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昨日のTBS「にっぽん歌謡50年全史」は、懐かしくもまた、いろんな歌手の若き姿を映し出した4時間にわたる圧巻でしたね。画面右上に西暦と昭和の年号が付してあったので、自分の年齢を引き算しながら青春に戻っていた次第です。島倉千代子さんの「この世の花」は、おりくが小学5年生だった頃。西郷輝彦は現在お父さん役をしていますが、「星のフラメンコ」の頃は、おりくも独身。他のチャンネルの夜のヒット・スタジオでは前田武彦が司会で、コンピューター占いに歌手たちは一喜一憂していました。伊藤ゆかりの「小指の思い出」・・・貴方が噛んだ小指が痛い、昨日の夜の小指が痛い・・・。不思議なことに弘田美惠子のパンチの利いた「バケーション」は無かったような。ちあきなおみと辺見まりの競争も面白かったのですが、辺見さんの西郷氏との結婚で早々にケリがついてしまいました。歌唱力では森昌子さんは先天的な才があったのですが、スター性という点で山口百恵を越えるアイドルは爾来輩出されていませんね。懐かしいビデオが流れると、郷ひろみって随分可愛かったことが解ります。現代のスターは素人に毛の生えた程度のように思ってしまうのは、おりくだけでしょうか。老婆心ながら申し上げますと、今後、常識を破る超魅力的な歌手が生まれて来た場合、ゆっくりと育ててあげて欲しいと願うのです。ピンク・レディーのような大物が過密スケジュールの疲労から早々に解散に至ったことなどを教訓にして欲しいと願う次第です。
2005.03.31
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「大山崎ふるさと案内人」はボランティア組織で、ふるさと資料館の電話で予めガイドの予約を賜っています。先日の卒業式の折、実際のガイドの日を確認しておき、本日は三つの団体さんからのご依頼に沿って、それぞれのご希望コースに従ってガイドする事実を掴んでいましたので、大阪は平野地区の生涯学習の皆さんのガイドに、おりくも見習いとして便乗しました。コースはふるさと資料館、離宮八幡宮、観音寺(+山崎聖天)、大山崎山荘、お隣り大阪三島郡にあるサントリー山崎蒸留所でした。実家を10時前に出て、いづみやで弁当とお茶を購入、阪急電車で長岡天神駅の次の駅、大山崎駅に着きますと、既にMさんとIさんが待ち受けて居られました。やがて平野地区のご一行さんも到着。早速、ふるさと資料館へ。この施設のガイドは一昨年の10月から見習い、去年4月からガイドを始められた同期のIさんが(彼は講習を去年の春から、おりく達と一緒に受講されたので、第四期生)、丁寧に説明して下さいました。冊子になったクリアファイルに適宜、写真などを挟んで、お客様に見せて居られました。それから2班に分かれながら荏胡麻を取り仕切った離宮八幡宮へ移動。第一期生のMさんの話も面白かった。京都と大阪の国境がホームにあるJR山崎駅などを紹介しながら大山崎山荘の庭で昼食。食後館内のガイドを聞きながら、おりくも折にふれて説明をしました。それから山崎聖天さんなどで、Mさんの人間味溢れるガイドに皆さん笑顔で聴いて居られました。再び戻り、サントリーの工場を見学しました。新発売の「北斗」既に有名な「響」や「山崎」という名称のウイスキーを試飲。真っ赤な顔のおりくになって、かつ原酒1500円ほどの小瓶を土産に、一行は解散。阪急大山崎駅では皆さんと握手、大阪へ帰る皆さんと京方面に戻るおりくとはホームが向かい合わせ、帽子を振ってお見送りしました。見習いのおりくにも皆さんが車中から手を振って下さったのが印象的で、幸せに感じました。いづみやで買い物を済ませ、本日は粕汁を母に食べて貰います。ああ、忙しい!
2005.03.30
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昨日は奈良の白豪寺にて可憐な椿を堪能しましたが、本日、実家に来て亡父が丹精込めて慈しんでいたもろもろの椿を一つ一つ観察していると、「椿庵」と号したことも頷けます。日増しに花開く椿たちは、まるで宝塚歌劇のフィレーレの舞台を見るような気がします。一重ものは侘助と称するもののほか、紺、黒、紫紺、小町、蜀光紅、光明、熊谷、肥後紅葉狩、紺袴、日輪、陽光、太郎庵、出羽大輪、曙、天津乙女など。白色には加茂本阿弥、初嵐、雪見車、昭和の誉。一重絞りには、糊こぼし、天が下、百千鳥、花見車、風折、蜀光錦、千代田錦、秋の山、肥後京錦などがあります。八重では黒椿、沖の石、明石潟、岩根絞、京小袖、荒獅子、大神楽、和歌の浦、江戸錦、蝦夷錦、花車、沖の浪、光源氏など。また印象的なものは日光、月光、御所車、紀州司、絞り乙女などなど。舞台一杯に広がった白階段から降りて来る主役たちのように、これらの花が次々と開花するのです。 おりくが学生であった頃、京都の植物園で毎年開催される椿展では、おりくは天井の灯りを鏡に反射させながら花に光を照らす助手を務め、亡父は熱心にスライド用の写真を撮っていました。加賀正太郎氏が洋蘭に魅入られたように、亡父すばるも椿の虜になっていました。父の意思を継いで、今年からもう少し世話をしてあげようと思いました。さて今夜の献立は、母には初物となる筍の煮物、ホウレン草のお浸し、浅蜊のお吸い物、次姉が金曜に残しておいて呉れた牛肉の煮込み(冷凍を解凍)にします。
2005.03.29
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明らかに春雨と思われる絹雨のそぼ降る中、大山崎ふるさとガイドの会有志など男女総勢14名和やかなるままに、閻魔さまや行教(行基)さまの縁(ユカリ)を求めて、古都:奈良まで出かけて来ました。博学の先輩諸兄と歩けば何かと心強い思いがしました。奈良斑鳩(いかるが)1dayチケットを購入すれば、京都~奈良間の運賃フリーパス、バスは無料、入館料も割安なのですが、これは近鉄以外の地下鉄・私鉄でないと購入できません。近鉄京都駅の窓口では販売していませんでしたので、京都地下鉄の改札口で、やっとこさ購入できました。近鉄の車内では歴史探訪の話題が花開きました。大山崎にある宝積寺(通称:宝寺)には重要文化財に相当する仏像などが沢山あり、閻魔さまもその一つです。奈良白豪寺には閻魔さまや一座の仏像が安置されていますので、勉強かたがた訪れた次第です。ガイドを通じて日本古来のものに精通して居られる先輩の解説を拝聴しながら、時の流れを感じつつ諸仏に対座しました。白豪寺の五色椿は有名で500年を経ても枝いっぱいに紅、斑入り、白色の椿を咲かせていました。其処へ住職の快尭さんがお越しになり、7月16日の祭りのこと、手書き団扇のことなど話して下さいました。おりくが小耳に挟んだ所に因れば、伊勢神宮の五十鈴川から汲んだ水で色紙などをお書きになるとか。お堂の軒下に並ぶベンチで昼食。眼下に見下ろす奈良市内、遠くに霞む生駒山。勿論、ウグイスの初音も耳にすることが出来ました。当山は秋の萩も見頃なのだそうです。サンシュウの花、ミモザ、シキビ、櫻、梅、木瓜、馬酔木の花などを観ながら、暫く徒歩を楽しみました。近鉄奈良駅まで戻り、次に訪ったのが”大安寺”。石清水八幡ゆかりの一行ですと案内を請えば、致せり尽くせりの解説をして下さいました。おりくが感動したのは、般若心経を大きな太鼓を打ちながら唱えられたことでした。太鼓のリズムは変化に満ち満ちていて、作曲の参考にもなりました。此処に安置されている仏像の殆どが天平時代のもので、馬頭の無い馬頭観音さまに初めて出会いました。仏像の姿・形が定まるのは鎌倉以降だということも勉強させて戴きました。栢の木の一木彫の仏像は、天平時代の豊満な肢体で、もう色彩も褪せて見えないものの、腰をくねらせたポーズなどに奈良文化の大らかさを感じることが出来ました。時間の都合で一箇所寄れませんでしたが、中身の濃い勉強が出来ました。男七人は京都駅で生ビールなどで一息ついた後、散会しました。
2005.03.28
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俳句の吟行というのは或る史跡や観光名所を予め決めておき、その日目にしたものを詠むという趣向です。本日は久々の麗らか日和、愛馬”銀疾風(自転車に名をつけてみました。ぎんはやてと読みます)を充電して、自宅から東へ171号線を越え、名神高速の高架を抜けると、春色豊かな畦道が広がります。頬を撫でる風と語らいながら少し進めば、もう既に京は伏見の羽束師。ミドリ電化を目標に東をとれば、まだ新しい羽束師橋を渡ることになります。国道1号線を越えて宇治川の新縄手橋の向う岸には焼板黒壁に白角窓のコントラスト鮮やかな酒蔵をみはるかし、中書島方面に向えば其処は伏見の酒処。本日の句会の会場は弁財天を祀る長建寺。ジュディ・オングさんが版画を残した朱色の唐門、朱塀も鮮やかに、境内には幾種類もの花椿、クリーム色の花三椏(ミツマタ)に誘(イザナ)われ、佐野藤右衛門さんが手をかけた糸櫻に見(マミ)えます。近くの掘割べりの芽柳のように、風に枝垂れつ、咲き初(ソ)めてました。 こと櫻に関しては佐野藤右衛門なくして語れません。天保3年創業の「植藤造園」16代目、今年76歳の桜守り三代目。集英社文庫の彼の著「櫻よ」の副題は「花見の作法」から「木のこころ」までと銘打ってあります。おりくは論理的に文章を表すことが苦手ですが、藤右衛門丈の洒脱口調の綴りには、櫻という樹を解説しながら、実は人生、いかに歩むべきかということを説いて居られます。子供・童の目は時として真実を捉えていますが、藤右衛門さんのギョロ目も物事の本質をずばり切断して晒して下さいます。京都は円山公園の枝垂れ櫻を初め、全国津々浦々の銘櫻を守り育てて来られた藤右衛門さん。わずか630円の文庫本に、ぎっしり詰め込まれた人生訓は是非一読して頂きたいと思っています。 藤右衛門その名もゆかし糸櫻 芽柳を縫うかに十石船往きぬ わが影を柔く侍らせ日永かな
2005.03.27
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毎月双方1万円づつ貯めている観光・旅行資金がそこそこになって来たので、日帰り旅行でもといろんなパンフレットを検討しましたが、蟹や牡蠣もほぼ終了、桜の開花はもう少し先なので、瀬戸内方面への旅は順延することにして、結局、本日は大山崎へとサイクリングに出かけました。大山崎ふるさと案内人の基点となるのは「ふるさと資料館」ですから、先ず其処へ行きましたが昼前でガイドさんが不在でしたので、離宮八幡宮に寄り、現在四代目である”三笑亭”さんにて天麩羅膳を頂きました。筍は今年の初物で美味でした。関戸川を境に京都、大阪に分かれることや関明神、山崎宗鑑の碑や松尾芭蕉の句碑、山崎駅の跡などを家内に説明しながら、大山崎山荘に到着。京都新聞のトマトカードを提示すると本人は100円サービスが受けられ(家内はこの事に詳しい)、二人分1300円で入館。まだしどろもどろながら館内を案内しました。有名な”蘭花譜”の版画刷りがあちらこちらに展示されています。2階に据付けてある大型オルゴールの旋律を初めて聴きました。丁度その時、ガイドの会の会長さんにお会いしましたので会長さんのガイドを聴かせて貰いました。本日は特別の日で、午後4時から大山崎山荘の建築構造の特色などを川島先生が講演なさるので、一般観光客は3時半で締め出しになります。人数の枠空きはあったのですが、実家に寄りますので止む得なく山荘を引き上げました。今回の講座の内容は会長さんを通じてテープを複写して戴く予定です。さて、実家へと北へ向う道すがら、次期会長さんや、おりくが配属された1班の幹事長さんや、その他ガイドの先輩諸兄数人と出会いました。やはり皆さん熱心にお勉強されるようですね。それと本日の成果と言えば、ウグイスの鳴き声を初めて聞きました。2月頃はチチチという下手な啼き声で、この段階を俳句では”笹鳴き”と言いますが、本日のようにホーホケキョという見事な節廻しを初めて聞くことを”初音(ハツネ)と言います。大山崎山荘の”蘭花譜”特別展示は4月10(日曜)まで開催されています。
2005.03.26
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タイトルが誤っているかも知れませんが、みのもんた氏の番組で、旧門司港の明治時代から大正、昭和、平成の歴史の移ろいを報道していました。スピードと経済成果を要求される現代の心の歪を癒すものとして、レトロな安らぎ文化がクローズアップされるようになりました。旧門司港は石炭やその他の物資を集荷する海の玄関口として、大正時代に繁栄を極めたのですが、三井財閥や税関などの洋風の建物に遺されていた釘跡や絨毯の糸くずから、往時の建物や調度品などを忠実に復元することによって、観光客を誘致することが試みられて丁度10年経ったということです。現在では年間300万人の観光客が訪れているようです。 テレビ画面を見ていると、まるでおりくが今後案内するであろう”大山崎山荘”に良く似た”大正の香り”がしました。神戸・大阪・京都にも、その良き時代の瀟洒な建造物がありますが、加賀正太郎氏が建てた”大山崎山荘”は、琵琶湖疎水を京都市内に導く工事費に迫る、金銭面と建築技術の粋を極めた大正・昭和初期の建造物です。大阪、京都にお越しの折には、是非ともJR山崎駅または阪急電車の大山崎駅いずれかで途中下車して、大山崎の中世、近世の歴史・史跡を堪能なさって下さいませ。この地区は天王山と河とに挟まれた隘路ですから、短時間で多くの観光が楽しめます。いずれ、おりくが案内させていただきますが、先ずはPRまで。
2005.03.25
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早々に朝食を済ませ、阪急河原町から賀茂川を渡り、京阪電車で出町柳へ出ました。携帯でメールや電話を入れると、ネットの朋が駆けつけて下さった。早速、下賀茂神社へと糺の森を歩きました。彼女は用意周到でご朱印帳をご持参で、紅袴に白装束の巫女さんに手書きの神社名と角印などを受けられました。彼女は博学で記紀を専攻なさったから万葉や中世に精通して居られます。京を案内すべき側のおりくが逆に何かと教えて頂きながら加茂川沿いを歩きました。やがて彼女と袂を分かち、テクテクおりくの京の散策。河原町沿いに蒟蒻屋さんがあって珍しそうなものが100円で売ってあったので買い上げ、スタスタ河原町を下り、途中加茂川の土手を歩いたりしながら御池あたりに差し掛かりました。三条木屋町の高瀬川べりは風情があります。折しも芽柳の季節で、この辺りは幕末の面影を残しています。先斗町の細い路地を南下していると、仇っぽい姐さんたちとすれ違うのも楽しい。「山とみ」の女将は元気だろうかなどと考えながら四条まで辿り着き、祇園界隈をぶらぶら歩きました。花見小路には時折舞妓さんや芸妓さんが行き交います。新進のお食事処が増え続けて賑わっていますが、おりくは昔懐かしい「恵美」さんの戸を開けました。「おこしやす」「お弁当お願いします。時に女将さんはお元気ですか?」「はい元気です」間もなく女将さんが顔を出されました。実に15年ぶりの再開ながら女将さんはおりくのことを覚えて下さっていました。おりくが銀行員当時のお客さまで、部下が支払い現金を間違えてので侘びに行ったことを覚えて居られました。2800円のお弁当には京の味がびっしり詰まっていました。観光化されて味を落とす老舗の多い中、「恵美」はきちんと味を護って居られる。ゆえに、中村芝翫さんから暖簾を貰ったり、今、興行中の尾上菊五郎丈もご贔屓なのです。いろんなよもや話をして、恵美さんの店を後にしました。4月1日から都をどりの始まる歌舞練場を横目に「建仁寺」さんに参り、俵屋宗達の描いた「風神、雷神」や秀吉ゆかりのお茶室、有名な龍の天井も拝観しました。既に足が棒の状態であるし、天候も雨の匂いがして来たので高島屋で土産もののケーキを買い求めて帰宅しました。今、嵐のような風雨です。
2005.03.24
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春雨と言うよりも氷雨とも言うべき冷たい雨の降りしきる中、大山崎ふるさと案内人4期生の卒業式が御座いました。その前に、大山崎町教育長:黒崎氏の講義が最後の締め括りとなりました。席上にて、加賀正太郎氏の次代への遺言とも言うべき”蘭花譜”の本物を手に取って見させて貰うことが出来ました。満州事変によって日本は破竹の勢いで東洋に進出していた時代のもと、加賀正太郎氏は、本来持てる日本人の雅を伝えたいという信念と情熱で、主に版画による蘭の美を後世に遺したいと思い私財を投げ打って83枚の版画を上梓しました。50年の時を経ても色褪せない浮世絵の花づくしが遺されたのでした。大山崎ふるさと案内(OFG)の基本理念は”人の愛”です。ガイドと言う能動的立場にありながら、多岐に渡る情報という宝を大切に育て、護って来られた先輩諸兄の礎のもと、我ら4期性は、本日産声を上げました。
2005.03.23
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地元の句会の兼題は「蛍烏賊」と「フリージア」。蛍烏賊に至ってはその漁の様を実際に見た人も無く、各人想像で詠んだようで、おりくもその一人でした。フリージアにしても、その季語に相応しい詠み方には技量が要ります。おりくが戴いたのは フリージア外人墓地に波の音 信フリージアは別名香雪蘭とも呼ばれるように香り高く清楚で気品の高い花。掲句はその優しさと香り、海に面した外人墓地の広がりと波の音を加えたハーモニィをシンプルに表して居られますね。同じ作者の フリージアけふも小窓の開く刻 信も優しさに溢れています。もう一句、 縁側で誰か来たかとフリージア 洋花も少し手直しすれば味わいが出そう。クロッカスで詠んだ人も居られます。 クロッカス指定の場所で目を覚まし 明美で、おりくの句は フリジヤのワルツに酔うて愁忘る 星子下5に問題ありと主宰のご指摘。なれば フリジヤのワルツに酔うて居たりけり 星子 ふるさとの海音聞こゆ蛍烏賊 けい子 波昏れてひかり微塵の蛍烏賊 信次の句が面白いですよ。 蛍烏賊スノコの上で拗ねている 静このPCでは漢字のスノコが書けませんのでご容赦下さい。おりくは青く光る様を 醒めやらぬ夢の続きや蛍烏賊 星子と詠んでみましたが 決別の煌き遺し蛍烏賊 星子の方が理解を得たのかも。 兼題から離れての自由なものには 如月の空家に残る一輪車 順子この句は主宰より 三月や空家に残る一輪車との添削がありました。 春疾風(ハヤテ)モンロー苦笑して居たり 静も、かのモンローを懐かしく思い出しますね。 春二番マスクつけては外しては 信では春二番が効いています。 大鍋の年年重しいかなご煮 富恵 主宰に添削して貰ったのは 花馬酔木それは鈴音の鼓笛隊 星子を 花馬酔木鈴音高き鼓笛隊 この土手に陽はたつぷりと犬ふぐり 星子上5に問題ありとのことで、現在考え中。 大輪の椿に肝斑(シミ)のある哀し 星子これは下5の哀しを直すべきと。十七文字の中の推敲は、或る意味で厳しく、また楽しくもあります。
2005.03.22
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亡父が残してくれた日本専売公社のミニ・ブックの中に面白い記事がありましたのでご紹介します。表題は「とっちめられたお坊さんたち」。<イタリアに初めてたばこがもたらされたのは1561年のことで、時期的にはフランスなどと同じ頃だったようだが、その入り方が各国と違っていたために、後々、とんだ大騒動が巻き起こることとなった。というのも、ポルトガルのリスボンからたばこの葉と種子を持ち帰ったのがプロスペロ・カンタクローチェという名の大僧正だったからだ。おかげで喫煙ブームは瞬く間に教会の僧たちに広がり、神聖なミサの最中でさえも、礼拝堂内にもうもうと煙が立ち込める有様となったとか。”神を軽んじるにもほどがある”と怒ったのは信者たちで、僧をとっちめる集会が各地で開かれ、挙句の果てはパイプを1本だけ持たされて、教会から追い出される神父さんが続出した。さすがにローマ法王庁でも黙っていられなくなり、たばこを”悪魔の草”と呼んで、教会からの追放を図った。が、何せ初めてその草を持ち込んだのが、高位の僧だっただけに、引っ込みがつかない。まことに皮肉な歴史のいたずらではあった。> 現代も煙草を追放する風潮のさなかにあることは興味深いですね。たばこは兎も角、日本テレビにまつわるゴタゴタも是に似たような感じがしないでもありません。少なくともネットの世界で絆を温める私たちは”ネチケット”を遵守して行くべきだと、わが身の反省も踏まえて本日の日記と致しました。
2005.03.21
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本来なら今朝10時からハイキングに参加する積りでしたが、母ののんびりムードに合わせていたら、集合時間に間に合わずNHKの画像を見ていました。すると突然画面の上に福岡・佐賀に大地震の白文字が流れ、びっくりしました。先日、偶々、祇園の御茶屋で談笑していた時、お店の一人が佐賀出身だと聞いて懐かしんでいたばかり・・・。おりくの幼年期を豊かにしてくれたのは京都の桂、そして僅か2年滞在の佐賀の町。近くに竹薮があって戦争ごっこや凧揚げ、蜻蛉つりなど、頬を撫でる風や差し込む陽射し、空の青さ加減で四季を感じていました。もう、昔の面影など消え失せてしまっているのでしょうが、おりくにとっては、かけがいのない”こころのふるさと”それが佐賀なのでした。あの頃は負傷した兵隊さんが白い着物に高下駄履いて恵みを請う姿がありました。おりくは怖くって顔を逸らしてばかり居ました。記憶の中に戦争の恐ろしさは無いのですが、こうして60余年、平和な暮らしが成り立っているのは、政府の施政があったればこそなんですが、隣国とキナ臭いものが立ち始めていることは哀しいことです。今回、震災に遭われた方々に、平凡で幸せな日々の戻る日の早いことを祈るばかりです。
2005.03.20
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雨戸を開けたら好い天気。朝食後、鱗華会の句会で京都に出るついでがあるので、おりく一人でお彼岸の墓参りに行くことにしました。四条河原町から急ぎ足で五条通りに面しているご先祖さまのお墓に着きました。平日でも参詣者が大勢居られ、プラスティックのバケツと金物の柄杓を提げて墓に来ますと空一面に黒雲が覆い、絹のような雨が降り出しました。大雑把に草を抜き手を合わせました。お寺を後にする頃、空は青色と化し、五条通りの賀茂川東沿いを上がり(北上)ました。今日の季題の芽柳がしなやかに揺れています。二つ東の道を歩いていると白木造りのお茶屋さんが軒を連ねています。観光客が舞妓さんに早代わりできるお店もあって、京をどりのポスターには舞妓はんが二人。ここで浮かんだ句が 芽柳や老妓引退すると云ふこの句は敬愛するKさんが句会で選んで下さいました。 四条通りの南座向かいのバス停から百万遍ゆきのバスに乗り、近衛通のバス停で下車したところ、先月、流感で休んで居られたAさんとばったり。暫く歩いて喫茶&食堂に入りました。日替わり定食のクリームコロッケが熱くて美味でした。句会が始まって間もなく、男女ふたりの新人が見学、参加なさいました。 田起しの一番鍬は脛に掻く 政利 春雷の逸れて比丘尼の夕諷経(フギン) 真隆 三月の東の雨戸先に開け 道代 芽柳や老舗「望月」この辺り 興胤 交番は誰も居ずして紙の雛 健二 いつしかに遣はぬ部屋へ春陽入るる 正 春耕の犂(スキ)へとんとん猿田彦 曼莉 大試験終えて腑抜けの孫の朝 三智子 列島をはみ出す岬春一番 健二 芽柳や風を背中に負ふごとく まつえ 四温光絵手紙いとど黄を累(カサ)ね 興作 柳揺れ一途になれぬもどかしさ 一英 芽柳や昔運河の名残舟 数子 少年の瞳に淀む冬の沼 豊 老ひとり一鍬の田を耕せり 薫子 ハース出てひとり春田を打ちにけり 晴美 芽柳のところを得たり倉屋敷 千恵子 シャンソンに指打つ膝の春衣装 晴美 産声の一鋤ごとに田を返す 星子 点々と州浜の形に田を返す 星子 江戸の香や誰を待つやら柳の芽 星子 今日の句会は数子さんの運河の名残舟の句を味わえて良かったと思いました。句会が終わってAさん、Kさんと馴染みの店で一献傾け俳句論議。Kさんを祇園の「辻糸」というお茶屋さんに案内し、俳句談義に花を咲かせました。
2005.03.19
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ちりぢりの姫惑わせる春は来ぬ春が来たとて喜んでいる場合じゃないよ。しっかり自分の足元見つめよ。総体的に言えば、ネットの世界は傷の舐め合い。ネットの絆も大事だけれど、自分の足元支えてくれるのは誰じゃいな。
2005.03.18
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先日、亡父に再々お手紙を下さっていた千枝さまから句集「紅梅地点」を頂戴しました。いつも笑みを絶やさぬお人柄で、おりくも何度か文通させて戴いている方です。その句集の中で見つけた一句 春灯を消して女は髪で哭くを見つけ、しばし息を呑みました。蜻蛉日記の作者、右大将道綱の母の なげきつつひとりぬる夜のあくるまは いかに久しきものとかはしるにも通じる哀しさを感じないでもありません。幸いにも句の方は、春灯を季語に選んで居られるから恨み言ではないようで救われます。作者の嘆きを詠まれたものか、世の女性全般を詠まれたものかは定かでありませんが、髪で哭くという下5に深い味わいがありますね。
2005.03.17
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昨日から家内の実家。本日は午前10時過ぎから家内と自転車2台で住吉区役所。久しぶりの麗らかなお天気の中、上住吉の荘厳寺に立寄り、住吉大社に到着しました。家内は中学・高校時代に写生に来た場所であり、おりくは小学4年から亀を逃がしにやって来た想い出の場所です。真っ赤な欄干の太鼓橋を渡り、6月14日に毎年行われる田植え祭の御田を拝し、京都の祖母が信仰していた初辰さんに寄り、住吉公園に辿り着きました。子供の頃とは雲泥の差で、草花や樹木、川なども設えてあって近代的な憩いの場所になっていました。粉浜通りを横切り、母校の住吉小学校を経て帝塚山中5丁目から少し北上、帝塚山学院や家内の出生地を確かめ、義父の住んでいた家並みを眺め、とあるレストランで昼食し、おりくが8年ほど住んでいた場所も確認しました。家内もおりくも”當世の浦島太郎”状態で、全ての環境は様変わりしていました。万代池公園を経て長居公園に来ますと、梅が満開。目白や鶯も春の陽気にはしゃいでいました。西中病院へ義父を見舞いましたが、案じていたほどには義父は衰えていませんでしたので安堵しました。満90歳で流感に罹っていましたのですが、帝塚山近辺のことを鮮明に記憶していました。 おりくの実家には川崎市から妹が泊りに来ていますので、本日は羽を伸ばすことが出来たのです。阪神デパートで4種類の弁当を買い求め、長女、長男とわいわいがやがや、愉しい夕食を済ませたところです。
2005.03.16
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お兄ちゃんが病気しよった 僕のお八つの柿まで食べたさかいや お兄ちゃんのお尻に ぶっとい注射の針が刺さって ああ 痛そう お兄ちゃんはあっち向いて どんな顔してるんやろ 何か急に お兄ちゃんが可哀相におもた 「お兄ちゃん 早よ ようなってや」 言うたら お兄ちゃん こっち向いて にっこり笑いよった この詩はもう随分昔に書いたものです。おりくには兄が居ませんので、これは想像によるものです。また、今後も兄弟などのシリーズをつくり、組曲にでも出来れば嬉しいのですが。
2005.03.15
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先日、向日市図書館で借りた10冊のうち、4冊に目を通しています。「お先にどうぞ」三林京子著(いるむ株式会社)・・・重要無形文化財保持者:桐竹勘十郎(故人)のお嬢さんである三林京子さんの随筆集で、平易な文章で綴って居られます。飾りッ気の無いお人柄に惹かれます。「愛はストレス」久田恵著(文芸春秋)・・・女性ルポライターの手になる、軽快なタッチの随筆は、通常私たちが経験しないような世界まで踏み込まれた事件の裏話などが網羅してあって、女性から観た男性観、女性から観た女性像もあって大変面白い内容です。「季のない季寄せ」江国滋著(富士見書房)・・・大好きな江国さんの語彙随筆。俳句を詠む上に参考になりそうな話題と例句がぴったり。「私の万葉集」大岡信著Vol3(講談社現代新書)・・・詩歌の権威:大岡さんの万葉集の解説書。日本人で万葉集を諳んじる人が年々減って行くのは哀しい限りですね。勿論、熊さん、八っつぁんの江戸庶民はそうで無いかもしれないけれど、明治・大正の心有る人は古歌に通じていたように思います。かく言う おりくは暗記などさらさら出来ていませんが、いにしえ人の感性には興味がありましたので、通学や通勤の折に万葉集や古今集、新古今集を偶に読んでいました。俳句を詠む場合など、古歌を知っておくと便利な場合があります。 日本人が海外の社交場で話をする時、経済面の話題や、西洋の美術や文学を賞賛するばかりで、自国の文化に疎いことに不信感を持たれてしまうことが多いようです。海外旅行は見聞を広めるにはプラス効果があるとは言え、日本の誇る文化にもっと目を開くことが大切かと思います。他国に余り侵略されず、島国独自の”和文化”、”雅の文化”を訪ねたいものです。
2005.03.14
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今、3月13日の午後4時半。最近ちょくちょく生じる晴れ間の中の雨降り。居間で寝転びながら名古屋女子マラソンの放映を楽しみ、図書館で借りた2冊の本を交互に読んでいる間にも、湿り気の多いぼたん雪が降っていたようで、2階の自室から、黄金色の西日を浴びながら、屋根や車に積もった雪を眩しく見ています。一昨日は3月3番目の句会でした。おりくの61度目の誕生日でした。兼題は「蜷(ニナ)」と「葱坊主」。 相続の土地を切売り葱坊主 数子 葱坊主浮世ニュースの種尽きず 貞子 葱坊主得度の後は花かんざし 好子 葱坊主区画整理の境目に 数子 ◎ 晩学や葱坊主にも声かけて 素朋 葱坊主我が停年の立姿 桂人 葱花や二子はふるちんもて生まる 星子 ◎ 踏んづけるまでの遺跡や蜷の道 星子 ◎ こまやかな里の日和や蜷あるく 素朋 蜷の道探しあぐねて母の里 好子 蜷の道古き日ばかり恋ふるなり 素朋 当日主宰から出された席題は「春の雨」 春の雨小さな傘にふたりして 幸子 春の雨路地より抜けし束ね髪 好子 ◎ 春雨や病むとも言えぬアレルギー 千恵子 ◎ 春昼や塀より覗く兵の墓 芙美いつも句会が終わったあと、7、8人で喫茶室でダベるのですが、役員交代、場所取りなどの案件があり、いろいろ打ち合わせしましたので句会の後の余韻に浸れなかったのは残念でした。この夜は実家に泊まり、翌土曜日の朝食(パン食)、昼食(うどん)を母と一緒にした後、鯛の煮付け、白菜煮、ほうれん草のお浸し、味噌汁の準備をして自宅に戻りました。自宅近所で大きなケーキ箱を抱えた長女と一緒になりました。早速、おりく誕生祝いのケーキを家族で戴きました。夕飯あとにも、もう一切れのケーキを味わいました。誕生日には主宰の特選に入りましたので、嬉しい誕生句会でした。
2005.03.13
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新聞の紹介欄を目ざとく見つけてくれた家内のお陰で、「大山崎ふるさと案内人(OHG)」の講座を一年間続けて来、近日卒業式を迎えますが、新聞紙面にも、図書館の書棚にも、ガイドに役立ちそうな知識が無尽蔵にあります。一体、今まで何して来たンだろうと思ってしまいます。向日市の図書館で借りた10冊のうち、自宅から此処実家へ持ってきた2冊は淡交社の「よみがえる平安京」(企画:京都市、編集:村井康彦)、そして新人物往来社の「時代考証事典」(稲垣史生著)です。前者は平成4年、平安建都1200年記念事業の一環として製作された平安京の大型(1000分の1)復元模型に関するB5版110頁(2500円)の写真附きの解説書です。この本1冊で平安京の知識が豊富になると思える精度の高い、楽しい本です。 後者の著者は、その序において「風と共に去りぬ」の作家:ミッチェルのことについて詳しく述べて居られます。<ミッチェルは執筆にあたって南北戦争当時の新聞、記録、書簡の類を渉猟しつくしたといわれる。また生存者から当時の生活様式やヘアスタイルまで詳しく聞き出している。・・・「風と共に去りぬ」の文学的香気や現実感はこの地味な努力と膨大な資料の中から生まれた。偶然にできた名作ではない。>先日、「華岡青洲の妻」がNHKでドラマ化されて放映されました。有吉佐和子さんのことだから、ミッチェル同様の地味な取材をされただろうと思われる歴史上の人物を題材にした名著。故にドラマを観ていると、その時代にタイムスリップしたように感じました。「時代考証事典」は江戸時代のすべてのことについて資料を基に、現代文に馴染んだ私たちに解り易く教えてくれる本です。 前にも書きましたが、おりくは図書館で借りた本の全てを端から端まで読むのではなく、興味のあるところを拾い読みしています。おりくの大好きな江国滋さんも、玄関、食卓、居間、書斎、寝室、トイレに書物を分散させ、それを拾い読みなさっていたようです。興味のある部分は、スルスルと頭に入ってきます。俳句もガイドも合唱もいろんなことに時間を割くのですから、”書物は好きなように”読んでいきたいと思っています。”雑学が時として一本の糸で結ばれる”或いは”この雑学が将来ガイドに役立つ”と信じて、自由な姿勢で書物に接していきたいと思っています。
2005.03.12
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この句会は京鹿子句会の本拠地、京は吉田山の近くの野風呂記念会館で毎月第二水曜日に開催されています。今月は月曜:向日市の琴の橋の句会、本句会、そして第二金曜日:長岡京市のたかんな句会と三つ続きました。兼題は無く、各々七つ出句したものを18名ほどで七句選びます。 春浅し和菓子処の窓の湯気 えつ子 春一番鉄砲玉の子が帰る 均 晩学や芽吹きのやうなルビあまた 茉明 石鯛釣るめったに食えぬ栄螺撒く としお 梅花祭簪(カンザシ)光る絵馬ゆれて 満枝 鳥雲に黙し種播く修道女 富由木 風花や携帯の声垂直に 満枝 よなぐもり来てゆっくりと眼鏡拭く 茉明 地虫出づ最初のぐうを一歩とす 津々絵 阿仏尼の眠りの里は養花雨 けい子 膝並べ母の手に生る草餅待つ まさ栄 春昼や温泉付きのバイキング えつ子 白鷺のよぎりてまぶし春の川 知紅 雛ちらし雛飾らずにかしましく 与志紅 たっぷりと雨吸ふ土や桜餅 知紅 霞草脇役と言うかくし味 弘子 奇数からはみ出る事も雁帰る けい子 立ちし嬰(コ)は左右の思案桃日和 津々絵 軽気球弥生の空を正しけり 津々絵 啓蟄や獅子身中に育つもの としお 啓蟄やあるじ見上ぐる盲導犬 富由木 椿寒む凶を吉とし磴下る 百合子 春という毬は観音さまの掌に 星子 菜の花やぐるり一面お伽めく 星子 春眠の体内時計遅れがち 星子 幼年期を手繰れば春の水の音 星子 大淀の堤うねりて草萌ゆる 星子 訪へばケアーハウスの日永かな 星子 淡雪や遥か都の窯の跡 星子 各人、いろんな思いがあって勉強になります。
2005.03.11
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わたし達は1年という区切りで生活していますが、四季の移ろいも、月日の移ろいもカレンダーとのにらめっこに拠っています。現代人は余り暦というものを参考にはしませんが、結婚式などの祝い事やお葬式の時は一応チェックしているように思います。俳句を嗜(たしな)む身にとって、陰暦と太陽暦とのギャップには、ほとほと手を焼いてしまいます。寺井美奈子著「最後の江戸暦問屋」(筑摩書房)には、明治維新まで続いていた近江屋新八という一つの暦問屋を題材に、ほぼノンフィクション風に物語を綴ってあります。二十四節気などは中国の西北部、黄河中流の乾燥した地域の気候をそのまま日本に当てはめているので無理が生じます。日本で最初に暦が採用されたのは7世紀の元嘉暦とされていて、平安初期(862年)に宣明暦を用いるようになり、陰陽博士の安倍家と、その流れである土御門家が作暦権を握っていました。将軍家光の時代の1682年に、わが国初めての貞享暦が施行されました。寛政、天保の改革を経て明治6年(1873年)太陽暦が採用されるに至りました。ここで言う太陽暦は西洋の計算方式に従ったということで、それまでの太陰太陽暦では月の一巡(平均29.53059日)を1か月とするもので大の月(30日)と小の月(29日)を交互にする。そして32か月か、33か月に閏月を設けて1年を13か月に調整する方式の不都合から脱皮したということです。 現在もお寺や神社に行けば、旧正月や節気、十干十二支などを記した暦を買い求めることができますね。月の満ち欠けをテーマにした天文学の世界は凡人のおりくには難しいので詳しく述べられませんが、江戸時代には大の月と小の月が毎年変ったりしていたので、現在の「西向くさむらい」のようなことを詠んだ歌が幾つも残されています。例えば、 <大好きは雑煮草餅柏餅盆のぼた餅亥の子寒餅これは我輩酒嫌ひの者には殊によく言へて用立てと咲(わらふ)て一座興に入りしと>(甲子夜話)雑煮1月、草餅3月、柏餅5月、盆のぼた餅7月、亥の子11月寒餅12月。狂歌では <わんわわんわわわわんわわんわんわんとはねたが大道の犬>大の月は1、3、7、9、10と12月、小は2、4、5、6、8と11月。他にも寛政13年の<大小とじゅんにかぞへてぼんおどり>おどりは大小が順に続くことを意味し、1月から交互に大小と数えてきて、盆(7月)、再び8月から大小と繰り返す。これは偶然現在と同じです。また立春正月は中国の考え方で、立春は12月15日から1月15日の間に入り、立春の前日の節分は新しい年を迎える前日であり邪気を追い払うものでしたが(これは立夏、立秋、立冬の先日にも行っていました)、ぴったり元日立春になるのは25年に一度の割合でした。その矛盾を詠んだ歌も多々あります。 年の内に春はきにけりひととせをこぞ(旧年)とやいわんことしとやいわん 年の内に春や立つらん降り積る雪まそかすむ逢坂のやま 世の人のいそぐ心にさそはれて年も暮れぬに春やきぬらん古くは万葉集に大伴家持の あらたまの年行き還り春立たばまづわが屋戸に鶯は鳴け 月よめばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとかで、この年の立春は12月19日でした。このように年内立春はめずらしくは無かったようです。何とも昔のひとびとはややこしい暦の中で暮らしていたのですね。
2005.03.10
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本日は今週2番目の句会でした。句会の模様は近日日記に著わすとして、ほぼ1年前よりこの句会で知り合ったT氏との帰り道、岡崎の京都美術館で山岳写真展「2005 山ーわれらをめぐる世界」という日本山岳写真協会創立65周年記念展へのお誘いをうけましたので、一緒に行きました。T氏は山登りが大好きで先月75回目の誕生日を迎えられた御ン歳ながら、今秋はアルプス登頂を計画なさっています。千メートルを越える山々の景色は雄大にして厳かで、写真にも造詣の深い紳士でいらっしゃいます。会場には300点を越える力作が処狭しと並べてありました。雪に覆われた山岳、風紋のある積雪、樹氷の妙、山頂に懸かるレンズ雲、雪景色の中の滝の水流、緑に包まれた樹林の曲線、紅葉と山肌の対比、高山植物の愛らしさなどなど。天候条件が猫の目のように変る中でのシャッター・チャンス。写真技術の説明など聞きながら、またT氏が過去発表なさった句の情景などを拝聴しながら、おりくがこれまで一歩も踏み入れなかった壮大な世界を堪能させて戴きました。勿論、T氏の写真技術も相当なレベルです。市バスを途中下車した運賃は220円。その代わりに無料で自然の山岳景色に接することが出来ました。T氏のご壮健をいつまでもと祈りながら、今後も厚誼を賜りたいと思った1日でした。
2005.03.09
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亡父の妹である叔母は阪神地震の被害者で倒壊した家から助け出され、しばらくテント生活していたのを、従姉妹が見つけ出し京都府下の施設を転々としている時、家内が必死でケアー・ハウスを探していました。おりくも何度か同行していましたが、或る相談所で耳よりな話を家内がキャッチして呉れました。高槻市に現在建築中のケアー・ハウスがあるとの情報で、我等はすっ飛んで行きました。淀川沿いに大きな棟が建築中でした。いろんな条件が理想的で、600万円の払い込み金で一生面倒看て貰えるのです。事務費・食費などは年金を充当する仕組みです。平成7年から早、10年になります。叔母は至って健康で、時々特別養護施設や提携する病院に短期滞在するほかは、自分の部屋やデイ・サービスの人々と愉しく過ごす生活を続けています。最近、ケアーの対象としては難点のある障害も出てきましたので、今回棟続きで新設されるグループ・ケアーを薦められ、その詳しい内容を聞きに、叔母の妹、その次女・夫君、そしておりく夫婦で行って来ました。当初の献身的な精神は維持されていますので、その新しい建物に入居して貰う段取りをつけています。家内の父母のジプシー生活に比べると雲泥の差があります。現在入居中のケアー・ハウスも、トイレ、流し台、電磁調理器なども設備されている明るい部屋ですが、またまた今年の五月に新居に移れる叔母は、幸運な星のもとに居ます。
2005.03.08
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風に冷たさが残りますが陽射しに勢いを感じ、それが希望へと繋がっていく弥生ですね。ここ二日間、無味乾燥な日記に終始していましたが、久々に俳句の紹介ができることを嬉しく思っています。月初の句会は勉強会。 1) 般若の眉間弛びて春の立ちにけり 美絵 2) 桜草日が射しヨーグルトとわたし 貴代美 3) 油揚を買いに霰の大通り 貴代美 4) 茶柱立ち今朝のハミング早春賦 容子 5) てにをはを考へてゐる梅日和 信 6) 観音の手より春日のこぼれをり 容子 7) なきがらと言ふは無のこと鳥雲に 静 8) 料峭や対露講和の裏話 としお 9) かのひとの便りのぬくみ春を呼び 矢尾一 10) 六文字の口称布教や空也の忌 栄子 11) 児と小犬駆けつ転びつ春野行く 孝一 12) 墓参りビル間風塔婆けたたまし 重則 13) 幼年期かすかに春の水の音 星子 さて、(1)般若は女性の怨念の相ですから、それが弛むかどうか少し疑問に思いましたので質問しました。主宰のイメージは阿修羅さまにあったようです。で、 阿修羅さま面の弛みて春立ちぬでは如何なものでしょう。 (4)は ものの芽や茶柱立つを見て出勤 (10)は 白梅や空也六仏徒歩(かち)出(いで)ぬ (12)は がうがうと塔婆揺すりて春一番 未熟なおりくが添削するなど以っての外ですが・・・。ここ数日、俳句を詠む心境にもなれず、本日は手控えの句帳も何処かに紛れたまま、参加しましたので、おりく自身は反省に尽きる日となりました。 春うらら池には空と雲のある 星子
2005.03.07
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家内の祖母は93歳の長寿でした。亡くなったのがついこの間だと思っていたら、もう12年も経っているのかなぁ。家内の里は10年ほど前に建替えていて、風情のあった池も、祖母が暮らしていたお離れもありません。祖母に関わるダンボール箱があったので中を拝見したら、時は明治へと戻ってしまいます。祖母が高女で学んだ国文の教科書には徳富蘆花や旧い文壇の名士の文が掲載されていました。その頃の雑誌には今と同じように美容に関する広告も載っていて親近感を覚えました。小唄などは製本された和紙に祖母自ら筆でしゃなりしゃなりと歌詞が書いてありました。優等生でしたので筆の方も達者でしたが、図案に才があって、襖絵や陶器が今も家内の実家で沢山残っています。明治の人に負けないよう、自分の人生は自分で責任を持って切り拓いて行かなければと思ったのでした。
2005.03.06
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一度日記を書き込みましたが、自宅のPCがウィルスに侵されつつあって、更新した筈の日記は影・形もなく、訪問下さったお客様への返信コメントも無効になっていて、随分、礼を欠いたことになっていました。実家に来て、書き込んでいます。さて最近の医療制度は政府からの補助の関係なのか、3ケ月を越える入院治療は病院側には儲けが少ないようで、3ケ月以内の退院・転院を強制されることになります。家内の父(義父)も老人健康保険施設に世話になったお陰で自宅からデイサービスという方法になっていましたが、自宅で転んで怪我をして以来、病院を転々とするジプシー生活になっています。現在入院中の病院は部屋も廊下も狭いので義父の運動もままならず、一週間ほどの間にボケが進行していました。老人健康保険施設は何処も彼処も順番待ちが150人ほどあって、受験地獄のような競争率です。
2005.03.05
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母を散歩に連れ出すには、とっさに持ち出すに限ります。昨日、京都は思いのほか、麗らかな日和でしたので、長岡天満宮の梅林を観に行こうと誘ってみたら、行くとの返事。気が変わる前に、さっさとお出かけの準備です。お帽子、コート、ズボンなど「結構似合ってるよ」とさり気なく褒めて連れ出すのです。一緒に出たら用心が悪いからと母は慎重です。11月以来ほぼ4ケ月振りの散歩ですが、以前に比べれば足元が覚束ないのですが。此処は「衣笠茸」のあった処、この道を通って叔父(母の弟)の病気回復祈念をしたとか・・・何度も聴く話に相槌を打ちながら50本ほど並ぶ梅林を散策しました。昼ごはんは、ソーメンが冷蔵庫にあったので、それを暖め、冷凍庫の油揚げを甘辛の濃い味にして、青い菜をほり込んでにゅーめんの出来上がり。夕飯は、ひな祭りの日ですから、庭の梅の枝数本と水仙の花を花瓶に指し、箸置きも梅の花のついた小枝にしました。スーパーで買ってきた洋風の雛惣菜と宅配の和風弁当を盛り付け、華やかに飾り、白酒の代わりに、酒カスを湯で溶いて少し日本酒を足したもので乾杯しました。尚、本日は急遽、家内の実家に来ています。狭い病床で動きの取れない義父は、わずか9日の間に、すっかり呆けが進んでいました。すぐ手を打たなければ・・・。
2005.03.04
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実家での生活は本日で2泊3日目を迎えています。朝食の後、庭を散歩していて門柱に近い西側の一角に馬酔木の花を見つけ、しげしげと眺めていました。蕾のままの花は、朱色と茶色の混ざった、まるで小さな”赤頭巾”の群列です。一方、釣鐘の形に開いた花は鈴蘭そっくりで、幼稚園の可愛い少女たちの整列を見るようです。昨日のテレビで森光子さんが出演されて居て、”放浪記”の舞台で”でんぐり返り”を見事になさっていたことに驚きました。1920年京都生まれ、’35年に”なりひら小僧”で茶屋の少女役、また”月形半平太”では祇園の芸妓歌菊役。歌手生活を経て大阪の喜劇女優。’58年菊田一夫に見出されて上京、’61年、”放浪記”で舞台初出演。この時、舞台の案内看板やチラシに自分の着物姿が載せられたことを見て、初めて自分が主役に抜擢された事実を認識されたとのこと。爾来44年間演じ続け1700回を越え、今年は1800回に迫る勢いです。原作者:林芙美子さんも満足されていることでしょう。因みに、おりくは学生浪人時代にむさぼるように読んでいました。「もう台詞は完全に覚えて居られるでしょう?」との問いに、「いいえ、毎回忘れるようにしています。でないと、別の舞台やお仕事に新しく取り組む障害になるから。放浪記に戻ると、また1から台詞を覚え直します。そして覚えられた時、”まだ大丈夫だ”と自分に言い聞かせています。」 おりくは森光子さんの舞台人としての意欲に感動しました。御ン歳85歳で主役の台詞を覚えられるという”瑞々しさ”に驚いたのです。月に人間が足を踏み入れたことは偉業だけれど、踏み入れて欲しくなかった。何故なら”お月様”に毎晩手を合わせ「本日もありがとう御座いました」とお礼を言ってるのだから・・・。両手を挙げながら膝を曲げる運動を毎朝、毎晩75回きちんと続けて居られるから、85歳になっても”でんぐり返り”が出来るのだなぁ。若い時は頭を床に着けていたから鬘(かずら)が前、後ろに歪んでいたけれど、オリンピックの体操の演技にヒントを得て、腕で支えながらでんぐると、それも無くなり現在の方が昔より上手になったとのこと。 赤瀬川原平(別名の尾辻克彦で芥川賞受賞)さんの「老人力」(筑摩書房)を拝読していると、森光子さんの老人パワーにも納得が行きます。10代20代の経験や失敗を元手として自分なりに工夫し、広い心で森羅万象、人々の行いを見ていると脳が活性化して行くのでしょう。年齢は生きている限り増え続けるもので、それは樹木を輪切りにした時に見える年輪に過ぎません。”年齢を敬虔に意識しながら”、毎日の努力の積み重ねで、年齢に反比例して”実年齢と精神年齢とを融合させたオーラー”を放って参りたいと思うのです。
2005.03.03
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一部の地方を除いて今年は先ず先ずの寒さの冬かな?と思っているおりくですが、亡父の書棚にNHKテレビ番組、クイズ「ホントにホント?」(日本放送出版協会)の一冊を見つけました。その中から「雹(ひょう)と霰(あられ)の違いは?」ブルーさん:もとが雨か雪かの違いです。言うならば、製造する原料の違いです。 上空の雨が凍ってバラバラと降ってくると、これが霰になります。 雪が固く凍って降ってくると雹になるという訳なんです。レッドさん:降る季節の違いです。せんべいとあられの違いじゃないんですから、 原料の違いなどまったく関係ありません。霰と雹は同じものですが、 降る季節によって呼び名が違うんです。冬に降るのが霰で、夏に降る のが雹です。イエローさん:雷を伴うのが雹です。たしかに、霰と雹は同じものです。ただし、 降る時にピカピカ、ゴロゴロと雷を伴うと雹といいます。何も伴わず 単独で降れば、霰になる訳なんです。グリーンさん:大きさの違いです。大きさや長さの違いで呼び名が変わるものがよ くあります。例えば、同じ日本刀でも、1尺以下なら短刀、2尺以下 なら脇差し、それ以上ならば刀と呼びます。雹も霰も、粒の大きさに よって、直径が5ミリ以上の場合は雹と呼び、それ以下なら霰と呼ぶ のです。 正解はグリーンさんです。 雹は氷の小粒やかたまりが降ってくるもので、形は丸いもの、円錐形、でこぼこしたものなどいろいろで、直径が5ミリから50ミリぐらいが普通です。ときには百ミリを越えるものが降ることもあり、農作物に被害を与えます。雹は積乱雲の頂上にある氷の粒が落ちてきて、非常に冷えた水滴がこれに凍りつき、強い上昇気流に支えられたまま、雲の中を何回も上下して次第に大きくなるのです。 一方、霰には雪あられと氷あられがあり、その直径は2ミリから5ミリまで。一般に、雹は4、5月ごろに一番多く降り、霰は冬に多く降りますが、季節の違いによって分けることはできません。 (付録)温度計のガラス管に入っているものは?→ 石油ストーブ用の白灯油を赤く染めたものです。 知っていそうで案外間違え易い問題ですね。奈良のお水取りの終わる頃には、麗らかな春が来ています。もう分厚い毛糸のセーター、ジャンパーやコートが要らなくなりますね。
2005.03.02
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昨日の日記では触れませんでしたが、阪神タイガースの元代表:故岡崎氏のお家に、昨日未明5時半ごろ泥棒が進入し、奥様を脅し15万円いくばくかを強盗していました。母からその事件を聞いて、おりく夫婦はびっくり仰天しました。午前10時頃、警察の方5、6人が我が家に押しかけ、その説明によると、犯人は我が家伝いにお隣りさんの二階窓から進入したとのこと。警察手帳を見せて貰ったかと確認しましたら、母には記憶が無いとのことで、我が家の上隣りのAさん方に確認した所、警察手帳を見せられたとのことで、岡崎邸への泥棒事件は本物だったと解りました。お隣りには長男ご一家が、そのまま泊まって居られる様子でしたので、昨日は自宅に戻りました。普段は二重ロックするなど、防犯には過敏過ぎるくらいの母ですが、きっと動転していたのでしょう、今後は警察手帳を確認してから話に応じるように母を再教育しておきました。有名なお家は、早速お香典強盗のターゲットになってしまったのですね。くわばら、くわばら。
2005.03.01
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