人間のいずれかを決められ、翌週の裁判で変成(弥勒)が生まれ育つ場所、7×7=49日(満中陰)に泰山(薬師)によって男女の区別、寿命など決められます。閻魔さんは地獄行きを下したら、閻魔さんご自身も苦しみ受けられ、本当は優しい地蔵菩薩のご化身、という話を致します。お地蔵さん(閻魔さん)は私たちの身近におられ、見守って下さる訳です。女性のようなお姿の閻魔さんが、京都博物館に垂れ幕として常設してありますよ。
2025.01.05
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〇五条通の菩提寺に参るとき、いろんな通りを下りますが、その道すがら、いかにも古都風情の匠の館が処々にあります。『神々の匠』の著者、林恭子さんは山科にお住いの松浦経義さんの工房を訪ねられ楽琵琶の一節を書いておられます。明治4年、宮廷付の雅楽担当部署の大内楽所と社寺楽所代表の南都楽所、天王寺楽所が解体され宮内庁楽部が誕生、東京に移されても楽琵琶の匠は京都に在住。平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶よりも大きいサイズが楽琵琶。これはコンサートマスターの役どころで、長老格が奏されるとか。この楽琵琶は、花梨、紫檀、黄楊、沢栗、檜(朴)、煤竹そして皮の七種の材で作られるようです。
2025.01.04
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〇某年の句会で<物差しの角の丸みや一葉忌>という句を特選に選ばせていただきましたが、20年前の7月末付、産経新聞の「産経抄」の一文には頷くこと仕切りです。 古典から樋口一葉に至るまでを語り続けて来られた幸田弘子さんの『朗読の楽しみ』(光文社)には一葉の読後感が記述されています。<廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(ドブ)に灯火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき>有名な「たけくらべ」の冒頭の一節。生き生きとしたリズム、あざやかに転換する描写。「お釜で炊いた、それも焚きたてのご飯のように文章の一粒一粒が凛然として立っていると指摘。ご自分で口に出してみて下さい。黙読とは全く違う世界が広がっているはずですと幸田さんは書いて居られるそうな。 小生、大学受験勉強の折、私は旺文社のラジオ講座を真似て自分がテキストなり参考書を読み上げていました。<朗読でいちばん大事なことは「文章がきちんと伝わるような読み方をする」「繰返し読むことが大切」とも>・・・これは正しくガイドの心得なのだと思いました。カラオケ会等で歌う場合も、聴衆の心を捉えるような、詩情を伝える唱法が大切ですね。
2025.01.03
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〇若葉の艶めきたるころ、日がな雨の降り来れば、女房どもうち集まりてかしこき人(貴人のうわさ)など話しゐたり。伊周(コレチカ)の娘曰く。(わたし的には)かほるの君はいといみじかれど(超キモイけど)、(って言うか)歌の詠みやうは巧みなる(歌を上手に詠むので全然格好いい)。されどあまたのものに文やりたるはこころやまし(あっちこっちの女に言い寄るのは、むかつくけど)。さあらめ、さあらめとなむうちはやしたる(そうよそうよと姦しく盛り上がります)。源氏の君は品よくふるまひもいとをかし(源氏さんは格好良くって全然いいね)と言いければゐたるもの、おし黙りて部屋に籠りぬ(みんな自分の部屋に籠って、もの想いに耽るのだった)。
2025.01.02
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〇皆々様、明けまして御めでとう御座います。 本年も宜しくお願い致します。 随分むかしの話ですが、父も属していた茶かぶきの例会のプレゼントのその渡し方が風流で、小倉百人一首の和歌から品物を揃えているようでした。では具体的に記しましょう。 *奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき→テレホンカード(声聞く) *逢見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり→トランプ(心=ハート、くらぶ=クラブ) *大江山生野の道の遠ければ未だ文も見ず天の橋立→スリッパ(文=踏み) *春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山→香水線香 *思ひ侘びさても命はあるものを憂きに耐へぬは涙なりけり→ハンカチ *かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを→ホカロン *瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ→湯呑+セメダイン *古えの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな→匂い袋 *天津風雲の通ひ路吹き閉じよ乙女の姿しばし留めむ→使い捨てカメラ *ながからむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ→整髪剤 *わが庵は都の巽鹿ぞ住む世を宇治山と人は言ふなり→茶(宇治と言えば宇治茶) ねっ 頓知の利いた素敵な企画でしょう?
2025.01.01
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